オーバーロード ~三人三様の超越者~   作:日ノ川

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聖王国で起こり始めていた異変と、起こってしまった異変の話


第32話 異変の足音

 ローブル聖王国の首都ホバンスの王城。

 その一室内に三人の女性たちが集まっていた。

 

 一人は国のトップである聖王女カルカ・ベサーレス。

 そして残る二人はカルカの両翼と謳われる聖騎士団団長レメディオス・カストディオと、最高位神官であり神官団団長でもあるケラルト・カストディオの姉妹だ。

 

 言うなれば、政治、武力、宗教、三勢力のトップが一堂に会している訳だ。

 もとよりカルカにとって二人は親友であるため、以前は特にこれと言った用事が無くても近況の報告などを行っていたが、ここ最近はその頻度が減り、三人が揃ったのは久しぶりだった。

 

 ただでさえ、宗教色の強い聖王国で国のトップである聖王女と神殿勢力が強く結びつきすぎていると批判が挙がり始めていたからだ。

 

 そうでなくとも以前から継承権の低かったカルカが聖王女の座に就いたのは、この二人が裏で手を回したからだと噂されており、こうして三人だけで集まるのがその証拠だと貴族たちが悪評を流していることもあって、最近ではただ集まるだけでも周囲の目を気にしなくてはならなくなったのだ。

 

 そうした悪評の中でも、全員が未婚であり、男と付き合ったことすらないことを揶揄して、三人がただならぬ関係なのではないか。という噂だけはいつまで経っても消えず、いい加減結婚相手を捕まえなくてはまずいと考えていたカルカは、ことさら慎重に行動していたのだが、今回ばかりは貴族たちとの会議を前に現在の状況を確認する必要があった。

 

「それで。どういうことなんですか? 姉様」

 

 時間が無いこともあり、集まって早々ケラルトがレメディオスに目を向ける。

 その視線に対し、レメディオスはイタズラがバレた子供のように視線を逸らした。

 

「私は正直よく分からん。ホバンスの民が聖騎士相手に勧誘をしていると聞かされただけだ」

 

「勧誘。というと?」

 

「何でも人を集めて訓練を行い強くなることを目的としている団体だそうだ。国民が強くなろうとするのは悪いことではないし、単純に聖騎士に教えを乞おうとしているだけだと思ったんだが──」

 

「その実体は宗教だったと」

 

「グスターボの奴が言うには別に四大神信仰を否定しているわけではないから、宗教というより教団とか共同体? とかいう奴らしいがな。ただ、恐れ多くもカルカ様のやり方が手ぬるいなどと吹聴していると聞いたので、直接怒鳴りつけに行ってやった。奴らはその直後にホバンスを出ていったらしい」

 

 言いながら怒りを思い出して憤慨するレメディオスだが、カルカは二人に気づかれないように僅かに眉を寄せた。

 自分のやり方が手ぬるいといわれたことだ。

 カルカ自身、自分が国民の幸せを思うあまり強い政策が取れていないことは理解していた。

 

「でも実際聖騎士も何人か引き抜かれているんでしょう? 何でそのときに連れ戻さなかったの」

 

 頭に手を当て、深いため息と共にケラルトが言う。

 一番の問題はこれだ。

 この話をきちんと聞くために、ある程度の批判を覚悟して三人で集まったのだ。

 

「カルカ様への忠義を忘れるような奴はいても邪魔になるだけだ。いなくなって清々する」

 

 レメディオスの返答は実に単純明快なものだった。

 己の中にブレることのない絶対的な正義を持つ彼女らしい。

 レメディオスは聖騎士団長として、己の正義を他の団員にも説いている。彼女の存在自体が聖騎士団の規則のようなものだ。

 その規則を破った団員はもはや必要なし。と考えて退団を許可したのだろうが、聖騎士団とはそれほど単純な存在ではない。

 

「姉様。聖騎士団はあくまでカルカ様に忠義を捧げる聖王直属の部隊なのよ? それをカルカ様の許可もなく追い出したらどうなるかわかっているの?」

 

「どうなるんだ?」

 

 考える間も置かず聞き返すレメディオスにケラルトは再度ため息を吐いた。

 基本的にレメディオスは頭を使わない。そして頭が固い。

 それは本来なら欠点となる性質だが、己の信じる絶対的な正義を一切の迷いなく行動に移せる、という観点からみれば美点と捉えることもできる。

 生まれたときから兄弟で聖王の座を争い、就いた後もただ一人の兄を除いて血族すら信頼できる者もおらず、貴族や幕僚も心から信じられる者はいない。

 そんなカルカにとって、深く考えないからこそ、表裏なく接してくれるレメディオスは心のオアシスのようなものだった。

 しかし、今になって思えば、それに甘えすぎていた、いや甘やかしすぎていたのかもしれない。

 

「レメディオス」

 

「はい! なんでしょうかカルカ様」

 

「……ケラルトの言っていることはもっともです。聖騎士団は団員一人一人、従者に至るまで全員が私に直接忠義を捧げてくれた者たち。彼らが私の下を離れるということは、彼らにとってその団体の頭首が聖王女である私よりも正しいと考えたことになります」

 

「そんなはずがありません! カルカ様の正義は何よりも尊い理想。その理想を叶えることこそ聖騎士団長にして協力者である私の正義。奴らはそれに気づくことのできなかった愚か者です。そんな者をカルカ様の下に置いておいても役には立たない。いいえ。邪魔になるだけです」

 

「姉様はそうでも、周りから見れば違うのよ。さっきも言ったように聖騎士団は軍から切り離された、言わば聖王の私兵。それがカルカ様の下を離れることはそのままカルカ様の求心力が衰えたのだと、周りはそう考えるの。だからこそ、退団を許すにしても姉様ではなく、カルカ様が直々に追放する形を取らないといけないのよ」

 

 正確にはそれでも求心力が落ちたとみる者は出てくるだろうが、レメディオスの言うとおり、無理矢理手元に置いていても不満がたまるだけで意味はないため、退団自体は仕方ない。

 そのやり方の問題だ。

 ただでさえ、弱腰の政策しか取れないせいで、南部の貴族が勝手な行動を取り南北の間で諍いが起こり始めている現状、これ以上南部の貴族にカルカを責める材料を与えてはならない。

 

「……つまり、私はどうすればいいんだ?」

 

 普段レメディオスを叱るケラルトを押さえる役回りについているカルカまでもケラルト側についたことで、自分のやったことの重大さに気づいたレメディオスは、彼女にしては珍しく声量を落としおずおずとケラルトを窺いながら告げた。

 自分で考えようとしないあたり、まだまだ改善の必要はあるが、いきなり全てを求めるのも無理だろう、とカルカはケラルトに一つ頷いて合図を送る。

 彼女もまたそれに応え、レメディオスに向かって指を伸ばした。

 

「先ずは追放した聖騎士を連れ戻してカルカ様と面会させる。その上でやはり聖騎士団を辞めるのならば、さっき言ったようにカルカ様の意志で追放したことにする。それと、これ以上こうしたことが起こらないように、その団体のことも詳しく調べて貰うわ。本当は邪教と認定してさっさと潰した方がいいのだけれど──」

 

 ちらりとこちらを窺うケラルト。

 こんな時になんだが、こうしたところはやはり姉妹だ。

 

「それはいけません。レメディオスの言うとおり、別の神を信仰しているわけでもなく、国民が自らの意志で強くなろうと努力しているだけならば、それを止める理由はありません」

 

 これもまた弱腰の対応と思われるかもしれないが、これでもこの十年大きな失敗もなく国を運営してきた自負がある。

 経験上、そうした強引な手段に出れば必ず歪みが生じるもの。

 そのとき痛みを伴うのは、自分たちではなく、罪のない国民なのだ。

 弱き民に幸せを、誰も泣かない国を作る。というカルカの根幹にある願いだけはどうしても譲れない。

 ケラルトもそれが分かっているのだろう、少しだけ困ったように眉を寄せながらも静かに頷き、自分たちのやりとりを不思議そうに眺めているレメディオスに改めて視線を向けなおした。

 

「それで、その団体の纏め役というか、頭首はどんな人物なの? それぐらいは調べておかないと。直接押し掛けたのだから見ているでしょう?」

 

 チクリとした皮肉にも一切気付くことなく、レメディオスはむしろ堂々と頷く。

 

「ああ。恰好からしてふざけた奴でな。恐らくは弓兵用の装備だと思うんだが、ずっとバイザーを掛けたまま顔を見せようとしないから無理矢理取ってやった。まるで殺し屋みたいな目つきの悪い小娘だったな……どこかで見た気がするんだが、いまいち思い出せなくてな」

 

 腕を組み考え込み始めるレメディオス。

 その言葉を聞いて、カルカの頭にふと一人の人物の顔が思い浮かんだ。

 

「目つきが悪い、弓使い」

 

 失礼なことを考えている自覚はあるが、カルカの知る限り、その二つの言葉が似合う人物の心当たりは一人だけだ。

 しかし、彼は男。それも自分たちより年上だ。

 レメディオスの言っている内容とは合致しない。

 

「そう言えば彼には、よく似た娘がいると聞いたことがありますが……」

 

 ケラルトもまた同じ人物の顔を思い浮かべたらしい。

 

「誰のことだ?」

 

 レメディオスだけは──同じ九色の一色を預かる者同士だというのに──まだ理解が及んでいないため、ため息交じりにケラルトが答える。

 

「……パベル・バラハ兵士長ですよ」

 

「あー、なるほど。確かに似ている。あの殺し屋みたいな目はそっくりだ」

 

 手を叩き納得を示すレメディオス。

 もう一つの問題に気づいている様子はない。

 彼の妻は今も聖騎士団に所属している優秀な聖騎士であるということを。

 

「彼は今どこにいるのかしら」

 

 九色の一人と聖騎士を両親に持つ子供が団体の頭首だというのなら話はまた変わってくる。

 それを確認する意味でも、夫婦に一度話を聞いておきたい。

 そう考えたカルカの問いに、ケラルトは少し考えてから答えた。

 

「確か、今は──城壁で警備任務に」

 

 

 ・

 

 

 ローブル聖王国とアベリオン丘陵を隔てる、全長百キロにも及ぶ城壁の中に三つしか存在しない門を守る為に作られた、大きな砦の一つ、中央部拠点。

 この拠点にはアベリオン丘陵から攻めてくる亜人の精鋭部隊を迎え討つために、群ではなく個の強さを重視した者が配置されている。

 

 そのうちの一人。誉れ高きローブル聖王国九色の一色を、ただ強さのみによって与えられた戦士、オルランド・カンパーノ。

 彼は兵士階級としては下から数えた方が早い班長という地位に就いているが、その実績に似合わぬ低い階級は、他人の命令を聞くことを嫌い、相手が誰であっても態度を変えることなく反抗するため、何度も降格を繰り返しているせいだ。

 今では同じような気質の者を集めて班を結成し、上官に対して無礼な態度を見せたり、報告を忘れたりと、班全体が上層部にとって頭痛の種のような存在となっている。

 

 そんな彼がほとんど唯一と言っていい頭の上がらない存在が、同じく九色の黒を戴く兵士長パベル・バラハであり、顔を合わせる度に不真面目な態度を咎められている。

 今日もまた、オルランドは交代の際の報告が無かったことを注意されていた。

 

「いいか。今日という今日はその態度を改めてもらうぞ。だいたいお前は──」

 

 いつもであれば適当に謝罪すれば相手も納得はしないが諦めてくれるはずが、今日に限って妙にしつこい。

 オルランドからも一つ話があったこともあり、いい加減説教を切り上げさせたかったオルランドは話を逸らす意味で、つい口を滑らせてしまった。

 

「そう言えば旦那。最近、ずっとこの砦に詰めっぱなしでしょう? 娘さんには会えてるんですか?」

 

「なに?」

 

(あ、しまった)

 

 口にした直後、オルランドは己の失言を悔いる。

 目の前の人物相手に、娘の話を振ってしまったことだ。

 この話になると、彼は何度となく同じ話をそれも長々と繰り返すため、常日頃からなるべくそちらに話を持っていかないようにしていたというのに。

 思わず身構えるオルランドだったが、今回は様子が違った。

 パベルは自慢話に移行するのではなく、見るからに落ち込んでしまったのだ。

 常に無表情なパベルが娘と妻の話題になると表情を変化させるのはもう何度も見ているが、こんな顔は初めてだ。

 僅かに肩を落とし、ため息すら吐いている。

 

「ど、どうしたんですか、いったい。娘さんになにか?」

 

 自分に勝った尊敬に値する男が落ち込む姿を見たオルランドは、普段であれば絶対にしない娘の話を二度も繰り返して聞くという蛮行に出てしまった。

 それほど異常事態だったのだ。

 その様子を見た部下たちが、先にパベルの副官に報告を上げに行くと提案したことで、オルランドとパベルは二人切りとなった。

 オルランドが城壁の壁に腰を下ろして話を聞く体制を取ると、パベルは落ち込んだ状態のまま──しかし周囲の警戒のためか、座ることはせずに立ったまま──ポツリポツリと語り始めた。

 

「実はな。妻と娘が喧嘩になって、娘が家を出たらしい」

 

「あらら。家出ですか」

 

「いや。そういう一過性のものじゃない。完全に家を出て別の都市で暮らしているそうだ」

 

「……それってもしかして。例のあれのせいですか?」

 

 娘自慢とは別に、何度となく愚痴を聞かされていた娘の趣味というか、信仰とも呼べる思想。

 聖騎士であるパベルの妻が信じる四大神信仰とは違う教えを娘が信じているせいで、この数年妻と娘の間で諍いが起こるようになったと聞いていた。

 オルランドの言葉に、パベルは無言のまま一つ頷く。

 

 宗教問題は厄介だ。

 かつて人類の敵であるアベリオン丘陵の亜人に対抗するため、法国と共同戦線を結ぶべきだとの議題が上層部で持ち上がったことがあるそうだ。

 共に亜人に恨みを持ち、立地的にもアベリオン丘陵を挟んで隣接しているため、挟撃も可能な法国と手を組めば、部族ごとに敵対しまとまりのない亜人たちならば一掃できるかもしれない。と考えたのだ。

 そんな双方に得しかない提案に待ったを掛けたのが宗教問題だ。

 

 聖王国の信じる四大神信仰と、法国の六大神信仰は決して相入れない。

 加えて、聖王女が諍いを嫌う弱腰な政策しか取れないこともあり、結局その話は流れたらしい。

 そうした互いに利益があっても受け入れられない価値観の相違が、一つの家の中で、それも双方狂心的といえるほど熱心な信者同士ということもあって、度々問題が起こっていたのだが、その度に両方を愛しているパベルが苦心してなんとか双方を宥めていた。

 しかし、今回パベルが長期間この中央部拠点に詰めたことで、言い争いを止める者がいなくなってしまい、結果的に妻と娘が喧嘩別れをして、娘が一人家を出てしまったというのが、彼がこれほど落ち込んでいる事の真相のようだ。

 

「そりゃーなんて言ったらいいか……あー、そう言えば奥方の方は知ってますけど、娘さんの方はどんな宗教なんです?」

 

 慰めの言葉が思いつかず、頭に浮かんだことをそのまま口にする。

 実際聖騎士であるパベルの妻は当然四大神を信仰しているのは知っていたが、娘の方がいかなる神を信じているのかは聞いたことがなかった。

 

「いや、別に娘は他の神を信じている訳じゃない。それどころか神なんているはずないから、いざという時のために皆が力を付け、その上で力を正しく使用する。それこそが正義だという考えだ」

 

「あー、そいつは確かに聖騎士からは嫌われそうですなぁ。旦那も前に言ってましたよね。聖騎士はみんな、神と自分の正義だけを信じる狂信者だって」

 

 内容もそうだが、神が居ないと公言していることが問題なのだろう。

 多くの聖騎士はオルランドのような単なる戦士とは異なり、信仰系魔法を使いこなす。

 そうした魔法を使用する際、身近に神の存在を感じることもあって、神が存在すると確信しており、聖王はその神の代弁者だと信じて忠義を捧げている。

 つまり、聖騎士の正義とは聖王の正義と同義で在り、それこそが唯一絶対のものなのだ。

 だからこそ、それ以外の正義を決して認めようとはしない。

 かつて、そうした様子を指して狂信者だと表したパベルの言にオルランドも思わず納得してしまったものだ。

 

「ああ。正直俺も娘と同じで宗教や神には興味がない。妻の手前、口に出すことはないが、いざという時頼れるのは神ではなく自分の力だと思っているからな」

 

「それは同感ですな」

 

「だが、それ以外は仲が良い親子だから、そこまで心配していなかったんだがなぁ……最近になって自分の教えを広めようと行動を開始したらしい。流石に妻もそれは許せないと大喧嘩になって」

 

「家を出たと」

 

「ああ。しかし信じられん。あの子は人前に出ることが好きじゃない。大人しくて、イモムシが怖いと泣くような、そんな子だ。きっと誰かに誑かされたんだ。そうに決まっている、次の休みになったらすぐにでも娘に会いに行き、いざとなれば……」

 

 少しばかりいつもの様子を取り戻したように、娘についてツラツラと言葉を並べながら、妙な結論に達したらしい。

 亜人たちから狂眼の射手と恐れられるパベルの鋭い瞳が更に鋭利に、明確な殺意が籠もり始めてオルランドは慌てて制止する。

 

「ちょ! 旦那、まだそうと決まった訳じゃないんでしょ? 仮にそうだったとしても、暴力はいけませんよ! いや俺が言えた義理じゃないですけど。俺の尊敬する男が一般人を殺して捕まって引退なんてことになったら目も当てられませんよ」

 

 単なる模擬戦でなく、生き死の戦いでこそ己が成長できると考えているオルランドとしては、今の殺意に満ちたパベルと是非戦ってみたい気持ちはあったが、それ以上に自分が勝つ前にパベルが殺人罪で捕らわれるようなことがあっては困る。

 今のパベルからは、本気で行動に移しかねない殺意を感じた。

 

「……そこまではせん。妻にも迷惑がかかるからな。そもそも、娘がああなってしまったのは俺が弱かったせいだ」

 

 殺気を孕んでいたパベルの声が急落する。

 

「娘さんがそんな考えになったキッカケの話ですか。正直俺はまだ信じていませんよ。山でキャンプしていたらスラーシュの大群に襲われたとか」

 

「事実だ。かつての侵攻で討伐し損ねた生き残りが増えたのだろう」

 

 城壁が完成した後、最も多くの領土を蹂躙されたとされる亜人襲撃事件、長雨の中の侵攻。

 スラーシュという吸盤のついた手と、長く伸ばせる痺れ毒の舌を持ち、上位種ともなれば溶け込み(カモフラージュ)によって皮膚の色を変えて隠れることが可能な亜人が奇襲を仕掛けて城壁を突破。

 そのまま西に侵攻し、いくつかの村が犠牲になった事件だ。

 

 その件を受けた当時の聖王が国家総動員令を発令したことで、徴兵した一般人に訓練を課し、城壁を厳戒態勢で守るといった、現在の防衛対策が講じられるようになったのだ。

 そのときのスラーシュの生き残りが、今なお国内に潜伏している噂自体は以前からあったが、それは国民に常に緊張感を持たせるための方便に近く、その国民すら本気で信じている者は少ない。

 だが実際に、パベルは二年前家族とキャンプに出向いた山の中で、スラーシュの大群に襲われたという。

 

「いや、いたことはまだ信じられますよ。山ん中、それも旦那が見つけた人のいない奥深い場所なら、亜人どもの隠れ家としては最適だ。俺が信じられないのは、スラーシュ如きに旦那や奥方でも勝てなかったってところです」

 

 弓兵でありながら接近戦でオルランドに勝ったこともあるパベルは言うまでもなく、彼の妻も聖騎士としては一流の実力者だと聞いている。

 近接と遠距離、それぞれを極めた二人が揃っていてなお、スラーシュに勝てず死に掛けたなど信じられるはずがない。

 そのときのことを思い出したのか、パベルの気配が僅かに揺れる。

 

「数の問題や完全な奇襲だったこと、娘を守るのを第一に考えた点などもあるが、一番は相手に単なる上位種ではない強者がいたことだな」

 

「それは、豪王みたいな?」

 

 かつて自分に敗北感を植え付けた、とある亜人の王の名を挙げるとパベルは小さく頷いた。

 強さによってトップが決まる亜人部族の頂点は、どの種族もそうした強者が君臨している。

 特に豪王は恐ろしいほど強く、敗北した頃より強くなった自負のある今の自分でもまだ勝ち目はないだろう。

 スラーシュの王は聞いたことがないが、豪王に近い猛者に加えて数まで揃えられていたのなら、ある程度理解はできる。

 ここまでは前にも聞いていたのだが、更に納得できないのはこの後だ。

 

「そんな強ぇ亜人どもを、たった一人の騎士が一瞬で倒したって言うんでしょ? そんなことはあのガゼフ・ストロノーフでも不可能でしょうよ」

 

 周辺国家最強にして、英雄の領域と呼ばれる、おとぎ話の中に登場する強者と肩を並べる存在にのみ許される称号を持った戦士ですら、そんなことができるはずがない。

 オルランドも英雄には届かないものの、戦士としては強者には違いない。

 だからこそ、人間の限界は想像できる。

 話に聞いた純銀の鎧を纏った騎士はそうした領域を軽々と越えていた。

 

 その騎士は、弓兵としてトップの実力を持ち同じく目の良さも聖王国一を誇るパベルが目で追うこともできないほどの速度で移動し、剣を振るったという。

 それも豪王にも匹敵するような亜人の王すら相手にもならず、一刀の下に切り伏せた。

 それが事実ならおとぎ話どころか、神話に出てくるような存在だ。

 

「それも事実だ。俺や妻、いやお前ですら相手にならない。かの御仁が聖王国の軍士だったならアベリオン丘陵もすぐに平定できるだろうよ」

 

 強さこそ絶対である亜人だからこそ、そうした強者が亜人の王を圧倒的な力で倒し続ければ恭順するのは間違いないが、自分でも相手にならないと言われて、オルランドは不満げに鼻を鳴らす。

 

「でも、後で捜してもどこにもいなかったんでしょう?」

 

「ああ。後日、スラーシュがまだいるかもしれないと確認に出たが、スラーシュの死体や争った痕跡すら消えていた」

 

「やっぱり夢でも見たんですよ。それか旦那たちが戦った段階でスラーシュたちはもうボロボロだったとか」

 

「……仮にそうだったとしても、娘がその騎士の強さと思想に心酔してしまったのは事実だ。俺がもっと強ければ、助けられたとしてもああはならなかっただろう」

 

 悔しさを滲ませながら拳を握る。

 確かにその騎士がパベルと同レベルであったら、話は変わったはずだ。

 三人で協力して戦って勝つ。そんな光景を見れば、娘は三人平等に尊敬を示しただろう。

 だが、実際は娘にとっては自分の憧れであり、強さの象徴であったはずの両親より遙かに強い騎士が現れ、自分を救った。

 そのせいで娘にとってはその騎士こそが正義の象徴であり、力を身につけ、それを正しく使うことこそが正義だ。というその騎士の主張を絶対のものとして認識してしまった。

 だからこそ、パベルは己の不甲斐なさを悔いているのだ。

 

(まったく。俺の尊敬する戦士がそんな顔すんなよ。これじゃあ辞めるって言いづらいぜ)

 

 兜を外し、ボリボリと頭を掻く。

 今日わざと報告を忘れたふりをしてパベルを引き留めたのは、最近亜人が城壁に攻めて来なくなったため戦う機会が減ったことを機に、武者修行にでも出ようと考えたオルランドが、パベルにその許可をもらうためだったのだ。

 

 もっとも、思った以上に小言が長引いたため、無理矢理話を変えようとしたことで、余計に話が長引いてしまったわけだが。

 本来、軍士ではない自分にとってそれは法で認められているため、許可など取る必要はないが、唯一尊敬し敬意を払っているパベルにだけは筋は通すつもりだっただけに、この話が始まった当初は話をする時間が無くなってしまうと後悔したが、ここに来てオルランドは考えを改める。

 この話を聞けて良かった。

 特に目的の無かった武者修行の良い目標ができたのだから。

 

「あの、旦那。こんな時になんですけど、俺一度ここを離れようと思ってるんですよ」

 

「なに?」

 

 家庭内のいざこざに苦労する父親から、瞬時に戦士の顔に切り替わった。

 

「いやほら最近、亜人の襲来もないですし、これを機に武者修行。なんて思いましてね」

 

「……国はそれを認めている以上、俺からあれこれとは言えないが──どこに行くつもりだ?」

 

「俺より確実に強い戦士と戦いたいってことで、ガゼフ・ストロノーフあたりに喧嘩でも挑みにいこうかと」

 

 オルランドの言葉にパベルは眉を顰めた。

 戦士長は騎士ではなく、王国内でも地位が高いわけではないが、国の要人の一人であることには違いなく、オルランドの行動によっては国際問題になりかねないと考えたのだろう。

 小言が飛んでくる前に口早に続ける。

 

「と思ったんですけど、先ずは国内で武者修行をします。まだ勝てていない奴らもいますしね」

 

「それはそれで問題だな」

 

 オルランドが勝てないのは同じ九色ばかりであり、彼のやりたい本身を使っての戦いをしようとすれば大問題になると言いたいのだ。

 それを遮り、更に続ける。

 むしろ本命はこちらだ。

 

「んで。国内を巡るついでに、その純銀の鎧を着た騎士とやらを捜してきてやりますよ」

 

「なに?」

 

「見つけたらここに連れてきますから、旦那は一つそいつと勝負してぶっ飛ばしてくださいよ」

 

「なぜ俺がそんなことを。命の恩人だぞ」

 

 困惑した様子のパベルに、オルランドは笑って手を振る。

 

「いや、普通の模擬戦とかなら別に問題ないでしょう。そこで旦那が勝ったら、娘さんも旦那のこと見直してくれるんじゃないですか?」

 

 自分の憧れであり正義そのものだった騎士を己の父親が倒せば、娘にとってその騎士は絶対ではなくなる。

 そうなれば少しは父親の話を聞く気にもなるのではないだろうか。

 そう考えたのだ。

 

「オルランド、お前──」

 

「なにより、俺に勝った男が戦いもせずに負けを認めるなんて納得できませんよ。その上で次は俺が旦那と戦って頂上決戦と行きましょう」

 

 最後を軽口で締めるとパベルもオルランドの言いたいことを理解して、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「言うじゃないか」

 

 その殺し屋の如き目つきも併せて、相変わらず笑った顔は獰猛な獣が威嚇しているようにしか見えないが、それで良い。

 これこそが自分の尊敬する男なのだ。

 そう感じたタイミングで、突如鐘が鳴った。

 夜番との正式な交代を知らせる鐘かと思ったが、そうでは無かった。

 いつまでも鳴りやまない鐘の音が示す意味は一つ。

 亜人の影あり。

 

「旦那!」

「ああ」

 

 即座に立ち上がるオルランドの言葉に、パベルは既に視線を城壁の奥、アベリオン丘陵側に向けていた。

 長話をしている間にすっかり日が落ち、暗くなった平原地帯に蠢く影が一つ。

 オルランドには見えないが、夜の番人と謳われるパベルならば、この暗闇でも問題なく見通すことができるだろう。

 そう考えて言葉を待ったが、パベルはいつまで経ってもなにも言わない。

 

「旦那?」

 

「……仮面を付けてはいるが、あの動き、歩き方は亜人ではない。あれは人間だ」

 

 姿だけ見れば人間に近い体形の亜人も僅かに存在してはいるが、顔を仮面で隠していても骨格の違いなどで動きに違いが出る。

 バベルはそれを見逃す男ではない。

 

「はぁ? 何で人間がアベリオン丘陵から。捕まってた奴が逃げ出したとかですかね」

 

 人間を食料としか見ていない一部の亜人部族に、餌として人間が飼われているという話は聞いたことがある。

 助けだそうにも、アベリオン丘陵にこちらから出向くことなどできないため、半ば見捨てられてしまっているが、そこから逃げ出してきたのかもしれない。

 

「いや。だとしたらあんな暢気に歩いているはずが……っ!」

 

 再度言葉を失うパベルに、オルランドもようやく気がついた。

 先頭を歩く一つの影。その奥から大量の影が列を成している。

 そちらは影だけでも明らかに人間とは違う、異形の姿をしていることが分かった。

 追いつこうと思えば簡単に追いつける速度にも関わらず、その亜人たちは先頭を歩く男の後ろを行儀よく並んで歩いている。

 つまり、あれは──

 

「人間が亜人を率いている?」

 

「なにが起こっているんだ」

 

 ぽつりと呟いたパベルの言葉に、オルランドが答えられるはずがない。

 ただ一つ。月明かりに照らされてオルランドでもはっきりと見えるようになってきた先頭を歩く仮面の男の動きは、これまで見てきた戦士や騎士が霞むほどのもの。

 動きとしての一つの高みにあるものだと理解してしまった。

 そんな存在が亜人を率いてやってきた。

 

「おもしれぇ」

 

 思わず口から漏れ出た言葉は、あるいは己を鼓舞するためのものだったのかもしれない。

 何故ならば、その姿を見た瞬間から、オルランドの体は武者震いとは違う得体のしれない感情によって、小刻みに震えていたのだから。




書籍版の十二巻でパベルは家族でキャンプをしてネイアに良いところを見せて尊敬して貰おうという計画を立てていましたが、この話では二年前、ネイアが聖騎士見習いになる前にその計画を実行を移し、そこでサトルさんに助けられた。という設定になっています
なのでこの話に於いてネイアは聖騎士見習いにもなっておらず、代わりにサトルさんの思想に感銘を受けて仲間を増やすべく行動しています
次はそのネイアの話になります
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