「どうしたよ兄ちゃん、急にぼーっとして。リンガでも食うか?」
「…………いや、悪いけど俺今無一文」
「なんだよ、冷やかしかよ。シッシッ、商売の邪魔だ。さっさとどっか行きやがれ」
この世界に来てから四度目となる果物屋の店主とのやり取りを経てスバルは足を進める。
目的地は彼女と出会ったあの裏路地だ。何度か訪れる内に場所はもう覚えている。
「ここまで来るとだんだん分かってきたな」
目的の場所に到着するまでの間、スバルは考える。
ループ脱出の手掛かりという意味で前回はかなりの進歩があった。
まず、時間が巻き戻る条件。
薄々そんな気はしていたが、スバルは蔵の中で最後に自分の体が凍っていくのを見た。途中で意識が途切れたが、あれはまず間違いなく死んだ。コールドスリープという言葉があるが、何の加工もせずに人体を凍らせると水分の膨張によって血管や細胞が破壊されてしまうのだ。
つまり、戻る条件はスバルの死。いわゆる死に戻りというものだろう。
そしてループの最後に出てくるあの怪物。依然として正体は分からないが、出現条件は分かったのだ。
その条件とはすなわち銀髪の少女、エミリアの死。
前回、フェリスなる人物を呼びに行くためにかスバルは蔵に放置された。スバルの傷は幸いにもすぐに死ぬようなものではなかったようで、彼女が戻るのを意識がはっきりした状態で待っていた。
その時だった。例の怪物が現れたのだ。
怪物はエミリアの事をリアと呼び、その死をトリガーとして顕在した。スバルが最後に聞いたのは『契約に従い、ボクはこれからこの世界を滅ぼす』という言葉。
その前のいくつかの言葉から考えれば、その契約とやらが果たされるのはエミリアが死んだ時。
「つまり、エミリアちゃんを死なせなければアレも現れず、ハッピーエンドってところか」
ただ口では簡単に言えるが、現実問題そう簡単な話ではない。
まず、エミリアが死ぬ原因はあの黒い外套の女だ。エミリアとあの女の関係は分からないが、どの道殺し殺されるような関係だ。会った瞬間アウトとなるとなれば、目も当てられない。
もしそうならずっとエミリアを見張り続けなければならず、更にはあの女から守らなればならない。
どこにいてどこに立ち寄るかも分からない現状でこれは現実的ではない。
となれば、次の案は待ち伏せ。
このループの特性から言って、同じ事をすれば多少の誤差はあるとしても大まかな出来事は前回や前々回と同じ事が起こる。
例えば裏路地に入ればチンピラに襲われ、チンピラがナイフを出してスバルの命が危なくなると赤髪の彼女が助けてくれる。
ならば、前回エミリアが殺された場所、あの蔵に先回りしていればその現場に立ち会えるかもしれない。
もちろん、スバル一人では太刀打ち出来そうもないので『剣聖』の少女の力を借りる必要があるが、彼女なら恐らくエミリアとついでにスバルを守りながらあの女を撃退する事も難しくないはずだ。
この案が一先ず最良といえるだろう。
「で、まずは第一関門。チンピラ三人組との強制イベントだ」
そして目的の路地に辿り着いたスバルは堂々と足を踏み入れた。
▼△▼△▼△
一度コツを覚えれば後は簡単なもので、スバルは遭遇してすぐにチンピラにナイフを取り出させる事が出来た。
それからは既定路線でスバルは累計三度目となる彼女との邂逅を果たした。
「…………。あなた、私が誰か知っているの?」
この言葉を聞いたのも三度目だ。
最初は知らないと答え、二度目は知っていると答えたが、どちらの場合も彼女は自分を卑下した。
前回の貧民街でのように物を投げつけられるというような経験が過去にもあったのかもしれない。
彼女の過去に何があったのかは分からない。だが、命の恩人で、惚れた相手がそんな風に自分を貶めるのは良い気分ではなかった。
「知ってるさ。ラインハルトさん、だろ?」
「……そう。ごめ――」
「それと! 助けてくれてありがとう。本当に助かった。マジであのままだとブスッといかれてたかもしれねぇから」
スバルは彼女の言葉を遮った。
あのままで何もしなければ、次に出てくるのは彼女自身を卑下する言葉だからだ。それをスバルは言わせたくなかったのだ。
「それとさ、助けてもらった手前で言いにくいんだけど、この後ちょっと付き合ってほしいんだ。あ、もちろん暇っていうか用事がなかったらで良いからさ」
「……私に出来る事なら」
彼女はスバルの言葉に承諾し、二人はすぐに移動を開始した。
まだ金髪の少女もエミリアも通り掛かっていない。あの黒い外套の女がいつ現れるか分からないため、早ければ早いほど良いからだ。
▼△▼△▼△
幸いにも例の蔵の場所を覚えていたスバルは前回よりも一つ隣の細い道を通って蔵の前にたどり着いた。
今回は何か物を投げつけられるような事もなかった。それが普通なはずなのだが、前回の印象が強すぎたため、スバルは胸を撫で下ろした。
「しっかし、ここは普通に入っても良いのか……ピンポンとかないしな」
だが、次なる壁がスバルの前に立ちはだかった。
引きこもりであったスバルには他人の家のインターホンを押すだけでもハードルが高いのだ。それがインターホンすら無いとなれば、立ち止まってしまるのも仕方ないというもの。
「中に一人いる。ノックすれば出てくれるかも」
「なるほどノックね。やべぇ、職員室に入る時以来だ。くっ、在りし日のトラウマが…………いや、男スバル、覚悟を決めろ」
スバルは覚悟を決めて扉を三回ノックした。二回ノックはトイレだとか聞いた事があるからだ。この世界ではどうか分からないが。
『大ネズミに』
すると、中から聞こえてきたのは男の声。
だが、それはただの返事ではなかった。
「え、なに? 暗号か何か?」
『大ネズミに』
スバルはもちろん暗号など知らない。
これはマズい。と嫌な汗が流れる。中にいるのが一人でそれが男なのだから、まだあの女は来ていないのだろう。
だが、もし入れてもらえないとなると、あの女が来るまでこの蔵の外で待たなければならなくなってしまう。
「――毒」
そうしてスバルが焦っていると、彼女が一歩前に出て言った。
『スケルトンに』
「落とし穴」
『我らが貴きドラゴン様に』
「くそったれ」
次々と答えていく彼女。だが、
「クソったれって……女の子がそんな事」
その言葉は如何なものかと。
そんな言葉を使っちゃいけません。とやんわりと注意しようとしたスバルだったが、その瞬間扉が開いた。
「知ってたの? 暗号」
スバルの問いに彼女は首を横に振った。
「なんとなく、こんな気がしたから」
「マジか」
こんな気がしたからで暗号が分かるとは、暗号を作った側からすればたまったものではないだろう。
さらっと中が見えないはずなのに中にいる人間の数が分かっていたりしたのはツッコまない事にした。
そして中から現れたのは二メートルはあろうかという大男だった。
「なっ!? その制服は近衛騎士! 何をしに来た! 誰にこの場所を聞いた!?」
「ちょ、ちょっと待った!」
かなりガタイの良い大男が彼女を睨みつける。
スバルですらかなり見下される形になり、普段ならば足が竦んでいたはずだった。
だが、彼女の顔が曇ったのを見たスバルは無意識の内に彼女を庇うように前に出ていた。
「これには深い事情があるんだよ。だから、な? 落ち着いて話そう。お土産もあるから」
スバルは手に持ったコンビニ袋を掲げて、そう言った。
▼△▼△▼△
渋々といった様子で蔵の中に案内されたスバルはまず四人掛けのテーブルにポテトチップスの袋を開けた。一緒に摘めば仲が良くなるかもしれないという浅い考えからだ。これは効果薄だろうとスバルも理解しているが、無いよりはマシだろう。
「それで? 聞かせてもらおうかの。ここに近衛騎士、それも『剣聖』を連れて来なければならんという深い事情とやらを」
そしてスバルの狙い通り三人が一つのテーブルを囲んだ。スバルと彼女が隣同士となり、正面に大男が座る形だ。
「なんていうか、かなりヤバい奴がこの辺りをうろついてるみたいでな。俺の得た情報によるとここに来る可能性が一番デカい」
「ヤバい奴、じゃと?」
「そ。アンタも知らねぇか? 見た目は全身真っ黒い服装のナイスバディなお姉さんなんだけど」
「いや、知らんな。そもそもヤバいとはなんじゃ」
「殺人鬼だ」
「殺人鬼じゃと!?」
大男がスバルの顔を見て目を見開き、視線を彼女の方へ向ける。
それに釣られてスバルも彼女の顔を見ると、今まで黙っていた彼女が口を開いた。
「嘘は言っていない」
「そりゃ、嘘は言ってないけど、分かるの?」
「騙されたり、したくないから」
「そ、そうなんだ。まぁ、それで、だ」
地雷の臭いがしたため、スバルは話題を切り替える。この話はまた今度、今の問題を解決してからだ。
「とりあえずその殺人鬼が来るまでここに居させてほしい。アンタもそんなヤバい奴が来たら対抗出来る人数は多い方がいいだろ?」
「ふむ。それもそうじゃが……その女というのは『剣聖』をひっ連れて来るほどの化け……」
「はぁい!! ちょっとストップー!!」
大男が化け物という単語を口走りそうになったため、スバルはテーブルを叩いてその言葉を遮る。
そして立ち上がって回り込み、男の耳を引っ張った。
「イタタタ! 一体何をするんじゃ!?」
「いいから聞けよ。女の子に向ってそれはないだろ。ちょっとは言葉遣いに気をつけろよ」
スバルは男の耳元で彼女に聞こえないように小声で言った。
「分かった分かった。儂が悪かったから手を離さんか」
手を離して彼女の隣に戻る。
目の前の男はポテチをうまいうまいと食べており、スバルは周囲を見渡した。
一見、古いバーだと言われれば信じるような造りの中身だが、壁には武器類が飾られており、多数の釘が打ち付けられた棍棒も無造作に置かれている。酒のような瓶や何が入っているのかも分からないような木箱や樽もあり、ここがどういう場所かはいまいちよく分からない。
「て言うかさ、ここ何なの? 物置?」
「物置とは失礼な奴じゃな。まぁ、そうじゃの、洒落た店とでも思っとれば良いわい」
「この埃っぽくて小汚い蔵のどこが洒落てるんだか」
「黙って聞いておれば好き勝手言いおって!」
「まぁまぁ、血圧上がるから落ち着けって」
ここがどういう場所かは分からないが、この目の前の男、というより老人の扱い方はだんだん分かってきた。
「そういやアンタ、名前なんていうんだ? 俺はナツキ・スバル。右と左ぐらいしか分からない無一文。ちなみに喉が乾いてきたところだ」
「さらっと図々しい事を言いおって。儂は周りからはロム爺などと呼ばれておる。お主も好きに呼べば良い。美味い物を食わせてくれた礼にミルクぐらいは出してやるわい」
「おー、太っ腹!」
ロム爺が席を立ち、カウンターの奥でごそごそとした後、白い液体の入ったグラスをスバルと彼女の前に置いた。
さすがに変な物ではないと思いたいが、念の為スバルは彼女よりも先に口を付けた。
「……これ水で薄めてるんじゃねぇだろうな。不味いぞ」
「なんちゅう失礼な奴じゃ……」
続いて彼女も口を付ける。
表情が変わらないのを横目で見つつ、その口が開かれるのを待った。
「…………。ミルク67、水33」
「やっぱ薄めてるじゃねぇか!」
「タダで出してやってるんじゃ。それぐらい我慢せい」
これでも一応善意で出してくれたようなので最後まで飲む。
しばらくして、入り口の扉がノックされ、ロム爺は扉に向かった。
「あの女かもしれねぇから慎重にな?」
「分かっておるわ。安心せい。何の為の合言葉だと思っとる」
それが先程簡単に突破されていたのだが、口には出さない事にした。彼女が例外だったのだろう。
ロム爺は耳を扉に当てて合言葉を言った後、外の様子を探る事もせずに扉を開けた。
「お、おい」
「心配するでない。ちゃんとした知り合いじゃ」
そして入って来たのは金髪の少女だった。
前回エミリアが追い掛けていた、この蔵で血溜まりに沈んでいた少女だ。
「おい、ロム爺。今日は大事な取り引きがあるって言っただろ」
「まぁまぁ、フェルト、そうカッカするでない。こやつらも何やら事情があるようでな」
「事情?」
金髪の少女、フェルトはスバルたちの方へ目を向けると突然「あー!!」と叫び声を上げた。
「テメーは今日の朝ぶつかってきた……!」
その視線が向かっているのはどちらかといえばスバルではなく彼女の方だった。
「あれは、あなたが転びそうだったから……」
「下のテントの所に着地しようとしてたんだよ! てか、なんで屋根の上にいんだよ!」
「……ごめんなさい」
赤髪の少女――ラインハルトはササッと足を動かしてスバルの後ろに隠れ、フェルトの視線を遮った。
「何があったかは知らねぇけど、そんなに怒んなよ。ここは一発俺の顔に免じて握手して仲直りしようぜ」
「顔に免じてって、そういう兄ちゃんは誰だよ」
「ふっ、よくぞ聞いた。俺の名前はナツキ・スバル! 天下――」
「あっそ」
「最後まで聞けよ!?」
「なんじゃ、お主ら知り合いじゃったのか?」
「ちげーよ!」
なんだか気の抜けるようなやり取りだが、堅苦しいよりは良いかと思い直し、スバルはフェルトにも事情を説明するためにテーブルに座った。
▼△▼△▼△
「なるほどな。兄ちゃんの話は大体分かった。けど、アタシも今日は大事な取り引きがある。外で待っててくれよ」
「そう言わずに中にいさせてくれよ。取り引きがあるっていうならその間は隅で小さくなっておくからさ」
フェルトはスバルの提案にあまり良い顔をしなかった。
取り引きの内容は聞いてもはぐらかすため、スバルはどんな取り引きか知らない。チラチラとラインハルトの方を見ている事から、何かやましい取り引きなのかもしれない。近衛騎士という立場らしいし。
「もしかしたらお前を狙ってるのかもしれねぇし、な?」
「ああもう。分かったよ。ただし、兄ちゃんはともかくそっちの騎士さまは取り引きの間見えねー所に隠れてろよ」
「オーケー、オーケー。君もそれでいい?」
スバルの言葉にラインハルトは頷いた。
ようやく話がまとまった。
スバルを一息を付き、天井を見上げた。相変わらず埃っぽい蔵だが、もうすぐここにあの黒い外套が現れるのだ。恐らく、という但し書きが付くが、ほとんど確定と言って良い。
まだ大雪が降っていないので、エミリアは無事なのだろう。
暇な時間が過ぎる。
特にすることがないスバルは
「好きな果物は……」
「爺やが育てたリンガ」
「好きな料理は……」
「婆やが作ったもの、全部」
「趣味は……」
「人気の無い所で何も考えずに過ごす事」
と雑談をしたり、携帯電話を取り出してカメラ機能で様々な写真を撮ったりして時間を潰した。
ラインハルトの驚いた顔を待ち受け画面に設定したのは内緒だ。
そして外から扉が叩かれた。スバルの身体に緊張が走る。
「アタシの客かもしれねー。アンタは奥に隠れてろ」
「本当に大丈夫だろうな? 開けた瞬間ザクッとかやめてくれよ」
前回の記憶が思い出される。
エミリアの身体から噴き出す赤い血。床に広がる血。
思わず身体を震わせるスバルを余所に、ラインハルトも扉の横まで足を進めた。
「隠れとけっつったろーが」
「私は加護で気配を消せるから。あなたの取引相手ならずっと黙っておく」
「……ぜってー動かずに口も出すなよ」
フェルトが恐る恐る扉を開ける。
すでに夕暮れに差し掛かっており、夕日が差し込んでくる。
そして現れたのは、
「やっと見つけたわ。もういいでしょう? 徽章を返して。あれは大切な物なの」
銀髪の少女、エミリアだった。
「こんな所まで追ってきたのかよ……」
「他の物なら諦めもつくけど、あれだけはだめ。早く返して」
エミリアは手のひらをフェルトに向けて鋭い目つきで周囲に氷の塊を出現させた。この世界に来て初めて見たそれっぽい魔法。
気配を消すのは地味だからノーカウントだ。
「エミリア様?」
「え、ラインハルト? どうしてここに……?」
エミリアがラインハルトに気付くと氷塊は消失した。
「徽章って……」
「それは、違うの。えっと、違くはないんだけど、その、ね」
鋭かった目つきは先程よりも柔らかくなっていた。
美少女二人が仲良さげにしているのを見るのは和むが、今はほのぼのとしている場合ではない。エミリアがここに来たという事はあの殺人鬼が現れる条件は揃ったようなものだ。
どこから来るのか。普通に考えて入り口からか。
と、目を凝らしていたスバルは見た。
エミリアが入って来た扉から黒い影が入ってくるところを。
「ッ! 避けろ!」
反射的にスバルは叫んでいた。
「きゃっ」
そんな声が隣から聞こえた。その方向を見ると、扉のすぐ近くにいたはずのラインハルトがエミリアを抱えて立っていた。
「あら、避けられてしまったわね」
そして彼女たちがいた場所には夕日を背に黒い外套の女が立っている。
「おい、どーいう事だよ!」
フェルトが女に向って叫んだ。
予想はしていた事だが、フェルトの取り引き相手とやらがあの女だったのだろう。
「徽章を買い取るってのがアンタの目的だったはず、話が違うじゃねーか!」
「持ち主がいるのに取り引きなんてとてもとても。残念ながらあなたは仕事を全う出来なかった。所詮は貧民街の子供ね」
「テメー……!」
フェルトは顔を歪めながら腰の後ろに提げた短剣の柄に手を伸ばした。だが、剣を抜くよりも早くラインハルトが前に出た。
「腸狩り」
「なんだ、その物騒な名前は……まぁ、いいか。あいつだ、殺人鬼」
普通に喋っていたら頼りない感じだが、さすがは『剣聖』といったところだろう。不思議と彼女が負けるビジョンは浮かばない。
もとより前回、彼女があの女を殴り飛ばした瞬間を見たのだ。負ける事はないだろう。もし負けるような事からあればスバルにはもう手の打ちようがない。
「あらあらあら。なんて事かしら。面白味のない仕事だと思っていたけれど、まさかこんな楽しみが待っていたなんて」
くの字に曲がった黒いナイフ――いわゆるククリナイフを手に腸狩りは舐め回すような視線を上から下へ、そしてラインハルトへ固定される。
ラインハルトは背中の剣の柄に手を置いたが、鞘から抜く事はせずに手を離した。
「あなた、『剣聖』でしょう。その剣は抜かないのかしら? 伝説の切れ味、味わってみたいのだけれど」
「必要ない。そう判断された」
「安く見られたものね」
「…………」
腸狩りは姿勢を低くし、真っ直ぐに飛び出した。弾丸の如きスピードで凶器を振りかざしながらだ。
それに対してラインハルトは無手。どちらが有利かなど子供でも分かる。
だが、次の瞬間吹き飛んだのは腸狩り。
僅かにラインハルトの片足が上がっているところから見るに、蹴ったのだろう。スバルには全く見えなかったが。
「噂通り、いえ、噂以上なのね、あなた」
「…………」
話に付き合う気は無いのか、ラインハルトは腸狩りの言葉を無視して足下を見た。
そこには今の衝撃で壁から落ちてきた一振りの剣があった。それを拾い上げ、握りを確かめるように柄に手を添え、再び視線を戻す。
「無視だなんて酷いわ。でも、素敵。楽しませてちょうだいね」
腸狩りが跳躍し、天井で跳ね返るようにラインハルトへ向かう。
本来一撃必殺の斬撃を剣一本で防がれた腸狩りは再び跳躍、壁に足を掛け、更に跳躍して別の壁へ。
まるで狭い室内でスーパーボールが跳ね回るように重力を無視しているかの如く縦横無尽に駆け回り、一撃離脱の戦法で火花を散らしていく。
スバルにはかろうじてその軌道が目で追えるぐらいで、それはまさしく人外同士の戦いだった。
「ねえ。あなた、あの子とどういう関係なの」
邪魔にならないようにとカウンターの中に移動していたスバルは隣から話し掛けられた。
「どういう関係って言われても、難しいな」
声の主はエミリアだ。その目は今も火花を散らす攻防を繰り広げているラインハルトに向けられている。
「昔からの知り合いなの?」
「いや、今日会ったばっかり」
「嘘……」
エミリアは目を見開いた。
それほど驚く事だったのか、金属音の中心からスバルへ視線を移した。
「そんなに驚く事?」
「驚きもするわよ。あの子、人の嫌な感情が分かるからって滅多に他人と関わろうとしないのに。今日初めて会っただなんて」
確かに、言葉の節々で他人を拒絶するような感情は読み取れたが、スバルには意外にあっさりと付き合ってくれた。
人の嫌な感情が分かる。これまでも知らないはずの合言葉が分かったり、ミルクの中の水の割合が分かったりと様々な事を当ててきた彼女だ。きっとそれも嘘ではないのだろう。
「いやちょっと待った。て事は俺の感情もまさかバレバレ……?」
となれば、スバルの感情が筒抜けだったという可能性も十分に考えられた。
急に恥ずかしくなるのを誤魔化すため、スバルは戦いの中心に意識を戻す。そこでは未だ縦横無尽に駆け回る腸狩りと地に足をつけて剣一本で攻撃を全て防ぎ切るラインハルトがいる。
状況は膠着で、ずっと同じような場面が繰り返されている。
「どうすんだよ、ロム爺。このままだとここめちゃくちゃになるぞ」
「そうは言ってもあんな戦いには手が出せん」
そんな二人の会話を横目にスバルはラインハルトの事をよく知っているであろうエミリアに問い掛けた。
「やられそうって感じじゃねぇけど、もしかして決め手が無いのか?」
「あの子が本気になれば、あれぐらいの相手どうって事もないはず……」
本気。それがどれ程のものかは分からないが、腸狩りを倒すだけの力はある。
ならば、何故その力を使わないのか。そう思った瞬間、目が合った。
「……っ」
その目に宿っていたのは闘気などではなく不安そのもの。
まるでどこか見知らぬ街で親とはぐれた子供のような目に、スバルは気が付いた。
「きっと、本気を出してあなたが持っている感情が変わるのを怖がっているの。一度信頼した人に裏切られるのは、つらい事だから」
全てをエミリアの言葉が代弁する。
思えば初めての時、高台から落下したスバルを助けてくれたラインハルトの顔も同じだった。
だったら、もう答えは決まっている。
「俺は、どんな事があっても絶対に君から離れたりしない! たとえ隕石を降らせたり、口から火を吹いたりしても絶対にだ!」
その瞬間、彼女は力強く頷いた。
「口から火を吹くって、魔獣じゃないんだから」
「ほんの例えじゃん!? まさかツッコミが来るとは思わなかったんだけども」
そんなやり取りの向こうで、場面は動く。
「やっとやる気になったという訳ね」
「教えてあげる」
今まで無言を貫いていたラインハルトが腸狩りの言葉に答え、剣を握り直した。
「一体何を教えてくれるのかしら?」
「――『剣聖』を敵に回すという事。その意味を」
腸狩りは口角を上げ、二本のククリナイフを構える。
「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」
「……『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア」
それは決闘前の名乗り合い。
決して誇り高い戦いではないだろう。だが、殺人鬼にも殺人鬼なりの作法があるのか、ラインハルトも答える。
そしてその瞬間、スバルは空間が歪むような錯覚に襲われた。
空間を支配するのは圧倒的な剣気。素人のスバルにも分かるほど濃密なそれが、ラインハルトから溢れていた。
両者が動いたのは同時。
だが、どちらが勝ったかなど議論にすらならない。
ラインハルトが剣を振り下ろした刹那で発生した極光が視界を塗り潰したのだから。
▼△▼△▼△
視界が戻った時、何より変わっていたのは蔵の姿だった。
おおよそ立方体の蔵の面が二つほどなくなっている。無事な面も装飾がボロボロになっており、台風が通り過ぎた後のようだ。
「なんだ、これ。バケ――」
「はいストーップ!!」
化け物という言葉を口走りそうになったフェルトの口を手で塞ぐ。
「何すんだよ!」
「あの子がいなかったらお前だって殺されてたかもしれねぇんだからな? 素直に感謝しなさい」
「分かったから、離せ」
フェルトに手を振り払われ、スバルは蔵だった場所の真ん中で立ち尽くすラインハルトを見た。
彼女の手の中にあった剣は今の一撃に耐えられなかったのか崩れて灰になり、彼女は天を見上げていた。既に夕日は沈み、月が輝いている。
「月が綺麗ですね……なんちゃって。どうかした?」
「さっきのを見て、どう思った? 怖いと、思わなかった?」
さっきの、とはあの一撃の事だろう。
正直言ってアレが剣を振っただけの威力かとツッコみたくなる程のものだった。だが、能力がイコールその人間という訳では決してない。
「凄かったよ。一瞬、この世の終わりかと思ったぐらい。でも、どんな力があったとしても君は君だ。それで気持ちが変わったりしない」
結局、力は所詮道具と同じなのだ。扱う人間によって評価もどうにでも変わる。包丁だって一流の職人が持てば芸術を創り出し、通り魔が持てば死体が作り出される。
彼女なら、例えどんな力を持っていたとしてもスバルの気持ちが変わる事はないだろう。
「私にそんな感情を向けるなんて、本当に珍しい人」
「おうともよ。なんたって俺はナンバーワンよりオンリーワンを目指してるんだから」
「ラインハルト」
「え?」
「君、じゃ分からないから。ラインハルト、そう呼んで」
一度目の世界で男っぽい名前だと気にしていると思ったからあえて呼ぶのを避けていたのだが、どうやら思い過ごしだったらしい。
「ああ、いいぜ。何度だって呼んでやる」
この世界に来てから初めての夜。
重ねた死は都合三度。
右も左も分からない状態から、ようやくここまでたどり着いた。長いような短いような、そんな時間だった。
苦労もしたし、痛い思いだってした。
けれど。
この瞬間を迎えるためなら安いものだったかもしれない。
月明かりに照らされた少女の笑顔を見て、スバルはそう思うのだった。