東方刻銘録~鬼が出るか蛇が出るか~    作:ライラ

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なんとかしてカリスマ演出しようとしても難しいですね。


蛇神

 土蜘蛛が、河童が、天狗が、半人半妖が、誰もが等しく天を仰ぐ。

 まるでそれが当然であるかのように、神の目の前では何者もが平等であると示す様に―――

 古くより高貴な色とされる濃紫色の髪、凛然と引き締まった表情、山を御神体とするが故に起伏に富んだ女体。

 背に負うのは蛇を想起させる巨大な注連縄。胸に掲げられたのは陽光を燦然と照り返す神宝の鏡。

 

「我が柱名は八坂神奈子。出雲の軍神、偉大なる祖神スサノオの末裔である」

 

 神威の象徴である二十二の巨大な御柱と共に守矢の祭神―――八坂神奈子は顕現した。

 

 

 

「土蜘蛛も河童もよく来たね」

 ちらりと場を一瞥した後、土蜘蛛達と河童たちの中間に神奈子は降り立った。

 共に出現した御柱は彼女を中心に円陣を描くように広がり、続けて場に集まったものを囲むように配置される。

 場に神気が満ちるのを誰もが肌で感じただろう。河童は身をすくめ、天狗でさえ表情を引き締める。

 

「話し合いの場として簡易な神殿というのはいささか物足りないが、仕方ないか」

「私達土蜘蛛は別にあんたを信仰する為に地上くんだりまで足を運んだわけじゃないんだがね」

 

 冷笑とも取れる笑みを浮かべて、土蜘蛛―――黒谷ヤマメは吐き捨てる様に言った。

 

「それより、その口ぶりだとまるで河童も此処に来る事を想定してたみたいなモノ言いじゃないか」

「ああ、そりゃ河童から出向いてくるようにそこの新聞記者に今日の事を吹き込んだのは私だからね」

 

 悪びれる様子も無く守矢神奈子は言い放った。

 場の視線が一気に神から新聞記者―――烏天狗の射命丸文へと向けられる。

 

「あややや。皆さん視線が冷たいですってば。私もまさかこうなるなんて露ほども――――」

「天狗よ、日和見はよくないぞ。河童と土蜘蛛のいざこざは記事になるとか言って喜んで話にのったのはお前だろうに」

「わー、夏なのに団扇要らないくらいに涼しいですー」

「まあいい。本当はそこから上手く私が土蜘蛛と河童を纏め上げる様も含めて記事にさせるつもりだったんだが―――」 

 

 神奈子の視線が群衆の中のある一点で止まる。

 

「どうやら恐い顔でこっち睨んでる坊やに持ってかれたようだね」

 

 蛇のように怜悧に視線を細めて、神奈子は呟いた。

 口元には好戦的な笑みが浮かんでいる。

 

「え?」

 

 そう声を漏らしたのは射命丸か、にとりか。どちらにしろ少なからず【彼】を知っている者だった。

 神奈子の視線を追って、行きついた先に在るものを見て、一瞬理解が及ばなかったのだ。

 そこには――――

 江月魁斗が、記憶を失った半人半妖の青年が立っている。

 しかし、その顔に浮かんでいたのは―――憎悪―――明確な負の感情だった。

 

 ◆◆◆◆

 

 憎い、ただひたすらに憎い。

 嫌いだとか好きだとか、そうした感性以前の問題だ。胸の内で首を擡げた悪意がまず先にそう囁く。

 何故そう思ったのかは魁斗自身にも皆目見当がつかない。

 

 この神を目にした瞬間から不自然に鼓動が乱れた。

 

 神々しいその御柱を、神性の象徴をどう砕いて地に堕とそうかと思考する己が居た。

 

 挑むのは無謀に違いない。

 文字通り山に戦いを挑む様なもの―――八坂神奈子の纏う神気はそういう類のものだ。その質も量も一級の神として君臨するに相応しく、どれだけ匙を振るった所で山を削り切る前に匙を持つ側の寿命が尽き果てる。そうした次元の戦いだ。

 それを冷静に、慎重に、見定めて不可能だと、そう判断するほどの冷静さは残っているのに――――それでも尚噴出する憎悪が抑えきれない。 

 未だ治癒の終わらない首の傷が、巻き付けられた包帯の下で灼爛と熱を放つ。まるでその痛みすらも憎悪を燃え上がらせる贄だとでも言うように。

 (なんだ……これは?)

 ただひたすらに憎いというのはわかるのに、その原因にまるで心当たりが無い。

 理由のない憎悪に自分でも困惑する。それどころか記憶の無い自分がここまで何かを憎むという事態に理解がまるで追い付かなかった。

 

 気が付けば、八坂神奈子は目前にまで迫っていた。

 

「坊や、そんなに私が憎いか?」

 

 魁斗は口を開こうとして、喉に何か詰まったかのように言葉が出なかった。

 まるで、自分ではない何者かがその口を借りて話そうとしているかのような違和感。

 

「憎さのあまり人の言葉すら忘れたか?」

 

 神奈子の赤い瞳は地獄の業火のように爛々と燃えていた。覗きこむ己の心の中を映し出されたようで――――それを見続ける事に堪え切れず、魁斗は視線をそらす。

 そこまでして、なんとか自制心だけは形を取り戻した。

 

「ああ、今すぐにでもそ喉元に喰らい付いてやりたいくらいには……な」

 

 息を呑む音がした、ざわめきが河童達の中で広がった。

 まさか真正面から神に憎まれ口を叩く者が居るなんて夢にも思わなかったのだろう。

 慌てたように会話に割り込んでくるのはまたもや射命丸だった。

 

「ま、待って下さい神奈子さん。彼は諸事情で記憶喪失でして、ですからこれは……」

 

 と、そこまで話して弁明に無理がある事を悟ったのだろう。魁斗の発していた憎悪はモノを知らないだとか勘違いだとかの域はとうに超えていた。もっと明確な形のある害意だった、誤魔化すなど不可能に近い。

 射命丸は張り付いた笑みのまま閉口した。

 いかに天狗といえど単身で神に挑む様な無茶な真似は出来よう筈も無い。

 八坂神奈子の神威の象徴、御柱を防げる者など幻想郷にどれだけ居ることか。

 

 

「なに、むしろ重畳だよ。ここまで純粋な信仰を捧げてくれる奴なんざここ千年は居なくてね。懐かしくて涙が出そうなくらいだ」

 

 しかし、予想に反して神から返ってきたのは神罰ではなく、快活な笑い声だった。

 

「は?オレは別にあんたのことを崇めてなんか……」

 

 心外だ、とばかりに神奈子を睨みつける。

 これがどうにも神の笑いのツボを刺激したらしい。

 好戦的な笑みを浮かべた八坂神奈子は凄むように口を開いた。

 

「はっはっは!それだけ真っ直ぐな憎しみをぶつけて来ておいて何を言う?

 神に対する信仰とは即ちその神が存在すると強く『信じる』こと。そこに正だの負だのの区別は端っからありはしない。

 憎しみとは即ち対象への強い執着の裏返し。目に見えぬもの、存在しないと思うものを憎み続けることは難しい。

 そら、ならば眼前の神を崇める事と憎むこと、何の違いがあろうか?」

「そ、れは……」

 

 否定、できなかった。そして、そのことがまた理由の判らない憎悪を助長する。

 

「元々軍神である身からすれば、敵対する者の畏怖だの憎悪だのってのはそれだけ自分が力のある存在だと認められているようなものだ。太平の世ではついぞ向けられることの無い感情をこんなところでお目に出来るなんてね、幻想郷に来て心底良かった」

 

 くつくつと収まらぬ笑いを噛み殺しながら神奈子は言う。

 恐らく、その度量の広さが彼女が信仰を獲得する所以なのだろう。そんなことを煮え返る頭でふと考える。

 同時に、一つの大きな疑問が浮かび上がる。

 

「八坂、神奈子……あんたは、あんたは……オレの事を知っているのか?」

 

 魁斗は半信半疑で呟いた。

 これだけ彼女を自分が憎悪しているというのなら、それは過去に接点があるかもしれないということだ。

 彼自身思い出すことすらできない過去を、彼女なら知っているかもしれない。

 

「ふうん?」

 

 ぞんざいな物言いに気を悪くした風でも無く、記憶の内を模索するように神奈子は魁斗をじっと見つめる。

 

 ―――何故だろう、知らないと、そう言って欲しい自分が居た。

 亡くした記憶は取り戻さなければならないと、そう考えるのが正しい筈なのに。それと同じくらい強い不安が心の内を蝕む。

 そう思うと不思議と怒りは潮の満のようにすっと引いた――――後に残るのは砂漠のような飢餓感。

 何を不安に思うのか、何を恐れているのか、自分にも判らない、理解できない。

 ようやく、神奈子が口を開く。

 

「いや、見覚えが無いね。これが私も不思議でならない。

 戦場で会ったのならあんたみたいに活きの良い敵意をぶつけてくる奴の顔を忘れる筈が無い。

 軍神というのはあちらこちらで敵を作ってなんぼだからどこで恨みを買っていてもおかしくは無いんだがね」

 もう一度、じっくりと品定めするように魁斗を見て続ける。

 

「お前さんの抱く信仰はもっと根の深いものだ、だというのに私にも見当がつかない。本当に何者だい、坊や?」

「それが判らないから訊いたんだろうが……」

 

 判れば苦労しない、と噛みつくように魁斗は言う。――――心のどこかで胸をなでおろしながら。 

 

「ははは! まあ、あんたの記憶の行方は私も興味がある。名くらいは覚えておいてやる、名乗りな」

「江月……魁斗」

「ほほう? 虚構の月に、天照大神に歯向かう蛇の頭とはこれまた洒落が効いている。

 お天道様と馬が合わないのはこっちも同じだが、名からして反抗しているというのは思い切りが良いね」

「そりゃ、どうも」

 

 憮然とした表情で答える。しかし、萃香に名付けられた自分の名前を褒められるというのも悪い気はしない。

 大分溜飲は下がった。というより、自分でも御しきれない先ほどの感情に戸惑う気持ちが強くなった、と言うべきか。

 

 客観的に考えるなら八坂神奈子は人当たりの好い性格だ。清濁併せ呑むその性情を慕うものもきっと多いのだろう。

 それとは別に彼女を憎んでいるのはもっと深い根の部分。血であり肉であり魂であった。

 そんな矛盾は、果たしてあるのだろうか? それすらも失われた記憶のうちだというのが腹立たしい。

 

「一体オレは何なんだ……」

 

 ―――記憶なくとも神に牙を剥くような、そんなイキモノ。瀕死の重傷を負う様な、そんな生き方を自分はして来たのだろうか?

 本来は自分の一部であるはずの過去がどうしようもなく不気味に思えてくる。

 記憶が無いから悩みも無いなんて、とんだ間違いだった。

 

「案外、神様の気に当てられただけかもね。本質的に天神地祇と相容れない妖怪ってのも稀に居るもんだよ」

「ヤマメ……?」

「悪いねおにいさん、一応私たちもこの神様に用があるのよ」

 

 魁斗の心中を察したように声を発したのは土蜘蛛の少女。

 気にする必要は無いとでも言うようにぱん、とヤマメは魁斗の背を叩く。不思議なもので、鬱屈とした考えはそれだけで引っ込んでしまった。まあ、妖怪の膂力は少々強過ぎて、つんのめりそうになったわけだが――――

 

「神だの仏だの権力だのと相容れぬのは我達地底の妖怪も同じよ。

 その辺、あんたもよく判ってるんじゃないの? 大和の軍神、八坂神奈子さんや」

「ああ、土蜘蛛達とは神代の頃から何度もやり合ったもんだ。懐かしいよ」

「ふん、昔話に花を咲かせながら茶を飲むならあんたのとこの蛙とやってちょうだいな。煮え湯を飲まされるのはもう沢山だ」

 

 今度は魁斗が唖然とする番だった。

 金の髪を悠然となびかせて、この少女は神と相対していた。言葉の節々から感じられる敵意は本物。

 しかもそれはきっと先祖代々連綿と受け継がれた念。魁斗のように本人すら扱いに困るようなモノではなく、ヤマメは自身の血と肉と同じようにそれを受け入れ、御している。

 不敵な笑みを浮かべて土蜘蛛の少女は嘯いた。

 

「本当ならダム建設の賃金はふんだくれるだけふんだくってやる、と言いたいところだけどね。そんなものは河童達にくれてやるさ。私達が労働の対価として求めるものは一つだけだよ」

「へぇ、先祖へのたむけに私の首でも貰い受けるってか。面白い」

「封印された妖怪の意地、神代から束ね上げた地蜘蛛の怨嗟、それが神様にも届くかどうか試してやろうか?」

 

 初めに違和を感じとって身がまえたのは風の流れに聡い射命丸だった。

 怨 怨 怨 怨

 ヤマメの声に呼応するように重低音が轟いた。

 聞く者の腹の底にまで様な歪な音。

 背後で地獄に落ちた者達の怨嗟を代弁するように、暗闇の風穴が鳴り響く。 

 

 

 それはきっと首を狩られた蜘蛛の毒気だ。

 それはきっと灼熱と共に屠られた蜘蛛の怨恨だ。

 それはきっと住まう土地を奪われた蜘蛛達の無念だ。

 

 神奈子は神代からの付き合いだと言った。

 ならば、土蜘蛛達の間に積み重なった怨嗟の念たるやどれだけのものだろう。

 血で血を洗う闘争の予感に河童達が狼狽する、半人半妖は息を飲む、烏天狗は写真機を構える。

 そして――――

 

「なんてね、首塚なんざ築いてたらやってることは人間と変わりゃしない。正当な報復で滅びかけたのは私らも一緒だよ、二の轍を踏む様な格好悪い真似はしたくないさ」

 

 ふっ、とヤマメの―――土蜘蛛達の敵意が霧散した。

 悠然と構えていた神奈子もこれには驚いたように目を瞬かせる。

 

「ほう?金も怨敵の首級も求めぬというのなら、お前たちは何を求める?何処に求める?」

「簡単な事だよ。慰霊碑を建てる事、建設したダムと共に……認めて欲しい―――――」

 

 次の瞬間、誰もの予想を裏切るような行為にヤマメは出た。

 瞳を閉じ、厳かに祈るように膝を折って土蜘蛛の少女は奏上する。

 

「私の父と母、ここに集った土蜘蛛達の妻、子、孫、友人、恩師――――」

 

 続けて他の土蜘蛛達も跪いた。

 若い者が居た、年老いた者が居た、働き盛りの者も居た。

 これだけ土蜘蛛達の面々に目立った共通点が無かったのは、そういうことなのだろう。

 きっと誰もが隣に寄り添う存在を失った者達。

 魁斗の首を絞めた強面の土蜘蛛もそうだ、閉じた彼の瞳に映るのは妻か、子か、友人か。

 

「謝罪の言葉を述べろとは言わない、死んでいった者達も戦士だった。きっと覚悟はしていたはず。それでも、死後の尊厳だけは取り戻させてほしい」

 

 或る土蜘蛛は洞窟に閉じ込められ生きたまま火あぶりにされた。

 或る土蜘蛛は死後にその首を持ち去られ権勢を補強する為の道具とされた。

 或る土蜘蛛は無残にもその屍を串刺しにされ土に還ることすら許されなかった。 

 

 それだけが遺された土蜘蛛達には不満でならなかった。

 

「ふむ」

 

 薄く瞼を閉じた神は何を想い、何を思索したのか。

 

「よかろう。その願い―――聞き届けよう。戦場で戦い散りゆく者達の御魂を黄泉の国へ送り届けることもまた軍神の役目」

 

 遠く、古い記憶を呼び覚ます様にゆっくりと口を開く。

 

「新城戸畔、居勢祝、猪祝、海松橿媛、八十女人、浮穴沫媛、速来津姫」

 

 それは、何者かの名前であった――――おそらく、死んでいった土蜘蛛達の名。

 

「彼等、彼女等はいずれも優れた戦士であり、手強い敵であった。無論、名を名乗らずに死んでいった者達、現代まで名が残らなかった数多の英霊もまた同じ」

 

 まさかその名を他ならぬ八坂神奈子の口から聞くとは露にも思わなかったのだろう、土蜘蛛達の間に動揺が走る。

 それを神奈子は愉快気に眺めていた。

 

「朝廷に仇なした者達に私が賛辞を送ったのがそんなにおかしいか?

 生憎と私は天孫の系譜の神じゃなくてね……我が身に流れるのは荒々しく、情に厚いスサノオの血さ」

「………礼は、言わないよ」

 

 神の器の広さに呑まれていた。ヤマメもそんな自覚があるのだろう、拗ねるように言う。

「がはは!よせよせ、そんなことされたら腹に一物抱えてるんじゃないかと疑っちまうよ。

 それよりなんだ、茶は断られたが酒盛りくらいには付き合ってくれるんだろう?」

「おいおい、あんたの先祖は毒酒で大蛇を殺してなかったか?」

「あんなもん酔い潰れて寝ちまう方が悪いんだよ。それに爺は爺、私は私だ」

「まったく、調子のいい神様だ」

 相変わらずむすっとした表情のヤマメだったが、不思議とその言葉から険は取れていた。

 古い想いに囚われて生きるより、それを洗い流す事を選んだ顔だった。

 

 そんな、当事者以外の入りこみ辛い空気の中。躊躇い気に口をはさんだのはにとりだった。

「あのう、私達の賃金はどうなるんでしょ?」

 他の河童たちも八坂神奈子という巨大な存在に萎縮していた。ずっと黙って気配を消していたのはそのためだろうか。

 すっかり存在を忘却していたとでもいうように神奈子は視線をにとりに向けた。

 

「うん?ああ河童か。勿論あんたらの分の報酬だって用意している。そら前払いだ」

 

 懐から小袋を取り出して神奈子は放る、わたわたと不器用にキャッチしたにとりはその妙な軽さに疑問符を浮かべる。

 少なくとも、貨幣が詰まっているにしてはあり得ないほど小さく、軽い袋だった。

 神奈子に近寄るのは恐い、それでも袋の中身には興味がある。そんな顔で他の河童たちも事態を静観していた。

 恐る恐る、といった体で袋の中を覗き込む。

 

「種……?」

「あんたらの大好きな胡瓜の種だ。喜べ」

「は、はぁ……」

 

 あからさまな不満の表情を隠しきれずに小首をかしげるにとり。

 なんというか、猿に騙されたことを知った蟹みたいな顔だった。

 

「おっと、それはただの種じゃない。外の世界の胡瓜の種だぞ。

 幻想郷が結界で隔絶されて一世紀、外の人間は自分たちの生活を豊かにしようと躍起でね。より美味く、より多くの作物を得ようと交配だの遺伝子組み換えだのの技術はめまぐるしい進歩を見せた。つまるところそれはその成果の一つだ」

 

 しかし、聡い河童たちはすぐ理解に及ぶ。

 己に流れ込む信仰の増加を実感して神奈子はにやりと笑う。倉庫の奥で埃を被っていた農作業用セットがこうも上手く化けるとは思ってもいなかったのだろう。

 エビで鯛を釣るとはこのことだ。

 

「外の世界の胡瓜、味わってみたくはないか?」

「「うおおおおお!」」

 

 次の瞬間、河童たちの間から歓声が湧きあがった。

 圧倒的な力で全ての妖怪と人間を仲間にする。八坂神奈子はそんな神だった。

「うわぁ……ちょろいですねぇ」

「キュウリが好きだというのは知ってたけど、ここまでとは」

 呆れた様な射命丸と魁斗の声も歓声にかき消される。

 河童はどこまでも河童だった。

 

 

「さあ、そうと決まればダムの着工記念の酒宴だ。そこの河童たちも含めてな。今日は無礼講だ。

 神酒だけじゃない、神の粥も存分に振る舞ってやろう!」

 神奈子の号令に合わせてどこからともなく酒樽やら釜だかが姿を現す。

 ――――盛大な宴の始まりだ。

 

 ○●○●

 日が傾き、世界が逢魔ヶ刻を迎えた。

 あれだけいがみ合っていたのが嘘のように河童と土蜘蛛が肩を組んで酒を呑んでいる。それらを巻き込むように豪快な笑い声をあげて神が酒を煽る。

 歓声と笑い声と時々混じる怒声、活気の溢れる様はある意味この幻想郷という地の縮図であった。

 

 それを、どこか冷めたように遠巻きに眺めているのは魁斗だ。

 

「あやや?どうしたんです、呑まないんですか?」

 

 目ざとくそれを見つけたのだろう、ちゃっかりと祝盃に混じっていた射命丸が酒の席を離れて声をかけてくる。

 

「悪い、どうもそういう気分じゃない」

「神奈子さんの件ですか? 多分彼女はそんなこと気にしてませんよ。

 幻想郷とはそういう地です。昨日までの敵も一度酒を交わせば友となる。過去の遺恨は酒で洗い流せる。そうしなければこの閉じた地では首が回らなくなる」

「いや、それでもオレは気にするよ。なんで憎いのかも判らない、そんな状態じゃ自分の心にどうケジメを付ければいいか分からない」

 

 ヤマメのように、にとりのように。

 過去を弁えたうえで前に進むという事は記憶の無い魁斗には真似が出来ない。

 ―――自分でも神奈子がなぜ憎いのか判らない、そもそも本当に自分は神奈子が憎いのだろうか?

 ―――例えばもっと他の、何者かを憎んでいて、その面影を彼女に重ねているだけなのではないか?

 ―――憎いのは確かだが、どうもその辺りが判然としない。現実味を帯びていない感情だから自分でも扱い方が判らない。

 

「何もかもが闇の中で、その闇を探る事が恐いと今日初めて思ったよ」

 

 闇が恐いと、そんな人間の赤子のようなことを言う。無理も無い、今の彼はつい昨日始まったばかりなのだから。

 

「そう、ですか」

 

 手近な木に背を預けて、思索するように射命丸は瞼を閉じた。

 記憶を失う、ということはつまり妖怪の彼女からすれば死と同義だ。

 昨日まで其処に居た自分が居なくなる。今まで積み重ねた己が無となるということ。

 それは紛れもない断絶だ。同じ顔でも、同じ声でも後に続くの全くの新しい、異なる存在だ。

 精神的存在である妖怪からすればそれくらいに記憶とは重要なものである。妖怪の価値観から物を語るなら言うべき事は一つだけ。

 『昔のことなんて綺麗さっぱり忘れて今の自分を謳歌しろ』

 思えば、伊吹萃香がこの男に新しい名を与えたのも、つまりはそういう事かもしれない。

 だが、

 射命丸文は新聞記者だ。事実を探求し、記事にするために魁斗に近づいた。

 たとえ酷な話だとしても、記憶を取り戻すな、などと言えよう筈も無い。自己矛盾とは妖怪にとって諸刃の剣、抱え切れなくなればいずれ彼女が自滅する。

 だから、なんとかして折衷案を見つける必要がある、と思う。

 

「……魁斗さん」

「うん?」

「記憶を失う、という感覚がどういうものであるのか私には想像も出来ません。だから確かな事はあまり言えないのですけど」

「………」

 

 息が、詰まる。

 ――――そんな母に縋る様な目で見ないでくれ。

 ――――どこまでいっても私は自分の利益を追求する事しかできないのだから。

 渇いた喉を湿らせるように盃を煽る。

 

「自分がどういう存在であるのか、それを確かめたいというのならまずは世界を観るべきです。

 何を観て、何を思って、何が好きか、何が嫌いか、何が得意か、何が苦手か。

 それを考えて、目を逸らさず、忘れないように刻みなさい。そうすればいつかあなたの疑問も氷解するかもしれない」

 

 そう言って射命丸は懐からあるものを取り出した。

 

「これは?」

「文花帖、いうなれば取材した事を書き留めた新聞記者の生命線みたいなものですね。これはその予備です。今日は特別に、これを魁斗さんに進呈しちゃいます」

 

 勤めて冷静に、微笑を崩さないように手渡す。

 彼が信用し、縋ったのは人当たりのいい射命丸文。新聞記者としての仮面を被った彼女だ。

 ならば不安におびえる彼の前でその態度を変えてはいけない。そういう判断だった。

 

「はあ、言いたい事は判ったけど、備忘録に頼らにゃならんほど記憶力がないわけじゃないぞ、オレ」

 

 そりゃ過去の記憶はないけど、と不満げに眉をひそめる魁斗。

 それを諭す様に指を振る。

 

「ちっちっち、判っていませんね魁斗さん。文字とは言霊同様に力を持っています。

 文章を書くという事はそれを書き手が己の心に刻むという事。覚書とは記憶を助ける為ではなく自我を固める為の手段。日記とは過ぎ去った日々を固定化することで歩んだ道を客観的に視察する道程なのです」

 

 自信満々に語る。実際にはたった今思いついたもっともらしい詭弁なのだが、そんな事は関係ない。

 迷う者はいつだって縋る対象を求める、信心があれば鰯の頭だって神になる世なのだ。虚勢を張るなら立派な方が良いのだ。

 

「そうか……うん、そうかもしれないな」

「ささ、それでは善は急げ。皆ほろ酔いの今が取材するには好機です、行きますよ魁斗さん!」

「は? ちょっと待て。なんでオレまで!?」

「何を言います?新聞記者の命、文花帖を持っているんです。当然でしょう?」

「畜生、嵌めやがったな!」

「あはは、見分を広めるという意味ではどちらも同じじゃないですか」

「む……たしかに」

 

 理を説かれればすんなりと頷いてしまう――――良く言えば純粋、悪く言えば騙されやすい。そんな人柄だから目が離せないのだろうな。

 写真機のフラッシュを焚きながらそんなことを射命丸は考えた。

 

 

 




【元ネタ解説】

 ――神奈子が口にした土蜘蛛の名前等。

 土蜘蛛に関する伝承は色々とありますが、彼女の口から出たのは妖怪土蜘蛛の名というよりは、それら妖怪土蜘蛛の伝承が生まれるきっかけになったであろう『かつて大和朝廷に帰属しなかった各地の豪族』の名前です。今回はそれを借りうけました
 妖怪の成り立ちなんかは色々調べてると面白いものに行きつきますね。

【補足、というか弁解】

 作中でやたら主人公が神奈子に悪意ぶつけまくってますが、一応作者にヘイトとかの意図はございません、むしろ守矢組は大好きです。
 これが二次の辛いところで、神奈子様ファンの方にはもうしわけない。
 まあ、理由に関してはネタバレになるので伏せさせて頂きますがね。
 

 そろそろ書き貯めのストックも尽きてきたので投稿ペースは落ちるかと思いますが、感想ご指摘などの類は常にバッチ来いです。
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