胡蝶姉妹のお話を書きたかったんです……。
真菰ちゃんが最強だけど、鬼滅女子はみんな可愛いですよね。
────ぷつん。
と、音がして。
何も感じなくなった。
何もかもがどうでもよくなった。
お腹がすいた。辛い。
頬をぶたれた。痛い。
首を絞められた。苦しい。
誰も助けてくれない。寂しい。
また一人兄弟が死んだ。悲しい。
人が生きていれば当たり前に感じることのできる些細な感情も、その全てを感じることができなくなった自分は、果たして人足り得るのだろうか。意思の無いただ呼吸をするだけの人形にすぎないのだろうか。そもそも人形程度の価値すらないかもしれない。薄汚い衣類を纏った蚤だらけの身体と髪。汚物そのもの。生きる価値なんてない。意味なんてない。私は何のために生まれてきたのか。そんなことを考えるのも億劫になって、全部を投げ出した。
何も感じなければ、いっそ楽になった。
私以外の兄弟はみんな死んだ。どうでもいい。
私はガラの悪い男に売られることになった。どうでもいい。
胴に縄をキツく巻かれて引きずるかのように連れていかれる。どうでもいい。
人の往来が盛んな街を見世物のようにして歩く。どうでもいい。
みんな私を塵芥を見るかのような冷たい眼で見てくる。どうでもいい。
誰も私を助けようともしない。どうでもいい。
どうでもいい。
どうとでもなってしまえ。
元より感情などとうの昔に捨てた身だ。今更どんな辱めを受けようが、見窄らしい姿で醜態を晒そうが、何も思うことはないし、何も感じない。
本当にどうでもいい人生だった。
「どうしてその子は縄で繋がれているのかな?」
────彼に出逢うまでは。
『滅』の文字を背負う詰襟に細身の袴、何よりも目に付いたのは薄桃色の桜の花弁の刺繍が散りばめられた腰丈の漆黒の外套。それに隠れた刀。薄い桜色の長髪を頭の上で結び肩へと流していて、パッと見女性ではないかと紛うほどの中性的な顔立ちの青年が、眉を八の字にしながら私と人売りの男性を凝視していた。
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見るに堪えない酷い絵面だったので、思わず声をかけてしまった。
汚れだらけ蚤だらけの子供を小汚い縄で繋ぎ、傷だらけの素足で地面を歩かせる。男は子供の方を見遣りもせず、ただ自分の歩幅で歩いて引きずるかのように連れていく。
あんまりだ。
「どうしてその子は縄で繋がれているのかな?」
人売りの男と縄をかけられた子供が舗装された橋の中ほどで立ち止まった。その背後から駆け寄った青年は、あからさまに嫌悪感を顏に浮かべながら男に問うた。
冷やかしだと思ったのだろう、苛立ちを表情に浮かべながら塵芥を見るかのような眼で子供を睨めつけた。次いで、青年を鋭い眼光で睨みつける。荒事で生計を立てているかのような面をしていたから、多分自分が強面だということを理解しての脅しなのだろうと青年は分析する。
「見たら分かるだろ。蚤だらけで汚いからだよ。それに逃げるかもしれねぇ」
「僕はそうは思わないけど。手足も細いし、立っているのがやっと。多分極度の飢餓状態。栄養失調、脱水症状の恐れもあるよ。うん、不本意ながら初めてあの癇癪義妹の教えが役に立ったかもしれない」
「だからどうしたってんだよ。所詮、売り物だろ。親に捨てられたんだよコイツは。名前もねぇし、生きる価値もねぇ」
「…………」
当の子供は虚ろげな双眸で遥か遠くをぼんやりと眺めている。
青年は子供の前で膝をつき、目線を合わせた。
「はじめまして。僕は
真桜──そう名乗った青年は穏やかな春の陽射しの木漏れ日のような優しい笑顔を浮かべ、子供の汚れだらけの小さな掌を自分のもので包み込んだ。
子供はなんの感情の起伏も無く真桜を瞳に映す。
硝子細工のような透き通った綺麗な瞳なのに、この世の終わりを見てきたかのような濁りが混ざった光無い瞳を、真桜は髪の色と同じ桜色の双眸でじっと見つめた。
「おい、もういいだろ」
「うん。うん。そうだね。辛かったね」
無言の子供に語りかける真桜。表情が死んだ子供の言わんとしていること、自ら殺した心の内を汲み取るかのように頷き、相槌を打ちながら、蚤だらけの髪の毛をくしゃくしゃと撫で回す。
────今まで、大人に頭を触れられるのなんて、殴られるか叩かれるしかなかったのに。
「何一人で喋ってやがる。買わねぇならどっか行け」
顬に青筋を作って真桜を睨みつける男だったが、静謐でどこか神秘的な桜色の双眸に射貫かれ、脊髄に寒気が迸った。一歩後ずさる男に、真桜は懐から財布を取り出し、持ち合わせの金をその大層ガラの悪い面に思いっ切り叩き付けた。
「これで足りるでしょう?」
咄嗟の出来事に反応できなかった男は、橋に散らばる金を見るや、血相を変えて這いつくばり、周囲の冷ややかな視線など気にも留めず一心不乱に金を集める。ありったけの侮蔑を込めた眼で見遣り、子供の手を引いて歩き出す。
「さあ行こう。君はどこまでだって歩いて行ける。だって自由なんだから」
「……」
繋がれた左手の薬指には銀に輝く指輪がはめられている。
繋がれた確かな温もりが、右手を伝って全身へと駆け巡る。
初めての感覚に戸惑う子供を、真桜はどこまでも慈悲深い微笑みで見遣り、握る手にほんの少しだけ力を込めた。
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「まさか女の子だったとは」
目の前で男用の着物を身に纏った子供──もとい少女。
自宅に帰るや、とにかく汚かったのですぐさまお風呂にぶち込んだ。その際に女の子だということが判明。男の真桜に裸を見られても無反応の少女に将来が心配になったが、凡そ彼女がどのような人生を歩んできたのかは察しがつくので、まあこれから次第だよなと自らを納得させた。
身体を綺麗に洗い流したら、傷口の治療。義妹から大量に貰った消毒液やら傷薬やらで素早く治療を施していく。慣れた手つきは日々の鬼殺の、それから小姑みたく五月蝿い義妹のおかげだなと苦笑する。
「はい、できた。せっかく可愛いんだから、傷は残さないようにしなくちゃね」
「………」
真桜は座布団の上にちょこんと正座する少女の頭をくしゃくしゃと撫でた。
汚れを落とし、普段からやり慣れた女性の髪の毛の手入れを行い、この辺りで少女の素材の良さを完璧に理解したので、調子に乗って化粧もしてあげる。蚤まみれで小汚かった少女はどこへやら、見事に美少女に化けた女の子が爆誕したのだった。
「しっかし困ったな。この子、自分では何も決められないのか」
そう、少女は真桜に言われたこと以外は自発的に行動しない。ご飯を食べる時も、厠へ行く時も、真桜に促されるまで決して動かない。これは困った。
人生は判断の連続だ。選択の連続だ。今後、真桜は常に少女の傍にいてやることは出来ない。一人で生きていかねばならない時が来る。必ず。
「まあいっか、そんなに深く考えなくても」
だって君は可愛いんだもの。
「可愛いは正義っ!ってね。………あ」
どこかで聞き覚えのある台詞を呟いて気づく。
『あの人たち』がこの光景を見てどう思うか。
人売りから少女を買い取り、家に連れ込み、衣服をひん剥き一緒にお風呂に入った。自分の着物を着せて、一緒にご飯も食べて、同じ部屋で寝ようとしている────。
「…………………、一先ず連絡からかな」
棚から紙と筆を取り出し、簡素な手紙を綴る。すぐさま鴉に手紙を預けて宛先へと飛ばす。
次いで、脱ぎ捨てた羽織に袖を通し、少女を抱き上げる。
「行こう。取り敢えずは弁明からだな………」
「…………」
尚も反応を示さない少女の頭を撫でてやり家を出る。
直後、風のようにかけ出す真桜。
どこか心地よい浮遊感と、激流のように後方に流れていく視界。振り落とされないように、少女は真桜にひしりとしがみついた。
────温かい。
春の陽射しのような柔らかな温もり。
心地いい。ずっとこうしていたいと思うほどの。
そんな少女の心中を知ってか知らずか、真桜はもう一段、少女を抱きしめる腕の力を強めた。
感情の無かった子が感情を取り戻し、心をくれた人に恋をするも、その人とは絶対に結ばれることは無い的なお話が好きです。
息抜きに書いたんですけど、好評だったら続くかも。
もう1つの作品「大正の空に轟け」もよろしくです。