気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでした〜かませ犬にならないために〜 作:弥生零
寝落ちしたらかませ犬
俺は今大変座り心地の良い椅子に座っている。それはどう考えても人を駄目にするソファではない。
俺は今着心地の良すぎる服に身を包んでいる。それはどう考えても慣れ親しんだパジャマではない。
すぐ隣には紅茶らしきものが入ったカップが宙に浮いている。それはどう考えても俺が好んで飲む某炭酸飲料ではない。
周囲を見渡せばここが書斎のような空間であることが伺える。それはどう考えても俺が頑張って作り上げたオタク部屋ではない。
手元には見た事もないのに何故か読める文字で書かれた分厚い書物がある。それはどう考えても人を殴り殺せるラノベではない。
頭に手をやれば手入れが行き届いたふさふさな髪の感触が。これは俺の頭に違いない。確信。
「……?」
が、前髪がおかしい。正確には色がおかしい。自分は日本人らしい黒髪のはず。なんで銀髪なのだ。それとも白髪? 寝落ちから覚めたら白髪になっていたのか? 老けた? 老けたのか?
「……」
俺は自分の姿を確認したいなと思った。
そしてそう思った時、何故か体は指を鳴らしていた。
「…………」
指を鳴らした直後、虚空に鏡が現れる。指パッチンで鏡が現れるという意味不明な現象だがしかし、そんなことはどうでも良かった。
(意味が分からない)
まず始めに思ったのは、そんな単純なことだった。
鏡に映る自分の姿を見る。
その姿は見慣れた自分の姿ではなく、俺が好きなアニメの第一部のボス──ジルという男の姿。
どの角度から見ても、見慣れた自分の姿ではない。
アニメを見ていた時にも思っていたことだが、ジルという男は非常に顔が良いのである。
俺とは大違いだ。
間違いなく、モテる。
(いやそうじゃない)
完全に思考の方向がおかしい、と俺は頭を横に振る。
俺が考えるべきは「この姿ならどれくらいモテるのか」だとか「本当にイケメンなら何をしても許されるのか検証でもするか」だとか「リアルギャルゲーやれるな」だとかそういうアホみたいなことではないはずだ。
(どうしてこうなった?)
アニメのキャラクターになりました。……うん。とても意味が分からない。ならば原因を考えようと思うのは、当然のことだろう。
(……ふむ。分からんな)
故に俺は、思考を巡らせた。
巡らせたが、全くもって意味が分からない以外の結論が出なかった。
何せ、あまりに突然すぎる。いきなり二次元のキャラクターになっていたとして、冷静に原因を突き止めることのできる人間がどれほど存在するというのか。
考えども考えども、原因が分からない。
分からないことに対して、思考を割き続けてなんになるのだろうかとすら思ってしまう。
(あー……)
故に俺の思考は、次第にジルというキャラクターに関してへと移行していった。
(ジル……ジルか。ジルなあ……)
このジルというキャラクターを簡単に説明してしまうと、かませ犬である。
俺が好きなアニメ『
第一部にて最強の座に君臨していた彼の最期は、第二部のラスボスの強さを視聴者たちに見せつけるため瞬殺されるという非常に悲しいものであり、同時にかませ犬という称号がこれ以上なく相応しいものだった。
そして理由は分からないが、現在俺はそのかませ犬になっている。
(何故だ……いや本当に何故だ? もう一度考えてみよう。確か、俺の最後の記憶は……)
記憶を遡る。
こうなる直前の記憶はなんだ? それこそが、俺がこんな状況になってしまった原因の手がかりのはず。
遡って遡って遡って、そして───
「……ラグナロクを見ていて、気付いたら寝落ちしていたな」
アニメを見ていたという記憶しかなかった。つまり、原因なんてさっぱり分からん。
(……気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでしたってか)
まるでラノベのタイトルみたいだな、と思った。
思って、なんだかおかしくなってひとしきり笑って──
──横にある本棚を殴った。
瞬間、腹の底から響くような轟音が響く。
衝撃が周囲に拡散し、勢いよく本と
「……」
恐る恐る殴った箇所に視線を向ければ、トラックでも突っ込んできたのかと思ってしまうほどのデカイ穴が壁に開いていた。本棚に関しては、もはや跡形もない悲惨な状態である。
おそらく、本棚を殴った時の衝撃が本棚を破壊しただけでは収まらず、その奥まで伝って壁までもを綺麗に粉砕したのだろう。
なんなら、通路を挟んだ向こう側の壁も穴が開いている。
「…………」
どこまでいっても一般人メンタルでしかない俺は、自分でやったという事実を棚に上げてその光景にドン引きしていた。
「………………」
この身体能力。間違いなく、俺のものではない。
本気で殴ったわけでもないのにこの威力……ちょっと意味が分からない。
間違いなく、世界を狙える拳だ。狙ってどうする。
(もしや夢なのでは?)
あまりに非現実的すぎる光景に、一周回って俺は冷静になり始めた。
そうだ、これは夢だ。夢に違いない。
普通に考えて、アニメのキャラクターになるなんてあり得ないのだから。
……本当に?
「……フッ」
夢であってくれと願いながら、俺は自分の顔面を思いっきり殴ってみた。
◆◆◆
書斎らしき部屋は見るも無残なことになってしまった。
顔面を思いっきり殴った途端衝撃が周囲に拡散し、書斎が爆発して瓦礫の山と化したのである。
いや書斎だけじゃない。それ以外の部屋らしきものも瓦礫の山。
幸いにして建物自体が倒壊とかはしてないし、奥の奥の方まで見れば無事な壁もあるが、それでも俺を中心にしてほぼ瓦礫以外何もない空間が生まれてしまった。
「……てかあの無事な壁見たことある。もしかしなくても、俺がいる場所ってアニメでジルが初登場した城なのか」
はははと乾いた笑みを浮かべて、すぐ様頭を抱えた。
顔面を殴った時に多少の痛みを感じたので、これは現実なのだろう。これだけの破壊力がありながら「多少の痛み」というのが、この肉体のとんでもないスペックを物語っていた。
(なんで俺がジルになっているんだ。憑依か、憑依なのか?)
あるいは転生したらジルになっていて、今更前世の記憶が戻ったとかそういうのなのか。だとしたら寝落ちで転生したのだろうか。寝落ちしてそのまま永眠したのだろうか。寝落ちしてそのまま永眠したのだろうか。怖すぎるんですけど。
「てかいきなり自分の拠点破壊するのはどうなんだ……」
ゴミ屋敷ならぬ瓦礫屋敷と化した周囲を見て、思わず嘆息。
これどうやって片付ければいいんだと思い──気付けば頭に浮かんだ呪文を唱えていた。
「───」
途端、まるで逆再生するかのように瓦礫などが動きだす。それらは遅くも速くもない速度で元の位置に戻っていき、ついには何事もなかったかのように書斎が再現されていた。
「……便利な力だ」
詳しい原理は分からない。時を巻き戻したのか。空間そのものを元の状態に戻したのか。記憶の通りに現実を歪めたのか。分からないが……便利な力であることに変わりはない。
とはいえそれなりの力……おそらく魔力をもっていかれた事を感じる。相応の代償はある魔術なのだろう。それなりとはいえこの肉体のスペック的には微々たるもののようで、相対値としては大した事ない量ではあるが。
「こんな力があるのにかませ犬キャラなんて本当、不び……」
そこまで言って、気付いた。
このままだと、自分はかませ犬で終わってしまうのでは? と。
ジルがかませ犬なのだから、ジルになっている自分は純然たるかませ犬なのではないのか? と。
つまり、自分は第二部のラスボスに瞬殺されて死ぬのではないのか? と。
「……………………」
待て待て待て待て待て待て。
落ち着け、素数を数えろ。違うそうじゃない。
(ジルというキャラクターが死ぬ直接的な原因は第二部のラスボスもとい邪神に殺されることだが、しかし待て、まだ慌てるな! その邪神が降臨するフラグをへし折ってしまえば死ぬことはない!)
俺は高速で、高速でラグナロクというアニメ及びジルというキャラクター周りの情報の整理を開始する。
幸いにして、俺は大学が連休で暇だったからラグナロクを見ている途中で寝落ちしたのだ。情報の整理は容易だった。
全三部構成作品、ラグナロク。
そのストーリーは至って単純なもので、主人公とその仲間達が予言にある『世界の終末』を回避するために戦っていくストーリーだ。
そして肝心の第一部だが……第一部は『レーグル』と呼ばれる犯罪組織との戦闘をメインに描いたストーリーである。
彼等は世界中に散らばる『神の力』を集めることを目的としており、そのために一国を滅ぼした事すらある。世界を脅かす存在であると認識されるのは、当然と言えるだろう。
そしてそんな犯罪組織を束ねる男こそが、第一部のラスボスにして現在俺が憑依している男、ジルである。
アニメの第一部以降を見てからジルの生涯を振り返ると大変悲惨なことになるが、ジルだって第一部の時点ではきちんと強力なボスとして君臨していた。
青年のような見た目だが、実年齢は百を越えるという点だけでも察することの出来る異質性。
ラスボスらしく性格は
自分こそ絶対であり至高の存在であると信じて疑っていない彼の目的は、自身が絶対的な支配者として世界に君臨する事。
『神々などというこの世界に存在しない偽りの支配者は根本から不要だ。そんな概念など排し、私が支配者になるとしよう』
他と隔絶した力を有していた彼の行動は早かった。
まずは自分が生まれ育った国を堕とし、王となった。
基本的に自分以外の人間の能力をアテにしていない彼は自分以外の存在の城内への立ち入りを禁止し、それから何十年以上も独力で国の運営を始めることになる。
(……ここは間違いなく、城の中。ならば少なくとも、ジルが国を堕として以降の時系列には入っているということか。憑依する前だったら一般人として生存できたんだが……まあ仕方ない)
俺が即興で考えた計画としてのベストは国を堕とす前に憑依していることだったが……まだだ、まだリカバリーは効く範囲だと自分に言い聞かせる。
(確かそこからは……)
国の運営が落ち着き始めてから暫くして。
彼は神々に関する調査を開始することで、世界中に『神の力』と呼ばれる『力の塊』が存在することを把握。その力の塊は彼が手中に収めた国にもあったようで、それを取り込んだ彼は「少なくとも神々が過去に実在してはいた」ことを認識した。
『神の力』の有用性を認めた彼は神話の力を手にするべく行動を開始する。
絶対的な自信を有する彼だが、とはいえ慎重な面も持ち合わせていた。少なくとも、現時点で世界の全てを敵に回すのは得策ではないと思う程度には。
仮に世界が自分に対してなりふり構わず『神の力』を投入してきた場合、万が一ということはあり得る。選ばれた存在である自分のように十全にとは言わないが、暴走を無視しての使用なら凡百にも不可能ではないだろう、と。
そして何より彼は、世界が『神の力』を捨て去る可能性を危惧していた。
強大すぎる脅威は人々に決死の決断を下させる可能性があることを、彼は知っている。世界が自身の脅威を正しく認識した場合、『神の力』の放棄という選択を取る可能性があるのだ。
だが逆に、中途半端な脅威であれば決死の決断を下せないことも彼は知っていた。
戦争をすれば絶対に全滅が確定する国との敵対は是が非でも回避するだろうが、三割の確率で勝てる可能性があるのならその三割に賭けて敵対する国というのは確かに存在するのだ。
故に彼は『神の力』の回収という雑用を、手駒に任せる事を決めた。
自身が出張って各国に決死の決断をさせるのではなく、自身に劣る存在を使って「勝てなくもないから、放棄する必要はないかも……?」という誤った判断をさせるために。
そしてその手駒こそが第一部の主たる敵『レーグル』である。ジルは犯罪者や流れ者、殺し屋などをスカウト、あるいは実力で屈服させるなどし、『神の力』の一端を貸し与え彼らの『力』とし、各国に尖兵として放ったのだ。
主人公たちは世界を守るために『レーグル』と戦闘をし、倒していく。
主人公たちの活躍のせいで途中までは順調だったはずの計画の進捗が悪くなっていき、ついに痺れを切らしたジルが自ら動く事で第一部のクライマックスに──という流れである。
第一部のボスを務めるだけあって、彼は強かった。
戦闘に必要なあらゆる才能が桁違いなのに加えて、取り込んだ『神の力』、更には彼が持つ生来の『固有能力』までも駆使してくるのだ。放送当時は「こいつだけでええやん」などと言われていたものである。実際、結局主人公はジルを直接倒すことは出来なかったのだし。
あらゆる面において、人類最高峰の才能を有する怪物。それが、ジルという男だった。
そんな彼の呆気ない最期。かませ犬化はある瞬間に世界が完全に
それは、ジルが最初の『神の力』の封印を解き、その身に取り込んだことで発生が確定する決して避けられない世界の変化だった。神々が何百年以上も前から仕組んでいた、時限爆弾。
とはいえ、作中の時系列で当然彼らはそんなことを知らない。
故に彼らにとっては突然起こった出来事だった。
ジルと主人公の戦闘の最中、突如現れた『何か』。それを見たジルと主人公は、激しい悪寒を
特に、ジルにとってそれは初めて懐いた恐怖である。故にそれを排除しようと反射的に行動し───呆気なく返り討ちに遭い、喰われた。当然、自らが何者かの
そこで第一部は終了。インフレの幕開けとされる第二部の始まりである。
第二部以降は教会勢力やら世界の裏側やら海底都市やら何やら色々世界観が広がっていき、インフレが加速する。ジルがそこまで特別な存在ではなくなった瞬間である。
それでも「いやまあジルには固有能力あるし……」などのフォローが視聴者からされていたのだが、その固有能力は神々ならデフォで備えていることが判明。
加えて、ジルがその固有能力を有していたのは神々が後の世に一人の人間に覚醒させるよう仕組んでいたからであることまでもが発覚してお通夜である。
(さて……)
ここまでジル周辺の情報を整理してみたが……ぶっちゃけここで俺にとって重要なのはただ一つだけだ。
そう──ジルが既に『神の力』を取り込んでいるか否か。
(取り込んでいなければ、世界は変貌しない。変貌しないならば、邪神も神々も降臨なんてしない。そいつらが降臨しないならば、俺は死なない──!!)
前世において、数多に存在したジル救済SS。
その中に、ジルが『神の力』を取り込まなかったIFも存在し、その作品における彼は自由気ままに生活をしていた。
(それと同じことを、俺も成し遂げてみせる。目指せスローライフ。現代知識を使って農家でも始めよう)
そんなことを考えながら、俺は意識を自分の内側に向けてみた。
すると、なんか「これ『神の力』じゃね?」みたいな力の波動を感じた。
詰んだ。
ふさふさだった!間違いなく主人公の頭!