エースを探せ! 作:66
1番倉持が三振した時点で、白州は悟っていた。
(普通にやったら、勝てない)
木島のセカンドゴロを受けて、打席に立つ。どうしよう。そんな考えが頭をぐるぐると回り、何をするかは決められていない。
データはあった。何をすればいいか、何を狙うのかは記憶した。だが、できそうにない。
丹波光一郎は、ストレートにノビはあるし、カーブにキレはある。だが、連打に弱い。
だが、それだけ。分析結果が、それだった。前に打った2人は2人共、球種を絞れていたはずだ。なのに、空振った。引っ掛けた。打ち取られた。
考えをまとめる為に、失礼を承知で白州はゆっくりと打席へ向かった。
打席に立つ。いつもより遠く感じるマウンドに立つのは、データ上は脆いはずの投手。
打てるのか。そんな気持ちに苛まれて、彼は斜め後ろをふと見た。
ヘルメットを目深にかぶり、マスコットバットを地面に突いて跪く。
威力のあるスイングを見せているわけでもない。声をかけられたわけでもない。
――――こいつに、回せれば
なのに、その不動の姿を見てそう思った。U15の四番、日本の四番。プレーする姿をビデオで満たし、U15ならリアルタイムで見ていた。
決勝戦の1試合3本塁打は、すごかった。たが、自分も1試合3本塁打くらいしたことはある。負けていないと、思えた。
(どうする)
つなぐ。この場合の最高は、ランナーを置いて奴に回すこと。
構え、脚を上げる。一球目のストレートを、彼は迷わず転がした。
セーフティバント。
バンドの構えをとっていたわけではない。すり足のままだったわけではない。打ち気を見せるように脚を上げて、白洲は芸術的なバントを見せた。
打てるやつはバントもうまいのだと、世界のホームラン王は言った。それを証明するかのように、サード増子の虚を突いて三塁線にころころと転がる打球。
増子は、その体型に見合わず守備が巧い。猛チャージをかけて右手で掬い、ファースト結城へと投げた。
強肩と俊足の勝負。それを制したのは、俊足だった。
どうしたって、不利だったのだ。完璧な不意打ちだったのだから。
「いきなりか。やるな」
勝負勘溢れる鋭い眼差し。その中に見事グラウンドにいた全員を騙してのけた後輩への素直な称賛をたたえて、結城は肩で息をする白州に声をかけた。
「最初からやるつもりだったのか?」
「……いえ」
穏やかな問いに頭を振り、息を整えて膝についた手を離す。
「後ろを見たんです。そしたら」
身体を起こしてヘルメットをかぶり直し、白州は思ったことをそのまま言った。
「繋いだら、なんとかしてくれると思わせてくれたから」
座っていた男が立ち上がる。
首の後ろに回したバットをぐいっと両手で持ち上げ、軽く振って左手で持つ。
先端を右掌に載せながら、東勇輝は打席に入った。
「よろしくお願いします」
投手を射るように見据えながらバットを両手で持ち、肩に凭れさせる。
背が弓のように反り、戻った。
(……どこに投げる)
投手の丹波も捕手の宮内も、同時にそんな言葉が脳裏をよぎる。
これまで、あっさりと2人を打ち取った。先輩としての威厳を見せ、高校に入ってから1年掛けて積み上げてきたものを実感できた。
さあ、次も。そう思ったところでセーフティバントを喰らい、確かに気勢は削がれた。だが、未だまともな当たりは打たれていない。
次を打ち取れば、終わり。
しかし、打席に立つのは四番。シニアの怪物、東勇輝。彼の名を、ずっと前から丹波光一郎は知っていた。
親友であり、現在は市大三校のエースとして君臨する真中要を2連発で粉砕した男。
(カッちゃんを、打った男だ)
油断はしない。あり得ない。なにせ、入寮したての打撃練習でしこたま打ち込まれたのだから。
(宮内)
自信無さげに外角に構える宮内を見て首を振り、丹波は自らサインを出した。
東は、初球を見逃す。本人曰く楽しみたいから、らしい。
ズバン、と。オーバースローから放たれた角度のついたストレートが内角高めを抉った。
東は微動だにせず、見逃す。これで1ストライク。あとストライク2つで打ち取れる。
構えられたのは、アウトローのカーブ。外れるか、外れないかはピッチャーの制球が物を言う、ギリギリのところ。
この遅い球も、東は見逃した。球審を務める監督はストライクをとり、2ストライク。
(あのカッちゃんが手も足も出なかった相手を、俺が追い詰められたのか)
高揚する丹波とは異なり、捕手として打者を見ている宮内はそこに不審なものを感じていた。
全く、動かない。その不動が不気味である。
ころころと狙い球を変える打者より、ひとつを狙って心中する打者の方が怖い。
一球、外す。そのサインに丹波は、浮かれ気分を叩き直して頷いた。
高めのストレートが、ストライクゾーンの少し上を通過する。
ボール。また、ピクリともしなかった。
(何を狙っている……)
受け止めたボールを丹波へ投げ返し、座る。
これで、2ボール2ストライク。互いに追い詰めているような状況だが、投手側にはまだ一球分遊べる余地がある。一方東は、ストライクと見れば打たなければならない。
まだ、有利。マウンドから見下ろして、丹波は荒れた息を吐いた。
所詮、練習試合。そのような気持ちは彼にはない。自分に相手打者を舐めていいような実力がないことを、丹波光一郎は知っている。
(フルカウントにはしたくない)
打ち取りたい。投手の欲目が、親友を超えたいという思いが顔を出す。その思いを汲み取って、宮内啓介は低めに構えた。
外から入り、ドロンと曲がって落ちるカーブ。所謂縦カーブ、ドロップカーブとも呼ばれるそれは、先程投げたカーブに比べて球速が速い。フォークとカーブの中間のような落ち方をして、鋭く決まる空振りを誘える球。
丹波光一郎の、決め球。成宮鳴いうところの必殺球。それを、宮内は要求した。
笑い、構える。グラブを掲げ、右腕を上げる。
古典的な、だからこそ美しいオーバースロー。高い背丈を活かして投げられたドロップカーブは、外角から入って低めに抜ける。
ちらりと、東の赤みがかった瞳が軌道を追った。
「ボール!」
普通のカーブならば、ストライク。ストレートでもストライクコールが下されていただろう。
やっと目線を動かしたポーカーフェイスは、縦に構えたバットを前に突き出した。
目線を集約するその様は、『最後だ』と言っているようにも思える。
フルカウント。四球か、アウトか、ファールか。
宮内は、外に構えた。丹波はボールの1つの縫い目に人差し指と中指を、親指を反対側の網目に添える。
前に投げたのとは、コースも似ている。しかし、今度は外角から低めギリギリに決まる球。
捻られた手首が東の方を向き、ドロップカーブが投げ下ろされた。
「はい」
納得したように、ポツリと東は呟く。
なにが、はいなのか。心の中での疑問が浮かび上がり切るその前に、思わず宮内は目を瞑った。
風、音、残像。明らかに目に悪い光景を見まいとしたのは、人間としての本能だったのだろう。
目を開けると、誰も動いていない。内野も、外野も、投手すらも。
時が止まったかのように全員が金縛りになっている中で、東は振り切ったバットを手元に戻した。
フェンスもネットも超えて、遥か彼方へ飛んでいく白球。
それを見てぐるりと、片岡鉄心が頭の上で手を回す。
ホームラン。
白州健二郎は、歩いて帰ってきた怪物をホームベースの後ろで出迎えた。
「流石」
「腐っても四番だからな」
打つと信じていた。
その言葉になんでも無いような語気で返し、駆け足でベンチに帰る。
「お前、相変わらずエッグいのぉ」
ネクストへ向かう前園は、呆れと感嘆を口から漏らした。
逆方向とは思えない程のとんでもない弾道は、ベンチからもよく見えた。引っ張ってあの弾道ならば、まだわかる。しかし、逆方向である。
「四番だから打てた。すべてがすべて、実力というわけではないよ」
「責任感っちゅう話か?」
「ピッチャーという生物はプライドが高いからな」
少し前まで中坊だったやつに虚を突かれ、迎えたのは四番。
絶対に三振で仕留めたいと思うはずだった。となると、球種とコースは限られてくる。東としては、その限られた中でヤマを張るだけでよかった。
「なるほどなぁ。お前も読み打ち派だったのか」
ベンチへ戻って、すぐ。
首を傾げつつネクストで素振りをはじめた前園の後ろから、曲者っぽい声がかかった。
御幸一也。1年生軍団の五番打者。現在バッターボックスに居なければならないはずの男。
後ろからは前園が素振りをやめて帰ってくる。
「お前、打席は?」
「ハハッ」
ハハッじゃないが。
口には出さなかったが、ベンチにいる全員がそう思った。
※三振