TSおねショタ隻狼伝説   作:豚ゴリラ

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九郎による主命――戦の指揮者の首を落とし、平田の者達が撤退するまでの時間稼ぎの為に屋敷を出て、次の月夜。

竹藪の青臭い匂いの中へと緩やかに、薄い吐息が混じっていく。

ギリリと収縮した瞳孔が微かな光をかき集め、浅い呼吸がどこまでも長く、細く引き伸ばされる。

そして呼気を置き去りに、早馬も無しに駆けたにしては大した汚れもない後ろ髪が風に揺れた。

 

 

「…………」

 

 

竹林の中を無言で駆ける。

視界の端では淡い月明かりに照らされる()()()がゆらゆら蠢めいていた。

どうにも方向感覚を見失いそうになるが、しかし竹の隙間の奥にて揺らめく大きな篝火――葦名の外より運ばれ灯された"それ"のおかげもあって道に迷うことはない。

 

徐々に人造物が増え、等間隔に設置された松明の道にたどり着いた頃には、狼の足取りも緩やかになっていた。

赤い燐光を(よすが)に茂みの中を潜行し、すぐ横の――道標を用立てた兵たちに気取られぬよう、足音さえ踏み潰す。

遮蔽物さえあるのなら存外見つからぬものである。狼はそれを寺の僧達(仙峯寺)から学んでいた。

嘗ての彼らと同じように、傍の道ゆく兵達も狼が潜む茂みに一瞥もくれない。……実に都合のいい事だった。

 

 

「……腹、空いたな」

 

「そうだな」

 

「水ばかりでは、腹が、下る……あぁ、米を食いたい」

 

「お前が大食らいなだけだろう」

 

「……いつになったら帰れるのやら……おっかぁの飯が恋しいよ」

 

「……そうだな」

 

「いい加減に食糧の配給増やしてもらいたいもんだ……うっ」

 

「どうした」

 

「すまん、漏らす」

 

 

もの悲しい悲鳴を背に受け――ちょっとばかり鼻を摘み、ゆっくり、着実に緩やかな勾配の坂を登る。

そして途中で道から逸れ、茂みの中へと突入した。

 

 

――そのまま歩くこと数十歩。その頃には竹の隙間から木造の外壁が顔を覗かせ始めた。

丸太を積み上げ打ち付けただけの急拵えのものにしては……まぁ、"比較的"重厚な門構えであり、続く塀も荒々しく、そして頑強。

未だ不完全とは言えども、葦名侵攻の要となっている――正しくはその予定なのであろうか。流石に壮観であった。

 

 

(……霞か)

 

 

そして、砦と同時に視界を埋めたのは白い霞。

心なしか先程よりも濃ゆく、光を吸い込むような純度を持つ。

いつぞやの葦名の底を思い起こさせる濃度だ。

 

一寸先は闇――と言う訳ではないが、恐ろしく不明瞭な視界。全く把握できない地形。狼も霧には随分と苦労させられたものだった。

だがその障害が敵方にも同じようにあると考えてしまえば、そう悪いものではない。

 

 

とはいえまず中に入らなければ利用もクソもない。まず先にこの砦への侵入方法を考えねばならないか。

一度茂みの中にしゃがみ込み、顎に指先を添え思考を巡らせる。

 

まずはぐるりと視線を回し周囲を検める――が、しかし埋め尽くすばかりの白に邪魔をされて仕方がない。当然だ。

か細くため息を吐き、仕方なしと外壁へ歩み寄る。

 

 

「乗り越えるには、脚が足らぬ……」

 

 

当然といえば当然だが、塀の背は高く、厚みは狼の声を余さず吸い込むほど。

だがやはり造りが粗い。使われた縄の締めは緩いし、打ち付けた釘が一部曲がったままの物まである。

時間も金もそう多くは掛けられていないのか?あるいは腕のいい職人を連れて来ることができなかったのか。

ともかく、もしも彼女の見立て通りならば突破口がある。

無ければその辺の縄を切って火薬なり何なりで打ち崩す必要がある、が――出来れば、この手は使いたくない。それは最後の手段だ。

 

スッと目を細め、壁沿いに歩き、隅から隅まで視線で(なぞ)っていき――

 

 

「……解けた縄。亀裂……ここならば、あるいは」

 

 

急拵えゆえの適当な配置と工事。杜撰な管理によって拵えられてしまった丸太の隙間。

狼が鎧武者の類であれば通ることは出来い程度の大きさだ。しかし幸いなことに、狼の体躯は比較的小さい。

 

隙間から覗き見たところ、この先は物陰に位置する――かもしれない。たぶん。

もしかすると丁度兵が見回りに来るような場所かもしれないし、直ぐ側に警鐘兵がいるかも知れない。だが霧の濃さもあってよく分からなかった。

 

 

「……………」

 

 

しかし虎穴に入らずんば虎子を得ず、とも言う。

多少の危険には目を瞑るべきだろう。

 

…………。

……………。

 

 

「…………」

 

 

――まあ、いざとなれば正面突破(脳筋)する他ないだろう。

悩んでも仕方ない。

以前にも見張りの警鐘兵の存在に気付かずに"痛い目"を見たことがあったが、なんだかんだで何とかなった。

 

頷きを一つ。頭を軽く差し込み、しばし耳を澄ませた。

 

 

「…………」

 

 

音はない。見える範囲には誰もいない。

 

 

――意を決して体を押し込んだ。

どこかに突っ掛かることもなく、するりと抜け出た先は――見立てた通りでちょうど都合よい、掘っ建て小屋の裏だった。死角に警鐘兵が隠れているわけでもない。

誰かに見られることもない好位置だった。

 

総じて、いっそ珍しいほどに順調――と言っても良いだろう。

()()()()()()()()()()()()がどうしようもなく邪魔だが、しかしこのおかげで敵兵から姿を隠せている事も間違いないだろう。味方につけてしまえば非常に心強い武器である。

 

ぼんやりと霧を貫く篝火を頼りに地理を推察し、白霧で姿を包み隠し荷車や建材の影を音もなく駆ける。

目指すは中央――まずは最も守備が堅い場所を探す。

 

 

「おい、異常は――」

 

「――ぃや、何も――」

 

「儂の油を知らんか――」

 

 

そこかしこから聞こえる生活音の反響と、溢れる物資(武具や油、塩、日用品)の山。

銭に換算すると……幾らになるのだろうか?少なくとも袋に入り切らない程だろう。

算術はさほど得意ではないし、経済にも明るくない、日用品の相場も知らない彼女にはよく分からなかった。だが、少なくとも葦名を圧倒する程の資金力はありそうだ。

 

 

「―――ぉい。交代の時間だ」

 

「あぁ、もうそんな時間であったか」

 

「異常は?」

 

「無い。昨晩から霧が鬱陶しいが、まあそれだけのことよ」

 

 

しかし、それだけ土台を整えているからこその油断なのか。

ただ平常時と変わらぬ体制のまま、狼を奥へと受け入れてしまった。

それは一握りの精鋭――赤備えでさえも同じ。

彼らが身に纏うのは磨き抜かれた赤い具足。そこから溢れる武威の煌きは逆に位所を知らせる目印となり、そこら中に積み上げられた丸太を経由するだけでも容易く回避できてしまうのだ。

 

それに、襲撃を成してから一日二日。それからすぐに反撃が来るなどとは誰も考えてはいない。

せめてこの土地に対する理解が深まれば――それこそ二、三年でも馴らす期間があれば事情は違っただろう。

 

 

 

――結局、狼の姿は誰にも見られる事はなかった。

 

砦自体がそう大きくないこともある。呼吸を二百回繰り返す程度の時間があれば端から端までを移動できる程度だ。

 

最終的にたどり着いたのは、つなぎの城が出来上がるまでの仮の城。

質素な屋敷の玄関を通り、音もなく廊下を進んだ。

堅牢な砦に八方を守られた本丸であれど、所詮は急造。

まっすぐ二十も歩けば大きな襖――主の位所に行き届く。

 

慎重な手付きで襖を開き侵入するも、ここの主はよほど勘が悪いらしい。

大きく揺らめいた蝋燭の火にも気付かず、熱心に手元を見るばかりだ。

 

慎重に、慎重に足を進める。

畳を掠める切っ先がゆらりと踊り、背を向ける"大将首"目掛けて構えられた。

 

 

「ふぅむ、想定通りよなぁ。葦名の化生(バケモノ)共は未だ見えず……と」

 

 

椿油で丹念に整えた白髪交じりの(まげ)を揺らし、仕立ての良い白羽織とぴかぴかに磨かれた黒鉄の具足を自慢気に震わせた。

相変わらず前方へ傾いた首は机に広げられた書物を眺めることに全霊を注いでいて、その背後から近づく鉄の香りにちっとも気付かない。

 

そんな男が(したた)めた墨汁が描くのは、どれも内府公の勝利を確信させるような強い言葉ばかり。

根拠はない。しかし"そうなる"だろうと結末ありきで口を開いた。

 

 

「所詮片田舎で威張るだけの猿どもよ。

飛んで火に入らぬのならば、直接火を入れるとよい」

 

 

蝋燭が男の周囲一間(1.8M)を照らす。

楔丸の鈍色に朱色が混じり、生々しく滴る血を幻視させた。

けれど(まげ)の男は背後に潜り込んだ女の影にも吐息にも気付かず、恍惚と笑うばかり。

 

 

「ああ、なんと美しい指し手か……初陣ながらこの冴え渡り。

くくっ、我が事ながら恐ろしくなる……」

 

 

細い指が伸ばされた。

男の耳を掠めるように通り、深い皺の刻まれた口元へ。

 

 

「これであれば兄上も儂を認めるしかあるまい。

儂は優れている。儂は強い。儂は素晴らしいのだ。儂は――」

 

 

――儂は"有能"である、とでも口にしたかったのだろうか。

老人は幸せな夢を抱いたまま、最期の最後まで首元に迫る刃先にも気付けず、無常にも生を終えた。

 

 

「御免」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチパチ、パチパチ。

 

暗い暗い空の下。どんより淀んだ霧の中で朱色が弾ける。

真新しい木が割ける悲鳴。鉄や骨が溶ける音。

それは男達が今際に頸から鳴らす水音にどこか似ているけれど、主張する力には天と地ほどの差があった。

 

切り立った崖の上から見下ろす景色は真夜中であるにも関わらずとても眩い。

空気自体は強い湿り気を帯びていたはずだったが、どういう訳か火の勢いが計算を超えて猛っていた。

……とはいえ、燃えているのは砦の中央部と、そのすぐ傍らの倉庫群――食料や装備の類を溜め込んでいた辺りのみ。

狼の想像以上に"可燃物"は多かったが、葦名の霞を破るほどの勢いを持たせることは出来なかったらしい。

 

当初はどうなる事かと肝を冷やしたものだ。

浮かんでも居ない頬の汗を指で弾き飛ばし、ほっと息を吐いた。

 

 

「………これで、撤退となればよい。だが……」

 

 

眼下の大半の兵士はわたわたと右往左往しているばかりだ。

 

……が、狼が睨んだ通り、一部の場馴れしているらしき男達は音頭を取って動き始めた。

これならば鎮火が遅れて大惨事になることもないだろう。

 

空を見上げ、徐々に月明かりの勢力が強まってきたことを感じ取り、おもむろに立ち上がる。

 

為すべきは為した。

ならばあとは一度帰還し、主に報告するが吉だろう。今頃は安全地帯までの避難準備が終わっている筈だし、もしくはそのまま移動しているかもしれない。それならそれで早めに追いかける必要がある。

 

 

それに何よりも、基本的に主から離れるべきではない。

狼とて自分達を取り巻く状況をそれなりには弁えている。

今は()()()()かもしれないが、それも万全ではないのだから。

 

か細くなり始めた朱色に一瞥をくれ、屋敷の方角へと足を向けた――その時。

 

 

「なんだ……もう帰るのかい、倅殿?」

 

「っ――」

 

 

――鈴の音が鳴る。

 

抜刀、構え。瞬間弾けたのは夥しい数の火花。

楔丸の刀身に満遍なく打ち付けられるのは針の嵐!

半ば反射的に振るわれた刀身によってざんばらに切り裂かれ、狼の周囲へ残骸の輪を作り上げる。

 

 

「ふぅむ……どうやら、ぬるま湯に溺れちまった訳じゃないみたいだね」

 

 

気配も音もなく、いつの間にか現れた――そうとしか言いようがない。

針を放った下手人は黒装束に身を包んだ老婆だ。

ピンと伸びた背筋からは未だ衰えぬ覇気さえも漂っている。

 

 

「重畳」

 

 

嗄れた声で囁く。

その声音には、文面以上の圧が込められている。

一時は狼を育てた事もある女傑は、一歩を重々しく踏みしめた。

 

 

「……お蝶、殿」

 

「実に良い事だ。それじゃあ――」

 

 

 

 

 

 

「やろうか」

 

 

視界の右端、更にその外。

地を滑るように迫る豪脚が血臭を振り撒く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む……」

 

 

ピキリッ、とか細く悲鳴を上げて砕け散った白磁の茶器。

未だに戦火の残香が漂う座敷に居座る九郎。その手元で砕けたのは、いつだったか……確か、平田の当主から九郎へと贈られた品だった。

どうにもいい気分ではない。じんわりと滲む不快感に眉を顰める。

 

 

「あら……申し訳ありません、九郎様。すぐにお取り替えします」

 

 

布で包んだ破片を手に、そそくさと側仕えの女中が厨房へ向かう。

――なんと縁起が悪い、と小さな呟きが鼓膜を擦った。

 

 

「……縁起、か」

 

 

竜胤が故に傷付くはずもない指先を揺らし、当然のように狼の姿を思い浮かべる。

未だにこの場を離れたままの彼女に縁起を紐付けてしまうのも致し方のないことであった。

今の状況を想像するだけで、顰めたままの眉がハの字へと形を崩してしまう。

 

 

「九郎様。おかわりの茶でございますよ」

 

「っ、あぁ。すみません」

 

 

また別の茶を"野上のおばば"から受け取り、心ここにあらずといった様子で視線を宙に彷徨わせた。

普段と変わらぬ様子の老婆は、そんな九郎を優しげに見つめている。

 

 

「九郎様、そう気になさることじゃございませんよ」

 

「…………」

 

「ねえ、確かに縁起が悪うと言いますが……別にそんな言い伝えだけじゃあ無いんですよ」

 

「そう、なのですか?」

 

 

"野上のおばば"はお茶目に笑った。

 

 

「ええ。陶器とは、難逃れの縁起物。割れると何かが起こる前兆かもしれないし……ただ、役目を果たしただけかもしれない」

 

「……身代わりですか?」

 

「ええ、厄を代わりに引き受けただけ――そう考えると、ほら。なんだか安心できませんかのう?」

 

「そうですね……」

 

 

そっと視線を落とす。

茶器の中には鼓動と共に揺らめく波紋。

それと、まっすぐに立つ茶柱。

 

小さな手で精一杯握りしめ、ぐっと茶を煽った。不安を洗い流すように。飲み込むように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右より地を這う鎌足の蹴り。

殆ど間を置かずに突き出される右手の針。

それらを左足と左手の刃で防ぐも、いくらか体幹を揺らげてしまった狼へと間髪入れずに両の手掌が迫り――首元を捉えた。

 

 

「そぅ、ら!」

 

 

荒ぶる力点が蛇のように四肢の自由を絡め取り、抗うことも出来ぬまま空舞う痩躯。

ぐるりと視線が空転し、次の瞬間には地面へと強かに撃ち落とされた。

 

 

「――かッ」

 

 

肺が痙攣する。強引に抜き出された空気が未だに戻ってこない!

必死に藻掻くも、しかしどうにもならない。数秒、あるいはそれ以下の時間が完全に失われる。

無論、無防備に土埃の中に沈むばかりの狼を――当然ながら、あのお蝶が見逃すはずもない。

 

――チリン、チリン。

軽やかに鳴る鈴の音とは裏腹に、針の先から響く旋律は殺意の権化が如く。

空気を裂く鈍い音が狼を狙っている。

 

 

「すッ、ふゥ!」

 

 

迫る切っ先。

首を横へひねることでほんの僅かな遠心力を産み出し、肩を通して増幅させ、肘に至らせ極限まで高める。

そして肘を地面へ突きたて、体を浮かばせた。

勢いに任せて横へ逸れること僅か三寸。しかしそれが狼の命運を繋いだ。

 

ドォン!と、数瞬の後に爆音が轟く。

その勢いで砕けた土と石が狼の横顔を強かに打ち付け、鋭い痛みに苦悶が漏れる。

が、その痛みは気付けの薬にもなった。

 

そこまでして、ようやく本格的な復帰を果たした両足。すぐさま一気に活を入れ、一息で後ろへと飛び跳ねる。

 

 

「おや、これは失敬……おなごの顔に傷を付けてしまったかい」

 

「は、はっ……」

 

 

呼吸が荒い。喉が空気を求めて必死に開閉を繰り返す。

遭遇よりほんの数分。たったそれだけ。

 

だというのに、疲労感が肉体の隅から滲み始めていた。

数間離れただけの地面に刺さるお蝶の脚から未だ衰えぬ凶器の色が見て取れるというのに、あんまりな体たらくだ。

 

息も絶え絶え。いっそ無様な風体のまま、のそりと口を開く。

 

 

「お蝶、殿」

 

「そら、構えな。忍びなんだろう? あんたも、私も」

 

「―――ッ!!」

 

 

――パチン!

振るわれた楔丸への返礼は指の音だった。

脳髄を揺さぶるのは、これまでに(前も今も含めた上で)何度も、()()()()()()聞いたことがある残響である。

 

 

「さあ、さあ……あのお屋敷でどれほどの実りがあったのか……。

私にも見せておくれよ、倅殿?」

 

 

周囲に立ち込める白い霧。形作られた子鬼達。それを従えるのは老いた忍び。

 

彼女が笑っているように見えたのは(うつつ)(まぼろし)か。それも最早、お蝶にしかわからない。

けれど狼は、"そうであればいい"と願う事しか出来なかった。

 

 

「斬らせて、いただきます」

 

 

手の内は柔らかく、指先は柄を引っ掛けるように。

刃は相手の目を抉るが如くに構え、足元は常に力ませ、けれど弛む。

 

全て目の前の老女が教えたことだ。

その全てを以って返礼するとは、なんとも奇妙なことである。

が、少なくともお蝶の満足げな顔を見る限り、"間違い"ではないのだろうか。

 

 

「……そうだとも、それでいい」

 

 

――寄鷹切り。繋げて旋風切り。

 

軸足は深く地面へ沈み込み、狼と共に空気を擦る刃は限りなく流麗であった。

月夜に映えるまばゆい銀光――それを横から飛び出す白い子鬼が絡め取る。

 

 

「ッ」

 

 

一の太刀が防がれるのは、当然ながら想定内。

普段から予め懐に仕込んでいる小道具類――そのうちの一つをぽとりと地面に落とす。

そしてそれを()()()()()

 

 

「種鳴らし。よく準備してるもんだねぇ」

 

「あなたが、教えたことです」

 

「おや、そうだったかい」

 

 

お蝶のどこか嬉しげな声とともに子鬼が溶け――

 

――それと同時に、火花が産まれる。

 

狼の大上段の一振り、お蝶の脚甲。

衝突、そして鍔迫り合いによってぎゃりぎゃりと喧しい悲鳴が上げる。

 

またたきの間か、あるいは数秒か。続いた均衡を崩したのはお蝶からだ。

 

 

「はァ!」

 

 

 

 

 

鳩尾を刳り抜こうと槍のように奔る右足。

()()()()それを見切り、ほんのちょっと半身下げ――ちょうど関節が伸び切ったところを上から潰す。

 

 

「ぬ……!」

 

「これも、また、あなたの教え――!」

 

 

膝関節の可動域を強引に歪ませる程の多大な負荷。

故に体幹を維持できず――無防備な胴体を曝け出してしまう。若かりし頃であればいざ知らず、老いた忍びにとっては大きすぎる衝撃だった。

当然ながら機を見逃す道理もない。慣れた所作で右肩を叩きつけ――楔丸を逆手で突き出した。

 

 

「ぐぅ……!」

 

 

ずぶり!

湿った音と共に肉を突き破った刃が、月明かりと血糊でてらてらと輝いた。

 

臓腑をかき分け、骨を削る。

生命を解体する振動が狼の手を汚した。

 

 

「これで、一つ」

 

 

――が、まだまだ足りないことを狼は知っている。この程度で死に切れる筈もない。

葦名の水に親しんだ故の強靭性。練り上げた肉体から生じる生命力。

途端に出血が収まり傷口が凝固するのだから、それを見て化生と言われてしまえばそう否定できない。

 

 

「……は、はは……やるじゃないか。本当に……よく、育った」

 

 

己の血で濡れた指先を震わせる。そしてまた、針を構えた。

口紅のように彩りを加える血は妖艶に光を反射し、純化した殺意を分かりやすく表現している。

描く表情は喜悦に満ちて、どこか萎びた不思議な笑顔。

 

まるで蝶のようだと思った。まぼろしを見せるばかりの美しい蝶。

狼は全盛の彼女を知らないが――けれど、今の彼女がそうなのだろう。往年の彼女がひょっこりと顔を覗かせているのだ。

あまり褒められたことではないかもしれないが、少しだけ嬉しいと感じてしまう。

 

 

「……けれどね、ここまでさ」

 

 

――唐突に、肌を刺すような圧が消える。

 

鋭い呼気と共に作られる正眼の構えを横目に、お蝶は皺まみれの指先を空に翳した。

 

 

「また次に会うまで――精々、惑わされないことだね」

 

 

次いで、滲むように白霧が溢れる。

 

 

"まずい" 

 

当然ながら、頭ではそう理解していた。警戒も怠らず、次にすぐ動けるような心構えも忘れていない――つもりだったのだ。

 

……しかし、体は動かない。

種を落とそうにも指先は動かないし、全身から抜けていく力を押し留める事も出来ない。

クラクラとふらつく頭を必死に押さえつけるが、徐々に大きくなる揺れを抑える事さえ出来やしない。

焦り、荒く呼吸を繰り返す毎に思考の輪郭がどんどん霞んでいった。

 

それでも、と。

 

せめてもの抵抗として――唐突に殺意を霧散させたお蝶の真意を見定めたくて、必死にまぶたを押し上げ続けた。

 

 

「おやすみ、狼」

 

 

揺らぐ視野に映るのは、大きい、大きい、真白い"ちょうちょ"。

霧の羽でふわりと舞う――義父の梟のような、未知の"何か"。

 

そしてそれは、不思議なほどに視線を惹いた。

意識を吸い込まれそうなほどに――。

 

 

 

 

 

 

 

 






Q.お蝶のちょうちょって何?
A.梟が使ってたんだしお蝶殿が使っててもおかしく無いの理論。
それにお蝶は幻術使いな分、(モノが同じかはさておき)お蝶のほうが適正あるでしょ!という解釈。


Q.お蝶の拡大解釈入ってない?
A.狼が逆行したことによるバタフライエフェクト
英語版のお蝶の名称はレディ・バタフライなので丁度具合がいい……いいですよね!



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