「うるさいですね……」と言われたいだけの人生でした 作:金木桂
入学式から一ヶ月半経つと桜の花びらは校門前で散り去り、花弁の代わりに緑深い葉が枝の先を覆うように茂っていた。そろそろ梅雨だなぁと思い始めながら天を仰いで、太陽の眩しさからそっと目を背ける。俺の根はインドアなのだった。
季節は移ろえど相変わらず俺はチノに付き纏う日々を送っていた。既に3年以上やってるルーティンだからしょうがない。言葉にすればストーカー行為みたいに思われるかもしれないがそんなこともなく、寧ろチノも良く俺の席に来たりする。傍から見たら仲良しこよしのニコイチフレンドと思われているに違いない。つまりこれは相思相愛、間違いない。
ともあれ、帰宅部である俺とチノは放課後になれば家に帰るのが世の理。
下駄箱で上履きと外靴を入れ替え、トントンと足に完全にフィットさせると洒落た石畳を踏みしめる。俺の真横にはいつも通り空色の長い髪を左右に靡かせたチノが、授業で固まってしまった肩を解したり憑きものでも落とすように腕を天高く伸ばしていた。
「今日はどうしますか?」
伸びを終えると、おもむろにチノは口を小さく開けた。
普段の選択肢なら3つある。直帰するか、チノの喫茶店を冷やかすか、チノと一緒に何処かへ行くか。今回その内の1つは既に選択肢から消えている。
「そうですね……香風さんは今日は店の手伝いですよね? では遊びに行くのは無理ですね」
「そうなりますね。…………真麻さんはどうするんですか?」
「私ですか〜、じゃあ今考えます」
「はぁ……」
取れる選択肢は2つ。しかし今日はラビットハウスに行くつもりはないからチノとは途中で別れることになる。消去法的に選択肢としては直帰しか残らない。
でも家に帰って何か作業したりする気分でもなければ勉強に励むのも面倒臭い。そもそも俺にとって勉強は暇潰し以上の何物でもない。将来の展望は何処にもなければやりたいこともなりたい職業も特には無い。だから『勉強すれば未来の選択肢が増える』と言われても何とやら、これっぽっちも心には響かない。なんてことは今どうでも良いな。
家に帰らず、勉強もしたくない。それならば取れる選択肢は限られてくる。第3の選択肢の出番である。
「まあ、甘兎庵にでも遊びに行こうと思います」
「むう……しょうがないですね」
「なんと言っても甘兎庵の方がラビットハウスより椅子の心地が良いですからね。背もたれが無骨な木製なラビットハウスと違って甘兎庵の椅子は革が張っていて長時間居座るなら最適です。今日は甘兎庵が優勝ですかね。つまりはYou lose! 何で負けたか明日まで考えといてください。そしたら何かが見えてくるはずです」
「何言ってるんですか……」
何だか視線が痛い。まるで呆れられているみたいだ。爆破魔に呆れられる道理はないはずなんだけどなぁ。
チノは少しもじもじと右手と左手をへその高さで擦りながら、ふぅと小さく息をつくと、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「あの……でしたら明日か明後日で、良いですけど。新作を作ったのでラビットハウスに寄ってくれませんか……?」
「へ? 別に良いですけど、今度は何を作ったんですか?」
友達が居ないから誘うことに慣れていないのだろう。緊張から耳まで赤く染まったチノの双眸に目を合わせながら俺は頭をポリポリと掻いた。
実を言えばチノの新作と聞いてもあまり心は弾まない、むしろ逆で密かに身構えてしまう。例えばこの前のラビットハウス渾身の新作、生クリームフルーツパフェ。アレは言うなれば糖分の暴風雨だった。器の下部の三分の一がチョコアイス、その上には大量の生クリームの海に一口サイズにカットされた数種類の果物が埋め込まれているといった狂った二段構造になっており、完食した暁には体細胞が全て糖と置き換わったような錯覚すら味わえる逸品である。ホント苦労したんだからな食べるの、コーヒーも3杯お代わりした訳だし。俺の名前が
「この前、真麻さん言ってましたよね。ラビットフラペチーノでも出されてみては、と」
「ええっ……。パクリですけどそれ大丈夫ですか? スタ〇に訴訟されて敗訴して慰謝料でケツの穴まで毟り取られませんか?」
「取られません……! というかなんて言葉を使ってるんですか真麻さん……。別にパクりませんよ、着想を真似るだけです。最近良くインスタ映えとかあるじゃないですか、詳しくは話さないですけどそんな感じです」
「なるほど。ウサギのフンみたいな球状の黒い芋をブッコんだり、飲み物の色を化学洗剤混じりの汚い川みたいに虹色にしたり、そういうアレですね」
「表現にとても悪意があります……!」
だってインスタ映えって言うけど俺はインスタをやったことが無い。前世ではベッドでずっとネットしたりテレビを見たりするだけで、隠さずに言えばそういうキラキラした写真を見かけるたびに舌打ちしていたりする。自分でもそれが憧憬が裏返った結果の私怨であると気付いてはいるけど、まあ憎いものは憎いからしょうがない。俺は悪くない。悪いのは全部タピオカミルクティーだ。
チノは溜息を吐くと、仕方がないなあと言った風貌で目に掛った前髪を払った。
「まあいいです。甘兎庵に行くんでしたらこの道は左ですね」
「ええ、お別れですね。今日はちゃんと付き添えませんけど接客頑張ってくださいね。あと甘いものを食べてるんですから歯磨きはちゃんとしてくださいね。それとまだ夜は冷えるので寝間着はあったかい恰好で、布団にはしっかり入って就寝してくださいよ」
「余計なお世話です……!」
「惜しい! あと1捻り加えられればジャストミートで最高なんですけどもう少しどうにかなりませんか香風さん! 余計なお世話をうるさいに変えて語尾にねを付けるだけで救われる命がここにあるんです!」
「知りませんよ……! もう私行きますからね!」
本当に後もう一搾りだったのに……!
チノは本当にそのまま分帰路を右に曲がって行ってしまう。なんだかんだ言って去り際に小さく手を振ってくれたので振り返しておく。根は良い少女なのだ、彼女にはこのまま愛を貴んで生きて欲しい。爆破は不幸しか生まない。
そうして一人になった。春の残り香に釣られてか、すれ違う人々は薄手の服装で独特な街の空気感を楽しんでいるようだ。
一人は慣れているはずなのに、どうにも落ち着かない。
気持ち湿った空気に肌を攫われながら、整理の付かない心を誤魔化すように足元の石を軽く蹴飛ばしてみる。
石はコツコツと転がって、橋の欄干の隙間をすり抜けて、太陽に照らされ輝く川の水面にポチャンと数重の波紋を作った。
──────☆
甘兎庵。
ぜんざいや抹茶など、和スイーツをメインに提供している喫茶店だ。特に羊羹が絶品で、調和の取れたほどよい甘さには感服せざるを得ない。月2で通ってる。
そんな甘兎庵の看板娘、宇治松千夜は天然腹黒中学生だ。何回も通う中で知り合ったのだが、最初に話しかけられたのはチノから「うるさいですね……」を引き出すための曲の歌詞を書いている最中だった。
『その文章……あなたもしかして同志……!?』
確か、その時の曲には感情の清流は深淵へと注がれ~とか、そんなテイストの中二病感満載のリリックを考えていた気がする。
この甘兎庵、なんとメニュー表が中二病チックにアレンジされているのだ。例えば「煌めく三宝珠」であれば三色団子。「翡翠スノーマウンテン」ならば白玉抹茶かき氷。「兵どもが夢の後」ならば特盛フルーツ白玉ぜんざいといったように、初来店の客に決して優しくないネーミングをしているのである。普通なら初見バイバイになるところなのだが、なまじどれも味が良いからリピーターも多く最近だとグルメ雑誌にも載ったらしい。ラビットハウスとは大違いである。
そしてこの特徴的なメニュー名、考えていたのは何と千夜さんであるらしい。和風清楚美人な容姿からは考えられない。と言ったら原作もそうなんだけど。
俺の知っている宇治松千夜という少女は変態だった。紛れもない純度100%の変態少女だった。ダイレクトな下ネタを言いまくり、性の知識はなんのその。その言動は女子高生というより新橋の高架下の居酒屋で呑んでるおっさんだ。新橋行ったことないけど。
ともかく、そんな千夜さんに将来性を買われてスカウトされた俺は客ながらにして
だから、未だに千夜さんと今こうして人参で出来た新作羊羹の名前を考えている現状が分からなかった。
「
「私の名前は
「え?」
対面に座る千夜さんに溜息が零れる。何度訂正してもこんな感じで笑顔ではぐらかされてしまうんだよなあ。
「はぁ……そうですねぇ。何で鏡匣なんです?」
「カッコイイでしょ?」
「でしょって言われましても……」
「環ちゃんは何かないのー?」
「考えなきゃダメですか……幼き夢のインぺリアルトパーズとかどうでしょう?」
人参の花言葉は幼き夢、インペリアルトパーズは黄色く透き通った羊羹を見たまんま言い表してみた。うーん、やっぱり俺にそのあたりのセンスがあるように思えないんだけどなぁ……。
千夜さんは吟味するように下顎に指を当てた。
「なるほど。インペ……なんちゃらトパーズは色を表しているのね。アレ、それで幼き夢ってなにかしら?」
「人参の花言葉です」
「……いいわね! それで行きましょう!」
「ええっ。良いんですか?」
「花言葉まで取り入れるなんてオシャレでいいじゃないかしら。それにこの甘兎庵に相応しいカッコいいメニュー名……ええ。採用しない理由はないわね! 流石私のスカウトした顧問役だわ!」
別に顧問役になるつもりもなかったんですけどね……。
満足げに頷く千夜さんに俺は溜息を堪えつつ、テーブルに目を落とす。高級感のある長机の上には広げっぱなしのノートと書き連なった文字列。気分転換に散らかした歌詞の一部だ。
ラビットハウスでは暇なとき勉強したり本読んだりするくらいしかしていないが、甘兎庵にいるときは何となく歌詞が浮かぶ。ラビットハウスだとチノがいるからかイマイチ集中出来ないのだ。
「それにしても千夜さんは相変わらずぐいぐい来ますね」
「そうかしら? あんまり自覚はないけど……ん~……そうみたい」
「まあいいですけど……」
千夜さんと話していると何だか曖昧な返事が多くなる。それは多分、千夜さんのふんわりした言葉がそうさせているんだろう。
思えば、俺別にそこまで千夜さんと積極的に話しに行ってるわけじゃないんだけどなぁ……なのに会話の頻度だけで言えばチノを除けば一番多い。いやまあ、チノ以外の人間と殆ど言葉を交わしてないのも一つの要因だとは思うけど。興味ないからね、そういうの。
「千夜さんは仕事良いんですか? 一応今日もお店のお手伝いですよね?」
「大丈夫よー。平日はそこまで忙しくないから」
ほーん。ただそうは言うけど、周りを見渡せば一時期のラビットハウスの十倍は盛況なんだよな。あまり知らないけどバイトの店員は多そうだし、一人抜けるくらいなら余裕なのかもしれない。
「香風さんに聞かせたい言葉ですね」
「あらあら~でも私、ラビットハウスのコーヒーも好きよ?」
「客足については否定しないんですね……」
完璧な営業スマイルではぐらかすこの感じ、流石喫茶店の娘とちょっと感心しちゃった。あれ、でも同じく喫茶店の娘で営業スマイル全く出来ない子がいたような……。
千夜さんは俺の手元の覗き込むと「ほぅー」と漏らした。
「環ちゃんのそれ、ノート? またいつもの書いてるの?」
「はい」
「……センスが良いワードが多すぎるわ! 悔しさより先に尊敬の念すら感じちゃう……! ところで物は相談なんだけど真似して良いかしら?」
「駄目です。未公開なんで」
「そうなのねー残念」
一応チノに聞かせるまでは歌詞は公にしたくない。俺はチノにうるさいですね……と言われるためなら何でもやる男だ。いや女だ。家が爆発して泥を啜って生きることになろうと、社会から役立たずと蔑まれようと、この心が変わることだけは絶対にない。
「ねえ環ちゃん」
「今度は何ですかもう……」
「名前、呼んでみたかっただけ」
「はあ」
初々しいカップルか。調子狂うなーやっぱり。
千夜さんは俺の目を猫みたいに覗き込むと、何故か一回頷いた。
「冗談よー。でも、やっと何となく環ちゃんのこと分かったかも」
「私ですか? 別に何もない普通の人間ですけど……」
「私だって普通の人間よ? でも環ちゃんは、私にとってはあんまり普通じゃない……かしら? どう思う?」
「私に聞かれましても……自己理解すら私は怪しいですよ」
自分のことは自分が一番分かっている、なんて言葉は虚言にしかならない。他ではない自分というものを見る時、必ず自己補正機能を持ったフィルターを通すことになる。フィルターを通して見た自分の姿というのは必ず歪み、屈折している。自分自身を良く捉えたいという無意識の精神的な防衛機制が自己認知を歪めているのだ。
それに人は季節のように移り変わる。考えは遷ろうし思想も年齢と共により深まる。だから絶対的に正しい自分自身なんて何処にもないし、分からない。
「千夜さんから見た私ってどんなのなんですか?」
「そうねぇ……ナイショよ」
「ええっ……? 教えてくれるんじゃないんですか?」
「だって恥ずかしいもの」
堂々と胸を張りながら口にする言葉ではないと思うんですが……。言動が一致してないんじゃないだろうか。
「そうねぇ……なら環ちゃんが私のこと、どう思ってるか教えてくれたら話そうかな?」
「無理ですごめんなさい。この話は無かったという事で」
「私どう思われてるの!?」
清楚と見せかけて下ネタ大好きえっちなお姉さん系の女子中学生だと思ってます~とか面と面向かって言えるかって。いつもチノといるからって常識くらい俺だって知ってる。チノはもしかしたら知らない。
「さあどうでしょう。ヒントと言えば私は千夜さんのことは好ましく思ってますからそこまで悪い印象ではないですよ。そういう女の子も魅力的で男性受けが宜しいと私は思いますハイ」
「男性受けってなに!? 余計に気になるわ環ちゃん!?」
「あ、ここから先はメンバー限定コンテンツなので知りたい方はメンバー登録と良ければチャンネル登録お願いしますね」
「ユーチューバー!?」
あ、ユーチューバーってこの世界もいるんだ……あまりネットしなくなったから知らなかった。好きなことを仕事にって言うけど動画編集とか絶対に怠いから俺はなれない。それ以前に職業観とか持ってないからその辺については超どうでも良い。
ともかく、この話題を続けるのは俺に都合が悪い。適当に逸らそう。
「あそうです、ユーチューバーで思いついたんですけど甘兎庵でユーチューバーやるのどうですか? 喫茶店系ユーチューバーです。成功すれば店の評判上がりますよ?」
「強引に話を変えてきたわ……。実は考えたことはあるのよ? でも甘兎庵は純喫茶店なのよ。新しい側面を混ぜるのもいいけど、それがあまりに若者カルチャーすぎると甘兎庵のブランド自体が変貌してしまうわ」
「なるほど……」
それは確かにうなずける。極論、甘兎庵が突然「アニメコラボやるわよー! 今週はリゼロ! 来週はナルト! 限定メニューもそこそこ用意するわ~!」とかやり始めたら絶対に甘兎庵は明日からそういうサブカル秋葉系の飲食店という認識のされ方になっちゃうだろう。飾らず言えば話題集めが目的の同人ゴロである。それは避けるべきことだ。新たな挑戦をするにも自分の積み重ねたもの以上のコンテンツをブッコむのは逆に乗っ取られてしまうリスクを大いに孕んでいるのである。ほんわかしてる割に考えてるんだな~。
「でもアイドルとかなら私も興味あるわ~。歌って踊って抹茶を立てるアイドル宇治松千夜です、よろしくね~」
「あれ、アイドルは良いんですか?」
「スカウトされれば前向きに考えるわよ?」
良いんですか……。
千夜さんの容姿ならスカウトなんて余裕だと思うんだが……実際、千夜さん目当てで来る客もいるくらいだ。だからといって店が荒れたりするとかは無く、そういう客もみんな後方彼氏面の如く目線を送るだけなので今日も甘兎庵の安寧は保たれているのだった。……保たれてるのか?
お茶請けの切られた羊羹を口に入れながら千夜さんはむごむごと咀嚼しながら「あっ」と手を口に当てた。
「……でもアレだわ! 私がアイドルやったら甘兎庵が私ブランドになっちゃう! それは大変ね……代々続いてきた甘兎庵を宇治松千夜ショップにするのはお祖母ちゃんに申し訳ないわ……」
いやいや。流石に自意識過剰ちゃん過ぎでは?
「どこから湧いてきた自信ですかそれ……」
「この胸よ!」
いや確かに中学生としては豊かな山脈だとは思いますけども。……なんか段々会話に疲れて来たぞ俺。完全に千夜さんのペースに飲み込まれてしまってる。潰される前に話題を変えないと。
「というか、何の話でしたっけ」
「……えーと、ユーチューバーかしら?」
「あ、面倒なのでその話は止めましょう。アレですアレ……そう、新メニューの名前ですよ」
「あ〜随分脇道に逸れたわねぇ……」
新メニューの名前を決めるだけでユーチューバーだのアイドルだの何だのの話になってたし相当道草を食ってたな。まあ前者に関しては俺が最初に出した話題だけども。
「でも本当に良いんですか? 私の考えた名前なんかで」
そう言ってみると千夜さんは不思議そうに目を合わせた。
「何で?」
「だってそもそもここは千夜さんのお店……正確には千夜さんの家系のお店ですけども、ならやっぱり千夜さんが考えたメニュー名の方がお客さんも納得すると思うんですね。今までの中二、コホン、クールな名前のメニューも全部千夜さん考案だったから客も楽しんで受け入れてくれたとも私は考えています」
「今何か言いかけなかった?」
「気のせいです。兎に角ですよ、客は真麻環というこのお店では無価値で無知蒙昧な人間が考えたメニュー名よりも千夜さんのセンスで意味不ッ……ゴホホン! スペクタクル溢れる名前を付けた方が客のニーズにマッチすると思うわけなのです」
「やっぱり何か言いかけたわよね?」
「断じて気のせいです」
決して中二病極まってるとか意味不明だねとか言いかけたわけじゃない。そう、中二からメニュー考えてるなんて凄いな〜とか意味不明があの世でダンスっちまうネーミングセンスだぜ! とかそういう風に言いたかったのだ。ごめん、やっぱり無理があるわ。中二から考えてるかどうかなんて知らんし。俺はそっと目を逸らした。
千夜さんはしょうがないわね……と言いたげな優し気な表情で頷く。
「……なら私に考えがあるわ」
「考えですか?」
反芻すると千夜さんは自信たっぷりに深く首を縦に動かす。
「ええ。私の考えたネーム案と環ちゃんの考えたネーム案を合体させれば良いんだわ!」
「そんなロボットアニメみたいな……」
「私たちなら出来る! なぜなら甘兎庵お品書き考案委員会なのだから!」
戸惑う俺を他所にガッツポーズでやる気満々の千夜さん。これ、本当にやるつもりのやつだ……!
「例えばそう! さっき私が出した黄水晶の鏡匣と環ちゃんの出した幼き夢のインペリアルトパーズを組み合わせれば!」
「組み合わせれば……?」
「───幼き夢の鏡匣、かしら」
「…………あれ、存外に悪くないですね。もっと悪魔チックな理解不能言語になると思ったんですけど良い具合にミックスされてます」
絶対にナンスセンスな単語になると思って考え得る限りの非難の言葉を放とうとしてたのに……千夜さんの得意科目が国語というだけはあるのかもしれない。
「でしょ! 私と環ちゃんが合わされば最強よ! これからは未来永劫、一緒に甘兎庵を盛り上げる社員として頑張りましょうね!」
「いえ、私は働きたくないので内定辞退させていただきます」
社員なんか誰がなるか誰が。
しかし思った以上に千夜さんには衝撃的だったようで、口を大きく広げて背筋に雷でも走ったかのような顔をした。
「まさかニート宣言……!? ダメよそんなの! 環ちゃんは私のモノよ!」
「突然変なこと言わないで下さいよ……。まあ、もし仮に身近で就職するとしても色々と都合が良いのでラビットハウスにします」
「そんな……!? 甘兎庵を一緒に世界一の売上高を誇る大企業にしようって約束をしたの忘れたの!? 一年前、喫茶店業界について熱く語り合って私達甘兎ホールディングスが世界をリードして頑張ろうと誓ったあの約束も!?」
「全部してませんから!!」
そもそも甘兎ホールディングスってなに? 喫茶店が1店舗しかないのにホールディングスなの?
千夜さんは真面目にショックを受けたような表情をするが、すぐに一変させて楽しそうに息をついた。
「……ふぅ、満足したわ」
「年下だからってからかうのは止めてくださいよ」
「ごめんなさいね。でも安心して? 同級生の友達にはもっと良くやってるわ」
「可愛そうなのでもっと止めてあげてください」
割と本心だった。
───宇治松千夜───☆
やっぱり、環ちゃんは嘘つきだわ。店仕舞いを手伝いながら、私は夕方の会話を思い返す。
なにも確信を持ったのは最近の話じゃなく、どことなく最初から勘付いていたの。
『あら、その制服。女子中学生一人は珍しいわね〜何してるのかしら?』
『……はい。まあ、アレです。ちょっと歌とかやってるんで、歌詞作ってます』
『え、見せて見せて』
『良いですけど、今作ってるのはまだ無理です。それで良ければ』
思えば私はガンガンと初対面から環ちゃんに突撃した。それは一概に、甘兎庵に一人で来る女子中学生と言うのが珍しかったから。あとその日は雨で、暇だったというのもあるわね。
ともかく私はそれ以降距離を詰めていった。
『その文章……あなたもしかして同志……!? ねえ、甘兎庵のメニュー考えるのとか興味ないかしら』
『全く無いですけど』
『良いじゃない〜、ちょっとだけ、ほんの先っぽだけでいいからいいから』
『何の交渉をしてるんですか千夜さん……』
『勿論将来有望な甘兎庵社員の勧誘よ』
『ごめんなさい、無理です』
『またまた遠慮はいらないわよ~。ところでこの山芋を使ったどら焼きを使った新作スイーツどうかしら?』
『ええっ、無視ですか……』
確か、私が話し始めた当時はまだチノちゃんとも面識が無かったはずだわ。今となっては懐かしいわね。
ともかく私は環ちゃんが来店するたびにお話をしに行ったわ。後悔も未練もそこにはないの。おかげで仲良くなれたと思うし、チノちゃんとも知り合えたんだから。
でも、気付いてしまったの。
真麻環という後輩の、歪な在り方に。
端的に言えば環ちゃんは私に興味が無い。いえ、正確にはチノちゃんを除いて誰にも興味が無いんだわ。
環ちゃんの態度は確かに初めて会った時よりも親しく感じる……でも。それは例えるなら対応方法が他人から知り合いのものへとシフトしただけで、会話の解像度は全く変化が無い。言うなれば、心の距離かしら。私が近づいても環ちゃんは全く私に近づいてないの。
『冗談よー。でも、やっと何となく環ちゃんのこと分かったかも』
『私ですか? 別に何もない普通の人間ですけど……』
『私だって普通の人間よ? でも環ちゃんは、私にとってはあんまり普通じゃない……かしら? どう思う?』
『私に聞かれましても……自己理解すら私は怪しいですよ』
多分本人は気付いていないのかもしれない。気付いていないのだろう。
基本的に誰にでも同じ調子で接して、自分の本心を曝け出すことをしないんだと思う。それは────とても悲しい事だわ。
「……よし、決めた」
拳を握ってみる。
環ちゃんの心の牙城はとても固いわ。それはもう大阪城みたいに難攻不落よ。でもこれに対して白旗を上げるのは……悔しいわ。それに私だけ仲良くなりたいだなんて寂しいもの。
だから私の最近の目標。
環の心をぶった切って本心を暴く! これしかないわ!
とにかく遊びに行くのを誘ったりラビットハウスに行ってみたりと行動あるのみよ! たとえ断られても地球の果てのブラジルまで追いかける勢いで突っ込むわ!
────ところで、男受けとか言っていたけど本当に私のことどう思っているのかしら。それについても問い詰める必要かもしれないわね……。
まだ三月から五分くらいしか経った感覚しかないんですけど夏ですね