気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでした〜かませ犬にならないために〜   作:弥生零

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記憶にございません

 

 濃密な殺意が、空間を蹂躙する。

 

「……」

 

 膨大な殺意を振り撒くは、部屋に座す一人の銀髪の青年。彼は寝かされていた布団から身を起こし、どことなく呆けた様子で軽く自らの掌を眺めていたかと思うと、その身から凄絶な殺気を放ち始めたのだ。特定の個人に向けてのものではなく、無差別に──否、より正確には青年自身に。

 

 青年が放つ殺気。それは、青年が数日前までいた地域で無遠慮に放てば、それだけで大量の死者が出かねない次元である。気絶することなく耐えきれる者でさえ、大陸において上澄みの実力者達のみ。その上澄みの実力者達とて、大多数は行動や言動に支障が生まれるだろう。彼の本気の殺気を受けた状態で、確たる実力を理由に一切の抵抗感なく動ける者など、それこそ五本の指に収まると言っても過言ではない。故に、幾ら青年が放つ殺意を自重しているといえど、それでも危険な代物であることに変わりはなかった。

 

「ちょっと」

 

 しかし、そんな危機的状況下で、アッサリと待ったをかけられる存在がいた。

 

「そんなもん撒き散らさないでよ。危ないでしょ」

「……」

 

 その存在の正体は、一人の少女だ。夕食の仕込みをしていた手を止め、青年を寝かせていた部屋に顔を出した少女は、青年が振り撒く殺気など始めから存在しないかのような振る舞いで、青年の行動を諌めた。言葉を受けて少女を睨む青年と、それでも物怖じしない少女のジトッとした視線が交錯する。

 

「……」

「……」

「……」

「……ふん。成る程、そういうことか。理解した」

 

 瞬間、青年が殺意を止める。そのまま億劫そうに首を傾げ、視線を周囲に這わせながら、一言。

 

「許せ、娘。私の自省を受け止められぬほど、この世界が脆いとは思わなかったのでな」

 

 それはまさに、不遜という他ない言葉で──同時に、これ以上なく驚嘆に値する言葉だった。アレほどの圧力を放っていながら、しかし本人にとってそれは周囲に対する威圧を示しているわけではなく、単なる自省でしかないという事実。人類最高峰の頭脳の持ち主(ジル勘違い専門家のシリル)が知れば「それほどまでに隔絶した実力が……!」と思わず戦慄する他ない言葉。

 

 なのだが。

 

(……天然さん? いえ、混乱でもしているのかしら? 言動が普通の人のそれじゃない。頭を強く打ったのかもしれないわね)

 

 この少女には全く通じない。ある意味で、人類最高峰の魔術師(天然魔術師クロエ)と似たような思考回路の少女であった。

 

(……そうね。うん、多分そうだわ。頭がおかしくなったから、一時的に変なことを言ってるのよ。優しくしてあげましょう)

 

 そうして、慈愛の瞳を送る少女。その辺をなんとなく察したジルがイラッとしたことを、彼女が知る由はない。

 

(これ、情報が正確に集まるかどうか不安だわ。どっちに転んでも収穫はあると思ったけれど、本人が錯乱しているなら誤情報に踊らされるかもしれない……。うーん……)

 

 少女は想起する。ここに至るまでの、軽い経緯を。

 

 ◆◆◆

 

 災厄を撃破したと思ったら、そこから銀髪の青年が現れた。意味が分からないと思うが、自分でも何を言っているのか分からない……というのが、目の前の出来事に対して少女の抱いた感想や混乱を非常に簡略化したものだった。

 

「……」

 

 災厄から現れたのだからこの青年が災厄の元凶──と断ずるには早計だし、情報が足りていない。そもそも災厄と呼ばれる現象とて、未知の部分が多すぎるのだ。災厄から青年が現れたところで、それイコール災厄の犯人であるなどと誰が言えようか。それこそ災厄を起こした犯人である可能性よりも、災厄に巻き込まれた被害者である可能性の方が高いだろう。災厄の謎を追う少女ではあるが、その程度のことが考慮できないほど短慮で愚かではない。

 

「けど、無関係ではないわよねえ……」

 

 とはいえ、犯人か被害者かの違いはあれど、真なる意味で無関係ということはあり得ない。何かを知っているならば情報が直接的な手に入るし、何も知らないのであればそれはそれで"何も知らないままにこういう状況に陥る事例がある"という情報を入手できる。いずれにせよ、現状維持で災厄の真相に迫ることはできない。とならばこの青年の身柄は、是が非でも少女が確保したいところだ。

 

(復興部隊が到着するまでに、ここを離れないと)

 

 拠点の一つに連れて行く。そう決めた少女は青年を背負うと、その場から飛び立った。人目に付かないようにすることは、さほど難しくない。災厄が発生している最中は、災厄に対処する者以外の者達は避難することになっている。異なる区域の者からは見えないし、監視の目──災厄に対する監視網──も、戦闘の規模が大きかった為か退いている。隠し事をするには、うってつけの状況が整っていた。

 

(そりゃあんだけ暴れ散らかしたら、監視の目なんて吹き飛ぶわよね)

 

 同僚(仮)達が事後処理を始めるより早く、帰宅する。少女は普段から早期退勤を心掛けているため、彼らが着く前に現場を去っていること自体に、違和感はないだろう。拠点に関しても、そのほとんどが自宅含めて人があまり住んでいない区画に設置している。自身の行動に関して疑問視されても「今回はたまたまそこに帰還した」で十分通るはずだ。

 

(とりあえず、寝かせとけば良いでしょ)

 

 拠点に戻ってきた少女は空き部屋に布団を敷くと、そのまま青年の体を下ろした。心臓は動いているし、呼吸もしていて、顔色も別に悪くない。治療行為は必要ないだろう。

 

(今日の仕事は終わっただろうし、夕飯の仕込みでもしようかしらね)

 

 ◆◆◆

 

 そんなこんなで時を過ごしているうちに、青年(重要参考人)は目覚めた。起きた気配を察知した時は放置していたが、徐々に強くなっていく殺気──それこそ、止めようと思った頃には看過できなくなりつつある次元のもの──を放ち始められれば、流石に顔を出すしかない。何せ、見方によっては災厄として暴れまくっていた青年が殺気を放っているのである。この殺気が、暴走寸前を意味していたら悲惨という他ないだろう。放置し続けた結果、物理的に暴れ始めて拠点の一つが木っ端微塵になりました、なんて結末は笑えない。

 

「まあ、目が覚めてからすぐにそんなことができるなら、ある程度は回復したでしょ」

「……」

 

 様子を伺いながら語りかけると、一応聞く耳を持つ気はあるのか、青年は無言で静止していた。落ち着き払ったその姿に、少女は「記憶がなくて被害者の線が濃厚かしらね」と軽く考えながら。

 

「単刀直入に聞くけど、アンタは何を目的にあんなことをしたのかしら?」

「……あんなこと、だと?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる青年。まるで身に覚えがないかのような反応に、予想していたこととはいえ、少女は少し残念に思った。

 

(あー、やっぱり具体的な手掛かりは得られそうにないわね)

 

 ここから推測できるのは、青年が被害者あるいは本当に無関係である可能性と、物忘れの演技が巧い図太すぎる性格の持ち主である可能性と、サイコパス的な思考を有している可能性の大きく三つだろうか。

 

「いやだってあんた暴れていたでしょ、暴風みたいなものを放ったり、火柱を立てまくったりして。普通の人はね、あんなにたくさんのことをできないのよ」

「……ほう。暴風や火柱を乱立できる人材自体はいるのか?」

「暴風だけだったり、火柱を立てるだけならできる奴はいるでしょうね」

 

 探せば、という言葉を少女は口にしなかった。それくらいなら探せば実際にいるだろうこの世界には、という認識を抱いていたから──いや待て。というかこの男、今話題を逸らさなかったか?

 

「今の私の発言から、気にすべきはそこじゃないでしょ。あんた何か知って──」

「──貴様の発言から、私が暴力を振るったかのような疑義を抱かれていることは容易く推測可能だ。そして、私が預かり知らぬ疑いをかけられている以上、似た事象を起せる存在による冤罪の可能性を考慮したいと考えるのは、そうおかしくないと思うが? 貴様がそれを認識していることも、言質は取れたしな」

「……つまり、あんたが暴風を放つように見せかけて、裏から誰かが暴風を放っていた可能性があるとでも言いたいわけ?」

「然様」

 

 それはあり得ない、という言葉を少女は呑み込んだ。災厄の裏で、そういうことをする輩がいないとも限らないといえば限らないからだ。

 

「……少なくとも身に覚えがないのは本当みたいだし、はあ。ケーキセットを食べてのんびりしていたのに災厄で出勤して、手がかりはなしか……」

「──くくっ。貴様の事情はよく分からぬが……悲惨、だな」

「冷笑を浮かべながら言うことじゃないでしょ」

 

 頭を抱える少女。見るからに話しかけていい雰囲気ではない少女に対し、しかし青年はマイペースに問いを投げかけた。

 

「私も訊きたいのだが」

「何よ……」

「貴様は誰だ?」

「……いやまあ、そうだろうとは思っていたわよ。思っていたけれど、本当にそこからか」

 

 やれやれ、と肩を落とす少女。

 

「私は」

 

 ◆◆◆

 

 意識を取り戻した直後に抱いた混乱は、即座に収めた。だが、それで事態が好転する訳でもなかった。

 

「貴様は誰だ?」

「……いやまあ、そうだろうとは思っていたわよ。思っていたけれど、本当に──」

 

 俺にとって、この状況は完全に未知という他ない。記憶の一部が存在するようで存在せず。直前の記憶の中で明瞭な部分は、遺跡で女に敗北した場面で、それ以降の記憶は曖昧の極み。『天の術式』を放ったような気はするし、戦闘を行なった気もする。故に、少女が言う「あんたが暴風やら火柱を」云々は、嘘ではないのだろう。どうやら俺は意識が不明瞭な状態で、『天の術式』を用いて暴れ散らかしていたらしい。

 

(あの女は言っていた。「ようこそ諸君。月の世界……マーニ様の領域へ」と。そして、この状況……)

 

 おそらく俺が今いるこの場所は、月の世界とやらなのだろう。原作には出ていなかった月の神が統治する世界。ゲームで言うところの、隠しダンジョン的な要素なのかもしれない。肌の感覚としては天界に近く、俺の推測を補強している。

 

 その上で、だ。

 

 ──やべえ世界に来たのかもしれない。

 

 表面上は氷のような様相を繕い、しかし内心で冷や汗を流しながら、俺は高速で思考を巡らせていた。

 

(先の少女の物言い……普通の人間でも天の術式や、特級魔術に匹敵する力を操ることのできる世界なのかもしれない)

 

 なんだその地獄みたいな世界は、と内心で天を仰ぐ。この推測が真ならば、海底都市並みに魔境ではないだろうか。いやある意味においては、海底都市をも超えているかもしれない。

 

(脅威としては、流石に神の軍勢には劣るだろう。だが、海底都市とのコンタクトを安全に取れないような戦力状況で放り込まれていい世界では断じてない……)

 

 かと言って、絶望から逃避して足踏みして良い状況でもない。何かを成し遂げたいのであれば、例えリスクがあろうとも行動する必要があるからだ。逃避や停滞を選べばリスクは回避できるとしても、成し遂げたい野望からは永久に遠ざかってしまう。生きる為には、停滞を選んではいけない。それが例え、行動した結果、死ぬ可能性が膨らむような事態だったとしても。停滞を選べば、確実に死んでしまうのだから。

 

(だが、闇雲に動くのは無しだ。行動しつつも、死のリスクは可能な限り遠ざける必要がある)

 

 情報、情報が必要だ。そして、その為に必要な行動や手順を考え尽くさなければならない。それこそ先の殺気とて、考えなしに感情的に放っていたわけではない。あれも、情報収集の一環だ。

 

(先の殺気で、少女の実力や行動指針、性格は少しだが掴めた。そして、この世界における殺気の許容範囲も。この世界の実力水準を測るのに、多少の参考にはなるだろう)

 

 あの少女は、ある程度の殺気は無視をする。知覚できなかったのではなく、無視をしていたというのがポイントだ。殺気の次元がある程度を超えれば諌めて来るが、それも少女本人が殺気に対して窮屈になるからではなく、近所の人々を気遣って──いやどちらかというと、近所の人々とのいざこざを嫌った側面が強いか。どちらかというと善寄りである少女の対応から見て、おそらくだが、周囲の連中もあの殺気で心身的なダメージを負うことはないのだろう。

 

(まあ先の殺気は拡散させるのではなく、完全に内部に留めていたがな。俺としても無用なトラブルはごめんだ)

 

 ケーキセットだのなんだのと言っていたが、少女の立場はどのようなものだろうか。実力の高さから兵士やそれに準じる立場の人間だと思いたいが、しかし一般人である可能性も捨て切れん。もしも少女が一般人だった場合……俺以外の連中(セオドアやステラ達)の安全面が気掛かりだ。幾らシリルがいたとしても、だ。早急に行動を起こしたいが、やはり情報が足りん。

 

(俺の素性を明かすリスクはどの程度だ? あの女が俺を殺さずにこの世界へ拉致してきた以上、見つかっても即殺害は無い可能性が高い。とはいえ、手元に置くことなく放置している点は流石に気になるが……あるいは俺がこの世界に来た時点で、マーニの目的は達成されている? だとしたら大陸の方も安全圏とは言い難いか。人類最強やソフィアがいるとしても、神一柱を止められるとは思えんし。……いや、それよりも今どうすべきだ? この少女に事情を説明して協力を仰ぐのが一番か?)

 

 先の発言から察するに災厄とやらを追っているようだが、そもそも災厄とはなんだ? しかしそれを訊ねようにも、災厄がこの世界における常識であった場合、俺が月の世界とは異なる世界から来訪したという情報を少女に与えてしまう。月の世界での大陸の立ち位置が分からない──そもそも認識されていないのか、仮想敵対勢力として位置しているのか、どうでも良い扱いをされているのか、友好的なのか──以上、こういった部分ですら慎重にならねばならないのがもどかしい。

 

(……だがこれについては、()()()()()()()()()そこまで気にする必要もない。どのみち世間話のようなことをする中で常識の相違には気づかれる。少しの会話の中からでも分かったが、この少女はそれなりに頭が回るし勘も良い。悪い可能性を考えるのは良いが、それで及び腰になるのも本末転倒だ)

 

 なんなら、ジルであれば言うだろう。堂々と、それはもう堂々と「そもそもここはどこだ、娘」みたいなことを。

 

(この数分で得られたパーソナルデータから考えるに、この少女は自分を持っているタイプの人間だ。世界の常識や価値観に流されるタイプではないだろう。災厄とやらの真相を追う為に、身元不明の不審者をこうして看病している時点で、ある意味この世界に対する瑕疵を持つ同類と言っても過言ではない。神に秘匿しているのだとすれば、叛逆に近いと言えば近いだろう。また、善性も持ち合わせている。これが異なるタイプの人間であれば違った策を取る必要があるが、この少女であれば話は別だ)

 

 現に俺を拘束すらしていない──まあだからこそ殺気で試したのだが──ことが、少女の善良なパーソナリティを物語っていると言えよう。普通に考えて、身元不明な時点でなんらかの対処をするだろうに。逆にこっちが心配してしまうレベルである。

 

(この少女が災厄を追うために後ろめたい行動すらも取れるのなら、協力の姿勢を見せるだけである程度は使えるだろう。……さて)

 

 改めて、俺は真っ直ぐに少女を見据える。見据えて、言った。

 

「私はゾーイ。あんたの名前は? あと、どこに住んで──」

「──いや、そもそも……私は誰だ?」

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