初日の連続投稿はこれにておしまいっす。
断頭の、ユメを見た。
冷たい光が煌めく悪夢。
三度、四度……作業のように繰り返される寸断。その度に胴体から離れて堕ちる首。
嗚呼。
何か、手に入れたいものがあった。
けれどきっとそれは叶えてはいけない願いだったのだろう。望まれていない現実だったのだろう。
自己優先な願望は子供の駄々、一方通行の欲望ではただの横恋慕。
自分達が何かを手に入れるという事は、きっと誰かが何かを失うという事。それを理解していなかった。
決して相容れない願いを持つ者同士が交えるのは言葉では無く力。
なんてことはない、
己が是とする筈の悪の法に――――濁世の理に■■は負けたのだ。
――――敗者の首は地から天を睨み
勝者はそれを冷たく睥睨する―――
◆◇◆◇
覚醒は唐突だった。
「っ――――っは!――――げほっ!ごほっ!ごほっ!」
「ひゅい!」
深層と表層、二つの間の皮膜を往来する意識の波、それが肉体に走る激痛によって無理やり表層に引きずり込まれた。
喉の奥を抉られるような痛みに目を覚ます。
肺に流れ込む酸素すら痛い、その感覚に嗚咽する。
痛みのあまり、喉元に手を当てて――――気付く。
皮膚とは違う、布のような感触……おそらく包帯のそれ。注視すれば似たような処置は全身に施されていた。
覚醒直後の、混濁した意識で男は考える。
(誰かに……助けられた?)
しかし、何かがおかしい。だというのに、どうにもそこから先へ思考が進まずにもつれるのがもどかしい。
そういえば……さっき何か声がした様な――――
周囲を見渡す。
男が寝ていたのは長方形の、台のようだ。その上に毛布やらクッションやらを敷いて即席の寝台にしたらしい。
それにしても、おかしな部屋だった。
印象を端的に言えば金属で出来た工具箱の中、鍛冶場というのが一番近い。
のっぺりとした金属の板を張り合わせたような壁に採光用の窓は無く、何か光る筒のようなものがあちこちに取りつけられている。
なにか工具のようなモノが壁にかけられていたり、用途不明の突起物が壁から生えていたり。
とにかく、それが一体何であるか断定できないようなモノばかりではあるが、元々居住空間ではないだろうということくらいは想像がつく。
(そういうことは……直接主に訊けばいいか?)
痛みで度々寸断される思考と、ちくちく痛む目頭に耐えられず目もとを抑えながらも男は声を発した。
喉元の痛みもあって、あまり流暢だったとはいえないだろうが。
「……あんた、が、……助けて、くれたのか?」
「……………………………………え?あれ?……カモフラ解けてた?」
「なんの……ことだ?」
「あー、いや、うん、なんでもないぞ。
ちなみに、お前を助けたのは私じゃなくて萃香さま。
いちおー治療を担当したのは私だけど、しがない河童にあんま期待されても困るので何か不手際あっても萃香さまに告げ口とかカンベンシテクダサイオネガイシマス」
「あ、ああ……?」
部屋の隅の暗がりからにゅっと姿を現したのは、顔の筋肉を強張らせたようなおどおどとした少女だった。
飾り気のないキャップを被り、沢と同じ色の髪を頭の両脇で括っている。
雨合羽のような服を着ているが、普段着であろうか?
その格好に、童顔も相まって随分と幼く見える。
「よく、わからないが。オレはその、萃香って人に助けられたのか」
「うん? 萃香さまは人じゃなくて鬼だぞ……って、知り合いじゃなかったのか?」
「オニ……?
すまん、どうも、そういう名前の知り合いには……心覚えが無い」
そこまで口に出して、男の中で更に得体の知れない違和感が強まった。
思考の混濁のせい、にするにはいささか無理のある問題。
だって、知り合いの名前どころか――――――
「うーん、まあ鬼は気紛れだからそういう事もあるか。
ところで、何て呼べばいいのか分からないから一応、名前だけでも聞いていい?
盟友、って呼んでいいのかどうか私もちょっと判断困ってるからさ」
「な、まえ?……自分の、名前―――――は………あ、れ?」
自分の名前すら、思い出せないのだから―――――
○●○●
「記憶喪失ぅっ!?」
ぽろり、と齧ろうとしていたきゅうりを取り落としたのは少女の方だった。
自分の名前すら思い出せない男自身より、どちらかというと彼女の方がうろたえているといってもいい。
「ええと……よく分からんが落ち着いてくれ」
「お、おお、落ち着いてられるか!あんたの治療を任されたのはこの私、河城にとりなんだぞ。
事情はどうあれ記憶が戻らないとなると何か原因が私にあるみたいじゃん?
いや、そりゃー確かに運ぶ時とかそこら辺にガンガン頭ぶつけちゃった覚えはあるけど……」
萃香さまにどやされるー!、と顔面蒼白で少女――河城にとりと名乗った―――は震えていた。
どうにも度々少女との会話で名が挙がる萃香という人物、否、鬼は彼女にとって頭の上がらない存在であるようだ。
「とゆーか、なんで盟友は自分のことなのにそんなにのんびりしてるのさ」
「……と、言われてもな」
単に、一切合財の判断基準を失っている男からすれば、不安になろうにも何を不安に思えばいいのか分からない。
どこかに居るかも分からない家族か?友人か?恋人か?恩師か?
そもそもそれがどういう存在なのか実感が持てない、居たかどうかすらも曖昧。
今の彼は何を失ったかすら自覚できない、それ故に記憶喪失なのだ。
後悔を覚えるのは、自分の行いを悔いるから―――悔いようにも己の行いを覚えていない。
絶望を識るのは、目の前に見えていた未来が閉ざされるから―――そもそも見える未来が無い。
過去も無ければ未来も無い、ただあるのは現在―――ガランドウな空虚さが付きまとうだけだ。
「ところでなんだ、その“盟友”ってのは?」
「まあ、なんだ。名無しじゃあ呼びづらいから仕方無しに、だな。私達河童にとって人間ってのは盟友なんだ。
半分は妖怪なら人間扱いは気を悪くするかもしれないから控えてたけど、それすらも忘れてるんだろ?
あ、私はにとりな。河童の河城にとり、妖怪の技術屋さ」
なんだかんだで気は良い人物(妖怪?)であるらしい、この河城にとりという少女は。
ただ、記憶喪失の者への対処の仕方というのは当然ながら長けているわけではないらしい。
「ああ。そこは納得した。
ところで、そのヨウカイ、とかカッパ、というのはなんなんだ?
その言い方だと、オレもその、妖怪、の仲間なのか?」
「ぬ?」
この切り返しはにとりにとっても想定外の返しだったらしい。
当然だ、幻想郷に生きるモノにとって妖怪というのは常に傍らにあるもの。理屈では無く実感として知っているもの。
だから改めて妖怪とはなんぞや?という問いに答えるのは案外難しいのだ。
答えに詰まるにとりに予想外の方向から助けの船が出たのはその直後だった。
「その辺は深く気にしない方がいいぞー。正しい人間でなければ妖怪、普通の生き物でなければ妖怪、長く生きれば妖怪。そんなもんさ。
河童とか天狗ってのはそんなふわふわした連中のなかでも割と共通点があるからそう呼ばれてるだけ。
今更そんなこと聞く、ってのはホントに記憶飛んでるみたいだね」
「げげっ、萃香さま………えぇと、あの、その、これは……」
「はっはっは、相変わらず随分な反応だな。いいよ、別に記憶喪失に関しては。
首がくっついてるだけめっけもん、くらいだろうさ」
いつからそこにいたのか。手狭だった個室にもう一人の闖入者?の姿があった。
からからかと陽気に笑いながら立っているのは見た目、にとりより若く見える幼女だった。
幼女の出現と同時に一気に全身硬直の事態に陥ったにとりの様子を見れば、彼女が先ほど話題に上がった“萃香”という妖怪――鬼――らしい。
頭部から突出した二本の角、腕輪から伸びるじゃらじゃらとした鎖が目を引く萃香の姿は、どうも一度見れば忘れられないものだと断言できるが、やはり男の記憶に該当する者の姿はない。
「ところで、どうだい?調子の方は、半人半妖」
罰責から免れた安堵で胸をなで下ろす河童を突然小突いて反応を楽しむ、という蝸牛の目をつついて遊ぶ子供みたいなことをしながら、ふと思い出したように萃香は男へ声を掛けた。
初対面当然の、正体不明の幼女への対応に一瞬戸惑ったものの、どうせ判断基準も依る術もない身からすれば同じこと。
開き直って男は口を開いた。
「胃は空っぽ、頭は振れば今にも落ちるんじゃないかってくらいに首は痛むし、何より自分の名前は分からない。最悪さ」
「はっ、そりゃいい。つまり、これから後は気運は昇るだけってことだろ?最高じゃないか」
「……と、いうことはあんた……萃香、さんはオレの事を知ってる、のか?」
「萃香でいいよ、河童の半盟友。
ついでに言っとくがザンネンながら、私はお前の名前を知らない。出会ったのは前回の満月の晩だから七日前が初対面だね」
七日間も意識が無かったというのも驚きだが、男にとって最初の記憶の手がかりが断たれたというのも問題だった。
依って立つモノが無ければ身の置き場所も分からない。それで過去を嘆いたり未来を悲観することはないが、目下のところ空っぽの胃がキリキリと痛みを訴えるのは困る。
このままでは明日の飯どころか今日の飯すら危うい状態なのだから―――
「そう、か……」
「まぁまぁ、気を落とすのは構わんがどうせこれより下はないんだから無駄だぞ?
ついでに、朗報だ。名前が無いんならこの私、鬼の伊吹萃香さまが名前を付けたげようじゃないか。
今日も酒が美味いから気分が好い。日の巡りがよかったな」
「……は?」
なんというか、いまいち訳の分からない論理の飛躍に男は目を丸くする。
そんな男を尻目に、えへんと胸を張っている幼女と、いろいろと察したのか筆と紙をどこからともなく取り出す河童。
非常に、理解に困る光景だった。
「感謝しなよ、鬼の私が坊主の真似ごとなんてするのは滅多にないことだからな」
「滅多にない、ってことは前にもあったって事なんですか?萃香さま?」
「おうよ、僧門を叩いたことなんて一度や二度じゃないぞ……まぁ、そのほとんどは叩いて壊す側だったけどね」
がははー、と小粋な妖怪ジョークを挟みながらあーでもない、こーでもない、と腕組みして唸る幼女の姿は、おそらく和やかとかほのぼの、と形容したのだろう……ジョークの中身が血生臭くなければ。
どちらにしろ、少し時間がかかるようだ。
「ええと、河城……だったか」
「ああ、にとりでいいよ。というか妖怪はあんまり自分の苗字に拘ってないのが多いからさ。
んで、どうしたんだい?名無しの権兵衛どのよ」
「ごんべ?……まあいい、ちょっと外の空気を吸ってきてもいいか?窓のない部屋というのはどうも落ち着かない」
「そりゃあ水中だから窓は無くて当り前さね。多分部屋出てすぐの所に階段あるから、そこ昇ってまっすぐ進めば外に出るよー
あ、他の部屋は散らかってるから勝手に入るなよ、危ないぞ」
短めに結った髪を揺らしてにとりは答える。ついで、「送ったげよっか?」という配慮を断って男は部屋を出た。
記憶はないけれど、見た目ずっと若い童女にそこまで世話をさせることは、なんとなく躊躇われたからだ。
ぺたり、ぺたりと歩を進める。ゆっくりと、慎重に。
何の気なしに部屋を出たが、男が思っていた以上にその足取りは重く遅い。
その様はまるで初めて歩行を知った赤子か、突然生えた脚に困惑する蛇だ。
(歩き方まで忘れたか?……いや、それ以上に体力の消耗がはげしいのか)
見慣れない構造物―――煤の出ない灯、のっぺりとした金属質な壁、そのどれもが目新しく珍しい。しかし、それを意識するほどの余裕は男に無かった。
こんなことなら河童の助力の申し出を受けておけば良かったと思う反面、そんな醜態は晒したくないというちっぽけな矜持が首をもたげる。
「案外、記憶を失う前は自尊心の高い男だったのかもな、オレ」
通路の途中、ぴかぴかに磨かれた金属板に映り込む自分を観て、ふっ、とニヒルに笑みを零してみる。
うなじの辺りをちくちくと刺す無節操に伸びた黒髪や、落ち窪んだ眼窩で細められた黒金色の瞳、血の気のすっかり失せたこけた頬。何日も寝ていた影響なのだろうがこれではどっちかというと悪霊の類にしか見えなかった……
じくじくとうずき始めた首の痛みも酷い、姿見の前で変に姿勢を捻ったのが災いしたのだろう、首筋に一直線に走った生々しい傷痕が広がる錯覚すらおぼえる。
「………訂正、慣れない事はするもんじゃない」
そんなこんなしているうちに出口に辿りついたらしい。
のっぺりとした扉を押すか引くか迷っている内にどういう仕組みなのか、するするとひとりでに開閉したそれに目を丸くしながらも男は足を踏み出した。
まず初めに――――絶句した。
「あ――――――――――」
煌々と照りつづける太陽。
みんみんと騒がしく鳴き続ける蝉。
しっとりと苔生した玄武岩。
陽光を照り返して輝く河の流れ。
足裏を刺激する丸く削れた石ころ達。
肺を満たすのは新鮮な空気。
ただ酸素で満たされるだけではない、もっと異なる霊的な力に満ち溢れる感触。
音が、光が、臭いが、感触が――――五感すべてに叩きつけられたその密な刺激が語っていた。
「――――――――――――――――――――なんて、綺麗」
生きているのだ、と。ヘンな話ではあるが初めて実感した。
なんてことのないはずのそれらがなぜか美しく、尊く、儚く、そう思えて。
音も無く男は泣いていた。感涙、とも言う。
何が悲しいのか、何が嬉しいのか、それすら分からないというのに圧倒的に心動かされた。
「その様子だと、幻想郷は初めてか? 魁斗」
「っ……いつの間に!?」
突如、密になった気配に振り向けばそこには亜麻色の髪を風になびかせる萃香の姿があった。
慌てて涙を拭う男はしかし、ふと違和感を覚えて。その正体に気付く。
「もしかして、それがオレの……名前か?」
「ああ、そうさ。お前の名前は今から江月魁斗(こうづきかいと)、だ。
湖面に映った月、天に輝く天龍座、そしてなにより伊吹の萃香さま直々に【鬼】の字をくれてやったんだ、これ以上ないほど縁起は良い筈だぞ」
えへん、と薄い胸板を張る萃香。その手には先ほどの半紙が広げられていた。
そこに拙い字で書かれているのが件の名前だろう。
「こうづき、かいと……」
不思議な響きだ、と男もとい魁斗は新しい名を復唱する。始めて聞く筈なのに、とても懐かしい、不思議な名前。
意識を取り戻して数十分、何も思い出せないというのに得も言われぬ安堵をこの日初めて覚えた。
それは承認の喜び、誰かに自分を認識して貰う、そんな儀式めいた祝福。
嗚呼、それはなんて―――――
「幻想郷へようこそ、ここは全てを受け入れるぞ」
新しい門出にふさわしいのだろう。
【元ネタ】
「僧門を叩いたことなんて一度や二度じゃないぞ」
一般的に伊吹萃香のモデルだといわれている酒呑童子関連。
鬼として悪名高い酒呑童子だが幼少期は寺に預けられて育ったという話から、少なからずお坊さんの真似事は出来るだろう、という解釈。
【補足】
「ああ、そうさ。お前の名前は今から江月魁斗(こうづきかいと)、だ。
湖面に映った月、天に輝く天龍座、そしてなにより伊吹の萃香さま直々に【鬼】の字をくれてやったんだ、これ以上ないほど縁起は良い筈だぞ」
天龍座、というのは東方世界における妖怪たちの間の北斗七星の別名(出典:公式書籍、東方香霖堂)、某軽巡洋艦ではない。
いろいろ語りたいところですが、ネタバレにもなるのでこのあたりでおさらばなのです