実はこの縁壱さん、縁壱さんであって縁壱さんではありません。
まぁ、この話はまたいずれ。
第壱話 記憶
少年、冨岡義勇は妙な夢を見る。それは毎日、毎日繰り返されていた。
夢の中で、義勇はただどこまでも果て無く続く水面の上にいた。
夢の中には義勇と、額に痣のある太陽を象った耳飾りを着けた男がいた。
「あなたは誰…?」
幾度この問いを繰り返しただろう。男は決して口を開くことはなかった。
けれども、ただ一度だけ答えてくれたことがあった。
「私は何者でもない。何者にもなれなかった。不完全な存在だ。私は大切なものを守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ。このような私が呼ばれるべき名などない。私はただの亡霊に過ぎない。」
男の瞳は澄んでいて、それでいて悲しい色に満ちていた。
男の瞳を見ると
土煙が舞う。血が流れる。誰かが泣いている。
『…は…じる。………を……る。』
『無……の…は……の…なんだ。』
『…獄に……ろ。』
『あり…と…。兄……ん。』
『………。あ……とう。………行こ…。…で。』
『絶…に…を……にす…。……こそ………ない。必ず……。』
それはノイズ混じりで何度見てもよく分からなかった。
「―…勇。義勇。」
「おはよう。蔦子姉さん。」
朝が来ると俺はいつも泣いていた。
「また夢を見たの?」
「うん。ごめん。明日は姉さんの祝言なのに。」
毎朝、夢を見る度に泣いている。そんな俺を心配する蔦子姉さんに申し訳なく思う。
悲しい顔をしてほしくない。
――…やっと幸せになれるんだから。
俺と姉さんはたった二人っきりの姉弟だ。
両親は流行り病で亡くなった。俺の物心がつくかつかないかの頃だった。
俺に両親の記憶はほとんどなく、どれも朧気だった。けれども、優しい人だった。優しくしてくれたことを。温かな手を。俺達姉弟が共に笑っていたことを確かに憶えていた。
もう父と母がいないことを知った時は涙が止まらなかった。
姉さんは泣かなかった。
いつも朗らかに微笑んでいた。
両親が死んでから姉さんが泣いている所を見た事がない。
どんなに辛くて苦しい時も笑顔を絶やすことはなかった。
強くて優しい人。
両親が死んでからは姉さんが親代わりだった。年頃の女性らしく着飾ったり、女友達と出掛けたりする様を見たことがなかった。
だから、姉さんに添い遂げたい男性がいると義兄となる人を紹介された時は本当に嬉しかった。
義兄さんは優しい人だった。
すぐに俺は義兄さんのことが好きになった。
この人を「兄」と呼べることが嬉しかった。
今日は祝言の前日。
最後の日だからと姉さんはずっと俺の傍にいてくれた。
夕餉に出た大好物の鮭大根は何よりも絶品だった。
空も暗くなり、俺達は布団に入る。明日が楽しみでちっとも眠くなくて、俺と蔦子姉さんはずっと話をしていた。
きっと明日は、誰よりも幸せになれる日だから―…。
ふいに凄い物音がした。
ガタガタと音が続き、バキバキミシミシと戸が破られた。
白い肌、縦に開かれた瞳孔、鋭く長く血に濡れた牙。
それは鬼だった。
「義勇!」
姉さんは俺を抱え、物置に押し込めた。
「義勇はここに隠れていなさい。絶対、戸を開けちゃ駄目よ。」
ギュッと身体を抱き締められる。姉さんの身体は震えていた。
「大丈夫。大丈夫よ。義勇のことは姉さんが守るからね。」
それはとても美しい微笑みだった。
それを最後に姉さんは走り去った。
「待っ…!」
ガタガタと震えが止まらなかった。
お願いします。神様。蔦子姉さんを奪わないで。やっと幸せになれるんだ。明日、祝言なんだ。だからお願いします。神様、姉さんを助けて。
ただ必死にギュッと手を合わせ握った。
『姉を助けたいか。』
それはたった一度だけ聞いた声。心に沁みるような声音だった。
気付いたら俺はいつもの、ただどこまでも果て無く続く水面の上にいて、額に痣のある太陽を象った耳飾りを着けた男と向かい合うように立っていた。
そして、それは始まった。
『義勇はここに隠れていなさい。絶対、戸を開けちゃ駄目よ。大丈夫。大丈夫よ。義勇のことは姉さんが守るからね。』
『蔦子姉さんッ…!!』
そう言って、鬼に喰い散らかされ骨も残らなかった姉の姿。
『錆兎!待って!行かないで!』
『十二…。十三…。で、お前で十四だ。俺が喰った鱗滝の弟子の数だよ。アイツの弟子はみんな殺してやるって決めてるんだ。』
刀が折れ、異形の鬼に喰い殺された口に傷のある宍色の髪の少年。
手足を引きちぎられ喰い殺された花柄の着物の女の子。
『一緒に行くよ。地獄でも。父さんと母さんは累と同じところに行くよ。』
『全部僕が悪かったよう。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……。ごめんなさい…!』
業火の中で抱き合う三人の親子の姿。
『俺は信じる。君達を信じる。』
左目から血を流し、腹を貫かれた炎を思わせる髪色の男。
『無一郎の…無は……〝無限〟の〝無〟なんだ。』
身体中から血を流し、手を繋ぎ倒れた双子の兄弟の姿。
『永遠というのは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり不滅なんだよ。』
病に侵された穏やかな青年。
『しのぶ。鬼殺隊を辞めなさい。あなたは頑張っているけれど。本当に頑張っているけれど、多分しのぶは………。普通の女の子の幸せを手に入れてお婆さんになるまで生きて欲しいのよ。もう…十分だから…』
『嫌だ。絶対辞めない。姉さんの仇は必ずとる。言って!!どんな鬼なの。どいつにやられたの……!!カナエ姉さん言ってよ!!お願い!!こんなことされて、私、普通になんて生きていけない!!姉さん!!』
濁流の涙を流し、血に濡れた姉に縋りつく妹の姿。
『地獄に堕ちろ』
全身の骨を砕かれ、取り込まれた蝶飾りの女性。
『ごめん。ごめん。守れなくてごめん。大事な時、傍にいなくてごめん。約束を何ひとつ守れなかった…!!』
『おかえりなさい。あなた…。』
涙を零しながら謝る男を優しく抱き締める女性。
『……兄…ちゃん…。ご…めん……。あの…時…兄ちゃんを…責めて…ごめん…。迷惑ばっかり…かけて…ごめん…。守って…くれて…あり…がとう…』
『ああああ。頼む。神様。どうかどうか、弟を連れて行かないでくれ。お願いだ!!!』
笑って崩れ逝く男に、泣いて縋りつく白髪の男。
『行けーーー!!進めーーー!!前に出ろ!!柱を守る肉の壁になれ。少しでも無惨と渡り合える剣士を守れ。』
死に逝くたくさんの隊士達。
『そうか…。ありがとう…。じゃあ行こう…皆で…。行こう…。』
子供達の手を取り、日に照らされながら穏やかに微笑み死に逝く盲目の男性。
『伊黒さん。伊黒さん。お願い。生まれ変わったら、また人間に生まれ変われたら、私のことお嫁さんにしてくれる?』
『勿論だ。君が俺でいいと言ってくれるなら。絶対に君を幸せにする。今度こそ死なせない。必ず守る…。』
涙を流しギュッと抱き締め合う二人の男女。
『また守れなかった。俺は人に守られてばかりだ……。許してくれ。すまない。』
ボロボロになって首が下に垂れた状態で座り込む少年。その少年を見て涙を流す成長した自分の姿。
『お労しや。兄上。』
涙を流した老いた一人の男。
『縁壱さん。後に繋ぎます。貴方に守られた命で…俺たちが。貴方は価値のない人なんかじゃない!!何も為せなかったなんて思わないで下さい。そんなこと絶対誰にも言わせない。この耳飾りも日の呼吸も後世に伝える。約束します!!』
『ありがとう。』
赤ん坊を背にかけた男性の言葉に穏やかに微笑む男の姿。
朧気で断片だったノイズ混じりだった光景が、流れるように補完されていく。
それは誰かの悲しみであり、死の記憶。男の穏やかな微笑みを最後に記憶は終わりを告げた。
――そうか…。あなたは…。
俺は再び水面へと戻り、あの男と向かい合っていた。
「お前が見ていたものは夢であって夢に非ず。これから起こる未来であり、今までに起こった過去の記憶だ。」
「縁壱…。」
やっとあなたの名前が分かった。
けれど、縁壱は悲しげに首を横に振った。
「私にそう呼ばれる資格はない。言ったはずだ。私は何者でもない。何者にもなれなかった。不完全な存在。私は大切なものを守れず、人生において為すべきことを為せなかった者。お前の無意識領域に巣食うただの亡霊だ。」
自然と涙が溢れてきた。
そんなことを言わないでほしい。救えなかったものもあるかもしれない。けれど、あなたは充分すぎるほどに誰かを救っている。
けれど、俺が一体何を言えるというのか。言葉が出なかった。
「お前は私とは違う。きっとお前なら私のできなかったことができる。」
縁壱は穏やかな瞳を俺に向けた。
それは確かな信頼と確信を宿した目だった。
始まりの呼吸『日の呼吸』の最強の剣士。
この人にできなかったことが俺なんかにできるのだろうか。
できるかできないかじゃない。やり遂げなければならない。
夢でも幻でもない。鬼の襲撃。夢の中の姉の言葉と現実の姉の言葉が重なった。現実にこれは起こることだ。
知ってしまった以上、見て見ぬふりをするなんてできない。
あんな悲しい結末を迎えて欲しくない。未来を変える!
フッと意識が戻る。気付けば、そこは先ほどまで押し込められていた物置の中だった。
物置だったことが幸いした。
中にあった刀を握り、義勇は駆けた。
「蔦子姉さん…!」
「義勇!来ちゃダメ…!!」
それは今にも姉を喰らおうとする鬼の姿。
――【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】
流れるように自然と身体が動いた。
「こっ…のクソガキィィィイイ!!!」
頸を刎ねる。けれども、日輪刀ではない刀で頸を斬ったところで鬼は死なない。
日輪刀が手元に無い今、鬼を殺せるのは日の光だけだ。
朝が来るまで粘るしかない。
ここでは駄目だ。姉さんを巻き込むわけにはいかない。
「義勇!」
「俺は大丈夫だから!姉さんは心配しないで!!」
「待てぇぇええ!!クソガキィィィイイ!!!」
走りこの場から離れようとする俺を、鬼は頭に血が上っているのか、素直に追いかけて来てくれた。
その方が好都合だ。
十分姉さんから距離を取ったところで俺は立ち止まった。
「なんだぁあ?やっと観念したのかぁああ?」
「観念するのはお前の方だ。」
身体が熱い。心臓が早鐘を打つ。
義勇の左頬には流水のような痣が浮き出ていた。
「お前は俺が殺す。ここで。必ず。姉に牙を剥いたお前を許しはしない。」
「こっっんの…!クソガキがぁぁああ…!!」
――【水の呼吸 肆ノ型 打ち潮】
**
どれほどの時間が経過しただろう。
よく分からない。
幾度、鬼の五体を切り刻んだか。けれども、鬼はたとえ何度、五体を切り裂こうとも死ぬことは無い。すぐに再生してしまう。
「ヒューーッ…。ヒュー――ッ…。ハァ。ハァ…。」
荒い呼吸を繰り返す。刀を握る手はかじかんでいた。
身体は限界に近かった。
けれど、もうすぐ。もうすぐで夜が明ける。
あと少し。あと少しだ。
「夜明けを待っているようだが、残念だったなァ?テメエは俺を殺せねェよ!!」
鬼の攻撃が迫る。
クソッ。もう刀を振るう握力が…!!
『義勇。』
ふいに声が聞こえた。
「縁壱…?」
『お前ならできる。
鬼は俯いたガキを見る。
はっ。やっと諦めたか。
ゴオオオオ。
なんだこの音?呼吸音が変わった…?
――【
壱ノ型 円舞】
「ば、か…な…!」
このガキはさっきまで満身創痍だったはず…!それを急に…!!
ふいに光が木々の合間から差し込んだ。朝日だ。
しまった…!!
「ぎゃあああああ!!!」
鬼は日に焼かれ、跡形もなく消滅した。
ペタンとへたり込む。
終わった…。守れた…。蔦子姉さん…!
「…信じられん…。」
突然、声が聞こえた。
全く気配を感じることができなかった。
天狗の面を着けた老人。
この人を知っている。〝記憶〟の中に出てきた。
(鱗滝さん…)
緊張状態から解放され、安心したからだろうか。
そこで義勇の意識は落ちた。
**
―…勇。義勇。
呼んでいる。
俺の名を呼ぶこの声は…
「蔦子姉さん…?」
「義勇!目が覚めたのね!!」
「わっぷ。姉さん!」
起きるや否や姉に思いっ切り抱き着かれた。
「無事でよかったッ…!!本当に心配したんだから!!」
「ごめん。でも姉さんが無事でよかった。」
ぎゅっと抱き締め合う。
ああ。生きている。よかった…。
ふいに部屋の戸が開かれた。
「目が覚めたか。」
「鱗滝さん!」
姉が彼の名を呼び丁寧に頭を下げる。
「あなたは…。それにここは…。」
辺りを見回せば、そこは俺達の家ではない。知らない部屋だった。
「儂は鱗滝左近次だ。ここは藤の花の家紋の家だ。」
「私と気を失った義勇を鱗滝さんが助けてくれたのよ。」
「ありがとうございます。俺は冨岡義勇です。」
「うむ。」
それから鱗滝さんはいろいろと話してくれた。
鬼。そして鬼殺隊について。
また、俺は毎日ずっと同じ朧気な『夢』を見ていたが、鬼に襲われた瞬間、それがはっきりとした『過去と未来の悲しみと死の記憶』であるということ、無意識領域に棲む縁壱の存在、『呼吸』について聞かれたことを全て話した。
鱗滝さんは何も言わずジッと考え込んでいた。
「お願いします。鱗滝さん。俺をあなたの弟子に、鬼殺隊に入れて下さい。」
手をつき、地に頭を下げる。
鱗滝さんとここで出会えたことは僥倖だ。この機会を逃すわけにはいかない。
「駄目だ。」
即答だった。
「お前の事情は理解した。儂はそれが偽りだと思わん。お前が真剣に言っているということも。」
「なら…!」
「だが、お前には姉がいる。鬼殺隊は死と隣り合わせだ。いつ死ぬとも分からない。わざわざそんな道に入らずとも、お前は姉と共に幸せな未来を掴んでほしい。」
「鱗滝さん…。けど、俺は…」
「私からもお願いします。義勇をあなたの弟子に、鬼殺隊へと入れてあげて下さい。」
「姉さん!」
「蔦子殿…」
「お願いします。」
「姉さん…。」
姉は深く頭を下げている。
「俺はもう大切なものを失いたくないんです!お願いします。」
「お願いします。」
姉弟揃って必死に頭を下げる。
どれくらいの時間が経っただろう。ふいに鱗滝さんの気迫がフッと緩んだ。
「着いて来い。」
パッと姉弟で顔を見合わせる。
「ありがとうございます。」
「義勇。」
「姉さん…。」
「頑張って。必ず無事に。絶対に死なないで。約束よ。」
「ああ。必ず。」
背に手を回し、ぎゅっと抱き締め合う。
―…必ず生きて…。
冨岡義勇は鬼殺の道を目指し、進んでゆく。
縁壱さんが精神世界にいることで義勇さんは『日の呼吸』を使えます!