上弦の壱との戦いを終えた義勇達は、無惨の元へと無限城内を只管に走っていた。
そして、義勇達が無惨と、それに抗う仲間達の姿を認識した瞬間。城全体が呼応するように激しく振動し、ドゴッという音と共に城は崩れ落ち、弾き飛ばされた。
瓦礫の上で、夜空には三日月が照り輝いているのが見えた。
辺りを見渡す。あの時、共にいた皆は無事だ。よかった。
「カアアアッ。一時間半。夜明ケマデ一時間半!!」
兪史郎の呪符を掲げた鴉の声が響く。
無惨相手に一時間半。
たった一つの傷が命取りとなり、たった一秒を稼ぐために全霊を賭す。
そんな中での一時間半。それはあまりにも気が遠くなるほど長い。
あの雪の夜。
無惨と一人相対した義勇は、それを誰よりも理解している。
けれど、あの夜とは違うものもある。
あの夜。俺と縁壱はたった二人で共に戦っていた。
けれど今。俺達の傍には何よりも頼もしい仲間達がいてくれる。
あの夜、俺は無惨を斃すことができなかった。
けれど、それは今宵変わる。否。変えてみせる。
ずっと待ち望んだ悲願をここに。必ずや――…。
**
――【日の呼吸 壱ノ型 円舞】
無惨の両腕及び背中から管が伸びる。
それらを素早く避けながら、義勇は日の型を繰り返し舞っていた。
――【岩の呼吸 肆ノ型 流紋岩・速征】
――【炎の呼吸 玖ノ型 煉獄】
――【水の呼吸 拾弐ノ型 嵐】
――【花の呼吸 弐ノ型 御影梅】
――【音の呼吸 肆ノ型 響斬無間】
――【風の呼吸 玖ノ型 韋駄天台風】
――【霞の呼吸 伍ノ型 霞雲の海】
――【恋の呼吸 陸ノ型 猫足恋風】
――【蛇の呼吸 伍ノ型 蜿蜿長蛇】
――【雷の呼吸 漆ノ型 火雷神】
――【獣の呼吸 弐ノ牙 切り裂き】
――【破壊殺 空式】
止めどない攻撃が繰り返される。
自力で、あるいは互いに刀を打ち付け合って、刃を赫く染めながら無惨の身体に食い込ませる。
赫い刃は無惨でさえも、その再生力を阻害した。
兪史郎の呪符を使い、見えぬ攻撃を繰り出す。無惨を斃すためならば、使えるものは全て使った。
それでも無傷というわけにはいかない。
攻撃に当たってしまった者は、すぐさま離脱し、しのぶや珠世、兪史郎により血清を打たれた。
入れ替わり立ち替わり絶え間なく無惨を攻撃する手を決して止めない。
一瞬も気を抜くことを許さぬ攻撃。
長く伸びた両腕、背中から伸びる管、全身に生じた口からの吸息による強烈な吸い込みを伴う風の渦。
無惨は強い。その攻撃を回避するだけで一苦労だ。
けれども、鬼殺隊の面々はそれでも抗っていた。
もしかしたら、いけるのではないか。
夜明けまで保つのではないか。このまま無惨を倒せるのではないか。
誰かがそんな淡い希望を抱いた。
ドンッと凄まじい音と揺れが轟く。
――え?
そう誰かの呟きが漏れた。
そこには抉られた地面があるだけで、立つ者は誰一人いなかった。
**
「う…。」
伊黒は頭を押さえながら辺りを見回す。
俺は…。一体どうなって…。甘露寺は…。皆は…。
身体に、これといった損傷はない。ただ気を失っていただけか…。
一体、何が…。
…ああ、そうだ。
たしか『透き通る世界』に入り、無惨の臓器が見え、その瞳とかち合った瞬間、誰かに優しく背を押された。
誰かが微笑んだような気がした。
ヌルリと手に妙な感触を覚えた。
手が真っ赤に染まっている。血だ。だが、これは俺の血ではない。では、一体誰の…?
「ふん。裏切者風情が。無駄なことを…。」
「狛治!」
冨岡が叫んでいる。
狛治。
たしか、それは冨岡が上弦の参に対して呼んでいた名だ。
「―…は。」
一瞬。目の前に広がる光景が信じられなかった。
血だ。抉られた地面に真っ赤な血が一面に広がっている。
その中心には伏した上弦の参の姿があった。
俺達を庇ったのか…。何故…。
伊黒は鬼が大嫌いだ。
それは伊黒自身の過去に起因するものでもあるし、その眼で尊い数多の人の命が鬼によって理不尽に奪われてきたのを見てきたからでもある。
だからこそ、最初、冨岡と不死川が鬼に同情し、庇いたてたと知った時は一体何の冗談だと思ったし、竈門禰豆子の存在も認められよう筈もなかった。
まして、此度の上弦の参の存在など尚更に。
竈門禰豆子は人を喰ってはいないし、これまでにも人を救ってきた。
だが、上弦の参は違う。それこそ数多の人を喰い、苦しめ続けた。無惨と近しい存在。
けれど。
俺達を庇ったその姿を目にした時。
――【蛇の呼吸 肆ノ型 頸蛇双生】
自然と身体が動いていた。死なせたくないと思った。この男を何故か醜い鬼だと憎めなくなった。
**
――【ヒノカミ神楽 輝輝恩光】
強くて若い、真っ直ぐな日が舞う。
「何という醜い姿だ。これではどちらが鬼かわからないな。竈門炭治郎。……虫唾が走る。」
「終わりにしよう。無惨。」
炭治郎は無惨の血の毒が回り、意識が闇へと落ちていく中で遺伝した過去を見ていた。
縁壱さんが見せてくれた日の呼吸の型はとても綺麗で美しいものだった。
縁壱さんは物静かで素朴な、優しい人だった。
彼が語る遺伝された過去の中で、初めて彼の深い哀しみを知った。
戦いの最中で、縁壱さんはもう何百年も昔に亡くなっている。それでも彼の心がほんの少しでも救われることを願わずにはいられなかった。
『ありがとう。』
縁壱さんは最後に、優しい笑顔でそう言って先祖の元を去って行った。
ふいに景色がぐるりと変わった。
それは赤き月の闇夜のことだった。
『お労しや。兄上。』
それが彼の最期。
縁壱さんは直立したまま寿命が尽きて死んでいた。
またもや意識が浮遊する感覚を憶えた。
死した縁壱さんの魂はどこへ行くんだろう。そんなことを漠然と思った。
『あなたは誰…?』
(ぎっ…!!)
キラキラと輝く蒼い瞳を持った黒髪の、まだ少年といって差し支えのない兄弟子の姿。
その姿に思わず叫び出しそうになった。
『私は何者でもない。何者にもなれなかった。不完全な存在だ。私は大切なものを守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ。このような私が呼ばれるべき名などない。私はただの亡霊に過ぎない。』
義勇さんは、今とは考えられないくらいにとても表情が豊かだった。
ありふれた日常で、笑ったり、泣いたり、怒ったり。とても可愛らしかった。
そんな義勇さんの様子を縁壱さんは、義勇さんの精神世界でずっと見ていた。
それは本当に幸せそうだった。
その時、思った。
ああ。義勇さんが縁壱さんの心を癒してくれたのだと。
そして、それは義勇さんのお姉さん、蔦子さんの祝言を前日に控えた日のことだった。
鬼が義勇さん達を襲った。
蔦子さんは幼い義勇さんを物置に隠して守った。義勇さんは震えていた。
『姉を助けたいか。』
その時、俺は初めて知った。
縁壱さんが義勇さんに見せた〝記憶〟の中では、たくさんの大切な人達が失われていた。
『お前は私とは違う。きっとお前なら私のできなかったことができる。』
そうして縁壱さんから義勇さんへと託され繋がれた想いの中で、俺達はずっと助けられてきた。
ありがとう、縁壱さん。ありがとう。義勇さん。
だから、今度は俺達が繋ぎます。
あなた達に助けられた命で。今、自分ができる精一杯のことを――…。
**
日の光が山間から差し込んでいく。
その瞬間、無惨の咆哮が衝撃波となって轟いていく。
「ぐっ…!」
駄目だ。
絶対に放さない。放すもんか。
必ず無惨はここで食い止める。
たくさんの想いが紡がれている。
心を燃やせ。
ふいにグッと力が加わった。その力はとても頼もしいもの。
刃が赫くなっていく。
(義勇さん……!!)
ジジっと無惨の肌が灼けていく。
無惨の姿が変わっていく。ただ日から自身の肉体を守るべく。人の背丈の数倍はあろう赤子のような姿へと。
その時、トンッと優しく炭治郎は背を押され、手が刀から放された。
炭治郎を放した人物――、義勇さんは優しく微笑んでいた。
無惨の肉の鎧が義勇さんを取り込んでいく。
「義勇さんっ!!」
隠が、すべての隊士が無惨へと攻撃を浴びせる。
絶対に日陰には行かせない!
さっさと灼けて塵になってしまえ。
連なり、混じり合い、繋ぎ合い、いくつもの数珠繋ぎとなって、それ自体が生き物のように無惨を絡め取らんとする。
そして――…。
「キヤァァァアアアアア…!!」
皆で紡いだ想い。
希望の日の光が無惨へと降り注ぎ、その身は灼き焦がされ、塵となって朽ち果てた。
喜びの声が上がる。
誰もが皆、感涙に咽び泣いていた。
その光景を義勇はただジッと静かに見つめていた。
―…ああ。よかった。皆、生きてる。死んでない。本当によかっ…た。
あ、れ?
何だろう…?ものすごく眠……い。
「義勇さん…ッ!!」
焦ったように駆けて来るしのぶの姿。
それを最期に義勇の意識はプツンと途切れた。闇へと堕ちていく。
ナニカがドクリと疼く音がした。