エースを探せ! 作:66
寛容な評価の雨あられ、怒涛の感想感謝です。
敗戦という経験を、東勇輝は味わったことがなかった。試合に出れば、打った。打てば、必ず勝った。
勝負に勝って、試合に負けた。そんなことがあるのだということを知った夏が終わり、秋が過ぎたころ。
東は、小さな病室に居た。コンクリートが打ち付けられた壁から小窓へと視線をやり、物憂げにため息をつく。
そんな鬱々とした空間の外から、喧しい―――病院では到底聞くことのできない闊達とした足音が猛接近し、がらりと勢いよく病室の扉が開いた。
ぬっと出てくる白頭。
「勇輝ィ!」
同時に放たれた切羽詰まった声が、成宮の心情を表していた。
今日は、青道高校に偵察に行っていた。彼は先日の試合で投げ、ノースロー状態。ロードワークがてら、ふと足を伸ばしてみたのである。
新チームの発足を既に済ませていた青道。相変わらず衰えない打撃をフェンス越しにチラ見し、鼻で笑いながらゆっくり走っていると、気づいた。
守備練習にも、あの野郎が居ない。打撃練習をしていないことは、音で既にわかっていた。明らかに全体練習中なのに、ロードワークに行くと考えられない。となると考えられるのは、サボり。
しかし、それも考えられない。あの野球しか楽しみを知らないような泰山の如きストイックさで、散々辟易させてくれた――――そして、嫌というほど実力を高めてくれたあの野郎が、サボることだけは絶対にない。
散々っぱら青道の周りを走り回っても見つからず、遂には唯一の知り合い――――御幸をとっ捕まえて聴いたのだ。
あいつ、怪我したの?と。
返ってきた答えは、『試合中に倒れた』。
倒れた。その言葉に、いいイメージはない。御幸曰く、『言ってると思った』。そんな言葉を聴き終える前に、病院名だけ聴いて走り出す。
最悪のイメージを払拭せんと彼はここに駆けてきたのである。
「やあ、(俺を捨てた挙げ句ホームランを打たれた)成宮くんじゃないか」
「………………?」
倒れた。そのイメージとは全然結びつかない健康体で、平然とベットに寝転がる男がひとり。
「エースとはいえ、サボりは良くないな。せっかく、余計なことを知らせないでいてやったというのに」
さては御幸だな……などと、完璧に的を射た邪推を行う東には、危篤のきの字も見られない。
「……今日は休みだから」
「ああ。そういえば昨日試合があったんだったか……」
昨日の試合相手は薬師。エースの真田が負傷退場し、成宮率いる稲実は楽々勝ちを収めた。
負傷退場という場面を見てしまったからこそ、焦ったというのもある。
平然としている東を見て、成宮は今更ながら落ち着きを取り戻した。
危篤なやつが、こんな辺鄙な病室に押し込まれているわけがない。
「で、現在快進撃を続ける稲城実業高等学校のエースがなぜここに来た」
「……一也から、お前が入院したって聴いて来てやったんだけど?」
「事実ではある。厳正なる検査も受け、手術もしたことだし」
新エースとして抜擢された丹波を援護すべく、市大三校の新3年生・エース真中から逆転の3ランを放った直後、倒れた。
どうにも、そういうことらしい。
珍しくちんたら走っていたことに気づいたチームメートが声をかけても何も答えず、ホームベースを踏んで倒れた。
「……容態は?」
「ああ。90まで生きられるかどうかわからない程度の健康体らしい」
強いて言うならば、盲腸が悪さをしていたかな。
そんなことを言う阿呆の腹でもぶん殴りたくなったが、大人の余裕で何とか堪える。
「紛らわしいやつだな、ほんとに!」
怒鳴って、お見舞いらしきリンゴを引っ掴む。
お見舞い全部食ってやる。そんな苛立ちをむき出しながら傍らの果物ナイフで皮を剥きはじめたところで、ドスの効いた声が鳴った。
「おい」
ピタリと、皮を剥く手を止める。
怒らない。声を荒らげない。ただ、やり過ぎたとき、言い過ぎたときにさんざん降り掛かってきたこの声。
マウンド外でも王様剥き出しな成宮も、条件反射には逆らえなかった。
「なんだよ、危ないなぁ!」
「剥いてやるからよこせ」
片手でベットの角度を上げながら降ってきた有無を言わせない声音には逆らえず、渋々仕舞った果物ナイフとリンゴを渡す。
器用にくるくると向き終えて、正確なスローイングで東はリンゴを投げた。
「お詫びのつもりかもしれないけど、俺はまだお前が勝手に――――」
「投手が持つのはボールだけでいい」
どっかいったこと、許してないから。
そう続けたかった言葉を豪快にぶった切られ、しゃくりとリンゴを齧る。
硬すぎず、柔らかすぎず。それでいて柑橘系にある酸味のない優しい味わい。
「で、勝ったか?」
「薬師にか? 負けるわけ無いだろ。俺が」
「ならばよし」
言わなかったのは、余計なことで黒星をつけたくなかったから。
精神的動揺はわずかなものだろうが、それでも無いに越したことはない。
そんな内心を知らない成宮には、なんとなく気まずい雰囲気がある。なにせ、当たり前のようについてくると思っていた相手が付いてこなかったのだ。
高校野球に休みはない。かと言って、こういうことを電話やメールで済ませたくはない。
「……あのスクリュー、なんで打てた?」
どう繋ごうかと必死に探した話題の果てが、それだった。
トーナメント戦という後のない地点に立ち、本気と本気をぶつけ合ったはじめての戦い。
はじめての対戦は、リトルの投手適性試験のとき。成宮は東の球を3打席中2本打ち、東は3打席中3本の柵超え。
どちらも、他のメンツは抑えてからのこれ。監督は決めかねていたようだが、東は自ら投手を辞退した。それが、はじまり。
「お前には、見せたことなかっただろ。公式戦でも一回も投げなかった」
「あれか」
くいーっと少し水をすすり、横の手かけに置く。
「お前相手に駆け引きも何もないと思った。どんな球が来ても不思議ではないと思った。だから、全部忘れたんだよ」
全てを忘れた。積み重ねてきたこれまでの全てを。
初めてカーブを見たときに、必死についていくように。初めてスライダーを見たとき、見当違いどころにアテをつけるように。
「ただ、あのままだと外れただろ。お前はあそこで逃げないと思ったから、振れた。そんなところじゃないか」
「忘れてないじゃんか、俺の性格」
「……確かに」
これまで散々苦労をかけられてきたからな。
しみじみ思い返すその言葉には、嫌気はない。嫌味もない。
じゃあなんでどっか行ったんだ。そう言いたかったのを抑えて、成宮は唯一尊敬する打者の答えを待った。
「うん、わからん。だから、来た球を打った。そう言うことにしておいてくれ」
「てめぇ……」
適当なことばっか言いやがる。
そんな怒りを察知しているのか、いないのか。穏やかな無表情だった東の相貌が、野球小僧のような笑みに崩れた。
「だがまあ、楽しかったよ。本気の対戦は」
今まで、エースと四番だった。王様と騎士だった。頭領と副官だった。
野球をはじめてからずっとそうで、お互いに死力を尽くして対戦することはなかった。
「負けた。死ぬほど悔しいはずなのに、なぜかやりきった感もある」
「勝負には…………」
勝ったからだろ。これまた泰山よりも高いプライドが、その言葉を発させない。
「……勝負には、負けなかったからだろ」
「かもな。だが、野球ってのはそうじゃない」
勝つぜ、今度は。
そう言われて、ハッと気づく。
こいつ、もしかしてこれがやりたかったんじゃないか、と。
成宮には、投手としての本能がある。東が青道への推薦を決めたことを事後報告されたとき、確かに彼は怒った。何をしてやがると叫んだ。だが、同時に歓喜もしたのだ。
唯一、だ。一時的にとはいえ、唯一負けを認めた打者。このままでは、永遠に勝負できないはずの最大最強の味方。
そいつと、死力を尽くして鎬を削れる。投手としての本能は、強敵の存在に歓喜していた。
野手にも、本能があるはずだ。
どいつもこいつも情けなくも打たれて心を折りまくられるやつばかり。当たり前の勝利を、成宮鳴は齎す。
そんな存在に挑戦せずして良いのか。そう思ったことが絶対にある。
奴は、打者を狩人だと言った。狩人ならば、困難な獲物であればこそ燃えるのではないか。
「なるほど、な……」
「そう。野球とはチームを勝たせてこそ――――」
「いや、わかった。もう言わなくていい。俺はお前を叩き潰す。捩じ伏せる。俺だって、それを望んでいなかったって言ったら嘘になるんだからな」
何言ってんだこいつ。
自己完結型の納得を見せられ、東はふと思いだした。
「そういえば。お前、俺を――――」
「わかってる。勝負したいってのは、俺も同じだからな」
絶対にわかってない。だが、目標を見つけた成宮鳴は止まらないことを、東勇輝ほど知っている人間はいない。
「今度の夏。3三振でぶっ飛ばしてやる。じゃあな!」
嵐のように来て、嵐のように帰る。
ちゃっかり食ったリンゴの芯を素晴らしいコントロールでゴミ箱に叩き込んで、成宮鳴は消えた。
「……まあ、いいか」
そういうガバガバなクレメンティアが成宮をああ言う風にしたのだと、東は全く気づかなかった。
これで0.5はおわり。明日は投稿無いかもしれません。
これからは原作の情報を纏めつつ穴のないように頑張るので投稿頻度が落ちますが、お許しください。