次からの話の前振りに近いので今回もあんまり話は進みません
「お母さん。怒ってる、よね」
住む家が見つかるまでの間、借りている宿の一室。
一人になり、顔に着けていたバイザーを外したネイア・バラハの口から、つい弱音が漏れた。
思い出すのは先日、大喧嘩した母のこと。
ネイアの母は聖王女に仕える優秀な聖騎士だ。
強く、気高く、己の信じる正義を遂行する母にネイアは小さいから憧れており、当然のように将来聖騎士になることを夢見ていた。
だが、ネイアはそんな母よりも、同じく国を守るために軍士として働く父、聖王国の誉れである九色の黒を戴く聖王国一の弓兵、パベルの血を色濃く受け継いでいるらしく、弓は特に練習せずとも人並み以上に扱えたが、剣の才能も信仰系魔法の才能も無かった。
それでもネイアは聖騎士を目指すことを諦めず、まずは聖騎士見習いである従者になろうと努力を重ねていた。そんなネイアに己の運命を変える出会いがあったのは、従者となる資格を得る年齢になる直前、二年ほど前のことだった。
「仕方ないよね。私とお母さんの正義は違うんだから」
言い訳をするように呟き、もう幾度思い出したかしれない記憶を遡る。
日々忙しくあまり家にいない父が珍しく長期休暇を貰って、連れていってくれた山の中での話だ。
彼女がもっと幼い頃にも、元々山育ちである父に連れられてキャンプをしたことはあったが、その時連れていかれたのは人里から離れた山奥だった。
後で聞いた話によると、父が突然キャンプを提案したのは、思春期に入り、留守がちな父とどのように接していいか分からず、なんとなく距離を取るようになったネイアと打ち解けるきっかけとして、父の得意とする
人の手が入っていない山奥は危険な猛獣の住処でもあるが、それこそ聖王国一の狩人である父と、聖騎士であり回復魔法もこなせる母が居れば、問題はないと思っての行動だったようだが、軽率な判断だったと後に父から謝罪された。
実際、そんな父と母ですら勝てないような亜人の群れに襲われたのだから、見通しが甘かったと言えば確かにそうなのだろう。
しかし、ネイアはそのことで父を恨む気持ちはない。
むしろ感謝している。
おかげでネイアは自分の生き方を見つけることができたのだから。
久しぶりのキャンプで、父から
父と母が力を合わせれば、例え相手が集団であっても敵ではないとネイアは確信していたからだ。
しかし、その亜人の群れにはそんな両親すら打ち倒すほどの強さを持った、まさしく亜人の王とでも呼ぶべき強力なスラーシュが混ざっていたのだ。
ネイアにとっては敬愛と尊敬、そして強さの象徴でもあった父と母を打倒してみせた亜人の王は、やがてネイアの眼前に立ちはだかった
今思い出しても自分が情けなくてイヤになるが、そんな強者を前にしたネイアは戦うことはおろか、腰が抜けて動くこともできず、ただ神に祈ることしかできなかった。
才能が無いのはともかく、戦士として最低限持っていなくてはならない敵に立ち向かう気概すら、そのときのネイアには無かったのだ。
そんなネイアを救ってくれたのは、祈りを捧げていた神などではなく、純白の鎧に身を包んだ騎士だった。突如として現れた騎士は配下の亜人たちはおろか、両親ですら敵わなかった亜人の王すら一刀の下に切り伏せた。
その騎士こそ、ネイアの生き方を変える切っ掛けを与えてくれた御方だ。
しかしそれは命を救われたからではなく、その後自分に掛けてくれた言葉によるところが大きい。
怪我を癒して貰い動けるようになった両親はネイアを抱きしめ、無事を喜びながら騎士に礼を言って頭を下げた。
もちろんネイアも頭は下げていたが、それはお礼のためというより、自分を恥じて顔を上げることができなかったからだ。
あのとき、まともにお礼も言えなかったことは、今でもネイアの心にしこりとなって残っている。
だがそのときは、母に憧れ、国を守る聖騎士となって正義を行使すべく訓練を続けていたというのに戦うことはおろか、逃げることもできず神に祈ることしかできなかった自分が、ただただ情けなくて仕方なかったのだ。
そんなネイアの行動を両親は責めることなく、それどころか誉めてくれた。
確かにネイアが戦ったとしても、勝ち目はなかっただろう。
いや、戦えないと思われていたからこそ先に両親を狙ったのであって、戦おうとすれば真っ先に殺されるか、あるいは人質にされていた可能性が高い。
そうならずに済んだことを両親は喜び、無謀な特攻をしなかったネイアを褒めたのだ。
自分を溺愛している父はともかく、口では聖騎士になりたければ自分を倒してからにしろと言いつつも、一方で訓練を続けるネイアに剣の使い方や聖騎士としての心構えを説き、内心では応援してくれていると信じていた母にまでそう言われたことが悔しくてたまらなかった。
聖騎士とは、弱者を守るためにこそ存在している。
母がいつも口にしている聖騎士の心構え。
正確には母が仕えている聖王女の言葉だ。
弱き民に幸せを、誰も泣かない国を。それこそが聖王女の望みであり、その理想を叶えるために剣を振るう者こそが聖騎士なのだ。
つまり聖騎士の正義とは、弱き者を助けるためにこそ存在しており、そのためならば如何なる危険も省みずに戦うことこそが使命。
聖騎士を目指すネイアに、母は常々そう説いていた。
その度にネイアは覚悟を持って頷いていたはずなのに。
実戦でその覚悟を示せなかった彼女を、母は許した。
それは、母にとってネイアは共に戦う聖騎士ではなく、守るべき弱者の一人なのだと言われたも同然だった。
それが当然のことだとは理解している。
当時のネイアは正式な聖騎士でもなければ、見習いである従者にすらなっておらず、聖王女に誓いも立てていなかった。
聖騎士に憧れているだけの子供にすぎない。
あるいはあそこで戦えなかった姿を見たことで、ネイアが聖騎士には向いていないと改めて理解したのかもしれない。
だが、ネイアは叱って欲しかった。
何故戦わなかったのかと、お前は何のために訓練していたのだと。
そう言って欲しかったのだ。
しかし実際には父も母もただ優しく慰めるだけだった。
だからこそ、そんなネイアにあの騎士がかけてくれた言葉が、彼女の運命を大きく変えることになったのだ。
「悔しいなら、努力して強くなればいい」
ごく当たり前のことを、ごく当たり前に告げられた。
それがどれだけ嬉しかったことか。
涙を浮かべたまま、ようやく顔を持ち上げることができたネイアに、彼は語った。
かつては自分も弱く、すべてを投げだそうとしていたこと。
それを救ってくれた人が居て、その人の仲間に誘われたこと。
自分を救ってくれた人を目標にして努力を重ねて強くなったこと。
そして、最終的には同じような人たちを集めてチームを作り、みんなで強くなったこと。
遠い昔を懐かしむかのように滔々と語り終えた彼は、最後に一言だけ言葉を残すと、きちんとお礼をしたいと告げた両親の制止も聞かず、その場を後にしてしまった。
彼と会ったのはそのときただ一度切りだ。
思えばネイアは、彼について何も知らない。
名前や年齢、出身地も。辛うじて声で相手が若い男だと判別できたが、それだけだ。
しかし、そんな名も知らない騎士の存在が、その日からネイアの中では、信仰系魔法が使えずとも、尊敬する母から聞かされ続けていたことで、その存在を信じていた神すら超える位置に収まった。
同時にネイアの考え方も変わった。
ごく当たり前のことに気がついたと言うべきか。
「守りたいものがあるなら、人任せにしないで、自分が強くならないといけない」
彼が最後に残した言葉を、改めて口に出してみる。
これこそがネイアの正義。
才能があるとかないとかは二の次だ。
誰かに守られるのを当然と思わずに、自分でも強くなれるように努力する。その姿勢がなにより大事なのだ。
この事実に気づいてから、ネイアは改めて前を向くことができたが、同時に母との間の溝は深まった。
この考え方が、母の信じる正義とは全く逆だったからだ。
母を始めとした聖騎士の正義は、ざっくり言ってしまえば、強き者は弱き者の幸せを守るために全力を尽くす。それが力持つ者の務め。という考え方だ。
だが、ネイアはそうではないと思う。
弱ければ努力して強くなればいい。誰もが強くなればみんなで大切なものを守ることができる。
そもそも、それこそが聖王国本来の理念ではないのか。
徴兵制を敷き、国民全員が戦う力を付けて城壁を守り亜人の侵攻をくい止める。
これが聖王国が他のどの国にも勝る長所のはずだ。
しかし母を含めた聖騎士たちは民の力を当てにせず、自分たちですべてを守らなくてはならないと思っている。
それはネイアの理想とは違う正義だ。
だからネイアは剣を置き、代わりに弓を鍛え始めた。
いくら練習しても強くなれている気がしない剣の腕を磨くより、初めからある程度できる弓を極めた方がより強くなれると考えたからだ。
そんなネイアの行動を見た父は嬉しそうだったが、母は何も言わなかった。
続けろとも止めろとも。
それからも、自分と母の間にできた溝は深くなり続けた。
普通に生活しているときはいつも通り仲の良い親子のままだが、正義という言葉が絡むと母は頑なになり、ネイアも引くことはなかった。
父はそれを何とか宥めようとしていたが、そもそも多忙の父はあまり実家に戻ることができず、なによりこうした主義主張の違いは、親子だからといって第三者が間に入ってどうにかなる問題ではない。
それでも表面上はどうにか繕えていた家族間の溝が決定的になったのは、ネイアが自分の考えを周りに広めようとしたときからだろう。
いつからかネイアは自分の強さを磨くだけではなく、並行してもっと多くの人にこの思想を広めようと考えるようになった。
かの騎士が言っていたように、自分だけではなくみんなで強くなるためには、同じ志を持った仲間が必要不可欠だと気づいたからだ。
そのために動き出したネイアを母は許さなかった。
と言っても今になって思えば、あれでもずいぶん我慢していたのだと思う。
母にとって、聖王女は単なる自分の主というだけではない。
母の信じる神に仕え、代弁者として国を守る存在、それこそが聖王女であり、その言葉は母たち聖騎士にとってはまさに神の言葉も同然。
ネイアの主張はその聖王女の信じる正義を真っ向から否定するものであり、勧誘の際にもその主張を口にして人集めを行っていた。
そうした言葉が回り回って、聖騎士の頂点であり、母の上司でもある聖騎士団長レメディオス・カストディオの下まで届いてしまった。
本人が直接、ネイアたちが集まっていた場所に怒鳴り込んできて、人前で緊張せずに話すためにつけていたバイザーを無理矢理取られたときは、てっきり聖騎士と九色の娘というネイアの素性も併せて、不敬罪で逮捕でもされるのかと身構えたが、レメディオスは聖王女の考えの素晴らしさを滔々と語ったのち、自分たちと志を共にしてくれた聖騎士に退団を申し渡すと、さっさと帰って行った。
その際にネイアたちが、聖王女のやり方が手ぬるいなどと吹聴していたことになっていたのは驚いた。
実際ネイア自身はそんなことを言った覚えはなかったからだ。
しかし、もしかしたら他の仲間たちが勧誘時にそうしたことを言っていたかもしれないと考えて、否定はしなかった。
だが、一緒にいた聖騎士団の副団長だという男は流石にそれで済ませることはなかった。
レメディオスの対応に困ったように胃を押さえつつも、ネイアの素性に気づいたらしく、これ以上は両親に迷惑がかかるから止めておくように忠告してきたのだ。
その言葉に心が揺らがなかったと言えば嘘になる。
例えお互いに違う正義を信じていたとしても、母も父も、今でもこの世で最も大切な家族であることには違いがない。
自分の行動が家族に迷惑を掛ける。
いや家族だけではない。ここにいる志を共にする仲間たちにも迷惑を掛けてしまう。
そう考えてしまった。
しかし、そんなネイアの背を押してくれたのも仲間たちだ。
退団を申し渡されたことで、職だけではなく、聖騎士という国内では誰もが羨む名誉ある立場をも失ったというのに、彼らはそのことでネイアを責めることもなく、聖王女のお膝元であるホバンスでは活動が難しいのなら、他の地で同じような同士を見つけて活動を続けるとまで言ってくれたのだ。
その言葉で、ネイアもまた覚悟を決めた。
彼らと共にホバンスを出て、別の地で一から自分たちの正義を広めていくことを。
母と大喧嘩になったのは、この話をしたときだ。
結局、母が自分の考えを理解することはなく、ネイアは家出同然で住み慣れた家、そして都市を出て、今ここにいる。
最も城壁の近くにある城塞都市カリンシャに。
母とは喧嘩別れとなったが、これ以上迷惑を掛けないためにも、これで良かったのだ。一人になってからネイアはずっと自分にそう言い聞かせ続けていた。
そんなことまで思い出して、また思考が暗くなりかけたとき、部屋の扉がノックされて聞き慣れた優しい声が聞こえてきた。
「バラハさん。少しよろしいですか?」
了承の返事をした後、中に入ってきたのは、どこか陰のある二十歳そこそこの大人しそうな女性だ。
この女性はネイアの考えに最初に賛同してくれた人物であり、ネイアの主張をより多くの人に知って貰おうと提案してくれたのも彼女だった。
何から手を付けていいか分からなかったネイアの話を聞き、彼女の思想や正義を分かりやすい形で纏めて、街中で人に説いて回るやり方や、その際に人前で話すことが得意ではなかったネイアに、緊張するのなら顔を隠してみてはどうか、とバイザーをプレゼントしてくれたのも彼女である。
彼女がいたからこそ、今の教団があるといっても過言ではない。
一人っ子であるネイアにとっては、姉のように慕っている大切な存在だ。
ホバンスを出るときも、当たり前のように付いて来てくれて、こうして同じ宿で寝起きをしながら共に自分たちの正義を広めてくれている。
「本日の予定を確認したいのですが。今日は布教活動の前に訓練の時間を取っているのですよね?」
「はい。賛同してくれたばかりの方々に私たちの考えを理解してもらうにはそれが一番だと思います。訓練をしながら強くなってそれをいろいろな人に教えていくのが大事なことだと思うんです」
あの御方が示してくれた正義は、強くなるための努力を怠らないというのが根本にあるのだから。
そう言ったネイアに、彼女は申し訳なさそうな顔をして告げる。
「すみません。私も訓練に参加できれば良いのですが……」
「何言っているんですか。向き不向きがあるのは当たり前です。私は強くなるって言うのは物理的なことだけではないと思います。貴女がいるからこそ、こんなに人が集まったんですから」
考え方に賛同してくれてはいても、物理的に体がついてこない人もいるのは当然だ。
彼女もその一人で、生まれつき体が弱いらしく、戦うことはできない。
その代わりにというように、彼女はより多くの人に自分達の考えを理解してもらうための布教活動に力を入れている。
体の弱い彼女は、日の光を浴び続けることすら辛いはずだ。
それなのに彼女は一日も欠かすことなく、布教を続けてくれている。
少しでも日の光を遮ろうとしているのだろう。ローブを頭から被り、朝から晩まで布教を続ける彼女の姿を見る度、ネイアは勇気づけられているのだ。
元来聖王女に絶対の忠誠を誓っている聖騎士に根気強く話をして、自分たちの団体に入れたのも彼女だ。
そうして諦めることなく、人を集め続けることこそが、彼女の強さ。
その意味で言えば彼女の方が、自分などよりよっぽどこの教団の纏め役にふさわしいと言えるだろう。
だが彼女は、一番初めに行動したと言うだけでネイアを纏め役に指名し、人が増えた今でもこうしてネイアの考えを尊重して動いてくれている。
「あの、前から言っていますけど、やっぱりみなさんを纏めるのは私より、貴女の方が良いと思うんです」
何度となく繰り返した問答をまた蒸し返すと、彼女は困ったように眉を寄せた。
「私にはそのような大役は務まりません。それに、これはバラハさんが始めた活動です。でしたら、貴女が責任を持つべきですよ」
「それは、そうですけど……」
特段強いわけでもなく、人を纏める力があるわけでもない。
仲間が増えた今では、得意の弓すら自分以上に使える人がいるだろう。
ネイアにあるのは、ただ最初に動いたという点だけ。
だが、彼女はそれこそがもっとも重要なのだと、いつも口にする。
それを言われるとネイアは何も言えなくなってしまう。
「ああ。でも、ネイアさんにその教えを授けて下さったという御方でしたら、この団体を纏めるには相応しいのかも知れませんね」
少し声を大きくして彼女はそう言った。
それは、単にネイアを元気付けるために言った、思いつきだったのかもしれない。
だが、その言葉を聞いた瞬間、ネイアは目の前が開けたような感覚に陥り、思わず立ち上がった。
「そ、そうですね! 私の考えだって結局はあの方に教えていただいたものですし」
自分の命を救い、考え方を変えてくれた純銀の騎士。
彼こそ、この教団を率いるに相応しい。
何より、当時は言えなかったお礼と共に今の自分を見せたい。
あのとき掛けてもらった言葉を信じていたからこそ、自分は今までやってこられたのだと。
そんなネイアの豹変ぶりに驚いたように目を開いた後、彼女は小さく微笑んだ。
「分かりました。布教の傍ら、その御方を知っている人はいないか捜してみましょう」
あのとき行った山から一番近い大都市はこのカリンシャだ。
あれほど素晴らしい騎士ならば、一目見れば誰もが目に焼き付けるに違いない。情報を集めるにはうってつけの場所だ。
もしかすると、本当に会えるかも知れない。
そんな思いが湧いてきて、ネイアは彼女に向かって深く頭を下げてお願いした。
「よろしくお願いします──クレマンティーヌさん」
ネイアの言葉に彼女、クレマンティーヌは出会ったときから一切変わらない、聖女が如き慈愛に満ちた笑みを浮かべて頷いた。
「はい」
・
ネイアの部屋から出ても、顔に張り付けていた聖女然とした笑みは解かないまま自分の部屋に向かって歩く。
せめてため息ぐらいは吐きたいところだが、ネイアの聴覚はそれを聞き取る可能性があるため、黙ってその場を離れた。
(ずっとニコニコ笑ってるの疲れるなー)
代わりに心の中でだけため息を吐く。
自分が僅かに気を抜いていることに気がつくが、この土地に流れ着くまでの間ずいぶん色々なことがあったのだからそれも無理はない。と自分を納得させる。
彼女、クレマンティーヌはかつて所属していたスレイン法国特殊部隊漆黒聖典を抜けた後、アンデッドを隣人とする秘密結社ズーラーノーンに身を寄せ十二幹部の一人となっていたが、法国が追跡の手を緩めることはなかった。
追いかけっこにもいい加減うんざりしたクレマンティーヌは、エ・ランテルに潜伏していた同じく十二幹部の一人であるカジットを利用して騒ぎを起こし、その隙に追跡を撒く計画を立てたが、運悪く潜入する前に追っ手である風花聖典に捕捉されてしまった。
野盗に扮して襲い掛かってきた風花聖典は一人一人の力では負けることなどあり得ない相手だが、数の力で押し切られてしまい敗北を喫してしまった。
本来ならばその場で全てが終わるはずだったが、その場を通りかかったある人物に助けられたことで、最終的にはどうにか追っ手を撒くことに成功した。
その後流れ着いたのが、彼女がその理念も考え方も嫌っているスレイン法国と同じ宗教国家であることには、少々思うところがあるが仕方ない。
流れ着いたのがこの国だったからこそ、彼女は新たな隠れ蓑を見つける、いや作り出すことに成功したのだから。
(暗殺部隊でも秘密結社でもない教団。隠れ蓑にはピッタリだよねー)
ズーラーノーンに身を寄せて改めて実感したことは、六色聖典の強さと危険性だ。
六色聖典は並の秘密結社や犯罪組織などより遙かに強い力と、強引な手段に打って出てももみ消せるだけの権力を持っている。
その六色聖典の最強部隊、漆黒聖典に所属していたクレマンティーヌが、本来負けるはずのない風花聖典ごときに敗北した理由もそこにある。
それは、武具の差。
漆黒聖典時代に使っていた神器を装備していれば、どれほど数が居ても、あの場で負けることはなかっただろう。
だから彼女は考え方を変えることにした。
違法組織ではなく、表舞台に出ることのできる正式な組織に所属する方法に。
六色聖典は所属した時点で過去の経歴が抹消されるほど、徹底した情報統制が成されている特殊工作部隊。
そこに付け入る隙がある。
つまり、秘密結社や犯罪組織ならばたとえ他国であっても、いざとなれば強引な手段で攻撃できるが、国にも認められているような表立った組織ならば、クレマンティーヌの経歴が抹消されていることも含めて、手出しすることは難しくなると考えたのだ。
そのためにネイアを唆して創ったのが、この教団だった。
まだ数はそれほどでもないが、少なくとも王都内ではある程度認知される組織に成長させることはできた。
国土を亜人たちから守るために、自分たちが強くならなくてはいけない。という理念が、常に亜人の脅威に晒され、国民全員に徴兵制を敷いている聖王国の国民性と合致した結果だ。
それでも、本来国家運営の邪魔になりかねない理念を掲げていれば、適当な理由を付けて邪教や犯罪組織に認定されて取り潰される可能性はあった。強い政策の打ち出せない聖王女が治める国だからこそ、そうした真似はできないと踏んでいたが、正解だったようだ。
とはいえ、流石に調子に乗りすぎたところもあった。
聖王国の象徴である聖騎士を仲間に引き入れようとしたこと。
もっと言えばその際に、八方美人で強気な手段を取ることのできない聖王女の手ぬるいやり方を引き合いに出したことだ。
聖騎士は誰もが狂信的な信仰を持っていたが、中には信仰よりも国を守ることをより大事に考えている者も居た。
亜人との戦いで家族や親を亡くした者たちが特にそうした傾向が強い。
クレマンティーヌはそうした者たちを狙って、聖王女の手ぬるいやり方では国を守ることはできないと吹聴し、国民一人一人が強くなるべきだと説き続けたのだ。
もちろん、聖騎士はそれだけで簡単に説得できる相手ではないが、クレマンティーヌにはそれでも彼らを教団に引き込む自信があった。
事実、最終的には国の象徴でもある聖騎士を仲間に引き込むことには成功したのだが、それを耳にした聖騎士団団長であるレメディオス・カストディオ。
聖王女の両翼と呼ばれる彼女が直々に団体に乗り込んできたのは予想外だった。
(あの聖騎士団の団長は噂通り、いやそれ以上の猪だったなー)
そのせいで王都から出て行かざるを得なくなってしまったが、もう一人の神官団団長で無かっただけマシだと思うべきか。
聖王女が汚い手段を使えない分、そうした汚れ仕事をするのは神官団団長だともっぱらの噂だ。
本当は聖王女のお膝元である王都で活動して立場を得ることで、なし崩し的に聖王女のお墨付きを得る目的があったが仕方ない。
(ま、城壁が近いこっちの方が、国防意識が強いから勧誘はやりやすくなったけどねー)
亜人たちに城壁を突破された際、最初に侵攻に晒される都市だからこそ、兵士だけでなく住人もある程度国防意識が強く、ネイアの掲げる思想を理解する者も多いため、勧誘は順調に進んでいる。
このまま人を集め続ければ、いずれ国も無視することのできない団体になるはずだ。
そうなったら法国も迂闊に手出しはできなくなる。
そんなことを考えている間に自分の部屋に着き、クレマンティーヌは誰も見ていなくとも聖女の仮面を外すことなく、しずしずと扉を開いて中に入る。
そうしてから、ようやく本当の意味で気を抜くことができた。
安物のベッドに腰を下ろし、頭に被っていたフードを外して寝転がる。
「しっかし、カジッちゃんがあの儀式を成功させるとはねー。本当にアンデッドになったのかなぁ」
つい先日聖王国と王国を行き来する商人から、エ・ランテルに正体不明のアンデッドが現れて誰も近づけなくなったという話を聞いてピンときた。
同じズーラーノーンの十二幹部の一人であり、エ・ランテルの墓地に籠もって死の螺旋なる、大量のアンデッドを集めて負の力を蓄えて自身を高位アンデッドに変える儀式の準備を数年に渡って続けていた男だ。
クレマンティーヌが協力するはずだったのがその儀式だ。残念ながらその前に追っ手に見つかったために結局会うことはなかったが、どうやら上手く計画を成功させたらしい。
「ま、おかげで法国の連中はしばらくエ・ランテルに釘付けだろうし。結果的には私の目論見通りってとこか」
その間により布教を進めて、確固たる立場を確保し、そして──
「後はアレが見つかればもう完璧なんだけど」
もう一つの目的にして、クレマンティーヌがネイアに力を貸す本当の理由。
ネイアを唆してこの団体を立ち上げたのは、彼女の思想が聖王国の国民性と合致しているからというだけではない。
それも一因なのは間違いないが、口下手で目つきの悪さ以外これといった特徴のない娘を代表にするくらいなら、もっと他に候補がいたのは確かだ。
それでもクレマンティーヌが彼女をパートナーに選んだのは、ネイアがその思想に行き着いた経緯を聞いたからだ。
ネイアは二年前に純白の鎧を纏った強大な力を持った騎士に命を救われたという。
その純銀の騎士こそが、風花聖典に襲われたクレマンティーヌを救った男なのだ。
どちらにも名前は名乗っていなかったがおそらく間違いない。
細かい装飾や胸に輝く大きな宝石を填めた見事な造りの鎧のデザインが全く同じというだけではなく、どちらも信じられないほど強大な力を持っていた。
そんな騎士が二人といるはずがない。
「あの強さに加えて復活魔法、いやアイテムかな。どっちにしてもそんな手段まで持っているなんて、教祖様、いやいや神様代わりにもってこいだよねー」
助けられた当初は気づかなかったが、クレマンティーヌは風花聖典に一度殺されている。
生命力が著しく低下し、それまで使えていた幾つかの武技も使用できなくなっているのがその証拠だ。
かつての力を失い弱体化したこともまた、表立った組織を作ることを決めた理由の一つだった。
クレマンティーヌが生きていることが知られた場合、六色聖典は再び追っ手を差し向けるだろう。そうなれば今の彼女の力では勝ち目がない。
だが、ネイアに語ったように彼を見つけ出して団体の代表に据えることができれば、合法的な立場だけでなく、武力に於いても完璧な隠れ蓑が完成する。
今はまだ弱小団体のため、四大神信仰を刺激しないように、神やそれに類するものを据えてはいないが、やはり大々的に人集めをするにはそうした象徴は必要不可欠だ。
その意味でもあの騎士は申し分ない存在なのだ。
そこまで考えてから、クレマンティーヌはふっと息を吐き、そんなことを考えている自分を笑う。
あの騎士がこのカリンシャにいる確率は殆どゼロに近いことに気付いていたからだ。
ネイアが助けられたのは二年前、そしてクレマンティーヌが野盗に扮した風花聖典から助けられたのが数ヶ月前。
順番でいうのなら数年前は聖王国にいた騎士が、王国に移り住んだか旅の途中でクレマンティーヌと出会ったと見るべきだ。
会った場所を考えるとそのまま帝国か、下手をすれば法国に流れている可能性もある。
どちらにしても聖王国に居るということはないだろうが、ものは試し。
なによりこれはネイアのためでもある。
親と喧嘩して家を出たせいか、ここ最近のネイアは表面上取り繕ってはいたが精神的に磨耗していた。
目標を立てて、そちらに注力させれば少しは気が紛れるだろう。
そうこれはあくまでネイアのために必要なことだ。
「……あのお嬢ちゃんにはまだまだ働いて貰わないとね」
そう呟いてから、勢いを付けて起きあがると、クレマンティーヌは顔に手を当て表情を確かめるように動かした。
同時にそれまで浮かんでいた獰猛な肉食獣を思わせる凄惨な笑みが鳴りを潜め、代わりに慈悲深い聖女の笑顔が浮かびあがった。
ちなみにサトルさんがクレマンティーヌを復活させたのは善意ではなく実験の一環です
ナザリックもないためこれまでは無駄遣いできないと、人助けはしても死んだ相手を甦らせたりはしていませんでしたが、クレマンティーヌを助けたのがツアーに会いに行く前であり、その時点でサトルさんは今回の計画をある程度思いついていたので、一度杖を使って復活させることによるレベルダウンや復活場所の確認と言った基本的な内容を確かめておきたかったので試した感じです
なのでサトルさんは相手が元漆黒聖典だとかも気づいておらず、風花聖典も単なる野盗程度にしか思っていません