時系列は少し戻り、ジルクニフとドラウディロンが会談を行った少し後、まだ聖王国に亜人軍が攻め込む前の王国の話です
第42話 王国最大の障害
足を庇いそうになる己を律し、リ・エスティーゼ王国の王、ランポッサⅢ世は歩を進める。
まだ王家の部屋までは距離がある場所で、弱みを見せるわけにはいかない。
気合いを入れすぎたせいか、いつもより強く足を踏み込んでしまったことで古傷に痛みが走ったが、それでも顔色は変わらない。
在位して四十年。
腐敗しきっていた王国を立て直すため必死に努力を続けてきたが、その道のりは苦難の連続だった。
我慢するのは、もう慣れたものだ。
そして現在、王国はこれまでとは異なった危機に見舞われている。
これまで王国を襲った危機といえば、国内の派閥争いや、隣国つまり帝国からの侵攻といった、敵の姿がはっきり見えた状態での問題だったが、此度の敵は違う。
強大な力を持ったアンデッドを操る集団であり、その正体は未だ不明とされている。
一般的にそうしたアンデッドやモンスター退治は冒険者の仕事であり、王侯貴族は例え自分の領土内で起こった問題だろうと冒険者に丸投げするため、基本的にそうした脅威に無知である。
それはランポッサも、今自分の後ろを付いてきている護衛のガゼフも同様だ。
そのせいで貴族派閥や自分の息子であるバルブロが、強行的な手段を提案してきても──それが自らが手柄を挙げたいだけなのだと理解しつつも──上手く反論できずにいた。
だが、それも一つの手を講じたことで、わずかな光明が見えてきたところだ。
更に力を込めて足を踏み込み、やがて王家の部屋が近づくと周囲から人気が途絶え、ランポッサは足を止めた。
「ガゼフよ」
「はっ」
王であるランポッサは、自分の部屋内にもメイドや執事を常に控えさせている。
特に王宮で働くメイドは貴族の娘が箔付けに来ている者ばかり。どこから情報が漏れるか分かったものではない。
しかし、この廊下ならば護衛のみを連れて歩いていても問題はないため、己の忠臣であるガゼフと内密な話を行うのは、いつもこの廊下となる。
ガゼフもまたそれを理解し、さっと周囲に目を配らせて、こちらに近づく人影などが無いことを確認した。
それを見届けてからランポッサは口を開く。
「此度の件、相手の正体が知れないままでは、情報収集すらままならん」
「……」
なんと答えていいのか分からない、と言いたげなガゼフが口を開く前に続けて言う。
「本来アンデッドが相手ならば冒険者に依頼するのが筋だが、彼らは政治には関わらないとの不文律がある。敵の正体が知れぬままでは、我々からの依頼も受けてはくれないだろう」
相手が単なるアンデッドならばともかく、アンデッドを操る何者かが背後に存在し、それが個人ではなく国家などであった場合、冒険者はその理念故に軽々には動けないのだ。
とはいえ、何の宣言もなしに、それもエ・ランテルの冒険者組合も襲われている以上、少なくとも人間国家が相手とは考えづらい。だが、バルブロを中心とした貴族派閥は冒険者に手柄を取られたくないこともあってか、相手は現在戦争中の帝国に違いない、などと吹聴して回っているせいで、組合も慎重になってしまい、調査依頼を受けてくれなくなったのだ。
宣戦布告もなしにそんなことをしては帝国も外交上大きな痛手を負う以上、その可能性は皆無に近いのだが、確実な証拠があるわけではない。
だからこそ、先ずは敵の正体を確認しなくてはならない。
組合に頼らず、エ・ランテルの情報を集めるのが目下の課題だったのだが、ようやく良い方法が見つかった。
「どのようにして情報を集めるか苦心していたのだが、ラナーから提案があってな」
ランポッサがこれまで苦労していたことを知っているガゼフの顔が一瞬明るくなるも、直ぐに心配そうな顔に変化する。
「ラナー殿下から、ですか」
末の娘であるラナーは頭の回転が速く、独創的で有用な案を思いつく。実際にランポッサも彼女の提案からいくつかの政策を打ち出して成果も上がっているのだが、同時にラナーはそうした思いつきを誰かれ構わず話して回る癖があり、そのせいで形になる前に利権を守りたい貴族や商人などの妨害を受けて、話がたち消えることも多かった。
それを知っているガゼフとしては、有用な方法を思いついたとしても、他の貴族に流れては意味がないと思っているのだろう。
「他の者には言わないようにキチンと言い含めておいたから心配はない」
「い、いえ。私はそのような無礼なことは──」
自分の失言に気づき、ガゼフは慌てて取り繕う。
日頃貴族たち相手に心理戦を行っているランポッサにとしては、これほど分かりやすく表情が変わるのを見ると、むしろ新鮮な気持ちになる。
「よいよい。どちらにせよ、此度の一件は慎重に行動することに越したことはない」
「はっ」
「冒険者を直接国が雇うことはできんが、引退した冒険者を雇い入れることはできるらしい。実際に私兵として雇っている貴族がいるそうでな。その者に調査を頼むことにした」
元冒険者で現在貴族の下で働いている者ならば、アンデッドの強さも正確に測ることができるだけでなく、本来は冒険者では難しい、敵勢力が軍の兵で言えばどれほどの数になるのかも、ある程度予想できる。その結果を以て、貴族派閥とバルブロを説得してみてはどうか、というのがラナーの提案だった。
「なるほど。それでしたら確かに。ですが、そのような方がいらっしゃるとは知りませんでした」
「うむ。それなのだが……ガゼフよ。心して聞いて欲しい」
驚いて声を上げることのないようにと念を押す。
この話が周囲に漏れた場合、この提案が使えなくなるだけではなく、貴族派閥との間に更なる軋轢を生むことになるからだ。
「承知いたしました」
ランポッサの真意を悟り、ガゼフは再度周囲を確認した後、力強く頷いた。
「六大貴族の一人、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵だ」
「なっ!」
両派閥を行き来する蝙蝠と揶揄されている人物の名が上がり、ガゼフは目を見開き声を上げそうになるが、先ほど言ったことを守り、唇を強く噛みしめて驚きを押し殺した。
それを見届けてからランポッサは続ける。
「レエブン侯は元オリハルコン級という、冒険者の中でも高位に属する者たちを子飼いの部下として雇っているそうだ。何より侯の領地はエ・ランテルからも近い。情報収集役としては打って付けだろう」
「しかし、あの御方は──」
「分かっておる。だが、もはや時間がないのだ」
ただでさえ、三国の要所にして貿易の要であるエ・ランテルを抑えられたことで国内外の流通が滞り、経済に影響が出始めている今、都市の奪還は急務。
レエブン侯は信頼できる男とは言いがたいが、計算高く、そして優秀な男だ。そのことにも当然気付いている。
そのレエブン侯ならば、今は貴族派閥よりも王派閥に付いた方が得だと考えるに違いない。
勝算は十分にある。
自分に言い聞かせるように強く思うと同時に、そのことを理解できず、己が手柄を立てることしか考えていない自らの息子の存在を思い出し、思わずため息が漏れた。
「それにしても──我が息子ながら、バルブロはこの状況に何の疑問も抱かんのか」
愚痴をこぼすが、これも結局は自分の責任だ。
バルブロの根拠のない自信や浅慮は、ランポッサが甘やかしていたことが原因なのだから。
どこか領土を与え、運営を学ばせていれば、こんなことにはならなかっただろう。
王国を立て直すことばかりに力を入れていたせいで、息子の教育を疎かにしてしまった。
今更後悔しても遅いのは分かっているが、そう思わずにはいられない。
「……」
流石にガゼフもそれについては発言はせず、廊下に沈黙が落ちた。
せっかく光明が差したというのに、自らそれを閉ざすようなことを口走った自分に苦笑しながら、改めて顔を持ち上げる。
「行くか」
話は済んだ。
あまり長時間廊下に留まっていても怪しまれると、ランポッサはガゼフに一声かけて歩き出す。
「はっ」
今回の件が上手く進めば、バルブロには国内に混乱をもたらした責任をとって貰わなくてはならなくなる。
今から気が重くなるが、それもまた自分の責任なのだと言い聞かせ、重い足を引きずりながら廊下を進み始めた。
・
「ん~。りーたん。ちょっとまっててくだちゃいねぇ。パパンもすぐにいきまちゅからねぇ」
愛しい我が子に全力で応えて部屋を出ていくのを見送った後、いつもならそんなレエブン侯を冷めた目で眺めている妻が若干心配そうな顔をしていることに気づき、安心させるように一つ頷くと、ようやく妻も安堵したように微笑を返し、息子を連れて部屋を後にした。
名残惜しさも手伝い、息子と妻の姿が見えなくなって扉が完全に閉まった後も、しばらく笑顔のままだったレエブン侯も、やがて表情が元に戻る。
いや、その表情は素面と言うにはあまりにも暗いものだった。
無言のまま席に戻り直すと、レエブン侯はテーブルの引き出しから一枚の手紙を取り出した。
送り主はレエブン侯の主君であるランポッサⅢ世。
内容は早急にエ・ランテルで何が起こっているかを調査し、それを伴って王都に出向き、共に対策を講じて欲しいというものだ。
貴族派閥に属しているレエブン侯が、こんな手紙一つで素直に言うことを聞くはずがないことぐらいは王も理解しているはず。
それも正式な指令ならばまだしも、届いたのは単なる手紙であり、内容も命令ではなく硬い文体ながら頼みごとの体を取っているのもおかしな話だ。
「やはり陛下は私の本心に気づいておられるのか?」
そう。
レエブン侯は王派閥と貴族派閥の間を行き来する蝙蝠と揶揄されてはいるが、心情としては王派閥よりだ。
というより貴族派閥と王派閥、両方に良い顔をしながら動きを探り、両者の暴走を抑えるために動いていると言った方がいい。
だがそれは王からの命ではなく、あくまでもレエブン侯の独断によるもの。
貴族派閥が政戦に勝利しては、王国に未来はないと思ったゆえの行動だ。
「ザナック殿下か」
この事実を知っているのは、身内を除けば先日同志となったザナックだけのはずだ。
思わずため息を吐きそうになるが、ザナックの気持ちも分かる。
手紙によると貴族派閥の者たちは、未だ情報も掴んでいないというのに、一刻も早く軍隊を結成し都市奪還計画を進めるべきだと強弁し、王の命も待たず、既に動き出しているのだから。
ただでさえ例年の戦争で国力低下が続く中、エ・ランテルという王国にとって重要な貿易拠点が奪われたことで、それに拍車をかけている。
だからこそ、一刻も早くエ・ランテルを取り戻さなくてはならないのは間違いなく、理屈としては貴族派閥の言い分も分かる。
実際、貴族派閥に属しているレエブン侯にも手を貸すように連絡は届いているが、そちらには適当な言い訳をつけて返事を先延ばしにしている。
奴らの狙いが、今回の件で活躍することで派閥争いに勝利し、第一王子であるバルブロを正式に王位に就けたいだけだと分かっていたからだ。
バルブロが王位を継げば、その義父にして後ろ盾である貴族派閥の盟主、ボウロロープ侯が国の実権を握るも同然。
そのために貴族派閥はどんな犠牲を払ってでも冒険者や他国などの力を借りず、自国のみで奪還すべしと提言しているに違いない。
だが、そんなことを強行してはたとえ奪還に成功したとしても、例年の戦争とは比べものにならないほどの打撃を受け、国力の低下は歯止めが利かなくなる。
そう考えたザナックが、ランポッサにレエブン侯のことを話し、子飼いの部下である元冒険者チームを使って、情報を集めさせようと提案した、と考えれば、王から急に届いた手紙の理由も分かる。
ザナックは優秀ではあるが、どちらかと言えば保守的な人物であり、こうした大胆な手に打って出るとは思っていなかった。
それほど事態が逼迫しているということか。
とはいえ、ザナックも王もまだ考えが甘い。
彼らはエ・ランテルの詳細な情報と敵の勢力さえ解れば、貴族派閥もことの重要性を理解して、冒険者や場合によっては他国の手を借りることも承認するだろうと考えているようだが、それは難しい。
「そもそも。あの能無しどもが、これを信じるはずがない」
チラリと机の上に置かれた分厚い報告書に目を向ける。
そこにはレエブン侯が集めたエ・ランテルの情報が事細かに綴られていた。
そう。彼は既にエ・ランテルの現状や敵の戦力の一端、他国の動向といった情報を入手していた。
ランポッサから言われるまでもなく、エ・ランテルが占拠されたことで貴族派閥が暴走すると分かっていたため、事前に元オリハルコン級冒険者チームを派遣していたのだ。
だが、彼らの力を以てしてもエ・ランテル周囲を囲んでいる強力なアンデッドたちの包囲網を突破することは叶わなかった。
その代わりと言ってはなんだが、彼らは情報を持ったエ・ランテル周辺の村から逃げ出してきた一団を発見し、自分の領土に連れてくることができた。
元オリハルコン級冒険者ですら近づけない場所から、ただの村民がどうやって逃げ出してきたのかと不思議に思ったものだが、それを可能にしたのは強力な護衛の存在だ。
スレイン法国、特殊工作部隊六色聖典の一つ、陽光聖典。
非合法活動を行う部隊である六色聖典のことを知る者は少ないが、複数国にまたがって亜人部族の討伐を行っている陽光聖典だけは存在が確認されている。その行為は国に利益があるとして、ある種公然の秘密として扱われている。
そんな彼らが現場に居たからこそ、カルネ村なるエ・ランテル近くで暮らしていた村の者たちを連れだすことができたのだ。
そうしてエ・レエブルに匿った村人や陽光聖典からの聞き取りにより──何故陽光聖典がエ・ランテル近郊にいたのかも含めて──詳細な情報を入手することができたが、その内容はレエブン侯ですら信じがたいものばかりだった。
敵の強大さもさることながら、最も重要なのは人類の守護者であり、たとえ自国の利益にならずとも、異種族排斥という大儀のためならば無償で動くこともある法国が、こともあろうに生者全ての敵であるアンデッドを操る者たちと手を結んでいるという事実だ。
正直、信じがたい内容だが、他ならぬ法国暗部の人間である陽光聖典の者たちが口を揃えてそう証言しているのだ。
そもそも陽光聖典がエ・ランテルに居たのは、彼らの隊長がそうした法国の動きを怪しんだことで、国から見限られ、エ・ランテル占拠のどさくさで暗殺するために偽の指令書で呼び出されたためらしい。
その彼らが大した損害もなく都市を脱出し、途中で村の住人を助けたところをレエブン侯の配下に見つかったというのは、あまりにも話が出来すぎている気もするが、彼らが本物であるのは部下たちが確認している。
実際、そう仮定するとつじつまが合うのも事実。
エ・ランテルを一夜にして占拠するという強大な戦力もそうだが、何より帝国との戦争にすら介入して争いを避けようとする法国が、現時点で何の動きも見せていないのもおかしな話だ。
そう考えると彼らの言葉が事実にしろ、法国から送り込まれた間者にしろ、法国が敵の黒幕と通じているのは間違いない。
やはり他国との協力は必須となる。レエブン侯はそう考えているが、それは自身がモンスターや魔法、マジックアイテムなどを纏めた虎の巻により、敵の強さを認識できているからこそだ。
そうした知識などないバルブロやボウロロープ侯が信じるはずがない。
いや、手紙をよこしたランポッサすら、信じてくれるかは分からない。
「……どちらにせよ、全ては周辺国家がどれほど力を貸してくれるかにかかっているな」
敵の戦力などの情報とは別の、もう一つの重大な情報。
エ・ランテルを脱出した冒険者組合の者たちが、レエブン侯同様、敵の強さは王国だけで対処できるものではないと考えて、帝国や都市国家連合、竜王国などに救援を求めに出向いたというものだ。
国属意識の薄い冒険者らしい柔軟な考え方であり、レエブン侯が陽光聖典をある程度信用したのは、この話を隠すことなく伝えてきたことも一因となっている。
実際、彼らとは別口の情報源に依頼し、他国の動向を探らせた結果、帝国の皇帝と竜王国の女王が会談を行ったという話や、その後、帝国が都市国家連合にも協力を仰ぐべく接触していた話、更には評議国までもが、その連合に力を貸すことを約束としたとの噂まで出ている。
この分では最後の一国、聖王国が動く日も近いかもしれない。
この情報はつまり、王国以外の周辺諸国は、エ・ランテルを占拠した者たちを脅威として認識していることになる。
これだけでもこの報告書の信憑性が高まるというものだ。
「だが法国が敵になった以上、たとえ帝国とは同盟が結べても、物理的にも精神的にも連携が取りづらい。やはり一刻も早く国内をまとめる必要があるな」
立地的に帝国と王国両方と接しているため、物資の運搬が可能となるだけではなく、単純にこれまで敵対していた両国間の緩衝材になり得る法国が敵方に付いてしまった。
これではせっかく同盟を結んでも内部から崩壊しかねない。そうしないためにも、この不毛な派閥争いを終わらせ、国を一つに纏めなくてはならない。
期限は他国の同盟が完成し、こちらに正式に接触を計るまでの間。
それまでに国内のごたごたを解決しておかなくてはならず、レエブン侯も密かに動いていたのだが、この手紙が届いたことで、更に時間がなくなってしまった。王が手紙を送ったことは早晩貴族派閥の耳にも届くだろう。
その結果こちらの動きがバレては、派閥の盟主であるボウロロープ侯や、なによりバルブロがどう出るかわからない。
「クソッ。王も王だ。何故こんな時に」
明らかに時間が足りないが、愚痴を零していても仕方ない。必死に頭を切り替え、思考を巡らせる。
「ボウロロープ侯はあれでも歴戦の指令官。まだ何とかなる、か? いや、彼が相手にしているのはあくまで人間、アンデッドやモンスターの強さは想定できないか」
レエブン侯とて、虎の巻があって初めて信じられたのだ。
魔法や冒険者を軽視している王国貴族ではなおさら、それを理解しろと言っても不可能だろう。
奴らはとにかく頭が硬く、自分たちのことしか考えていない。
とそこまで考え、ふと思い出す。
「待てよ…貴族派閥、いやボウロロープ侯も以前はここまで頑なでは無かったはずだ」
国内の腐敗は数世代前から始まっていたが、少なくとも国内を二分するような権力闘争に至ったのはここ数年の話だ。
元々その兆候があったが、切っ掛けとなったのはおそらく派閥の盟主ボウロロープ侯の娘とバルブロが婚姻を結んだこと。つまりバルブロを通じてボウロロープ侯が国の実権を握れる目がでてきたためではないだろうか。
レエブン侯自身、若い頃は王位の簒奪を己の最終目標としてきたから良く分かる。
「ならばバルブロ殿下にその目が無くなれば……」
次は第二王子のザナックにすり寄ってくるかもしれないが、彼は王国内では数少ない王国の現状を理解している存在であり、少し前に共に王国を発展させていこうと手を組んだ同士でもある。
そうなれば、むしろ好都合。
ザナックを次代の王に内定させることができれば同盟参加を後押しすることも難しくはない。
「ではどうやってその座から降ろす? 例の八本指との癒着の件を使うか? いや、王家全体の権威が落ちては意味がない。ならば──」
不意に一つの計略が思いつき、レエブン侯はゾクリと背筋をふるわせた。
それは王侯貴族にとっては身近な手法であり、常に警戒しなくてはならないもの。
つまり。
「暗殺」
かつての自分ならばともかく、この世のなにより大切な存在ができた今の自分にはその手段は認めがたい響きを持っていた。
・
「本気か!?」
震えた声で言うザナックに、ラナーは何故そんなに驚くのか分からず首を傾げた。
今の状況を考えれば、それが最善であることは一番上の兄よりはまだマトモな頭を持っている次兄ならば理解できるはずだ。
とはいえ理解できないのは相手の感情であり、理由については推察できた。
彼女がもっと幼い頃は、自分に理解できることが何故他人も理解できないのかが分からなかったが今は違う。
クライムの純粋な瞳の中に人間の存在を見たことで、酷く劣った生物でも人として接することが出来るようになった。
今回も同じだ。
おおかた理性としては最善だと分かっても、感情的な理由でそれを認めたくないというところだろう。そう結論づけ、努めて冷静に続ける。
「もちろん。ザナックお兄様にも、今の王国の状況は分かっているはずでは?」
「それは……分かっている」
ザナックは自分の前に置かれた紅茶を飲んでから、苦々しげに顔を歪めた。
王国の状況は悪化の一途を辿っている。
物流に関しても三国の要であったエ・ランテルを奪われたことで、特に貿易面で多大な損失が出ているためだ。
一刻も早くエ・ランテル奪還に動かなくてはならないのだが、二分した派閥が未だに足を引っ張りあっているせいで、奪還計画は遅々として進んでいない。
ザナックはそれをなんとかするためにラナーに協力を求めたのだ。
「……今更だが、他国が既に同盟を結ぼうとしている話。事実なのだろうな?」
「蒼の薔薇が帝国に渡った冒険者や、評議国付近で仕事をしている朱の雫から得た情報を基にしていますから、間違いないと思いますよ」
冒険者は独自の情報網を持っている。アダマンタイト級冒険者ともなれば、なおさらだ。
「それだけエ・ランテルを占拠した勢力を危険視しているということか。他国の方が現状を理解しているとは。嘆かわしいことだな」
ザナックの言うように、三国に跨る要所とはいえ、言ってしまえば他国の問題であるはずのエ・ランテルの一件を理由に他国が突然同盟を結ぶのは、それだけその勢力を危険だと理解していることになる。
当然、近いうちに王国にも同盟参加を求めてくるだろう。
こうした同盟を組むメリットは大きく分けて三つ。
一つは単純に兵力が増え、多方向から攻撃を加えることによる軍事力の強化。
次は補給や兵站を含めた戦争継続力が上がること。
そして最後は、後顧の憂いを絶ち、正面の敵に集中できることだ。
竜王国はともかく、帝国と評議国。
この二国に関しては王国を挟んでいるため地続きでも無い以上、最後のメリットは無く、同じ理由で補給線を繋げることも出来ない。
つまりこの同盟は初めから王国も同盟に入れることを前提としている。
どちらも純粋な軍事力でいえば王国を遙かに超える二国が、最低でも四カ国が同盟を結ばなければ、勝てない存在だと考えている。
エ・ランテルに現れた勢力は、それほどの力を持っていると見て間違いない。
当然王国もその同盟に参加しなくてはならないのだが、今のままでは貴族派閥が邪魔してくるだろう。
バルブロはいつまで経っても王位を譲らないランポッサに苛立ち、手柄を上げることに躍起になっている。
加えてバルブロは両方の派閥から後押しを受けていることもあって、直近の状況は見えても大局は見えていない貴族は表立って反論することもできず、先ずは一度王国のみでエ・ランテル奪還を実行し、同盟を組むにしてもそれが失敗した後でも良いのでは、という消極的な考え方が主流になりつつあるせいだ。
「確かに兄上がいる以上、周辺国家同盟に参加するのは難しい。いや、もっと時間が経ち我が国の状況がより悪化した後ならば分からないが、今の時点では参加どころか邪魔をしかねない。だからといって──」
一度言葉を切り、ザナックは再度紅茶に手を伸ばしかけたが、途中でその手を取め、代わりにソファの背もたれに体を預けて天を仰いだ。
「暗殺は短絡的過ぎないか? 派閥争いが激化しかねないぞ」
お前らしくもない。と続けられたことに、僅かに苛立ちを覚える。
やはりこの男も何も分かっていない。
ラナーは息を吐き、小さく頭を振った。
「もうそんなことを言っていられる段階は過ぎました」
「何?」
「リ・エスティーゼ王国はただでさえ例年の戦争で国力が落ちています。そんな状況でこれ以上エ・ランテルが占拠され続ければどうなるか、言うまでもありませんよね?」
「貿易が不可能になり、国力は低下し続ける。奪還云々より国を維持していくために、他国と同盟を結んで援助して貰わなくてはならないということか」
「はい。ですから、それを理解せず己の武功を挙げることしか考えていないバルブロお兄様を一刻も早く排除しなくてはなりません」
「確かに兄上という旗頭を失えば、貴族派閥は正当な方法で王位を取る手段はなくなる。そのどさくさに紛れて同盟を樹立させてしまえば……」
「ええ。もっとも、無事エ・ランテルを取り戻せたとしても国内が安定していなければ、すぐに帝国に攻め込まれてしまいますから、同盟参加の条件をエ・ランテルを取り戻すまでではなく、王国が安定するまでの間に変更しなくてはなりませんが」
「あの鮮血帝相手にそんな交渉ができるか?」
「同盟に王国が参加しなくては困るのは帝国も同じですし、評議国側も巻き込んで交渉のテーブルに着かせれば不可能ではないかと」
ラナーの言葉に、ザナックはしばらく思案を続けた後、ぽつりと言う。
「綱渡りだな」
バルブロを暗殺し、王派閥が権力を持ち王国内を纏めあげて同盟参加を認めさせる。
その上で帝国を交渉のテーブルに付け、頭も切れるジルクニフ相手にこちら優位の条件を受け入れさせる。
何より重要なのは、周辺国家同盟の力で本当にエ・ランテルを奪還できるか。
この全てを成功させなくては王国が生き延びる道はない。
確かに綱渡りと言えなくもない。
「ええ。ですが渡りきらなければ──王国そのものが滅びます」
言いづらいことをきっぱり告げられて、ザナックは盛大に顔を歪めため息を吐く。
「……実はな。俺には協力者がいる」
「レエブン侯ですね」
「な!? いや、お前なら気づいていても不思議はないか」
「はい。お兄様を王位に就けたがっているのは、この国の現状を理解できているあの方ぐらいのものですから」
もう一度ため息を吐きながら頷き、ザナックは続けた。
「侯が兄上の弱みを見つけた。それを暴露すれば兄上を失脚させられる。それではダメか?」
「八本指の件ですか?」
「! そこまでお見通しか。そうだ、八本指の恐らくは麻薬部門から兄上に金が流れている。それを暴露すれば──」
「もちろんそれも利用します。ですが、それでは王家そのものの権威も落ちかねません」
「それでも暗殺よりはマシだろう。そんなことをすればそれこそ王家の権威が落ちる」
「大したことではありませんよ、暗殺なんて」
ピシャリと言い切ると、ザナックは言葉に詰まる。
実際、跡目争いで候補者を暗殺するのは王家どころか貴族の間でもよくあることだ。
それぐらい知っているだろうに。
自分の父はもちろんのこと、ザナックにも妙なところで甘さがある。
これではその先については言わない方が良さそうだ。
(バルブロお兄様を殺したのがザナックお兄様だと気づけば、お父様がどう出るか分からない)
あの甘い父王ならば、兄弟で殺し合いに発展してしまったことに絶望し、長女の婿であり王家の血筋とは関係ないペスペア侯に王位を譲ると言い出しかねない。
だからこそ、バルブロを殺した後はランポッサも殺し、王位を簒奪するのが確実なのだが、この分ではザナックにその覚悟はなさそうだ。
もっともその場合、王国最強の戦力であるガゼフがどう出るか分からないし、何より国内の混乱がより大きくなるので、あくまでも最終手段なのだが、それぐらいの覚悟はして貰わなくては、この国を維持していくことはできないだろう。
そもそも、敵勢力がいつまでもエ・ランテルのみに留まっている保証はない。
そう、分からない。
権力や武力を持たず、自分の知能を用いることでしか己の地位を確立できないラナーにとって、相手の力が分からないという状況は非常に危険だ。
相手の戦力や目的が分からなければ、交渉することもできない。
それだけの力を持ちながら動かないのは、エ・ランテルそのものが目的なのか、あるいは力を持ちながら慎重に周囲の情報を集めているか。
どちらにしても、相手側からラナーに接触してくれば、幾らでも交渉の余地はあるのだが、それをするにも先ずはラナー自身が有能であると見せつけなくてはならない。
そのためにもザナックを傀儡にして、王国を纏め上げる手腕を見せ、その上で王国も含めた周辺国家同盟すら影から操り、必要とあらば敵勢力に売り渡す。
相手の力も分からない以上、これはラナー個人にとっても綱渡りとなるだろうが、ラナーの夢を叶えるために必要な賭けだ。
(でも、もしそれができなければ──)
場合によっては売り渡すのではなく、自分が周辺国家同盟を動かして、王国に余力を残した状態で勝利に導く方法も考えておかなくてはならない。
(どちらにせよ、不要な物を排除してからですね)
想像以上の愚者は時としてラナーの計算を超えた動きをする。
バルブロはその典型。今回の件が無くとも早晩排除するつもりだった。
そしてザナックは逆、中途半端に頭が良いため動きが読みやすい。
今回もまた同じだ。
先ほどから黙りを決め込んで考え込んでいるようだが、兄殺しという罪の重さと、国をまともにするという願いを天秤に掛ければ、どんな結論を出すかなど分かりきっている。
「……分かった。俺は何をすればいい?」
長い沈黙の後、思った通りの言葉を吐いたザナックに、ラナーは口元に浮かぶ笑みを隠すように、冷め始めた紅茶を口に運び、にこりと微笑んでから告げた。
「お兄様はなにもしないで下さい」
「どういうことだ?」
「先ほどお兄様の言っていたことにも一理あります。暗殺という手段を使ってバルブロお兄様を排除してしまったら、王家の権威が落ちるだけでなく、貴族派閥からも反発が出ます。特にボウロロープ侯から」
「ボウロロープ侯が?」
バルブロを傀儡にして、自らが権威を振るうことが目的だったのならば、バルブロを排除しても問題はない。
むしろ、そうなれば残る候補者であるザナックにすり寄ってくる可能性が高い。
ザナックはそう考えたのだろうが、それも少し前までの話だ。
ボウロロープ侯の娘を娶り、義理の親子となって以後、ボウロロープ侯はバルブロを傀儡以上の存在、それこそ実の息子のように可愛がっている節がある。
このまま上手くバルブロを暗殺できてもそれでは遺恨が残り、派閥争いを終わらせて国が纏まるどころの話ではない。
「ですので、周囲に悟られないように人を動かし、バルブロお兄様を皆にとって邪魔な存在に仕立て上げます」
既に誰にとっても邪魔な存在なのだが、ラナーが貴族たちを操り、より分かりやすい状況を生み出すということだ。
ラナーにそれが可能なのはザナックもよく知っているはずだ。
「皆、とは」
「ボウロロープ侯やレエブン侯を始めとした貴族の方々。それにお父様や民衆、後は八本指もそうですね。そして当然、同盟を結びたがっている他国にも」
そう。
あの男は、自分とクライムの幸せにとって邪魔な存在だ。
だから殺す。
「誰がバルブロお兄様を殺してもおかしくない。そういう状況を作り上げます。結果、誰かが手を下してくれれば良し。誰も動かなければ、その時こそ──」
にっこりと笑顔を浮かべてラナーは笑いかける。
そんなラナーに、ザナックは震えた手でテーブルに置かれた紅茶を手に取ると一気に飲み干す。
渋面を堪えて口元を拭ったザナックの表情には悲痛な覚悟が滲んでいた。
ちなみにこの話ではまだデミウルゴスは接触してきていないため、ラナーは敵の目的が分からず、内心焦っているため少し強引な手段を採っています
次はしばらく出番の無かったモモンガさんたちの話になる予定です