人間、誰しも限界というものは存在している。
それは極限まで鍛え抜かれた柱とて例外ではない。
義勇は柱となってから、いや柱となる以前から、休息を取ることなく鬼を滅してきた。たとえ休みの時間ができたとしても休息に時間を充てることなどほぼ無く、鍛錬に費やしてきた。
それは偏に、一人でも救える命があるようにと。強くなることで、もう手から命を取り溢さないようにと。
故にいくら鴉や兄姉弟子であり継子でもある錆兎や真菰にせっつかれようとその場で濁し、休みを取ることはほとんど無かった。
どこか自己犠牲に近いところもあったかもしれない。
そして、その限界は来た。
グラリと視界が傾く。
「行くわよ、姉さん!」
「待ってよ。しのぶ。」
「あら?あそこにいるのって…」
「「冨岡くん/水柱様!?」」
そんな声を薄れゆく意識の中で聞いた気がした。
**
「…んっ。」
パチリと義勇は目を覚ます。
知らないようで知っている天井。藤の花の香りがする。日が高い。
ん?日が高い…?
ガバリと起き上がる。
今は何時だ?たしか、俺にとっての記憶では明朝だった筈。日が高い。空が青い。
俺はどれだけ眠っていたんだ…?
「あ!冨岡くん、起きたのね。」
「目が覚めて何よりです。水柱様。」
室内に長い黒髪に頭の左右に蝶飾りを着け、蝶の紋様の羽織を纏った女性が入ってくる。その後ろには同じく蝶飾りを後ろに着けて髪を纏めこちらを睨みつけるような少女の姿もある。
『胡蝶カナエ』。
花柱である彼女には柱合会議にて幾度か顔を合わせている。といっても、会議が終わり次第早々に退出している義勇はあまり話したことは無いが。それでも、口下手で人付き合いの苦手な義勇に何かと世話を焼いてくれる心優しい人物である。
『記憶』によれば、カナエは上弦の弐 童磨によって命を落とす。
そして『胡蝶しのぶ』。
普段、怪我をしても早々に任務か鍛錬に出て、蝶屋敷に立ち寄ることのめったにない義勇はあまり彼女と顔を合わせる機会はない。
『記憶』によれば、彼女は姉の仇を討つため、自身を毒に変え、あえて上弦の弐に喰らわれることによって仇を討つという壮絶な最期を遂げる。
「―…ああ。問題ない。胡蝶と胡蝶。」
「ちょっと!さすがに名前くらい呼び分けて下さい!私も姉さんも同じ『胡蝶』で紛らわしいんですから!」
「そうね。私も下の名前で呼ばれる方が嬉しいな。」
「―分かった。カナエ。しのぶ。迷惑をかけたな。」
「そう思うなら、今度からはもっとマメに休息を取ってください。倒れるまで休みを取らないなんて信じられません!極度の疲労に、大雑把な傷の処置。あなた、自分の状態理解してます?」
「―…って、あなたは早速何をしようとしてるんですか!!」
いそいそとベットから出て、日輪刀を手繰り寄せた所をすかさずしのぶに見咎められる。
「もう大丈夫だ。充分休んだ。問題ない。」
「問題があるから、あなたはここで寝ているんです!」
「冨岡くん。さすがにそれは私もお勧めできないわ。」
しのぶのキッとした鋭い眼差しとカナエの悲しげな表情に押し留められる。
だが、かなりの時間を寝てしまった。その遅れを取り戻すためにも早々と動かねばならない。
胡蝶達と押し問答を続けていれば、ドタドタと大きな足音が聞こえてきた。
ここには他の患者もいるのに、これは迷惑だろう。
「「義勇!!」」
バッと病室に錆兎と真菰が飛び込んでくる。
どうやら足音の正体は義勇のよく知る人物達だったようだ。
「錆兎。真菰。」
「大丈夫か!?お前の鴉から倒れたって聞いて心配したんだぞ。」
「ホントだよ~~!!もう、心配させないでよ~~!!!」
見れば、錆兎の肩にはヨボヨボの自身の鴉の姿がある。
なるほど。連絡してくれたのか。
「ああ。心配かけたな。問題ない。」
「問題はあります!」
しのぶの大声に思わず義勇の肩はビクリと跳ねた。
「極度の疲労。雑な処置の傷口。まだ動けるような状態じゃありません。全く。そんなになるまで休みを取らないなんて…。」
「「は?」」
錆兎と真菰の声がはもる。
向けられる視線が痛い。
「義勇!お前は…!!」
「―…義勇?」
錆兎が何か言い募ろうとする前に、真菰の静かな声がそれを遮った。
その声に場がシンッと静まり返る。
この声を知っている。
それは昔、狭霧山で修行中錆兎と大喧嘩したときの事だった。
今、思ってもあそこまで激しい大喧嘩は今までの人生でないだろうというくらいだった。現に水柱就任を巡って錆兎と大喧嘩した時もそこまでではなかった。
そのとき止めた声も今と同じ声がした。
そのとき実感したのだ。絶対に真菰を怒らすまいと。
脊髄に直に響く声。逆らってはならないと脳が激しい警報を鳴らす。だらだらと義勇の全身から冷や汗が零れ落ちる。
誰かが言った。普段めったに怒らない人が怒るときほど恐ろしいと。なるほど言い得て妙だ。知りたくなかったが。
見ろ。先ほどまで声を荒げていた錆兎もしのぶも硬直しているではないか。
かく言う当の本人たる義勇はその比ではないが。
「義勇。」
「…はい。」
「私、言ったよね。何度も。ちゃんと休んでるの?って。」
「…はい。」
「その度にちゃんと休みは入れてるって言ってたよね。」
「…はい。」
「あれ、嘘だったの…?」
「…………。」
「答えられないの…?」
「……………。」
義勇としては十分休みを入れていたと思う…。
(←他者から言わせれば、取っていないとの部類に入る。)
けど、それを言ったら殺されるような気がする。
「分かった。もういいよ。」
止んだ真菰の追及にホッと一息漏らす。
「ともかく義勇はむこう一週間任務禁止ね。義勇の代わりは私達が務めるから。」
「それは…」
「何?」
「いえ。なんでも。」
下手なことを言えば死ぬ。それを直感し、義勇は素直に頷く。
「義勇はしっかり休んでね。義勇が無茶しないように花柱様、しのぶちゃん、よろしくね。じゃあ、行こっか、錆兎。」
「あ、ああ。」
朗らかに真菰は出ていく。
「しっかりな、義勇。」
「…ああ。」
そう励まして、錆兎も出て行った。優しい親友だ。
やるせない気持ちになりながらも、義勇は二人の背を見送ったのだった。
――それから三日が経った夜の事。
それはとても月が綺麗な夜のことだった。
義勇は蝶屋敷の屋根の上、一人瞑想していた。
ふいに花の香りが義勇の鼻を掠めた。
「あら。ダメよ。冨岡くん。ちゃんと休んでくれなくちゃ。」
「カナエ。」
カナエの黒髪が月に照らされて美しく輝いていた。
「すまない。どうも落ち着かない。眠れない。もう少ししたら床に着く。」
「ならいいの。」
そう言ってカナエは義勇の隣に座った。
その行動を疑問に思う。
「…ねえ。冨岡くん。冨岡くんは鬼をどう思ってるの?」
「何だ。急に。」
「ごめんなさい。どうしても聞いてみたくて…。私ね、鬼は哀しい生き物だと思うの。元々は同じ人だったのに、人を喰らわずにはいられない。温かな日の光に当たることもできず、人の温もりを忘れていってしまう。そんな哀れな存在。だから、どうしても思ってしまうの。鬼と人が共に仲良く生きられる日が来ればいいのにって。」
「そうか…。お前は優しいな、カナエ。」
普通、奪われた者がそんな風には思えない。きっと俺も知らなければ、そんな風には思えなかった。
幾度となく鬼の死を見る度に思った。ああ。知らなければ、どれだけ楽だっただろうかと。
「そんなことないわ。残酷なことを言ってるって自覚があるもの。」
「ねえ。冨岡くんは…?冨岡くんは鬼をどう思っているの…?」
「俺は…――――」
その答えは闇に紛れる。
二人の言葉を月だけが聞いていた。
**
しのぶはイラついていた。
それは隊士達のある話を聞いてしまったせいかもしれないし、これから共同で任務を行う相手を思ってのことかもしれない。
ふうっと息を整える。何はともあれ個人的な感情で任務に支障をきたすわけにはいかない。
合流地。そこには、すでにその人がいた。
「今日はよろしくお願いします。水柱様。」
「ああ。」
そう言って、さっさとかの人は進む。
水柱 冨岡義勇。
『水の呼吸』と『日の呼吸』、二つの呼吸を修め、最年少で柱となった鬼殺隊最強の剣士。
そして、私達姉妹を救ってくれた岩柱である隊士となる前の若き日の悲鳴嶼さんを助け、鬼殺へと導いた恩人。
けれど、私はこの人が苦手だった。
無表情で何を考えているか分からないし、口数も少ない。
疲れや怪我を放っておいて、ろくに治療も受けようとはしない。大好きな姉を困らす人。
不敬だと分かっていても、この人といるとしのぶの中に、どうしても苛立ちと不快感が募った。
本日の任務は下弦の討伐だった。
瞳に数字が刻まれている十二鬼月はそれだけ鬼舞辻無惨に近しい存在であり、それだけのたくさんの人を喰っている。
幸せを壊された人が何人といるだろう。
鬼を一体倒せば何十人、それを倒すのが十二鬼月ならば、それだけの人を助けられる。
できるできないかじゃない。やらなければ。もう私達と同じような思いを他の誰にもさせないためにも。
焦りがあった。苛立ちがあった。
だからなのかもしれない。
――【蟲の呼吸 蝶ノ舞 戯れ】
「あァ。アンタ、頸が斬れないんだねェ。この程度の毒じゃアタシは殺せないよォ。」
鬼へと突き刺さった一撃は鬼を殺すには至らなかった。
忌々しい。どうして私の身体は小さいの。どうして私は頸が斬れないの。
たとえ頸が斬れなくても鬼を殺せるようにと藤の毒を作った。それを生かせるように花の呼吸を派生させた独自の型を作った。
なのに…!なのに…!どうして…!!
隊士達の会話が脳裏にこだまする。
『たしか花柱様の妹って鬼の頸が斬れないんだろ?』
うるさい。
『ああ。だから鬼を殺す毒を開発したらしいぞ。』
『たしかにそれはすごいけどさ、毒が鬼にどこまで効くか分かんないだろ。』
うるさい。うるさい。
『やっぱ鬼を殺すには頸を斬れないとさ~。』
『だよな。』
うるさい。
そんなこと私が一番…
ふいに鬼の攻撃がしのぶを襲う。
あまりに近すぎる距離。避けられない…!!
――【水の呼吸 拾壱ノ型 凪】
その瞬間、しのぶに迫った攻撃は全て消え失せていた。
否。全てこの人が防いだんだ。
義勇が作り出した新たな水の呼吸の型。なんて美しい…。
鬼の頸がゴロリと転がる。身体が塵となり消えゆこうとしていた。
ハッと意識を戻す。呆けている場合ではなかった。
「あ。水柱様、ありが…」
感謝の言葉は途中で途切れた。
義勇が消えゆく鬼の身体に優しく手を置いているのを見てしまったから。
「お…父……さん…」
「大丈夫だ。じきに会える。待っていてくれている。」
「あ…りが…とう…」
そう言い遺して鬼は消えた。
義勇は冥福を祈るように手を合わせていた。
何故…。どうして…。
理解ができない。
なぜそんなことをするのか。
鬼。ましてや十二鬼月。それだけたくさんの人を喰い、苦しめている。
そんな鬼を哀れみ、慈しむ必要なんてどこにあるというの…!?
姉の言葉が脳裏を過る。
『鬼も人も仲良くできたらいいのに。』
『鬼は哀れな存在だわ。鬼も救いたいの。』
どうしてそんなことを言うの…?
お父さんもお母さんも鬼に殺されたのに。アオイ達だって鬼に身内を殺されてなければ今も家族と幸せに暮らしてた。
鬼に幸せを壊された人を見るたびに怒りが溜まっていく。
どうして姉さんはそんなことを思えるの…?
この人も姉さんと同じなの…?
この人は私とは違う。
鬼の頸を斬ることができる。どんな鬼でも物ともしない強さを持っている。
この人が助けに来てくれるだけで皆が安心した。私なんかじゃ取り溢してしまう命もこの人なら救うことができる。
私が欲しくて欲しくてたまらないものを全て持っているくせに。
なのに、どうして…!!
目の前が怒りで真っ赤に染まっていく気がした。
「どうしてですか…。」
そして、それは爆発した。
「どうして鬼を哀れむんですか!?鬼はたくさんの人を殺し、苦しめているんですよ!?鬼のせいで幸せを壊された人はたくさんいる。何の罪もない人が苦しんでる。理不尽に大切なものを奪われてる。なのに可哀想?そんな馬鹿な話はありません。
…それなのに、なんであなたも姉さんも……!!」
ハアハアと肩で息をする。
彼の表情を見れば、泣き出しそうな、それでいてどこか寂しそうな笑顔をしていた。
「どうして…」
どうしてあなたがそんな顔をするの…?
「しのぶ。お前は正しい。そうだな。俺もお前のように思えたらよかった。」
「え?」
「俺はいつも『見て』しまうんだ。鬼の『記憶』を。だから、どうしても俺は彼らが救われるようにと祈らずにはいられない。安らかに逝けるようにと。」
そうだ。聞いていた。
彼は悲しみと死の『記憶』を見ることができる、と。それはどれだけ苦しく辛いことなのだろうか。
「俺は斬ることしかできない。斬ることでしか、人も鬼も助けられない。ただの自己満足だ。」
―…ああ。そんなこと言わないで。
誰よりもたくさんの人を救ってきたあなたが。他でもないあなたが。あなたに救われた人達はたくさんいるのだから。
それはとても悲しい…。
私、怒りに任せてなんてことを言ってしまったんだろう…。
「しのぶ。お前は俺とは違う。お前はすごい。鬼の頸を斬ることしかできない俺とは違う。お前の手は俺の救えない命を救うことができる。」
「それはあなたの方です。私が救えない命をあなたなら助けることができる。私は鬼の頸を斬ることができないから…。私が倒せない鬼もあなたなら倒すことができる。すごいのはあなたの方です。」
「頸が斬れずともお前は鬼を倒せる。傷ついた者を癒すことができる。」
「でも、私の毒は不完全ですし、それに傷ついた人を見るたび思うんです。こんな風に誰かが傷つく前に助けられる強さがあったらいいのにって。」
「お前は強い。お前は柱となる。鬼殺隊史上、唯一、毒で鬼を殺せる柱として。」
「胸を張れ、しのぶ。おまえは間違っていない。お前の血の滲むような努力を他でもないお前が否定するな。」
「冨、岡さん…」
それはしのぶがずっと欲しかった言葉だった。
彼の顔が朝日に照らされてよく分からない。
涙が滲んで、止まらない。
やっとあなたに感じていた苛立ちと不快感の正体が分かった。
私はずっとあなたに憧れていた。
誰よりも認め、憧れていた存在が、自分の命をぞんざいに扱い、鬼を哀れむ姿に耐えられなかった。
ずっとあなたの背を見てきたから。
初めて見た彼の笑顔。
それをとても美しいと思った。
「あの。冨岡さん。これからは『義勇さん』って呼んでもいいですか…?」
「…?…ああ。」
芽生えた感情にまだ気付かないふりをして。
少し恋愛描写が入りました。
元々、私はぎゆしの推しなので!
実は、話の中の義勇さん、原作と違って鬼に哀れみ及び慈しみを持っています。
それは偏に鬼の『記憶』を見てしまっているから。
といっても、童磨のような下衆な鬼などには一切の容赦はありません。