オーバーロード ~三人三様の超越者~   作:日ノ川

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年末は忙しくなるので、今年の更新はこれで最後になります


第36話 戦への誘い

 突然亜人襲来の報を聞かされて騒めく民衆の前で、ネイアが演説を開始する。

 クレマンティーヌは他の中核メンバーと共に後ろから、それを眺めていた。

 直前までは背中越しでも身体を硬くしているのが分かるほどだったが、演説を開始した途端そうした緊張は消え失せていた。

 

「皆さんももうお聞きのことと思いますが、現在このカリンシャに向かって、亜人の大軍が押し寄せています」

 

 堂々たる語り口はバイザーで顔を隠すことで緊張を緩和していることや、単純に慣れの問題もあるが、同時にネイア自身の資質、つまりは伝道者としての才が目覚めつつあるためだろう。

 

「私たちは以前からこうした状況を危惧してきました。確かに聖王国の総力を結集して造られた城壁を含んだ要塞線は、これまで何度となく襲来してきた亜人部族を撃退してきた、いわば鉄壁の防御です」

 

 一度言葉を切り、溜めを作ってから再度語りかける。

 

「ですが、どんな場合でも例外は存在します。今がまさにそうです! そんなとき、私たち民はただ祈っていればいいのでしょうか? いいえ違います。私たちは徴兵という形で訓練も行っており、戦う力があります。今こそ私たちが立ち上がり、共にこの都市を守るべきなのです!」

 

 その言葉に、群衆の騒めきが大きくなった。

 ここに集まっているのは団員ではなく、グスターボの命により集められた民衆なのだからそれも当然だ。

 中には以前に何度となく講演を重ねたことでネイアのことを知っている者も居るだろうが、殆どの者は民衆に降りてこない詳細な情報を教えてくれるのではないか、と期待して集まった者ばかりでネイアやその団体が掲げる理念や正義も知らないのだ。

 突然戦おうと言われても素直に聞くはずがない。

 

「馬鹿げてる! 相手は十万の大軍なんだろう!? 勝てるわけがない。さっさとここを離れて別の都市に逃げ出せばいい」

 

 そうした者たちを代表するかのように、一人の男が声を張り上げる。

 十万の軍勢云々についてはまだ一般市民に情報が降りていないはずだが、ネイアたちの下にグスターボが現れたように、この都市の主要な顔役の下には他の軍士が協力を仰ぎに向かっているそうだ。

 

 そんな状況では完全に情報を隠すことはできず、真偽不明の断片的な情報のみが拡散し、民衆はどれが正しいのかも分からなくなっている。今回はたまたま正しい情報を手に入れた者が紛れていたということだ。

 

(さてさて。うまく躱せるかな)

 

 グスターボから頼まれたネイアの役割は、この都市の市民たちを纏めあげて戦いに扇動すること。

 ここであの男の言葉を肯定してしまえば、逆に市民たちは逃げる方向に流れかねない。

 そうなってはネイアが聖王国の理念である、国民全員が戦う力を得て国を守るために徴兵制を敷いていることを説いても無駄だ。

 

 そもそもこの中で実際に亜人と戦った者はどれほどいるのか。

 徴兵された者は全員一定期間城壁に配属されるが、城壁に亜人が襲来するのはひと月に一度か二度、それも一回当たり数十人ほどの規模。全長百キロにも及ぶ城壁に複数存在する小砦に配置された場合、精鋭が到着するまでの時間稼ぎとして遅滞戦闘に一度か二度参加したことがある者が殆どのはずだ。

 国のために戦う覚悟などできているはずもない。

 

 十万という数には触れずに話を進めるのが簡単だが、その場合、いざ真実を知った時に役立たない可能性もある。

 つまり、敵が十万の亜人軍という事実を認めた上で、市民を鼓舞して戦いへと向かわせる必要が出てきたわけだ。

 ネイアにそれができるのか、クレマンティーヌはお手並み拝見とばかりに彼女の様子を見守ることにした。

 

「……今、そちらの方がお話しになられた、ここに向かってくる亜人軍の数が十万を超えるという話は──事実です」

 

 慌てる様子もなく、ネイアはきっぱりと言う。

 むしろ隣に立つグスターボの方が、バカ正直に認めたネイアに、本当に大丈夫なのか、とでも言いたげな視線を送っているほどだ。

 

「やっぱり! いつかのスラーシュが入ってきたときでも、数十匹程度で、いくつもの村が壊滅したって聞くぞ。それが十万なんて!」

 

 その言葉で、ネイアが一瞬怯むように身を固くした。

 恐らくネイアが反応を示したのは、彼女自身がかつてスラーシュに襲われ、その強さを認識していることと、そのときに助けてくれた例の騎士のことを思い出したからなのだろうが、それを知らない群衆からは単にネイアが臆したように見えるはずだ。

 それはほんのわずかな動きだったが、皆の不安が膨らみ、全員の目がネイアに集まっている今、感情を爆発させるには十分だった。

 

「早く逃げ出さないと!」

「バカを言うな! 今更別の都市で暮らせるか。住む場所も仕事も無くなるんだぞ!」

「そんなの、命あってのものでしょう!」

「いや、いくら十万の亜人でも、このカリンシャを簡単に攻め落とすことなんて出来ないだろう? 別の都市から軍が派遣されるまで持ちこたえれば」

「ここよりもっと頑丈な城壁を突破されているんだぞ!」

 

 破裂した不安と恐怖は、人々をパニックへと走らせる。

 

(んー。やっぱりまだ無理だったか)

 

 ネイアに人を纏める力というか、そうした資質があるのは理解しているが、やはり経験不足は否めない。

 クレマンティーヌの選択はもう決まっているので、この場がどうなろうと関係ないが、少し予定を早めた方がいいかも知れない。そう考え直したとき、ネイアが動いた。

 彼女は慌てた様子も見せず、背中に掛けていた弓を手に取ると、矢をつがえながら、くるりと後ろを振り返った。

 同時に、クレマンティーヌと一瞬目が合う。

 

(お。そう来るか)

 

 彼女の狙いに気付いて感心しながらも、それは態度に出さず僅かに首肯すると、ネイアもまた頷き返す。

 

「バラハ嬢?」

 

 隣のグスターボが再び慌てたような声を出す中、ネイアはつがえた矢の先端を斜め上に向け、そのまま弓を放った。

 風切り音を後ろに残しながら一直線に突き進んだ矢は、彼女の狙い通り初めに亜人襲来を告げた見張り台に設置された鐘にぶつかった。

 

 熟練した弓兵が魔法の弓矢を使用すれば、金属でも容易に貫くと聞いたことがあるが、ネイアの弓はそこまでの品ではなく、そもそも彼女の腕も大したことはない。そのため、鐘を打ち抜くことはおろか大きく揺らして、中の分銅とぶつかり合わせて鐘を鳴らすこともできずに、矢尻と鐘がぶつかって周囲に澄んだ金属音が鳴り響くに留まった。

 

 しかし、この場合はこれで良い。

 下手に都市内に響くような大きな音を鳴らせば、予定より早く亜人が現れたのだと勘違いされかねない。

 この周囲にいる者たちの注意を集めるための行動としては十分だ。ネイアも元からそのつもりだろう。

 案の定、元より民衆が鐘の音に敏感になっていることもあって、集まった者たちは一斉に視線を鐘に向け、同時にネイアが弓でそれを鳴らしたことを理解して改めて彼女に視線を向けなおした。

 やがて鐘の音が静まってから、ネイアは再び口を開きなおす。

 

「皆さん。落ち着いて下さい、確かに今カリンシャに向かっている亜人は強力で数も多い。少なくともこの都市に駐留している軍士では、数だけ見ても勝ち目はありません」

 

 きっぱりと断言する。

 そもそも国内の軍士はその大部分が城壁守護の任に就いているため、都市内の防衛に回っている戦力は少ない。

 正確な数はクレマンティーヌも知らないが、一万も居ないだろう。

 ただでさえ、人間より強い亜人を相手に、十倍の戦力差。

 加えて相手は堅牢な城門を突破する術を持っている。ますます勝ち目がないと言っているようなネイアの言葉に再び騒めきが広がりそうになるが、その前にネイアは言葉を重ねた。

 

「ですが! この都市にはまだ私たち市民がいます。この都市で戦える市民の数は、亜人より少ないでしょうか? 亜人より弱いでしょうか? いいえ。私はそうは思いません。少なくとも今この都市を救うために、自らが兵を率いている聖王女陛下の軍と聖騎士団が到着するまでの時間を稼ぐことぐらいはできるはずです」

 

「陛下がいらしているのか!?」

 

「そのとおりです! 私は聖騎士団副団長、グスターボ・モンタニェス。陛下は既に国家総動員令を発令し、聖王国全土から兵をこの都市に向かわせつつあります。ですが、亜人到着まであと三日もない。陛下がご到着されるまで最短でも五日はかかるでしょう。それまで何としてもこのカリンシャを落とすわけにはいかないのです。もちろん私も含めた軍士が一丸となって戦いますが、それでも力が足りない。是非とも皆さんの力をお借りしたい!」

 

 ここぞとばかりにグスターボが声を張り上げ、聖王国の紋章の刻まれた聖騎士団専用らしい剣を掲げてみせた。

 聖王国最強の聖騎士団が援軍に向かっていることに加え、国家総動員令が発令された事実に、民衆の騒めきが恐慌じみたものから、困惑めいたものに変わっていく。

 

(後一押し、かな)

 

 心の中で呟いたクレマンティーヌに応えるように、最後の一押しをネイアが行う。

 

「逃げ出すことは簡単です。ですが、そうなったとき、この都市は亜人に占拠されます。そして亜人たちは私たちの住むこの都市を拠点にして聖王国軍を迎え撃つことになるのです。それでいいのでしょうか? 大切な人たちを守るために訓練を重ね、誰もが戦う力を持ち、亜人たちの侵略にも決して屈しない。それこそが私たち聖王国の民の誇りではないでしょうか? 私はそう思います。たとえこの戦いで死ぬことになったとしても、大切な人を、生まれ育った大切な土地を守るために、私は戦います!」

 

 軍士や聖騎士でもなく、ここで話を聞いている者の中でもかなり若い、まだ徴兵される年齢にも達していない少女自らが戦いに出向くときっぱり告げる。

 この時点で、もう殆ど大勢は決まったようなものだ。

 

「私は共に戦って下さる方を求めます。全員である必要はありません。戦うことのできない非戦闘員の方々には事前に避難していただきます。その方々を守るためにも、聖王女陛下がお越し下さるまで時間を共に稼いでくださる方を私たちは求めています。どうか、どうか皆さんご助力をお願いします!」

 

 言葉と共に深々と頭を下げる。

 騒めきが収まり、一瞬間が空いた。

 

「……そう、だな。カリンシャは俺たちの都市だ」

「そうだ! ここを薄汚い亜人どもの巣なんかにしてたまるか」

「それが子供たちを守ることに繋がるって言うなら、しかたねぇな」

 

 徐々に賛同の声が広がり始める。

 

(はい。決まりー)

 

 最後の最後で非戦闘員、つまり女子供を逃がしても問題ないことをほのめかし、そうした者たちを助けるために必要なことだと言い切る。

 これで徴兵に参加して戦う力を持ったものたちは自分の家族を守るという、命を懸けられるだけの大義名分を得ることになった。

 賛同の声は歓声となり、広場中に集まった熱気が一気に吹き出す。

 どこまでが計算なのか、それとも全て天然なのかは知らないが、やはりネイアが人を扇動する才能に目覚めているのは間違いない。

 それは恐らくクレマンティーヌが布教を続けたことで手に入れた、人の思考を誘導する特別な力と同種のもの。

 まだまだ拙い話術や演出でここまで人を乗せることができたのも、その力によるところが大きい。

 それだけに残念だ。

 

(絶対勝ち目無いし、ここで全滅か。あーあ)

 

 グスターボから聞かされた亜人軍総大将の力は、明らかに人が想像できる範囲を超えている。

 グスターボを始めとしたこの都市の軍士たちはそれが誇張された表現であり、城門を破壊したのも何か特別な魔法やマジックアイテムなどの力によるものだと信じているようだが、クレマンティーヌは前職柄、そうした逸脱した力を持った者が実在していることを知っている。

 いくら伝説の武器やマジックアイテムだろうと、それは扱う者の力量に左右されるものだ。

 

 つまり、その亜人の総大将は、最低でも英雄級、いや。逸脱者級の実力を持っているに違いない。

 そんな相手が強力な武器を持ち、十万の亜人を率いているとなれば、グスターボたちに勝ち目はなく、カリンシャの城門は簡単に突破されることとなる。

 

(ネイアはもったいないけど。私も自分の命が一番大事ってね。悪いけど、逃げさせてくれよ」

 

 途中から心の中で考えるだけではなく、声となって出ていたが、流石にこの大歓声の中では聞こえてはいないだろう。

 歓声を受けながら嬉しそうに何度も頭を下げているネイアから目を背け、クレマンティーヌはその場からそっと立ち去った。

 

 

 ・

 

 

 未だ情報が錯綜して混乱のただ中にある都市内を、ネイアは父譲りの鋭敏な感覚を尖らせながら走っていた。

 慌てすぎているせいか、幾度か人にぶつかりそうになるが、相手はネイアの顔を見ると何も言わずに顔を逸らすため、文句を言われることもなく、余計な手間もかからない。

 

 多くの人の前で演説をしたことで、あのバイザーそのものが覚えられてしまい、素顔の方が逆に目立たないと思ってのことだったが、別の意味で幸いした。

 今は一分一秒が惜しい。

 早くクレマンティーヌを見つけださなくてはならないのだから。

 

 逃げさせてくれよ。

 

 ネイアが壇上で聞いたあの言葉。

 群衆の歓声に混ざって聞こえたその声は、普段とはまるで違う雰囲気、声色だったのにも関わらず、ネイアにはそれがクレマンティーヌの声であり、なおかつ彼女の本音なのだとすぐに分かった。

 

 正直、驚きよりもああ、やっぱり、という思いの方が強かった。

 別に彼女のことを疑っていたわけではない。

 体が弱いと言ったことも、だから訓練には出ず、いつも日の光を避けるためにフードを被っていることも、すべて本当のことだと信じていた。

 

 けれど、彼女にはいつも小さな違和感が付きまとっていた。

 他国で生まれ、家族も亡くして天涯孤独、そんな彼女が知己もいない聖王国に来たこともそうだが、なにより、現在の聖王女が掲げる弱者救済の恩恵を受けようとしないことだ。

 現在の聖王女が即位してからの政策は、生まれながらに体の弱い彼女のような人を救うためのものも多い。

 

 なのに彼女はそうした自分にとって有利な政策に真っ向からぶつかるネイアの掲げた正義に感銘を受け、より多くの人に布教している。

 もちろん、そうした政策の恩恵を受けることで、己が社会的弱者であると認識してしまうことを嫌がり、あえて反発する者もいるだろうが、ネイアの知るクレマンティーヌはそうしたタイプではない。

 

 体の弱い彼女を気遣って周囲の者たちが手を貸すと、それを感謝と共に素直に受け取り、その上で自分にできる限りの恩返しを行う。

 そうした謙虚さに周囲の者たちは、また彼女に手を貸して、更に人の輪を広げていく。

 それがクレマンティーヌという聖女がごとき慈悲深さを持った女性の力。

 

 だが、それはネイアの信じる強さを前面に置いた理念ではなく、聖王女の正義の下で一番力を発揮するものだ。

 クレマンティーヌがそのことに気づいていないはずがない。

 それなのに、彼女は王都を離れるときもネイアに付いてきてくれた。

 そのことがずっと心のどこかに引っかかっていたのだが、それを指摘することで姉も同然の彼女が自分から離れていくのが怖かったため、ネイア自身見ない振りをしていたのだ、と今更気づかされた。

 

 けれど、それも終わりだ。

 演説を終えて、ネイアたちが一度準備を整えるために宿に戻ったとき、既にクレマンティーヌの姿はなくなっていた。

 仲間たちはまだそのことに気づいてない。

 

 いや、無条件でクレマンティーヌのことを信じている彼らは、彼女が都市の各地にいる団体の仲間たちに声を掛けて回っているのだと勝手に推測していたようだが、あの言葉を聞いていたネイアは彼女がこの都市を離れるために動き出したのだと分かって、慌てて宿を飛び出したのだ。

 

 この都市は広いが、彼女の行き先には見当が付く。

 既に準備のできた非戦闘員が、亜人軍が迫っている城門とは逆の、西側の城門から都市外に移動を開始している。

 そこに紛れてこの都市を出ていくつもりだ。

 

 ようやく西門付近にたどり着くと、そこにはネイアの想像以上に多くの人たちが集結していた。

 基本は非戦闘員、つまり子供や老人などだが、中には父親も含めた家族全員で出ていこうとしている者たちの姿もある。

 グスターボは訓練を受けた者は基本的に参加させると言っていたが、今のところ国家総動員令が正式に発令した確証もないため、逃げるのならば今のうちだと思っている者も多いのだろう。

 それは仕方のないことだし、ある意味ではネイアの力不足によるものでもある。

 思わず彼らから身を隠すように、道の端に移動して壁に背を預けると、突然その背後、建物と建物の間にある細い路地の奥から声が掛かった。

 

「そんな隠れなくても。気にしなくて良いよ。ネイアは良くやってるってー」

 

 おどけたような口調の声。

 そんな話し方をしているのは一度も聞いたことのないが、直ぐに誰のものか分かった。

 

「クレマンティーヌさん……っ!」

 

 振り返ると、そこにいたのはやはりクレマンティーヌだったが、少なくともネイアの知る彼女からはかけ離れた姿だった。

 フード付きのマントはいつもの白ではなく、薄暗い路地裏に溶けるような漆黒のものに変わり、口元に浮かんでいるのは慈愛に満ちた聖女のそれではなく、肉食獣を思わせる凄惨な笑み。

 なにより煌めくような紫の瞳は、どこかこの状況を楽しんでいるように見えた。

 好奇心も孕んだその瞳は、壇上と先ほどとで二度聞いた、粗暴で軽快な言葉遣いにも良く似合っている。

 

 その姿を見て、ようやくネイアは確信することができた。

 今までネイアが見ていた、慈愛の聖女の姿は偽りであり、この姿こそが本当のクレマンティーヌなのだと。

 

「あんな小さな声聞き取るなんて、お姉さんちょっと驚いちゃった。過小評価してるつもりはなかったんだけどなー」

 

 確かにあの混雑の中でクレマンティーヌの声が聞き取れたのは父譲りの聴覚によるものだが、ネイアとてすべてが聞き取れるわけではない。

 あくまで、演説に気後れしていたネイアが、クレマンティーヌを心の支えにするために演説をしながら意識を彼女に集中していたからこそだ。

 けれどそれは言うつもりはない。

 言ってしまったら、ネイアがここにきた目的を果たせなくなりそうだ。

 

「クレマンティーヌさんの声が良く通るからですよ」

 

「んー。美声も考えものってところかー」

 

 おどけたままそう言ったクレマンティーヌは、一瞬周囲に目を配らせたてから僅かに声を低くして本題に入った。

 

「で? なんの用? 聞いていたなら分かってるよねー。これが本当の私。慈愛とか聖女とか、正義とか。そんなものに興味ないんだよね。ただ安全な隠れ蓑が欲しくてアンタたちを利用しただけ。けど、もう安全でもなくなったからここで手を引かせてもらう。それだけ」

 

 つらつらと言葉を重ねている様が、どこか言い訳をしているように見えるのは、ネイアの願望がそう見せているのだろうか。

 彼女自身、今の状況に納得しきれていない。そう思いたいのかもしれない。

 だからこそ、ネイアは予定通り考えていた言葉を告げる。

 

「分かってます。クレマンティーヌさんはこのまま逃げてください」

 

 クレマンティーヌの言葉を遮って告げたネイアに、彼女は一瞬目を見開いてから、スッと瞳を細める。

 そうしているとますます野生動物のようだ。これは警戒の色だろうか。

 

「……言われなくても逃げるけどさー。いいの? せっかく都市が纏まりかけたのに。強くなって力を正しく使うことこそが正義って団体の広告塔だった私が逃げたなんて知られたら、あれがもっと増えるかもよ」

 

 あれ。と言いながら指さすのは先ほどネイアも見ていた、都市を脱出しようとしている者たちだ。

 確かにクレマンティーヌはその献身的な奉仕と、熱心な布教、二つの活動によってこの都市に来ていくらも時間の経たないうちにある種、団体の顔を超え都市の顔となるほど名が知られている。

 

 少なくとも団体の頭首でありながら、常にバイザーで顔を隠しているため、顔なしと呼ばれているネイアなどより遙かに影響力は強い。

 彼女が戦えないことは皆が知っていたが、それでも逃げ出すようなことはせずに、都市に残って後方活動に殉ずる。

 団員も含め、彼女を知る者は誰もがそう考えているに違いない。

 そんなクレマンティーヌが皆を見捨てて逃げ出せば、ただでさえ混乱の中にあるカリンシャに大きな衝撃となって広がり、脱走者をより増やす結果となる。

 そんなことは分かっている。

 だから、ネイアはここにきたのだ。

 

「はい。ですからクレマンティーヌさんは、自分の意志で都市を出るのではなく、頭首であるこの私の命令で無理矢理この都市から追い出すんです」

 

「どゆこと?」

 

「モンタニェス副団長には悪いですけど、亜人の首魁はきっと誰にも止められない」

 

 この都市に残った軍士は指揮を執るための僅かな人員を除き、ほぼ全て亜人の首魁を討つための特攻隊に参加する。

 その中には聖騎士団副団長のグスターボも含まれている。

 数千を超える軍士が一丸となってただ一人の敵を討つために動くのだ。

 如何に亜人軍の首魁とはいえ、時間をかければ討ち取るか撤退させることはできる。

 

 皆そう考えているのだろうが、ネイアは違う。

 確かに数は大きな力となりうるが、父を含めた中央砦の精鋭を倒して、城門を突破したその力は本物であり、そうした本物の力の前では数など何の役にも立たないことを知っていた。

 きっとグスターボたちは勝てない。

 

「だろうね。私も知ってるよ、ああいう桁を凌駕した化け物。そんな奴が攻めてくるんだから、この国はもうおしまい。聖王女も高位の信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしいけど、勝てるわけ無いでしょ。死にに来るようなものだよ」

 

「だから、貴女にお願いするんです。貴女にこの都市を出て聖王女陛下を止めて欲しい」

 

「止めるって。私にどうしろっていうのさ。国のトップが私なんかに会うわけないでしょ」

 

 その台詞は想定内だ。

 ネイアは腰に差していた短剣を抜いて、クレマンティーヌに差し出した。

 

「私が母から貰ったものです。聖騎士団の紋章が刻まれていますから、これを見せれば母は話を聞いてくれるはずです。そして母に頼めば聖王女陛下まで話を持っていくことはできると思います。慈悲深い陛下ならクレマンティーヌさんがいつもの調子で願い出ればきっと会ってくれますよ」

 

 母や元聖騎士の団員から聞いた聖王女の姿が事実なら、クレマンティーヌがいつもの聖女然とした演技のまま、カリンシャから逃げてきた者として会いたいと望めば謁見はしてくれるはずだ。

 聖騎士団側もカリンシャの詳しい情報が知りたくて仕方ないはずなのだから。

 

「……まぁ。丸腰は困るから、これはありがたく受け取るけどさー。そもそも、私の言葉なんかで軍を動かせるはずが──」

 

 少しの間、ネイアの差し出した短剣を見つめていたクレマンティーヌだったが、やがて短剣を手に取りながら告げた台詞をネイアは遮った。

 

「出来るんじゃないですか? 貴女なら」

 

 ネイアの言葉を受けて、クレマンティーヌは一度瞳を見開いてから、感心したように口元を持ち上げた。

 

「ふぅーん? それも気づいてたんだ。ま、そりゃそうか」

 

 クレマンティーヌは一人で納得しているが、正確にはこれも先ほど気づいたことだ。

 クレマンティーヌの本性を知ったことで、今まで何となく疑問に思っていたことが全て繋がったのだ。

 

 その一つが、元聖騎士の彼ら。

 ネイアは聖騎士の狂信ぶりについて良く知っている。

 母だけが特別なのかと思っていたが、父に言わせると聖騎士は皆、母と同レベルとは言わずとも誰もが狂気じみた信仰心を持っているそうだ。

 先ほどのグスターボとの会話を見ても、彼らはまだ聖騎士としての誇りを持ったままに見えた。

 その聖騎士が、たとえ熱心に布教を続けたとはいえ、あっさりと団を抜けて、ここまで付いてきたこと自体おかしなことだったのだ。

 

 その信仰心を変えるほどの何か。それはきっと言葉や行動ではない、もっと別の外的要因。

 つまり、クレマンティーヌは何らかの方法で彼らの思考を誘導して、仲間に引き込んだ。

 魔法や特殊技術(スキル)の中にはそうした力もあることは父から聞いている。

 少々思うところはあるが、正しいとか間違っているとか、そんなことはこの国が生き残ってから考えれば良い。

 改めてクレマンティーヌを正面から見据る。

 

「その力で、私の代わりに私たちの教えを、聖王女陛下をはじめとした聖王国に皆に伝えてください。今度こそ、貴女が頭首として」

 

 何度となく断られてきた言葉を繰り返す。

 ただし今度はネイアが責任から逃げるための懇願ではない。

 

「これは現頭首である私からの命令です」

 

 自分たちの正義が残ってくれれば、聖王国はまだ戦える。

 これにともない、ネイアたちの仕事は本軍が到着するまでの時間稼ぎではなく、その逆。つまりクレマンティーヌが聖王女と接触し、彼女たちが反転して王都かプラート辺りまで引き返す時間を稼ぐことになる。

 ネイアも含め、カリンシャの住民の殆どは殺されるだろう。

 それを理解した上で民衆に隠したまま戦いに扇動する。

 ネイアの決めた覚悟には、そうしたものも含まれている。

 

 きっと今回ばかりはクレマンティーヌも頷いてくれる。

 感情的なことだけでなく、これは彼女にとっても利となるのだから。

 

 城門が破壊され、いつアベリオン丘陵から亜人の援軍がくるかも分からない危険地帯となった場所を抜けて王国まで逃げることなどできず、安全な場所に行くには船を使うしかないが、国家総動員令が発令された今、出航も制限されている。

 聖王国軍に持ちこたえて貰わなくては、国外に逃げ出すこともできないはずだ。

 ネイアの言葉に、クレマンティーヌは今度こそネイアも初めて見る満面の笑みを浮かべた。

 

「クレマンティーヌさんっ!」

 

 良い返事が聞けると確信して喜ぶネイアにクレマンティーヌはその笑顔を維持したまま、きっぱりと告げた。

 

「誰がするかよ。そんな面倒なこと」

 

 

 ・

 

 

 記録していた転移ポイントである聖王国の城壁南側にある森を抜け出した悟たちは、一番近くにある大都市までの道を教えて貰うため、確実に人がいることが分かっている城壁の砦を目指していた。

 飛行用のアイテムを使ってもいいのだが、これは一つしかなく、ハムスケを抱えて運ぶのも面倒であるため、これも旅の醍醐味と徒歩でのんびりと移動を続け、ようやく城壁が遠目に確認できるようになったところで、一番近くにある城壁の小砦の挙動が慌ただしいことに気がついた。

 

「なんだか騒がしいでござるな」

 

「ああ。なんか俺たちを見て騒いでないか? 狼煙まであげて」

 

「ハムスケを見たからじゃないかな? 亜人の中には騎乗魔獣を使う種族もいるからね。それに間違われているんだよ」

 

「そ、それがしのせいでござるか?」

 

 サトルの足下からハムスケが不安げな声を出す。

 それを落ち着かせるように軽く頭をなでてやりながら、サトルはわずかに首を傾げた。

 

「しかし、俺たちは城壁の内側から来たんだぞ? あの城壁が出来てから亜人は聖王国に入ってこないんじゃなかったのか?」

 

「だから余計に慌てているのかもね。サトル、念のために幻術で顔を作っておいた方が良いかも知れない」

 

「待て待て。それなら先ず着替えないと。せっかく鎧を着込んだというのに」

 

 コンプライアンス・ウィズ・ローは本来ワールドチャンピオンしか装備できない特別な鎧のため、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)の魔法で無理矢理装着している。

 

 戦士化の魔法を使っている間は他の魔法を使用出来ない。

 そのため、ツアーと旅をするようになってからは魔法も使えるローブと仮面を基本としていたが、今回は例の森の中で助けた親子を捜す意味でも、鎧姿の方がいいだろうと、わざわざ装着しなおしたばかりだった。

 速攻着替えのデータクリスタルの入ったローブなら一発で着替えられるとはいえ、既に注目を集めている現状でそんな目立つ真似をする訳にも行かない。

 隙を作らなくては。と改めて小砦に目を向けなおすと、どうにも様子がおかしいことに気がつく。

 

 城壁には一定間隔で小砦が存在し、そこは他の城壁より少し高く飛び出しており、見張りがしやすくなっているのだが、サトルたちからもっとも近い場所にある小砦の城壁上に多くの兵士たちが姿を見せ、その中の一人に至っては、鋸壁に足を掛けて必死にこちらに向かって何か知らせようとしているように見えたのだ。

 

「俺たちのことを敵だと思っている感じでもなさそうだな。なんかケガ人が多いようだし、やっぱり襲撃があったばかりで警戒してるのか? まだこの辺りに亜人が潜伏しているとか」

 

 目を凝らしてみようとするが、流石にこの距離では見えない。

 アンデッド特有の能力として闇視(ダークヴィジョン)があるがこれはあくまで暗闇でも昼間のように見通すことが出来るだけで、視力が良くなるわけではない。

 鷹の目(ホークアイ)や完全視覚などの別の魔法で補うことは可能だが、これも戦士化の魔法を使っている今は使用できない。

 

「私が見てみるよ」

 

 ツアーがじっと目を凝らすような動きを見せるが、この鎧はあくまで操っているだけなので、今頃あの洞窟中で本体がそうした動きをしているのだろう。

 巨体のツアーが必死になって目を凝らしている姿を思い浮かべると、こんなときながら少し面白くなる。

 

「……サトル」

 

 そんなことを考えているのが読まれたのか、ツアーが少し低い声を出したことで、悟は慌てて咳払いを入れ、平静を装いながら応えた。

 

「んんっ。なんだ?」

 

「サトルが助けたのってどんな人だった?」

 

「ん? 前にも話しただろう。森の中でキャンプをしていた三人家族だ。両親と娘が一人。母親の方はあまり覚えていないが、父親と娘がよく似ていた。特に目つきがな」

 

 思っていなかった質問だが、こちらの動揺を悟られないように、聞かれてもいないことを細かく説明する。

 するとツアーは、うーん。と一つ唸り声を入れてから悟を振り返った。

 

「それって。こう目端が吊り上がって黒目が小さい」

 

「そうそう。まさにそんな感じの殺し屋みたいな……ん?」

 

 説明しているツアーの指先が砦の上に立って手を振っている男に向けられていることに気づき、悟はようやくツアーがなにを言いたいのか理解した。

 

「思ったより早く見つかったでござるな」

 

 まだ遠くて顔までは判別できないが、男が業を煮やしたがごとく、鋸壁から身を乗り出してこちらに降りてこようとして、それを別の誰かに止められているのだけは分かった。

 

「……せっかく道中を楽しもうと思ったのにな」

 

 悟の口から思わず恨み言が漏れ出たが、その言葉に世界の守護を第一に考えるはずのツアーが、同意するように頷いてみせたのは少し意外だった。




ちなみに最後南側の砦にパベルが居たのは、中央砦でセバスに敗北後、無傷だった南北の砦の兵力を集めて亜人軍を追いかけることが決まったため、その軍を再編している途中だったからです

次の投稿は年明けの二週間後になる予定です
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