さらり、と白い指が後ろ髪を撫でる感触に身震いする。雄の鬣を繕う様な、そんな愛撫に男、江月魁斗は脳髄が溶かされる様を幻視した。
「へえ、お兄さん記憶喪失なんだ。道理で、魂に陰りが無いわけだ」
物珍しげに魁斗の黒金の瞳を覗きこんでくるのはくりくりとした鳶色の瞳。
馬の尾のように束ねた金髪を揺らして愛らしい外見の少女――黒谷ヤマメ――は嗤う。
「病の種すら忘れてしまった純白の心、それってつまりさ、私達の好きなように染められるってことでしょ? 好いね、そそられるよ」
甘い声音が耳朶を打つ。
言葉の意味は分からない。だが、なんというかそこに込められた不穏な響きに魁斗はぞっとした。
逃げなければ、とは思う。記憶喪失云々以前に生存本能がそう告げている。だが―――
「それはともかく、ここから降ろしてくれないか?」
「だーめ」
逆さまの世界、大地が上に、太陽が下に、そんな状態では逃げようがなかった。
有体に言えば捕縛されている。それも土蜘蛛の紡いだ頑強な糸で雁字搦めにされて手近な樹木の枝から吊るされている状態だ。
(流石にそろそろ頭に血が上って来て辛いんだがなぁ)
ぼんやりと、心中嘆息するが、どうにもそういうのを許してくれそうな状況ではない。
彼とヤマメ、その周囲を取り囲むように見物―――もとい見張りをしているのはヤマメと同じ土蜘蛛達。
土蜘蛛の中にはヤマメより頑強そうな肉体や、高齢そうな者たちも居たが、どういうわけか現状ではそれらを従える立ち場にヤマメはあるらしい。萃香の例からも妖怪の世界には年功序列という概念はあまり意味が無いのかもしれなかった。
それにしても、
土蜘蛛と河童たちのいざこざに首を突っ込んだ結果がこれだ。何気ない失言に土蜘蛛側はえらくご立腹らしい。
間違った事を言ったつもりはないのだが、と魁斗は再度ため息をついた。
一応、口に出す愚は犯さない。先ほどから彼を解放するために奮闘してくれている烏天狗の努力を無駄にする、そんなことはしたくなかったからだ―――――
「――――そうなんですよ、ですから彼には特別悪意があったという訳では無くてですね、ついでに半人半妖だから食べてもそんなに美味しくないに決まってますって。よく見てくださいよ、ひょろっとしてて特別肉付きが良いわけでもない。男の肉なんて筋張って不味いだけですよ。てかどんな病気持ってるか分からないですし、お腹壊しますよ、ね?ね?」
「……いや、言いすぎじゃね?」
散々胡麻を擂りながらなんとかして土蜘蛛達の気をなだめようとしているのは烏天狗の新聞記者、射命丸文だ。
慇懃無礼、平身低頭、張り付いた営業スマイル。
囚われの魁斗を助けようとしての発言だというのは分かっているのだが、なんというか色々と酷い言われようだった。真に遺憾である。
品定めするように魁斗を見聞していたヤマメも、一応彼女の言葉は聞いていたらしく魁斗から視線を外して射命丸に向き直る。
「うん、だいたい事情は判ったよ。
つまるところ、この記憶喪失の半人半妖は私達土蜘蛛や河童共の間の軋轢を理解していなかっただけで悪意はない。ついでにあの伊吹萃香さまが目を付けた存在だから記事のネタになりそうなので新聞記者のあんた的には手を出さないでほしい、ってことでしょ?」
「ご理解いただきありがとうございます。あ、でも後半の方は身も蓋も無いとゆーか、そこまで私言ってませんよね?」
「口に出してないだけで一緒だろうに」
「なにはともあれ不幸な誤解は解けた事ですし、彼は返して頂きま――――」
「おっと、誰が返すと言ったかな?」
「へ?」
へこへことお辞儀をしながら土蜘蛛達の間を通り抜けようとした射命丸は目を丸くする。
言葉の意味が理解できないわけではない、だがその真意が理解できない。
記憶喪失、半人半妖云々は差し引いても鬼の名を出せば事が解決すると信じていたからだ。
絶対的存在として君臨していた鬼に逆らうという事の恐ろしさは土蜘蛛達も身に染みている筈。
「……あの、私の言葉が嘘だとでも?」
「まさか」
射命丸は考えられる可能性を口にするが、肩をすくめてヤマメはそれを否定する。
「私の能力は知ってるだろ、【感染症を操る】能力だ。そこに人妖の区別は無い。
でもね、そこのおにいさんにはどうにも能力が通用しない、人にも妖怪にもなれない半端モノには効き目が薄いんだよ、
それに鬼の名前まで出して嘘を吐く度胸が天狗にあるもんか。
ま、肉体の病(調味料)が効かないでも精神病(スパイス)の出番はあるだろうさ」
つまり、病を患った者の肉は土蜘蛛にとって絶好の獲物らしい。
そう言って土蜘蛛の少女は魁斗の方を見やる。熱っぽい視線の正体に気付いた様で魁斗もげんなりとした面持ちで口を開いた。
「あー、どうりでさっきからオレに子牛見る様な目向けてたわけだ」
「お兄さんがお望みなら嫌な事も、痛いことも、何もかも忘れられる。そんなスパイスをまぶしてあげようか?
獲物に苦痛だけを与えるなんてのは二流の喰い方。獲物自身が喰われていると自覚すら出来ない様な悦楽と快楽を提供してこそ一流。私の前戯は超一流だよ?」
「………そ、それは」
少女の唇を這う舌がこれまた淫縻(いんぴ)で、ただの舌舐めずりと判っていてもついつい生唾を飲み込んでしまう。
それはそれで幸せな事なんではないかと、そう思えてしまうだけの何かが少女の居立ち振る舞いにはあった。
理性を溶かす毒。意思を薄弱にする妖美さ、それはまさに女郎のようで――――
「こほん」
――――少なくとも、わざとらしい咳払いと蔑むような烏天狗の視線が無ければ危なかった、とだけ。
そうだ、まがりなりにも自身の失態を埋め合わせようとしてくれている相手の前でこれは少し不謹慎すぎた。
「悪いけど、もうちょいこう、腰回りとか胸周りの豊満な方がオレは好みなんだ」
「わはは、正直なのもいいけど、それじゃ長生き出来ないよお兄さん」
からからと愉快気に嗤うヤマメと、一層冷たさを増す射命丸の侮蔑の視線、さらににとりからも憐れむような視線が飛んで来る――――何故だ?
「さて、話を本題に戻そう……と言ってもこのお兄さんの乱入自体が脇道みたいなもんか」
地底ではここまで弁舌を披露する機会がないからね、と前置いてヤマメは射命丸とにとり達を見据えた。
「どうにも天狗のパパラッチと私達土蜘蛛とじゃ見解が違うようだから言っておくけどね。鬼が目を付けたから手を出さないなんて、そんな甘ったれた話があるもんかい」
「それは……あなた達土蜘蛛は鬼を恐れない、と?」
「おいおい、なんでそんな話になるのさ。鬼と共に暮らしているのは今は私達土蜘蛛だよ? 鬼の出鱈目さも律義さも恐ろしさも十分に身に染みて理解しているに決まってるじゃないか」
鬼の名を聞くたびにびくびくと反応する河童達の反応を面白がるようにヤマメは続ける。
「本当に鬼に気に入られたのならそれはそれだけの価値を、意味をそいつが秘めてるって事だ。
そんな奴がおめおめと喰われるだけならば所詮そこまでだったってこと。何から何まで鬼の名を借りなきゃ生きられない様なら始めから生きていたって仕方が無い。だろう?」
「それは……」
射命丸は口ごもる。後ろでざわめいていた河童たちも静まり返る。
答えられる筈が無い。だって、彼女達は鬼を理解する事を止めた存在。鬼を恐れ、鬼を称え、鬼を遠ざけることで社会を築き上げた妖怪だから――――
そんな光景を、逆さに吊り下げられたまま江月魁斗はどこか冷めた目で観察していた。
(なんというか………)
鬼、鬼、鬼、鬼。皆口にするのはこれだ。
一様に、それらの言葉に含まれているのは畏敬の念。強者を敬う色。それは紛れもない事実なのだろう。
妖怪達を総べる首魁。
絶対的な力の象徴。
虚偽を嫌う正直者。
きっと、それらは全てが真実で、彼女達はそれ魁斗が知らない鬼の一面も含めて見てきた。
でもそれ等は全て鬼に対する評価でしかない、と思う。
そこに伊吹萃香という少女の姿は―――無い。
豪放磊落な、気持ちのいい性格。
誰よりも酒が好きで瓢箪を手放せない酔いどれ。
もっと他の、魁斗の知らない萃香。全部、全部、それは彼女が鬼だからの一言で片づけられる。
ならば、ならばそれは、そこに居るのは―――本当に伊吹萃香でなければならないのか?
河童や天狗や土蜘蛛が恐れるのは【鬼】なのだから。仮に魁斗を助けたのが萃香以外の鬼だったとして、彼女らの評価や判断は変わらなかったに違いない。
名も無き男に名を与えた少女の笑顔はとても誇らしげだった。
対等な呑み相手が欲しいと呟く少女の横顔はどこか寂しげだった。
その理由が少し……判った気がする。
「いい加減にしろよ!盟友が、魁斗が言ったことに腹を立てたんならそう言えって!河童が気に喰わないから八つ当たりしてるだけだろうおまえは!」
堰を切って叫んだのは河童の少女、河城にとりだった。
たった一人で宿敵の土蜘蛛に相対することに気が引けたのか、無理をしているのがバレバレな虚勢を張ってヤマメの眼前に躍り出る。
「うん? どっかで聞いたことのある声だね。……そうか、あの時白黒の魔法使いと一緒に居たのはお前か」
「うっ……」
「ぎったんぎったんにしてやるとか口火切ってた割に随分とへっぴり腰じゃないか。どうしたんだい? 相撲は河童の十八番じゃないのかい?」
ヤマメの皮肉に、わっ!と他の土蜘蛛達から歓声が沸く。
これはもう数の有利を活かした暴力に他ならない、にとりの心は折れかけだった。
河童にひと泡吹かせたことで溜飲が下がったらしい。立て続けに土蜘蛛の群衆の中から野次が飛んだ。
「本当に悪いと思ってる態度には見えないよなあ?ええ?」
「そうだそうだ!ゲロっちまえよ、河童じゃあ土蜘蛛さまの建築技術には敵いませんってなあ」
「土下座して謝れー!」
これには流石に取りまとめ役のヤマメも眉を潜める。
「ああもう、五月蠅いってば!今は私が話してる途中なのー!」
沸き立つ土蜘蛛達とは対照的に通夜のように静まり返っているのは河童たちであり、にとりであった。
いや、実質的にはにとり以外の河童はどうするものかと手を出しあぐねている状態だ。果たしてあの半人半妖の肩を持つべきなのか、と。
なにせ彼女達は江月魁斗という存在との面識がつい先ほどまで無かった者たちだからだ。身を呈してまで彼をかばう動機が無い。
「うぅ……」
「にとりさん……」
河童の少女は、泣くのを必死に堪える様に、惨めさを噛みしめるように、俯いている。
元々、大勢から敵意を向けられてなお立ち向かう様な性情は持ち合わせていない。気遣うように射命丸が寄り添うが、それでも孤立無援である事に変わりは無かった。
それでも、それでも。一歩を踏み出すだけの勇気は彼女の中にあったのだ。
(魁斗が……半分じゃなくて全部人間だったらもっと勇気が出たのかな?)
いや、多分それはない。人間の盟友であると名乗ってはいても本当に一人の友として人と向き合う勇気は彼女にはなかった。
河童にできるのはいつだって遠巻きに眺めることだけ。博麗の巫女や白黒の魔法使いみたいに向こうから会いに来るのでもなければ会話を交える機会もなかったに違いない……だから、担ぎ込まれた人間が、半分は自分たちと同類であったのはきっと幸運だった。
なけなしの勇気を人間の、彼の盟友であるという矜持で武装して、少女は再び土蜘蛛達に向き合う。
―――――思えば、こうして土蜘蛛達が請け負った仕事に横からケチをつけるような真似をしたのは自分だった。ならばそのけじめは自分がつけなければいけない。
「元をただせば河童と土蜘蛛の不和が原因だ。無遠慮な発言をしたのが盟友だとしても、やっぱ責任は私にあるんだろう ?私一人じゃ意味無いかもだけど、それでも……」
仲間の河童達を巻き込むわけにはいかない、それでも自分が頭を下げる事に意味があるのなら、そこに躊躇いは無かった。
河城にとりは膝を折る。膝を固い岩盤に押し当て、両手をざらざらとした地面に付けて、頭を下げようとして、
「いやいやいやいや、何を勝手に話を進めてるんだよ?」
――――江月魁斗その人に止められる。
「なんでオレの発言が原因でにとりが頭下げなきゃいけないのさ? オレ、間違った事言ったつもりなんてこれっぽっちも無いぜ?」
「っ、貴方はもう!ちょっとは空気読んでくださいよ!?」
「悪い射命丸、今気付いたけどオレって自分に嘘つけない奴らしい」
「あーん、おばかー!」
烏天狗の悲鳴じみた声が聞こえるが、きっぱりと無視してヤマメと真っ直ぐ視線を合わせる。
……まあ、未だに宙ぶらりんに吊り下げた状態では格好もつかないわけだが。
「へえ、面白い。ワケを聞かせてもらえるかな。私これでも気が長い方だからその辺は大目に見てたけどさ……」
にっこりと、それでいて割と本気で殺意を滲ませた笑顔を浮かべてヤマメは吊るされた魁斗に歩み寄る。
かつて多くの人間に忌み嫌われ封印された妖怪であるというのは伊達ではない。
「何の考えも無しに感情論で土蜘蛛と河童の事情に首突っ込みました、なんて言われた日には……お兄さんの“ナニ”もいじゃうかもよ?」
股のあたりを優しく撫でる感触、これは流石の魁斗でも萎縮した。生物本能的に、雄としてもそれだけは避けろということらしい。
「わー!待て待て!今すぐ説明するからそれだけは勘弁!」
逆さまに吊るされて頭に血が上っているのに血の気が引いたという珍妙な状態でわめく。
「そうかい、じゃあ語って貰おうじゃない」
河童と土蜘蛛、合わせて三十余の眼光の全てが一人の半人半妖に集中した。
下手な発言をすれば今度こそ命は無いだろう。
舌先三寸でどうにかなる相手ではあるまい。仕方なく腹をくくって魁斗は口を開く。
「だからさ、不思議に思ったんだけどあんたら土蜘蛛と河童はそれぞれの分野で一流を自負する職工なんだろう?ならば何故その技術で勝負しようとしない?
口先だけで相手を貶めるなら見習いの子供にだって出来ることじゃないか。それともあれか?やっぱ競い合って自分たちのご自慢の技術が劣ってるって証明するのが恐いのか?」
「め、盟友だからってその発言は看過できないぞ!」
意外にも、ぐしぐしと袖で目もとを擦りながらにとりが涙声で憤慨する。
誇りをけなされたのが気に喰わないのか、他の河童たちもむっとした表情で逆さ吊りの半人を睨んだ。
そうだよ、その意気だ、と魁斗は口角を釣り上げる。
口を挟むのは土蜘蛛の黒谷ヤマメだ。
「おやおや、とは言え誇り高く、同時に頑固な職工達がそんな共同作業して上手くいくと本気でお兄さんは思ってるのかな?
生まれも育ちも蓄積した技術も違う者たちの意思統一はどうする?」
「土台の整地法が違う、石の切り方が違う、積み方が違う、骨組の建て方が違う、そんな違いはあって当然だろう。
でもさ、そんな時に自分の主張が全部まかり通るなんて思ってたのならそもそもどっちも共同作業には向いてないね。玄武岩の切り方に長けている奴が花崗岩も同じように切れるとは限らないじゃないか。
そんな時本当に才実力のある奴は相手の技術から長けている点を上手く吸収するものだし、相手もそれは同じなんじゃないのかい?
月満ちれば即ち欠く、自分の腕前に満足して修練を怠った時点でそっちの負けだよ」
つまり、土蜘蛛も河童も本当に一流であればそこで奢らずに貪欲に高みを目指すものだ、と。なるほどこれは上手い切り返しだと射命丸は内心舌を巻く。
この弁論は互いの敵対意識と自負心に巧みに付け入っている。
ただ、ほんのわずかな時間に思いついたにしては筋が通り過ぎている。少なくとも昨日今日からその生を始めた赤子の言葉ではあり得ない。
(ということは、記憶を失う前の彼が構築した価値観に則った発言かしら?)
もしくは多少なりとも記憶が戻る傾向とも取れる。本人にその自覚があるかどうかは怪しいものだが。
冷静に、一つ一つの言葉を吟味し、見分する必要がありそうだ、と当たりを引いた山師のように烏天狗はほくそ笑んだ。
魁斗の言が本当に正鵠を射ているどうかは門外漢である彼女には判断できない。彼の言葉もまた思い込みの産物であるかもしれない。
だがそんな事は関係ないのだ。要はその思い込みを真実だと思わせるだけの威風堂々とした居立ち振る舞いが出来ていればいいのだから。
「木を切るなら斧を振る腕は多いに越したことは無い。
土を削るなら鍬を握る手が多ければ多いほど効率は上がる。
炉心に風を送るなら鞴を踏む足は多い方が良いに決まってる。」
その点、江月魁斗はもう場を“呑む”事に成功していたと言えるだろう。
「労働の後の一杯を交わす相手は多い方が楽しいだろう?
考えてもみろ、自分たちの労働の成果を見上げながら苦労話を共有して呑む酒を。
そりゃあ美味いに決まってるじゃないか。自分たちの誇りを技術を競い合い研き上げて建てたダムなんだから」
その様を想像して皆が生唾を飲み込む。
今回のダム建設、成功すればそれは間違いなく幻想郷一の巨大建築物となる。それを作ったのが自分なのだと、胸を張って呑む酒はきっと格別だ。
だって河童/土蜘蛛にとってそれは自分達が土蜘蛛/河童に打ち勝った証なのだから。
なるほど、伊達に鬼と呑み比べをしたわけじゃない、と事態を俯瞰していた射命丸も苦笑する。
「はぁ……船頭多くして船山に登る、とも言わないかい?」
呆れたのか、感心したのか、敵意の牙を完全に引っ込めたヤマメだが、せめてもの抵抗とばかりに問いを投げかけた。
結局のところ彼が延々と述べたのは理想論で、現実はそう甘くない、そう言いたいらしい。
「いいんじゃないか? 頭が多いのは。その方が強そうだし」
屈託なく言い放つ魁斗――――ついに土蜘蛛が折れた。
「あはははは! なるほど、これは萃香さまが気に入るわけだ。たかが半人半妖だって馬鹿にしてたこっちの負けだよ!
うん、気に入った。やっぱお兄さんうちに来ないかい? 夜は退屈させないからさ」
「うへぇ、勘弁してくれ。これでも結構ビビってチビりそうなんだよ」
冗談めかしたヤマメの申し出に心底辟易したという表情で魁斗は首を振る。
思えば半刻以上土蜘蛛達に生殺与奪権を握られていたのだ、その間生きた心地はしなかっただろう。
その時、二人の間に強引に割り込む影が一つ。
「朝蜘蛛は福を運ぶけど夜蜘蛛は不幸を運ぶんだ。そういうのは追い払わないとどんどん不幸になって雛が寄ってくるんだぞー」
「おやおや、何事かと思えば珠の河童じゃないかい。あんたも大丈夫? 漏らしてたんじゃないの?」
「んなわけあるかー!」
面白くないといった表情のにとりと、弄り甲斐のあるのがまた現れたと意地悪く唇を釣り上げるヤマメ。
大体同じくらいの背丈の少女達がばちばちと火花を散らす姿は端から見る分には微笑ましい。のだが。
「や、あの、そろそろマジで下ろしてくれないか?ちょっと本気で意識が朦朧としてきたんだが……」
ずっと放置されていたせいでかなり血のめぐりが悪くなっている。これ以上は限界だった。
若干焦点の定まらない瞳で弱々しく呟く、と、突然ぶちぶちと音を立てて土蜘蛛の糸が引き千切られた。
岩のように厳つい顔面が間近にあるのを確認して、魁斗は解放してくれたのが初めに自分の首を締め上げてきた土蜘蛛の男だったことを知る。
「………悪かったなボウズ」
「ん?ああ、首のことなら気にしてないよ。その後の恐怖体験で全部ふっとんだ」
――――主に不能にされかけたあたりで、と付け足すと同じ男として共感するところもあったらしい、男はただでさえ厳つい顔を歪めて笑みを浮かべた。
牙を剥き出しにした姿は威圧感の塊であったが、元来そういう顔つきであるというだけで実はそう悪意はないらしい。
腹さえ割れば土蜘蛛も存外気持ちのいい連中なんではないかと思った。
○●○●○
要らぬ気まで使った事態を無事に乗り越えて射命丸はやっと安堵の息を吐く。第三者、俯瞰視点を貫かなければならない筈の自分がとんだ失態だ、というため息と共に。
しかし、本題はこれからだ。土蜘蛛と河童の意識はひとまず共にダムを建設するという方向性で纏まりこそしたが、大きな問題が残っている。
というか、これを無視すれば根底から覆りかねないという問題。それは――――
「働き手が増えるのを施工主の守矢神社は許可しますかね?」
弛緩していた空気が硬直した。得意げに持論を語っていた魁斗も含めて、だ。誰もがその事を失念していたらしい。
始めから依頼を受けていた土蜘蛛達は割と涼しい顔をしているが、河童なんかは割とうろたえている。
もともと折衝の場に乗り込むつもりだったのだが、先ほどの騒動で張りつめた緊張の糸も切れてしまったらしい。
「雇用側として、あそこは特別お賽銭事情が良いようには思えませんけど」
懐の寒暖という点ではむしろ人里の寺の方が温かいだろう。というか、毘沙門天の加護を受けた命蓮寺が色々と群を抜いているだけなのだが……
御恩と奉公の基本原則は対価にある。
世を回る財貨は有限であるがゆえに現世も有限なのだ。金は天下の回りものとも言うが、むしろ三途の川の渡し賃の事を考えれば畢竟、あの世でさえも財とは力を持つ。
世俗に関わる以上、神とてその理から逃れる事は敵わない。
「おっと、噂をすればなんとやら、ですね」
風の流れが変わった、と射命丸は天を仰ぐ。
『おいおい、そんな心配をされちゃこっちの立つ瀬が無いじゃないか。
親父様の大社よりも立派で実用的なダムを建てようってんだ、出し惜しみなんかするもんかい』
声が、轟く。それは風の声であり天の声であり神の声だった。乾を操る力とはこういう応用も可能なのだろう。
誰もが悟る、これから現れるのは人でも妖怪でもない、それらを超えたもの―――つまり、神だと。
「八坂……神奈子」
河童か、土蜘蛛か、その誰かが呟く。それが守矢の神の名前だった。
【元ネタ解説】
神奈子『親父様の大社よりも立派で実用的なダムを建てようってんだ』
親父様=大国主命 大社=島根の出雲大社
東方projectの世界においては大国主の息子である建御名方命(たけみなかたのみこと)は名前だけの実在しない神様(という設定)であるが、八坂神奈子の来歴的には建御名方命のものと一致するので、八坂神奈子の元ネタ=建御名方命として今作ではほぼ同一視して解釈しています。
【補足】
ヤマメのキャラに関しては一般的な二次創作における地底のアイドルのイメージより、土蜘蛛という妖怪や彼女の能力、及び公式資料における言動などを多少反映して『妖怪らしい妖怪』をイメージしたつもりです。でもなんでこうなったかは私にもわからない(ヲイ
とはいえ、基本的に明るい娘であるという認識……のつもりです。
次話は本日24時あたりに投稿予定、もしかしたら半日ほど早まるかもしれないですけど。
感想、ご指摘お待ちしております