TSおねショタ隻狼伝説   作:豚ゴリラ

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偉大なる徳川、日ノ本の導き手に殺意を込めて

「……来たか」

 

「これは――!?」

 

 

かんかんかん、と甲高く響く銅鑼の悲鳴。

同時に男たちの野太い警告の叫びが耳朶を乱打した。

離れにあるこの狭苦しい一室の中にさえ僅かに反響し、しかしすぐに染み、溶けて消え――けれども絶えず鳴り響く絶叫が、次々にこの一室に注ぎ込まれる。

 

余りにも突然の出来事で、火急を要することは月の明かりよりも確かなものだ。

だからこそ、狼の意識に寸分の揺らぎが生じてしまった。

それは動揺には至らず、しかし明確な隙である。

如何な猛者であろうとも、時にはこの様な"失敗"を犯すことはあろう。

それは、決して責められるような事ではない。

 

 

「父上、一体何を――」

 

「――(はかりごと)よ」

 

 

――しかし、その刹那だけでも梟という大忍びには十二分だ。

そういった意味であれば、紛れもない過失であった。

 

ゆらゆらと揺らめいていた蝋燭の明かりが一際強く輝き、梟の顔を照らす。

刹那の時、ようやっと狼の視界に映った義父の顔は――楽しそうに、仄かに嗤っていた。

まるで時の流れが遅くなってしまったかのような感覚の中で狼は見た。

腰に回された梟の大きな指先が宙を踊り――その先に、白い玉(煙玉)が幾つも握られているのを。

 

 

――ドン!ドン!ドン!と破裂音が大きく重なり響く。

途端に狼の視界を白い煙が覆い隠し、同時に漂う火薬の匂いが嗅覚さえも潰した。

 

 

「くっ……!」

 

 

梟が何故唐突にこれを用いたのかといえば――それは当然、逃げるためである。

正面切ってでの戦いは分が悪い。 兎にも角にも準備が足らぬ。

 

故に逃げる。

決してこれは恥ではなく、謗られるべき愚行でもなく、英断であろう。

冷徹に判断し、明瞭なる梟の思考回路がはじき出した最善の道(遁走)である。

 

梟は、知っていたのだ。

"忍び"として、であれば兎も角……"人斬り"として考えれば娘に軍配が上がる。

あれ程の"一文字"、香り立つ"剣気"、洗練され過ぎた戦の"見切り"……あれに優るものなど、梟が知る限りでは葦名一心(剣聖)のみよ。

だからこそ――

 

 

「卑怯とは、いうまい」

 

 

徹底的に、追跡者としての五感を潰す。

梟は練り上げられた足腰を以って跳ね上がり、それと同時に災を残した。

 

薬毒を撒き散らす爆弾を投げつけ、火薬玉を破裂させ、畳を打ち据え。

場にあるあらゆる物体が狼に牙を剥き、梟への知覚を失わせる。

 

 

「父上――!」

 

 

こうなってしまえば如何な忍びとて追走を熟すことなど不可能だ。

重ねて梟ほどの手練が遁走に注力したのであれば――もはや、狼が追い縋るのは無駄である。

けれど、それでも、無駄と知りながら追いかけようと藻掻いた。藻掻いてしまった。

 

何故かはわからない。

きっと、ついぞ知ることができなかった義父の心の内を、ほんの一欠片でも知ることが出来たからか。

闇に潜むべき忍びが何を言うのか、と。 自分自身に叱咤の声を浴びせたくなる。

同情心なぞ無意味で無駄極まる。

それこそがこれ以上無い侮辱であり、義父の望むべきとは真反対に位置する物だろう。

 

……それでも、掛けるべき言葉も知らないくせに――自分が何を思っているのかも知らないくせに、呼び止めたかったのだ。

 

 

「…………」

 

 

煙が晴れる。毒気は風に溶け、あらゆる障害は無に還った。

 

燃料(酸素)を失ったが故に消えた灯火。

炎の代わりに僅かに差し込んだ月明かりは、夜目に優れた狼にとって十二分の光源だ。

微かに細めた瞳は今在る所の姿を明瞭に捉え、義父の逃走の痕跡を探し出そうと視線を揺らした。

 

……しかし、無駄だ。

梟が今更、このような逃走の際に足掛かりを残すはずがない。

 

争いはなかった故に痕跡はなく、目に焼き付いた義父の顔を知らなければ、きっと白昼夢であったと片付けたに違いない程。

それ程までに一瞬の出来事で、あまりにも鮮やか過ぎる遁走だった。

 

 

「―――」

 

 

一切の利にはならない現状を認識して、小さく小さく吐息を漏らす。

僅かに歪んだ口許は如何な感情の表れか、もはや狼自身にも分からなかった。

 

 

――かんかんかん、と変わらず響く警鐘の音が何処か遠い。

 

 

一体何を思っているのか。

一体何を思いたいのか。

何を求めたいのか。

何を求められているのか。

もう、袂を分かって、道は交わらないとわかっているのに。

 

弱った狼は、それでも小さく吠えた。

 

 

「……あなたを、斬りましょう(知りたかった)。 もう一度……(もう機会はないけれど)

 

 

斬って裂いて腸を覗けば……何を抱えていたのかぐらい、掴めるやもしれぬ。

どろどろでボロボロで黒ずんでいても、きっとそれこそが狼の知りたい答えなのだ。

そしてそれこそが――最期にできる親孝行。

 

狼は最後に、もう一度梟が座っていた机に視線をくれた。

広げられ、梟の手によって文字が記されていた筈の書物は何処にもない。

きっとあの僅かな時間に纏めて回収し、懐に収められていたのだろう。

 

もし残っていれば現状を理解するための手掛かりになったのかもしれないが――まあ、あの梟のことだ。

その様な愚を犯す筈がない。

 

 

――故に落胆も失意もなく、狼は前を向いて走り出す。

 

音もなく小屋を後にし、微かな月明かりを(よすが)に地を駆ける。

柔らかな土を優しく踏み付け、広がる竹林に姿を隠す姿は正しく影そのもの。

広い間隔を取って設置された松明の明かりはか細く、だからこそ狼の姿を一層隠す助けとなった。

 

――しかし、尚速く駆けられぬことがもどかしい。逸る気持ちを抑えきれない。

音を吸う土の特性に甘えて、踏み込む足に一層力を込めて打ち付けた。

離れに建てられたという立地が恨めしいと、内心で高らかに不満を叫んだ。

 

……或いはそれさえも、梟の想定の内か。

 

老練なる忍びはあらゆる要因を巧みに組み合わせ、幾百の火花を重ね合わせて炎とする。

塵は塵であろう。しかしそれ故に、積もるのだ。

 

だから、対抗できる術はそう多くない。

ならばそれに負けぬように出来る事とは?

 

それは――結局、死に物狂いで今に全力を注ぐだけだ。

 

狼は知っている。

この様な切迫した場面であるならば、限界まで全霊を込めることは当たり前だと。

それが出来ねば幾度でも死に絶え、指の隙間から求めるべきを取り零す。

いわんや、生涯の主に危機が迫っているというのなら――更にその向こうへと足を踏み入れねばならない。

 

 

「……すぅ」

 

 

呼気は浅く。

気配を薄く。

鼓動を弱め、影を無くす。

 

一刻も早く主の元へ馳せねばならない。

ならば無用な争いなぞ無駄の極み。

敵にかかずらう暇があるのなら、その時間こそを移動の為に充てるべきだ。

だからこそ、極限まで隠形に徹し、そもそも見つからないように駆け抜ける。

狼は自分にそれが出来るという、何よりも深い確信があった。

 

 

「―――」

 

 

一歩、音はなく。

二歩、光もない。

三歩四歩と空気を縫い、早馬よりも尚早く屋敷を目指す。

 

そうしていれば一分も掛からず柔らかな土の地面は離別を迎え、代わりに舗装され踏み均された道に出た。

道を挟んで掲げられた篝火の輝きは闇を斬り裂き、その先が平田の土地であると高らかに主張していた。

 

 

「……壁が、燃えている」

 

 

……だが、誠に残念ながら――それは壮健であることを示すわけではない。

道が伸びる先に構えられた大門は無残に焼け落ち、軍勢が内に攻め込んでいるらしいことは明白だった。

 

平田の土地の外と、敷地の内を区切る守護者はもう居ない。

逃げたか、殺されたか。

そのどちらかは分からぬが、しかしここが突破されていることは間違いない。

 

 

「忍軍か」

 

 

一切速度を緩めぬまま道を駆け抜け、門をくぐり抜ける寸前。

切り裂かれ、打ち捨てられた骸を一瞬で検分する。

漆黒の瞳がゆらりと流し目で認めた存在は、紫と黒で構成された装束の忍び達。

 

葦名の者がいないのは幸いだ――と、手放しに喜べる状況でもない。

何せ、狼にはこの忍びの姿に見覚えがあった。

 

彼等は、"孤影衆"。

内府が最も信頼する忍び衆だ。

 

……ああ、ああ。狼の脳漿にも深く刻まれているとも。

一周目の旅路の最中で……何度も、何度も遭遇した。

 

紫と黒の縞模様の外套を身に纏い、内には鎖帷子を着込んでいる。

そして皆足技の達人であり、多様な殺しの術を持っていた。

 

それは毒であり、忍犬であり、何よりも洗練された連携である。

狼にとっては苦い思い出しか無い強敵だ……何度も殺したし、何度も殺されたのだから。

 

加えて言えば、何よりも頭数が在る。

そのせいか? 何処に行ってもその影はあった。

井戸底でも、五重塔でも、竹林でも、葦名の底でも、そしてこの国の中枢でも。

 

確かに梟の手引きがあったというのは確かなのだろう。

きっと、そのせいだ(父上のせいか)

だからこそ葦名は陥落した(認めたくないけれど)。 

 

……しかし、少なくともこの段階では――まだ隠れ潜んでいた筈なのだ。

そうとも。あくまで賊を嗾けるに留めただけの存在、()()()

 

――狼は、一層不愛想に表情を歪めた。

回る俊足に翳りはなくとも、しかしその危機感に由来する感情の発露は明らかなものである。

 

 

「……軍として、攻めに来たか」

 

 

何処を見ても、孤影衆や住人と侍達の屍しか無い。

本来の"道"で手足となった賊は居らず、ただ純然たる殺意を持つだけの"敵"があった。

 

狼は小さく口端を歪め、ままならぬ現状に嘆息する。

 

 

「……という事は。まさか、父上は――」

 

 

――喉元に迫り上がった憶測を噛み潰す。

考えたくもない。何処までも悍ましい予測だ。

もしその通りであれば――最悪の結末まで秒読みの段階にあるという事。

 

 

「……っ」

 

 

道を塞ぐように横たわった燃え盛る巨大な壁。それを迂回するために壁を蹴り、塀の上へと足を掛けた。

次いでそのままの勢いを保ち、連なった家屋の瓦屋根へと飛び移る。

 

生きた敵の姿は見当たらないが、ただ地を駆けるよりはこちらの方が見つかり辛いだろう。

山の頂上に近い位置に建つ平田屋敷は、非常に大きな武家屋敷だ。

故に抱える使用人の数は多く、彼等のための住居基盤も多く拵えられている。

 

それらを利用する事で、狼は自身の姿を隠しながらも極めて迅速に移動を続けられた。

 

 

梟との会合から、既に五分が経過していた。

高熱による体温の上昇から、狼の顔面には凄まじい量の汗が滲んでいた。

体内の水分は減少し、体調の面でも決して良い状況とは言えないだろう。

 

……しかし、状況は刻一刻と変化している。

警鐘は既に絶えた。狼の周囲では、ただパチパチと、炎が燃え盛る鼓動のみが響いていた。

剣戟の音はなく、断末魔に悲鳴もなく、九郎の呼び声も聞こえない。

 

――狼は、焦燥で頭がどうにかなりそうだった。

 

 

「御子様……!!」

 

 

故に走る。

とにかく走る。

屋根を飛び移り、柵を踏み台にし、橋を越え、そしてついにはもう一つの門――敷地と屋敷を区切る門が見えた。

ここまで来ると平田の屋敷……その御殿はもうすぐそこだ。

ばくばくと煩い鼓動の音が狼の胸を打ち、巡る血流の音が鼓膜を揺らす。

この程度、訓練で幾度となく走破しているにも関わらず、狼の呼吸は大きく荒れていた。

 

 

「御子様!」

 

 

門を潜る。

狼は白魚のような指先で楔丸を握り締め、飛び込んだ。

敵が居た場合即座に斬りかかれるよう地を踏みしめ――

 

 

「ぐぁ――!!?」

 

「!!??」

 

 

――狼の体を掠りながら、すぐ真横を大きな影が飛び去る。

思わず目を見開き、とっさに背後を振り返った。

 

 

「ぐぅ……!! な、何なんだ――この要塞、は……!!?」

 

「黙れぃ!!」

 

 

飛んできた――いや、飛ばされたのは紫と黒の縞模様。

己の身分を高らかに主張する男は無様に這いつくばり、次いで放たれた一矢を躱すことも出来ず、頭部に角を生やして死に絶える。

 

 

「おぉ、忍び殿か! よくぞ戻ってきた!」

 

 

目をぱちくりと瞬かせる狼に声をかけたのは、皺くちゃな顔を喜色に染めた老人――大介と呼ばれる弓兵だった。

煙や煤で薄汚れた軽鎧を十全に着こなし、左手には古びた和弓が握り締められている。

さながら……というより、文字通りの意味で門番の役割を果たしている老兵は大層嬉しそうに狼に呼ぶ。

 

歩調を緩めて歩み寄れば、炎に巻かれず、ただ血に塗れただけの玄関が迎えてくれた。

開かれたそこから顔を見せる彼には傷一つ無く、みれば後ろにも多くの老人や使用人達が手に武器の類を持って列を成している。

 

 

「あぁ!忍びさん、無事だったのね!」

 

「良かった……」

 

 

妙、花という、特に親交の深い人々も傷一つ無い。

 

無意識のままで、ほんの少し眉間の皺を薄めて、安堵の息を零す。

狼は自分自身がどの様な心情で居るのか、自分でもいまいち分からぬ。

……が、しかし胸の内がじんわりと温まって、肩の荷がすっと軽くなった事は間違いない。

 

直ぐ近くで相対した限りでは……彼等に戦による高揚の気配はあれども、()()()()だ。

深く淀んだ絶望といったものは、ほんの少しも香ってこなかった。

 

 

「若様も、御当主様も無事よ!玄斎のおじさま率いる葦名衆と、寄鷹の人たちが守っているわ!」

 

「ああ、とにかく中へ!後ろからまだ来てるわ!」

 

「……!」

 

 

狼が玄関を潜り使用人達の列に加わった瞬間、大介は玄関横に備えられた綱を引き――そして、絡繰りを作動させる。

歯車が回りきるのと、六人の忍びが門を潜るのは同時だった。

 

ギリリリィ!と鋼の弦を引き絞るような高音が響く。

それは玄関の両隣にある壁から鳴っていた。

 

喧しく脳内に爪を立てる雑音は不愉快極まりない。

しかし――狼が三晩もの間コツコツと組み立てた()()()()は、その有り余る猛威を果敢に振るう。

 

 

「なんとォ!?」

 

「防備を整えるにも程があろう!」

 

「アホか貴様ら――!!」

 

 

軋む音が止まり、一拍。

木と鋼糸の衝突音とともに発射された一対の()()は一直線に、六人の中心点へ一瞬で到達した。

空気を斬り裂く音を鳴らす暇もなく、さながら忍びのように敵の喉元へ食らいつく。

おお、素晴らしき技巧の冴えである。

絡繰り万歳、機械を讃えよ、叡智こそ人の誉れ。

 

限界まで鋼糸を引き絞られ、その力を以って射出される固定大型弩(バリスタ)の一撃は強力だ。

人の背丈と同じほどに大きな矢をただの人間風情が止められる筈もなし。

 

そして矢が通り過ぎたと思えば――ぽっかりと肉が抉れた三体の死体が立ち竦んでいた。

 

 

「絡繰屋敷か……!」

 

「梟め、これを表すなら真田丸(要塞)とでも言っておけ!」

 

 

しかしさすがは歴戦の忍びである。

彼等は死した仲間の骸を見て一瞬怯んだが、しかしそれのみであった。

すぐに冷静さを取り戻し、二門の絡繰りが連射可能ではないことを見抜く。

というかそんなものが存在されては困るのだが。

 

 

「二度射撃される前に討つぞォ!」

 

「おおおォ!!」

 

 

正しく忍びらしい俊足だ。

適切かつ滑らかな体重移動によって予備動作無しで駆け、数秒後には大介に斬りかかるだろう。

 

しかしこの翁の表情には微塵も恐怖の色など浮かんでおらず、むしろ皺くちゃの顔をあらん限りの笑みで満たしていた。

 

気が違えたか?

孤影衆の一人、先頭を走る正貫は訝しげに瞳を細めた。

鉄火場特有の高揚感、命のやり取りに際する思考の高速化。

まるで自己が二分にされたような不思議な心地の中で、寸分の思案を巡らせる。

 

……が、今更考えた所でどうしようというのか。

もはや翁との距離は三間(四メートル半)。足音からして、すぐ背後には仲間たちが追走している。

そんな状況から起死回生の一手を打つなど――

 

 

そこで、ふと視界の端に見えてしまう。

眼前にある翁の手先。

先ほどとは違い、また別の壁から伸びた棒を掴んでいた。

 

――ゾクリ、と悪寒が背筋を震わせる。

明確な根源は理解できずとも直感が叫んでいる。

 

 

「マズ――!!?」

 

 

い、と発音しようとして、それは叶わなかった。

家屋のすぐ前。軒下にある石畳が微かに動いた。

暗闇の中であるが故に発見が遅れ、そしてそれこそが致命的である。

近付いたからこそ、か。 この異常に(不運にも)気付いた男は、刹那の内に大きく目を見開く。

 

ぱかりと()()、地中にあるまた別の絡繰りが――()()()()()によって十三にも及ぶ竹杭が虚空を切り裂き飛び出したのだ。

 

先頭に立つ男のみ、辛うじて視認できた殺戮兵器。

ご丁寧にも先端を尖らせ、軽く炙ることで凶器として調整されている。

この製作者は性格が悪いに違いない。

 

――故に、男は後続の同胞に警告を出そうとする。

迫りくる切っ先がやけにゆっくりと見える。

最期の最後に命を燃やし、引き伸ばされた時間間隔の中で、それでも抗おうと決めたのだ。

ここまで近づいた自分はもう助からないだろうが……しかし後方の彼等はそうではない。

 

この孤影衆、槍足の正長の直弟子"狐像(こかた)"を舐めるなよ。

何も遺さず死するなど、あり得るはずがないのだ。

だからこそ!我が()()は、まだ生き長らえる――!

 

 

「カハっ」

 

 

――哀れなり。当然、それは言葉にならない。

ひゅうひゅうと空気が喉を通り過ぎることさえ無く、肺の中で砕けてしまった。

鎖帷子さえ容易く貫き、肺を、腸を、喉を切り裂かれた。

 

訳も分からず体を前に倒し、慣性のままに空を飛ぶ。

後方から見れば、いよいよもって愚かな老兵に飛びかかったように見えてしまうだろう。

 

――違うのだ。そうではない。逃げよ、逃げよ、逃げよ! 此奴らは――

 

 

「……南無」

 

 

色を失い始めた視界の中で、敵の女忍びが静かに手裏剣を構えている。

態々警告の怒声を封じたのは……きっとこいつか。

 

ざくり、ざくりと、黒く塗られ闇に紛れる鉄の刃が足の健を斬り裂く。

貫通せず、大きな音もなく、警戒させず、万が一の起死回生を潰す。

 

そうしてあらゆる抵抗を潰されてしまえば――もう、すぐ三寸先に迫った竹杭を逃れることなど不可能だ。

後続の二人は、事ここに至ってようやくその絡繰りに気付いた。

目が認識し、脳が処理し、司令を出そうとして電気を流すが……しかし、その信号を流す先は、もはや壊れて使い物にならない。

 

 

「くそ」

 

 

絶妙な頃合いを計らって投じられた4つの手裏剣。

それらはまた絶妙な狙いを穿ち、腱を断つ。

 

数秒後には三人揃って空中浮遊。

更に数秒で串刺しの三兄弟。

 

 

「竜胤さえあれば――」

 

「恨めしい……ッ!!」

 

「―――」

 

 

ぐじゅりと、無残に響く開花の音。

玄関前に添えられたのは、剣山に刺し活けられた肉の花だ。

……実に、哀れである。

 

狼は()()()()()を隠すように、穏やかに合掌した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狼!無事であったか!」

 

「御子様」

 

 

屋敷の奥深く。

当主や奥方達と共に、多数の兵に守られた九郎の姿があった。

広い座敷の大半を血臭さを纏う男達が埋め尽くし、その中央に立つ彼等も、やはり色濃い疲労を表情に浮かばせていた。

気を使ってか、人海を割り開けてくれた道を通り九郎の面前に辿り着く。

 

怪我一つなく、疲労困憊というわけでもない。

狼はしなやかに伸びる膝を地に着け、いつもと同じように跪く。まるで、今この瞬間だけでも日常に回帰できたようだ。

ああ、なんと素晴らしい事だろう。

 

ここにきてようやっと人心地ついたような、淡く柔らかい安堵感に満たされた。

 

 

「……ああ、良かった……」

 

 

九郎はもう一度、大きく深く息を吐く。

 

狼が梟の元に呼び出されたとは聞いていたが……まさか、その親子の団欒を斬り裂くように内府の襲撃があるとは予想していなかった。

それに梟に用立てられた居住地は平田の端も端。

 

それでもきっと狼ならば――直様この場に参じようと疾走すると知っている。

 

深い信頼関係を築くには、まだまだ短い年月しか供にしていない。

しかし狼とは()()()()女だと、九郎はその慧眼を以て見通していた。

 

……それを知っていたからこそ、不安だった。

 

道中で敵兵に害されるのではないかと恐れていたのだ。

自分にとっては、初めての専属の部下。

自分に付く――自分()()に跪く忍び。

 

だから、彼女がこの場に無傷で現れて……心底、本当に心底安心しているのだ。

 

何事も変わりがないようで――

 

 

「……ご安心を」

 

「あ」

 

 

――ぴりりと頭が痺れた。

九郎は自分の体が硬直する様を、どこか他人事のように実感する。

 

狼が俯いていた顔を上げ、九郎の瞳と瞳を合わせた瞬間。

そこに宿る何かを見て、まるで理解できぬものを見たように脳髄の回転が停止した。

 

常と同じように、怜悧に整った(かんばせ)が九郎を見つめる。

ただそれだけの事なのに、四肢に奔る電気信号が痛く苦しい。

 

視線が一点に吸い寄せられ、ふわふわと浮かぶように重さを無くす。

 

 

「如何な、難敵が在ろうとも」

 

 

――この、眼は。その影は。

 

深く、熱く、静かに、鋭く。

親愛か。憎悪か。敬意か。謝意か。はたまた、罪悪感か。

九郎が見つめる狼の瞳は、いつものような不愛想な優しさを押しのけ別のナニカが居座っていた。

 

訳の分からぬ馬鹿げた熱量だ。眼前に立つだけの己さえ今にも焼け焦げそうで、生理的本能からか嫌な汗が額に浮かぶ。

……そんなもの、知らないぞ。知る機会なんてなかった。

薄い唇を開こうとするが、僅かに振動するのみでちっとも言うことを聞いてくれない。

 

……九郎が経験した短い人生の中では、それを量るに足る素地を培えなかったのだろう。

いいや、老成した賢者であろうとも量りきれないかもしれない。

複雑怪奇、奇怪至極。難解過ぎる感情だ。

 

 

「……狼、そなたは――」

 

 

やっと思いで振り絞った言葉は掻き消え、もどかしさにぎゅっと唇を噛み締めた。

この先を、一体なんと言えば良いのだろう?

 

……言葉を投げかけた所で、届くはずなど無いのに。

 

狼は九郎と対面していながらも、九郎を見ていない。

その先にある何かを見据えて、濁って淀んだ――それと形容できる言葉さえ存在しない情念を猛らせた。

ただそれだけのために女は剣気を溢れさせ、往年の剣聖のように勝利を無心する。

 

全ては己の撒いた種。

だから、それを解決するために取れる手は唯一つ。

 

 

「私が、全てを斬りまする」

 

 

故に一切を根切りにする。

 

孤影衆だけではない。

襲撃者(内府軍)を、だ。

 

 

「忍びを、軍勢を、将を」

 

 

この屋敷を襲撃しているのは、尖兵のみではなかった。

 

()()を見つけたのは半ば偶然の事。

屋敷へ到達する寸前――死体()達の中に、目立たぬように掲げられた印を見つけた。

後続の者達に情報(進軍経路)を伝えるそれは()()()――赤備えを率いる、井伊氏の家紋だ。

 

 

深く、深く納得した。

これまでの行いの果てを、因果の精算を悟る。

義父は()()で竜胤を狙っている。

そして、その過程で(結果に)己を殺そうとしているのだろう。

 

――それこそ、多少事(戦火)が大きくなっても構わないと思う程に。

 

 

「例え……この、日ノ本であろうとも――必ずや」

 

 

平田に攻め入る井伊の赤備え、その数七千。

背後に在る内府公は全力を尽くしている。

それは何故か?

 

何故(なにゆえ)、平田にそれほどまでの価値を見出した?

答えは決まりきっている。

 

不老不死(竜胤)なんぞ、どんな人間であろうとも一度は求めるものだ。

きっと――これもそういう事なのだろう。

 

 

 

 




おお!偉大なる徳川公よ!内府様よ!
修羅の卵が目を開いたぞ!
怨嗟の拠り所が喉を震わせたぞ!
不死の忍びが矛先を定めたぞ!

備えよ、膳えよ!
これより始まるは大戦よ!
人の欲のぶつかり合いだ!

ああ――なんと、なんと美しいのか!






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