2-1 合流
第七学区の朝は、あまりに無機質で、それでいて残酷なほどに眩しかった。
病室の窓から差し込む陽光は、微細な塵を黄金色に照らし出し、昨日までの血生臭い操車場の記憶を塗り潰そうとしている。
鏡を見れば、そこには相変わらず色素の抜けた白い髪と、不吉な緋色の瞳を持つ「怪物」が映っている。だが、左頬に貼られた大きな医療用テープだけが、彼が「無能力者」に殴り飛ばされ、一人の人間として敗北した証として刻まれていた。
「……チッ。こんな傷、さっさと消えるはずなんだがなァ」
彼は独り言ち、サイドテーブルに置かれた缶コーヒーの空き缶を、能力で「質量」をゼロにしてゴミ箱へ放り込ん
だ。
計画は解体された。蝉脇は、本物の
だが、代償は小さくなかった。彼は自分自身の「善性」を守るために、一度は殺戮者の舞台に立ち、少女を傷つけた。その事実は、どんな演算を以てしても消去できない「負の定数」として彼の脳内に居座り続けている。
病室のドアを開け、無機質な廊下を歩く。
ナースステーションの前を通り過ぎる際、ふと足を止めた。あの日、彼が守ったミサカ19090号は、既に別の施設へと移送されたと聞いている。
(……あいつ、ちゃんと朝飯食ってやがるかよ)
そんな、自分には似つかわしくない思考を、彼は即座に「ノイズ」として処理した。
エレベーターを下り、一階のロビーへ。
自動ドアが開き、外の空気が肺に流れ込んできた瞬間、彼は足を止めた。
そこには、朝の光を背負い、不自然なほど「超威圧的」なオーラを放つ少女が立っていた。
「…………
低く、抑揚を押し殺した声。
ボブカットの茶髪。見慣れた私服。そして、手にはなぜかコンビニの袋を握りしめた絹旗が、仁王立ちで彼を待ち構えていた。その眉間には、深い、あまりに深い「超不機嫌」な皺が刻まれている。
「……おォ、絹旗かよ。こんな朝早くから、何の用だァ?」
絹旗は無言のまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。彼女が纏う
「超何の用だ、ではありませんよ。この超大バカ野郎が」
「……は?」
「昨日から連絡を絶って、一人で第十学区の操車場を超血の海にしておきながら、自分だけこっそり退院しようだなんて、超甘い計算を立てていたんですか?」
絹旗の瞳には、怒りと、それ以上の「安堵」が入り混じっていた。
彼女は、進入禁止が蝉脇に脅されていたことを、おそらく正確には知らない。だが、彼が自分たちのために一人で闇に飛び込み、ボロボロになって病院に担ぎ込まれたという「結果」だけは、暗部のネットワークを通じて把握していた。
「……別に、俺の勝手だろォが。低俗の相手をしてたら、ちっとばかし計算をトチっただけだ」
「超嘘をつかないでください! その頬の傷、あの無能力者に殴られた跡でしょう!? 麦野たちが『第一位の紛い物が情けなくぶっ飛んだ』って超大笑いしてたんですよ!」
絹旗は、手元に持っていたコンビニの袋を
「……なんだ、これ」
「超退院祝いです。それと、自分勝手に消えたことに対する超罰金です。……
絹旗の言葉に、
「あなたは暗部の道具かもしれませんが、私の……超仲間なんですよ。一人で地獄に行くなんて、超効率が悪い真似は二度としないでください」
緋色の瞳に宿っていた冷徹な演算の火が、少しだけ和らぐ。
「……ケッ。仲良しごっこなんて、柄じゃねェんだよ。……まァ、この恩は受け取っといてやるよ。無駄にするのは割に合わねェからなァ」
「超素直じゃないですね。まあ、そんなところが
二人は、並んで病院の敷地を出た。
第七学区の街並み。学生たちが通学を始め、街が活気を取り戻していく。
「絹旗。……あの計画のことは、もう気にするな。全部、
「超知っています。あの方が蝉脇栞を分解する動画、暗部の掲示板に超出回っていましたから。……でも、
絹旗は足を止め、真剣な眼差しを彼に向けた。
「あなたが守ったのは、数値や演算ではありません。……あの時、あなたが助けようとした
青空。そこに浮かぶ白い雲。
自分が偽物であることに変わりはない。
それらは、決して「計算」だけで導き出されたものではない、彼自身の「人生」の断片だ。
「……あァ。分かってんよ、絹旗。……俺はもう、ただの紛い物で終わるつもりはねェ」
第七学区の雑踏の中へ、二人の影が溶け込んでいく。
数日後。
退院後の経過観察という名目での「自由」は、一通の無機質な電子音によって終わりを告げた。
ポケットの中で震える携帯端末。画面に映るのは、もはや自分の運命の秒針とも言えるあの名前
――『登録①』。
「……ケッ。死ぬまで道具として使い倒す気かよ」
『やあ。体調はどうかな? 英雄的な敗北を喫したにしては、回復が早いようで何よりだ。……さて、次のステップに進もうか。指定した座標に来てほしい。君の「居場所」を再定義する時間だ』
「居場所だァ……? 座標を送れ。……以上だ」
通信を切ると同時に、地図データが滑り込んできた。
場所は第七学区の片隅。学生寮や小規模なオフィスビルが立ち並ぶ、一見すると何の変哲もないエリアにある高級サロン。
指定された場所は、周囲の景観に溶け込むように建つ、落ち着いた佇まいの建物だった。
だが、その入り口に立った瞬間、進入禁止の「
まるで、学園都市の秩序そのものを歪めるような歪な重圧。
「……なんだ? 佐藤の野郎、俺を罠にでもハメるつもりかよォ」
彼は体表の空気密度を防御モードに固定し、重厚な扉を開けた。
広々としたサロンのような空間。高い天井と、洗練された調度品。その優雅な室内に漂うのは、濃厚な「死」と「破壊」の予感だった。
「……遅いじゃない」
低く、そして傲岸不遜な女の声。
部屋の奥、豪華なソファに深く腰掛け、不機嫌そうにティーカップを弄んでいるのは、学園都市第四位――
「超ようこそ。と言いたいところですが……
数日前まで共にいたはずの、絹旗がいた。
「テメェら、なんでここに?……いや、ここは『アイテム』の拠点っつうことかァ」
麦野沈利。学園都市に七人しかいないレベル5の一人であり、暗部組織『アイテム』の絶対的な統率者。彼女の放つ
「なンだァ?
「ハッ! 随分な口の利き方ね。……いい、佐藤から聞いてないの? 今回の『計画失敗』の責任、そして『
麦野がティーカップをテーブルに叩きつけた。カチャン、という硬質な音が、宣戦布告のように響く。
「再定義だとォ……?」
「簡単に言うと、超おめでとうございます。
絹旗が、補足するように告げた。その表情はどこか晴れやかで、同時に「これからが大変ですよ」といういたずらっぽい輝きを宿している。
「これまでは、第一位の『代替品』として独立した
麦野の言葉は冷酷だった。
「第一位の紛い物を、第四位の部下にするってワケか。最高に算数が出来ねェ連中だぜェ、上の連中はよォ!」
だが、その一方で。
彼の「善性」という微かな感情は、絹旗の隣に自分の立ち位置が用意されたことに、否定しきれない安堵を感じていた。
「いいじゃない、
「誰がそんなモンに入るかよ」
「あはは、面白い!結局、超能力者が二人もいる組織なんて他にないんじゃない?」
フレンダがキャッキャと笑い、滝壺は無表情に
「……勘違いしないで。使える駒である限りは生かしておいてあげる。でも、少しでも『計算』をトチって私たちの邪魔をするようなら、その白い頭ごと消し飛ばしてあげるわ」
麦野が、瞳を細めて冷たく笑う。
「おいおい、随分リーダー気取りで俺をあしらってくれるじゃねェか。第四位だか何だか知らねェが、今からテメェをぶっ殺して俺がここの
「いいわよ。今からここでおっぱじめても誰も文句は言わないだろうし、その方が白黒ハッキリつくんじゃない?紛い物風情が、ピィーピィー騒ぐその縦にしか広がらない口を上下左右に引き裂いてあげるわ」
両者の圧力。高位の能力者、更には闇に染まった者たちが出す異様な雰囲気に絹旗達は言葉を失う。本当にこのまま戦闘が開始されれば、どちらかが死ぬまで戦い続けるのは必然的だ。
でもそれを止める術を持っている者など、存在しない。
「……あァ、分かってるよォ。俺を部下にしたこと、地獄の底で後悔させてやるぜ……。せいぜい、俺の進入禁止の
不貞腐れたような、だがどこか吹っ切れたような少年の声が、サロンの中に響く。
偽物の、一人の少年としての物語は、ここから新たな「組織」という変数を加えて、さらなる混迷へと加速していく。
学園都市の夜。
闇に染まった街路を見下ろしながら、進入禁止は心の中で呟いた。
(……ケッ、騒がしくなりやがる。……まァ、独りで計算し続けるよりは、マシなバグかもしれねェな)
お久しぶりです。
名前が少し変わりましたが前と同じ読み方なので
ご安心ください。
約6年ぶりにこの作品を読み返し
再々編集をし、そのまま新しい部分を追加いたしました。
現段階で原作を再度読みながら
編集しつつ現代っぽく作成しているので
気長にお待ちいただけると嬉しいです。