「浮気よ浮気よ〜ッ!真桜くんが浮気したわしのぶぅ〜!!」
「義兄さんどういうことよ!?姉さんというものがありながら他の女にうつつを抜かすなんて!この色魔!!淫乱桜頭ッ!!」
大粒の涙を流しながらしのぶに飛びついたカナエ。
泣きじゃくるカナエの頭を優しく撫でながら、野犬のような猛禽な眼差しで睨みつけてくるしのぶに、どうしたものかと大きな息を吐き出した真桜は窓から射し込む陽光に目を細めた。
「陽射しが眩しいねカナヲ。そうだ、今日は二人でお出掛けしよう」
「浮気よ〜〜〜ッ!」
隣に座るカナヲの頭を撫でる真桜を指さしながら、浮気現場(?)の証拠をしのぶに見せつけるカナエ。
どうやら真桜がカナヲと二人きりでお出掛けするのに断固反対の意思を示しているようだ。
「だってカナエさん……任務じゃないですか。一緒にお出掛けしたい気持ちは痛いほど分かりますけど、子供じゃないんですし、ましてや『柱』ですし……ね?」
「聞いてしのぶ真桜くんが正論で殴ってくるの!!」
「いい加減聞き分けてください。……昨晩からずっとこうなんだよ助けてしのぶ」
「…………なるほど」
大きなため息を吐き出す真桜の目元のは大きなくまができていて、夜通しカナエの我儘に付き合っていたのだろうと容易に想像できる。
放っておけばいいものの、身内にはびっくりするくらい律儀で親身な真桜のことだから、眠気を噛み殺してカナエのおイタの相手をしていたのだろう。
夜通し泣きついた甲斐も虚しく、真桜とカナヲのお出掛けに着いて行けなくなったカナエ。
しのぶを巻き込んであわよくば……という算段だったのだろう。
当然、真桜に通じるはずもなく、カナヲのおめかしを行う真桜の背後で地面に這い蹲ってしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああん!」
「姉さん…………」
お茶も生け花も琴もなんだって器用にこなせる完璧で自慢の姉……の面影はもはや無く、お出掛けを楽しみに準備を進める真桜の生き生きとした表情に対して、惨めったらしく蹲るカナエがより一層悲しげに映った。
「わ゛た゛し゛も゛い゛き゛た゛か゛っ゛た゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!!!」
「素敵な高音……」
「義兄さん嘘でしょ………」
「………」
泣き喚くカナエから発せられる濁音付きの絶叫。奈落の底から響くかのような、凡そ彼女の口から出るものとは到底思えないおぞましい声ですら真桜はうっとりとした表情で聴き入っている。
うっすらと柔らかい笑みを浮かべる真桜の横で、普段は感情の起伏が殆どないカナヲですら若干引き気味、というか怖がっているではないか。
きっとこの夫婦は鬼の狩りすぎでおかしくなったんだきっとそうだと無理やり自分を納得させ、これ以上付き合ってられないと言わんばかりに部屋を後にしたしのぶ。
そろそろ出掛けようと立ち上がった真桜は、未だに床に這い蹲って嗚咽を漏らすカナエの元に歩み寄り、腰を下ろして目線の高さを合わせた。
優しく頭に手を置くと、カナエはようやく顔を上げてくれた。
「生きていればいくらだって機会はあります。無事に帰ってきてください。そしたら、この前新しくできた甘味処に行きましょう」
「うぅぅ…………真桜くんがぎゅーってしてくれたら頑張れる」
「かわいいですよ。そういうところ」
両手を広げて抱擁をねだる可愛らしい嫁の背中に手を回す。
首筋に顔を埋めれば、花のような甘い香りが鼻腔いっぱいに広がって温かな気持ちになる。できることならずっとこうしていたい。けれど、そうはいかないのが鬼殺隊。
「愛してます」
「私も愛してる」
有限の命で永遠の愛を謳う、なんと愚かなことか。
愚かだがしかし、人の想いは永遠である。
仮に、明日真桜とカナエが死んだとしても、世界が滅びようとも、二人が愛し合っていた事実は永遠に消えないのだから。
「ほら、カナヲもおいで」
「……………」
端で傍観していたカナヲに向かって手招きすると、とてとてと足音を立てながら歩み寄ってくる。カナエと真桜で挟み込むようにしてカナヲを抱き締めれば、仲睦まじい家族のような温かさが溢れる光景の出来上がりだ。
「ぎゅーっ。真桜くんの腕の中って安心するでしょ?」
「………」
「ふふっ。カナヲも嬉しそう」
ほんの少し、普段からカナヲを見ている人間にしか分からない程の些細な表情の変化だが、僅かにその可愛らしい頬が紅潮しているのが見て取れる。
「大切な人が自分の腕の中にいてくれる……。息をして、あったかくて、いい匂いがして……。僕はこれだけでもう、胸がいっぱいです」
大切な人が自分の腕の中からすり抜けてしまった。
大切な人の呼吸が止まった。
大切な人の体温は消え、首だけを残して喰われてしまった。
鼻腔を突き穿つ硝煙と血潮の臭い。
あの日の悪夢を反芻した真桜の影が差した表情を見て、カナエはゆるりと頭を振った。
「これからもっともっと幸せなことがきっと待ってるのよ。もう胸がいっぱいだなんて言わせない。二人で……いいえ。皆で幸せになりましょう」
「カナエさん……」
花が咲き綻ぶかのような美しい笑顔。
彼女の笑顔を見れば、どんな悩みも些細なものにしか思えなくなる。
本当に不思議な人だ。
「カナエさん。僕はあなたと出逢えて本当によかった」
そう言うとカナエはまた、嬉しそうに笑った。
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自分を含め、人の感情なんて他人事の絵空事でしかない俺だけど、どうやらほんの少しだけの後悔をする程度には感情が残っているらしい。
「え〜〜っと、なんだっけ。桜色の髪の……あの子の双子のお兄さんの……んー……」
数多の宗教の表層部だけを切り取って貼り付けたかのような、無意味に豪勢な屋敷の中の最上階。神性も敬神性も何も無い継ぎ接ぎだらけの歪な空間の中に、上弦の弐・童磨は鎮座していた。
ここは『万世極楽教』の総本山。その教祖たる童磨の私室。
神仏的なものなど一切存在しない教祖らしからぬ私室だが、それもそのはず。童磨自身が神も仏も居ないと断じているから。天国も地獄も無いと断じているから。
死すれば皆無へと帰す。そんなことも分からない哀れな人間達を救ってあげるのが自らの使命だと心得ているから。
「ん〜……ん〜…………あっ、思い出した!真桜だ!!」
パチン、と金色の鉄扇で音を鳴らし、満面の笑みを浮かべる。
無邪気な笑顔。けれどその奥底に見え隠れするのは無機質な虚無。
その腕に抱える首の無い女体を、割れ物でも扱うかのような優しい手付きで撫でながら、以前信者の口から出たフレーズを反芻する。
『桜色の髪の鬼狩りが万世極楽教について嗅ぎ回っている』
「もしかしてそれが真桜くんなのかな?うわー楽しみ!莉桜ちゃんは今まで喰った人間の中で一番美味しかったからなぁ。首だけ喰えなかったから残念だけど、その分は真桜くんに払ってもらおうか。そうだそうしよう」
かつて童磨が作った村の中で邂逅した双子の子供。
その片割れ。
『絶対に殺すッッ!!何としてでもッ!お前だけは絶対に殺してやる!!!童磨ぁぁぁぁぁぁぁあああああッッッ!!!!』
自分以外の村人を皆殺し、村自体を焼き払い、首だけとなった妹を抱きしめながら、豪雪の中で咆哮する少年。
あれほどの熱量の殺意を向けられたのは鬼になってから初めてのことで、とても気分が高揚したのを覚えている。
だから逃がした。気まぐれで。
「惜しいことしたなぁ。でも信者の話が本当なら、もうじき会えるかもしれないね」
かつての彼は少女のような儚さだった。
あれから約十年程経っただろうか。
殺意の権化となった真桜がどのように成長しているのか、非常に気になる。
「待っててね、子羊ちゃん。妹と一緒に俺と永遠を生きようね」
襖を叩く音がして視線を向けると、今日もまた迷える子羊が童磨の元を訪れる。
蝶の髪飾りをあしらった、美しい女だった。
腰まで伸びた濡羽色の長髪は艶やかで、垂れた目元から慈愛を感じる。けれどその瞳は凛としていて、大和撫子を体現したかのような女性であった。
「どうしたどうした。何か辛いことがあったんだろう。さあさ、遠慮せず話しておくれよ」
今宵もまた、教祖としての務めを果たすべく、哀れな人間達に救いの手を差し伸べる。
それこそが人間にとっての最大の救いになると信じて疑わず。