ちょっと駆け足です。
「どうした真桜!お前の力はその程度かッ!」
息付く間もなく繰り出される拳打の嵐。その全てが正確無比。一撃でも喰らえば致命傷は避けられない。
だが、疾く鋭く、それでいて優雅に美しく踊る桜色の日輪刀が猗窩座の繰り出す拳を捌いていく。
刀と拳が幾度となくぶつかり合い、激しい撃ち合いによって巻き起こる拳圧と刃風が二人の周囲に吹き荒れる。
「気配か何かを感知する血鬼術なのかな?さっきから猗窩座くん、反応速度がはやすぎるんだけど」
「随分と余裕そうだなッ!」
練り上げた戦闘術を淡々と捌いていく真桜に微かな怒りと高揚感を覚え、猗窩座は口の端を持ち上げる。
眼前で刃振るう男は正真正銘の強者。春に咲き誇る桜の如き超絶剣技はもはや芸術の域。敵ながら惚れ惚れするほどの。
しかし、まだ真桜も猗窩座も底を見せていない。この程度の剣戟など些細な小競り合いに過ぎない。
「破壊殺────!」
「……!」
このままでは人間である真桜の体力が尽きるまでの千日手。それではなんの面白味もないだろう。
故に仕掛ける。変化を求めて。更なる苛烈な撃ち合いを求めて。さあ、本気を出せと。
猗窩座の闘気が上昇する。その拳に、身体に、力が籠る。
それに応じるように真桜も呼吸を深化させ、身体能力を更に高める。
「────『空式』!!」
空高く跳んだ猗窩座から放たれる拳打の雨。打ち出された拳は衝撃波となり流星の如く大地に降り注ぐ。
迫る拳撃。
けれども真桜は刹那に満たない微かな時の中で瞬時に刀を振り抜いた。
桜の呼吸 弐ノ型『八重桜』
繰り出される八連斬撃。折り重なった桜の斬撃が拳打の流星群を斬って落とす。そこに生まれた僅かな隙間に潜り込み、猗窩座へと肉薄する。
虚空で拳を打ち出せば衝撃波が生まれ、距離が開いているはずの此方までインパクトが届く。このまま距離を取られて戦っていては頸を斬ることはおろか、傷を負わせることも難しいだろう。
「桜の呼吸────」
間合いを消し飛ばして接近する真桜。着地した猗窩座は拳を振り上げて迎撃体勢を整える。
「────参ノ型『
猗窩座の視界に突如として現れた夜桜が、燈に照らされてうっすらとぼやけて霞む。蜃気楼のように真桜の姿が虚空で揺らめき、その身体を象っていた輪郭が霧散。真桜が猗窩座の視界から跡形もなく完全に消え去る。
(消えた────!?)
直後、背後より感じる微かな闘気。咄嗟に振り向き裏拳を振るうと、まさに今頸を斬り落とさんとする真桜の刃と衝突。弾かれた双方は共に驚いたかのように互いを見つめる。
「今のにも反応するのか……」
「姿が消えた……?」
あたかも瞬間移動をしたかのように姿を消した真桜。参ノ型は幻惑の型。人は皆、美しい光景を前にすれば呼吸をも忘れ見蕩れてしまう。真桜の剣技と歩法は流麗の極地に至る超絶美技。視線、意識、呼吸を掌握し、一瞬だけ意識の裏側へと潜り込んだのだ。
対して猗窩座。
『破壊殺・羅針』は足下に展開された陣に侵入した敵の闘気に反応し、動きを読み取るというもの。これにより不可避に思われた不可視の斬撃を即座に感知し対応することができたのだ。
ただ、『破壊殺・羅針』は闘気に反応するだけ。真桜の流れるような絶剣技を捌き封殺しているのは猗窩座自身の高い戦闘能力があってのもの。
実力の拮抗する両雄が織り成す超高次元の剣戟。
「僕は不思議でしょうがないよ猗窩座くん」
距離を取り、大きく息を吐き出した真桜は刀を鞘に収め、心底不思議そうな顔で猗窩座を見遣る。
憐憫の情を感じさせる憐れみの眼差しを向けられた猗窩座は不快感を覚え、短く舌打ちをした。
「それほどの拳闘術……。武術の神域に踏み込んでいると言っても過言ではないよ」
「………」
「これ以上の強さを求める理由が解らない。君は何の為に戦っているの?何で鬼になったの?どうしてそこまで強くなりたいと思っているのかな?」
「────俺、は。俺が強さを……求めるのは……………」
────脳髄がすり潰されるような、頭蓋の中で不協和音が反響するかのような、これまでに感じたことの無い不快感が猗窩座に襲い掛かる。
『狛治さん』
声が響く。
頭の中で何度も。
何度も。
誰の声だ。
知らない。
「っぐ………!俺は……俺は強くなる!!誰よりも!!強くなるのに理由など要らない!」
不快感を振り払うかのように頭を振った猗窩座は咆哮する。
「そっか……。うん。ますます君とは馬が合わない。どこか……『愛しい人』の為に戦っているように……思えたんだけどな」
真桜が強さを求めるのは愛する人を守る為だ。
猗窩座が強さを求めるのは強くなる為だ。
強くなって、どこまでも強くなって、誰よりも強くなって。
強くなって。強く、なって。
『────私と夫婦になってくれませんか』
強くなって。
貴方を──────。
────猗窩座猗窩座猗窩座。
遥か遠い過去の、大切だったはずの何かが猗窩座に呼びかけるも、無惨の声がそれを遮る。
「猗窩座くん。君は言ったね。僕のことを強者だと。それは少し違うよ」
我に返った猗窩座は真桜を見遣る。
夜風に靡いた薄桜色の長髪がひらりとはためく。
「確かに僕は他人よりもちょっとだけ強い自負はあるよ。だけど僕はただ、守りたい人の為に『強く在ろうとしている』だけだ」
カナエを。しのぶを。カナヲを。
この身一つ、一振の刀で万人をすべからく救うことなどできない。
どれだけ真桜が血反吐を吐いて鬼を狩ろうとも、真桜の守ろうとした人の何割かはこの手の指の間からすり抜けていく。
全てを救うなどそれこそ夢物語だ。幻想だ。
だからこそ、この手の届く範囲の人だけでも。
数えれる程度の人数だけでも。
守ってみせると誓った。
「強さこそが全てだと思っている君とは分かり合えないね」
諦念の表情を浮かべ、左手を鞘に添える。
「愛する何かがあってこそ、人は初めて強くなれるんだ。強くなれる理由を知るんだ。守りたいと。救いたいと思うほどに」
「守る……?救う……?くだらない妄言を吐き散らかすな……ッ!」
激昴する猗窩座。再び足下に術式を展開させ、その全身に視覚的にも見て分かる程の膨大なエネルギーが蓄積されていく。
────『終式・青銀乱残光』
夜空に咲き爆ぜる花火か、大地を鳴動させる爆発か。
猗窩座を中心に放たれる凡そ百発の乱れ打ち。
超広範囲全方位に及ぶその衝撃はそびえる大木を穿ち、地形を変化させるほどの超威力。
さしもの真桜でも全ての回避は不可能──────
「────桜の呼吸 壱ノ型」
猗窩座が衝撃波を放つその刹那、刀の柄を強く握りしめた真桜の右頬に、桜の花弁を模した深い紅色の『痣』が浮かび上がる。
親指で鍔を押し上げる。ほんの少し覗いた刀身は普段の薄桜色の刃では無く。
「『
唯一無二の刀色を、紅蓮に燃ゆる赫に染めて。
透き通る世界の中を駆け抜けて。
自身の持つ最高精度の技を花見でもしながら歩いているかのような涼しい顔で斬り落としながら、一瞬にして距離を詰めてくる真桜に猗窩座の本能が恐怖に支配される。
被る。重なる。遠い記憶の中の誰かに。
だが、これは自分のものでは無い。
もっと奥深くにある、そう────無惨の記憶の中の。
(死──────)
赫色の刀身が桜を纏いて迫る、迫る、迫る。
「これが至高の領域だよ」
猗窩座の耳元で囁いて────べべん、と。音がして。
果たして、真桜の抜刀術は猗窩座を捉えることはなく、虚空を斬り裂いた。
「……猗窩座くんが消えた……?」
突如として鳴り響いた場違いな琵琶の音色の後、猗窩座の姿が跡形もなく消え失せた。
「さっきの琵琶……あれも血鬼術かな」
取り逃がした────そう思った頃にはもう遅い。
あと一歩のところで上弦の参を殺すことが出来なかったのだ。
つう、と頬が裂けて血が吹き出る。
捌き損ねた猗窩座の衝撃波が身体の至る所に傷を作っていた。
「真桜くんッッッ!!!」
不意に名を呼ばれ振り返ると、顔を真っ青にしながら駆け寄ってくるカナエの姿が。
「上弦の……上弦の鬼と戦闘してたって……聞いて………!」
「カナエさん……来てくれたんですね。嬉しい。でも大丈夫ですよ。上弦の参はどっか行っちゃいました」
「た、倒したの……?」
「頸を斬る直前に逃げられました。あと一歩だったんですけどねぇ」
あはは、と世間話をするかのような気軽さで喋る真桜を、カナエはたまらず抱きしめた。
だって上弦の鬼だ。柱であっても生きて帰れる保証などどこにもないのだ。鴉から報せを聞いた時、真桜が死んでしまうのではないかと無意識に涙がこぼれ落ちた。
大好きな人が居なくなってしまうのではないか、と。
「真桜くん……!良かった……生きてる……ほんとに良かった……!」
「血で汚れちゃいますよ」
「どうでもいいのそんなことは!今は大好きな夫が無事に生きてるってことを実感させて!安心させて!抱きしめさせてっ」
「あ、はい」
ものすごい剣幕で叫ぶカナエに気圧され、口を閉じる。
真桜の胸元に顔を埋めたカナエは首に回した腕に力を込めた。
「ちょっと久しぶりに本気出したから疲れちゃいました」
「帰ったらなんでもしてあげるから、今はもうちょっとひっつかせて」
「あー、言いましたよ?なんでもって。そうだなー、じゃあ膝枕してください」
嗚咽を漏らしながら擦り寄るカナエの腰に手を回して抱き寄せる。
乱れた髪を梳いてやって頭を撫でる。
どれだけ彼女が急いで来てくれたのか、大切に思ってくれているのかが分かって自然と頬が緩んだ。
「生きてるって、幸せだなぁ」
カナエのにおいと、温もりと、愛を感じながら。
あまりにも唐突に終わりを迎えた上弦の参との遭遇戦を反芻しながら。
真桜はカナエの頭をいつまでも撫でていた。
安心してください。
公式チーターよりはずっと弱いです()