「カナエさんは本当に不思議な人ですよ」
「はふぇ?」
隣で蕎麦をすするカナエさんを眺めながら、僕も目の前の蕎麦を口に運んだ。カナエさんはかけ蕎麦。僕はざる蕎麦。つゆにサッとくぐらせ口に含むと、太めの手打ち麺の強いコシと蕎麦の香り、つゆの風味が絶妙に混ざり合い、するすると喉に通っていく。もちもちぷりぷりなのは、茹でたての麺を冷水にかけて一気に冷やしているからだとか何とか。詳しくは知らない。とにかく美味しい。
「不思議って?」
口に含んだ麺を咀嚼して呑み込んだカナエさんは、可愛らしく小首を傾げる。
そもそも、なぜカナエさんと蕎麦を食べているのか。
それは先日の十二鬼月戦の後、カナエさんから執拗くお礼とご飯のお誘いの手紙が鴉を通じて送られ続けてきたからだ。僕は『柱』だから、普段は多忙を極めている。たまの休みは一人でのんびり庭先に咲いている花を眺めながら玉露で喉を潤すのが常。
いつもの如く縁側から外の景色を眺めていると、どこから僕の屋敷の場所を嗅ぎつけたのか、カナエさんがひょっこりと姿を現した。聞けば、ありとあらゆる人脈を駆使してようやく探し当てたのだとか。
ここまでして僕なんかと「仲良くなりたい」と言う彼女の真意が知りたくて、一度きりと決めてお誘いに乗った次第だ。
「僕と仲良くなりたいだなんて。鬼と仲良くなりたいと言ってるようなものです」
「えっ、真桜くんどうして私の目標を知ってるの?」
「えっ」
「んんんっ?」
冗談のつもりで言ったのに。
まさかのカミングアウトに、僕は呆気に取られて言葉を失った。
鬼と仲良くなりたいだなんて、はっきり言って異常だ。
「鬼と……仲良くなりたいんですか?」
「ん〜、正確に言うと『人を救いたい』のと同じように『鬼も救いたい』……かしら」
それから、カナエさんの身の上話を聞いた。
父と母、妹と四人で幸せに暮らしていたこと。
その幸せが、鬼によって奪われたこと。
鬼に殺される寸前、悲鳴嶼に救われたこと。
妹と共に鬼殺隊に入隊したこと。
人と鬼を救うために日夜鬼殺励んでいること。
最近、カナエさんの強い要望によって、医療施設と研究室を兼ねた蝶屋敷を開設してもらったこと。これはお館様がカナエさんとカナエさんの妹の医学薬学に対する深い知識を認めてのことらしい。
遠い過去の愛おしい思い出達を反芻しながら、家族のことを面白おかしく話している時のカナエさんは、どこまでも柔らかで優しい表情をしていた。僕はそれに見蕩れてしまって、どこか心地良さを感じている自分に戸惑った。
「鬼は元々私たちと同じ人間。人でありながら、人を喰らわなければ生きていけない可哀想な生き物……。私はそんな彼らを、殺戮の因果から解放してあげたい。鬼によって幸せを奪われる人が……私たち姉妹と同じ思いを他の人にさせないために、私は刃を振るうと決めたの。悲劇の連鎖を断ち斬るために」
そう、強く言い切ったカナエさんの菫色の双眸には一片の陰りも無く、愚直なまでに己の信じた道を歩んで行く比類なき力強さを感じた。
きっと、他の誰にも理解されない思想だろう。
鬼殺隊を構成する隊員のほとんどが鬼によって何かを奪われた者たち。僕もまたその手合いの剣士だ。僕たちは復讐を糧に刃を振るう。大切なものを奪った鬼を一匹残さず殲滅するために。
慈悲を持って鬼に接する人間なんて、カナエさんくらいだ。
僕が言えた義理ではないけど、カナエさんも鬼殺隊内では浮いている方だ。
「……って、私のことはどうでもいいのっ。今日は真桜くんのことをいっぱい知れたらなって思って」
「……カナエさん」
「どうかした?」
僕はカナエさんに向き直り、透き通るような菫色の双眸を見つめた。ここに来て、ようやくカナエさんと正面から向き合った。艶やかな濡羽色の長髪を彩る蝶の髪飾りも、蝶を模した鮮やかな羽織も、一見すると風変わりだが、どれのこれも彼女の凛とした美しさを引き立てる装飾に相応しい。
「僕は多分、一生かかってもあなたの考えを理解できないと思うんです」
僕は鬼によって全てを奪われた人間だ。生まれてきたことを後悔するぐらいの苦痛を与えながら嬲り殺しにしてやりたいとすら思っている。間違ってもカナエさんの思想に賛成し、鬼に慈悲を与えるようなことはしないだろう。
ほんの少しだけ、菫色の瞳が悲しげに揺れた。
「でも、僕はあなたをもっと知りたい」
未知────。
僕が彼女に抱いた感情。
自分とは対極に位置するカナエさんをもっと知りたい。
僕なんかと仲良くなりたいと言うカナエさんのことをもっと知りたい。
「カナエさんが僕を認めてくれるなら、カナエさんが許してくれるなら、こうしてまたお話してもいいですか」
「認める……?許す……?」
意味深な言葉に首を傾げるカナエさんに、僕は告げる。
「僕は昔、自分の住んでいた村の住人凡そ百人を皆殺しにしたんです」
────桜の足下には数多の死体が埋まっているということを。
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真桜が半ば強引に人売りから買い取った少女────改め、栗花落カナヲ。名前はカナエが考え、苗字はカナヲ自身が複数の候補の中から選んで決定した。
「ねえ本当にそれでいいの!?本当に栗花落でいいの!?」
「今からでも遅くはないわ!胡蝶に変えてもいいのよ!?」
一人っ子だったため妹が欲しかったアオイと、次女のしのぶはどうにかしてカナヲを妹にしようと両脇を固め、自身の苗字が書かれた紙を見せつけながら騒ぎ立てている。板挟みにされたカナヲは表情こそ起伏は無いものの、困惑している様子が伺える。
往生際が悪い二人を遠目に眺めながら苦笑する真桜の隣に、先程までカナヲを膝に乗せて愛でていたカナエが寄り添うように座った。
「本当、びっくりしたのよ?私というものがありながら、他の女性に目移りしたんじゃないかって……心配した」
「すいませんカナエさん。あの子がちょっと……『重なって』しまって」
「それはわかるけど、真桜くんは私の旦那様だってことをもっと自覚してほしいわっ」
真桜はあまりにも自由気ままだ。風に揺られて何処までも運ばれる桜の花弁のように。
笑ってしまう程強い真桜だけれど、その生き様はどこか儚げで、気づかないうちに消えてしまうのではないか。自分の手の届かない遥か遠くに行ってしまうのではないかと怖くなる。
そんなカナエの心中を察してか、上品に膝の上で組まれた手を優しく握る。
「僕がカナエさん一筋だってことは、カナエさんが一番分かってくれてるでしょう?」
「それでも心配なのは心配なんですー。真桜くん、よく男の人から声掛けられてるし……もし道を違えてそっちの気が生まれてしまったら……私……立ち直れない……っ!」
天地がひっくり返っても有り得ない未来に不安を抱くカナエをジト目でねめつけ、大きく息を吐き出す。
「……それに、心配しなくても僕は居なくなったりしないですよ。養う人が増えましたしね」
尚もしのぶとアオイに揉みくちゃにされるカナヲを見つめながら、遠くの空でも眺めるかのように目を細める真桜。その表情はどこか切なげで。
それに気づいたカナエは、真桜の薄桜色の髪を指先で弄りながらほほ笑みかける。
「真桜くん、ああは言ったけど、私嬉しかったのよ?他人になかなか興味を示さないあなたが、見ず知らずの女の子をこうして救ったこと」
「世話焼きでお節介でお人好しがすぎる妻の影響ですよ」
「あ〜!馬鹿にして〜!」
真桜は、カナエのこの笑顔が大好きだ。
ふんわりと目尻の下がった大きな瞳。ゆったりと持ち上げられる口角。一輪の花のような美しい笑顔が。
昔からこうだった。カナエだけは、真桜の話を正面から受け止めてくれた。大半の隊士が真桜と距離を置く中、彼女だけは変わらず接してくれた。
よく笑い、よく怒り、よく悲しむ。喜怒哀楽を全身で表現して、裏表の無い純粋な心の持ち主。
掲げた理想を掴み取る為の努力は惜しまず、常に何事にも全力投球。
真桜にとってカナエは太陽のように眩しい存在だ。
本当に不思議な人だ。
手のひらから伝わる確かな温もりを感じながら、真桜は口の端を持ち上げた。