今回は少し長めです。
――ティル・レメンディスは『天才』である。
代々『剣聖』に仕えるレメンディス家の歴史を見てもかつてないほどの戦闘の才能を持って生まれた鬼才。先代『剣聖』に仕えた祖母や『剣鬼』をよく知る祖父をして、その両者にあるいは勝ると、そう思わせるほどの『天才』である。
――ティル・レメンディスは『最強』ではない。
当代『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。世界の寵愛を一身に受けた少女。対峙するだけで圧倒される、異常なまでの剣才。各国に存在する強者を指す『超越者』の域にいようとも、決して届かない正真正銘の『最強』。ただの『天才』では同じ土俵に立つ事すら許されない。唯一出来る事は見上げる事だけであり、その間にある壁は分厚く、とても破れるようなものではなかった。
――ティル・レメンディスは『付き人』である。
誰も、『最強』と同じ場所に立とうとは考えない。誰も、『最強』に追いつこうとは考えない。唯一ティル・レメンディスだけが、その背中に追い縋った。ティル・レメンディスだけが、いつかその隣に立とうと走り続けた。
故に。
――ティル・レメンディスは『付き人』である。
▼△▼△▼△
ティル・レメンディスが初めて剣を握ったのは5歳の時だった。
代々『剣聖』に仕えるレメンディス家では、例え幼子であろうとも剣を握る事となる。本人の気質が戦いに向かない場合であっても、自分の身を守れる程度には鍛え上げられる。それが数々の優秀な剣士を輩出してきたレメンディス家の慣習だった。
初めて剣を握ったティルは、試しに打ち込んでくるようにと言った祖母であるキャロル・レメンディスに対し、最初の一閃で自身の孫がかつて仕えた『剣聖』に比肩し得る存在であると確信させた。
本人の気質も戦いに向かないものではなかった。むしろ、望んで剣を握った事もあり、幼いながらもティルは鍛練に打ち込んだ。
初めて剣を握ってから1年も経たないうちに、ティルは純粋な剣の腕で祖母を上回った。それどころか、レメンディス家においてティルに勝てる者はいなくなっていた。
「ティル! 少しは家事を手伝いなさい!」
「やーだ! 私は剣だけで良いの! よわよわばばぁ!」
「まぁ、なんてこと!」
剣の腕は確かだったが、それがティルを助長させ、それはもう生意気な小娘であった。
反抗的ではあったが、無闇に力を振るう性格ではなく、本気で逃げる事もしなかったため、最終的には祖母に捕まりお尻を叩かれるというのがいつもの光景だった。
周囲にはもはや同格の存在はおらず、自身の相手となる者を探したティルの耳に入ってきたのは、同い年ながら『剣聖』の名を継いだ少女の事だった。
自分が世界で一番強いと信じて疑っていなかったティルは周囲の制止も聞かず、一振りの剣を手に『剣聖』の少女へと突撃した。『剣聖』の少女がいるのはアストレア家の本邸ではなく、レメンディス家から少し離れた王都にある別邸であったが、全力で駆ければそれほど時間もかからなかった。
まるで生気を感じさせない少女だった。
燃え上がるような赤い髪は無造作に肩の辺りで切り揃えられ、不揃いな前髪の向こうから青い瞳が覗く。何の情報もなければ、それが『剣聖』だとはとても思えなかった。
「お前が『剣聖』? 勝負しよう、勝負!」
「…………」
「無視? 分かった! お前、本当は強くないんでしょ!」
鞘から抜いた剣を突き付けても、『剣聖』の少女は動かなかった。
もしもティルが同じように挑発されて剣を向けられたら、ひとまず一発ぶん殴る。そうしないという事は、それが出来ないぐらい弱いということ。そう判断し、しかし、せっかく来たので軽く捻ってやろうと、ティルは剣の側面を向けて『剣聖』の少女に叩きつけるように振るった。
ティル・レメンディスが生涯初めての敗北を味わったのは、その直後だった。
「えふ……ッ!?」
気が付けば視界が回転し、背中が地面についていた。
目に映るのは空の青色ではなく、自分の手にあったはずの刀身の銀色。地面に垂直に浮かせた剣が、ティルの顔面を貫くぞと言わんばかりに突きつけられていた。
「……。…………」
『剣聖』の少女は口を開きかけ、しかし何も言わず、代わりに剣を地面に突き立てた。そして、ティルに背を向けてどこかへ歩き出す。
ティルは起き上がり、ほんの少しでも位置が変われば自身の耳が削がれていた剣を地面から引き抜き、今度は本気で斬りかかる。負けたままでは終われなかった。
しかし、無手の相手に勝つどころか、一度も攻撃を掠らせる事すら出来なかった。
地面に押し倒されても、関節が悲鳴を上げるほど腕を締め上げられても、奪われた剣の柄で大事な内臓がある急所を殴られても、毎回毎回律儀に剣を返されたため、その度にティルは挑んだ。
「まぁ、ティル! そんなにボロボロになって!」
何十回も、完膚なきまでの大敗を喫したティルを出迎えたのは祖母だった。
「……まけた」
「だから言ったでしょうに!」
包帯を巻かれ、手当をされている間、延々とされる説教を右から左へ流し、ティルの頭の中では『剣聖』の少女との再戦の光景が描かれていた。
今のままでは何百回やったとしても勝つ事は出来ない。このまま剣だけを鍛えても届かない。何か別の力も必要だった。
ティルは『天才』だった。
それは剣に限らず、魔法についても言える事だった。
目を付けたのは魔法だった。レメンディス家には魔導師とまでは言わずとも、戦闘に魔法を用いる人間はいた。弱いからと特に関わる事もなかったそういう者に接触し、魔法についての教えを乞うた。乞うたというには、態度が生意気ではあったが。
「勝負! 今度は負けないから!」
「…………」
前回の敗北からそう時間を置かず、ティルは再び『剣聖』の少女へ突撃した。
「アル・ヒューマ!」
「…………」
手始めに氷の魔法を放てば、コバエを払うかのような動作で粉砕され。
「アル・ゴーア!」
炎の魔法はそよ風のように素通りされ、同時に斬りかかったところを組み伏せられ。
「アル・ドーナ!」
土の魔法は効果が現れる前に地面を踏みしめる衝撃で無効化され。
「アル・フーラ!」
風の魔法は『剣聖』の少女に当たった瞬間霧散し、赤い髪を揺らしただけだった。
結局、その日も一度も剣を当てる事は出来なかった。魔法は当たったといえば当たったものもあったが、そもそも避けたり防いだりする必要すらないと判断されたようなものだった。
「くやしい! くやしい! くやしい! くやしい!!」
「こら、ティル! 大人しくなさい!」
「うるさい、よわよわばばぁ!」
「まぁ! よわよわでボロボロなのはどちら!」
『剣聖』の少女に挑んではボロ雑巾にされ、祖母に手当されるという流れを何度も繰り返した。
▼△▼△▼△
剣と魔法。あの何を考えているのか分からない、不気味ですらある『剣聖』の少女に勝つためには、その両方が今のままでは全く足りていなかった。
もはやレメンディス家の身内だけではティルの能力を伸ばすに足る人間はいなかった。
この国で最も強い人間が集まるのは近衛騎士団だ。
強くなるためには強い人間と鍛練しなければならない。ティルは近衛騎士団へと突撃した。
「その年でこれほどか……末恐ろしいガキだ」
「近衛騎士団でもこれ……期待はずれ」
「態度だけが問題だがな。それさえ治れば完璧だ。次は剣だけじゃなく言葉遣いも覚えて来い、クソガキ」
「よわよわ木偶の坊のくせに」
「んだとクソガキ、コラァア!!」
レメンディス家は『剣聖』に仕える家系としてそこそこ有名だ。将来のために体験したいなどと理由をつけて、追い返そうとした団員に軽く力を見せつけてやれば、特別にその時いた中で一番強い騎士との模擬戦を取り付ける事が出来た。
恐らくアストレア家の不興を買わないように、という意図もあったのだろうが、ともかくティルは力を試す機会に恵まれたのだ。
そして、木剣を交えたマーコスという男をティルは打ち倒した。
いつもと打って変わって無傷で帰宅したティルに、事の詳細を聞いたレメンディス家は慌てに慌て、後日正式に謝罪を行なう事となった。
マーコスを倒した後も相変わらず、ティルは『剣聖』の少女に手も足も出なかった。
ティルは困り果てた。自分一人で強くなるには限界がある。しかし、当然一番上は『剣聖』の少女であるが、二番目が自分であり、そしてそれ以下の者では鍛練に足る実力がない。『剣聖』の少女にやられている方がまだ得るものがあるという始末。
剣の方面では手詰まりだった。故にもう一度魔法の方面を伸ばしてみる事にした。
手始めに王立治療院という場所で働いている、『青』という水魔法を極めた者へ贈られる称号を持つガリッチという老人を訪ねた。
「凄まじい才能じゃな。どうじゃ、このまま儂の弟子としてここで働くというのは」
「嫌。でも、治癒魔法は教えてくれてありがとう」
「ひぇっへっへ! 近衛騎士団で大暴れしたというからどんな子供かと思えば、存外素直な娘っ子じゃったのう。気が変わったらいつでも来るが良い」
王立治療院は未来の治癒術師への教育機関という面もあり、才能を買われたティルは最高位の治癒術師の元で治癒魔法を学ぶ事が出来た。直接『剣聖』の少女を倒す助けになる訳ではないが、怪我を治す事によってより長く戦えるようになったのは大きかった。
次に訪ねたのは『赤』『緑』『黄』の3つの称号を持っている魔導師だった。
「なぁーるほど、レメンディス家の。少しぐらいなぁーら、教授するのも吝かじゃないねぇーえ」
貴族であり、それなりの地位にいるその人物とは意外にもあっさりと会う事ができ、願った通りに最高位の魔導師の魔法を学ぶ事が出来た。後から聞いた話では、祖母は昔その魔導師の家の者と付き合いがあったようだった。
しかし、目新しい情報は少なく、『剣聖』の少女を倒すのに役に立つような情報もなかった。元々使えていた魔法が上手くなる程度ではどうにもならない。
打倒『剣聖』には、これまでになかった魔法が必要だった。しかし、近年新たな魔法は開発されておらず、研究すらまともに行われていなかった。本来それを主導するはずの称号持ちの魔法使いが現状を良しとしていたためだ。
ティルはレメンディス家の屋敷や別邸、親族関係など、本棚という本棚をひっくり返し、魔法の知識を蓄える事にした。当然それだけでは足りないので、国中の魔導書を買い集めた。お小遣いはことごとく消えていった。
ティルには六属性すべての魔法の適性があった。しかし、陽魔法や陰魔法も『剣聖』の少女には通じなかった。
別々に魔法を使っていては意味がない。ティルは六属性のマナを混ぜ合わせる方法を考えた。
六属性を混ぜ合わせたマナは爆発的なエネルギーを秘めた虹色のマナとなり、それを剣に纏わせる方法を編み出した。
「くらえ、虹色の剣!」
「…………」
これなら確実に効くだろうと振るった剣は空を切り、赤い髪を揺らした足払いが来る。
だが、ティルもただやられている訳ではない。読んでいる。
足を地面から離して躱し、空中で回し蹴りを放つ。
当たり前のように足の甲を掴まれ、受け止められるが、そこまでは予想通りだ。足を掴まれた状態のまま、剣を振るう。
空いている方の手で柄を掴まれるところまでが狙い通りだ。
「そこでどん!」
剣に纏わせた虹色のマナを爆発させた。
あの状態からはさすがに避けられないはずだ。
今日こそはと地面に背中をつく姿か、最低でも膝をつく姿を想像するが、そこで剣の柄がいまだに掴まれたままの状態だと気が付いた。
「ふぎゃっ……!?」
直後、自分が地面に背中をつけて倒れる事になっていた。
しかも、自分の身体に怪我はおろか、服の破損も見られなかった。先ほどの爆発は、多少は自分も巻き込まれる想定だったというのに、だ。
「もしかして、私の事を守った……?」
目線の先では、『剣聖』の少女が服を手で払っていた。果たして払うだけの塵や埃すらつけられたのかという話だったが、今はそれよりも重要な事があった。
「なんで――」
「ずっと、無駄な事をしてる」
なぜ守ったのかと問うティルの言葉を、澄んだ声が遮った。
普段のティルなら話を遮られた事に腹を立てたり、あるいはその内容に怒りを爆発させていただろうが、それよりも。
「初めて……」
「……?」
「初めて喋った!」
そう、初めて打ちのめされた日から既に数ヶ月。しかし、これまでティルはその声を聞いた事がなかった。
「喋れないのかと思ってた!」
だってそうだろう。確かに仲良しこよしにお喋りしようと試みた事はない。しかし、幾度となく剣を交わしたのだ。いや、剣を向けたのはティルだけで相手はずっと無手ではあったが。
普通に考えて、それだけの間に一言も話さないともなれば、何かしらの理由があって話せないと思うのも仕方ないだろう。
ティルとしては、勝つ事が目的であったために話せるか否かは特に問題ではなかった。とはいえ、そこでいきなり話し始めたとなればその衝撃は大きい。
「喋る事ぐらい、出来る」
「でも今まで喋らなかったでしょ! なんで!?」
「話す事、なかったから」
「はあ!? あるでしょ、いっぱい!」
剣を放り出し、ティルは『剣聖』の少女の両肩を掴み、前後に揺らす。
話す事がなかったとは心外である。何か助言をしろとまでは言わないが、せめて捨て台詞ぐらい言ったらどうなのかと、その怒りをぶつけるように両肩を揺らす。
「それより、あなただれ」
「レメンディス家の剣士、ティル・レメンディス! そっちは!」
「『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア」
「知ってる!!」
その日から、ティルと『剣聖』少女ラインハルトとの関係は少しずつ変化していった。
「力が入りすぎ。特に肩」
「くほっ」
ただやられているだけだった一方的な襲撃が、互いに木剣を持った鍛練へと変わった。
「空気暗すぎ! 見てるこっちも暗くなる!」
「そんな事言われても……」
「もっと暗くなった! 空気陰魔法女!」
「ひどい……」
剣を合わせる合間に軽口も交わすようになった。交わすというよりは、ティルが一方的に言っている事が多かったのだが。
「あっ、泣いた? 泣いた!? すぐそうやって泣く! 剣以外泣き虫弱虫!」
「ぐす……」
これまで無表情で、何を考えているのかよく分からなかったが、話してみれば案外感情は分かりやすかった。分かりやすいどころか普通にティルに泣かされる事も少なくなかった。
そして、そんなある日のこと。
「新しい魔法剣考えてきた! 今日こそは勝つ!」
「あ? お前はレメンディスのところの」
街道を走って駆け抜け、アストレア家の別邸を訪れてティルが見たのは赤い髪の男だった。アストレア家の人間だろうとはすぐに分かったが、ティルにとって問題だったのは、その後ろにラインハルトが俯きながら追従していた事だった。
「ガキの相手をしてる暇はない。さっさと帰れ」
「はあ? お前に相手してもらう必要とかないんだけど?」
強そうにも見えないその男には興味もなかった。ただいつものように家から持ってきた木剣をラインハルトへ向けてみるが、当のラインハルトは全く見向きもしなかった。
「無視? 無視するんだ。はー、いいけどべつに。こっちからやるだけだし」
そう言って、ティルは木剣を振りかぶる。
次の瞬間、ティルとラインハルトの間に男が割り込んだ。
「帰れっつってんのが分からねえのか」
「そんなに言う事聞かせたいなら力尽くでやってみれば」
標的がラインハルトから男に変わるだけだ。ティルの木剣の剣先が男の方へ向く。
が、次の瞬間。
「やめて……!」
絞り出したようなその声に、思わずティルは手を止めた。
「今日は、帰って」
どうやら今日はどうやっても相手をしてくれるつもりはないらしいと、そう理解したティルは渋々帰る事にした。
ラインハルトが父親に連れ回され、都合の良い暴力装置として使われていると、祖母からそんな話を聞いたのはそれから少しの時が経ってからだった。
▼△▼△▼△
訪ねてもいない事が多くなったラインハルトだが、ティルは合間合間を見つけて挑んでは負けていた。
勝つために策を考えた。
勝つために技を携えた。
勝つために訓練を欠かさなかった。
勝つために必要な事はすべてやった。
それでも、届かなかった。
まず、あの驚異的な身体能力。身体を巡るマナで身体能力を強化する『流法』は、既に極められるところまで極めた自覚があった。その上でさらに身体能力を高めるためには、より多くのマナを取り込み身体に巡らせる必要があるが、そのより多くのマナを取り込むというのが難しく、難航していた。
『流法』だけでなく、陽魔法による身体強化も既に取り入れていたが、それでもラインハルトの身体能力には敵わなかった。とはいえ、まだ魔法の方が可能性があった。
魔法による攻撃ではなく、魔法によって強化した身体による剣術。それが打倒ラインハルトにつながるはずだ。しかし、そのための良い魔法がなかった。
「ティル嬢。ここは発想を変えてはどうだろうか。身体能力を超強化する魔法ではなく、マナの取り込みを強化する魔法を目指すという形で」
「マナの取り込みを? そんな事出来る?」
「出来る出来ないを現時点で語るのは無意味だ。結局、やってみなければ分からないのだからな!」
運が良かったのは、様々な魔法に関する資料を漁っていた時に偶然エッゾ・カドナーと名乗る魔法使いに出会えた事だ。
エッゾはティルよりは少し高いものの、子供のような背丈の小人族の男だった。たまたま追い剥ぎに襲われそうになっていたところを、目に付いたティルが救った事で交流が出来た、新たな魔法の開発にも意欲のある男だった。
「例えばティル嬢が特に得意としている陰魔法には重力の影響を変化させる魔法があるが、これはいわば引力を操作する魔法だ。この引力という点に注目すれば、マナを取り込む際にもある種の引力が発生しているとみなせそうではないかね?」
「難しい事は分からないから、術式ができたら呼んで。それまで私は素振りしてるから」
「君は大概私の扱いが雑だな!? いや、命の恩人なのだからそれぐらい容易い事ではあるが!」
エッゾは魔法を極めた証である色の称号をいつか得たいと努力を続ける男であり、いつかラインハルトという『最強』を倒すという目標を持つティルには親近感を覚えたのだろう。追い剥ぎから助けられた恩返し以上の根気を持ってティルに付き合ってくれた。
「どうだ、見たまえティル嬢! 鬼族の角を参考にしたマナ吸収魔法だ! 高循環回路設置型マナ吸収擬似角と名付けたのだが、どうだろうか?」
「何でも良いから、早く教えて」
「何かこう、ないのかね!? 私を労るような言葉の1つぐらい!」
「おつかれ。あと長い。『角』で」
「くっ……!」
エッゾが開発し、高循環回路設置型マナ吸収擬似角と名付けた魔法は、鬼族の角というマナを集めるための器官を再現する魔法だった。取り込めるマナの量に限りがあるために、『流法』による身体能力だけではラインハルトを超えられないと考えていたが、取り込むマナの量を増やせるならその限りではない。
「確かにこれは使える」
「いきなり使いこなしている事に物申したいところではあるが、ティル嬢。そのマナは一体? ただの陰属性のマナではなさそうだが」
「六属性まとめた虹色のマナに、それと同じぐらいの密度の黒いマナを混ぜたらできただけだけど」
「なんと!? そんな事が可能なのか……!」
エッゾが魔法開発を行なっている間、ティルも何もしなかった訳ではない。陰魔法だというので、使うのは黒色のマナだろうが、ただの黒色のマナでは六属性を束ねた虹色のマナに出力が劣る。だったら、虹色のマナの出力を維持したまま陰魔法用のマナにすれば良い。
そうしてティルが開発したのが、虹色のマナにさらに高密度の陰属性のマナを混ぜ込む事でできた、暗虹のマナとでも呼ぶべきものだった。これを用いる事で、通常の黒色のマナを用いた場合に比べて陰魔法の出力が爆発的に増大する。
「少し、肩に触れても良いかね?」
「とうとう本性を表したか、変態」
「ち、違う! 身体を巡るマナをだな!」
「分かってる。冗談だけど」
「心臓に悪い冗談はやめてくれないか……」
額から2本の暗虹色の角を生やしたティルの肩に、エッゾが手を置く。
「やはり! ゲートに頼らないマナの吸収回路が形成されている! 自分で試したのだから効果自体は保証されているが、私が使うよりも効果が高い!」
「うるさ……」
「一度出力を最大にしてみてくれ! 限界を見てみたい!」
「分かったから離してくれる?」
エッゾの手を振り払い、ティルは額の角を意識する。普段のゲートから取り込むのとは勝手の違う、第二のゲートともいえる角からのマナの吸収。魔法による産物である事から意識して出力の操作がしやすくなっている。それを、最大まで引き上げた。
「こ、これは……! 素晴らしい! もはやマナ過剰循環体質と同等のマナ循環と言っても過言ではない!」
身体中を巡る、今までとは比べ物にならないほどの密度のマナ。無意識のうちに、両手の平を眺める。高密度のマナが漏れ出したような、あるいは意識もしていないのに剣気が溢れ出したような。
何でも出来るような、ティルはそんな全能感に包まれた。
「ん? どうしたのかね、ティル嬢」
「たぶん、ラインハルトもそうなんだ……ハァ……あんな身体能力、ありえないもん……ハァ……これで……ハァ……私も……ハァ……ハァ……」
「ティル嬢? ……いかん! 過剰に取り込んだマナが暴走している! ティル嬢! 今すぐ魔法の解除を!」
「ハァ……ハァ…………。あ」
そしてその代償として、身体の内側からマナが爆発した。
▼△▼△▼△
エッゾが開発しティルに託された、高循環回路設置型マナ吸収擬似角――ティル命名『角』は、これまでのどの魔法よりもラインハルトに勝つために有用だった。
ティルの馬鹿げた魔法出力があるからこそ実用に足るものになったという面はある。事実、エッゾが使用したとしても多少使えるマナ量に余裕ができるだけで、角の方に意識を取られる事を考えると実戦では使わない方が良いという結論になった。それに、最初に暴走したように、普段と違うマナの流れに翻弄され、自爆する危険もある。
ただ、使いこなせさえすれば、ラインハルトに届き得ると、そう思えるぐらいの魔法だった。そう思えるぐらいの大きな進歩だった。
「今日こそ勝つ」
「角……?」
その日は、今までで一番手応えはあった。
ただ、それでも届かなかった。
「ここまでやって、なんで勝てないの……! くそ! くそッ!!」
「お、落ち着きたまえ、ティル嬢。手応えはあったのだろう? ならば、やるべき事はこれまでと比べ、埋められた差と埋められなかった差の整理と、次にどうするかを考える事だ」
「……加護」
「加護?」
「『初見の加護』と『再臨の加護』。あれのせいでどうやっても防がれる!」
近頃はエッゾが魔導書を保管するために設けた家で集まるのが恒例となっていた。集まるというよりは、ティルがただ入り浸っているだけとも言えたが、ともかくそこで対ラインハルト用の魔法や戦術を考えていた。
「話に聞いていた例の加護か……なるほど聞けば聞くほど、馬鹿げた話だ。だが、加護といえども万能ではない。必ず突破口はある」
身体能力の差はかなり埋める事が出来た。しかし、そうなれば次の問題が出てきたのだ。
加護。生まれた瞬間に世界から授かる祝福であり、言い方を選ばなければ使えるものから使えないものまで千差万別であるが、その中でもラインハルトが持つ『剣聖の加護』や『初見の加護』、『再臨の加護』は特に有用な加護だった。『剣聖の加護』はともかく、初めて受ける攻撃に完璧に対応出来る『初見の加護』と2度目以降の攻撃に完璧に対応出来る『再臨の加護』。一体どうすれば良いというのか。
「加護はあくまで身体能力の延長線上という考え方がある。例えば、その『初見の加護』を持つ幼子がいたとして、ティル嬢がその幼子に攻撃を当てるのは難しい事ではないはずだ。なぜなら、加護が理想的な対応を示したとして、あるいは身体が勝手に理想的な動きをしたとして、その幼子の身体能力では到底ティル嬢の攻撃を回避あるいは防御する事は出来ないのだから」
エッゾの慰めはティルには届かなかった。
これまでのどんな対策よりも期待が高かった。高かったからこそ、それが通じなかった時の落差も大きかった。
「相手がその幼子ならいいけど。ラインハルトはそうじゃないし。このまま私はずっと勝てないまま死ぬんだ」
「落ち着けとは言ったが、落ち込めとは言っていないだろう!? らしくないぞ、ティル嬢! 確実に進歩はしているのだ。それに、そのラインハルト嬢以外は手も足も出ないぐらい強くなったのだろう? 自信を持ちたまえよ」
「ルグニカにはラインハルト以外雑魚しかいないもん」
「さすがに暴論が過ぎるのではないか……」
これまで何十、あるいは何百に届くほどの回数、ティルは負け続けてきた。
例えラインハルト以外の誰にも負ける事はなかったとしても、自分が世界で一番強いなんて幻想はとっくに打ち砕かれていた。それでも、挑み続ける事が出来たのは、いつか追い付くという気概があったからだ。
しかし、これ以上はないという理想的な状態で敗北した。これだけなら、この一度だけなら、気にしなかったかもしれない。ただ、ティルにはこれまでに積み重ねられた敗北の記憶があった。
自分は本当は弱いのではないか。一生を剣に捧げたとしても、追い付けないのではないか。
初めて剣を握ってから約5年。まだ10歳であるティルには、成長の余地が残されているはずだ。だが、本人にはそう思えなかった。
「ルグニカ以外で有名な人、知ってる? 強いって有名な」
「私はそういう方面には明るくないが、強者ならヴォラキア帝国には多いかもしれないな。とはいってもルグニカ王国との関係性を考えると交流するのは難しいだろうが」
「ヴォラキア帝国。ふーん、分かった」
「嫌な予感がするのだが、何が分かったのか聞いても?」
「ちょっとの間来ないから、それまでに何か良い魔法開発しておいて」
「ティル嬢? どこに行くつもりかね、ティル嬢!?」
そうしてティルはその場を後にした。
その後、しばらくティルが訪れる事はなかった。
▼△▼△▼△
ルグニカ王国とヴォラキア帝国は仲が悪い。
子供にも分かるような単純な言い回しだが、それが簡潔に表した両国の関係性だ。ルグニカ王国が神龍と盟約を結ぶよりも以前、国土を巡って幾度となく戦争を繰り返し、それ以降も何度も戦争とまではいかなくとも戦いが繰り返されてきた。今でこそ表立って両国の間で戦闘が起こる事はほとんどなくなったと言って良いが、それでも冷戦状態ではあった。
そんなヴォラキア帝国の大地を、ティルは踏みしめていた。
ルグニカ王国とヴォラキア帝国の間にある関所を正規の方法で越えるのは簡単ではない。成人もしていない少女1人ともなればなおさらだ。ゆえに、ティルは関所を無視してヴォラキア帝国に入国した。ティルは飛行の魔法が使える。雲よりも上、誰にも見つからないような高度を飛んで国境を越えれば、簡単に入国出来た。
言うまでもなく密入国であるが、帰りも同じようにすれば問題ないだろうとティルは考えた。
エッゾと別れたそのままでこの土地を訪れたティルは、剣一振りのみを手に歩みを進めた。
ヴォラキア帝国では強者こそが尊ばれる。それが例え子供であったとしても、強ささえあれば対等以上に扱われる。
強者の情報を得るのはそう難しい事ではなかった。
「驚いたぜ、お嬢ちゃん。まさかその年でこれほどの強さとはな」
情報に通じている男に紹介させる形で、ティルは強者らしい者と戦ったが、ティルが圧勝する形でほとんど戦いにもならなかった。
「ここって田舎? 強い人がいる街とかがあるならそれを教えて」
「ハッハ、生意気言いやがる。お嬢ちゃんと同じぐらいの年でびっくりするほど強い剣士がいるっつう噂は聞いた事があるが、まさか兄妹だったりしねえか?」
「知らない。その噂について教えて」
そうして、噂を辿った先にいたのは、ティルとそれほど年齢は変わらないであろう、少年だった。
「いやー、お強い! そう僕と年も変わらなそうなのに、僕の速さについてこれるとは! いずれは帝国最強の名を轟かせる主演役者の僕ですが、思わぬところで強敵出現といったところですかね!」
「ぐ……ぅ……」
「それに変身! 変身して強くなるというのは、男の子心がくすぐられて、大変よいです! 実はですね、僕も一時期色々と考えてはいたんですが、なかなかどうして肌に合わなくて。本気になったらゾーリを脱ぐというのは結構いい線いってると思うんですが、そこのところどう思います? 趣味と実益を兼ねて、みたいな感じなんですが」
地面に伏すティルを見下げながら、少年はよく回る口からよく分からない事をペラペラと吐き出していた。
「しかし残念ですね。もう少しまともな剣ならもっと死合う事が出来たのに」
その少年は強かった。
ラインハルトほどではなかった。だが、負けた。
目線の先には刃が落ちていた。折れたティルの剣の刃だ。斬り合いに耐えられず、根本が砕けてしまったものだ。
ティルは剣士だ。剣がなければ力を発揮出来ない。
「ごっ……ぇ……」
斬い合いの真っ只中で剣がなくなってしまえば、相手に無防備を晒してしまう。たった一瞬であろうとも、その少年の前では永遠とも感じられるほどの大きな隙。
袈裟斬りをまともに受け、ティルは敗北した。
痛い。熱い。うまく息が出来ない。
ゆっくりと近付いてくる少年を視界の端で捉えながら、ここで死ぬのだと、そう思った。
結局ラインハルト以外にも負けて、一体自分は何なのか。同年代ですら、既に2人。人生の半分以上を剣に捧げてきた。途中、魔法にも手を出したが、それも剣のため。
こんなにも無様にやられて、自分は一体何をしているのか。
自分は弱くない。それを証明するためにヴォラキア帝国にやってきた。
結局、無様に負けて自分は弱いと証明しただけだった。
馬鹿みたいだった。
「中途半端に斬ってしまったので苦しいですよね? ここで失ってしまうのは惜しいですが、僕の不手際なので、せめて楽に……」
本当に、馬鹿みたいだった。
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コンコンと、エッゾの魔導書を保管するための家の扉を叩く音が響いたのは、最後にティルが出ていってから1日と少しが経った頃だった。
「普段は我が物顔で当たり前のように上がりこんでくるというのに、珍しい」
その家を訪ねてくるのは、近頃共に魔法を開発し、色々と試していたティルぐらいだった。といっても開発自体はほとんどエッゾがしていたが。
しかし、玄関の扉を開けたところにいたのは、いつものピンク頭ではなく、燃え上がるような赤髪の少女だった。
「ティル嬢ではなかったか。まあ、あのじゃじゃ馬小娘がしおらしく戸を叩く事などしないだろうとは思っていたが……」
「ティルは……いますか」
「ティル嬢なら今日は来ていないな」
「そう、ですか……」
エッゾはその少女とは初対面だった。名前など知らないし、その姿を見たのも初めてだった。
しかし、ティルから何度も聞かされていた話に、その容姿と背中に提げた聖剣魔剣の類いであろう剣。
それらを総合して考えれば、自ずと答えは出てくる。
「もしや、ラインハルト嬢か? 『剣聖』の」
「え……はい……」
「ティル嬢に何か用事かね? よければ私が聞いておくが」
「昨日から、帰ってないって……どこにいるか、知りませんか」
まるで『剣聖』という大層な称号を持っているとは思えないような少女だった。
エッゾ自身、子供のような身長であるため、多少こちらの方が高いとはいえ普段ティルとは同じような目線の高さで話しているのだ。だが、ティルと同じような高さにあるはずの少女とは目が合わなかった。
俯くようにしてその目は前髪に隠れていた。
ただ、今は目の前の『剣聖』の少女に対する所感 置いておく。
エッゾは最後に出ていってからティルには会っていない。今頃どこにいるかなど、何も聞かされていない以上、知るはずもないのだが、なぜか背中に汗が滴ったような感覚があった。
「いや、まさか……いくらティル嬢でもそんな事は……」
「なにか……?」
「ティル嬢とは最後にルグニカ王国以外にいる強者の話で、ヴォラキア帝国の話をした。とはいえ、まさか本当にヴォラキア帝国に突撃しているなどという事は……」
「ヴォラキア……分かりました」
常識的に考えて、小娘1人で冷戦状態の国に突撃する事などありえない。せいぜいが関所で止められるぐらいだとは思われるが、そういえばあの少女はエッゾが頑張っても全然習得出来ない飛行魔法を使えるのだと思い出す。確かに飛行魔法を使えるならば、国境を越えるのは難しくないだろうが。
そして、エッゾがそれ以上に何かを言う前に、『剣聖』の少女からブワリと、風のようなものが吹き付けられたような感覚があった。
「なっ……!?」
武に明るくないエッゾをして感じられる、剣気とでも呼ぶべきもの。全身の毛が逆立つような感覚。まるでその場に縫い付けられてしまったかのように、身体が動かなくなった。
赤髪が揺れ、その間から碧眼が覗いた。このまま斬りかかられたら、ひとたまりもなく殺されてしまうだろう。
だが、そんな死を覚悟すらしたエッゾの前から、次の瞬間には少女の姿は消え去ってしまった。
「……あれがラインハルト嬢か。壁としてこれ以上に高いものはそうそうないだろうな」
荒れていたピンク頭の少女を思い、独白する。
エッゾにも、超えるべき壁がある。しかし、これほどまでの高い壁であっただろうか。きっと、他の者なら試そうとすらせずに諦めてしまうのではないだろうか。
出会いは、チンピラに襲われている場面という間抜けなものだった。正直にいえば、自分の力だけで切り抜ける事は出来た。にも関わらず、ティルを命の恩人と称して手助けするのは、放っておけなかったからだ。
他の誰が笑おうとも、エッゾだけは側で支えよう。
小人族でありながら、色の称号を目指すエッゾにとって、それは眩しかったから。たとえどんな結果になろうとも、その果てを見届けるまでは。
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燃え上がるような赤色に、目が焼かれるような錯覚があった。
「おや、もしや援軍ですか?」
「あなたがやったの?」
「はて、後ろの方の事なら僕がやりましたが」
ここで聞くはずのない、聞き覚えのある澄んだ声だった。
ぶわっと、ほとばしる剣気が全身を通り抜けた。
「仇討ちというやつですかね? 空から降ってきて主演役者たる僕よりも目立っている事とか、気になるところはありますが。そういうの、嫌いじゃないです。むしろ好き」
「べつに、あなたが消えるなら何もしない」
「ご冗談を。こうして相見えた以上、やる事は1つでしょう?」
「私が勝ったら、言う事を聞いてもらう」
「いいですねぇ。じゃあ、僕もそれで」
息を呑む。
『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアが、ティルを庇うように少年と相対していた。
「未来の帝国最強にして『青き雷光』セシルス・セグムント」
「『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア」
いつも、正面で向かい合うような形だった。歴代最強らしい『剣聖』の恐ろしいまでの強さは誰よりも知っている自負がある。どんな策を練ろうとも跳ね除けてくる理不尽の権化。ティルは、誰よりも知っている。
初めてだった。庇われる形でその背中を見るのは。
倒すべき相手であるはずなのに、その背に庇われ、そしてその事に安堵を感じてしまう自分に奥歯を噛み締める。
質も、高さも、重みも、モノも、何もかも。
分かっていた。ただ手を伸ばすだけでは届かないなんて、分かっていた。
だからこそ、届かせるために。出来る事はなんでもやってきた。
そしてようやく。ようやく、高すぎる壁の頂上へ、指先が掛かるところまできたはずだったのに。
あるいは、錯覚だったのだろうか。
ニ刀を構えた少年と、鞘に収まった龍剣を手にした少女の戦いは、呆気のないほどに簡単に終結した。結果は、語るまでもないだろう。
「この辺りに治癒魔法が使える人は?」
「僕が知る限りではいませんね」
「……だったらここで血を止める。包帯とかきれいな布とか使えるもの、持ってきて」
「もう手遅れな感じがするのは僕だけです?」
「私が勝ったら言う事を聞く約束」
「それはそうでした」
少年の気配はあっという間になくなり、その場にはティルとラインハルトの2人だけが残された。
うつ伏せから仰向けになるように動かされたティルの鳩尾に、手が当てられる。
「な……んで……」
「エッゾさんから聞いた」
温かさを感じるとともに、少年が言ったように自分でも手遅れなのではないかと感じていた。
無理やりマナ循環量を過剰といえるまで増幅させる魔法『角』には、相応に副作用がある。ゲートに頼らないマナ吸収をする新たな回路を魔法で作るものとはいえ、身体中を巡るマナの循環回路は元々あるものに相乗りする形となる。その回路がズタズタになり、使用後少しの間、まともに魔法が使えなくなるのだ。まったく使えない事はないが、高度な集中を必要とする治癒魔法は使えない。
「むだっ……て、おもっ……てた……?」
「無駄……なにが?」
もう自分は死ぬのだと、そう思うと色んなものが溢れてきた。
初めてラインハルトが口を開いた時に言った言葉だ。無駄な事をしていると、そう言ったのだ。ずっと勝てないティルに対して、そう言ったのだ。
「わたし、が……やって、きた……こと…………むだ、だった……?」
目尻から何かが流れ落ちる事なんて気にもせずに、一心に碧の瞳を見据えた。
ここで死ぬ事になるなら、それだけは知らなければならなかった。自分がやってきた事は、無駄だったのか。『最強』に勝つために捧げた半生は、無駄だったのか。
「――無駄じゃない」
「ぇ……」
「無駄じゃない。最初は弱かったけど、今はもう弱くないから」
「適当に持ってきましたけど、これでいいですかね?」
「貸して」
その言葉に反応しきる前に、少年が戻ってきた。
流れるように服を脱がされて、傷に布を当てられた状態で包帯が巻かれていく。
「手際いいですねえ」
「『応急手当の加護』」
「今この瞬間のためにあるような加護ですね! 筋書き通りといったところですか! まあ、主演役者の座は譲る気はありませんが!」
「治癒魔法、使えない?」
「逆に聞きますが、使えるように見えます?」
「…………。役立たず」
「あれぇ!? たった今布を探してきた僕に対して聞き捨てならない言葉が聞こえたような!?」
深い傷跡は内臓まで届いていた。
いくら加護があっても、応急処置でなんとかなる傷ではなかったのだろう。包帯を巻かれても、助かったという気にはなれなかった。
「連れて帰る。今日あった事は誰にも言わないで」
「ええ? 今日という素晴らしい日を誰にも語らず、内に秘めろとおっしゃるんで?」
「私が勝ったら言う事を聞く約束」
「あれって1つじゃなかったんですか!?」
「1つとは言ってない」
「確かにそうですが……あっ、なら1つ僕の言う事を聞いてくれませんか? それでチャラにしますよ」
「なに?」
「再戦です。今回は勝ちを譲ってしまいましたが、次は勝たせてもらいます。刀も良いものを手に入れておくので、そちらもその剣、抜けるようにしておいてください」
「あなたが相応しいぐらい強くなれば抜ける」
「おや、そういう感じですか。なら問題ありませんね。ちなみに音沙汰がなかったらルグニカ王国に突撃するのでそのつもりで。『剣聖』ってルグニカ王国で合ってますよね? そちらのティルさん、でしたか。あなたも生きていればまたやりましょう」
その後、ティルはラインハルトに抱えられ、雲の上を駆けるという意味の分からない帰り道でルグニカ王国に帰還し、そのままの足でかつて治癒魔法を教わった王立治療院に運び込まれた。
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今にして思えば、あの時はどうしてあんなにも急に思考が悪い方向になっていたのか分からない。若気の至りと言われればその通りではあるのだが、それにしても他国に、それもヴォラキア帝国に殴り込むなどどうかしていた。
ティルもラインハルトも14歳になった。
ヴォラキア帝国での一件以降もティルは変わらずラインハルトを倒すために鍛錬を続けていた。
しかし、変わった事もあった。あの一件以降、心の距離が近付いたような気がした。言葉にはせずとも、関係性が少し変化した事を、ティルは感じていた。
「カララギを回ってきたけど全然良いのなかったんだけど。これ何個か買ってきたやつ」
「悪くはないけど、龍剣の方が良い」
「そんなの分かってるから。というか、商売が盛んで良い剣も集まってると思ったから行ったのに、アイツらすぐ口先で丸め込もうとしてくるし。『鑑定の加護』とか何個か加護譲って」
「譲れるなら、譲ってもいいけど……」
ヴォラキア帝国での一件から、ティルは自身の能力や技術だけでなく、剣自体も大切だと学んだ。いくら自分が強くなっても剣士である以上、剣がなければその能力は発揮出来ない。自分の戦闘についてこられる剣が必要だった。
しかし、そう簡単に良い剣には巡り会えないでいた。欲を言えば、ラインハルトの持つ龍剣レイドと同じぐらいの剣が欲しかったのだが、当然ながらそんな剣には出会えず。それよりもちょっと下ぐらいの剣ですらお目にかかれなかった。
仕方がないので、自分で作る事にした。
「組み立てた私が言うのもなんだが、よくもまあこんな術式をまともに使えるな? ティル嬢」
とはエッゾの言葉だ。
自分で作るとは言っても、鍛冶など出来るはずもないので、魔法によって剣を作る事にしたのだ。術式の開発自体は相変わらずエッゾに丸投げしたが、龍剣レイドにも負けない剣という想いによってできたのが、漆黒の剣だ。
「接触型遮断式万物断絶滅剣と名付けたのだが――」
「長い。『滅剣』で」
剣先から柄まで、あらゆる光を吸収するような漆黒の剣、接触型遮断式万物断絶滅剣――ティル命名『滅剣』。
陰魔法の性質の1つである遮断、それによって空間を分断する概念を形にした剣だ。触れるものすべてを切り裂き、また刀身は樹木の年輪のような層構造となっており、それぞれの間が分断された空間となっているため、外部干渉によって破壊される事もない。
あるいはこれならば龍剣に匹敵すると、そう感じられるほどの魔法剣だ。しかし、だからこそ、制限もある。『角』による過剰マナ循環状態でようやく賄えるほどのマナを要求され、また使用中は『角』以外の魔法が使用出来ない。
だが、そんなものは些細な問題だった。
「近衛騎士団に入る事になった。ティルも一緒に入ってほしい」
「私アイツら嫌い。陰湿だし。ラインハルトの悪口も言ってたし。アンタもやめといたら?」
「私は、お父様が入れって言ってるから……」
「お父様が言う事は絶対って? あんな弱虫放っておけばいいのに。悪口言われる原因もほとんどアイツでしょ」
「……分かってる。でも……家族だから」
「あっそ」
そこまでしても、未だに勝てた事はなかったが、何度も剣は交わしてきた。
「じゃあ賭ける? 久しぶりに本気出すから」
「うん、いいよ」
「私が勝ったらティル様って呼ばせる」
「じゃあ、私が勝ったら……口調を丁寧にしてもらう」
「近衛騎士団じゃないの?」
「それも」
「は? 欲張りすぎ」
「あと、私もラインハルト様って呼んでもらう」
「は? 欲張りすぎ」
その日、2人がいたのはアストレア家領地にある、何もなく人通りもない平原。そこが、2人が戦える絶好の場所だった。
「レメンディス家の剣士ティル・レメンディス」
「『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア」
暗虹の角を生やし、手には漆黒の滅剣を持ったティルと向かい合うのは背に提げた龍剣の柄に手を伸ばすラインハルト。普段ならば鞘に収まったままの龍剣。しかし、今回は違った。
龍剣レイドは必要な時にしか抜ける事はない。
その曇りなき白い刀身が、日の下に晒されていた。
それはすなわち、ティルが認められたということだった。
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ラインハルトと共に近衛騎士団に入団したティルは、ティル・ファウゼンと名乗る事にした。
理由はいくつかあった。レメンディス家は『剣聖』に仕える家系であるため、それでラインハルトについてきたと思われないため。あるいはラインハルトの使用人のようなものと思われないため。
あくまで友人としてついてきたティルとしては、その方が都合が良かったのだ。家名を偽る事について、当のレメンディス家はどういう反応をしたのかというと、ティルが明らかに問題を起こすだろうという事は分かっていたので、特に反対する事もなかった。
「おじょ、お嬢様……雑魚が呼んでる、ます」
「雑魚ってだれ」
「名前聞いてない、ません」
「…………」
ラインハルト様と呼ぶのはさすがに抵抗があったので、お嬢様という呼び方で妥協し、父親に連れ回されている時間以外、ティルはその側にいるようにしていた。
その理由の1つ、否、その理由のほとんどがラインハルトへの風当たりだった。風当たりというには陰湿な、彼女の父親の振る舞いによって形成されたものが、気に入らなかった。
ティル自身、色々と言ってラインハルトを泣かせた事はある。が、それはそれとして、貴族連中や騎士団連中によってラインハルトが傷付けられるのは気に入らなかった。それも、本人の性質ではなく、父親の振る舞いや、かつての祖父母に起こった問題が原因で不当に扱われるのは我慢がならなかった。
なにより単純に、友人が傷付けられるのは不快だった。
『黙ってついて来い。お前は俺の言う事を聞いていれば良い。何も考えなくて良いんだよ』
黙れ。
お前みたいな弱虫が、父親という立場しか誇れるものがない負け犬が、ラインハルトに近付くな。
『聞いたかよ。また暴れたらしいぜ。『剣聖』とか立派な称号持っておきながら自分でものを考えられないなんて、どんな危険人物だって話だよな』
黙れ。
黙れ。
騎士という立場に固執している雑魚の分際で。何も知らない外野が、知ったような口を聞くな。
『こちらの命令も聞くのだろう? ならば監獄の看守でもさせておけば良い。そもそも『剣聖』を動かす事自体、好ましくないのだ。有事に備えて地下で待機させておけ』
黙れ。
黙れ。
黙れ。
ふざけるな。たまたま良い家に生まれただけの能無しが、偉くなったと勘違いした蛆虫が、私のラインハルトに手を出すな。
出来る限り浄化したつもりだが、それでもすべてをなくす事は出来なかった。
強さに注目され、『剣聖』と対をなす『剣鬼』の再来などと称された事もあったが、そう呼んだ者は全員黙らせ、2度とそう呼ばないようにさせた。話を聞く上で分かってきた、すべてを投げ出してアストレア家を捨てただけでなく、まだ5歳だったラインハルトを詰ったクズと同じなど冗談ではなかった。
そうして、次第に呼ばれるようになったのが『付き人』。自分はラインハルトに仕えているからここにいるのではないと、また黙らせようとしたが、今回はそうしなかった。
そのままの意味での付き人でもあるが、ラインハルトの強さに唯一ついていこうとする者という、ティルの本質を表したものでもあると、知ったからだった。
「おい、ファウゼン貴様! 私の領地で暴れてくれたらしいな!?」
「黙れ雑魚。文句があるなら街に魔獣が入ってくる前に話を持ってこい」
「ぬぐっ……誰に向かってそのような口の聞き方を――」
「殺されたいならそう言え。この首、捻じ切ってやる」
「がぁっ……!? は、離せ……!」
近衛騎士団として活動する間、様々な事があった。
力で解決出来る問題ならいくらでも解決してやったし、ラインハルトの代わりに任務をこなした事もあった。無駄に肉をつけたこの男のような、貴族からの依頼にだって手を貸してやった。
「違う。頭で考えてから身体を動かそうとするから遅い」
「痛いです……姉様」「……鬼畜」
「治癒魔法で治すからこっち来て」
「こら、ティル! 妹たちにはもっと優しくなさい!」
と、このように仕事がない日は双子の妹たちの世話をし、あるいはエッゾのところに入り浸って魔法の実験、鍛錬、刀剣漁り、そしてラインハルトに挑むという事を繰り返していた。
他国関係でいえば、ヴォラキア帝国のあの時の刀使いとの再戦をした事もあった。というか、何度か密入国してきたあの阿呆を追い返すという名目で何度か再戦している。国際問題になっていないのはこちらが黙ってあげているからで、あの阿呆はもう少し感謝すべきである。決して手土産で持ってきた刀剣に釣られた訳ではない。
いつしか、父親に振り回されるのを嫌ったラインハルトが非番の日中、父親から隠れるようにどこかに行ってしまうという事が増えた。隠れられてしまえばティルには見つける事は出来ない。かといって、それを辞めさせる事は出来なかった。
父親が嫌なら、ぶちのめして近付いてこないようにしてやると言っても、これ以上関係性を悪くしたくないと拒否された。
そういう意味では、日中を屋敷で過ごせるようにしたフェルトには感謝しているし、状況を動かすきっかけとなったスバルにも感謝している。
1人の親友として、本当に感謝しているのだ。
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戦う前の名乗りというのは、この世界に生きる者にとっては当たり前の流儀だ。善人悪人を問わずに浸透したこの作法は、例え相手が誰であろうと、言葉を解さない魔獣でもなければ行なうものである。
自分がどう名乗るか、規則がある訳ではない。その時、自分に最も相応しい形で名乗るのだ。
「レメンディス家が一の剣士『付き人』ティル・レメンディス。お前たちを殺す」
ティル・ファウゼンは近衛騎士団としての活動、そしてラインハルトの側で余計な詮索を避けるための名。
そして、ティル・レメンディスは純粋に強さを求め、そして超えるべき壁を超えるため、ひたすら剣に打ち込んだ原点。強大な相手を打ち倒すための、剣に半生を捧げた剣士の名である。
背に庇う妹や祖父、祖母、エッゾ、そしてスバル。あるいはフェリスたちその他。
彼女たちを守るため、そのためには目の前の脅威を排除しなければならない。何をしてでも滅すると、その決意の名乗りだ。
片や魔女教大罪司教『強欲』担当。
片や魔女教大罪司教『暴食』担当。
何でも構わない。滅ぼすだけだ。
負ける事など許されないのだから。
こんなに過去描写を挟んで、普通なら勝ち確の流れなのに勝てないレグルスさんというか『強欲の権能』の理不尽さ。
そこまで本編に影響がある訳ではありませんが、ラインハルトちゃんは原作ラインハルト君と違って通常時の気配は一般人レベルです。なので、「逃げよう」でスバルの逃避行についていっていたとしても、名前を変えて髪を染めたりすれば、ギリギリカララギでも一般人として生活出来ます。
次回はしっかりラインハルトちゃんが暴れます。