TSおねショタ隻狼伝説   作:豚ゴリラ

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難産

時は移ろい、太陽と月は幾度も交代を重ねた。

少しばかり冷えていた空気は熱を帯び、そして"春"になる。

 

狼が九郎の許に仕えて二月。

その間にも紆余曲折はあった。しかし、平和と呼ぶに適うほど争いの芽が無かった。

賊は平田の防備を貫くこと敵わず、内輪の争いもなく、財にも物にも困っていない。

加えて屋敷周辺に住まう人々は穏やかで親切なものが多く、だからこそ――九郎(竜胤)を匿う事を決断できたのだろう。

 

狼が知りうる限り、この屋敷ほど主を匿うのに適した勢力はそう多くない。

古い記憶の中には残されていなかった情報だが、これを知った今ならば――なるほど、内側からの手引無くば攻め落とすのは不可能だと理解できる。

 

果たして襲撃が――はたまた、梟自身の手によって御子を攫おうとするのは何時のことか。

明日か、明後日か、来週か、一月後か。

一切の見通しは立たぬが、それでも不自由なりにも備えは尽くした。

 

だから後は、時を待つしか無いと……そう理解はできる。できるようにはなったが……しかし、逸る気持ちを抑えきれぬ。

 

柄を握る掌が僅かに汗ばみ、じっと馴染んでいた筈の正絹から浮いている。

 

しかしそれは一時のものでしか無いと考えていた。

平田の離れに建つこの道場の中で汗を流せば、そういった気の迷いも振り払えるのではないかと。

丁寧に整備を為された故の清浄な空気であれば、きっと洗い流してくれるのではないかと。

……しかし、無駄だった。

 

眼前に立つ(義父)との稽古の最中でありながら――いや、だからこそ、か。

確かに迫って来ている脅威は、もはや狼の感覚を刺激するほど近付いている。

 

今この瞬間にも、殺せ、切り裂け、踏み躙れと、脳裏で誰かが叫ぶのだ。

荒ぶる情動は重く、激しい。

 

確かに梟は竜胤を巡る戦いの切っ掛けとなった人物ではあるが……だからといって、彼を排せば万事解決という訳でもないのに。

 

 

「………娘よ、集中が乱れておる」

 

「は」

 

 

――瞬時に思考を遮断する。

 

狼のそれと同じく――否、それ以上に重苦しい声音が鼓膜を揺さぶったからだ。

それを動力として呼気を一つ、空気に融かした。

強制的に心を鎮め、淀んだ思考回路(無駄)を一掃する。

体内の余分(無駄)は赫灼の熱として排出され、狼が()()として専心するためのゆとりを生み出してくれた。

 

それこそが正面切っての戦において特に重要で、肝に銘じるべき心構え。

 

狼は知っていた。

己に宿る強者達と繰り返した殺し合いの記憶が、かくあれかしと証明している。

 

なんせ、それが出来ねば永遠に勝てなかったのだから。

 

 

「すぅ」

 

 

音もなく、足を抜いた。

半歩、右足を前に出し、膝を軽く緩める。

次いで両足の土踏まずを用いて()()()()()、重心は遥か地の底へ。

 

此度為すは"地に足つけぬ忍びの戦い"ではなく、"一切の守りを諸共切り砕く侍の作法"。

故に揃った両腕は教えを遵守し、ゆるやかに、しかして張り詰めさせて柄を握る。

 

腕は赤子を抱くように優しく、掌は力を抜き、豆腐を握る心積りで。

柄本は腹の前拳一個の間隔、刃は真っ直ぐ、目元の位置を貫くように伸ばすのだ。

 

一直線に伸びた刀は刃渡りを隠し、戦運びを助けてくれる。

 

 

「葦名流――」

 

 

鋭き眼で義父を睨めつける。

これが指導の場であろうと、相手が義父であろうとも関係ない。

この場で全力を出すことは決して叶わぬが――しかし、策に影響がない範囲であれば魅せよう。

あの天狗(葦名一心)が見出した才を、飲み込んだ有象の業を――!

 

 

「一文字」

 

 

――梟の目には、まるで場面を一瞬で切り替えたようにも映った。

上段に大きく構えられたと思えば、すぐ目の前に刃が迫る。

故に咄嗟ながらも刃を翳し、弾けたというのは――我が事ながら喝采の念を抱く他無し。

そしてその精巧なる業前こそが梟の命を救うのだ(一度殺される程度では死ねぬが)

 

だが――初太刀を凌いだのなら、その次がある。

梟はそう知っていたが故に、襲い来るだろう切っ先に備えて分厚い野太刀を翳した。

 

 

「二連」

 

「ぉ――」

 

 

――ギャリリィ!と、喧しく刃が擦れ、鼓膜を幾重にも突き刺す悲鳴が響いた。

 

衝突した楔丸と野太刀は火花を撒き散らし、舞い上がった土埃の中でも尚輝く。

双方、共に強靭で粘り強く、だからこそ手繰る者の技量がよく見える。

 

狼のそれは空気を強引に撒き散らし、空気の揺らぎさえも見えてしまう剛剣。

それは、ただ敵に打ち勝つ事を至上とした侍の業。

 

無論葦名衆と共に戦った梟も、"これ"を数え切れない程に見て――そして経験した。

 

経験したが――その中でもこれは極めつけだ!

 

必ず斬る、何があっても斬ると、恐ろしいまでの執着が匂い立つ。

故に、これは紛れもなく葦名の剣技だ。

 

我が娘ながら――ああ、なんとも恐ろしき殺意の影よ!

 

 

「むぅ……!」

 

 

鍔迫り合いは一瞬の事。

防御の上から叩き斬ろうという気迫は物理的な質量さえも伴い、梟の体幹を強引に削り取っていく。

これでこそ葦名の剣よ。 梟は自由に動かない体で、けれど惜しみなく称賛した。

 

まさかそれを己の娘が振るうとは思っていなかったが――しかし、その才覚は恐ろしくも美しい。

 

 

「ここまで育ったか……嬉しいぞ!」

 

「く……!!」

 

 

瞬時に膝の力を緩め、その重量の方向を操り地面に逃した。

太刀の主たる狼は己の制御を失った力に振り回され、一瞬ながらも体幹が揺らいでしまう。

無論、その一瞬を以て梟は距離を取り、極めて迅速に仕切り直した。

 

その流れるような一連の動作を、狼はただ眺めることしか出来ない。

撓んだ膝を反発させ、地を蹴る動作は実に自然。

まるで空舞う梟のように軽やかで、失敗への後悔よりも先に感嘆の意を抱かざるを得ない。

 

 

「おお……!!」

 

 

しかし余分はその場に捨て置き、距離を詰めるために強く跳ねる。

 

己の左手に大手裏剣か、はたまた忍び義手でもあれば"寄鷹斬り"で強襲を仕掛ける所だが――"重し"がない現状でそれは不可能。

 

まあそもそも今回は剣士として立ち会っているのだから、そう考えるべきではないのだが。

無意識の内で模索した殺害の術を振り払った。

 

きっと、梟を潜在的な敵とみなしているが故にだろうか?

思った以上に(殺意)が籠もる。

 

ああ、まるで()()()()()が外れたようだ。

理性から逸れた感情は更に更にと沸き立って、心が浮足立っている。

 

……何故だろうか。

狼も知らぬ内に思考が白熱する。

炎に巻かれたように熱く熱く燃え上がる。

そうする理由なぞ、何も無いのに――ただただ一層苛烈に剣を振るった。

 

別に梟自身が憎いわけではない。むしろ深く敬愛しているし、感謝もしている。

ただ狼の道を阻むのならば、何が何でも斬り捨てねばならないと言うだけで――

 

 

――ならば……この炎が導くままに振る舞っても、別に良いのではないか?

 

 

「むぅん!!」

 

 

――雑念ごと叩き付ける。

何度も自分を戒めているにも関わらず、次から次へと雑念が湧き出てしまう。

何たる未熟か。狼は自分自身を罵り、固く固く精神を締め上げた。

 

 

「横一文字……!」

 

 

本来ならば刀身を鞘に収めた状態から、力を溜め込み抜き付けるべき技。

しかし敢えて。 全てを晒した状態から右の手と背中の筋肉を総動員し、力ではなく精緻な冴えによる斬撃を放った。

 

故に、これは剛剣ではなく柔剣である。

大気を揺らがすのではなく、斬り裂くのだ。

 

 

「ほぉ……! やるではないか!」

 

 

しかし、大忍びはそれさえも容易く踏み越える。

並み居る凡俗であれば腸をぶち撒けるであろう斬撃も、当たらなければ意味など無い。

言うは易し、行うは難しというこれを――膝よりも低い位置を這うように、大きく体を傾けることで実行した。

 

 

「………ッ!」

 

 

――その姿を認めた狼は、振り切った刃を一瞬で引き戻した。

徹底的に効率化を図った運剣(刃の操作)に隙は無く、刹那の内を経て――楔丸の切っ先は天を仰ぐ。

狼は上段に大きく振り被り、溢れる剣気で空気を震わせた。

 

専心、専心、専心。

ただ集中し、心の奥底深くに思考を埋めろ。

 

放つべきは葦名流の基礎にして真髄。

一刀に技術の粋を集め、あらゆる防御を踏み砕く一撃である。

 

これが稽古であると知りながら――いいや、きっとだからこそか。

だからこそ、義父に己の成長を見せつけてやりたいと、そう思ってしまった。

それが本当に狼の内から湧き出たものか、それすらも分からないまま。

 

 

「……ふ」

 

 

――それを、梟が拒絶することなどありえない。

深層心理の何処かでは常に思っていたことだ。

己の技術の粋を叩き込んだ娘との、純然なる殺し合いを。

 

地を這う姿勢のまま、右手に携える野太刀を寝かせ、一直線に狼へ向ける。

肩ごと大きく後ろへ引き、脇と背中の筋肉が激しく隆起した。

 

是即ち、突き技の前動作。

梟が積み重ねた忍びの技、その代名詞の一つである。

 

 

「おおぉ!!!!」

 

 

――大忍び刺し。

大気を巻き取り、さながら螺旋のように輝く秘技。

本来ならば離れた間合いを詰めながら放たれる大技を至近距離で曝け出す。

梟としてもそう経験のない試みだが――しかし、移動のためにも割かれる筋骨の力のすべてを突きに集約できると考えると――意表を突く事もできる本来の利点は失われるが――そう悪い行動ではないと思えた。

 

いわばこれは、正面からの果し合いに於いてのみ有用な発展型だ。

ただ目の前の敵を刺し貫く為だけの――!

 

 

「あんた達、一体何やってるんだい……」

 

 

――すっと、狼の目の前を"何か"が横切った。

それを目にした瞬間、取り返しのつかない一線を越える寸前――狼と梟は全くの同時に停止した。

途端に熱に狂った脳漿が寒さに震え、白んだ視界が落ち着きを取り戻す。

 

胡乱げに彷徨った視線の先には輝く蝶々。

きらきら、きらきらと輝くそれは幻想的で……だからこそ、現実世界には存在しないまがい物だと分かってしまう。

 

ゆらゆらと揺れるそれは何かを訴えかけているようで、狼も梟も思わず自然と筋を緩めた。

 

……響いた叱咤の声には聞き覚えがある。

しわがれていて、深々と鼓膜を震わせる老婆の声だ。

 

 

「お蝶殿」

 

「稽古で本気の殺し合いするバカなんて、あんた達以外にはそう居ないだろうねえ」

 

「……む」

 

 

――思考が急速に冷えていく。

沸騰していた脳髄が凪のように静まるにつれ、寸前までの行動が異様に過ぎると理解できてしまった。

狼は気まずげに視線を宙に踊らせ、意味もなく周囲を見渡す。

 

……狼と同じ様に気まずげな梟と視線があった。

お互い咄嗟に視線を逸らして、訳もなく左の指先を擦り合わせる。

気を紛らわせる指遊びだが、だからこそ益々普段の狼へ回帰させる一助となった。

 

そうして思うのは、やはり疑問。

澄んだ思考回路を満たすのはあまりにも不可解な自分達の振る舞いへの懐疑だ。

 

果たして何故なのか?

何故、()()()()()を忌避せず――むしろ嬉々として挑もうとしたのだ?

……狼自身にも理解できない、あまりにも不明な行いであった。

 

 

――それはともかく。

楔丸を鞘に収め、最後に残った熱を吐き出すように肺を潰した。

まずは佇まいを直し、ほとぼりを冷まさねばなるまい。

 

 

「ふぅ……」

 

 

白い霞が空気に溶ける。

それはさながら戦意が跡形もなく消え去る様を表しているようだ。

 

当然ながらここから急に刃を晒し、さあ開戦!なぞ、あり得るはずはない。

揃って関節をほぐし、気まずげにお蝶に視線を送った。

 

 

「……さて、申し開きはあるかい?」

 

「……」

 

「……ありませぬ」

 

「ふぅぅ……」

 

 

お蝶は、さて困ったと眉間を揉みほぐす。

事の経緯におかしな点はない。

一体何を考えたのかまでは知らないが、(バカ)は到着して早々に(バカ)へ稽古をつけようと道場に呼び込んだ。

……ここまでは良い。

 

平田の屋敷の離れに建てられたこの場所は大きく、頑丈な作りであり、だからこそ多少の剣戟の音は外に漏れない。

だからこそお蝶が異常に気付き、止めに入るのが遅れたのだが――きっと、それがなければどちらかが死ぬまで止まらなかったに違いない。

文字通りの意味で片方がその喉を己の血で潤すことを、心の底から望んでいた。

 

これは、明らかにおかしな事だ。

何故よりにもよって()なのか。

 

それは二人をよく知るお蝶だからこそ、一層おかしなことだと理解できる。

双方とも気が違ったわけではなく、あまりにも平時と変わりない。

……いいや、()()()()()()()()()

 

 

「……流石にこれは妄言かねえ」

 

「は……?」

 

「いや、なんでも無いよ」

 

 

まあいくら考えた所で、今起こった事実に変わりなど無いのだが。

平田屋敷に到着したばかりの梟は稽古を行い、共に熱が入りすぎて殺し合いになりかけた――と。

確かに戦国の世にあっては……そう珍しいことでもないのだが。

 

 

「ともかく、狼。 御子様がお待ちだよ」

 

「は」

 

 

一度思考を断ち切り、狼を御子の許へ向かわせる。

目の前で釈然としない様子で黙りこくっている大男。彼を問い詰めるのは……まあ、その後でも良いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方になり、葦名城から派遣された寄鷹衆が辿り着いた。

彼等は皆御子を守るために集まり、それはつまり葦名一心も九郎の事を気にかけている事の現れであろう。

それが竜胤の力を求めてのことか、はたまた単に幼い少年の境遇に同情したのか。

真意はともかく、防備がより強固になった事に違いはなかった。

 

例え内側からの手引があろうとも、今の平田屋敷が賊に落とされることはない。

それこそ、()()()()()()()()不可能だ。

 

そうと確信しているからこそ、狼は当然来訪した梟とお蝶に最上の警戒を向けていた。

 

決して悟れぬよう巧妙に隠してはいたが……。

積もりに積もった警戒心と敬愛と、僅かな殺意は混ざり合い、形を変え、色を淀ませた。

それは狼自身にも扱いきれぬほど複雑で――だからか。

昼の稽古で殺し合いに発展したのはそれ故なのか?

 

……そうとしても。もし仮にあの場で斬り殺してしまえば、想像する限りでは最悪に近い未来を辿ることになるだろうに……。

それを知っているにも関わらず刃を向けたのかと自分に問えば――正直、分からない。

何も、分からないのだ。

 

その深い困惑の念は狼の足を絡め取り、何処に行っても纏わりつく。

だからかもしれない。

今、梟に話し合いのために声をかけられた時、綻んでしまっている精神は困惑に満たされた。

 

 

「……父上」

 

「来たか」

 

 

離れにある小屋。

見苦しくない程度に整えられた家屋は、ずんぐりと重厚な威圧感を放っているように見えた。

それはきっと中に住まう住人の所為なのか、ともかく重苦しい。

声をかけ、引き戸を開ける最中にも、何故か狼の双肩が固くなったように感じてしまう。

 

梟は戸を開いてすぐに見えた。

その横姿は背を丸めており、大きな体を窮屈そうに縮めて机に向かっている。

 

なにやら書物をしたためているらしい。 スラスラと滑る筆先を眺める瞳は、深く真剣味を帯びていた。

狼が建物の内部に足を踏み入れても視線を寄越さない様を見ると、なんとなく偏屈な職人(いつかの猿)を想起させられる。

 

 

「…………」

 

 

普段以上に背筋がピンと伸びた。

意味もなく緊張感を感じてしまい、なんだか落ち着かない。

かといってする事は何もなく、梟の作業が終わるのを待つことしか出来ないのだ。

 

 

「ふむ」

 

 

梟は一度筆を置き、机に広げられた文字の並びを眺めた。

狼の位置からは、小さな明かりの関係もあって内容は伺えない。

 

それに……何故だろう。

丁寧に書物を眺める梟の横顔は、どこか空恐ろしい。

 

……それが何故か、と問われると……理由は思い浮かばないけれど。

 

強いて言えば――昔から恐ろしい形相をしていたと、そう常日頃から思っていたからだろう。

先入観は梟の表情を覆い隠し、だからこそ()()()()()()を見抜けない。

 

 

「……座れ」

 

「は」

 

 

ごつごつと節くれ立つ指で示された座布団に、ゆっくりと腰を下ろす。

狼は前回よりもさらに小さくなった尻と膝を柔らかな布に乗せ、じっと梟を見つめた。

 

 

「………」

 

 

一体如何な心境なのか。

……普段以上に、どこか気配が重苦しい。

 

何かを躊躇うように口を開き、しかし閉じ、また開き――と、繰り返しているのだ。

 

狼はその光景に、小さく目を見開いた。

これまで一度も見たことがない義父の姿からは、普段の即決即断の心構えが一切見えない。

忍びたるもの、一瞬の判断の迷いが命運を分ける。

迷えば敗れるとはよく言ったものだ。

 

確かにその通り。

だからこそ狼はその金言をしかと肝に銘じ、これまでを生き抜いた。

それは――きっと、目の前の男こそがよく知っているに違いないというのに。

 

 

「……ふぅむ」

 

 

漏れる懊悩の声音。

ああでもない、こうでもないと言葉をこねくり回しているのだろうか。

梟はうんうんと悩み――しかし区切りがついたのか、狼を正面から見据えた。

 

 

「娘よ」

 

「は」

 

()()()()()()()?」

 

「――……っ」

 

 

――頭が真っ白になったようだ。

体の節々がギシリと強張り、無意識的にか瞬時に警戒の姿勢を形作る。

 

余りにも平然と、当然のように告げられた言葉。 不思議なほどに平坦な声でありながら、それほどまでに大きな衝撃を齎した。

 

……薄々、そうではないかと思っていた。

もう既に知られているのではないかと。

なんせそう推理するだけの材料は至る所に転がっている。

 

だが、予感はしていても狼の心胆を容易く凍らせた。

だってそれは、最悪の可能性を芽吹かせるかもしれない悪性の種子なのだから。

 

きっと、"何に"と問い返し、誤魔化しを図るのは無意味だろう。

……ああいや。きっと、ではない。 確実に、意味のない行為だ。

 

確信めいた、断言とも取れる言葉は尚も続く。

問い詰めるのではなく、確認するように。

 

 

「いつ、気付いた?」

 

「…………」

 

「確かに、裏では動いていた。 しかしそれは、一心にさえ知られていない秘め事よ」

 

 

多大な自信と共に、梟は両腕を広げて問うた。

目の前の"忍び"に対する敬意を表し、しかしだからこそ問いたい。

 

 

――いつ、気付けた?

 

 

……もはや、逃げ道など何処にもなかった。

確かに物理的に逃走することはできよう。

 

しかしその後をどうする?

梟は間違いなく攻めの手に回り、強引にでも竜胤を手中に収めようと画策するに違いない。

 

ならば御子を連れて逃げるか?

そうすれば間違いなく葦名のすべてが敵に回ろう。

幼い竜胤の御子を攫った国賊として、数多の豪傑共が率いる追手をけしかけられる。

それは殆ど確定した未来だった。

 

もはや、ただ問われたままに答えるしか――"勝ち"を拾える道はない。

 

 

「……前回の」

 

「む?」

 

「前回の生において、父上は竜胤を手にするため……葦名を混乱の渦に落とそうと、画策致しました」

 

「――――」

 

 

まるで気違いが放つような妄言だな、と頭の片隅で考えつつ、狼は静かに吐露した。

慣れぬ言葉を必死に手繰り、可能な限り明快に。

事ここに至っては――誤魔化すことなぞ、不可能だろう。

例え偽ろうと気概を抱いた所で、一瞬で看破するに違いない。

 

ならば――如何に荒唐無稽な事情であっても、語るだけならば――信じられぬとも、無為ではない筈だ。

それに目の前の大忍びであれば、それがまことの意思を以て放たれたのか否か程度容易く見破る。

 

 

「今回の命は……二度目に、御座います」

 

「……よもや」

 

 

つまり、その未来を知っているからこそ、不自然なほどに平田の防備を強固に整えたのだと。

お前とは袂を分かった後なのだと――言外に語った。

 

親を斬る覚悟は、とうの昔に終えている。

それが己が定めた忍びの掟。

 

妄言と捉えられようが良い。

気が違ったと蔑まれても良い。

すぐさまこの首を奪おうと刃を向けられても良い。

 

――どうあっても、主のために敵を斬る。

もはやそれしか出来ぬし、慣れぬ策を弄するのは主を守るためだけに奮起すればいい。

いざとなれば、この場で首を落とす。

狼にはその決意があった。

 

 

「……道理で、異様なほどに多様な技を、高い練度で体得している筈よ」

 

「………」

 

「最初の、最初から……先を見据えていたか」

 

「……は」

 

 

何が面白いのか、梟はくつくつと喉を鳴らす。

狼の視線の先であぐらをかき、その巨体を揺らす老いた男は悲しげだ。

威風堂々とした義父の姿がどこか小さく見えてしまう。

 

 

「……父上」

 

 

だから。

 

狼は、何かを言わなければならないと思えてしまった。

……何故だろうか。

何故、だろうか。

 

思い浮かんだのは、不器用ながらも確かにあった、義父の思いやりであった。

 

 

「父上」

 

「……なんだ」

 

「あなたが、作ってくれたおはぎは……とても、とても……旨う、ございました」

 

「………?」

 

「……その……」

 

 

唇を軽く噛んだ。

硬く震えた舌先が思うように回らなくて、どうにももどかしい。

 

しかし――ああ、しかし。

今日一日で何度も感じていることだが、どうにも自分以外の意思が思考の隅で何かを叫んでいるようだ。

そしてそれが主張するのだ。

 

今、言うべきは言っておけと。

 

 

「…………あなたに、深く感謝しております」

 

「……………」

 

「父上。あなたに拾われて、幸い……でした」

 

「……そうか」

 

 

皺くちゃな(かんばせ)に浮かぶのは、一体如何な感情の表れか。

狼の知識の何れにも該当しない不可思議な形相が深く刻まれ、胸の奥底がざわめいた。

ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りは梟の顔に影を生み、狼の理解をますます遠ざける。

 

けれど、それでも。

 

 

「そうか……」

 

 

その声は、何処か満足げであったと思う。

梟はゆっくりと、いつも同じように重苦しく喉を震わせた。

 

 

「だが……それでも」

 

 

狼の瞳を真正面から睨み、突き立った視線は刃のように鋭い。

それを受けた狼は咄嗟に脚に力が籠もるのを抑え込み、続く言葉を無音で促した。

 

けれど……この先の言葉を想像するのは簡単だ。

己と梟は親子で、やはり似るものなのだから。

 

 

「時が来れば、お前を斬るぞ」

 

「は」

 

「故に、お前も儂を斬れ」

 

「………御意」

 

 

暗い一室に溶けて消える言霊。

腐ること無く吐き出され、互いの心に然と届いた。

 

不要な鎖があってしまえば、互いに向けた切っ先が揺らいでしまうだろう?

だからこそ、今日にあった全てに――後悔など、微塵も無い。

狼は胸を張って断言できる。

 

 

 

 

 

―――忍軍(内府)が葦名を襲ったのは、それからすぐの事である。

 

 

 

 

 






……かわいそうにねぇ
積もった怨嗟が消え去ったなんて、だあれも言ってないのにさ
巡った因果は、もう取り消せないものなんだよ




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