ゴブリンスレイヤー異聞:鬼滅の剣士(デーモンスレイヤー) 作:生死郎
オーガは森人の遺跡で激情にまかせて荒れていた。彼の怒りに触れてゴブリンたちが殺されていた。
自分が魔神将から任された任務の重大さを彼は理解している。秩序側の会議や軍事行動などで手薄になる敵国内部にあるエルフの里に混沌の橋頭保と補給拠点を作り出して軍を編成して攻める。
魔神王たちにとって重要な作戦を任されたことは光栄なことであるとオーガも理解している。だが、彼の本心は秩序の軍勢と正面戦闘を望んでいた。それも父親が戦死したことで復讐をしたいという私的な理由があった。
「ここで耳長どもを相手にしなければならぬのか……」
「お困りの様ですな」
しわがれた声がオーガにかけられた。黒い長衣に身を包んだ老魔術師は一礼した。
「お前は……、ここに何の用だ」
老魔術師は、魔神王軍に仕えている老魔術師だ。魔神将たちは彼を信頼し、重用していた。老魔術師は魔術師としても優れていたが、それ以上に、どこで学んだのかと驚嘆するほど広範にわたる知識の持ち主だった。星の運行、古き神代の話、歴史、地理、天候の変化、薬学や遠い異国の生物など、様々なことを知っていた。そして、その知識を魔神王の軍勢にたびたび役立ててきた。
「あなたに贈り物をと思いまして。こちらを差し上げます。お役立てください」
老魔術師の後ろに突如として竜が出現した。ずんぐりとした体格は蜥蜴に似ているが、その体長は長大な尻尾を含めれば三〇メートルに達するだろう。全身を分厚い鱗で覆い、顔つきは猛々しく、頭部から二本の角を生やしている。強靭な脚の先には鋭い爪があった。太い首には大きな鎖が巻かれている。
「な、なんだ、竜か? 一体どこから現れたのだ?」
老魔術師はオーガの疑問には答えず、竜について話し出した。
「調教は済ませております」
「調教……」
オーガは身の丈より大きい竜を見て唾を飲み込む。その竜が内包する暴威は彼自身を滅ぼすことも可能だろうという事実に、オーガは緊張する。
「これを森人の里の侵攻にお役立てください。小鬼どもの群れとともに攻めさせればより脅威となりましょう」
オーガは先程までとは打って変わって冷静に考える。森人にも優れた戦士たちがいる。里にその精鋭たちがいれば、オーガ一人で戦えば手こずることだろう。ゴブリンどもは戦力としてそもそも当てにはしていない。
「何故、こいつを俺に寄越すのだ?」
「先の戦いで御父君が戦死されたことを、魔神将は重く受け止めており戦力の拡充ができないかと私に相談されました。そこで私の
老魔術師は喉の奥で鳴らすような笑い声をあげた。
「この竜があれば里の制圧も容易いことでしょう。餌はゴブリンでも構いません。こやつらを適当に食わせればよろしい」
老魔術師は酷薄な眼差しを竜に威圧されているゴブリンたちに向けた。
「……いいだろう、使ってやろう」
「竜の統制にはこの腕輪を使うことで、意思を伝えることができます」
老魔術師が差し出した腕輪を、オーガが受け取る。オーガの手に渡れば腕輪はオーガのサイズに変化した。
◇◆◇
「ゴブリンどもがやけに静かだと思えば、雑兵の役にも立たんか……」
オーガは裂けた口から呼気を漏らした。吼えるような声音だった。
「貴様ら、先刻の森人とは違うな。ここを我等が砦と知っての狼藉と見た」
痺れるような殺気が冒険者たちを突き刺した。金色の瞳が炯々と輝いている。
冒険者たちも、即応状態へ移る。
「あれは……ゴブリンではないな」
ゴブリンスレイヤーは鉄兜の奥から見上げて、ただの事務的な確認であるかのように淡々と呟いた。
「オーガ、という怪物だ。前に何度か、見た事がある」
流水剣は日輪刀を抜刀しながら、ゴブリンスレイヤーへ教えた。
流水剣とゴブリンスレイヤーの様子に、妖精弓手は信じられないとばかりに見ている。何か言ってやりたいが、今の状況から余裕もなくオーガに向けて短弓を番えた矢を引き絞っていた。魔女や森人の斥候としては二人の様子には今更驚きはしない。
オーガにとってこの
「その青い
「お前……あの時のオーガの」
「ああ、息子だ。はははは、仇討ちの機会を得ることができるとはな! 出でよっ」
オーガの呼びかけに応じるかのように、遺跡の最奥から大気を震わせる咆哮が響く。冒険者たちの心臓は強烈にステップを踏んで踊りまわった。
彼は老魔術師から託された竜を呼び出したのである。オーガは嗜虐的な笑みを浮かべた。彼は今、血に酔っていた。
「貴様らの死体でグーラッシュにしてやろう。卑しきものどもの肉ではさぞや不味かろうなぁっ!」
オーガが巨大な口をあけた。凄まじい咆哮が、その咽喉から迸った。こだまが完全に消え去らないうちに、オーガの巨体が前進する。
巨大な戦鎚が、流水剣に襲いかかった。
流水剣は、跳び下がり一撃を避ける。そこを竜が喰らいつくように巨大な顎が迫る。流水剣は避けながら日輪刀でその一撃をうけた。腕に痺れを感じながら日輪刀を撃ち込む。だが、強烈な斬撃は、尻尾ではらいのけられた。
竜の怪力は想像を絶した。払われた瞬間、流水剣はよろめいたのだ。長靴を鳴らして踏みとどまった彼の目に、ふたたび襲い掛かる戦鎚が映った。攻撃は右からだった。
──水の呼吸
流水剣は避けながら手首を斬りつけた。異様な金属音が響き渡った。
オーガと流水剣の間に竜が割って入り、日輪刀が
戦鎚の第三撃を避け、よろめく流水剣をさらに竜の爪が襲った。
頬骨が砕けるほどの威力だった。だが、オーガは泳ぐ足を踏みしめ、流水剣の胴めがけて戦鎚を薙ぎこんだ。
流水剣が、跳び下がって、その一撃に空を切らせる。同時に、
オーガは、ひと声吼えると、頭上で戦鎚を振り回し、流水剣の頸部めがけて叩き込んだ。しかし、片腕で掴んでいるため動きが鈍り、狙いも甘かったため避けるのは容易い。しかし、オーガを庇うように竜が怒濤のように襲いかかる。日輪刀で、流水剣が、竜の鼻柱を殴りつけた。竜は半歩だけ後退した。流水剣は一足跳びで一〇メートル以上距離をオーガや竜から取る。
流水剣が到達した透き通る世界では、身体の中が透けて見える。それによって相手の骨格も筋肉も内臓の働きさえも手に取るように分かる。そのため、流水剣はオーガや竜の攻撃にも対応している。
敵味方入り乱れた乱戦ならば流水剣単独でも勝ち筋はある。しかし、それでも今のような他の仲間たちを庇うかたちで戦うことでは状況は膠着してしまう。
オーガが掌をかざし、魔法の呪文を紡ぎ出す。
「
流水剣に並ぶように、ゴブリンスレイヤーが立つ。
「すまない、手を貸して欲しい」
「何をすればいい?」
「あのオーガを一瞬でいいから止めて欲しい」
鉄兜がオーガのほうへ向けられる。
「いいだろう」
「あたしも協力するわ」
「儂もまだ
ゴブリンスレイヤーに女神官や
「笑止っ! 貴様らで我を止められるものか!」
腕が再生したオーガの溢れる感情そのままに振るわれた戦鎚が叩きつけられ、白亜の石床が無残に砕け、遺跡が震える。
オーガの双眸には、熱っぽい残忍な輝きがある。青白い巨大な左手を掲げて魔法を放つ準備をしている。
流水剣一党も竜との戦いがある。物見遊山というわけにはいかない。
森人の斥候が豪胆にも竜に躍りこみ、突剣を振るったのである。竜の横面に当たり竜燐を割り、肉を裂いた。血が滲む。彼女の
倒れなくても、
「
竜の、凄まじい反撃は、魔女の魔法によって動きが減衰しつつもその暴威は未だ苛烈。森人の斥候の胴を襲い、凄まじい擦過音を立て、胸甲に皹を入れた。
竜はかけられた魔法が失効し、森人の斥候はかろうじて第二撃をかわし、後退した。
その瞬間に、流水剣が仲間を掩護するため攻め込んできた竜の左腕を、日輪刀で迎え撃ち、竜の左指を三本切断する。指が宙を舞う。
しかし、激痛にも動きが鈍ることもなく、竜は尻尾を振り上げ、振り落とした。巨大な凶器が流水剣の長身を風圧で叩き、大地に食い込む。その一瞬の間に、流水剣は身を翻して、遺跡の中心へ逃れた。
流水剣たちは劣勢を強いられているように見えるが、彼の目には、自分たちの優勢がはっきりと見えている。彼の目に、だけであるかもしれないが。
魔女が
咆哮があがった。上半身を、炎そのものにして、なお竜は眼前の敵を噛み砕かんとばかりに、流水剣たちに襲いかかろうとした。
そのとき、流水剣が持つ日輪刀が閃いた。
──水の呼吸
流水剣が、完璧に時機と状況を計算して日輪刀を一閃させた瞬間、勝敗は決した。竜の首は両断されていた。噴水のように黒っぽい血が迸って、竜の足元に小さな池を作り始める。巨大な竜の頭は、炎に包まれて白亜の石床に落ちている。
首を失った巨体は炎も消え、ぐらぐらと揺れていた。まるで、どちらの方角へ倒れてるか、迷っているように見えた。その首が、前方へ傾くと、巨体は前のめりに倒れた。地響きがたち竜は倒れ伏した。
流水剣の日輪刀が唸りを生じて、オーガへ挑む。僅かな間であっても敵を共闘させなければ、各個撃破することは容易い。
彼が見たのは女神官がオーガの放つ《
「助かった! ありがとう」
飛翔する猛禽の如く大跳躍する流水剣。オーガが見上げるほどの高さまで跳んだ彼は両腕をクロスさせる。
──
「ぬっ、うおっ!?」
オーガの上体を崩したため、流水剣の刃はオーガのこめかみを斬り裂くだけにとどまる。オーガが思わずゴブリンの亡骸を踏み、血脂で脚を滑らせたことで助かった。だが、臆してバランス崩したことで命は拾ったがオーガの自尊心は大いに傷つけられた。
オーガの眼光は、凄まじいほど強烈だった。流水剣たちを睨む目から、鮮血が迸るかと思われた。
闘志を燃やし暴れるオーガにはゴブリンスレイヤーの剣も、
「ぬるいぞ、妖精ども!!」
「ええい、やはり《
オーガは再び巨大な掌を突き出す。
「
呪文が口ずさまれ、見る見るうちに白熱した火球が作り出されていく。あれを放たせてはいけないと、流水剣は駆け跳び上がり、垂直方向に身体ごと一回転しながらオーガの巨木の如き腕を斬りつける。
──
「ぅ、あっ!?」
オーガが呻き、そして焦る。切断され石床に落ちる掌にある火球の制御が彼から離れ、そして暴走した。
蒼く輝いていた火球が爆ぜる。自然、火球に一番近いオーガが燃え盛る業火と熱に晒される。
絶叫をあげて、オーガは焼け爛れて血まみれの顔を抑えた。咄嗟のことで戦鎚を落としてしまった。
──
流水剣がオーガの頭上より斬撃を振るい頭蓋を柘榴のように割る。鮮血と脳漿がまろびでる。
激痛と憤怒にのたうちまわるオーガの声などまるで気にした様子もない男がいた。
「これで詰みだ」
ゴブリンスレイヤーが、淡々とした呟く。
轟音。そして閃光をオーガは見た。
絶鳴は、ごく短かった。
◇◆◇
「危うく俺も巻き込まれるところだった」
流水剣がオーガの腕を斬り、返す刀でオーガを仕留めようとして視線を向けたとき、ゴブリンスレイヤーから光るものをみた。
「お前ならば大丈夫だと思った」
「ご期待に添えられてよかったよ……」
流水剣は嘆息しながら、日輪刀を納刀する。
ゴブリンスレイヤーは《
いかに精強なオーガと言えど不死身ではない。頭部に重大な損傷を受けたまま、胴を割断されては再生する生命力は残されていなかった。
「前に君がゴブリンスレイヤーから依頼を請けたと訊いたが、こういうことだったんだな」
「ふふふ……ちょこちょこっと、ね」
流水剣と魔女の話を訊いていた妖精弓手がゴブリンスレイヤーに訊ねた。
「あれはどこへ繋がっていたの?」
「海の底へと繋げた」
ゴブリンスレイヤーの言葉に、妖精弓手は言葉を失った。
流水剣の一党である魔女に、高い報酬を支払って、海底へ接続してもらったのだ。
「呆れた、たかがゴブリンを殺すために、こんなものを用意したのか」
森人の斥候は血と臓物と海水が混じった臭いに辟易しつつ、ゴブリンスレイヤーに呆れたように呟いた。
「どうでもいい」
ゴブリンスレイヤーは面倒くさげに言って、オーガの亡骸を見た。
「ゴブリンの方が、よほど手強い」
◇◆◇
遺跡の入口まで戻った彼らを待っていたのは、森人たちの用立てた馬車だった。竜牙兵が居住地まで虜囚を送り届けたことで、大慌てで迎えを寄越してくれたのだ。
馬車に同伴する森人の戦士たちは、皆が一様に煌びやかな武具を纏っている。木と革と石のみ、天然素材のみで作り上げられていた。流水剣の見立てでは森人たちも充分な実力者だった。
「お疲れ様でした! 中の様子、ゴブリンどもはどうなりましたか?」
「お疲れ様です」
流水剣が会釈して、森人の戦士たちに説明をした。その間に冒険者たちが馬車に乗り込んでいった。オーガを仕留めた後、遺跡に残るゴブリンを見つけてすべて殺した。
「わかりました。我々は中の探索に入ります。どうぞ、街まではゆっくりお休みください」
流水剣から説明を受けた森人の戦士はそう言って、遺跡の中へと潜っていく。
馬車は走り出す。いつしか陽は沈みいつしか夜を過ぎて、再び昇り始めた。
妖精弓手と女神官は魂を擦り減らし、疲れ切っていていまだ癒えてはいない様子だった。
「………ねぇ」
「ん」
他の一党メンバーが寝息を立て始める中、既に起きていた流水剣に、寝転んだまま妖精弓手が声をかけた。
「あんたら、いつもこんなことやってるの?」
「まあ、そうだな。いつも、こんな感じだ。俺はゴブリンだけじゃないけど」
「……あんた、冒険者よね?」
「ああ」
「冒険、してるの?」
「……ああ」
流水剣は視線を魔女と森人の斥候に向ける。その視線は優しく温かなものだった。
「彼女たちに、冒険へ連れて行ってもらっている」
「……そっか」
彼女にとって、冒険とは楽しい物だ。未知を体験して識見を拡げる。だが、今回の依頼はどうだろう。喜びも、高揚感も、達成感も、何もない。まことに嫌な後味を嚙みしめていた。混沌の脅威を排除した仕事をしたことは間違っているとは思わないが、それとは別に、胸の奥にわだかまる不快感は、どうしようもない。痛めつけられた森人の同胞。ゴブリンたちの屍が浮かぶ血の海。オーガの血塗れの顔を、しばらくは忘れられそうになかった。
彼女は怒っていた。冒険の良さを何一つ知らないまま、延々と小鬼を狩り続ける奴がいることを。冒険を自ら求めずに、延々と怪物を斬り続ける奴がいる。そのことを、彼女は許せなかった。
彼女は冒険者だ。冒険が好きで、森を飛び出した冒険者なのだ。
妖精弓手は決意を秘めた表情で彼に言う。
「いつか必ず──あいつに、『冒険』をさせてやるわ。あんたにも、『冒険』をしたいと思わせてやるわ」
たとえ今すぐは、無理だとしても。妖精弓手はそう決めた。人の生は彼女にとって短すぎる。そうしたいと決めたとき、やらなければ手遅れになる。そうなったとき絶対に後悔すると思ったからだ。
ゴチャッとした戦いは書きにくくてえらい時間がかかってしまいました。