凪は日輪と共に   作:蜜柑凪

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第拾漆話 特別

禰豆子の太陽の克服以来、鬼の出没がピタリと止んだことで始まった柱稽古。

まだ左脚の骨折が治りきっていない炭治郎はまだ柱稽古に参加できず、現在、手紙で呼ばれた義勇さんのいる水柱邸の前へと赴いていた。

 

「ごめんくださーい。義勇さーん。こんにちはー。俺ですー。竈門炭治郎ですー」

 

ギィッと門が開かれると同時に義勇さんが顔を出す。

室内に案内される。それはとても静かで落ち着いき、閑静であった。

 

「すまないな。怪我も治りきっていないのに、わざわざ呼び寄せたりして。」

「いえ。気にしないで下さい!それより義勇さんの方こそ柱稽古の方は大丈夫なんですか?」

「ああ。俺は順番的にいっても悲鳴嶼さんの後だからな。ここまでやって来れる隊士は少ない。それに今は休憩時間中だ。」

 

庭先には死屍累々といった隊士達が転がされている。最早、それは屍と言っていい。

けれど、義勇さんの言うとおり、その数は数えることができるほどに少なかった。

 

「そういえば、義勇さんの訓練ってどういったものなんですか?」

「ああ…。俺がしているのは主に呼吸と動きの矯正だ。皆、あまりにも無駄が多すぎる。」

 

「そうなんですね!それで義勇さんのお話っていうのは…。」

「ああ。お前に伝えておかなければならないことがある。それは――…」

 

義勇さんによって告げられた内容に思わず目を見開いた。自分でも表情が歪んでいくのが分かる。

一筋の涙が頬を伝った。

それはなんて悲しい…。

 

風が止んだ。

それは、どこか現実のものではないような気さえした。

 

 

 

 

 

**

 

それは異様なほどに月が照らす闇夜のことだった。

獪岳の前には歪な刀を持った六つ眼の鬼がいた。その瞳には『上弦・壱』の文字が刻まれている。

途轍もない威圧感。身体中の細胞が絶叫して泣き出すように恐怖した。

 

獪岳は地面へと頭をこすりつける。

 

圧倒的強者に跪くことは恥じゃない。

生きてさえいれば何とかなる。

 

 

ずっと不満があった。

幸せを確かに感じている筈なのに、いつも満ち足りなかった。

寺の金を盗んだのも、金があれば俺の中の空っぽが埋まってくれると思ったから。

けれども、それで満たされることは終ぞなかった。

俺はただ『特別』がほしかった。

 

罵られ、寺を追い出された先で鬼と出会った。助かるために俺を追い出した奴らを売った。

藤の花を炊いた香炉の火を消し、鬼を寺の中へと招き入れた。

それからはただ必死に逃げた。逃げ出す直前、一つの蒼い瞳と目が合ったような気がした。その瞳は哀れみを映していた。そのことに胸の灼け付くような不快感を覚えた。

 

育手の元鳴柱に拾われ、俺は修行に励み、雷の呼吸を修めた。

師に認められる度に、よくやったと褒められる度に自身だけに向けれられる愛情を感じ、満ち足りていくような気がした。ようやく『特別』になれた気がした。

けれども、それはただの幻でしかなかった。

 

師が新たなガキを拾ってきた。

そいつは泣いてばかりのカスだった。

けど、師はそいつにも愛情を注いだ。

あまつさえ、そいつは俺が終ぞ修得が叶わなかった壱ノ型を修得し、師は俺とそいつの二人で後継だとぬかした。

認められない。認められる筈もない。

怒り。妬み。憎悪。胸の内が灼け焦がれるようだった。

 

 

 

手の中に鬼の血が滴り落ちる。

生きていれさえすれば、勝ちなんだ。

俺は他の奴らとは違う。鬼になる。鬼になって生きて『特別』になるんだ。

 

 

ふいにピクリと上弦の壱が動いた。

 

――【月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮】

 

衝撃で鬼の血が地面へと零れ落ちる。

その時、月を覆い隠すような眩い日の光が見えた気がした。

 

――【日の呼吸 壱ノ型 円舞】

 

 

「無事か。」

「あんたは…」

 

特徴ある半々羽織。長い黒髪を後ろで縛った男。鬼殺隊 最強の剣士『水柱 冨岡義勇』。

蒼い澄んだ瞳が獪岳を映す。

その瞳になぜか、言い知れぬ既視感と不快感を覚えた気がした。

 

 

 

 

 

**

 

「貴様は…」

 

ギリィッと黒死牟は歯を食いしばる。

唇から一筋の血が流れ出た。

 

弟と同じ日の呼吸の使い手。上弦を打ち破り、無惨様を追い詰めた鬼狩り。

男を通して忌々しい記憶が蘇る。

五臓六腑が捻じ切れそうなほどに焦燥、不快感を覚えた。

 

忌々しい。忌々しい。

いつまで私を蝕むというのだ。縁壱……!

 

――【月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月】

 

無尽の月の斬撃が義勇へと襲う。

けれど、そこに義勇の姿はなかった。

 

――【日の呼吸 拾壱ノ型 幻日虹】

 

「約束した。託された。できなかったことをやり遂げると。お前は必ず他でもない俺が斬る。」

 

見えた男の表情に時が止まったような錯覚を覚えた。

 

「労しいな。継国厳勝。」

 

その言葉。

私を憐れむような瞳。

面影が重なる。未だに頭に焼き付き離れない縁壱の姿が見えた。

 

「縁壱!!」

 

手を伸ばす。

その問いに答えてくれる者は誰もいなかった。

もう男も私に命を乞うた鬼狩りの姿もどこにもなかった。

 

無意識の内に伸ばしていた手がだらりと垂れる。

そうだ。嫌というほどに実感している。

どれだけ手を伸ばしたところで、希ったところで、所詮、日の光には届くことはない。ただ届きもしない幻想を夢見て惨めにもがき苦しむだけだ。

 

 

衝動のまま、怒りのままに辺りを破壊し尽くす。

けれども、微塵も胸の内が晴れることは叶わない。

ああ…。なんと忌々しいことだろうか…。

 

 

 

 

 

 

**

 

パチリと獪岳は閉じていた瞼を開ける。

そこは見知った蝶屋敷の天井だった。

 

「俺は――…」

「目が覚めたか。」

 

「水柱様…。」

 

傍には椅子に腰かけた水柱 冨岡義勇の姿があった。

そうだ…。

たしか、俺は上弦の壱に遭遇して…。

鬼の血を与えられた。けど、それを呑むことは叶わず、寸での所で水柱が来た。

上弦の壱と水柱の攻防。

僅かなほんの瞬きの間だった。

けれども、途轍もない威圧感が空気を支配していた。眼球を動かすことすら許されない。自分の命をその手で握られてる感覚があった。

選ばれた強者のみにしか入れない領域。

まるで、それは永遠のように感じられた。

 

水柱と共に姿が炎と消え、先ほどとは随分と離れた場所に出た時。

俺はようやく眼球を動かすことが許された。

 

 

起き上がり、ギュッと手の感覚を確かめる。

生きてる。

鬼になることは叶わなかった。

だが、俺は生きてる。勝ったんだ。

 

 

 

「大事はないようだな。」

「あ、はい。助けていただき、ありがとうございました。水柱様。」

「いや。柱たるもの、隊士を助けるのは当然のことだ。」

 

ふいに水柱は何やら目を細めた。それはどこか過去を回顧しているように思えた。

 

「こうしてお前と顔を合わせるのも随分と久しいな。獪岳。」

「は?…あの、あなたと会ったのはこれが初めてでは…?」

 

柱と自分とでは階級が随分と異なっている。

俺には柱との共同任務が回ってくることは無かった。

それに、柱稽古の際も、まだ俺は水柱の所へは到着していなかった。

故に水柱の姿を耳に挟んだことはあっても、実質、会ったのはこれが初めての筈だ。

 

「忘れたか…。会っただろう。かつて悲鳴嶼さんの寺で。鬼を招き入れ、走り去ったお前と。覚えていないのも無理ないことかもしれないが。」

「…ッ!!アンタ、あん時の…!!」

 

この人の蒼い瞳を見たときの既視感と不快感。その理由を理解する。

なぜ、気付かなかったのだろう。

忘れもしないあの日に見た瞳と変わらぬ同じものなのに。

 

 

「一つ聞きたい。お前は何故、鬼狩りとなった。」

「……!」

「鬼殺隊は鬼と戦い、明日その命があるとは限らない。そんな場所だ。お前はあの日、鬼に悲鳴嶼さんと他の子供達を売ってでも生きようとした。にもかかわらず、お前は鬼殺隊として鬼と戦っている。お前はひたむきに努力していた。逃げ出すことをしなかった。何故だ?」

 

言葉は淡々としていた。

けれど、そこに責めるような音は無く、ただ疑問に思うことをそのまま口にしているようだった。

 

言われてみて思う。

生きていれば何とかなる。勝ってみせる。

それが獪岳の信念だった。

そうだ。生きてさえいれば。強くなれば。鬼を殺せば。それで命を救えれば。

あの日、鬼に誰かの命を差し出してでも生き永らえた自分が正しいと証明されるから。

 

けれど『特別』にこだわり、認めてもらうことに固執し、埋もれてしまった根本にあった願いは――…。

 

「そうする…ことが…俺にできる…唯一の償いで…」

 

舌が絡まってうまく言葉を紡ぐことが叶わない。

心臓が嫌な音を立てた。

 

「そうか…。」

 

水柱は何も言わなかった。その表情は穏やかなものだった。

 

「ならば、あとは当人同士の問題だ。」

 

開かれた扉の前には、悲鳴嶼さんと八人の少年少女の姿があった。

間違いない。あの日、俺が鬼へと売った奴らだ。

嫌な動悸が身体中に響く。

 

「獪岳。一つ言っておく。人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる。欲しがるばかりの奴は結局、何も持ってないのと同じ。自分では何も生み出せないから。だが、お前はこの言葉を実感する時が来ることはきっとない。お前は特別を欲しているが、善逸も桑島さんも、それから悲鳴嶼さんと寺の者達にとっても、お前は特別だったんだ。お前はそれに気付けず、受け止められなかっただけだ。だが、じきにお前も気付ける筈だ。」

 

そう言い残して水柱は去った。

そこには、獪岳と悲鳴嶼さん、八人の少年少女達だけが残っていた。

 

 

 

 

 

言い知れぬ沈黙が場を支配していた。

 

「――…獪岳。」

 

その沈黙を破ったのは悲鳴嶼さんだった。

呼ばれた声に顔を逸らした。あの人の顔は見れなかった。

 

「お前はあの日、寺の金を盗み、追い出された先で鬼と遭遇し、自分が助かる為に寺にいた私と八人の子供たちを鬼に喰わせると言った。そして、お前は香炉の火を消して始末し、寺の中へ鬼を招き入れた。」

 

それは、悲鳴嶼の口から語られる獪岳の罪の記憶。

 

「あの日、鬼殺隊となって間もない義勇がいなければ、皆、殺されていた。」

 

「私達はお前が許せなかった。」

「あ……」

 

その言葉に心臓が凍りついた気がした。

 

「だが、私達がお前の心の穴に気付けず、あのような悲劇が起きてしまったのもまた事実。故にお前だけを責めるもできない。それに、お前が修行に励み、懸命に鬼を狩って、人々を守ってきた様を私達は見てきた。」

 

それは悔いるような、それでいて温かく優しい声だった。

バッと俯いていた顔を上げる。

その時、初めて獪岳と悲鳴嶼、そして八人の少年少女の視線が重なった。

獪岳を見る彼らの瞳に蔑み憎むような色は無かった。ただ優しく懐かしいものだった。

 

ずっと目を逸らしてきた。

柱稽古で初めて、笑い合う悲鳴嶼さんと彼の周りで戯れる八人の少年少女達を見た。その姿に封じ込めていた記憶と感情がせり上がり、吐きそうになった。

ただ必死に課された修行を熟し、避け続けて会わぬよう努めた。

彼らはずっと俺に何か言いたそうだった。けれども、それが俺を責め立てるものだと分かっていた。封じ込めていた罪の意識を実感させられるのを、唯々恐怖した。

 

だから、ずっと目を逸らしてきたのに。

なのに。なのに…。

 

「よく頑張ったな。獪岳。」

 

悲鳴嶼さんに頭を撫でられる。

懐かしい感覚。変わらない優しく大きな手。

自然と涙が零れていた。

 

本当は気付いていたんだ。彼らから向けられていた愛情に。

でも、これまで、ずっと独りで、愛情なんか誰にも与えてもらったことなんか無かったから、どうすればいいのか分からなかった。

貰っても貰っても足りない気がした。

いつかそれが無くなってしまうのが怖かった。だから欲した。

 

「ごめんなさい…先生…。ごめん…皆…。」

 

嗚咽を漏らし、止めどない濁流の涙を流しながらも、それでもずっと謝り続ける獪岳の姿に悲鳴嶼さんも少年少女達も自然と涙が零れていた。

ギュッと互いに抱き締め合う。

ああ。温かい。

やっと分かったような気がした。自分のすぐ傍にあった『特別』に。

 

空いていた幸せの箱の穴が埋まっていくのを確かに感じていた。

 

 

 

 

 

**

 

兄弟子である獪岳が上弦の壱と遭遇し、蝶屋敷へと運び込まれたと聞き、善逸は気が気でなかった。

炭治郎と違い、既に柱稽古へと参加していた善逸であったが、当然、稽古などに集中できるはずもなく、ちょうど蝶屋敷にて獪岳が目を覚ましたこともあり、見かねた周りや柱からも早々に一時、暇を貰い、獪岳のいる蝶屋敷へと赴くことを許された。

 

「獪岳……!!」

 

バンッと扉を開け放つ。

そこには上体を起こしていた獪岳の姿があった。

 

「よかった~~~!!」

 

獪岳に特に目立った怪我は見られない。そのことにただ安堵して、気の抜けたようにへたり込んだ。

 

「うっせぇよ。カス善逸…。てめえは柱稽古の真っ最中だろうが。何、サボってやがる。んなんだから、テメエはいつまで経っても、弱っちいカスなんだよ!」

「うっさいよ!許可はもらってるし!…って、えっ…?兄貴、今……。」

 

確かに聞いた。

前にいらないものも付いてたけど。初めて呼んでくれた。俺の名前を。『善逸』って。

 

「てめえは兄か名前か、俺を呼ぶなら統一しやがれ。うっとおしい。」

「…うん!兄貴!」

 

ぶんぶんと何度も、頸がもげるんじゃないかというくらいに頭を縦に振る。

初めて許された『兄』という呼称。まるで自分が弟弟子として、肩を並べることを許されたように思えた。

「ウィッヒヒッ」と冷めやらない喜びのままに笑ったら、「気持ちわりい」って思いっ切りブン殴られたけど。

何それ、理不尽!

相変わらず、兄貴は暴力的だったけど、不思議と痛くはなかった。

 

善逸は気付いていた。

いつも、獪岳から鳴っていた不満の音。

それが全く聞こえなくなっていて、不器用ながらもどこか優しい音がしていることに。

心の中の幸せを入れる箱の穴が塞がっていることに。

 

獪岳の心地よい音を聞きながら、再び善逸はニコリと満面の笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 




予定では、今回の話で無惨襲撃まで持って行くつもりだったのに…。
思ったより長くなってしまった…。
書き進めて、掘り下げていく内にどんどん話と内容が増えていって…!
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