東方刻銘録~鬼が出るか蛇が出るか~    作:ライラ

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汚染

 古代の人間は洛陽を、地平の果てに消える太陽の死と形容した。

 世界を赤く染めるのは太陽の血だと、夜の産声だと。

 夜が死ねばまた太陽が生まれる、世界はこの循環だと定義して人の世は回っていた。

 太陽が人の世の営みを支える象徴なら、月は魔のモノを助長する象徴で―――世界は綺麗に半分こに分かれている。

 それ故に日暮れは逢魔ヶ時と呼ばれるのだ。

 本来混じり合わない者達が交差する時。二つの境界が曖昧になる時間帯。

 

 特に、此処。あらゆる幻想を内包する結界の地、現実の裡(うら)――――幻想郷においてもそれは顕著だ。

 昼の世界を夜の世界が侵食する時間。魔の者が闊歩を始める時間。

 もっとも、それを気にかけるのは食われるのを恐れる人間か、太陽を恐れる吸血鬼くらいのものであるが。

 確かに気を払うべきモノではあるが、待っていても夜は訪れる様に世界は出来ている。概ね時間にルーズな妖怪の方が幻想境には多いのでわざわざ夕方から“食事”を行うものもそうは居ないのが実状だったりする。

 

 だから――――

 ―――――本来ならば何事もなく、いつも通りに幻想郷の逢魔ヶ時は終わるはずだったのだ。

 

 風は木の葉を撫で、沈む日は影をより助長し、名も知られぬ虫や妖怪の鳴き声が森に木霊する。幻想郷の森は生きている、というのは正しくは間違った表現で。単に【外】の森が死んでいるだけ。

 しかし、普段からざわざわと何かしらの音に満ちている筈の森は、【とある一帯】においてのみその日は静寂が守られていた。

 まるで固唾を飲むように。

 ひっそりと、

 災厄が通り過ぎるのを待つように――――

 

 ぐにゃり、と空間が撓(たわ)む。

 普通ならばあり得ない現象さえ常識として内包する幻想境だが、こういう事態はそうそうは起きない。

 似たような事態が皆無、というわけではない。

 幻想郷そのものが強大な結界によって縁取られている以上は時として綻びもある、なにより自らそういった現象を起こせる者もこの地には片手で数えられる程度ではあるが存在している………無論《手》というのは人間にとっての《手》だが。

 ただ、今回に限ってはそのどちらでもない様であった。

 外の世界から偶然モノが流れ着くにしては歪みが大きく、スキマ妖怪の手に依る事ならそもそもこんな無様な手際にはなりようもない。

    ――――ならばこれは必然

 ――――ならばこれは【外】からの介入。

 

 今、黄昏の静寂を破って外の世界の悪意が舞い立つ。 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 ざあざあ――――と水が流れる音がする。音源は森の中、しかし元々その場に湧き水など無かった。

 それは、本来ある筈のない水源、【外】からの来訪者と共に訪れた水。本来この幻想境には似つかわしくない汚濁。

 錆の匂いのする、赤く濁った水の臭いと妖気に鼻をやられたのか、息を潜めていた獣たちも次々と逃げ出した。

 そして、その場に残るのはたった一つの……

『ココガ、幻想郷……か』

 しゅー、しゅー、と耳障りな異音を発しながら佇む人影。

 獲物を探すように首を振るソレの全容をは木陰の作りだす闇と身にまとう妖気に隠され、体格から辛うじて男性と判断できる程度。

 ただ、

 

 鬼灯のように紅い目がギラギラと不穏な光を放っていた。

 

 その瞳に宿るのは歓喜と………そして深い憎悪。

『ココになら……此処にならある筈だ。奴に奪われたモノの全て、雪辱の数千年、嗚呼、ワスレルカ、忘れてなるものか……我等は決して忘れない』

 

 本来、二柱の神の力を以てして行うような秘奥――――境界渡り――――

 越えようとする結界の力が大きければ大きいほど、越えようとするモノの存在密度が高ければ高いほど、要する労力は大きくなる。

 その点、今回行われた境界渡りは相当の規模であったと言えよう。

 証拠に、周囲の地面は夥しい量の液体―ソレの血液なのだろう―で穢されている。

 消耗の度合いでいうならかなりのものであっただろう。それこそ、この地を守る幻想に阻まれたかのような。

 

『目障りな結界だ、まさかこれほど霊力を削がれるとは……』

 

 失った分を補填する必要がある、と毒を吐く。

 とはいえ格の高い仙人の肉などそう手に入るものではないし、彼らは総じて死から逃れる術に長けている。

 ならば、代替品を探す方が得策であろう。

 仙人には劣るが、――それでも人の肉は並の穀物などよりは余程、魔のモノを活気づけるのだ

 そして、人肉があるとするならばそれは――――

 侵入者はその眼光をある方向に向ける。見えはしないが、その方向から多くの人間の気配がする。

 ――――いつの時代も人は群れる生き物であるようだ――――

 

 集落、あるいは国。どちらにしろこれほどまとまった数の人間が居たのはソレにとって僥倖だった。

 

「あらあら、無粋な訪問者と思って顔を出してみれば。成程、どこかで見た事のある気。

 なんとまあ強引な渡り方をするのね、外の世界で【幻想】になればそれも容易いでしょうに」

 

 ふと、呆れたような声が人喰いの思考を中断する。否、すべての思考を声の主への対処に割かざるを得なくした。

 そこにあるだけで周囲の物質の境界にすら干渉するほどの妖気。ただ無視するにはその声の主の存在は大きすぎたのだ。

 

『生憎と、我等はそれを悠長に待てる性分では無くてな。己だけが境界を意味すると思うなよ、八雲の大妖

 太古の世より人と人、国と国、彼岸と此岸を分け隔てたものが何であるか忘れたか』

「あら、古い考えね。今の時代、海を隔てた国同士でもリアルタイムで会話が出来るのよ。

 まさか、科学の力で御される程度の境界に敗北を喫するとは夢にも思わなかったわ」

『それを……本気で言っているのか?』

「さあ、どうかしら」

 

 ふふ、と笑みをこぼす者が夕闇の中に一人。金の髪を指先で弄びながら妙齢の女性が立っていた。

 すべてを見透かしたような黄金の瞳、超然とした非現実性――――この幻想の地の、裏の支配者。

 しかし、先の一瞬までそこには【何も居なかった】、それどころか接近の気配すらなかった。

 高速移動では無い、それならば葉の一つも揺れよう。

 気配を消していたとして、熱量を持って生きている限り【ソレ等】は嗅ぎつける。

 ならば空間転移、零時間移動の類でなければ不可能。

 幸か不幸か、突如現れた妖怪の賢者――八雲紫――はそれを可能にする能力の持ち主だ。万物の境界を操る、在りし日の天津神にすら比肩しかねない大妖怪。

 幻想郷では珍しい型の日傘をくるくると回しながら、天気の話題でもするようにスキマ妖怪は言う。

  

「とはいえ、今の幻想郷であなたの腹を満たされるのは困るのよ」

『何故だ?……我等妖怪は人を喰らう者、たかが数千年でその節理が変わる筈も無いだろう』

「さて、とはいえ限度がある事くらい分かるでしょう?

 毒も少量ならば薬となる、それが美酒となるならば如何様な毒であろうと喜んで受け入れましょう。

 けれどそれが悪意を孕んだ濁世の毒ならば話は別、お前が幻想郷にもたらすのは悪徳の華でしかない。

 ならば私は花園の管理者として、その芽を摘み取るだけですわ」

『嗚呼……それは、それは残念だな』

 そう、残念、蝮酒は嫌いではないのだけれど、と妖怪の賢者は怜悧に黄金の瞳を細める。

 それは最後通牒であり、宣戦布告。

 帳は切って落とされた。

 

 ◆◆◆◆◆

 

 幻想郷は全てを受け入れる。

 かつて、そう宣言した妖怪が居た。

 外の世界に居られぬ者、居場所をその世から無くした者。常識と常識の狭間、非常識が埋める隙間でしか生きられぬ者。

 人も、妖怪も、神も、霊も、物も、思想も、技術も、音も、地も、風も、天も、善も、悪も……そしてそれらすべてを包括した可能性。

 それ等全てを受け入れよう、それ等全てを愛そうと、そう宣言した妖怪が居たのだ。

 幻想が生きる理想郷、故に幻想郷。

 かの妖怪にとってこの地は何より愛すべき愛娘のようなものだ。

 だが、全てを受け入れる隙間を、壊す者だけは受け入れない。

 否。多少の脅威、多少の危険、それすら呑み下せずして何が幻想郷か。

 ただ、

 今回のソレは危険度が段違いであったのか、単に紫の虫の居所が悪かっただけなのか。

 どうあれ開戦と同時に勝敗は決していたようなものだ――――

 

『づっあっ、グハッ!』

 

 射光が肉を焼く、血を沸かす。

 半刻にも満たぬ間に数える事三度、望まれぬ侵略者は死に至る傷を負っていた。

 それでも尚、生きながらえているのは尋常でない再生力の賜物か。

 煌々と輝く紅の瞳に満ちている憎悪だけは衰える事を知らないが、それでも死に体と言わざるを得ない。

 

『シャッ!』

 

 反撃とばかりに吐き出した光弾は地を削り、大気を犯し、水を腐敗させるだけの瘴気と殺気を伴っている。しかし、八雲紫の振るった扇はその悉くを逸らし、防ぎ、打ち消していた。 

 もはや戦場は先ほどまでの森林とは遠く離れていた。

 幻想郷一の霊峰を下りた遮蔽物の少ない河原、数日前に降った豪雨に伴い、平時より水かさが大きく増した河川が侵略者の背で轟々と水しぶきを立てている。

 それだけ戦闘の規模が大きく、激しいというのも、ある。森から続く戦場跡は地形を変えるほどに激しく、椀状に抉れた地面に水が流れ込んで小さな池にすらなっていた。淀んだ瘴気が光の屈折すら起こすほどの濃度で拮抗していている。

 だが状況を見れば、侵略者が一方的に後退を余儀なくされたようにしか見えまい。

 

「さて、弾幕ごっこには喜んで参加するのだけど、鬼ごっこまでするつもりは私には無いの。分かる?

 友人のモノマネを嬉々としてするほど不毛な事は無いわ」

『ハ、滑稽じゃないか、大口を開けて笑ってやろうか?』

「どうぞご勝手に、自分から急所をさらけ出してくれるなら手間が掛らなくて助かるわ」

『ならばこっちは鬼の真似ごとでもして喰らい付いてやるさ』

 

 煌、と紫が手に持つ扇子に燐光が灯る。

 同じ技で三度、妖怪の首を跳ねた。

 ならば単純な足し算、次は四回目だ。

 

「疾く去になさい、ズタズタに裂いて杉の下に封印なんて迂遠な真似はしないわ。鉄屑一つ残らぬように消してあげる」

 

 先の三回とは比べ物にならないほど弾幕の湛える光量が大きくなる。

 何か特殊な手際を用いたわけではない、単純に込めた霊力が桁はずれなだけだ。

 これは美しさを競う弾幕ごっこではない。ただの単純な殺し合いだ。

 ならばそこに八雲紫はなんら技量を込めない。美しい弾幕で散る事すら許さないと言わんばかりに。

 無慈悲な弾丸は愚かな侵略者を焼くために放たれる。

 その瞬間――――

 

『捕ま、えたアあぁっ!』

「っ!」

 

 侵略者と八雲紫、両者の距離はどう少なく見積もっても十数間。

 その距離差を『一切埋めることなく』侵略者の毒牙が紫の手首に突き刺さる。

 あり得ない事だ、しかし現にそれは起きている。

 

 今さらだが、大妖怪八雲紫の能力とは『境界を操る程度の能力』である。

 これを用い、空間と空間の境界を歪め、繋げ、その隙間を渡るのがこのスキマ妖怪のスキマ妖怪たる由縁なのだ。

 今回は、『己の弾幕と対象との距離の境界』を操り、事実上の零距離射撃、不可避の一撃を可能としていた。

 (それを逆手に取られた……)

 腕に走る鈍い痛みに苦悶の表情を浮かべて後ずさりした。

 

「私が弄ったのは『弾幕との距離』、それ故に私の能力を逆手に取って私との距離を詰めるなんて無いと踏んでいたのだけど……

 なるほど、鬼の真似ごと……ね」

 

 弾幕との距離を縮められたなら、その弾幕に自らの身を投ずる、そうすれば必然的に射手との距離も縮められる。

 まさに飛んで火に入る夏の虫、それでいて鬼の執念じみた反撃に近いものがある。

 満身創痍の死に体、反撃の術はないと判断した妖怪は、すかさず己の牙を武器とし首から弾幕に飛び込んだ。

 頭部を失えばどうあがいても絶命は逃れられない、

 

「まさに一牙報いられたってわけ……ね」

 

 血の滴る左手、既に傷の塞がったそれを眺めて紫は呟いた。

 スペルカードルールの下行われる決闘が主流となった幻想郷ではとんと見なくなった攻撃手段に、対応が、思考が遅れた。

 その事に歯噛みする。知を誇る妖怪としてはそのことが何よりも許せない。

 

「残念、この手袋はお気に入りだったのだけど」

 

 穴が空き朱色に染まったシルクのそれを名残惜しそうに見つめながら―――

 首を失い、糸の切れた人形のように轟々と唸り声を上げる河川に崩れ落ちて呑まれる人影に視線を向ける事は、結局最後までしなかった。

 

 

●○●○●

 

 再生の痛みは蘇生の激痛。

 蘇生の激痛は誕生の呪いだった。

 

 死んでいるなら、何も感じる事は無い。

 快も無ければ不快も無い、完全な無。

 泥のような安寧に全ての感覚を包まれた、涅槃の地。

 生きる、ということが電流が体内を走り、血液が流転し、細胞が螺旋を描くことなら

 ソレ等全てが止まる事が死なのだと。

 痛みを伝える神経伝達物質は伝播されず、激痛を自覚する脳髄は……残念ながら存在しない。

 だから本当ならばそれで正しい形だったのだ、そのまま腐敗し、次の命の糧となる。

 

 生と死の循環。それを何の因果か、一つの身体で成してしまえばいかなる拷問にも勝る責め苦に変貌する。

 

 ――――始めにあったのは激痛だった

 理由も無く痛む首筋、がつがつと石のような感覚に殴打される全身、千切れかけた腕はいっそ千切れてしまえば何も感じないのに、と思うほど激しく自己主張。

 これだけで既に死んでしまいそう。

 断末魔の悲鳴は――――上げることすら許されない。

 口を開ければ肺を満たすのは酸素では無く際限のない泥水。

 だくだくと体内に流れ込む泥水とは対照的にどくどくと流れだすのは命の水―――真っ赤な血液。

 血液と体温を失って、脳が朦朧とする。そのくせ激痛は収まるどころか増すばかり。

 

 ワケが分からない――――ソレの思考はただその一点だった。

 なぜこんな傷を自分は負っている?

 なぜこうもにも痛い?

 なぜ溺れている?

 なぜ苦しい?

 そもそも―――自分は誰だ?

 何かしたのか?こんな、こんな責め苦を受ければならないような何かを?

 だとしても、理由すら知らされずに死ぬのか?

 

 痛い痛い痛いイタイタイタイタイタイタイタイタイタイタイタイ!!!!

 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいクルシイクルシイクルシイ!!!!

 

 誰のせいでこんな目にあう?それすら分からない。

 理解出来る事など何一つとしてない。

 生と死が流転するなら、その命はまさに生まれたての赤子。

 依って立つ思想も無ければ、叶えたいと望む夢も無い。ただ、漠然とした不条理に対する怒りだけがあった。

 憎悪ではない、義憤でもない、矛先すら曖昧な境界の確定しない単一感情。

 一説では、人の子が生まれて初めて覚える不快の感情は『怒り』であるという。

 その命が生まれて間もない赤子であるならそれもまた道理。快が先に来るか不快が先に来るか、その順序が逆になっただけ。

 

 『死にたくない』

 

 何も分からず死ぬ自分が許せない、思い通りに動かない身体が許せない。無節操に肺を満たす泥が許せない。

 そんな子供の癇癪じみた怒りも、突き詰めれば生存本能の成す業。

 千切れかけていない方の腕で必死に水をかく。何かをつかもうと足掻く。

 それで万が一生き残ったとして何をすべきかなど頭の中には無く。

 そもそもそんな幼稚な抵抗であらがえるほど大自然の猛威も甘くない。

 嗚呼。

 縋る神はおろか、祈りの作法も彼は知らなかった。

 だが、他に何も持たないが故の純粋な叫びは――――如何なる聖人の祈りよりも………尊かったのだ。

 

 それはまさに原始の生命賛歌。

 

 運命の神の悪戯か、はたまた黄泉の通い路にその輝きは相応しくなかったのか。

 結果だけを述べるならばその者はまだ死ぬべきではなかったという事だろう。

 

 ただ、いつの世も艱難辛苦とは立て続けに訪れるものと相場が決まっていたのだが――――

 

 

 

 




はじめましての方は初めまして、お久しぶりの方はこんにちは。
私は、某なろうからの移転勢という区分になるのでしょうが、ネット上での投稿活動は大学入試諸々の都合で何年か停止していました。
この度その辺の事情がひと段落ついたので新作を投稿、という形になります。

後書きでは主に元ネタ紹介や細々とした補足などをネタバレにならない範囲でやっていこうと思います。
東方関連の元ネタはこれでも独学で調べているつもりなのですが、大分独自解釈なども混じりますので大目に見ていただけると助かります。

感想、指摘の類も、もし貰えたなら励みにしていく所存です。
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