今回はタイトルからもお察しの通りあきゅん回。
鈴奈庵の阿求とかはすごい可愛いと個人的には思います。
知識を、歴史を正しく後世に伝える、というのは実際のところ不可能に近い。
ただ起きた出来事を列記するだけではそれは覚え書きであり、歴史書とは呼べず。
何者かの手による編集――つまり意向が加わるということは少なからず偏向が起きたと言える。
人の記憶は曖昧で、当事者の証言でさえ主観によって大きく脚色がつくこともある。
故に正しく過去を、事実を認識することなど人間には不可能であり、もしそれが可能であるのならそれは既に人ではなく神か、魔の領域に足を踏み入れた者だ。
しかしそれでいいのだと少女は考える。
後世の人間に必要なのは教訓であり、自己を肯定する過去の蓄積であり、未知の事態の解決のための糸口である。
古きを温め、新しきを知る。
闇に身を潜め人間を脅かす人外魔境の者たちを照らすのは松明の灯ではなく、啓蒙の知。
そう
そのために、私は――――
―――――
―――――――
―――――――――
「っ……ふぅ……」
強張った体を解すように少女――稗田阿求は背伸びをした。
しかし。ぱき、と嫌な音が鳴るくらいにこり固まっているという事実を認識して鬱屈する羽目になるのは毎度のことなのだが。
今世に生を受けて十余年、まだまだ若い身空だというのに今からこれでは将来が不安だ。
椿の髪飾りも、心なしかしんなりとしていた。
「ああ、そういえば先代も晩年は肩こりに悩まされてたなぁ……」
嫌なことを『思い出した』と顔をしかめる。
それもそのはず、朝餉の終わりから正午も二刻ほど過ぎたこの時間まで書机に向かって筆を執る生活が数十年も続けばそうもなる。
多くのことを知っているが故に暗い未来が予測できてしまうのも考えものだ。
「いや、過去に学んで将来に備えるのも大事な勤めよね」
腕のいい整体師でも雇おうか、いや、しかしどうにも他人に触られるというのは馴れない。特に肉付きがいいわけでもない自分の体なんて―――いやいや、違うだろう。これだから歳不相応の自意識を持ってしまうのはいただけない。
……そんなことを考えていた時だった。
ふすまの外に人影を見る。
――これは、彼女の家で雇っている女中だったか。
『お嬢様、客人です。香霖堂からの使い、とのことですが』
「あら、珍しい。霖之助……店主本人ではないの?」
『はい、どうにもお嬢様に私用がある、と仰っています』
「そう、なら通して。あと、お茶とお茶菓子の用意をお願い」
『はい、かしこまりました』
阿求個人に用がある、というのなら大抵は彼女自身が保有している『膨大な知識』をアテにしてのことだろう。
なら阿礼乙女としては面会を断る道理が無い。
それにしても……
「相も変わらず出不精なのは変わらないわね」
おおかた店に訪れた客に注文していた荷物でも持たせたのだろう。
それくらいの手間なら店主自ら赴けばいいというのに、その手間すら惜しむあたりらしいといえばらしい。
古い知人を心配するように、齢十余の少女はため息を吐いた。
◇◆◇◆
「あら……」
現れた男を観て、最初に私が抱いた所感は『思ったよりも平凡』だった。
みょうちくりんな品物が集まる香霖堂を訪れるような客だ、どんな奇人変人かと思えばなんてことはない、出で立ちも里の同年代の若者とそう変わらない。
しいて言えば、切れ長な瞳がどこか蛇を思わせるのだが、不思議と狡猾さは感じられない。それも、青年が不思議そうにきょろきょろと周囲を見渡していたからだろうか。
「ここに、稗田阿求はいないのか?」
「阿求は私ですよ」
そう言うと露骨に胡散臭そうな顔をされた。これはさすがにむっとする。
サトリ妖怪でもない私だが、彼の考えていることは手に取るようにわかる。
『こんな小さな子供が?』とか『里の歩く生き字引と聞いていたはずだが……』とか、おおかた皺を重ねた老齢のいかにもな雰囲気を纏った老人が出てくることでも期待していたのだろう。
というか女中の彼女も、霖之助も、その辺を事前に説明しておくべきではないかしら。
「別に、信用するしないはあなたの勝手ですがね、里の人間でないあなたが頼れる相手となると大分アクの強い者に限られるんじゃありませんか」
「う……その通りだ。
しかし、なぜオレが里の人間ではないと?」
「簡単ですよ、なにせ【いまだかつて里で暮らしていてあなたの姿は見かけたことがない】」
「……おい、まさか」
信じられない、と目を見開く青年。
人里にどれだけの数の人間が暮らしているか、そのほんの一端を彼は垣間見ているはずだから。
「そのまさかです。聞いていませんでしたか? 稗田乙女の有する能力は一度見た物を忘れない程度の能力。
私は今生、産湯に着けられた瞬間から起きた出来事全てを記憶している」
そう、それこそが稗田家を里の有力者たらしめる求聞持の力。
幻想郷の歴史を紡ぐ、そのために千年の時を重ねてきた歴代の責務を私は背負っている。
ふふふ、崇め奉るがよい。
「……とまあ、ついムキになって肩肘を張ってしまいましたが、実際にはそこまで便利な能力でもなくて――」
「すげぇ……すげえよ、あんた!」
「ひゃ! え? なんでそんなに食いついてくるの!?」
心底感服した、みたいな表情で手を握りしめられても対処に困る。
むしろ、私が何かしたのだろうか? 彼が瞳をきらきらと輝かせている理由が本気で分らない。
「こほん、まずは何故私の元を訪れたのか、訳を聞かせてくれませんか?」
「ああ、実は……」
◆◆◆◆
江月魁斗(こうづきかいと)、そう名乗った青年が訪ねてきた理由、それは―――
「記憶、喪失……ですか」
ぽつり、と状況確認の意味も込めてつぶやく。
なるほど、それなら私の能力を聞いたときに予想以上の反応を示した理由にも納得ができる。
それこそ数週間前のことすら思い出せない青年と、十数年前に見た物事を鮮明に記憶している私は対極にあると言えよう。
しかし、これはまた複雑な問題だと思う。
「記憶喪失の半人半妖、それこそ記憶の手掛かりは鋳造、製鉄の知識のみとなると……」
霖之助め、自分の手に負えないからといって丸投げしたんじゃないかしら。
私が注文していた品をわざわざ彼に持参させたのも、ご機嫌取りというか、どうもその辺の打算が働いているような気がしてならない。
「香霖堂の店主からは、【人間側】の古い事情にあんたは通じている、と聞いたが」
「それはもちろん、私はすべての時代を見てきて覚えています。が、こればかりは知識ではどうにもならない領域の問題なのです」
「と、言うと?」
もそもそ、とどら焼きを頬張りながら聞いてくる魁斗さん。
……いや、それは別にかまわないのだけれども、もう少し緊張感は持ってくれないだろうか。それとも、記憶を失うということはそうした諸々の感覚にも影響を与えるのかしら? どうにも【記憶喪失】という状況に対して私は想像力を働かせることが苦手なようだ。
「そもそも、かの時代の錬鉄鋳造の場というのは一子相伝、門外不出の秘奥を守り通すために徹底した情報管理が行われていたのです。
材料となる砂鉄の採取方法から、鎌の燃料となる木炭の材木、炉の温度、鉄を熱する時間に、不純物の抽出方法やその割合まで。商売敵となる他の衆に情報が漏れないように、自分たちだけの技術を独占することに腐心していた。
故にそれらの技術が現代では失われる原因となったわけで………言い訳をするようですが、私もどこまで力になれるか自信が無いんです」
「なんというか、人間の世界って色々と難しいんだな」
「……そうですね」
眉根を潜めて、吐き出すようにそう呟く青年に初めて苦悩の色を見た。でも、何故だろう、これは記憶を取り戻すてがかりが見つからない落胆の色というよりは……ああ、そうか。
ああ、彼はきっと名工なのだな、と。そちらの知識に特別通じているわけでもない私でもそう感じ取れる。
自分の記憶が戻らないことより、つまらないいざこざで至高の業が失われたことを疎む。その在り方は個人的にも好ましい。
――あ、そうだ
「魁斗さん、折り入ってご相談があるのですが」
「うん、なんだ?」
「落ち着いたら、で良いのですが、また今度取材させていただけないでしょうか?」
「それは……かまわないが、一体どうして。稗田阿求が新聞記者だなんて話は聞いてないが」
「新聞記者ではありませんが、稗田家は歴史の編纂が仕事なのですよ。幻想郷縁起の項目を充実させるのにあなたが力を貸してくれると個人的には助かります」
「ゲンソウキョウエンギ?」
「平たく言うなら幻想郷に関する様々な事物についてまとめた書物、というところですかね。
あなた個人の記事……は記憶が戻ってない現状ではどうしようもありませんが、それでもあなたの持つ知識や技は外の世界では失われた業、つまり【幻想】の業です。それを残したいと、思いませんか?
必要とされなくなって、摩耗して、消えてゆく知識とはいつの世にもあります。やがてそれらは幻想となってこの幻想郷に流れ着くが、ここですら忘れ去られた知識は――本当に消えてなくなってしまう。
その損失を惜しいと思うあなたなら、私は信用が出来る」
私一人に出来るのは『そうした技術が在ったという事実』を後世に残すことだけ。内容までとなるとどうしても当事者達への聴取が必要になる。
「そう、か」
でも――彼に記憶はないが、それでもきっとその知識を、技術を会得するまでには並々ならぬ労を割いたのは想像に難くないし、彼自身もそのことは実感しているはずだ。
難しい顔で記憶喪失の名工は玉露を啜る。……ちゃっかりと茶菓子は全て胃に入れたらしい。まあ、それくらいで目くじらを立てるほど稗田家の財政事情は苦しくないのだが。
「見ず知らずの人間にも閲覧できる形で残せ、というのは……やはり酷な話でしょうか?」
例えば、凄腕の医師が居たとして、それを凄腕たらしめる秘術はその医師しか知らないからこそ希少価値を持つ。もしもそれが万人に知らしめられるということは相対的にその知識を持つ人間の希少性も下がるという訳で。
常識を知っているだけでは誰にも褒められないのと同じ理屈だ。
「いや、書物として残したところで誰にでも再現できる代物ではないからオレとしては構わないんだが。
そうだな……何と言えばいいのか。なあ、阿求。あんたはオレの事をどう思う?」
「……それは、どういう意味でしょうか。まさか異性としてどうこう、という訳ではないでしょう?」
「当然だ、あんたがもうすこしメリハリのある体だったら話は別……や、すまん、冗談だからその虫を見るような眼は止めてくれ」
「あら、そうですか。自警団の牢屋はいつでも空いてるそうですから遠慮はいりませんよ」
ニッコリと酷薄な笑みで答えておく。ホントこの手の年に不似合いな表情ばかり上手くなるのは自分でもどうにかしたいが、多分どうにもならないだろう。
こういうのは外の世界では『せくはら』というらしい。いつか衆合地獄に落ちるんじゃないかしら。
冷や汗を浮かべながらも咳払い一つ、若干声を震わせながらも再び彼は口を開く。
「ごほん……言葉が足りなかったな。オレが言いたいのはつまり
――――稗田阿求から見て江月魁斗は人間か、それとも妖怪か。ということなんだ」
「ああ……」
なるほど、彼もまた半人半妖ということか。
いつの世も似たような悩みはあるのだなと、知り合いの歴史の教師や古道具屋の店主の事を思い出す。
「土蜘蛛や河童に美味そうな人間だの盟友だのと人間扱いされてはいたけどな、いざ人里に来てみてもオレにはそのあたりを歩いているのが自分と同じ生き物だとは思えなかった。
いや、それどころか――」
生唾を飲み込む音が畳に吸い込まれる。
おもむろに私の手を取って物憂げに、自嘲するように江月魁斗は―――
「本当にあんたは美味そうだ、すべすべの肌に、柔らかそうな肉、血色のいい頬。
舌を這わせたい、牙を突き立てたいと、そんな感情を抱くのはおかしなことか?」
――初めて見た人間を捕食対象としてしか認識できなかったのだと告白した。
だから出された茶菓子を片っ端から口にしていたのか。飢えを誤魔化すために、この感情は一時の気の迷いだと自分に言い聞かせるために。
とりあえず、まあ……
今の台詞とこの姿勢を見聞きして何を邪推したのか障子の向こうで女中が小さく歓声だか悲鳴だか区別のつかない声を漏らして走り去っていったのは私個人としては非常に気になるところだ。
これで今夜お赤飯でも出てこようものなら私は彼女と一度腰を据えて話をせねばならないだろう。
「その認識を他者に委ねようとすることだけはやめなさい。私や、そのほかの人間が江月魁斗は妖怪だと言えばあなたは人間を喰うつもりですか?」
「そ、れは……」
「つまりそういうことです。それに、私の代から幻想郷縁起の編纂には人妖問わずに幅広く門を開いているつもりです。
だから、稗田乙女としての私が用があるのは製錬・製鉄の知識に長けている江月魁斗という存在であって、あなたが人間であろうと妖怪であろうと私には関係ない」
躊躇うように呻く彼にピシャリと言い放つ。
少し厳しい物言いかもしれないが……多分これで正しいのだろう。
霖之助がなぜ彼を人里に送ってきたのか少しわかった気がする。なるほど、中道を地で行く事なかれ主義の彼らしい。
妖怪の中にあることで自己の人間性を意識したのなら次は人の中で自己の妖怪性を確認しろ、と。まるで大極図だ――陰の中の陽、陽の中の陰。絶妙なバランスで保たれた世界の縮図。
正直私には荷が重すぎる気がしてならない。
「私の役目は他者の生き様を決定するものではありません、自己決定を行うための材料を与えることです。
あなたが何者であるかを探る手助けをすることと、あなたが何者であるか決定することは違います」
「ああ、そうだな。馴れない人混みに酔ってどうにかしていたのかもしれない。これじゃあ射命丸に顔向けが出来んな」
気付けをするようにべちべちと頬を叩く魁斗さん。
申し訳なかった、と素直に頭を下げる姿勢は案外この幻想郷では珍しい。
ああ……良かった、と私も内心胸をなでおろす。この体では襲われれば抵抗する術がないから……
「とにかく、あなたに足りないのは判断材料のようですね。今日はもう遅いですから日を改めて訪れてください」
「……ええと、それはつまり、オレの見聞を広げる手伝いをしてくれる、ということでいいのか?」
「あなたに適切な助言が出来そうな知り合いに心当たりもありますのでね。ですがその代わりに……」
「ああ、幻想郷縁起の編纂の件なら力になる。受けた恩は必ず返すさ」
「そういう律儀なところは鬼によく似ていますね、案外あなたの半分は鬼かもしれない」
「ははは、だったら良いな。あれくらいまっすぐな生き様には憧れるよ」
自分を助けてくれた鬼に対しては好感情を抱いているらしい。それが終始ずっとパッとしない表情だった彼が見せた初めての笑顔だった。あら、そういう表情は案外悪くない。
稗田乙女という役割を遂行する上で短命、かつ次代の稗田として転生するのはその百年後。人間の知人とは死別するしかない身としては彼のような友人が増えるのは喜ぶべきことだ。
稗田亭を後にする彼の背中を見届けながら、そんなことを考える。
さて、私も思いつく限りの資料を揃えておこうか。江月魁斗が半人半妖だということを考えると鍛冶に精通している妖怪を重点的に調べれば何か活路が開けるかもしれない。一本だたらや槌の子あたりが妥当だろうか、ああ、後は……
「いや、【アレ】はいくらなんでも無いわね―――」
だとしたら彼が打った刀はそれこそ妖怪どころか神ですら殺しかねない。
そんな代物の製法を書き残すことが出来るのなら歴史家として冥利に尽きるが、いくらなんでも夢見すぎだろう。
補足や元ネタ解説は特になし。
一本だたらは小傘ちゃんの名前の元ネタらしいですね、唐傘お化けの彼女とは似ても似つかぬみたいですが(笑
大学生活始まって色々とごたごたしていましたが生活がおちついたのでそろそろ更新スペースは上げていきたいです。ではでは