ゴブリンスレイヤー異聞:鬼滅の剣士(デーモンスレイヤー) 作:生死郎
水柱の青年は柱合会議を終えて、産屋敷家の別室に控えていた兄弟子のもとへ向かった。
「終わったか」
部屋に入ってきた水柱の青年を見て、兄弟子は立ち上がった。
「ええ、決定しました」
水柱の青年が重々しく頷いた。柱合会議で出された議題は、この兄弟子の処遇について。彼の娘が鬼となり、彼の妻を殺して逃げたのだ。
身内から鬼を出してしまった隊士は腹を斬り自害する。だが、兄弟子は娘を自分の手で討滅するために、自害する猶予を欲しいと嘆願したのだ。水柱の青年は兄弟子の願いを叶えるために、会議で当主や柱を説得したのだった。
「猶予は一年。……すみません、できればもっと長く猶予をもらいたかったのですが」
「そんなことはない。世話をかけて、申し訳ない。本当ならばすぐに腹を切るべきだったんだ。ありがたいことだ」
水柱の青年はこの兄弟子の沈毅重厚の性格に、完全に兄弟子として敬意を捧げていた。ここ暫くの間に、兄弟子は幾分やつれた。それでも衰えというのは感じることはない。むしろ、凄絶な妖気がからみついて水柱の青年ですら威圧感を感じる風情さえある。
「すぐにでも探しましょう……あの娘にこれ以上人殺しをさせたくない」
彼にも懐いていた少女のことを思い、水柱の青年は兄弟子に直近で得られた鬼に関する情報を兄弟子と共有する。
「ありがとう……。全く、情けない話だ。子どもの鬼を斬った経験はあったのに、自分の娘ではいざという時に動けず逃がしてしまうだなんて」
兄弟子は悲痛そうに顔を歪める。自分が一瞬呆然となったことでして娘を取り逃がしてしまったことを悔やみ、呵責に苛まれていた。自分の過ちによって今も家族を、友を、亡くし悲しむ人たちが生まれてしまうことを気に病んでいた。
鬼に家族を奪われる人たちがいなくなるように、そう願って刀を振るい戦い続けた兄弟子にとって、自分の過ちが鬼によって傷つき、家族を奪われる人を増やしてしまう、呵責が酸のように兄弟子の心を焼き続けている。
「だが、もう躊躇わない」
凄味を感じさせる眼差しで、兄弟子は低く呟いた。
「……ん、俺は、寝てたのか」
「ええ、少し、だけ、ね」
水柱の青年──流水剣の独り言に応じたのは、彼と同じ一党の魔女だった。流水剣が眠りから醒めたのは水の都へ向かう商家の荷馬車の中だった。
「久しぶりに、兄弟子のことを夢で見たよ」
「ああ……、あなたを、拾った……先、輩……ね」
付き合いはまだ一年にも満たないが、魔女は流水剣と話したことで、今では流水剣の鬼殺隊時代の人間関係をだいたいは把握していた。
「強い人だったよ。俺と水柱の席に着くか最後までに選考に残ったくらいだ」
流水剣は魔女と兄弟子について話していて、思い出す。両腕が蟷螂のような鬼となった娘と斬り結ぶ兄弟子の姿。致命傷を受けて死の間際の兄弟子が持つ日輪刀を
赫くなった刀で斬りつけられた鬼は悶え、瞬く間に弱っていた。あの不思議な現象は兄弟子が起こした一度しか流水剣は見たことがなかった。
「あれは……なんだったのだろう」
◇◆◇
四方世界には至高神を祀る法の神殿がある。
かの神に祈る信徒だけでなく、神の名の下に審判を行う、文字通り「司法」の場でもある。
商会の利権問題、富豪の相続問題、さらには人の生き死にに関わる事まで。神の威光をもって裁いてもらおうという者はこの世界にはたくさんいる。
人々で満たされている待合室を抜けた神殿の奥。審判の行われる法廷や、書庫の並ぶ廊下を通り、白亜の円柱が立ち並ぶ静寂に満たされた伽藍。
太陽を模した神像が祀られる神殿の最奥。神話から切り出したような光景だった。
祭壇に跪き、長柄の杖にすがるようにして祈りを捧げる、一人の女性。
黄金分割法で算出されたような肢体と、陽光に煌めく金の長い髪を持つ、豊麗な女性。
天秤の鍔を持つ長剣を逆しまにした杖は、正義と法の公平さを示す象徴。
至高神を女神として描けばこのような様子だろうという、そんな美女だった。
目を引くのはその目元を紗で出来た黒い帯で覆い隠してしまっているのだ。それでも彼女の美貌は決して損なわれていたわけではない。
「───?」
彼女が顔を上げた。
静謐な聖域に彼女以外の人間の気配が現れたからだ。
しずしずと入ってくるのは鍔広の三角帽子を被って杖を携えた女。もう一人は足音がほとんどしないしかし、力強い足取りの男。
「───」
女の口元が僅かに緩み、豊満な肉体を覆い隠す薄い白衣の裾が海の波に似て、流れるように動いた。
彼女こそが至高神に仕える剣の乙女と呼ばれる
「あら、まあ……どなた?」
男──流水剣が会釈して訪問の理由を告げた。
「遠いところから、ご苦労様です」
慇懃な振る舞いで剣の乙女が応じる。
至高神に愛されし司教。
かつて蘇った魔神王を討ち滅ぼした金等級、第二位の冒険者。
「
眼帯を超え、柔らかな視線が流水剣と魔女に注がれる。
魔女は常のように振る舞っているが、伝説として語られる剣の乙女を前に、やや緊張しているようにも見える。
黒曜等級の自らとは大きな差を感じているのかもしれない。
流水剣は剣の乙女の物腰に、噂にされるだけの傑物なのだろうと察していた。
「お話は訊いていますわ。少壮気鋭の冒険者の方々、と。さあ、こちらへ」
剣の乙女は流水剣や魔女を、床へ座るように促し、彼女自身も寂然と趺座をする。
「こちらが依頼された剣です」
流水剣が剣の乙女へ剣を差し出す。剣の乙女が受け取り検分する。
「確かに受け取りました。こちらの剣は預からせて貰います」
「こちらの剣はゴブリンの巣穴にありました。持ち主は恐らく……」
「……そう、ですわね」
流水剣が言わんとするところは剣の乙女もわかる。彼女は沈鬱な表情だ。
「この剣はとある家から持ち出されたものです。これはその家のご当主へ私のほうから返却します」
剣の乙女は流水剣たちに話し始めた。
宝剣は教会とも親しく交流がある名家の持ち物だった。その家の当主が市井で作った庶子が持ち出したものらしい。
そして宝剣を持ち出した庶子は冒険者となり、冒険に出たものの冒険に失敗して、小鬼にやられてしまった。
宝剣の持ち主は表沙汰にしないように回収したがったのだ。
「それでは、剣の輸送の依頼はこれにて終了ですが、ひとつお仕事をご相談してもよろしいでしょうか?」
「仕事……?」
流水剣は魔女のほうを見る。彼女は話を進めてくれと、流水剣に促す。
「わかりました。話を聞かせて頂きますか?」
「ありがとうございます。この街に異常事態が起きているのです」
「異常事態とは具体的に何だろう」
「先日、夜分遅くに、神殿から使いに出した侍祭の娘が帰らず、奇妙な死体で見つかりました」
剣の乙女の沈鬱な表情。しかし、言葉は淀みなく、冷静そのもの。しかし、僅かな震えが垣間見得た。
「奇妙、と、言う、のは……?」
「生きたまま切り裂かれ……身体の一部が失われていました」
魔女の柳眉が僅かにひそめられる。
「同じように殺された人々が現れました。次第に被害が拡大し、牧羊犬が殺され、羊飼いや牧場主やその家族まで消えることになりました。人々の失踪はこの都でも起こるようになり、ついには冒険者一党を調査に送られましたが冒険者たちは跡形なく失踪してしまったのです」
流水剣は事件の陰惨さと、鬼舞辻無惨の鬼たちの被害を思い出し、押し黙る。
「……惨いことです」
如何に法の神殿の膝元とはいえ、ここは辺境。かつては無法の広野であり、怪物とならず者が跋扈する土地。犯罪と無縁ではいられない。至高神の光といえど、あまねく人の心を照らすには未だに足りていないのだ。
「法と秩序は、それが世に生まれた時より、負け続けている……とは、申します」
──この世に悪の栄えた試しはなくも、悪が潰えた試しもない。
剣の乙女はそう呟いて手を組み、短く自らの仕える神へと祈りを捧げる。
「探索の成果は得られなかったのですか?」
「……はい。お恥ずかしい事ではありますが……」
邪法を操る混沌の勢力か、淫祀邪教の信徒か、あるいは……様々な憶測や推理が飛び交う中、街の衛士たちは探索にあたった。しかし、大勢の人々が日夜集う街ということを差し引いても、証拠も証言も驚くほど少なかった。
そうこうするうちに、水の街では犯罪が急増したのだという。
沈鬱な表情で語る剣の乙女。流水剣は嘆息する。
「司教、あなたの依頼は俺たちに足跡を辿って欲しいということですか?」
「いいえ。それは……つい先日、現場を押さえることが出来ました」
街の巡回を衛士のみならず冒険者たちも駆り出された。幾つもの組に分かれて慎重に夜道を巡回し、不審者と見ればこれを追う。捜索する衛士や冒険者が失踪することもあったが……ついにこれが功を奏した。
一組の冒険者たちが小柄な女性を襲う影を見つけだし、斬り伏せたところ、それは……
「──……ゴブリンだった、そうです」
「ゴブリン……」
流水剣が苦虫を噛み潰したように呟く。その瞳には剣呑な光を宿している。
「それでは、一連の失踪や殺人は全てゴブリンが仕業だったのですか?」
「いえ……他にも黒い人影がともに見かけたと、その冒険者たちが目撃したのです」
「協力者が、いる……という、こと……ね」
魔女が愁いを湛えた表情で呟いた。
「つまり依頼は俺たちにゴブリンたちを退治して事件を解決して欲しい、ということでしょうか?」
「はい、あなたはまだ等級こそ黒曜ですが冒険者になる以前は、遥か遠方の地で鬼狩りとしてご活躍していと伺いました。そのお力をお貸ししていただけませんか?」
剣の乙女が流水剣たちに相談した理由を、彼はようやく得心がいった。流水剣の経歴も彼女の耳に届いていたのだ。
「──」
剣の乙女の見えざる瞳と、流水剣の黒檀のような瞳の視線が、僅かに交差する。彼女はきゅっと唇を噛み締め、決意を秘めた表情で頭を垂れた。
「──お願いします。どうか、わたくしどもの街を救っては頂けないでしょうか」
流水剣と魔女の視線が一瞬交わる。口数が多いほうではない魔女だが、彼女にこの依頼を請け負うことを拒否する意思はないようだと流水剣はわかった。
「わかりました。その依頼受けましょう。人を喰う鬼、そんなもの存在することを許してはおけない」
流水剣の決然とした言葉に、剣の乙女は微笑む。
「ふぅん……そっか」
新たな声が聖域に聞こえた。
流水剣や魔女が声の方向を向けば、そこには槍を携えた女戦士が立っていた。
新たなヒロインの登場回。そして主人公が赫刀の存在を思い出すパワーアップイベントの予兆。次回、水柱対女戦士!
※剣の乙女のイヤーワン時代の役職は本作オリジナル設定です。