彼女が性格破綻者になったのは、生まれつきのものではなく後天的な要因によるものらしいので、命を救われその後ネイアのような真っすぐなタイプと接していれば多少は性格が矯正されるのではないだろうか。と思ってできた話です
カリンシャが目視できる距離まで進軍した亜人たちの前に、一万弱の軍がひとかたまりとなって待ちかまえていた。
場所はカリンシャの東側城門前。
城門の守りを固めるのは定石ではあるが、不自然なのはそれ以外の兵がすべて城壁の上に配置されていることだ。
「想定以上に兵が多いようですね。いえ、あれは民兵でしょうか」
デミウルゴスからの報告では、この都市の正規軍の数は万にも届かないと聞いていたが、四方すべての城壁の上に待機している者たちだけでも、表に出ている軍より遙かに多い。
身につけている装備や、隊列の組み方などを見るに、セバスたちの前に立ちふさがっている一万弱がカリンシャの正規軍であり、城壁の上にいるのは都市内から集められた市民で組織された民兵と考えるのが自然だ。
つまり貴重な専属の軍士を前線に出していることになる。
あの程度の数では十万を超える亜人軍の足止めもできないのは、分かりきっているはずなのだ。
それでもなお正面から戦いを挑むというのならば、狙いは明白。
「私一人を狙うつもりですか」
確かにセバスさえ止めることができれば、他の亜人たちに個人で城門を破壊する術はないため、上にいる民兵だけで籠城することが可能だ。
つまり、現地の者たちの常識からはかけ離れた力を持つ、セバスの情報を正確に伝達できていることになる。
この世界に於いて
そんなやり方で、セバスの力や亜人軍の進路と到達時間の予想をほぼ完璧に近い形で伝えて準備を整えていたことにセバスは感心を示しつつも、顎先に指を持っていき思案を開始した。
(しかし、この分では非戦闘員はすでに逃がしたと考えるべきでしょうね)
この作戦でデミウルゴスからセバスに出された注文は、エ・ランテルに配置する予定の亜人軍は元より、聖王国側の戦力もできる限り消耗させずにそれ以外の非戦闘員を中心として虐殺を行うことで、抵抗する力は残しつつ怒りの矛先を亜人に集中させて、周辺国家同盟への参加を促すというものだ。
よって本来は非戦闘員が居ないのなら、カリンシャを無視してそちらを追いかける必要があるのだが、現在聖王女率いる本軍がカリンシャに向かっているという報告も入っている。
逃げ出した非戦闘員はそちらと合流しようとしてるはずだ。
先に合流されると、亜人軍と聖王国本軍が戦いになってしまい、戦力の温存や周辺国家同盟参加への決定権を持っている聖王女の身にも危険が及ぶ。
追いかけるのは得策ではない。作戦を変更させる必要が出てきた。
(あの城門にいる民兵を全滅させれば、納得させられますかね)
本来の予定では、まだ準備の整っていないカリンシャに、十万の亜人軍全員で強襲を仕掛け、周囲を取り囲んで住民を逃げられないようにした後、セバスが城門を破壊して一気に制圧する予定だったが、ここまで念入りに準備されている状態で突撃しては、セバスはともかく亜人軍に大きな損害が出る。
そうさせないためには、要塞線の城門を破壊したとき同様、セバス自身が突出することで突破口を開かなくてはならない。
あちらの狙いもセバスだけである以上、己が突出すれば兵たちは一斉にこちらに向かってくるはずだ。
たとえ一人でも階層守護者にも匹敵するセバスの実力を以てすれば、一万弱の兵士など障害にもならない──多少時間は掛かるだろうが──その後セバス自ら弱者である城壁上の民兵を手に掛ければ、自身に掛けられている嫌疑を晴らすことにも繋がるはず。
そこまで考えて、はたと気づいた。
(まさか、初めからこうなることを見越して?)
デミウルゴスから渡された計画書には、様々な状況を見越した予備プランが記載されていたが、ここまでは全て第一候補のプラン通りに進んでいた。
しかし、ここに来てセバスが直接手を下さなくてはならないプランに変更する必要が出てきたのは偶然とは思えない。
初めから、デミウルゴスはこうなることを予測していた。
長い間亜人と戦い続けた聖王国ならば、セバスたちが到着する前に準備を整えることは予想できたが、あえてそれを隠した計画書をセバスに渡したのではないか。
その理由も明白だ。
セバスに覚悟を決める時間を与えさせないためだろう。
既に力無き亜人たちの助けを無視するという形でセバスは創造主から与えられた正義を裏切っていたが、デミウルゴスはそれが初めから決められていた流れだったからこそ、事前に覚悟を決めることができたのだと考え、今度は時間も与えず、セバス自身が直接手を汚すやり方で、主への忠誠を示せと言っているのだ。
今後主に迷惑が掛からぬよう、セバスに掛かっている嫌疑を払うのが目的なのは言うまでもないが、個人的にセバスのことを嫌っているデミウルゴスの嫌がらせも混ざっている気がする。
(全く。嫌な奴だ)
口の中で言葉をかみ殺してから、セバスは強く拳を握りしめた。
こんなやり方をせずとも、セバスは主に謝罪をさせてしまうなどという大罪を犯した時点で、己の正義を殺し、自らの本分を全うすることを決めているというのに。
セバスの影にいたデミウルゴスの配下である
「さて。参りましょうか……」
そこには覚悟はあっても、気負いはない。
今はただ、主のために。
未だ胸に巣くう創造主から受け継いだ呪いにも似た感情を抑え込みながら、セバスは足を進めた。
・
この世に神がいないことを理解したのはいつだったか。
幼い頃から優秀すぎる兄と比べ続けられて親の愛情を一切感じなかった頃からか。弱かった頃に輪されたときか。友人が目の前で死んだときか。数日に渡って拷問を受けたときか。
もうよく覚えていない。
ただ、確実なのは、第一位階とはいえ信仰系魔法が使えるようになった今でも、クレマンティーヌはこの世に神など存在しないと思っていることだ。
確かに魔法を使うとき、傍らに大きな力の存在を感じる。それは事実だ。
けれどそれを神と呼ぶつもりはない。
もし、それが神であったとすれば、奴はクレマンティーヌが助けを願ったときも、何もせず、ただ傍でそれを見ていたことになるのだから。
そんな存在が神であるはずがない。
どちらかと言えば、悪趣味な邪神や悪魔と呼ぶべき存在だ。
これが六色聖典の隊員の中でも特に信仰心の強い自らの兄であれば、それも神の試練だ。などと言ってありがたがるかもしれないが、少なくともクレマンティーヌは何の役にも立たない存在に信仰を捧げるつもりなどない。
回復魔法は役に立つので存分に利用するが、それは神の恩恵などではなく、クレマンティーヌが自分で得た力だからに他ならない。
結局のところ、最後に頼れるのは自分の力だけなのだ。
そんなことを考えながら、ふとネイアの願いを断ったときのことを思い出す。
クレマンティーヌの返答を聞いたネイアは一瞬悲しそうな顔をしたが、それ以上食い下がることはなく、そうですか。と一言残してその場を離れていった。
城門を単独で突破する敵の首魁と十万の亜人。
対してこちらの兵力は無駄死にする事が確定している正規兵一万弱と、まともに戦ったことのない民兵ばかり。
こんな戦力差で聖王女が現れるまで最低でも二日。
持つわけがない。
そもそもネイアもそうした規格外の化け物の存在を知っているのならば、さっさとこの都市を脱出すれば良い。
聖王女の説得に関しても、ネイアはクレマンティーヌと同じ洗脳の力に目覚めているのだから自分でやればいいのだ。
効率を考えれば、団員を引き連れてこの都市を脱出した後、聖王女に謁見して王都に連れ帰る。
これが最善であり、最も多くの人を助けることができる方法だ。
クレマンティーヌが聖王女の説得──あるいは洗脳──を断ったことで、ネイアも他人に頼ることの愚かさに気付き、そちらに舵を切るかと思ったが、どうやら彼女には扇動者としての才はあっても、人の上に立つものとしての才はないようだ。
死ぬことも責任の一つである国王や皇帝ならばともかく、組織の上に立つ者は生き残ることが何より大事な仕事だ。
ネイアが祖国のことを思い、教団の教えを聖王国全土に広げようとしていたのならなおのこと。
場合によっては教団の中枢メンバーを犠牲にしてでも、自分だけは生き残らなくてはならない。
それを選べない時点でネイアでは、これ以上教団を大きくすることはできなかったかも知れない。
そう考えると、やはり自分の決断は間違っていない。
そうに決まっている。
だと言うのに──
「何で私はまだここにいるんだ?」
戦いが始まり、都市外から聞こえる野太い叫び声と、城壁の上からそれを見守る民兵たちの姿を尻目に、クレマンティーヌは自嘲気味に笑った。
ネイアと別れて直ぐに都市を出なかったのは、彼女にクレマンティーヌが逃げ出したという情報を流されると、非戦闘員に紛れて逃げるのが難しくなるからだが、そもそも以前より弱くなったとはいえクレマンティーヌの実力なら──例の桁外れの力を持った亜人の首魁さえ相手にしなければ──単独で王国まで逃げ延びることは可能であり、そのためにも本当に亜人軍がカリンシャに向かっているのか直接確かめる必要がある。
そう考えて今まで都市内に潜伏していたのだが、敵の首魁を含めた亜人軍の姿を肉眼で確認できる状況になっても、まだクレマンティーヌはここを動けずにいた。
敵が都市内に侵入してからでは遅い。これが最後の機会だ。
もっと早く出ていくべきだったのは間違いないが、城門が破壊されていない今ならばまだギリギリ間に合う。
敵が集まっている東側以外は警備も手薄になっているため、自分一人くらいならば逃げ出すことはできる。
クレマンティーヌにとって、自分の命こそ何より優先すべきもの。
以前は自分の強さに自信を持っていたが故に、多少の危険ならば自ら首を突っ込んでいたかも知れないが、数頼りの格下と侮った風花聖典に一度殺されてからは、そうした驕りもなくなり、危険を感じたら直ぐ逃げるように決めていたはずだ。
そこまで理解していてなお、クレマンティーヌの足は動かない。
それどころか、全く逆のことを考えていることに気付き、薄々感じていた一つの可能性が思い浮かぶ。
信じたくはなかったが、そうとしか考えられない。
「まさか、私があの娘に洗脳されるとはねー」
こちらの意志を無視して思考が誘導されているのは、ネイアの持つ洗脳の
やれやれと首を回しながら、目的地を変更して歩き出す。
都市から逃げ出そうとしていたときは、全くと言っていいほど動かなかった足が軽くなり、あっさり目的地に向かって進み出したことで、やはり今までの葛藤は洗脳によるものだったのだと確信した。
聖騎士を始めとした説得の難しそうな連中を、教団に引き込む際に使用したときは、相手は思考を誘導されていることにも気づいていなかったが、こうして理解できているのは、クレマンティーヌ自身が同じことができるためか、それとも単純に精神操作への耐性があるからだろうか。
どちらにしてもこれなら、自覚できない方がマシだった。
「ま、ここで敵の頭をぶっ殺せば、聖王女の説得なんて面倒なことやらずに済むってね」
出来もしない軽口を叩きつつ、クレマンティーヌはこれまで隠れていた人気のない裏路地を抜け出す。
ずっと暗いところにいたせいか、太陽の光が妙に眩しく感じられた。
誰にも見つからずに目的地である城門の真上にある壁までたどり着き、都市をぐるりと取り囲む城壁内の高い位置にある物見台から戦況を確認すると、既に戦いは佳境にあった。
特攻に出た一万弱の軍士はもう殆どが倒れ、悲鳴にも似た声は弱くなっている。
反対に城壁から必死に矢を打つ者たちの来るな来るなと叫んでいる声は強く大きくなる。
クレマンティーヌがここに登っていることに気づく者もいないほど、必死な様子を眺めながら、彼女は深呼吸をする。
どうやら、既に大勢は決したようだ。
残り僅かな軍士を皆殺しにして城門が破壊されるのも時間の問題。
(逃げるならここがホントのホントに最後のチャンスだけど──)
周囲を窺うと殆どがバラバラに矢を放つ中、統率された動きを見せる部隊があった。
その先頭に立つのは見慣れた姿。
クレマンティーヌが渡したバイザーを付けたまま、ネイアは矢を絞り声を張る。
「──て!」
彼女のかけ声と共に、魔法の力が篭った矢が纏まって一斉に飛んでいく。
あれほどの数の魔法の矢による斉射。並の亜人ならば当たれば足止めどころか、命をも奪える攻撃だが、当然何の効果もなかったのだろう。
それでもネイアは即座に次の矢を番え始める。
「まだです! もう一度」
桁外れの強者の存在を知っているネイアなら、この時点でもう都市が落ちることも理解しているだろうに。
それでも戦い続ける様は、見ていて哀れなほどだ。
(全く。また誰かが助けにきてくれるとでも思ってんのか?)
かつて彼女を救った、あの純銀の騎士はここにはいない。
そう都合よく、何度も強者が助けにくることなどあり得ない。
神を信じていないクレマンティーヌは、誰よりもそのことをよく知っている。
それを──
「私が、教えてやるよ」
これは洗脳されているから仕方ない。
もう一度心の中で呟いて、クレマンティーヌは物見台の上から飛び降りた。
・
十万の亜人軍を控えさせ、たった一人で一万弱の軍士に向かって来た敵の首魁に、初めの内こそ勝てるはずがない。頭がいかれている。蛮勇だ。などと笑っていた民兵たちもその強さを見ると徐々に青ざめ始めた。
数十数百の兵が何もせずとも、対峙しただけで倒れていく。
何とか倒れずに剣を振るっても軽くいなされ、そのまま紙切れのように宙を舞い、地面に落下する。
囲んでも、数に任せて突進しても、魔法を放っても、全ては徒労に終わった。
相手の足を止めることすらできず、立っている軍士の数は急速に減り続け、敵が自分たちの下に近づいてくる。
かつて見たあの騎士を思わせる圧倒的な力を前に、ネイアは唇を強く噛みしめた。
「バ、バラハさん。近づいてきます! 援護射撃を──」
単独で一万弱の軍士を相手取る桁外れの力を前に、震えた声で弓による狙撃の許可を取ろうとする団員に対してネイアは鋭く言い放つ。
「まだです。今撃ったら、味方に当たってしまいます」
仮面を付けた敵の首魁は城門まで百メートル近くまで迫っていたが、まだ兵も残っている。
訓練を積んだとはいえ、父のような弓の名手でも無い限り、ここからでは敵ではなく味方に当たるのが関の山だ。
それで敵が倒せるなら、味方を犠牲にするのもやむなしだが、ネイアたちの弓では味方を貫通して敵を倒せるほどの威力は出せない。
今はただ機を待つ。
(お父さん)
かつて父に教えられた、自分より格上の相手を討ち取る方法を頭の中で反芻する。
戦っている最中は常に気を張って隙がない。
だからこそ、一時的でも戦いが止まるのを待つ。
その隙を狙い、ネイアたちの班が一斉に矢を打ち込む。
これしかない。
「私が相手の隙を窺います。皆はそれに続いて撃ってください。お願いします。私を信じてください」
ここまでの戦いを見るに、相手にはいくつかの属性に対する耐性があるのは間違いない。
攻撃を受けるときと、避けるときがあるのがその証拠だが、流石にここからではどんな属性の攻撃が効くのかまでは判別できない。
ネイアたちが持っている弓は、都市中から集めた魔法の力が付与された弓矢であり、相手が如何なる耐性を持ち合わせても大丈夫なように様々な種類を用意しているが、あの敵がそう何度も攻撃を喰らうはずもない。相手を確実に撃つためには、ここにいる全員で息を合わせて、全ての属性の矢を同時に打ち込む必要があった。
誰かが勝手な行動を取ってはそれも出来なくなると考えての懇願だ。
「……承知しました。判断はバラハさんにお任せします。皆、わかったな!?」
「はっ!」
頭を下げるネイアを見て、彼らにも落ち着きが戻ったようだ。
五十人の班員たちの声の揃った返事を受け、ネイアもまた一つ頷くと視線を敵に向けなおした。
こちらの攻撃など意にも介さず、悠然と歩を進める亜人の総大将。
どんな相手だろうと必ず隙はある。いや、見つけなくてはならない。
クレマンティーヌがネイアの頼みを拒否して姿を眩ませた以上、ここであの敵を討たなくては、聖王国に未来はないのだから。
「うまく逃げられたかな」
不意にクレマンティーヌのことを思い出した。
あんなに手ひどく拒絶されたというのに、ネイアは未だ彼女のことが嫌いになれない。
今にして思えば、ネイアの頼み自体、無茶な要求だったのだ。
聖王女を洗脳などして、もしバレでもしたら彼女の両翼と謳われる聖騎士団長と神官団長にどんな目に遭わされるか分かったものではない。
断られて当然だ。
誰だって自分の命が大事なのだから。
だが、その命を擲ってでも生まれ育った祖国を守りたいと考える者たちもいる。
母のような聖騎士や、父のような軍士。
今現在あの化物と戦っている彼らもそうだ。
けれど、その決意はなにも彼らだけの特権ではない。
ただの一市民でも同じことができるはず。
そう考えたからこそ、これまで訓練を重ね、仲間を集めてきたのだ。
先陣を切って戦っている軍士たちが蹂躙されていく様から目を逸らさずに、じっと敵の総大将に意識を集中する。
やがて、そのときは訪れた。
残り僅かな軍士たちも倒れ、最後に残った見覚えのある男が魔法の力が込められた剣を振るうが、その剣ごと吹き飛ばされる。
ついにその場に立っている人間は一人もいなくなった。
「う、うわぁ! 来るな! 来るなぁ!」
そんな様子を見ていた一人の民兵が、とうとう耐え切れなくなり、叫びながら無我夢中で矢を放つ。
まともに狙いも絞れていない矢は、見当違いの方向に飛んでいったが、周囲にもそのパニックが伝播して城門の上に集まっていた殆どの民兵が矢を放ち、投石紐による投石を行い始めてしまった。
中には本来城壁に敵がとりついた際に、真下の敵に使用する火炎壷を投げ落としている者までいた。
一斉掃射ではなく、狙いもバラバラだが、これだけ撃てば流石に幾つかは敵に向かって飛んでいく。
地面に叩きつけられた石が砂埃を舞い上げ、地面に落ちた火炎壷の煙が流れて男の姿を隠してしまった。
それを見た瞬間、ネイアは立ち上がった。
砂埃と煙によって視界が遮られてしまったが、これは同時にチャンスでもある。
正確な狙いは付けられなくなるが、魔法の弓の弱点は、放たれた矢の軌跡がそれぞれに付与された魔法ごとの色が付くことだ。
放たれた矢を見てから避けることなど不可能に近いが、相手がそれをこともなげに行っているのは軍士たちとの戦いで確認している。
せっかく複数の魔法が付与された矢の集中砲火を放っても避けられては意味がない。
ならば、砂煙で相手からもこちらが見えない今こそが好機。
「──て!」
一瞬で狙いを定め、ネイアたちの班が一斉に矢を放つ。
他の者たちが放った弱々しく弧を描いて飛んでいく矢とは異なり、一直線に相手に向かって突き進む魔法の矢の雨。
全てとはいかずとも、半分でも当たってくれれば。
次の矢をつがえることは忘れずに、煙が晴れるのを待つ。
「……え?」
煙が晴れた後、首魁の体には一本の矢も突き刺さってはいなかった。
外れたわけではない。
全ての矢が地面に転がっていたのだ。
(飛来物に対する防御能力!? でも魔法の種類だけじゃなくて、鏃も銀や鉄のを混ぜて使ったのに。それが一つも効かないのなら──)
飛来物全てに対して、無効化する力があるのではないか。
それはつまり、ここからどんな攻撃を放ったとしても無駄だということを指していた。
しかし、それでもネイアは諦めない。
「まだです! もう一度」
軍士たちとの戦いでは、攻撃を躱す場合もあった。
どんな武器でも防ぎきるならそんなことをする必要はない。
回数や時間などの制限があるはずだ。
二射目を放とうとした瞬間、互いに仮面とバイザー越しだというのに、相手と視線が交差したことに気が付いた。
(私たちに気づいている!?)
それでも、撃つしかない。
もう一度発射のかけ声を出そうとした瞬間、ネイアの耳元に声が掛かる。
「退いてな」
声と共に、ネイアの真横を
・
ネイアを含めた市民たちの間を縫いながら城壁を横断し、そのまま地面に飛び降りて敵の前に立ち塞がる。
「ふぅ」
それだけのことで、僅かに息があがっていることに気づき、クレマンティーヌは息を吐いて、呼吸を整えた。
確かに最近まともに訓練などしていなかったが、これしきのことで体力が切れるはずがない。
「どちら様ですか?」
鋼が如き威圧感を内包した声は、年を重ねたもののみが持ち得る深みのある老人のものだった。
再度息を吐く。
息切れの原因は体力不足ではなく、目前の男から感じる圧力によって生じた緊張によるもの。
同時にこの距離で対峙したことで気づいた。
(こいつ。人間だ)
人間と大きさの変わらない亜人もいるが、その場合でもどこかに特徴が出るものだ。
漆黒聖典時代に、亜人を含めた異種族の知識をたたき込まれているからこそ分かる。
ならば、仮面の下の年齢は声の通り老人ということになるが、ただの老人があれほどの強さを持ち得るはずがない。
思いつく可能性と言えば一つだけだ。
「先祖返りのアンチクショウ共と同じタイプか。うわー、やだやだ」
今感じている圧力は六大神の血を覚醒させ、人外領域すら超越した化け物である神人級のもの。
この老人も、六大神や八欲王などの血を覚醒させた存在なのかも知れない。だとすればあのバカげた強さも納得できる。
奴らと同格、あるいはそれ以上の威圧感を前にして、クレマンティーヌと言えど、恐怖に体が支配されそうになる。
「ほう。私と同格の者を知っているのですか?」
「……さぁねぇ」
適当に返事をしながら腰に差していたネイアの短剣を引き抜く。
漆黒聖典時代に使用していた神器はおろか、ズーラーノーンから渡されたオリハルコンのコーティングが施されたスティレットにも届かない、ただの短剣だが、贅沢は言えない。
構えを取るクレマンティーヌを見ながら老人は、どこか楽しげに手を持ち上げた。
「どうやら貴女は一角の戦士らしい。ならば戦士として……殺して差し上げましょう」
言葉の終わりと同時に、老人の威圧感が更に膨れ上がり、クレマンティーヌの全身を打ちつける。
それはかつて訓練で対峙した神人たちをも超えていた。
対してこちらは一度死んで蘇ったことで大きく生命力を落とし、その後ろくに戦士としての訓練もしていないため、身体能力も落ちたまま。
いや、例え自分が全盛期であろうと、こんな化け物に勝てるはずがない。
だが、それで良い。
ネイアも含め城壁の上にいる民衆は、突然現れてたった一人で数千の軍士を打ち倒した化け物と対峙しようとしているクレマンティーヌを、救世主か何かと勘違いしているようだがそれは間違いだ。
彼女は初めから負けるためにここに来ている。
クレマンティーヌの目的は無様に死んで、この世に神など存在しないことを改めて証明することなのだから。
そうすれば、諦めの悪いネイアも目を覚まし、自分が生きるために逃げ出すことを考えるだろう。
そう。この世に神などいない。
目の前の老人や神人のように、神が如き力を持ったものならいるかもしれないが、それは決して神などではない。
かつてネイアを救い、クレマンティーヌを生き返らせてくれたあの純銀の騎士もそう。
彼とて、クレマンティーヌの願いを叶えてくれたわけではないのだから。
集団に襲われ、流れ出る血とともに徐々に体から力が抜けた死の間際。
あの時もクレマンティーヌは、死にたくない。と神に助けを求めた。
今まで自分がしてきたことを考えれば、ただ殺されるだけでは許されず、それこそ彼女が楽しんできたように拷問にかけられても仕方ないと理解していて、それでもなお助けを求めたのだ。
だが結局、クレマンティーヌの願いは神にも、あの騎士にも聞き届けられず、そこで一度命を落とした。
その後生き返らせてくれたことには感謝しているが、それとこれとは別、あれは偶然だ。
奇跡や、まして神の導きなどであるはずがない。
「舐めた口叩くなよ、じじい」
腰を落とし、短剣を構える。
狙いは一つ。
彼女が得意とする全身全霊を込めた刺突。
この手の相手は自分に自信を持っているからこそ、真正面から受けようとする。
死ぬ前に余裕ぶった顔に一撃を入れてやる。
その覚悟を持って、幾つか武技を発動させる。
能力向上。流水加速。疾風走破。
防御系の武技ではなく、全て速度を上げるためのもの。
命を捨てる覚悟はできている。
あれほど生にしがみ付いていた自分があっさりそう思うのだから、洗脳は怖い。
(洗脳、か)
何かに気づきそうになったが、クレマンティーヌはそれを振り切るように小さく頭を振り、さらに腰を深く沈めながら、短剣を握る力を強めた。
「準備はできましたか?」
仮面の老人は、ここに来て初めて拳を握り、構えを見せる。
その拳からは、どれほどの速度で突進してこようと、その前にたたき落とすという強い意志が感じられた。
いや、事実そうなる。
クレマンティーヌがどれほどの速度を出そうと、確実にそれを超える速度で迎撃を受けるに違いない。
「クレマンティーヌさん!」
ネイアの声が背後から聞こえ、思わずそちらに目を向けた。
戦いの場で何をしているのか、と自分自身でもおかしくなるが、相手はその隙をつくような真似はせず、黙って待ちかまえている。
「勝てます! きっと」
何の根拠もない力強い言葉と共にネイアが一つ頷く。
それで、全てを理解した。
彼女は逃げない。クレマンティーヌがここでどれほど無様に敗北しようと、城門を突破されて十万の亜人が都市内に潜入しようと、絶対に逃げない。
(だったら、やるしかねぇだろ。私は洗脳されてるんだから)
ここで、この化け物を殺すしかない。
ネイアの声に反応して、他の民兵も声援を送ってくる。
そういえば、誰かから応援されるなんて初めてのことだ。
誰が何を言っているかも分からないが、ネイアに同調したのか、きっと勝てる。という言葉が多く混ざっているのだけは分かった。
「──どいつもこいつも。私のこと知りもしねぇくせに勝手なことほざきやがって」
言葉を切り、改めてクレマンティーヌは老人に目を向けてから、吐き捨てる。
「てめーもだ。何様のつもりかしらねぇが。この! クレマンティーヌ様が、てめーみてぇな爺に、負けるはずがねぇんだよ!」
激高したかのような叫びは、しかし、怒りではなく、未だ纏わりつく恐怖を振り切るためのもの。
地面を蹴ると同時に、複数発動させた武技が効果を発揮し、さらに身体が加速していく。
放たれた矢の如く空気を裂き、一瞬で老人の懐に入り込む。
最後の一蹴りと共に腕を前に突き出そうとしたその刹那。
複数同時に使用した武技の効果か、それとも別の要因か、クレマンティーヌの視界に映るものが酷くゆったりと動いて見えた。
その中にあってただ一つ。老人の拳だけは、何も変わらずクレマンティーヌを打ち抜かんと直進してくる。
これを食らえば、クレマンティーヌの身体など、いともたやすく穴が空くだろう。
「はっ!」
だからこそ、クレマンティーヌは直前で身体を捻り真横に飛んだ。
相手を完全に騙すため、全ての行動を直進するためのものと思わせてからの変化は、彼女自身でも制御できず、バランスが崩れて身体が横に流れる。
「愚かな」
クレマンティーヌは確かにその声を聞いた。
老人の言葉は事実だ。
無理な方向転換によって身体が軋み、ここから攻撃に移るためには更に一歩踏み込んで、体勢を立て直さなくてはならない。
せっかく相手の虚を突く変化をしても一手動きが遅れるため、その間に老人も拳の軌道修正が可能ということだ。
あのままならば、先に打たれるとしても死と引き換えに一撃くらいならば入れられたかもしれないが、ここからではそれも不可能。
そのことを指して愚かと言ったのだろうが。
「てめーがな」
次の瞬間、クレマンティーヌが先ほどまでいた場所から、一直線に矢が飛んできた。
これこそが狙い。
あの諦めの悪い娘が、クレマンティーヌに全てを託してただ応援などに回るはずがないと信じていた。
「ぬぅ」
矢の一本程度食らっても意味はないのは承知の上だが、武を極めた強者であればあるほど、そうした意識外からの攻撃には、身体が勝手に反応してしまうものだ。
「死──ねッ!」
その隙に改めて地面を蹴り、斜め下から短剣を突き出す。
狙いは素肌が露出した喉元。
毛皮や鱗に覆われているわけでもない、素肌ならば貫くことができるはず。
そう考えた瞬間、ぞくりと背筋に嫌な予感が走った。
(待て。こいつは間違いなく
しかし、その本質はあくまで拳を硬くし攻撃力を高めるためのもの。身体に関してはそこまでの防御力は──
ない。と心の中で言い切るより早く、突き出した短剣が途中で止まる。
間違いなく首に当たったはずの短剣が皮膚で止まり、それ以上押し込めなくなっていたのだ。
仮面の奥の瞳がジロリとクレマンティーヌを見た。
「お見事です」
「嬉しくねぇよ。クソッタレ」
毒突くクレマンティーヌに向かって、再度拳が迫り来る。
(あーあ。ここで終わりか。私としたことがバカなことをしたもんだ)
「クレ──」
ネイアの叫び声が聞こえるが、恐らく彼女が名前を言い切る前に、この拳が彼女を貫くだろう。
(ほら見ろ。神様なんているはずねぇんだ……ざまぁみろクソ兄貴)
最後の最後に思い浮かんだのが、要るはずのない神を信奉してやまない、一番嫌いな兄の姿であったことは不愉快極まりなかったが。
直後、それ以上に不愉快な奇跡が起こることとなった。
「っ!」
突如、自分に向かっていた老人の拳が止まり、同時に後ろへ飛ぶ。
いったい何が。と思う間もなく、先ほどまで老人が立っていた場所に、けたたましい音ともに何かが落ちてきた。
「うそ」
重さを受け止めきれずに地面が割れ、土煙が舞い上がる。
そこにいたのは一人の騎士。
着地の衝撃で身を屈めていたその騎士は、やがてゆっくりと身を起こす。
太陽の光を受けて輝く純白の鎧と、胸にはめ込まれた巨大な青い宝石。
その姿を見て、あれほどの強さを持ち、己に対する自信に満ちていた老人が仮面越しでも分かるほどに狼狽え、恐怖すら覚えているのが見えた。
ゴクリと唾を飲んだのはクレマンティーヌか、それともあの老人の方か。
立ち上がった騎士は、クレマンティーヌと老人それぞれに目を向けてから冷ややかな声と共に告げた。
「どうした? 幻でも見たような顔をして」
そうだ。
クレマンティーヌは心の中で呟く。
これは幻だ。あるいはもう既に彼女は死んでいて、都合の良い夢でも見ているに違いない。
このタイミングで、この騎士が、自分を助けに来てくれるなど、これではまるで──
(本当に神様がいるみたいじゃない)
つい先ほどその存在を否定してみせたはずの神があざ笑うかのごとく、幻であるはずの騎士は言葉を重ねる。
「信じられないなら、触ってみろよ」
一度言葉を切った騎士は、手にした剣を真っすぐに老人に向けながら続けた。
「できるものならな」
その言葉はクレマンティーヌではなく、老人に向けられたものだ。
しかし、そんなことは関係がない。
思わず手を伸ばすと、手のひらに冷たい金属の感触が伝わった。
ちなみに、書籍版の十四巻によると守護者級の者たちが持っている飛び道具を全て無効化できるアイテムは魔法の力が宿っていない物に限定されているそうなので、本来ならネイアたちの魔法の矢では僅かではあっても効くはずですが、十二巻ではパベルが放った魔法の矢をデミウルゴスが無効化していたので、魔法の矢でも無効化するアイテムもあるだろうと考え、ここでのセバスはそれを預かっている設定にしました