もしもラインハルトがラインハルトちゃんだったら   作:龍仁

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原作キャラの女体化小説もっと増えろ(切実)



『始まりの王都』


「うーむ、これは困った」

 

 それがこの世界にやって来て初めての言葉だった。

 見渡す限り中世ヨーロッパのような建物が並んだお約束のような王道異世界。ちらほら獣人のような者がいる事からも間違いなく異世界だった。

 

「そういうラノベは結構読んだが、まさか自分で体験する日が来ようとは……」

 

 コンビニから帰りに気が付いたらここにいたのだ。テンプレである神様とのやりとりをした覚えは全くないし、そもそもトラックに轢かれたりもしていない。

 瞬きをしたら既にここにいたのだ。驚きを通り越してむしろ冷静である。

 

「これはアレだな、うん。異世界転生、というやつらしい」

 

 本来なら魔王を倒すなどの目的があるはずなのだが、神様とやらに会っていないために何の役目も与えられていなかった菜月昴はジャージ姿のまま一先ず歩き出した。

 所持品はつい先程買ったポテトチップスとカップラーメンが入った袋と使える見込みのほとんどない財布と携帯電話のみ。

 歩き始めたはいいが、目的地が無いスバルは途中で現地人と無事に意思疎通が出来る事を確認し、人気の無い路地に入った。とりあえずポテチでも食おうと考えたのである。

 

 

「金目の物を出してもらおうか」

 

 携帯電話が案の定圏外になっている事を確認し、コンビニの袋の中を覗いていると、いかにもといったチンピラ三人組がスバルの前に現れた。

 

「やべぇ、強制イベント発生だよ」

 

 お世辞にもきれいとは言えない服装にその顔には下卑た薄ら笑いを貼り付けている。

 ゲームで言えばチュートリアルに当たるのだろう。どうやってもひと騒動は避けられそうになかった。

 

「いや、これは異世界転生。自覚無いだけでちゃっかりチート能力が実装されてるとか重力十分の一とか何かあるはずだ。よし、いける気がしてきた」

 

「なにブツブツ言ってやがる」

 

 呑気にポテチを食べようとしていただけあってスバルはポジティブであった。

 生まれてこの方殴り合いの喧嘩などした事もないが、妄想だけは一人前。裏路地で暴漢に襲われた際の対応などシュミレーション済みである。ついでに筋トレもそこそこ、風呂上がりには毎回ストレッチを欠かさない。

 

「先手必勝ーー!!」

 

「ぐはっ!?」

 

 やられる前にやる作戦でまず中央の男を殴り飛ばす。

 シュミレーションのおかげかスバルの拳は綺麗に相手の鼻に直撃し、男は地面に倒れた。

 

 そして流れるようなハイキックで残る二人のうち小柄な方を壁に打ち付ける。

 残るは一人。再び拳を振りかぶった瞬間、スバルはジャンピング土下座をお見舞いした。

 

「すみません俺が悪かったですどうか命だけは!!」

 

 最後の一人がナイフを取り出したのだ。

 いくらシュミレーションに余念が無いと言っても刃物には敵わない。スバルは額を地面に擦り付ける勢いで精一杯の謝罪と命乞いをした。

 

 いつの間にか先程の二人も復活しており、いよいよマズイ状況となる。

 

「さっきはよくもやってくれたな」

 

 顔をサッカーボールのように蹴られた事で口の中に血の味が広がった。

 

 これはヤバい。マジで死ぬかも。

 初めての痛みにスバルは本気で死を覚悟した。元より三対一。依然数の上で不利であり、更には刃物まで持っているのだ。勝ち目はなく逃げられそうにもない。

 チュートリアルでまさかの詰みだった。

 

「――そこまでよ」

 

 だが、ナイフが振り下ろされるよりも先に凛として澄んだ声が路地に響いた。それはこの場に張り巡らされた緊張の糸を容易く切り裂き、停滞をもたらす。

 チンピラたちがスバルから目線を上げ、スバルも顔を合わせる上げて振り返った。

 

 そこに立っていた人物の姿を見てスバルは息を飲んだ。

 燃えるような赤髪が背中まで伸びており、どこか儚い整った顔で碧眼がスバルたちを見据えていた。仕立ての良さそうな白を基調とした服に白いマント、背中には大きな剣を提げた少女が立っていた。

 

「ただのケンカなら黙っていようと思っていたけど、命に関わるような事は駄目」

 

 そう言いながら少女は一歩、また一歩とスバルたちに近付く。それに連動するようにチンピラたちの顔色が悪くなっていった。

 

「出来るなら、手荒な事はしたくない」

 

「け、『剣聖』……!?」

 

「こっちだってお断りだっ!!」

 

 あと五歩ほどでスバルの位置まで辿り着くというところでそれまで呆けていたチンピラたちは走って去っていった。

 そして『剣聖』という大層強そうな名で呼ばれた少女も何事もなかったかのように身を翻して去ろうとしていた。

 

「ちょ、ちょっと待った! いや、待って下さい!」

 

 慌ててスバルは少女に待ったを掛けた。

 チンピラたちは別にどうでもいいが、ピンチを助けてくれた美少女だ。このまま黙って逃せば顔も覚えられないに違いない。

 スバルはギャルゲーで培ったフラグ管理能力を駆使して美少女との関係を築くべく動き出した。

 

 スバルの声に足を止めて少女は振り返った。その身長はスバルよりも頭一つ分低い。

 

「…………。あなた、私が誰か知っているの?」

 

 そして返ってきた言葉がこれだ。

 スバルの長年の経験から考えて彼女は高慢なお嬢様タイプ。異世界ファンタジーにありがちな貴族は強いという設定に則った、腕に自信があって正義感もある、しかし貴族故に一般市民を見下すプライドを合わせ持った人物と見た! 

 

「この度は命を救っていただき心からお礼申し上げる。なにぶん、このナツキ・スバル、この街に来たのがつい先程の事なれば、貴女様の高貴なるお名前を未だ知らず。大変な失礼を……」

 

「そう。だったら私には関わらない方がいい。私は化け物だから」

 

 えぇ……。何か地雷踏んだっぽい。

 なんとか会話を続けようとしたスバル渾身の敬語のような何かは不発に終わった。それだけでなく、彼女の表情に影が落ちた。

 これはどうしたものかとスバルが悩んでいる間にも彼女の言葉は続く。

 

「衛兵の詰め所にでも行って『剣聖』の話を聞けばきっとみんなが教えてくれる。私がどんな人間か」

 

 さすがにこれではい、そうですかと引き下がるわけにはいかない。スバルは賭けに出る事にした。

 

「そうだ、名前。君の名前を教えてほしい。あ、俺はナツキ・スバル。天下不滅の無一文!」

 

 一先ずこの暗い空気をなんとかしなければならない。名前を聞ければそこから話題を作る。下民が生意気な! という感じになってもまぁ、そこから頑張って会話を広げる。

 問答無用で斬り捨てられられたりしないかだけが心配だった。

 

「……ラインハルト・ヴァン・アストレア」

 

 一瞬の間が空いたものの、素直に答えてくれたおかげで危機は去った。

 あとはここから会話を広げるだけだ。

 

「へぇ、ラインハルトちゃんっていうのか。なんていうか、カッコイイ名前だね!」

 

「男の子が生まれてほしかったって」

 

「Oh…………」

 

 確かに男っぽい名前だと思ったんだよなぁ。とは口に出さない。日本でも割とそういう人物はいたが、総じて反応に困る。本人が気にしていない場合はそこまで気にする必要はないのだが、これはどう考えても気にしているタイプだった。

 何故こうも自分は地雷を踏んで行くのか、とスバルは頭を抱えた。名前で話を広げる作戦は失敗だ。しかもこれはもしかすると名前で呼んでほしくない感じかもしれない。

 

 普段からよく妄想に耽っていたスバルだったが、残念ながら今この瞬間においてそれは何の役にも立たなかった。引き籠もりに美少女と二人きりで話せというのが無理な話だ。と心の中で言い訳するのも忘れない。

 空から女の子が降ってきた場合の妄想もした事のあるスバルがいざとなってそれを発揮出来ないのだから、定番である学校にテロリストが侵入してきたら、という妄想も役に立たないに違いない。

 

「こういう場所は危ないから、これからは気を付けて」

 

 と、スバルがもたもたしている間にラインハルトは既に路地の出口辺りにまで足を進めていた。

 

「あ、ちょっ」

 

 遠回しにさよならと言われている事には気付いたが、スバルにもここまで来て引き下がる選択肢はない。むしろ、これでこそ攻略のしがいがある。と自身に言い聞かせてスバルは走って少女の前に回り込んだ。

 

「あのさ、あのさ! 俺、この街に来たばっかりでさ、案内してほしいなー、なんて」

 

 もはや客観的に見れば助けてもらった上に街の案内までさせようとする厚かまし過ぎるやつだが、スバルも自棄だった。

 

「……詰め所に行けば、誰かが」

 

 だが、彼女も彼女で頑なにスバルを受け入れようとしない。

 こうなったら最終手段だ。

 スバルは少女の手を取り、三白眼で青い目を見据えて言った。

 

「君にお願いしたいんだ。なんか行かないといけない場所があるなら、邪魔にならない範囲でついていくだけでもいいからさ。手伝える事があったら手伝うし!」

 

 やべぇ、女の子の手とか触ったの初めてかも。とか、小さくて柔らかくて可愛い。とか思いながらも必死でアプローチをかけた。

 

「…………。好きにするといい。きっとすぐに嫌になる」

 

 少し引っ掛かったが、こうして許可をもらったのだ。スッと手は引っ込められてしまったが、これまた下手をしたら斬り捨てられられる可能性もあったのだから反応としては悪くない。

 

 スバルは今更ながら自分がした事を客観的に振り返ってヤバい奴だと思いながらも燃えるような赤い髪を風に揺らす彼女の横について大通りに出た。

 先程までいた裏路地を駆け抜けていく存在に気付かずに。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 チート能力無双という当初の予定とはかなりかけ離れたものとなったが、スバルにとってそれは問題とならなかった。何故なら、異世界に来て早々に美少女と遭遇し、共に行動出来る事になったからだ。

 少し態度が素っ気ないような気もするが、それもスバルにとっては些細な事。チンピラに襲われて危ないところを救われるという吊り橋効果的なものもあるかもしれないが、いわゆる一目惚れだった。

 ただ、二人で歩いてはいるものの、彼女の方から話し掛けてくれる気配がなかったため、スバルは話題を作る事にした。

 

「これってどこに向かってる感じ?」

 

「……あそこ」

 

 そして彼女が視線で示したのは街を一望出来るであろう高台だった。

 

「へぇ、眺め良さそう」

 

 そう言いながらスバルは少女の横を歩く。

 今が夜だったら星座の知識でも披露するのになー。などと考えていたスバルだったが、ある事に気がついた。

 

「……っ」

 

 通行人たちが、スバルの事を見ている。

 否、見られているのは彼女の方だった。その視線に、周囲から爪弾きにされて引き籠ったスバルは気付いた。

 スバルが目線を戻すと、彼女の歩く速度が僅かに上がったような気がした。

 

 自分に向けられたものではないと分かっていても、チラチラと見られて何か陰口を言うような仕草をされるのはあまり良い気分ではない。過去に自分がそういう事をされた経験があるスバルはすぐにでもこの場を離れたかったが、彼女がいる手前、それは出来なかった。

 

 それから暫く無言で歩くこと数分。二人はようやく彼女が指し示した高台に辿り着いた。

 この異世界にエレベーターなどという便利な物はなく、周りに螺旋状に作られた階段を地道に登る羽目になったスバルは息一つ切らしていない彼女に戦慄しながらも備え付けられたベンチに腰を下ろした。

 

「はぇー、ここから全部見渡せるな。絶景かな、絶景かな」

 

 苦労して登っただけあってそこからの眺めは中々に良いものだった。

 

 ぼーっと景色を眺めるスバルの横に白い剣が置かれた。とんでもない威圧感を放ちながらも中二心をくすぐられる何か格好いい装飾を施された騎士剣。彼女が背中に提げていたものだ。

 そしてその剣を挟んで彼女も腰を下ろした。

 

「ここには結構来たりすんの?」

 

 スバルの問い掛けに彼女は首を横に振り、無数の建物の群に人差し指を向けて言った。

 

「あそこの緑と黄色の髪のおばあさんのお店」

 

「え?」

 

「美味しいお菓子が売ってるって婆やが言ってた」

 

「ちょっと待った。え、なに、見えるの?」

 

 これは案内のつもりなのだろうか。スバルからは数ある建物の屋根が見えるだけで、人間など近いところでも点に見える。ましてや彼女が指し示している場所などそもそも屋根すらどれを指しているのか分からないほど小さいし、人間を識別するなど不可能だった。

 

「…………。あそこが王城であっちが貧民街」

 

 雑……ッ! とは思ったが、スバルは口に出さない。これでも善意でしてくれているに違いないのだ。

 

「いつも巡回してたり?」

 

 どうせここから真面目にあれが何々、あれが何々と説明されてもスバルには分からない。スバルはチンピラたちから助けてくれた時の事を思い出して話題を変えた。

 そうすると、彼女からの返答は否。先程と同じように首を横に振った。

 

「じゃあ今日は偶々?」

 

 偶々巡回していたら偶々スバルが襲われている場面に出くわして。運命感じちゃうなー! と調子に乗ったスバルだったが、彼女は再び首を横に振った。

 

「私が巡回なんてしなくても、事件は起こる所では起こるし起こらない所では起こらない」

 

 つまりは無駄だと言いたいらしい。

 ビビって逃げ出すチンピラたち思い出して、そんな事ないと思うんだけどなー。と思いながらスバルは彼女の言葉の続きを待つ。

 

「私はあなたが来るよりも前からずっとあそこにいた」

 

 スバルは首を傾げた。

 そんなはずはないと。こんな絶世の美少女がいるのに気が付かないはずがないのだ。スバルがポテチを食べようとした時にはあのチンピラが来るまでは確実にスバル一人だった。

 

「隠伏の加護って言って、動いていない間だけ気配を消せるの。私はあそこにあった木箱の横にずっといた」

 

 これにはスバルも反応に困った。地雷臭しかしないからだ。

 加護というワードに少し惹かれたが、それよりもあんな人気のない所で少女がずっと一人でいるなどどう考えても事案である。まさかイジメ、いや、複雑な家庭、虐待か!? という他人には容易に踏み込めない事態が思い浮かぶ。

 そうであると決まっているわけではないが、本当にそうだった場合、会って間もない今下手につつくと無駄に彼女を傷付ける事になるかもしれない。

 

「アルミ缶の上にあるミカン!」

 

「……?」

 

「しまった。この世界にアルミ缶とか無いか……。なら、布団が吹っ飛んだ!」

 

 そしてスバルがとった行動は彼女を笑わせるというもの。

 笑えば幸せになると科学的に証明されているという話をテレビで見た事があったのだ。

 

「…………」

 

「渾身のギャグが通じない、だと……!?」

 

「…………」

 

「くっ……」

 

 スベってからの一言までが黄金ハッピーセットだったのだが、残念ながら彼女には通じなかった。

 それどころか目を閉じて風を感じるモードに入ってしまっている。ギャグで笑わせる作戦が失敗したスバルは彼女と同じように目を閉じてみた。

 すると、なかなかどうして心地好い風ではないか。考えてみれば引き籠っていたスバルはこうして自然の風を意識して全身で浴びる事など数年振りだった。

 コンビニに行く途中の風とこうして浴びる風では感じ方に天と地ほどの差があった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 突然の浮遊感に襲われ、スバルはベンチから転がり落ちた。

 

「ぶはっ!?」

 

 授業中などにビクッとなるアレだ。

 幸いスバルはちゃんと登校していた時代の授業中にそれで恥をかく事はなかったが、異世界に来て初めてそれで恥をかく事になった。しかも美少女の前で、だ。

 

「……って、もう夕方!? ヤバい。どれぐらい寝てたんだ、俺」

 

 地面で仰向けになると、空は既に茜色に染まっていた。

 彼女の方を見ると、まだ空が青い時に見たのと全く同じように目を閉じて座っていた。

 

「もしかして俺のせいでここを離れられなかった?」

 

 寝ている様子ではなかったため、スバルは若干の罪悪感を感じながら問い掛けた。

 すると、彼女のまぶたがゆっくりと持ち上がる。

 

「あのまま木箱の横にいたか、ここにいたかが違うだけ。あなたの存在は関係ない」 

 

「おっふ。ナチュラルに眼中にない宣言をされるとは…………だが、俺はめげない!」

 

 スバルはちょっぴり悲しくなりながらも立ち上がり、落下防止の柵に手を置いた。

 気分はさながら青春ドラマのラストシーンで夕日に叫びそうになるが、彼女が見ている前でさすがにそれは恥ずかしいので、異世界の夕日を目に焼き付けるに留めた。

 

 柵に腰を下ろし、彼女の姿を視界に収める。

 違う方向の景色を眺めているのか、たなびく赤い髪の向こうに見えるのは横顔。

 ここに来るまで数々の異世界人を見てきたが、美形が多いこの世界でも彼女はトップレベルの美少女だ。正直、ひきこもりであったスバルには高嶺の花感が否めない。

 

 だが、スバルは諦めない。

 今はまだ素っ気ない態度をとられているが、拒絶されているわけではない。だったら、これからだ。

 誰も最初から親密度MAXなどあり得ない。何事も一から始まるものだ。

 彼女との関係も一から地道に築いていけば良い。幸いにして、異世界に来たはいいがやる事はない。ならば、目一杯の時間を使えるというものだ。

 

 そしていつか、彼女の相談にでも乗れるように。

 そう決意したスバルは、

 

「――え」

 

 次の瞬間、後ろにあるはずの夕日が正面に見えた。

 内臓が持ち上がるような感覚があり、スバルは理解した。

 

 落ちた。急な強風でバランスを崩して頭から落ちたのだ。

 

「ッッ!!」

 

 ――ヤバい。ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 

 正確な数字は分からないが、ここは地上100メートルはあったはずだ。下手なバンジージャンプよりも余裕で高い。

 もちろん命綱などなく、下にクッションが敷いてあったり川が流れていたりもしない。

 

 落下地点にあるのは硬い石畳。

 死んだ。どう足掻いても助からない。こんな所で終わるのか。

 無限にも引き伸ばされたと錯覚する時間の中、スバルは一瞬前の自分の不注意を呪った。少し考えれば分かる話だ。あんな不安定な場所で踏ん張りの効かない背中側を断崖絶壁に向けるなど自殺行為だと子供でも分かる。

 

 生存は絶望的。

 しかし、死を覚悟したスバルは小さくなっていく高台の上から一つの影が飛び出してくるのを見た。

 

「なっ……!?」

 

 ベンチに座っていたはずの彼女だった。

 彼女が赤い長髪と白いマントを揺らしながら壁を駆け下りて来ているのだ。しかも驚くべき事にスバルが落下するスピードよりも速い。

 

 そしてスバルが地面に衝突する寸前、彼女の腕がスバルの胴体を掴む。

 トン、と階段の最後の数段を飛び降りるぐらいの軽快な音をたててスバルの体は空中で停止した。鼻先と地面との距離は数センチほどだった。

 

「ッ……はぁ……はぁ……」

 

 彼女が手を離した事でスバルは地面に倒れ込み、仰向けで大の字になった。

 

「生きてる、のか。今のはマジで死んだと思った」

 

「…………」

 

 安堵で全身の力が抜けるスバルだったが、対照的に彼女の表情は優れなかった。

 今の異次元の動きの反動かと思ったが、どうもそうではないらしかった。

 

「これで分かったでしょう。私が化け物だって」

 

 再び彼女の口から出た『化け物』という単語。

 確かに今なら分かる。彼女が何を言いたいのか。

 まさかあんなに自信満々でカツアゲをしていたチンピラがこの世界基準で最弱という事はないだろう。もちろん最強などとはとても言えないだろうが、それでも平均ぐらいはあるはずだ。

 それがスバルと同程度なのだから、なるほど100メートル以上の高さから無傷で着地するだけでなく一般人のスバルをGすらかけずに助けるとなれば次元が違う。彼女は異世界基準でも相当な実力者なのだろう。

 

 そしてその結果、生まれたのが化け物という言葉。ある種当然の事なのかもしれない。日本でもとんでもない実力を持ったプロスポーツ選手などと事を化け物と称する事もあった。

 ただ、それは尊敬から来るものであって彼女へ向けられたものは違ったのだ。

 同じ言葉でも例えばプロスポーツ選手に向けられたものと超巨大生物へ向けられたものは違う。前者はその活躍を讃えるものだが、後者は単純な恐怖を表したもの。

 

 きっと、これまで多くの人々に拒絶されてきたのだろう。だからこそ、最初に助けてくれた時も関わりを持たずにすぐに離れようとしていたのかもしれない。

 一人であんな裏路地にいたという話も人と関わりたくなかったという悲しい理由からだったのかもしれない。

 

 でも。それでも。

 彼女はスバルを助けてくれた。

 その結果、ジャージ姿の見ず知らずの人間に付き纏われて、散々陰口を言われて。罵られる事になるかもしれない力まで使って。

 それでもスバルの事を助けてくれたのだ。

 

「――そんな事ねぇよ!!」

 

 そうだ。そんな心優しい彼女が化け物であるはずがないではないか。

 

「君が優しい子だって事は、俺はちゃんと知ってる! 今だって、君がいなかったら俺は死んでた!」

 

「…………」

 

「だから、君は化け物なんかじゃない。俺にとっては、そう、天使だ!」

 

 スバルは思いついた言葉をそのまま言った。

 少しの間ではあったが、彼女が不器用ながらも優しい事は分かった。彼女がいなければスバルは異世界に来て早々死んでいた。

 そして、右も左も分からないような状態で助けてくれた彼女は天使といっても過言ではないのだ。

 

 と、勢いのままに言ったはいいが少し恥ずかしくなったスバル。

 恐る恐る彼女の方を見てみると、

 

「私はもう帰るから」

 

 口調は相変わらず素っ気ないが、今まで真顔だったのが僅かに笑ったような気がした。

 

「家ってこの近く? よかったら送っていくけど」

 

 スバルがそう聞くと彼女は首を横に振った。

 

「上に置いたままの剣を取ったら帰るから、大丈夫」

 

「それなら俺が取ってくるよ。俺のせいで置きっぱなしになったみたいだし」

 

 あの高さを階段で登るのはかなりの苦行だが、彼女のためと思えば安いものだった。

 

 意気揚々と登った先に何故か彼女が既にいたのは良い笑い話だ。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「ラインハルトちゃんか……可愛かったな」

 

 家まで送るという提案はあまり良い反応をされなかったため、高台の下で彼女と別れたスバルは一人歩いていた。

 別れ際に明日の予定を聞いたところ、「さあ。非番だから、探したらどこかにいるかも」と言っていた。ここで会う約束を取り付けられないあたりが微妙にヘタレっぷりが露呈してしまっている。

 

「……って! 明日とか言う前にこの夜どうするんだ、俺」

 

 しかし、それよりも重要な問題があった。彼女に見惚れていた間、スバルはずっと大切な事を忘れていたのだ。

 すなわち、夜を明かす場所が無い。

 そもそもこの世界で使える金が無い。頼れる人間もいない。一瞬、彼女の顔が浮かんだが、さすがにここで彼女をあてにするのは厚かましいにも程がある。

 

「やっべぇ。その辺で寝てたら今度こそ身ぐるみ剥がされるよな」

 

 幸いにも暑くもなく寒くもない気温だが、野宿は危険過ぎる。

 さてさて、どうしたものか。

 途方に暮れるスバル。一日ぐらい寝ないでで歩き回っていても大丈夫ではある。

 だが、それも何日も続けられるものではない。早々になんとかしなかれば。

 

 対策を考えながら人通りの少なくなってきた大通りを歩くスバルだったが、ふと足が止まった。

 

「雪……?」

 

 季節外れ――そもそも異世界に四季の概念が有るかどうかは分からないが――の雪がちらほらと降り始めたのだ。

 滅多に雪が降らない地域に住んでいたスバルは本来なら興奮にしていたところだが、今はマズイ。貧弱ジャージ装備で雪が降る中に一晩中いるのは自殺行為だからだ。

 

「うわっ!?」

 

 その直後、焦るスバルの体を冷たい空気の塊が通り過ぎた。

 そして穏やかに降り始めたはずの雪が吹き荒れた。

 

「なん、だよ、急に……」

 

 数メートル先を見る事も出来ないほどの吹雪。

 

 雪山で遭難でもしたような錯覚に陥ったスバルは、足元の地面が凍っていくのを見た。

 

「ぁ――?」

 

 そして突然体が傾き、地面に立ったまま切り離された自身の両足を見た。

 その視界は、白く染まっていた。

 

 

 




五歳の時に家庭環境めちゃくちゃになったらそりゃそうなるよね
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