東方刻銘録~鬼が出るか蛇が出るか~    作:ライラ

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今作のキーパーソン(ヒロインとは言ってない)の萃香登場回。
いや、人ではないからパーソンというのもおかしな話かもしれないですね。



鬼隠し

 

 その日は元々月見酒の気分だったのだ。

 とはいえ、これといった理由は無い。たまたまその日が暦の上では満月で、大方の妖怪にとって満月とは縁起の良いモノだから。

 

 月を肴に酒を呑むのは中々に気分が好い。

 杯になみなみと注いだ酒に映る月というのも風情がある。

 また、つい最近見つけた絶好の酒呑み場――――霧の湖畔で湖面に映った月を楽しみながら呑むというのもまた一興。

 長い間酔っぱらっているとどうもその辺りのこだわりは造詣が深くなるモノらしい。

 とはいえ、彼女が一体いつから酔っぱらっているか、知っている者など殆どいないわけであるが。

 

 

 

「曇天を肴に自棄酒じゃあ悪酔いしそうだなー」

 

 けどまあ、その時はその時でまた一升ほどひっかけて酔い直せばいいか、と少女は笑う。

 否、少女と形容するにも語弊がある。正確に言い表せばその体躯は幼女のソレだ。

 しかし、長い亜麻色の髪の下から生えた二本の角、その異形性を差して幼女と呼ぶのもまた憚られる。

 幼女―――伊吹萃香は何を隠そう、幻想郷においても最高峰の力を持つ妖怪、鬼なのだから。

 

「いや、待てよ?」

 

 何か思いついた様に萃香は天を見上げた。

 天蓋は、鉛色の雲に覆われている。先日あれだけ豪雨を降らしておいて、また懲りずに一雨降らそうという魂胆らしい。

 月見酒、花見酒にとって雨とは天敵である。どうもそれは困る。

 だから、萃香はその華奢な掌を天に―――曇っていなければ月が顔をのぞかせていたであろう方向にかざした。

 

「雨雲ー!どっかいけー」

 

 なんともまあ無茶苦茶というか、荒唐無稽な命令。

 何も知らない人間が見れば中々に微笑ましい光景に見えただろう。

 瓢箪を小脇に抱えて月見をしようとしていた幼女が、曇り空に手をかざして晴れろと言う。

 世を知らぬからこそ行える戯れ、見るモノが居ればその純粋さに笑みをこぼすのが普通。

 ただその幼女は――――

 道理を弁えない童ではなく。

 条理を外れた鬼だったから。

 雲が――――【散った】

 それが物質の密度を操る鬼、伊吹萃香の能力だった。

 

 ―――雲の合間から一筋の月光が差し込む。二本、三本、その光条は見る見るうちに数を増し、宵闇を切り裂いた。

 遂には真円の月が、星々が天蓋に煌めく。

 溢れんばかりの月光は湖畔に萃香が立つ霧の湖を照らしだす。

 天には月が一つ、湖面にも月が一つ。

 いや、注視さえすればもっと月はある。

 辺り一帯にぽつぽつと出来た水たまりの中にも、新緑の葉の上の水滴にも、それぞれ一つずつ。

 そして――――萃香の手中の杯、それに注がれた酒上に一つ。

 天然の鏡の数だけ月は在った。

 幾数にも分かたれて尚、転写に転写を重ねて尚その本質を失わない――――きっとそんな月の妖気だからこそ妖怪たちの中にも月を信仰するモノが多いのだろう。

 (ま、わたしにとって一番は酒だけどね)

 あくまで月は肴、酒が無ければ彼女にとって天頂に輝く月など単体ではさほど魅力のある対象には見えない。

 月より団子、団子より酒である。

 団子を月に見立てるなんて迂遠な事をするくらいなら、始めから酒を呑めばいい。酔ってしまえば何でも月に見えるのだから。

 くいっと杯を傾けて、萃香は酒を喉の奥に流し込んだ。小さな可愛らしい口元から酒が零れるが気にはしない。

 

 日中は氷の妖精含め様々な者達の影響で騒がしい霧の湖も、霧が晴れる夜は随分と静かだ。

 

「んくんく……っぷはぁ。やっぱ氷精よりも酒精だわ……っと、あらら?」

 

 ふと小さな違和感を覚えて萃香は顔を上げた。

 懐かしい匂い、いや、臭いが鼻をつく。

 

「湖なのに鉄の匂い?……はて、ここの上流は妖怪の山だし、土蜘蛛あたりの仕業なら河童が黙ってるとも思えないんだけどなぁ」

 

 見れば湖面がうっすらと赤く染まっていた。

 となればこれは血の匂い。この湖の対岸には吸血鬼の館が建っている事を考えるとなんとも因縁的だ。

 だが、無秩序に自分の生きる糧を棄てるような真似は吸血鬼もするまい――――血の池を作ろうとしているならば話は別だが。

 気になった萃香は瓢箪の中で酒が醸造(でき)るのを待つ間、周囲を散策しようと決めたのだった。

 鬼が特別嗅覚に優れているという訳ではないが、なに、時間はかからないだろう。

 数居る妖怪の中で鬼ほど血と戦の匂いに敏感な者達もそう居ないのだから。

 

 ○●○●○

 

 ふと、小さな呻き声を萃香は聞いた。

 濃密な血の匂い、それが濃くなればなるほどその声は小さく、か細くなっていく。

 なんてことはない、ただの死に体。生気が尽きかけた肉の塊が岸辺に打ち上げられていた。

 千切れかけた腕と、深い傷を負った首。だくだくと流れ出す血流は確実に彼岸との距離を縮めている。

 湖がその一帯だけ赤く染まっていた。

 人間ならばどう考えても絶命していてもおかしくない惨状。だというのにそれはまだ存命していた。

 呆れるような生命力、だがそれだけだ。例え峠を越えても今宵は満月、血の匂いを嗅ぎつけた妖怪たちに見つかれば今度こそ助かる術はあるまい。

 生きたまま妖怪に貪り食われるか、死んだ後、死肉を貪り食われるか。

 

「お前も厄介なのに目を付けられたね、満月の夜じゃなければまだ何とかなったかもしれないのに」

 

 意識があるかどうかすら定かではない死に体の傍にしゃがんで萃香は呟いた。不幸にも前者を引き当てたな、と。

 

 耳を澄ませば聞こえるだろう、

 草葉の陰から聞こえるはぁはぁという荒い息使い。

 

 暗闇で蠢くのは赤く濁った眼の数々。だらりと伸びた舌からはぽたぽたと唾液が滴り落ちるケダモノ達。

 どうにも妖犬の類をそれは引き寄せてしまったらしい。しかも満月の妖気に当てられたのか気が荒くなっている。

 獲物の傍に鬼が居るからまだ、辛うじて妖犬達は襲いかからない。だが一度その牙をむけば待っているのは地獄絵図だろう。

 ハラワタを無節操に食い漁り、骨を噛み砕いて髄を啜って去っていくそれらの食事後は見るに堪えない。事実、そういう陰惨な食事跡が里の人間達の妖怪達への恐怖を増長させるのだが、実に心外だと萃香は思う。

 調理の概念が無いからなまじそれは凄惨性を増す、しかしそんな食い方ではあまりにも品が無い。

 

「しっしっ、犬っコロはどっかにいってなさい」

 

 だから萃香は適当に手を振って、ついでにそれとなく妖犬達に“気”をぶつける。

 獲物に喰らいつく機会を伺いながら唸っていた妖犬達はそれだけで尻尾を巻いて逃げだした。

 

「うん、好い気味だ」

 

 古来より犬と鬼とでは相性が悪い、猿やキジも大概だが犬なんかは特にだ。

 そんな鬼の気まぐれが名前も知らない相手を助けることもあるだろう。

 

 

 

「生きたままなら丸ごと、いや踊り食いなら活きがよくなくちゃ。

 これだけ冷たくなってるなら……そうだな、いっそ釜茹でなんか丁度良いかも――――」

 

 前言撤回。一難去ってまた一難。

 萃香もまた鬼だったのだ。鬼とは人を攫う者、人を喰らう者。

 幻想卿に敷かれた人里と妖怪の不可侵条約もここでは意味が無い。

 萃香は積極的に人を喰らうのを好む性質でもないが、かといって縁もゆかりも無い人間を喰らうのを躊躇うほど人の善い妖怪では無かった。

 いっそ、鬼は鬼でも吸血鬼なら良かったのだ。彼女達は屍肉から血を啜らないから――――   

 

「………に……タクナイ」

「うん?」

 

 泥と血液と水でボロボロになったそれに手を掛けようとしたところで、何かが聞こえた。

 先ほどのような意味のない呻き声でなく、生存本能があげる弱々しい叫び。

 

「死に、たくない……死にたく、ない」

 

 うわ言のように「死にたくない」とそれは呻き続ける。

 朦朧とした、あるかどうかも分からない意識の中で萃香の呟きでも聞いてしまったのだろうか。

 泥中でみっともなく声を上げる、血と泥にまみれて、冷たくなった体で―――独り寂しく、最後の時を迎えるのは恐いと。

 ただ生のみに執着する――――純粋な祈り。

 

 見上げた生命力だがそれもきっと萃香が首に手を掛けて少し捻れば途絶えるだろう。

 もはや断末魔の悲鳴をあげるだけの体力も残っていまい。事を為すのにはきっと数秒の間さえ要さない。

 

「ふぅむ……」

 

 しかし。

 何か、思索するように鬼の幼女は黙り込む。

 萃香は鬼だ。鬼とは本来人に敵対するものだ。

 事実過去は何度も人と争ったし人を喰ってきた、今更人喰いに躊躇は無い。

 命乞いだって何度も聞いてきた。目の前でうわ言のように繰り返されるそれもそれらとそう大差は無い……筈なのだが。

 参ったな、と萃香は呟いた。

 

「なんだよ――――――人間かと思ったら、お前【半分は妖怪】じゃん」

 

 喰えない事は無いが、興が削がれた。

 だから喰わない―――――

 

「霊夢達と関わって、わたしも丸くなったかなあ?」

 

 それはまあ、なんというか鬼の沽券に関わることの様に思えて―――――

 でも結局、酒が美味ければ他は何でもいいか、と萃香は納得したのだった。

 天を見上げれば雲は散り、天蓋を覆うのは美しい満月。

 天龍座―――人間達が言うところの北斗七星―――も今日は一層美しく天頂に輝く北極星を狙っていたから。

 だから実を言うとそれほど酒の肴に困ってはいなかったし、機嫌が良かったのだ。

 

「よし、そうと決まればこのまま見捨てるのも酒がマズくなる。

 お前はこの伊吹萃香様が助けてやるから感謝しな」

 

 何が「そうと決まれば」なのかはよく分からないが、萃香はとんと胸を叩いて意識のないそれを抱き上げる。見た目が幼いとはいえ鬼、人一人分の重さに動じる様子は露も無かった。

 とにかく――――その死にかけた半人半妖の男にとっては天恵だったのかもしれない。

 なにせ、鬼の気分とは山の天気のように変わりやすいからだ。

 

 ◇◆◇◆

 

 半刻後―――

 

「あー、助けるとは言ったものの、どうしたもんかな」

 

 ぽりぽり、と亜麻色の髪をかきながら鬼の幼女は途方に暮れる。

 如何に鬼が移り気とはいえ既に「見捨てる」という選択肢はない。

 なぜなら彼女達にとって「嘘」とは最も唾棄すべきモノで、一度「助ける」と口に出してしまった以上それを嘘には出来ない。

 どうせ誰も聞いていない独り言と思うなかれ。

 言霊の力は偉大で、その言葉を発した萃香自身がそれを聞き届けてしまった以上それはもう変えようのない事実だ。だって、自分自身を騙す事は鬼には出来ない。

 ただ、鬼だからこそ――――

 

「医者とかとんと縁のない生き方してきたからなー

 とりあえず酒呑んで寝れば大抵の傷は勝手に治るもんだとばっかり」

 

 それはもうなんとゆーか仕方のない事ではあったのかもしれない。

 仮に、首をはねられてもそのまま跳ねまわるくらいの生命力が取り柄の鬼に医の心得なぞあるだろうか、いや無い。

 

 

 男一人を軽々背負ったまま、割と行く宛のないままふらふらと千鳥足で進み続ける。

 最近評判の竹林の医者を頼ると言うのもあるが、何しろ現在地からでは遠すぎる。ここからでは竹林は人里を挟んで正反対の方向だ。

 萃香一人ならどうという事のない距離ではあるが、さすがに瀕死の怪我人を抱えたまま走るのはマズイ、そのくらいの判断力は酔っ払いにだってちゃんとある。

「んー、まずはどうすんだっけ?傷口洗って、包帯巻いて、念仏唱えるんだっけか?」

 

 ……余談ではあるが、祈祷という形で病魔を払う医療手段があるが、元々効果の信憑性が薄いそれを鬼がやるというのも色々と滑稽な話である。

 ………というか、その理屈では鬼の彼女は病魔を運んでくる側だったりする。

 

 そんなこんなで、割と緊迫感が無いながらも着実に重症患者の命が三途の川に近づいていた時だった。

 てくてくと、湖に流れ込む川沿いに上流へ向けて歩いていた萃香の耳に第三者の声が入ってきたのは―――

 

「河童の~技術は~世界一~♪

 目指せキュウリで技術革新!

 耕地面積そのままに~、収穫量は倍目指せ~♪」

 

 呑気というか、陽気というか、そんな歌が少女の声に乗せられて木霊する。

 鼻歌交じりに適当な単語を並べているだけで実際にはこれといった歌詞は無いのだろう。だからこそ、歌い手の気分が直接反映される、そんな歌だ。

 とんてんかんてん、工具が奏でるハーモニー。“山”に萃香が居た頃から聴き覚えがある技術者達の歌だ。

 

「いやー、それにしても水車に遊び半分で付けたモーターがあそこまで強力だとは思わなかったなー

 まさかそのまま空に飛び立つとは思ってなかった……うん。今度は何か有効活用法を見つけよう」

 

 晴れた日の沢と同じ水色の髪をツインテールに結んだ童顔の少女はなにやらぼそぼそと呟きながらイマイチ用途の判然としない工具をカチャカチャ鳴らしながら自分の作業に没頭しているようだ。

 月明かりの下に照らされているのは丁度子供の頭くらいの大きさの箱、これまた萃香には何のカラクリだかさっぱりである。

 ついでにそんな距離に萃香(と担がれた男一人)が近付いても気付いた様子はない。

 

「いよーう、河の字ー。元気してるかー?」

「ひゅいっ、誰だよこんな時間に。……って、げげっ!? す、萃香さま!?

 こ、ここ、これはご機嫌うるわしゅう、えーと……」

「んー、他人行儀だな。杯を交わした仲だろ?」

「あの、すいません。あんま記憶に無いです」

「うん、そりゃあ前後不覚になるまで呑ませたからね。記憶飛ぶほどだとは思わなかったけど」

「うぅ……だから自分達はキュウリ酒で良いって言ったんですよぉ」

「?……あんな水飲んで何か楽しいの?」

 

 陽気な笑顔で語りかける萃香と、童顔をガチガチに強張らせて冷や汗もだらだらと流しながら応対する少女。

 どう見ても良好な関係には見えないが、妖怪の山(ここ)ではよくあることだ。

 河童や天狗は鬼に付き従いはしても心は許さない。いや、かつてそういう風に萃香達は振る舞ってしまった。

 それはもう仕方のないことだ、内心諦める萃香。

 と、流石に幼女が肩に背負うモノが目に入ったのか少女―――河城にとり―――はおそるおそるという体で質問する。

 

「ところで、その肩にしょってるのは何です?」

「ん、何に見える?」

「……酒のおつまみ?」

「なんならコレを肴に一杯やるかい」

「じょ、冗談、盟友なんて喰ったら河童の仲間に何て言われるか……ぶるぶる」

「散々人間の尻小玉抜いておいて何を言ってるんだか……」

 

 河童という種族は人間の盟友を名乗っておいて、不用心に湖や川に近づく人間を襲う事もある。

 その辺の二律背反も含めて彼女達が幻想郷の中でも変人や偏屈な者が多いといわれる所以なのだろう。

 まあ、結局のところ妖怪という生き物はえてしてそういうものである。

 手先が器用で高度な文明社会を築いていても本質的な部分は変えられない。

 (手先が器用……あ、そうだ)

 

「なあ、河の字。実はお前さんに頼みたい事があるんだが、河童って細かいこと得意だろ?」

「え、えぇ……一応は」

「とゆーわけでコイツの治療を頼みたい。私は鬼だからそういうみみっちい事は苦手でね」

「ひゅい!?いや、いきなり人間渡されても困るというか。って、よく見たら滅茶苦茶酷い怪我してるっ!?」

「まあそいつ、半分は妖怪みたいだから安静にしてれば放っておいても峠は越えそうだけどね。

 んじゃ、私はちょっくら呑み直してくるから後は任せたぞー」

 

「あの……細かいこと得意とは言っても、機械弄りと人体弄りは違うよーな」

 

 ひらひらと手を振って呑気な足取りで去っていく百鬼夜行の主を呆然と眺めながら河童の少女は途方に暮れるのであった。

 




元ネタ、補足の類は特になし。

地形的には霧の湖の上流は妖怪の山だという公式書籍の設定を参照しました。
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