同人作品『ケモミちゃんの旅~覚り少女と無垢人形~』の外伝にあたる小説集です。
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メガロちゃんの憂鬱百景

 父、湯川幸蔵が破顔するときにはいつも口角の上がった阿吽(あうん)の狛犬の顔が思い浮かぶのだが、ある日父の助手オイラーと私が馬鹿話に興じているときにふと鏡を見ると私の表情もまたそっくりであった。血というのはかくも恐ろしいものか。もしかしたら父娘(おやこ)が並んで笑っているとき、どこかの神社の入り口で立派な狛犬が一揃い揃っているみたいだと誰かに言われていたのかと思うと私は居てもたってもいられなくなって家を飛び出したのであった。

 

 家出、というのは半ば冗談である。私はいま腰から薬鞄を提げて、山の麓の村を歩いているところだった。往診の時間であった。十四歳まで私は誰も立ち入らぬ山の上の施設にて育っていて、幼少期は少しだけ野山に遊んだがあとの少女時代は引きこもりを貫いて過ごしていたから、ここ最近になるまで麓の村々に顔を出したことなどは一度もなかった。それが今年に入ってから、私の生活は様変わりをしてみせている。

 

 全てのきっかけはあの少女が私たちの施設に訪ねてきたことであった。はっと息の詰まるほどに無垢な白さのある少女。雪狐のような両耳。髪の下から覗く純真な眼。立ち居振る舞いや剣さばきは旅慣れて、同じ歳を重ねたとは思えない垢抜けた気配すら漂わせていた少女。私の嫉妬の対象だったそんな彼女の正体は、人間でも妖怪でもなく、『生きている人形』だったのだ。いま思えば私は人形に嫉妬していたのかと、諧謔(かいぎゃく)的な思いと共に振り返るが、あれは『生きている』という意味で人間よりも人間らしかった。彼女を見ていると、様々な感情が私のなかに巻き起った。意地やプライド、私にはない自由を手にしているゆえの劣等感……そういった直視しがたい感情の底にあったのは、憧憬だった。私は彼女の観察を続けた末に思った。彼女が私の亡き母に出会ったとき、父や助手のオイラーに接近したとき、旅の途中で人間たちと交わる度に親しくなっていったとき、そして私自身の運命が彼女の力によって捻じ曲げられてしまったとき。その訪問者は、私という存在を否定しにきたのだと思ったものだ。自分の出生の歪さにひねくれて、自らを否定し続けてきたこの私を。

 

 その後何があったかを具体的に回想することは割愛したいと思う。結果、私はその少女との出会いによって少し変わった。私の感情を、存在の根底ごとかき乱すあの少女を通して、私は自分自身と向き合うことができたのかもしれない。マイナスを意味していた『否定』は打ち消されて、ゼロになった。彼女が再び旅に出たあと、私は父に相談した。自分にできることのなかで、世の中と関われる方法がないかを訊いた。私は働きたいのだと語った。そして父の勧めで、麓の村の、医者をしたらどうかという話になった。そうして現在ではこの村の貴重な往診医として、こうして日々家々を回っているのであった。

 

「先生は……」

 

 この仕事を始めてはや半年で、いつの間にやら私は「先生」「子ども先生」「ちびっこナース」などと呼ばれるようになっていた。後半は私のことを舐めているので薬の調合に味覚的な手心が加わるようになっている。

 

「先生はちゃんと赤身の肉を食べているのかい? 好き嫌いしてお野菜ばかりを食べているから、髪が碧色になるんだよ」

 

「この色は生まれつきですから」

 

 私はいつものようにそう訂正を入れながら、お婆ちゃんに飲み薬を処方していた。老婆は手足を悪くしているが、基本的には元気で、むしろ私の心配をしてくれる。そして私の身体的特徴から私のことを異邦人だと思っている節があって、「これはおにぎりって言うんだよ」などと言わなくても分かるようなことを教えてくれたり、新しく手に入れた電化製品の説明を求めてくる。空冷の冷蔵庫やドラム式の洗濯機がある傍で白黒のブラウン管のテレビが共存していたりするのは、旧時代の文化が歴史とは関係なく散発的に流入されるからで、まだ電気のインフラが整っていない村も地方にはある一方で、都市計画の段階が旧時代における最終レベルにほとんど追いついてしまっているモデル都市も存在していた。私達は文化も歴史も技術も芸術も、すべて裁断されてモザイクアートになってしまったような、頭のおかしくなりそうな時代に根を張って生きていた。

 

「食後に朝夕の二回、水と一緒に必ず飲んで下さいね」

 

 お婆ちゃんに処方した薬は手足の痛みを和らげるもので、私が合成したものだった。鞄に入っている薬は抗生物質と漢方薬のほかに、自分で精製したものがある。これがよく効くと村で評判なのは、旧時代の製薬技術を参照しているからだった。私は、父の研究施設を自由に使えるために、村医者の患者の獲得競争から大きく優位に立っている。私はそこから一歩先に出て、世界の医療技術の規格化を目指さないといけないのだろう。どんな医者でも旧時代の技術を扱えるようにならなければいけない。旧時代の医療は、地上からほとんどすべての病気を無くすことに成功していたからだ。

 

 とはいえ私は村の人たちと向き合いたいと思う。しかし村人たちにも色々な人がいる。私が往診に行くと感謝してくれる人がいて、嬉しかったり落ち着かない妙な恥ずかしさがあったりするのだが、時には感謝の言葉だけでは足りず、説教を始めてしまう人もいる。例えばこんな人だ。

 

「この国で一番えらいのは天子様じゃろう。天子様は、この世のすべてのものに位階を定めておられる。すべて、というのは、『神様』に対してもそうである。ところで先生は、この村に祀られている神様がどれくらい偉いのかを知っとるかな?」

 

 と、勝手に問答を始めてしまうのはこの村の長だった。こちらが何かを言うより先に、この初老の男は鼻息を荒くして言う。

 

「まさしく、第三位階に相当する。要するに、たいへんに偉いというわけじゃ。この村はこうした神格のある神様に守られておる。そしてわしはこの村を束ねる長じゃ。つまりは責任ある立場であり、日々その重責に耐え忍びながら村民のことを考え、周りの村との交渉事もこなす。先生の想像も絶するような複雑精緻な物事のバランスをうまく成り立たせて、今日の村の安泰があるわけじゃ。こんな仕事は大変に器用なわしだからこそできることだといえる」

 

「……こちらが肝臓のお薬です。明らかに飲み過ぎ食べ過ぎですから、控えるようにしてください。まずは、隣村との宴会は控えるように。絶対的な飲酒量をまずは減らして下さいね」

 

「なるほど確かに医者は偉い。医者は人を治す仕事じゃ。その力は村中の病人に振り向けられとる。しかしわしの仕事は、村中の『すべて』の人間に向けてなされており、その一挙一動にはより多くの命が懸っているといえる。もし仮にわしがいなかったとしたら……」

 

「偉いとか関係ないんです。お酒をやめて下さいね」

 

 また、村の商家ではこんな患者がいた。

 

「子ども先生ッ! あいにくいま金がねえんだ、ここはこいつで負けてくれねえか!?

 

 と、膝を立てた袴の隙間からこの男の金玉を覗かされた。はっとして視線を上げると、男の痛快そうなしたり顔。私は直ちに能力を発動し、彼の至宝を異空間に消し去り、その日限りで医者稼業をやめてしまおうかとも思った。

 

 患者には歳下や同年代の少年少女もいた。彼らは私に診られるのを嫌がることもあったが、最初のちぐはぐした時間や人見知りを乗り越えれば、私も気まずい問診の時間を過ごすこともなかった。最初に子供たちを緊張させるのは、私の異様や歳のせいであって、そのあとには人生経験の乏しい、私の『田舎者』のような様子が、彼らを笑わせたり、色々と教えたいような気持ちにさせるみたいで、いつもどこへ行っても、なかなか格好のいい医者の振る舞いはさせてもらえなかった。子供たちのかくれんぼに付き合っていて黄昏時になり、味噌汁の匂いや犬の遠吠えや稲を狩る男たちの声が、稲穂を揺らす風に乗ってやってくる光り輝く風景を眺めていたとき、私は、このような景色をいままで知っている気でいたことに気付かされるのだった。

 

 村の人たちは、はっきり言って面倒臭かった。いちいちおせっかいであり、話が長く、下品であり、教えたがりで、陽気で、理屈が通じなかった。話に付き合っていると、時間は随分と余計なことに費やされていると感じる。朝に行けば帰りは夕暮れになっていた。

 

「――大変だ先生! 助けておくれよぉ!」

 

 そして私は、いつかは直面しなければならない出来事に、ついに立ち会う時がきていた……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その老爺は代々続く石造りの職人で、「石爺さん」と呼ばれている。先祖の代から数えてもう百年以上も石碑や石像を作っているそうだ。村にある石像はすべて彼が作ったもので、腕が良く、村の外、都市から名前を聞きつけて官吏がやってきて彫像造りを頼まれたこともあり、とにかく一生を石工に捧げた人であったそうだ。

 

 そんな人を私は診た。薬を処置したので、今は安静にしてすーすーと寝息を立てている。白い髭の表情の柔らかい、どこか可愛らしい愛嬌のある小柄な老人だった。私は随伴していた村人に、彼の病態を一語一語、はっきりと告げた。

 

「残念ながら、癌が全身に転移しています。お爺さんは、もって数週間になるでしょう……」

 

 そう聞いて、その人は息を呑んだ。家の中で石爺さんが気を失っていたところを最初に発見した村の人だった。老人は妻とは数十年前に死に別れ、唯一の肉親である一人息子は、若い頃に都市の役人となり村を出ていた。だからいますぐ息子を都から呼び戻そうという話になった。

 

 そんな時に、

 

「石爺さんや!」

 

 と、例の村長が一人暮らしの石爺さんの家に顔を出した。顔面蒼白で酷く慌てていたが、この老人の容態を聞きつけて来たわけではないようだった。その証拠に、医者である私ともう一人の村人の傍らで、一向に目を覚まさないまま眠りこんでいる老爺を見て酷く驚いていた。私達は村長に静かにするように促した。

 

「爺さんはどうした……体の具合が悪いんか……!?」

 

 私が病態の深刻さを話すと、村長は悄然とした。いつも陽気でないと気が済まないこの男も、このときばかりは、あっと言って天を仰いだ。

 

「そうか……それは……残念なことだな…………」

 

 突然のことにショックで言葉が継げなり、そうして黙ってしまった彼に、私の隣にいた村人は助け舟を出す。

 

「何か用事があったのでは?」

 

「ああ、そうじゃ、そうじゃった……実はな、」

 

 と、思い出したように村長は癖で口髭を触りながら、自分の落ち着きを取り戻そうとしていた。要件を語る。私たちに向かって語り出したのは、石爺さん自身に用事があったというより、最初に彼に報告しなければと思ってここに来たためであった。彼はこの小さな村に、一つの事件が起きたことを私たちに話し始める。結局のところ彼は村に起こったこの事件を誰かと共有したかったのだった。

 

「この村の祭において象徴的な役目を持つ神社の狛犬のうちの一体が、いつの間にかぽかんとどこかに消えてしまった、という訳なんじゃ――」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 問題の神社の前に私は村長と来ている。本来なら()形の狛犬と(うん)形の狛犬が二体で一対となっているのだが、吽形の反対側のほうは台座だけ残されて狛犬があったであろう場所が凹んでおり、跡形もなかった。

 

 試しに吽形の狛犬を持ち上げたり動かそうとしてみるのだが、びくともしない。足元が台座にしっかりとくっついているというより、台座も石の一部であって、切り離すには何か石工道具が必要そうだった。そういった道具で、いまは無き阿形の方の台座に確かに切り付けられたようなぎざぎざした跡があって、私は指の腹でそこを撫でていた。

 

「わしらの村では、祭のあと、皆がこの神社の前に集まるんじゃ。そうして御神酒を狛犬に飲んでもらう。狛犬がたらふく酒を飲めるように、口から喉を通って腹の中までが空洞になっておるんじゃ。そんな風に充満(じゅうみつ)した石をくり抜ける技術を持っているのは、この村を出て周辺を探したとしても、石爺一人しかおらんじゃろう」

 

 村長は毎年の祭の盛り上がりを思い返しては、狛犬が消えてしまったことを悔やむように言う。狛犬の阿形は口を「あ」の形に開けて笑っていて、吽形は「うん」の形に閉じって笑っている、想像上の神の守護聖獣だ。しかし今では吽形の狛犬しか残されていない。吽形の方は口を頬の奥まで引き結んでぴったりと閉じ、空洞はおろか隙間さえ見えなかった。祭の日にはあんぐりと開いた阿形の狛犬の口の中に、村人たちが大きな盃を傾けて御神酒を流し込む豪快な場面を想像した。そう思うとハレの日に酒も飲めず、今もこうして一人で取り残されてしまった吽形の狛犬が可愛そうに思えてきた。

 

「許せん、わしの村の神になんて罰当たりなことをする。犯人は村の神がどれくらい偉いのか分かっておるのだろうか」

 

「第三位階じゃ」と村長の真似をしてみる。

 

「その通りじゃ」

 

 村長は何故か嬉しそうなので失敗したと思った。

 

 私は残された吽形の狛犬を改めて見上げる。取り残されたからといってその表情に陰りはなく、にんまりと耳まで裂けるほどの笑顔を見せている。燃えるように見事に巻かれた獅子のたてがみは堂々としたものだ。全体は黒くくすんで迫力がある。

 

「これは彼が若い頃に作ったものですか? 見事ですね」

 

 全身のやや汚れた様子からその身に受けてきた風雨と経年を想像して、私は言う。ところが村長は首を振った。

 

「いや、それほど昔に作られたものじゃない。今から十数年前の、石爺が五十を過ぎた頃の、あやつの最高傑作と呼ばれている作品じゃ」

 

 村長は吽形の胴体を肉厚な手の平でぴしゃりと叩いた。

 

「なにしろこの一対の狛犬は、燃える家のなかで彫られたものじゃ。そのために体のところどころが黒ずんどる。それで古く時代が経ったように見えるんじゃろう。この焦げ付きが乙なもんじゃな」

 

 そう村長は言った。「燃える家のなかで彫られた」と言うが、実際にこの狛犬の制作中に、作業場が火事になったことがあったそうなのだ。そのとき石爺さんは、避難もせずに火事の中でひたすらに石を彫り続けていたという逸話がある。そのとき飛び込んできた村人に救出されなかったら、あのまま石爺さんは石像と共に焼けていただろうと村長は言った。燃え落ちる家の打ち壊しによる消火作業が始まって、その中から運び出された狛犬を、また新しく作った作業場に移して石爺さんは彫ることを再開して、今の見事な形に完成させてみせた。その当時の彼は、何かに取り憑かれたような様子で石の中から狛犬の姿を取り出そうとしていたらしい。

 

「ちなみにそのとき火事の中から石爺を救出したのがわしの息子じゃ。偉いじゃろう」

 

「へー」

 

 私の脳裏には、石爺さんの病床の苦しみの表情が浮かんでいた。彼の苦闘は病床だけではなく、ずっと昔から石に向かって続けられていたのだと知った。そうして老人はいま自らの病気に対して最後の闘いをしているのだ。老人の魂を削る創作の一撃をその身に受けながら、老人のことを見守っていた狛犬たち、その未だ見ぬ阿形の姿形を思う。

 

「村長さん……犯人や狛犬の居場所を、見つけられるなら見つけたほうがいいですかね?」

 

「もちろん。何を言うとる。村の威信に関わることじゃ。それとも子ども先生は何か知っておるのか?」

 

「そういうわけじゃなく、もちろん私は何にも知りません。でも、私はきっと見つけてしまうでしょう」

 

 私には、特別な力があった。その力を使えば、犯人も失くなった狛犬も見つけることは容易いだろう。

 

 私はインダラの力を解き放ち、因陀羅網へと通じる扉を開けた。心の奥にある小部屋が、私の世界を包み込んでいった。

 

――ここへ来るのは久しぶりだ。感覚器官から受け取る情報はたち消えて、自分の姿も見えないくらいの真暗闇のはずなのだが、成り立ちは夢の世界に近い。――宇宙空間に浮かんでいるような錯覚に遊んでいられた。――私の友達はこの世界を、人を孤独にさせる風穴と評したが、この場所にいれば、私はあらゆる空間のあらゆる時間を覗くことができる。――私にとって、世界は乱反射する鏡に映り込む一つの像に過ぎなかった。

 

――旧時代の科学<ロストテクノロジー>の無法な遺伝子操作の結果によって、私は生まれつきにインドラの神の力を具えている。――あまねくすべての生き物や物体が引っかかる網が世界に向かって投げかけられて、その網の結び目に括り付けられている鏡の一つ一つには、他の全ての鏡の像が映っている。――私の意識は網となり、鏡となり、世界を一瞬のうちに了解する力が走る。

 

――私の瞼の裏には『光だけを通す』トンネルが作り出されていた。――別の世界を経由して、私は「この場所」の「過去」の地平の光景へとトンネルを繋げた。――光がトンネルを通過して、私の視界一杯に広がる。――村の神社の前に、阿形の狛犬と吽形の狛犬が一揃い揃っているところが見えた。――それが最後に狛犬が揃っていた日、犯行の現場だった。

 

――そしてその日境内に現れたのは、石爺さんを最初に発見した村人だった。

 

 

 

 結局、阿形の狛犬は山の中から見つかった。口をにかっと開けて瞳は凍りついたように見開いたまま、木々の根本に仰向けに捨てられていた。腹部はハンマーか何かで割られて、その中身は空洞だったから、石爺さんの彫った狛犬であることは明らかだった。私と村長は、容疑者である村人を捕まえて壊れてしまった狛犬の前に立たせていた。私たちは最初彼を疑っているとは告げず、捜索の手を借りたいなどと言って連れて来たのだが、まっすぐに狛犬の場所へと向かっていった私たちに対して、意外にもあっさりと彼は自分が盗んだことを白状した。山のふもとから狛犬を運ぶ荷車の車輪の跡がくっきりと山道に付いていて、ここまで辿り着くのは難しくはなかったというのも自白の理由だっただろう。村長は私の言葉にそれまで半信半疑だったが、村人が罪を認めたことで私の推理(実際には能力の行使しただけなのだが)が正しかったことを認めたのだった。

 

「……あるとき石爺さんとの会話の中で、狛犬の腹の中に自分の宝物を隠しているって話を聞いちまったんだ。だから誰にも見つからない夜中に盗み出して、中身を検めてみた。そうしたら聞いた話とは違って中には何もありませんでしたってわけよ」

 

 青年は一度見つかってしまってからは、開き直って犯行の理由を話し始めていた。狛犬の腹の中にあるものを探したかったのだと言った。

 

「宝物のう。しかし、何故石爺は狛犬の中にそんなものを隠そうと思ったんじゃろう」

 

 村人は話を聞いていなかったのかとでも言いたげに悪態をついた。

 

「だから最初からそんなもの無かったんだって、石爺さんの嘘だったんだよ村長。石爺さんが語ったのはこうだ。作業場が一度火事になったことはあんたも知ってるだろう? そのときに石爺さんは自分の一番大切な宝物を迫る火の手から守るために、咄嗟に狛犬の口の中に入れたんだと。その話を俺はまんまと鵜呑みにしちまったってわけだ」

 

 私は黙って、崩れた阿形の狛犬の姿を見ていた。周りには石塊(いしくれ)がばらばらと落ちている。そのうちの一つを私は拾いあげる。

 

「吽形の狛犬は、口が開いていない。ぴったりと口の中がくっついておる。石工は石を彫って行うのだから、くり抜いた跡がなければ空洞も有り得ないというわけか。だからお前は阿形のほうだけを壊したんじゃな」

 

「どこにも穴らしきものも溶接の跡も無かったからな」

 

 村長は犯人の開き直った悪びれない雰囲気に逆に呑まれてしまったのか、宝物が見つからなくて残念だという表情を一瞬だけ見せてしまった。

 

「こんなに重たい狛犬をわざわざ切り出して、荷車に乗せてここまで運んだのは何故ですか? そこまでの重労働をしなくとも、最初からその場で壊してしまえば良かったのでは?」

 

 私には、そこだけが分からなかった。わざわざ発見される危険を犯して運搬するのも、大変で非効率的だ。そう訊ねたとき、彼は初めて悪いことをしたのを自覚するような、すまなそうな表情を見せたのだった。

 

「最初はな、台座から狛犬を切り離して、ひっくり返して腹のものを口から出そうとしたんだ。そうしたら中でからからと何かが引っかかるような音が聞こえて、こりゃあ確かに入ってるなと思った。だが色々と揺り動かしてみたが出てこねえ。だったら仕方ない、壊すしかなかったのさ。ただ、神社の前でやったら流石に罰当たり……というか、あそこを遊び場にしている子供が泣くと思ってね」

 

 ああ、そういうことだったのか。それから彼はこの山奥に遺棄するように、狛犬の腹を捌いた。そうして出てきたのは、がらくたの山だった。

 

「察しの通り、石ころしか出てこなかったけどね。俺は昔から好奇心には勝てないのが悪いところだな。まあ、石爺さんの話が嘘だって分かったからもういいかな。村の大事なお犬様を壊したのは俺の罪さ、何でも償うぜ」

 

 負け惜しみのように、彼が言った、そのときだった。

 

「――宝物はちゃんと隠したぞ」

 

 その声に三人が振り返る。山の中、私たちの足跡を辿ってここまで歩いてきたのは、石爺さんその人だった。

 

「わしの宝物は、狛犬たちがちゃあんと持っておる。だからわしは今日この日まで、安心して石造りをやってこれたんじゃ」

 

 そう言って、石爺さんはにかっと笑った。病態を押して、私たちのあとを付いてきたらしかった。

 

「――――!」

 

 そのとき私には、石爺さんがどれだけ宝物を大切にしていたかが伝わってきて、胸を打れて何も訊ねることができなかったのだ。狛犬の腹の中に隠されたものは、あれしかない。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「そうですか。親父はそんなことを……」

 

 傍らの布団で石爺さんが眠っている。あれから数日が経過していて、私は薬鞄を持って家を飛び出してきている。都市から急信を受け取って急遽帰郷してきた石爺さんの息子である青年と、私は出会って、話をしていた。彼は、石爺さんが狛犬の中に隠した宝物にまつわる話を私に語ってくれた。

 

「親父はずっと一途に石に向き合ってきた人だったから。都会に行ってもいつまでも俺の理想の人間でしたよ。あんなにひたむきな人はいないから」

 

 そう言って彼は笑う。目尻が濡れて光っていた。笑い方が石爺さんに似ていた。

 

「夢中になって彫ることが幸せだったらしいんですね。そういうのって、何だか憧れますよね。都会で働いていると、余計なことを心の奥にしまい大事にして生きることが、どんなに難しいかよくわかります。でも驚いたなあ、まだこんなものを大事にしていたなんて。これなんてまさに余計なものですよね」

 

 渡した小ぶりの石人形を、彼は指で撫でいた。それは阿形の狛犬の腹の中にあったもので、息子である彼が幼い頃に彫った初めての石工作品だった。山の中では周りの石と紛れて、狛犬を打ち壊したあの村人は気づけなかったが、確かにそれは石爺さんが大切にしていた宝物なのだった。

 

 もう一つ、私は石爺さんに渡したものがあった。石爺さんは宝物を持っているのは『狛犬たち』だと言ったが、吽形という石の密室空間の中には、たしかにもう一つ、息子にまつわる彼の宝物が隠されていたのだ。

 

 火事のとき、石爺さんは避難もせず、『阿形』の狛犬の口の中に息子が作った石人形を入れた。そして『吽形』の狛犬の口の中には、息子から父に宛てた手紙を、彼が子供のときから趣味で書いていた手紙から、都市に行った息子が定期的に彼に送っていた手紙までを、にっかりと引き結ばれた『口の隙間』に投函するように入れていたのだった。実際に彼が狛犬を彫っていたときには、吽形の狛犬も酒が飲めるように、手紙が入るほどの隙間が開いていた。それはやっぱり一匹が飲めて一匹がお預けというのは可愛そうだから、という思いからだろう。

 

 現在では吽形の狛犬の口は雨水も飲めないくらいにぴったりと閉じて塞がっていて、その姿は神社でも確認している。しかし、阿形の狛犬の腹の中へと入れた石人形が外に出てこれなかったように、つまりは、『火事による熱膨張で口の隙間が狭くなってしまったように』、吽形の狛犬の口の隙間も、熱膨張でぴったりと塞がってしまったということだった。

 

 口が塞がってしまえば、雨水も流れ込まないし、祭の日に御神酒で腹の中が満たされることもない。それも見越して、石爺さんは手紙を長期的に保存させられると思ったのだろうか。

 

 いやきっと、一心不乱に宝物を託そうとした気持ちに応えて、狛犬が手紙を守ってくれたのだ。私はそう考えたいと思った。私はそのまま狛犬に手紙を守らせておくかどうか迷ったが、結局はインドラの力を使って、吽形の狛犬の腹の中から、手紙を取り出して息子さんに渡そうとした。

 

「こんなもの、誰がもらっても仕方ないですよ。親父だけの宝物です」

 

 父が目覚めたときに渡して下さいと彼は受け取りを断った。

 

「うむぅ……」

 

 そのとき石爺さんが寝返りを打った。私たちは少しだけ息を潜めて、笑った。

 

 

 

 それから数日後に、石爺さんは息子に看取られて他界した。私は彼の死に際が苦しいものにならないように、総力を尽くしたつもりだ。その結果かどうかは分からないが、石爺さんは安らかに息を引き取ってくれたと思う。石爺さんの息子は私なんかに向かって頭を下げてくれた。

 

「先生。ありがとうございました」

 

 私は驚いてしまって、頭を下げながらも、恐らくこの場で私が言うべき言葉なんて一つも無く、都会へと戻っていく息子さんをただ見送った。彼と別れたあと、私は一人で神社へと向かった。

 

 台座の前で、村長が煙管をくゆらせていた。

 

「石爺はな、わしと同級生なのだ」

 

「……そんな風には見えませんでした。村長のほうが若いかと……いや石爺さんも病気になる前は少年みたいな印象だったかも。まぁ、意外です」

 

「相変わらずわしにまったく興味がなさそうじゃな。まぁわしは偉いからな、許してやろう」

 

 村長は言う。

 

「わしもいつか死ぬのかな」

 

「お酒を控えれば養生しますよ。医者の私が言うんだから間違いないです。ところで、何をやっているんですか?」

 

 村長は、腹の壊れた阿形の狛犬を吽形とを対にしてまた台座に座り直させて、その腹にパテで何やら塗りつけているらしかった。

 

「修繕中じゃ。また元通りにして、祭を盛り上げてくれんと」

 

「ああそんな、工芸品をめちゃめちゃにして……」

 

「難しいな、いっそ腹巻きみたいに樽を巻くか……? そうじゃ、そうすれば村の観光名物化にもなるな……! 樽巻き狛犬。キーホルダーも作って、よし、そうと決まれば……」

 

 これは石爺さんに対する冒涜なのではないかと思ったが、結果的に村が復興すれば良いのかもしれない。芸術が破壊されることには耐え難いものがあったが、結局私は口を挟まなかった。石爺は怒るだろうか。私達の蛮行を見守って、許してくれるだろうか。どちらにせよ、遺されたものを語り継いでいくのは私達だ。

 

「ところで狛犬を壊したあの人はどうなったんですか。何か罰を受けたとか……?」

 

「ああ、あいつか。いやー特に罰さんよ。自宅に謹慎させておる。最初に見つけたのがわしでよかったわい。息子があんなことしたって知れたら今後のわしの信頼が危うい」

 

「……あ…………あんたの息子かい! このヴァンダリズム親子!!」

 

 と、とうとう思っていたことが口に出てしまった。何というか……真面目に付き合うのが馬鹿らしくて、どっと力が抜けていってしまう。

 

「がっはっは。まあ、ここはわしの偉さに免じて、許してくれい」

 

 私は色々なことがどうでもよくなってきて、ぼうっと狛犬を見上げていた。屹立して、体は一部壊れてしまったが、それでもどこか暢気そうに、でんと台座に堂々と座っている。一方は口をあんぐりと開け、一方は耳まで引きつって、呵々大笑している。その姿を見ていると、なんだか張り詰めていた緊張が緩んでいって、お腹がむずむずとしてくるのだった。

 

「ひ、ひひひ、ひ……ひ……」

 

 村長が怪訝そうにこちらを見た。あーあー、もう……だめだぁ。

 

「あーーーーははははははは! あーーっはっはっはっはっは! ひーっひひひひひひ! ひっひっひひひひひ! あーーもう! 馬っ鹿らしいよ! あはははっははははっ……もう……大人って最低だーーー! あっはっははは……げほっ……おえっ……ああ……」

 

 私は笑った。無理にでも笑って、笑い尽くして、馬鹿笑いして。えづくくらいに笑ったあと、とてつもない憂鬱がやってきた。狛犬たちが愛嬌のある顔で私を越えた遥か遠くの地平線を見やっている。頬が引き攣れ、お腹がよじれるほど痛くなっていて、太陽がお腹の底に沈み込んでしまったような奇妙な心地がやってきた。私は何を飲み込んでしまったのだろうか、石細工だろうか、それは誰にとっての宝物だろうか。

 

「おぬしをここに座らせればよかったかな」

 

 村長が呟いた。私の笑った顔は、父親譲りで狛犬によく似ているのだ。それを思い出すと、また笑えてきた。

 

 

 

 私は帰宅する。山の上の施設までは、もちろん歩いて登らない。そんなことをしたら日が暮れるどころか、運動不足が祟って私は死んでしまうだろう。私はインダラの力で亜空間に入って、いつものようにその時空を経由して、村から自分の家までを移動していた。その用途はまだいい方なのだが、最近はどんな些細なことにまでも能力を使うようになってしまって……自分の能力をほとんど使っていないかのように語ったのは物ぐさを隠すためについた嘘なのである。

 

 とにかく私は家に帰ってきた。夕飯の時間まではまだ少し時間があった。

 

「ただいまー」

 

 と言うと、研究室からはしーんとした沈黙が返ってくる。お父さんは研究中だろう。白衣のポケットに入れていた携帯端末が反応した。『お帰りなさい』というメッセージとスタンプ、助手のオイラーからだ。彼はゴリラであって人間ではないので喋れないが、電子機器を驚くほど器用に使いこなしている。顔を見せないということは、お父さんと実験中で忙しいのかもしれない。

 

 私はそのままリビングを横切って自室に向かって、とりあえず減った分の薬を補充することにした。端末にデータを打ち込む。製薬プロセスは自動化が済んでいるから、数時間後には出来ているだろう。

 

 そこまで済ますと、私はもう解き放たれた気分になってベッドの上に倒れ込んでしまった。本棚から一冊の小説に手を伸ばして取る。旧時代の文化のなかで一番好きなのは少女向けの小説だった。活字の媒体は直接想像を刺激してしまうのか、際どいシーンに直面すると、漫画よりも胸がドキドキしてしまう。私はそういうタイプのようだった。今日も私は小説の続きを、寝転がって読み始める。それからもう一つ旧時代で最高な文化が、「お菓子」である。よくもまあ、こんなに多種多様な商品が作れるものだ。人間の情熱と創造性が、あらゆる文化に向かって突き進んで、いちいち体系を生み出しているのだ。人間はどれだけ暇だったのだろうか。基本的な生活水準が満たされたあとにも、こういうことを仕事にしないと生きてゆかれないのが人間なのだ。スナック菓子はなんて軽くて色鮮やかな可愛いデザインで食べやすいんだろう。

 

「……メ・ガ・ロちゃ~~ん?」

 

「お母さん!?」

 

 飛び起きた。半透明の私のお母さん、湯川小百合、リリィお母さんが、部屋の入り口に立っていた。手首を丸めて、ひゅ~どろどろと呟く。そういうキャラ付けをお母さんが徹底しているのには私ももう慣れてしまったのだが、実際には幽霊であるわけではなく、ホログラムで投射された映像を肉体として、お母さんの精神が生きているのだった。ちなみに家族以外の人にはリリィさんと呼ばせているのが娘ながらに凄いと思う。私は普通に、「お母さん」と呼ぶ。安心して「お母さん」と呼んで良いんだ。

 

「もうお母さん! ノックしてっていつも言ってるじゃない!」

 

「したわよ~グラファイトとエポキシの合成アームを遠隔操作してね。誰かさんがお菓子と本に夢中で聞こえてなかっただけで。それよりメガロちゃん、もうすぐご飯の時間よ? そんなもの食べたらまたお夕飯が食べれなくなっちゃうでしょ?」

 

「た……食べれるもん」

 

「食べれなくなっちゃうでしょう?」

 

「食べれる」

 

「昨日はどうだったのかしら?」

 

「うう……」

 

「ね?」

 

 私は、諦めた。諦めて、お菓子をしまった。どうしても、お母さんには勝てないのだった。

 

「メガロちゃん、今日はいいこといっぱいあったみたいね」

 

 私のことをじっと見つめて、お母さんが言う。

 

「いいこと?」

 

 首を傾げた私の隣に、お母さんが座った。

 

「えくぼ」

 

 そう言ったお母さんに頬を触れられた感じがして、私は指でそこを擦ったのだった。


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