東方刻銘録~鬼が出るか蛇が出るか~    作:ライラ

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気が付いたら1年以上更新開いてた件に関しましては申し開きできません、主に私の怠惰ですごめんなさい。
ぶっちゃけ前話までの流れ忘れてる人の方が多いと思いますので、多少要点は抑えられるように説明多めにはしましたが出来はどうしたものやら。



毒よ枯れよ、風よ吹け

 東の空が白み初める中、幽玄の画布の上を横切る黒い点の存在は、見上げるものが居たならば違和を感じただろう。

 猛禽の類と比しても優に大きく、そして速い。常識の埒外の生物が薄明を切り裂いて飛翔する。

 が、そこは魑魅魍魎の領域。幻想郷の地でも人間の生活圏から遠く離れた妖怪の山の空域ではわざわざ気に留めるほどのものではない。

 

「うぇっぷ。これだけ酔わされたのも何百年ぶりかしら」

 

 鬼の酒宴に付き合わされた酔いが抜けず、射命丸文はがんがんと鳴り響く頭を抱えて帰路についていた。どれだけ酔おうともまがりなりにも彼女は風を読み、その暴威を繰ることに長けた天狗である。故に前後不覚になって墜落するという無様も、風を読み違えて帰路を見失うということもないのだが……

 ほんの僅かな違和にその美麗な眉尻を顰めた。

 ――どうにも今朝は山の風によくないものが乗っている気がする。

 動揺、焦り、疑心。といったところだろうか、天狗の里から流れてくる風が含有しているのは。

 はて、何かあったのだろうか、と文は思索する。

 そういえば昨夜は妖怪の山で久方ぶりに天狗同士の験比べが行われていたはずだ。

 

「この感じだと昨日の験比べは本当に番狂わせでも起きたのかしら」

 

 誇らしげに己の打った刀と、それを振るう白狼天狗が負けるはずがないと嘯いた半人半妖の顔を思い出してそんなことを呟く。万が一にもそんなことはないだろうが、サボタージュしたことはほんの少しだけ悔やまれた。

 ゴシップに目ざといのは女の性以前に新聞記者としての最低条件だ、ひとまずはその辺の天狗を捕まえてあらましだけでも把握しておこう。

 そう行動方針を定めた文は中空で身を翻す。

 

「よっ、と」

 

 危なげなく山道に着地、しっとりと濡れ陽光を鈍く反射する翼を大きく震わせる。

 その時だった。

 

「文じゃない!? 一体今までどこほっつき歩いてたのよ」

 

 酔いの抜けきらぬ頭にキンと響く甲高い声。見知った顔が未だ興奮冷めやらぬ天狗達の波をかき分けて飛び出してくる。

 何かと因縁を抱えた好敵手こと文と同じ烏天狗の新聞記者、姫海棠はたてである。今は見慣れたブラウスではなく天狗の正装を纏っているのを見るに彼女はわざわざ先日の修験比べに記者として参加していたらしい。

 毎度同じような顔ぶれが上位を競うかの集いは退屈極まりない行事ではあるが、天狗社会のしがらみをいなす術が不得意なはたてはなし崩し的に捕まったというところだろう。

 

「あー、着慣れない衣装で走ると転ぶわよ。ただでさえあんたはドンくさいんだから」

「は?そんなわけないじゃな――って、ふぎゃっ!?」

「ほら、だから言わんこっちゃない」

 

 慌てるあまりはたては山のような資料を抱えていた鼻髙天狗に追突しかけてたたらを踏むが、踏ん張りが今一つ足りず顔面から石畳に突っ込んだ。

 上役である烏天狗が目の前ですっ転んで困惑する鼻髙天狗ではあったが、申し訳なさそうに一礼して走り去っていったので泥で汚れた顔を見られずに済んだという意味でははたてにとっては不幸中の幸いだったかもしれない。

 

「下っ端にもぞんざいに扱われるくらい威源ないってまがりなりにも烏天狗としてどうなの? 

 そもそもよくそんな黴臭い服着て外歩けたわね、天日干しくらいしときなさい」

「泣きっ面に蜂過ぎないっ!?」

 

 きっ、とにらんでくるはたてだがいかんせん涙目では格好がつかない。

 

「まあまあ、これで汚れだけでも拭きなさい。鼻も真っ赤だし鼻髙天狗と見分けつかないわよ」

「私あんなに鼻長くないもん。てかこのチリ紙よく見たら案山子念報の切れ端……」

 

 はたての視線は差し出された紙片と文の顔の間を何度も往復したが、砂利や泥のこびり付いた顔を往来で晒したくないという心理が勝ったのか、渋い表情のままぐしぐしと汚れを拭う。

 そう、それほどまでに今この秘境は天狗達の姿で溢れている。そのいずれもがせわしなく駆け足で走り抜け、翼を羽ばたかせて飛び交っている。

 多くの妖怪が夜に活発に動き回る、という慣例に縛られない数少ない種が彼女たち天狗ではあるが、だとしても本日のそれはどうにも度が過ぎていた。

 

「そういえばさ、今回の験比べ。よっぽど予想外の天狗が天魔さまの賞揚を頂いたみたいね。

 通例通りなら鞍馬か愛宕の双璧だろうけど、前者ならここまで大騒ぎにはならないだろうし、後者なら今頃山は火の海でしょ。消火の為にてんやわんやって感じでもないし。今回は何処の天狗かしら?」

「へ? あんたまだ聞いてないの。いつもなら私より耳が早いのに」

「残念だけど浴びるほど鬼に酒呑まされた後じゃ風聞まで聞き分けられるものですか、里の仙人でもあるまいし。

 それより、まさかとは思うけど外様の是害坊、とかじゃないわよね」

 

 むしろそれは困る、と言いたげに文は眉を顰めてみせる。

 天狗、と言えば日本固有の妖怪であるというのが世間一般の認識ではあるが、それは必ずしも正しくない。

 人々の風聞を辿れば古くは大陸における凶星に端を発する彼らの分布は存外広く。崑崙山を初めとした霊峰を多く有する支那に居を構えていた天狗達も少数ではあるが大結界の加護を得るべく幻想郷の地に降り立っている。

 が、異文化間の折衝というのは往々にして軋轢を残すものだ。出自の異なる同族に対する大方の天狗の感情についてはこの場合も推して知るべき、である。

 

「ええと、それは――」 

「ふむ、護法童子ならともかく坊主共の鉄火輪如きに後れを取ったアレではそう易々と勲功は挙げられんよ。天狗を天狗たらしめる慢心をこの千年で棄てられたなら話は別だが、それもなまじ才が優れていると難しかろう」

 

 

 応えははたての鈴を転がしたような声ではなく、それより幾分も低い――男の声で返って来た。

 声の主は大天狗――鞍馬山僧条坊。護法魔王尊の名で外界にも知れ渡った名実ともに大天狗である鞍馬法眼のそれ。

 定例通りならば立身出世を望み験比べに挑む若輩の天狗達にとっての最大の壁となる存在である。

 

「鞍馬……さま?」

 

 一介の天狗に過ぎない彼女らにとって事実上の上司。しかし彼を目にした文の一声に疑問符が付随するのもまた止む無し。

 眉目秀麗と謳われるその貌に今更黄色い声を挙げるほど彼女も物好きではないし、大天狗だけが身にまとう煌びやかな修験装束も見慣れたもの。

 ただ――剣神鞍馬の右腕の袖、そこに肉の厚みが決定的に欠けているという様相その一点だけが射命丸文の理解を遠ざけていた。

 

 まるで半ばで腕が消失しているような。

 否、何者かに断たれたかのような。

 

「貴方もお人が悪い。験比べに私が不参加なのは例年通りの事でしょう?」

「幻術など悉く置き去りにして疾駆する者が何を言う。それとも私程度の幻術に捕らえられるほどの重石でも背負ったか?」

「まさか」

 

 ありえない、と首を振る。不遜にも速度、何者の追随も許さないというその一点においてのみはいかに鞍馬山僧条坊にもひけを取らないと、射命丸文はそう自負している。

 だがそれ故に彼の言葉は暗にその惨状は厳然たる事実である、そう語っていた。

 山麓を吹き抜ける風が、厚みを失った天狗の袖をはためかせる。

 俄かには信じられないが、そうする術を持った者が妖怪の山に存在していたのだと、実感せざるを得ない。

 

「お前も面識くらいはあるだろう、犬走椛。あれは随分と前例を覆す事に長けているらしい」

「……それはあり得ません。確かに彼女は研鑽を怠る事を知りませんが、貴方が積み重ねた歳月を打ち破るにはまだ――」

「ほう? つまり然るべき研鑽を積めばいずれはこの私をも超える器だと、そう評価していたのだな」

「それは、言葉の綾ですよ。坊主が経を習わずに塵のみを集めて頓悟した例もありますし、一念が岩をも穿つことはままあります」

「よい、事実それだけの才覚はあると刃を重ねて私も実感した。

 私を疑うというのならそこの友にでも訊くといい。名は……何と言ったかな、案山子年報の記者よ」

「ひ、姫海棠はたて、です」

 

 話の蚊帳の外で強張った表情を取っていたはたては突如大天狗の意識が自身に向たという事実に目を白黒させながら、口をぱくぱくとさせている。

 昨夜の死闘をその目で見たとはいえ、未だにそれが真実であると信じ切れていないのだろう。それを口にすることで本当に事実になるのではないかと逡巡を重ねるが、やがておずおずと事のあらすじを述べ始める。

 

 ――昨夜の験比べにおいて椛を筆頭とした白狼天狗衆と鞍馬の御前試合が行われたという事実。

 ――肉薄こそすれ彼女たちが剣神に適うはずもなく次々と倒れていったという事実。

 ――そんな中、椛の振るう業物から噴出した妖気が彼女自身を取り込み、狂暴化させたという【異常】。

 ――その妖刀から噴出する妖気が先の満月の夜、山を汚染したものと寸分違わなかったという【異常】。

 ――変貌した椛だったものが振るう剣は鞍馬の絶技とすら渡り合ったという【異常】

 

「そんな……」

「嘘じゃないわよ。居合わせた守矢の巫女も椛は神様にでも憑かれているんじゃないか、なんて言ってたし」

 

 呆然とする、なんて事態は千余百年も生きていればそうそうなくなる。少なくとも多くを見聞きしてきた文にとっては希少な出来事だ。が、それもこれだけ続けば流石に許容量を越えそうになる。

 何より、ここでこうして上役の大天狗が自身を呼び止めるということは単なる小言を聞かせるためではないだろう。

 積み重ねてきた権謀術数の経験が、新聞記者としての感が、ここより先の言動は射命丸文の今後の身の振り方を決定づけると告げていた。

 

「大天狗様も、随分と下々の天狗の世情に目敏いようで」

「互いへの政治的牽制だの自己顕示欲だのに塗れた記事ばかり読み書きさせられていればお前たちの新聞は目新しく映るものでな。

 なに、功を横取りしようというわけではない」

 

 天狗の新聞大会の優勝記常連である鞍馬諧報の記者も何かと思うところはあるらしく、自嘲的に肩を竦める。

 噂ではどんな記事を書いても大天狗の立場に取り入ろうとする天狗達が山の様に新聞を買っていくものだから筆を取ること自体に鞍馬は辟易している――なんて言われているが、どうやらそれもあながち嘘ではないらしい。

 え、私の記事も読まれてるの? ときょとんとするはたてを尻目に大天狗は一部の新聞記事を広げた。

 見間違うはずもない、それはつい先日文自身が記事を書き上げ、発行した文々。新聞である。

 

「名を忘れた名工現る、か。件の名工とやらが拾われたのが先の満月の晩。

 犬走の同僚への聞き込みからも記憶喪失の男があの刀を打ったという情報が上がっている。

 因と果、繋がっているように見えるが……真ならばこれは大した功績だな。天魔殿もさぞ喜ぶであろう。」

「ぁ――」

 

 言葉を失う。

 これは文が半ば予想していた事態。

 江月魁斗と名付けらえた半妖と接触した時から想定していたことではないか、妖怪の山に名も知れぬ何者かが侵入したとされる満月の夜、その翌日に山の下流域で拾われたという出自も分からぬ半人半妖なんて疑わない方がどうかしているし、事実その線を疑ったからこそ文は彼を監視していた。

 だからこそ何も意外なことなど無いはずなのに――

 

「既に捕縛隊の結成は終わっている。あとは令を出すだけだが、半妖の居を敢えて記事に載せぬあたり底意地が悪いと他の天狗共も吠えておったよ。

 しかし大禍となるやもしれぬ件の半妖一番よく知っているのはおそらく射命丸文、おぬしであろう。ならばこそ捕縛の任には射命丸を、と推しておいた。」

 

 だというのに何一つ疑うことなど知らずに烏天狗の言葉に信をおく魁斗の姿が、どうしても脳裏をちらついて離れないのだ。

 (ああもう、なんだってこう厄介な方向に傾くのよ!)

 

「―――誤るなよ。我ら天狗の聖地を犯した者だ、裁かずに於けば不和を呼ぶ。

 事実、間諜を招き入れたのは白狼天狗だなどという声も挙がっている始末だ。」

 

 淡々と、彼の大天狗の勅命が下る。

 おそらく、彼女自身にも外敵と通じている可能性があると声が挙がっているのだろう。甚だおかしな話ではあるが先の満月の夜以来、膝元で毒を流された天狗達は過敏になりすぎているきらいがある。故に疑惑を払拭する機会をこうして与えられたのは温情以外の何物でもない――のだが。

 

 息をのむ。髪を掻きむしりたくなる衝動を必死に抑える。取るべき選択なんてものは初めから決まっているではないか。

 

「諒解にございます。必ずや災いの元を大天狗様の下に召し捕ってまいりましょう」

 

 功績を先取りされた、とでも言わんばかりに口元をへの字に曲げるはたての横で、射命丸文は恭しく大天狗に首を垂れるのであった。

 組織に属するという事は、自分の意志では動けなくなるという事。

 そんな言い訳を使うには少し彼女は賢しすぎた。

 

 一陣の烈風が木の葉を刻み、飛翔する。

 

 

 ◆◆◆◆

 

「うお~い、帰ったぞ~」

 

 結局、夜雀の屋台で呑んだくれていた酔っ払いが玄武の沢の河童の工房に顔を出したのは太陽が東の地平から登り切った後だった。

 音程の外れた鼻歌を歌いながら千鳥足で帰って来た半人半妖に河城にとりは眉を顰める。

 

「うへぇ、酒臭い。記憶探すって言って出て行ったのになんでそうなるのさ」

「そこに酒があったんだ、呑まないわけにはいかないだろ。記憶の方はてんで戻る気配もないし、これくらいは許してくれよぉ」

「……なんというか、着実に萃香さまの影響受けてるよね、盟友」

「そうかもな」

 

 うはははと快活な笑い声をあげる魁斗を観て辟易したようににとりはため息をつく。

 一応イヤミのつもりではあったのだが逆効果だったらしい。夜になっても戻ってこないものだから心配していたが、それもバカらしくなってきた。

 上機嫌なことに口をはさむつもりはないが、絡み酒なのはなんとかしていただきたい。

 と、そこでにとりの出で立ちが普段の作業着ではなく割烹着であることに気づいたらしい酔っ払いが声をあげる。

 

「お、昼飯の準備中か? 手伝うぞ」

「だーっ、くっつくなよ暑苦しいなぁ、もう!

 ほら、じゃあその辺でこれでも切ってて」

「あいよー」

 

 にとりはまな板と胡瓜と魁斗謹製の包丁を押し付けて座らせる。ついでに沸かしたての胡瓜茶も追加で、さっさと酔いを醒ませと暗に催促。

 酔いどれに包丁仕事を任せるのも危険ではないかと渡した後で気づくが……自分で打った刃で傷付くようなヘマもしないだろう。

 

「最悪、指の一本や二本ならくっつけられるし」

「んあ? 何か言ったか」

「いんや、なにも。

 それより昨晩もあの忌々しい土蜘蛛が盟友のこと探しに来てたよ……調味料持参で」

「……肝が竦むような事言わんでくれ」

 

 夏の日差しの暑さも吹き飛んだとばかりに青ざめた表情を浮かべる魁斗に溜飲も下がるというものだ。

 今度からはこいつをからかう時は土蜘蛛の話題を出してやろうとにとりは内心ほくそ笑む。

 忌憚なく好意と食欲をぶつけてくる土蜘蛛の少女――黒谷ヤマメに江月魁斗は出会ったときから気圧されている気がある。魁斗がのらりくらりと幻想郷の住民相手に交流を取っているとはいえ苦手な相手がいるという事実は、人見知りをするにとりからすれば親近感も湧く。

 その一点においてだけはあの土蜘蛛に感謝してやろうとも思わないでもないのだ。

 

「と、それとは別に例の山の神様から依頼されてるダム建設の話だけどさ。土台部分にもう少し建材が必要だってヤマメがごねてたよ。

 使える資材も限られてるし、他部分の資材を流用しようとすると設計変えないといけないから絶対に河童と土蜘蛛で諍いが起こる。なんとかならないもんかね?」

 

 ぐつぐつと鍋の中の胡瓜を茹でながら天気の話題でもするようににとりは厄介な案件を口頭にあげる。

 

「なんでそれをオレに訊くんだよ。そういう事の取りまとめはそれこそあのいけすかない神の領分だろ」

「いやあ、実はすでに資材は一回工面してもらってて、二度目なんだなこれが。流石に渋い顔されそうで……怖いし」

「河童と土蜘蛛で見栄を張ってあれこれと付け足すからそうなるんだ。潔くお上に面知切るか変な機構を図面から消すんだな」

 

 むう、とにとりはくちばしみたいに口をとがらせて唸る。

 会心の出来だと胸を張れる発明をいくつも彼女たちはダムに組み込む予定なのだ。それを外すなんてとんでもない。

 土蜘蛛に譲歩するというのももってのほかだ。

 

「どうしても、というのならいっそ自分たちで鉱脈でも掘りだせばいいだろう」

「んなのどこにあるか分かるわけないじゃないのさ、山童じゃあるまいし」

「そうか? 目ぼしい場所なら一つそう遠くない所に合ったけどなあ。椛に追われ……いや、会った時に偶然見つけたんだが」

「御山を削ったりなんてしたら川が汚れるじゃないのさ! そんな土蜘蛛みたいな事は却下だよ却下!」

「そんな事気にしなくても……おっと、分かったこの話は取り下げるよ。だからそうキレるなって」

 

 眉尻を下げて威嚇するように鍋の中をかき混ぜていたお玉を向けられたのでは適わない。此処で台所事情を握っているのは紛れもない河童の少女、ただ飯喰らいの半妖の立場では下手に気分を逆なでするわけにもいくまい。

 いかに画期的な発明や合金を生み出そうとも魁斗の所感では河童たちの共同社会で出回っている金属の質や絶対量というのはどうにも物足りなく映る。なんでも、それは幻想郷が外と結界で半ば隔離された閉鎖空間であるが故の弊害だというのだ。

 (足りないのならばいくらでも手に入れる術はあるだろうに……)

 例えばそう、工房の台所の窓からでも垣間見える霊峰―妖怪の山―ならば埋蔵されている鉱石の量も相当な筈。

 一角を切り崩すだけでも向こう百年は鉄の工面に四苦八苦する必要もないと魁斗は思っているのだが、どうもこの点は彼女たち河童にとっては禁忌にあたるらしい。

 

「ならもうお上に頭下げるか、諦めて当初の予定通りに作り上げるしかないだろうよ。オレだって記憶もないのに神様相手にいちいち腹立てるのは疲れるんだよ、交渉がしたいのなら他をあたりな」

 

 あくび混じりにまな板の上の胡瓜を刻みながら答える。

 

「聞きづらいから話題にしなかったけど、本当に山の神様が嫌いなんだね」

「本当なんでなんだろうなぁ、冷静に考えればこれといってあれを嫌うような理由もないはずなんだが。どうにも理屈とは別の部分で好かない」

 

 そう、目下のところそれが問題なのだ。

 未だ思い出せぬ記憶の部分か、それとも半妖としての本能の部分にあるのかさっぱりわからないが、時折こうして江月魁斗としての性情と全く異なる一面が首を擡げることがある。恥ずかしい限りだが、どうにも魁斗自身未だにそれを御す術を持たないでいる。

 それがいつ他者に危害を加える形で発露するか内心冷や冷やしているのも事実なのだ。

 ――仮に、交友を持ち杯を交わしていた相手のはらわたに口付けをしたいと願ってしまったとしてそれを押し留められるかどうかすらよくわからないのだから。

 

「別にいいんじゃない、どうしたって受け付けない相手ってのはいるもんだし。

 何より、記憶が無いってだけで好きも嫌いも無くなってたら残るのはただのカラクリだよ。外からの刺激でしか動かなくなった連中の尻子玉ほど味気ないもんもないしさ、その点魁斗はカラクリじゃなくて生きた人間だよ」

「にとり……お前」

「へへん、私だってたまには良いこと言うんだぜ?」

「いくらオレの夜遊びが過ぎるからって昼餉に尻子玉抜こうとか言わないよな?」

「ははは、土蜘蛛に食い荒らされるくらいならそれもイイカモナー」

「やめろ! 食ってもオレは美味くねえって、だから早まるな!」

 

 青筋を浮かべるにとりと、背筋に寒いものを感じながらじりじりと後退する魁斗。

 半死半生の状態で覚醒したあの日から変わらず続けられるとりとめのないやり取りも、こうなってしまえば日常と呼んで差し支えない。

 故に――

 

 日常を崩す者はいつだって外から訪れる。

 

「おはようございます。相も変わらずお二方の漫才はヤマもオチもないんですね」

 

 戸口から響く呆れ声、夏の夕立に吹く風のような少女の気配。

 視線を向ける余裕など哀れな半人半妖には一匙だって残っていなかったが、なりふり構わず助けを求めるほどには切羽詰まっていた。

 

「漫才をしているつもりはないし、このままだと悲劇で片が付く。有り体に言うと今すぐ助けてくれると在り難い、具体的にはこの河童が取り出したやけにごつい器具がオレの肛門にぶっ刺さる前に!!」

「ふふふ、痛いのは死ぬまでだけさ」

「致命傷じゃあないか!?」

 

 カチカチと不穏な音を立てる河童謹製のペンチをやけに据わった目で構えていたにとりも予想外の闖入者の姿に動きを止めた。

 不機嫌な声色には僅かにだが怪訝の色が現れる、

 

「やけに大勢でどうしたんだ。こっちは取り込み中で忙しいんだよ」

「お時間は取らせませんよ。手短に、との命が下っていますから」

「ん? 大勢……」

 

 にとりと射命丸の会話につられて魁斗も視線をそちらに向ける。

 確かに、工房への突然の来訪客は見知った烏天狗だけではなかった。見覚えのある顔こそないが、射命丸以外の周りには彼女と同じく烏の翼を備えた男たちが数名ほど。

 装束についても統率されており、先日知り合った犬走椛――彼女の着ていた装束をより上質な布と装飾で拵えたようなものであった。

 室内とはいえ、袈裟を一切揺らすことなく精悍な男たちが初めからそこに存在していたかのように屹立している光景は。なるほど、これならばにとりが気圧されるのも仕方がない。

 何はともあれ、九死に一生を得た。溜飲が下がるまでにとりから距離を取ろうと魁斗が踵を返した時だった。

 

「「「動くな」」」

 

 つい数瞬前まで包丁を握っていた右手に走る鈍い衝撃。落ちたそれが足元に転がる乾いた音が耳朶を打つ。

 知覚の外で何が起きたかなど魁斗には知りようも無かった。

 狭い工房、散らかった工具、鍋から立ち込める湯気、乱雑に置かれた家具。

 それらに仔細たりとも影響を及ぼさず距離を詰めることがどれだけ至難の業であるか。

 首筋に触れるひやりとした感触、それと同じものが脇腹や背筋に当てられて初めて、殺意の坩堝に放り込まれたのだと気づいた。

 下手に身動きを取ろうものならそのまま得物が柄まで埋まる、というのは想像に難くない。

 

「色々と訊きたいことはあるが、昨日の飲みは奢りだったよな?」

「ええ、瀟洒なメイドさんのおかげで私の懐はさほど痛みませんでしたとも、踏み倒しの請求とかではないのでご心配なく」

「そりゃ結構なことで」

 

 

 名も知らぬ天狗達に突き付けられた殺意の包囲網が狭まる。場の空気を茶化そうという試みは下策であったらしい、招いた舌禍を前に魁斗は嘆く。

 射命丸の声色も、流石は天狗というだけあって感情を上手く包み隠している。故に本心を探ることは難しそうだ。

 得るものがあったとすれば、射命丸の連れ入れた天狗達の注意はあくまで魁斗ただ一人に向けられていること。こうなった経緯は未だに不鮮明だが、その非は少なくとも半妖にあるのだと彼らは考えているらしい。

 事態を掴めず固まっている河童の少女に目をやる。先ほどまでの他愛ないやり取りが児戯に見える本物の害意を前にして処理容量が限界に達したらしい。

 (希望的観測ではあるが、にとりがオレの不手際に巻き込まれないならそれに越したことはない、か)

 後顧の憂いは一つ断てたが、未だに天秤の上で命が何と釣り合っているのかすら分からない状況に変わりはない。

 誰が敵で、誰が味方で、【何】がそれを区別しているのか。

 ふるいにかけるうえで必要なのは常に情報だ、

 (ここは一つ賭けに出てみるか……)

 如何様に振る舞えば生き延びることが出来るのか――そういう思考をするとき、決まって魁斗の中では狡賢い蛇が鎌首を擡げる。

 

「で、お歴々はどうしたんだい? 物騒な顔して」

「どうしたもなにも貴様が拵えた代物が全ての原因であろうが」

「そのお粗末な刃物を新品と取り替えてほしいってんなら予約待ちだ、つい先日美人の女中から依頼があったんでね」

「……貴様、これ以上我らの地に汚毒を振りまくつもりか」

 

 周囲の天狗が声を荒げる。

 ――掛かった!

 予断を許さない状況において下手な発言は首を飛ばす、がそれも相手が雄弁になる場合においてはその限りではない。危険ではあるが怒りの感情こそが口を軽くする。

 それを足掛かりにして状況の把握と改善を、そう謀った時だ。

 いきり立つ天狗達を制すように腕が上がる――白魚のような指先に絶えないペンだこの持ち主。

 

 

「射命丸……?」

「余計な切り口を与えるなと事前に言い含めた筈なのですが、存外あなたの手腕は秀でていたのかもしれませんね」

「お前、まさか」

「付き合いが長いとは言えませんが、考えていることはおおよそ分かりますよ。

 『私が発言を控えていたのは立場があるから、表立って味方になる事は出来ないがそれでも助け舟を出してくれるだろう』というところでしょうか。」

 

 悔しいが、当たりだった。彼女には色々と利己的な面が見え隠れこそするが、それでもきっと最後には……

 甘えが混じってこそいるが、そこにはある種の信頼があった。 

 否、これは依存なのかもしれない。

 

「……親鳥に裏切られた雛っていうのは、こういう気分なんだろうな」

「巣に潜り込んで卵を丸呑みにする蛇に対して、取るべき手段は変わりませんよ」

 

 魁斗の縋るような視線を払いのけるように、少女は彼に背を向ける。

 まっくろな、真っ黒な翼がそこにはあった。夜が形を取ったような、本意を覆う帳が――

 

「……最後に親切心で忠告をしますけどね、魁斗さん。

 あなたを裁くのは公明正大な閻魔などではなく、魔道を往く我ら天狗の意思決定機関です。

 御山に仇成す怨敵として処断される。その方が我らにとって都合がいい、如何様な懐柔や命乞いにも意味はないでしょう。

 だから――」

 

 最後に途切れた言葉の続き。

 それに反応するより早く射命丸の手は落とされる。

 ここまでだ、と

 鈍い衝撃と共に無知な半妖の意識は落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話更新はなるべく早くします、と宣言はしてみましたがもう自分の言すら信用ならない状況なので期待せず待っていただけるのが一番かと。
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