「……あら、お茶が美味しいわ。腕を上げたわね、モノ」
「光栄でございます、奥さま」
クラエス家邸宅。
夏の陽射しが差し込むテラスにて、優雅な所作で俺の淹れた茶にお褒めの言葉を授けてくださるクラエス公爵夫人、ミリディアナ様。
面差しこそカタリナ・クラエスの母らしくとても似ているが、その性格は公明正大。なにせあのカタリナ・クラエスに情け容赦なく説教かまして一時的にとはいえしゅんとさせる女傑なのだから、俺としては身命を賭してお仕えするに足る主の一人。
今は魔法学校の夏休み。カタリナ・クラエスとキース様の帰省に合わせて俺とアンさんもクラエス家に戻っている。
色々とあれこれあった夏休みもそれなりに時が過ぎ、今日は久々にミリディアナ様にお茶の給仕を命じられた。
魔法学校で生徒会長閣下に教わったコツを駆使して淹れたお茶はお眼鏡に適ったらしく、優しい微笑みとともに称賛していただけた。嬉しい。
「うふふ、生徒以外でも魔法学校は学ぶことがあるようね。……ところでモノ、あの子は、カタリナの様子はどうかしら。夏休みはいろいろと宿題も出ると聞いているけれど」
そして、ミリディアナ様はカタリナ・クラエスのことをとても気にしている。
幼少の頃から暴虐とエゴを煮詰めて固めたような娘を持ってしまったその心労、いかほどであろうか。
俺はカタリナ・クラエスの破滅を願ってやまないが、それによってミリディアナ様たちクラエス家の方々が心を痛めるだろうことは少し辛い。
とはいえ、俺がこの胸の底に宿しているのはそれで止まる程度の恨みではない。この魂はすでに修羅の域にあるならば、ただひたすらに進むのみ。
そう、その言葉に偽りなど一つもなく、たとえどれだけそのお心を痛めるとしても伝えるべきは真実ただ一つ。
「は、おそらくカタリナ様は夏休みの宿題に何一つ手を付けておられないかと」
「……おかしいわね、カタリナからは順調に進めていると聞いたのだけれど?」
「恐れながら、奥さま。もし本当にカタリナ様がまじめに宿題に取り組んでいるのであれば、日に三度はキース様に泣きついていなければおかしいかと」
「………………」
カタリナ・クラエスは頭の出来もお察し。学園の授業についていくのすらやっとでひーこらしているのを見たのは一度や二度のことではない。
俺の答えを聞いたミリディアナ様は、ゆっくりとカップを傾けお茶を飲み干す。
その後深く息を吸い、天を仰ぐ。
しばらくして、吸い込んだ全てをため息として吐き出し、席を立つ。
「モノ」
「はっ」
「カタリナの部屋へ行くわ」
「お供いたします」
その後。
俺を伴ってカタリナ・クラエスの部屋へ赴いたミリディアナ様は一人で部屋に入り、しばらく。
何か言い合うような声が聞こえ始め、どたばたと物音がし、そして。
「それじゃあお母さま私ちょっと畑の世話がっぐえぇ!? 喉が!?」
「おっと、そのように走っては転んでしまいますよカタリナ様ぁ……?」
「でかしたわモノ!」
「えええええ!? いたの、モノ!? ていうか離して! お母さまが、お母さまが……!」
逃走しようとするカタリナ・クラエスの襟首を引っ掴んでミリディアナ様へと献上することとなりました。
その後、再び引きずり込まれたカタリナ・クラエスの部屋から響き渡るミリディアナ様の怒声とカタリナ・クラエスの涙声。
ああ、素晴らしい……。
カタリナ・クラエスの悶え苦しむ声は、俺の心を何より癒す特効薬。
夏の暑さも消え去り、涼風に撫でられるような心地で青い空を見上げる。
ああ、もうじき夏も終わり、魔法学校が始まる。
カタリナ・クラエス破滅の時が、着実に近づいてきていた。
◇◆◇
「カタリナ・クラエス! 私たちはあなたの罪を糾弾します!」
「……へ、私?」
季節は移り変わり、冬の寒さが着々と歩み寄ってくる今日この頃。
いやしくも空腹を抱え、待ちきれないとばかりに勇み足で食堂へと踏み入ったカタリナ・クラエスを出迎えたのは、いきなりの罵声だった。
間抜け面で何が起きたかわからない、という表情を浮かべているが、対する令嬢たちの顔には侮蔑と怒りの色が濃い。
その手に持った何かの書類を突きつけて、周囲の目を引くように声高らかに謳いあげる。
「公爵家に生まれ、ジオルド王子の婚約者としての立場を悪用し、マリア・キャンベルに対して繰り返した嫌がらせの数々……さあ、あなたの罪を数えなさい!」
そして配られるビラ。
どうやら「カタリナ・クラエスの悪行の数々の証拠」らしい。
こっそりとのぞき込んでみると、そんなことが書いてあった。
なるほど、これがいわゆる断罪イベントというやつか。
カタリナ・クラエスの犯した罪の数々を考えればいつ誰がやっても不思議ではない。
――なんて、俺が思うとでも?
噂に聞いた、カタリナ・クラエスの破滅。
それはいくつかのトリガーがあり、断罪イベントもまた重要な過程の一つだ。
これによってカタリナ・クラエスはついに進退窮まり、「最後の手段」に出るしかなくなる。
だがそれは、突きつけられた罪の証が言い逃れようのないものならばの話。
「なにをしているのです。カタリナが? マリアに嫌がらせを? ……しかも、こんな手の込んだ方法で? 冗談でしょう」
それがジオルド王子を筆頭に、俺ですら一笑に付すような脆い証拠なら意味はないんだよ。
ジオルド王子を筆頭に、アラン王子やマリア・キャンベル様達が続々と集まり、「カタリナ・クラエスの悪行の証拠」に対する反証を次々と挙げていく。
驚くべき杜撰さであったそれらはマリア・キャンベル様本人の否定の言葉もあって、周囲の囁く声も冤罪なのではという空気になり、いたたまれなくなったのか令嬢たちは逃げ出していく。
カタリナ・クラエス断罪は何かの間違い、として終結することとなったわけだ。
……妙だな。
◇◆◇
「どうもおかしいなことが起きているようですね。カタリナ、しばらくは決して一人で行動しないように」
「えぇ、はい。気を付けます、ジオルド様」
食堂での一件は、カタリナ・クラエスを糾弾した令嬢たちの退散という形で決着がついた。
その後、カタリナ・クラエスはジオルド王子たちに伴われながら移動している。
あんなことがあった以上、一人にしておくのは危険というのは筋の通った理屈だろう。
……しかし、やはりおかしい。
さっきの一件は一体なんだったんだ。
雑な証拠で、根も葉もない罪を捏造してカタリナ・クラリスを糾弾する。どう考えても、成功の可能性は低い。低すぎる。そんな方法をわざわざ選ぶ理由が全く分からない。
しかも、俺は覚えている。それをした令嬢たちは、以前マリア・キャンベル様に詰め寄っていた方々だった。
何もかもが雑に過ぎはしないだろうか。
まるで一貫性がないというか、「以前マリア・キャンベル様を目の敵にしていた令嬢たちが、その標的をカタリナ・クラエスに変え、雑な証拠で糾弾する」だろうか?
……いやまあ、カタリナ・クラエスはカタリナ・クラエスなのでいつ誰から恨みを買ってもおかしくない、いやむしろただ呼吸をしているだけでも人に忌み嫌われるのがカタリナ・クラエスという人間なので、マリア・キャンベル様憎しがカタリナ・クラエス許すまじに変わる事にはなんら不思議はないのだが。
ともあれおかしな話だ。
例のカタリナ・クラエス糾弾のビラ。
一見する限りは理路整然としていて信憑性を感じるが、その土台となる悪行の証拠が根も葉もないものばかりだった。
くそっ、俺に聞いてくれればカタリナ・クラエスの悪行なんていくらでも提供したのに!
……じゃなかった、いまはそんなおかしなことをした真犯人だ。
あの令嬢たちが自発的にした行動、とするには怪しいところが多すぎる。
「何者か」が、カタリナ・クラエスを陥れようとしている。
……余計なことを。
仮にあの断罪が成功したとしてなんになる?
カタリナ・クラエスがロクに名前も認識していない程度の相手から糾弾されたとして、それがどれほどのものになるか。
制裁などせいぜいが退学。恨みつらみを募らせたとしても、公爵家の娘たるカタリナ・クラエスからすれば復讐も容易な程度の家。
それで、カタリナ・クラエスが破滅するとでも思っているのか。
光の魔力保持者を、王子をその手にかけんとするという悪逆があってこそ、カタリナ・クラエスは破滅しうる。
それに届かない程度の小物が余計なことをして、それでなんになる。
……なんとかしなければならない。
不心得者が余計なことをして、カタリナ・クラエスを破滅させられないことになったなら。
そのとき、俺は死ぬだろうから。
◇◆◇
「……?」
マリア・キャンベルは、違和感を感じた。
カタリナ・クラエスたちとともに歩む中庭に面した廊下で、ふと視界の隅をよぎる何か。
思わず顔を向ければ、一瞬。
木立の向こうにゆらりと立ち上る黒い黒い影が見えた。気がした。
「あれは……?」
「マリア? どうしたの?」
足を止めて中庭を見ていたマリアに、カタリナが気付いた。
どうするべきだろう。マリアは逡巡する。
いま気付いた、あの嫌な予感がする黒い影。
既に消えている。見間違いだったのかもしれない。
忘れてしまうのが、いいような。
……いてもたってもいられなくなるような胸騒ぎがなければ、そう思えただろうに。
「いえ、なんでもないです。……ちょっと、調べたいことがあるので皆さんは先に行っておいてください」
「そう、なの……?」
アレだけは、見過ごしてはいけない気がする。
たとえ、どんな危険が待っていたとしても。
そしてあの影は、カタリナを糾弾した令嬢たちを包んでいたものときっと同じで、それはマリア以外には見えていないようだった。
だとすれば、自分が何とかするしかない。
大切な人たちを守るために、マリアはそう覚悟を決めて。
「じゃあ、モノ。マリアと一緒に行ってあげて」
「承知いたしました」
「えっ」
カタリナの言葉とそれに応じたモノに、少し目を丸くした。
「あ、いえその、別に私一人で」
「そう仰らずに、マリア様。……カタリナ様は一度言い出すと聞かない方ですので、ここでマリア様にお断りされたら、私がお叱りを受けることになります。どうか、お供させていただけませんか?」
「そ、そういうことなら……」
そして、中々どうして押しが強いのはカタリナ主従の数多あるよく似たところの一つ。
そう言われてしまえばマリアとしては断ることもできず、モノを伴ってマリアは影の痕跡を追う。
中庭の影そのものは消えていたが、残滓のようなものがうっすらと見える。
どうやら、その気配は校舎の中に続いているようだった。
◇◆◇
「あなたが、カタリナ様を陥れようとしていたのですね……生徒会長」
「――なんのことですか、マリア・キャンベルさん。それに、モノ・クラウディオさんも」
マリア・キャンベル様についてきたら、生徒会室で生徒会長閣下を犯人認定しはじめましたでござる。
……え、そういうことなんです? 生徒会長閣下が、カタリナ・クラエス糾弾の黒幕だったんです?
なるほど、そうか。
道理でカタリナ・クラエス断罪の証拠は雑でもビラの完成度は高かったはずだ。生徒会長閣下の能力ならば、それも妥当なことだと納得できる。
……え、生徒会長閣下がカタリナ・クラエスを恨む理由がない?
何言ってるんですか、カタリナ・クラエスですよ? 息をするだけで全人類から恨みを買うに決まってるじゃないですか。
「とぼけないでください。あなたの周りのその黒い影、それはさきほどカタリナ様を責めていた令嬢たちと同じものです」
「……なるほど、光の魔力保持者というのは本当に厄介だな」
どうやらマリア・キャンベル様の指摘は正鵠を射ていたようだ。柔和で穏やかな生徒会長閣下の、雰囲気ががらりと一変する。
マリア・キャンベル様の言う影なるものは俺にはさっぱり見えないが、どうやら生徒会長閣下が下手人というのは間違いないらしい。
それも、かの令嬢たちを意のままに操るがごときことまでできるという。
……あまり、好き放題に動いていただきたくはないな。
あの程度の策では、カタリナ・クラエスを破滅させるには足りないのだから。
やはり、マリア・キャンベル様。あなたの存在こそがカタリナ・クラエスの絶望にして、私の希望なのです。
「お下がりください、マリア・キャンベル様」
「モノさん!?」
「モノ・クラウディオ……! お前も邪魔をするのか!」
なので、マリア・キャンベル様を庇って前に出る。
相手は優秀な魔法使いたる生徒会長閣下。しかも、カタリナ・クラエスを破滅させるべく策謀を巡らせ、実力行使もした。下手をすると、殺される。
そのことを察して心配してくれているのだろう、マリア・キャンベル様が俺の前に出ようとするのを押しとどめる。
すみません、マリア・キャンベル様。
あなたはすなわち私の希望。あなたがご壮健である限り、カタリナ・クラエス破滅の道は揺るがない。
そう、たとえ俺が道半ばで死んだとしても。
「申し訳ありません、生徒会長閣下。閣下がカタリナ様に手を出すのだけは止めなければならないのです。いかがです? カタリナ様からは手を引く、というのは。色々と思うところもおありでしょうが、カタリナ様が閣下のお邪魔など、しようと思ってもできることではございませんので」
「……きみ、カタリナ・クラエスを守りたいのかけなしたいのかどっちなんだ?」
それはもちろん貶したいです。
カタリナ・クラエスは徹底的にボコボコにされて欲しいので。
だがそれとこれとは別の話。
マリア・キャンベル様の話すところから察するに、生徒会長閣下は少々他とは異なる魔法を使うご様子。
しかし、それだけのこと。
生徒会長閣下の目的が何かは存じ上げませんが、カタリナ・クラエスを破滅させようというものではないでしょう?
なら、余計なことをされては困るのですよ。
間違っても、退学程度で終わられては意味がない。
「どうか、お聞き入れいただけませんか? お優しい生徒会長閣下には、こういった陰謀の類は向いていません」
「……うるさい! うるさいうるさい! お前も、マリア・キャンベルも、カタリナ・クラエスも! 僕の邪魔をするものは、皆死ねばいい!」
「っ! いけない、モノさん逃げて!」
そう思って説得を続けていたのだが、なんかキレられました。
マリア・キャンベル様も焦っているし、魔法などさっぱりわからない俺でもわかるほどの妙な悪寒が吹き寄せて来て、なんか体が動かない上にすさまじい勢いで意識が闇に落ちていく。
眠気、なんてものではない。強制的に意識を刈り取られるこの感じ、下手をすると二度と目覚めなくなるのではという不安がすごいんですけども。
……これ、死ぬかもわからんね。
だがまあ、仕方がない。
カタリナ・クラエスに仕えている以上、満願成就の時をこの目にする前に命を落とすことも十分あり得た。
その時が来た、それだけだろう。
でもきっと大丈夫。マリア・キャンベル様が生きていればそれだけで、カタリナ・クラリスの破滅は決まっているものだから。
「生徒会長……閣下、私のことは、いかようにも……。ですがどうか、マリア・キャンベル様だけは、傷つけなさいませぬ……よ、う……」
「モノさん!」
「……お前もだ、マリア・キャンベル。少し眠っていてもらうぞ」
「んんっ!? むー!」
倒れ込む俺の耳に最後に響いたのは、マリア・キャンベル様のくぐもった悲鳴。
くっ、ダメだ……! せめて、犯人の情報だけでも……!
◇◆◇
「まさか、カタリナまでもが被害に遭うなんて……」
学院に割り当てられた生徒の私室。
その一室でカタリナ・クラエスは眠りについていた。
マリア・キャンベルの失踪から四日後、そしてカタリナ・クラエスが中庭で昏睡状態に陥っているのを発見されてから今日まで二日、一度も目覚めずに眠り続けている。
部屋に集うのはジオルド王子を筆頭にしたカタリナ・クラエスの友人一同。
マリア・キャンベルが失踪してから、カタリナと共に捜索を続けていたが、その中でもたらされたカタリナ・クラエス昏睡の悲報。
何かが起きている、そのことは間違いがない。
だがむざむざとカタリナまでもその毒牙にかけさせてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。それぞれきっかけは違えど、カタリナは大切な友であり希望。
それが奪われかねない今は、己を傷つけられるよりも辛い。
まして、救えるはずだったのであればなおのこと。
「まさか、モノが残したあのメッセージがカタリナの危機を知らせるものだったとはな……」
「……姉さんと同じ状態ということは、きっと同じ犯人にやられたのでしょう。次に狙われるのは姉さんだと、教えてくれていたのに……!」
カタリナの従者、モノ・クラウディオ。
カタリナに先立つこと二日、すなわちマリア・キャンベル失踪の日に意識を失った状態で道端に倒れているのが発見された。
今のカタリナと同じ状態。同じ犯人の手にかかった、ということだ。
その時何が起きたかは不明ながら、モノの手の下、床面にはモノ自身が自分の指先を噛み千切って出したと思しき血で文字が書かれていた。
『カタリナ・クラエス』。
その名が意味するところが一体何なのか、意味が分かったのはカタリナが同じように意識を失った状態で発見されてからだった。
「モノさん……ちょっと警戒しなきゃと思ってましたが、本当はこんなにもカタリナ様のことを思って……!」
「犯人を捕まえるよりもカタリナ様を守って欲しいと願っていたのですね。それなのに、私たちは何もできなくて……」
メアリもソフィアも涙をこらえ、声を震わせて無力感に打ちひしがれる。
きっと、モノもまた自分たちに負けないくらいカタリナのことを思い、守ろうとしていたというのにその意思を託された自分たちは何もできなかった。そのことが悔しくてならない。
――なお、当のモノ本人は「それも全部カタリナ・クラエスってやつの仕業なんだ」という意図で書いただけであり、こんな風にカタリナを救うためにしたことだ、と聞かされたら精神が崩壊して死んでいたため、昏睡状態にあったからこそ一命を取り留めたと言える。
「ですが、これで一つだけはっきりしました。……カタリナたちを襲った人物は、闇の魔力を持っています」
「闇の、魔力……」
しかも、この事態を引き起こしたものが闇の魔力を持っていることが、モノとカタリナの症状から間違いないと言える。
どれほど高名な医師の診察でも「異常なし」という結論に達し、それでいていつまでも目覚めない。
まだ眠り続けて二日のカタリナは顔色が悪くなる程度だが、モノはすでにやせこけ始めている。
このままの状態が続けば、そう遠くないうちに命を落とすことになるのは確実。
なんとしても犯人を見つけ出して、マリアと、カタリナと、そしてモノを救わなければならない。
一行は、そう決意を新たにした。
◇◆◇
「というわけで、生徒会長! こんなことはもうやめてください!」
「いや、なんでお前たちは目覚めた!? 死ぬまで眠り続けるようにしたはずなのに!」
「え……なんとなく? そういえば、すごく懐かしい感じのする夢を見たような」
「気合でございます、生徒会長閣下」
「闇の魔力って一体……!」
魔法学校内にある、ディーク家所有施設の地下にて、生徒会長閣下は追い詰められていた。
暗く、湿気の鬱陶しい室内。
常の穏やかな様相をかなぐり捨て、マリア・キャンベル様諸共俺を襲おうとしたときのような表情を浮かべて叫ぶ。
俺が目覚めたのはつい先ほど。
ものすごくイヤなことにカタリナ・クラエスとほぼ同時であったという。
そうなるまでは1週間近く眠り続けていたらしいが、なにか夢を見たような、見なかったような……。
いや、そんなことはいい。
目を覚ましたカタリナ・クラエスの言葉で生徒会長閣下の居所が分かり、こうして俺を含めた一同で押し掛けてきた、というわけだ。
「お前たち、僕が何をしたかわかっていないのか!? お前たちを殺そうとしたんだぞ!」
「えー、そうですか? もし本当に私を殺そうと思うのなら、眠らせたりなんてしないと思うんですけど」
「仮に、殺そうとしていたとしてなんだというのです。邪悪とは相手の尊厳を踏みにじることを言うのです。殺すなど、それに比べればどうということもありません」
「ええそうよね、モノ!」
くそっ、めっちゃカタリナ・クラエスを睨みながら言ってるのに全く察する気配がねえ! お前のことを言ってるんだよちくしょう!
これだからカタリナ・クラエスは!
なんか生徒会長閣下はディーク家で何があったかなどなど話してくれているが、まあそれはそれ。
カタリナ・クラエス並みの邪悪の存在が語られたが、それってジオルド王子たちならなんとかしてくださるのではなかろうか。
……シリウス様。どうか、自暴自棄にならないで。
あなたが受けた苦痛と怒り、俺は痛いほどにわかります。
今のあなたは追い詰められている。ですが、それで終わってはいけない。
そうなる原因を作った邪悪外道のディーク夫人に報いを受けさせねばなりません。
そのためなら、私を殺そうとしたなど些細な事。カタリナ・クラエスの命を狙ったのはむしろ最高にグッジョブ。マリア・キャンベル様を攫ったのは少々よろしくないですが、その罪は十分償えるもの。
「まあ、私はその辺よくわからないです。でも……」
「ですから、どうかお手を。あなたのために、私は……」
『傍にいます』
「……っ!!」
うわっ、カタリナ・クラエスとハモっちゃったよ屈辱!
◇◆◇
結論として。
シリウス・ディーク改めラファエル・ウォルト様は己の行いを認め、役人に全てを証言した。
その証言をもとにディーク侯爵夫人の罪は明らかとなり、罪に問われ、報いを受けた。
カタリナもマリアも事件の被害者として丁重に扱われ、学業その他においても不利に扱われることはなかった。
少しの騒動と療養の末、生徒会長が不在のまま学園生活は元の姿を取り戻していく。
そして、卒業式の日が訪れる。
◇◆◇
魔法学校中庭。
色々なパーティーが開かれるためにあるその場が、今日はひときわ華やかだった。
盛大な飾りつけ、豪華な料理、美しく着飾る令嬢たち。
そしてあちこちで花開く、卒業を祝う言葉の数々。
卒業パーティーに儀礼的な堅苦しさはなく、在校生が卒業生へ花束を贈る様が散見される。
カタリナ・クラエスは不作法にも野菜を集めた野菜束なる珍妙な代物を贈ろうとしていたので、俺がこっそり花束にすり替えておいたが、あの女は気付かず持っていったらしい。そのまま普通に花束を渡すがよいわ。
俺はカタリナ・クラエスの嫌がることなら金を払ってでもやりますが、他の人が嫌がることは基本的にしたくないのです。
さてそんな俺ですが、クラエス家付きとはいえ魔法学校にいる使用人ということで給仕やらパーティー出席者のお世話やらに駆り出されています。まあよくあることなのでそれはいい。
……それに、今の俺にとってはまさしく役得。
卒業式が催されるということは、すなわち乙女ゲームFORTUNE LOVERのエンディングの時。
そう、ついについにカタリナ・クラエスが破滅を迎える、その時だ。
さあ、どんな結末だ?
マリア・キャンベル様が誰かと結ばれて幸せになるのを妬むのか?
それで激高して襲い掛かり、返り討ちに会うことになるのか?
フフフ、その時お前がどれほどの絶望を味わうのか今から楽しみで仕方ない。
断末魔の声は天上の音楽として、長く俺の耳を楽しませてくれることだろう。
さあ、いまか? まだか? 早く、早く……!
そうやって、待ちきれない思いでいた俺はさりげなくマリア・キャンベル様の動向をうかがって。
ノコノコとマリア・キャンベル様に寄って行ったカタリナ・クラエスが「誰か好きな人はいないか」と聞くという墓穴を掘ったのを耳にして勝利を確信し。
「私は、カタリナ様をお慕いしています」
「………………………………………………え?」
◇◆◇
「ハァっ……ハァっ……はっ!?」
心臓が暴れているな、と他人事のように思った。
薄暗い林の中。魔法学校の一角、カタリナ・クラエスがこっそりと、と当人は思いながら作っているが実際は広く知られている畑の近く。
木の幹にもたれかかるようにして、胸の苦しさを荒い息で吐きだしている自分を、その時初めて自覚した。
「バカな……そんなバカな……!?」
そうなった理由は、わかっている。
マリア・キャンベル様の発した言葉のせいだ。
「カタリナ・クラエスを慕う」。
それは、俺という人間にとって何をどうしても出てこない発想。
邪悪の象徴を善なるものと認識するという、あってはならないパラダイムシフト。
それが、よりにもよってマリア・キャンベル様の口から出てきた。
この世界に、俺の味方はいないのか。
カタリナ・クラエスという闇に閉ざされた俺の未来を救ってくれるはずだったマリア・キャンベル様ですら、ああなった。
なら、俺が、カタリナ・クラエスから解放される方法なんて、もう……。
そのとき。
「モノ、大丈夫?」
「カタリナ、様……」
ノコノコと、一人で、カタリナ・クラエスが現れた。
「なんだか様子がおかしかったから、心配になってきてみたんだけど……具合でも悪いの? アンを呼んできましょうか?」
「……いえ、お気になさらず」
……今、だろうか。
チャンスは。
そんな考えが脳裏をよぎった。
今ここは、卒業パーティーの会場から離れている。誰かに見られる可能性はほとんどない。
マリア・キャンベル様ですらカタリナ・クラエスを破滅させられないのなら、それができるのはただ一人、俺だけなのでは……?
パーティー用のドレスに身を包んだカタリナ・クラエスは、たとえいまだに木に登れば野猿並とはいえ、その身体能力を発揮できるものではない。
やるなら、今しか、ないのでは。
「そうなの? まあでも、こっちへいらっしゃい。そんなところにうずくまっていてもお腹が空くだけよ?」
この期に及んで意地汚いことを言いながら、手を差し出してくるカタリナ・クラエス。
その手を、取ってしまえばいい。
そのまま引きずり倒し、片手で掴めそうな細い喉を締めればいい。
暗く、静かな林の淵。誰が気付くこともなく、マリア・キャンベル様に慕われているという望外の喜びに浸って油断に油断を重ねている、今なら……。
俺の人生にとって、カタリナ・クラエスの排除は絶対の条件。
カタリナ・クラエスがいずれ破滅する、と思っていればこそ生きて来れた。
だがそうならないのなら、もう生きてはいけない。
カタリナ・クラエスか、俺か。
生きていられるのはどちらか一人。そしてカタリナ・クラエスがのうのうと生き残るくらいなら。
いっそ、このまま道連れに。
「カタリナ!」
「っ!?」
「あら、ジオルド王子」
そう決断するのがあと数秒早ければ、死ぬのは俺だけだっただろう。
息を切らせて駆け付けたのは、ジオルド王子。
犯人であったラファエル様は自首したとはいえ、迂闊に一人で行動して覚めない眠りに陥った前科持ちのカタリナ・クラエスを心配しただろうジオルド王子にもしカタリナ・クラエスの命を狙っている様を目撃されていれば、そのまま言い訳の余地なく斬り捨てられていたとしても不思議はないのだから。
「姿が見えなかったので心配しました。あまり、一人で出歩かないでください」
「もう、心配性ですねえジオルド王子。それに、一人じゃないですよ。モノも一緒ですから」
「モノ、ですか……」
――そのとき、ジオルド王子が俺に向けた、目。
「カタリナ様! こんなところに! 私を置いていかないでください!」
「ごっふ!? メ、メアリ? そんなタックルみたいに抱き着いてこなくても、私はどこにもいかないわよ」
「そうですよね? ……行くとしたら、他の誰でもない私とですよね」
――ジオルド王子の時以上の勢いで現れたメアリ様がこっそりと、カタリナ・クラエスにすら聞こえないような小声でつぶやいた言葉。
……もしかすると、俺は何かを間違えていたのではないだろうか。
アラン王子やマリア様たち、続々と駆け付ける皆さまが口々にカタリナ・クラエスへの心配の言葉をかけるのを見て、俺の中で何かが繋がろうとしていた。
俺はきっと、甘く見過ぎていたのだ。
マリア・キャンベル様の慈愛の心を。
ジオルド王子の優しさを。
電流が走ったような思いだった。
前提となる認識を、改めなければならない時が来た。
カタリナ・クラエスは。
カタリナ・クラエスは……!
カタリナ・クラエスは、「逆ハーレムの中で破滅する」のでは……?
先ほどの卒業パーティーと今の様子。
マリア・キャンベル様の迎えた結末は攻略対象を全て攻略したいわゆるハーレムルートか、あるいは積極的に攻略を行わなかった場合の友情ルートとなったのだろう。
その方向性や程度に差はあれど、みんな仲良くめでたしめでたし。そういう終わり方だ。
「いま、この瞬間」だけは、の話だ。
ここはFORTUNE LOVERの世界。
だからこそマリア・キャンベル様を中心に世界が動き、カタリナ・クラエスは悪鬼羅刹の女。
しかし、俺たちは今ここに生きている。
ハッピーエンドのその先が、ある。
いつまでも、「みんな仲良くめでたしめでたし」でいられるか?
カタリナ・クラエスが、それだけで我慢ができるか……?
無理だ、と断言しよう。そんな慎ましさがあるのならば、こうして俺の恨みなど買いはしない。
「……そうなのですね」
「モノ? どうかした?」
「いえ、ご心配なく。……ところでアラン王子、先日お届けした野菜はいかがでしたか? 『カタリナ様から』お送りするよう伝えられた、あの、野菜」
「えっ」
「……アラン?」
「な、なんだよ。モノが言う通り、普通に野菜をもらっただけだぞ!? なんでそんな目で見る!? ……ああ、でもあの野菜は、美味かったぞ」
「それはよかったです、アラン様」
嬉しそうに、能天気に笑うカタリナ・クラエス。
少し頬を赤くして、そっぽを向いて頬をかくまんざらでもなさそうなアラン王子。
……やはり、か。
イケる。人がいればそこに生じるのは友情か、愛情か、はたまた嫉妬か憎悪か憤怒か罪か。
今の軽い揺さぶり程度でも、ジオルド王子とキース様はすかさず反応し、メアリ様はすごい目付きでアラン王子を見ている。
この世に永遠はあるかもしれない。
だが、人間関係の中にそれは、決して、ない。
つまり、諦めるのはまだ早い。
カタリナ・クラエスを痴情の縺れで破滅させるという、可能性がまだ残っている……!
かつてカタリナ・クラエスによって味あわされた絶望。
それに報いを受けさせるそのためならば、たとえどんなに細い希望であってもしがみついて見せよう。
なあに、心配はいらない。
「あの」カタリナ・クラエスなのだ。たとえ今は不思議と大人しくしていても、すぐに化けの皮が剥がれること請け合い。
俺はこれからも誠心誠意仕えることで、カタリナ・クラエスのエゴを増長させ、それによって破滅させる。そのための努力、一欠片として惜しまないことを、今ここに改めて誓おう。
「皆さま、カタリナ様と仲良くしてくださって本当にありがとうございます。『これからも、カタリナ様のことをよろしくお願いします』」
俺は先ほどまでの絶望を振り払い、いつも通りの笑顔で皆さまに感謝と願いを述べる。
そう、これが再びの第一歩。
俺は二度と挫けはしない。
カタリナ・クラエスの顔が破滅に歪み、全てを失うその日まで……!
「ええ、もちろん。カタリナの婚約者として、大切にしますよ」
「いやいや、姉さんは王子の婚約者には向いてませんから。僕がしっかりと面倒を見ますよハハハ」
「カタリナ様ぁ、そろそろパーティー会場に戻りましょう? 実はさっき、カタリナ様が好きそうなお菓子が追加されたんです」
この世界に祝福を。
全ての人々に幸運を。
そこからただ一人零れ落ちよ、カタリナ・クラエス。
「カタリナ様」
「なあに、モノ?」
ああ、その日が楽しみだ。
今日開けるつもりだったワインは、さらにもうしばらくの時を要してさらなる芳醇を迎えることだろう。
「これからも、誠心誠意お仕えさせていただきます」
「ありがとう、モノ。あなたが一緒にいてくれると、私もすごく嬉しいわ!」
その間抜けな笑顔が絶望に崩れるその時を、最高の味わいで迎えるために……!
その日その時、今日という日の幸せこそが終わりの始まりだったと気付くがいい!
◇◆◇
なお、「その時」を迎えることがあるとして。
「……なんでしょう、モノがまた一層カタリナへの忠誠心を抱えたような」
「モノは僕以上に姉さんとの付き合いが長いからなあ……」
「ただでさえアラン様も自覚し始めたというのに、モノさんまで……!?」
カタリナ・クラエス破滅の最有力候補たちから最大のライバルになりうる存在と見なされていることを、モノ・クラウディオは知らない。
◇◆◇
カタリナ・クラエスは、魔法学校において「慈悲の聖女」とすら呼ばれる少女。
己の未来に待つ破滅を回避し、これからの未来に希望を抱いて生きる。
モノ・クラウディオは、時に身命を賭してすらカタリナ・クラエスに仕える忠義の男。
かつての恨みを忘れず、カタリナ・クラエスの破滅に繋がるとなぜか信じて疑わずに仕え続けるその果てに待つものを、ほの暗い希望とともに待ちわびる。
その様が、まさしく理想的な主従の姿に見えること。
ジオルド王子たちカタリナ・クラエスを想う面々から「真っ先に排除しなければならない最大の強敵はモノ・クラウディオかもしれない」という確信を強められていることを、2人は相変わらず考えもしなかった。
これまでも、そしてきっと、これからも。
たとえこの先、カタリナ・クラエスにさらなる破滅の可能性があったとしても。