気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでした〜かませ犬にならないために〜 作:弥生零
人間という生き物は、不意の出来事に対して弱い。
心構えを持った上で直面する出来事と、なんの心構えもなく直面する出来事であれば当然後者の方が精神を揺さぶられる。
お化け屋敷をお化け屋敷と理解した上で入るのと、お化け屋敷をアスレチックハウス辺りと勘違いして入るのとでは、当然後者の方がお化けに対して恐怖を抱くだろう。
基本的に聡明な人間というものは、物事に挑む前の準備を怠らない。試験を受ける前にはきちんと対策を練るし、お化け屋敷に入る前は「人」の文字を300回は手に書いて飲み込むだろう。
勿論例外も存在するが、なるべくリスクの管理をしておきたいと考える人間は多い。
そして『龍帝』は、先ほど説明した事前の準備を怠らないタイプの人間だ。世界征服を計画する以上当然といえば当然だが各国に監視の目を送り込んだり、どの国は支配してどの国は放置してどの国は滅ぼすかを熟考したり、スカウト活動だってやっている。
まあ要するに、彼は俺と同じような人間なのだ。
前もって相手の情報を集めて行動パターンを推測し、自分の行動をもある程度決めておき、場を自分にとって都合が良いように動かして心身を掌握するのを狙いにいく。
さて。ではこのタイプの人間同士がぶつかり合う時、大事なのは何か。
答えは様々あるが、そのうちの一つは如何に相手の隙を突き、心理的に優位に事を進めれるかどうかである。
心理的優位性というのは侮れない。圧迫面接を受ければ大抵の人間が普段通りのパフォーマンスを発揮出来ないのと同様に、心理的状況というのは大事なのだ。
つまり、相手の
特に事前に念入りに準備をする人間ほど、予想外の事態には弱い傾向がある。
面接の為に企業研究やら自己分析やら業界分析を余念無く行なったのに、いざ面接本番になって「うちとは全く関係ないんだが、俺はラーメンが好きだ。だからラーメンについて熱く語れ。俺の心を震わせた奴が勝者だ」なんて面接官から言われた日には目が点になる事間違いなしだろう。俺なら即帰宅を選択するが。
色々と長々と説明したが、とにかく不意を突くのは大事なのだ。
だから、そう。
「国の中に入った途端、突如現れる半裸の集団。これで連中は、正常な思考が出来ないだろう。一体この世界のどこに、会談に臨もうとして半裸の集団を視界に入れる事態を想定出来る人間がいる?」
「ボス……」
だから、そう。全ては俺の掌の上なのだ。
半裸の集団は間違いなく『龍帝』の思考の隙を突いた会心の一撃。もはや『龍帝』に、普段通りのパフォーマンスで頭脳戦など不可能に違いない。
「よく分かんないけどジル少年、若干つらそう」
「服を脱ぐ事によって至る最上の信仰。仮にも一国の主である『龍帝』が、ジル様と
「理論展開凄すぎない? キーランくん、今すぐ頭の治療でも受けてきて。世の中はね、常識的な行為も大事なんだよ」
「ようやく、ようやくまともな奴が来てくれ──」
「娘。貴様は『氷の魔女』の魔術に凍結させられるのが趣味だったと記憶しているが?」
「え」
「は? 趣味じゃないから。常識的な行為だから」
「え」
人類最高峰の頭脳を有する者同士の頭脳戦は、そのままいけば間違いなく千日手。
であれば如何にして相手の能力を低下させるかは、非常に重要な戦術として機能する。そしてそれは何も、対面で行わなければならないという訳ではない。
そうこれこそが、盤外戦術。
勝負は戦う前から始まっている。向こうが竜の軍勢を持ち込んできたのに対抗して、こちらは半裸の集団を用意したという訳だ。
竜の軍勢と半裸の集団がぶつかればどうなるかなど、結果は火を見るより明らか。それは彼らの動揺した姿が、何よりも雄弁に物語っている。
「では参ろうか。『龍帝』……貴様の脳裏に、この光景は浮かんでいたか?」
ちなみに俺は全く浮かんでいなかった。我が国の汚点は、間違いなく王都で広がっている光景であるからして。
「さあ、対面といこうではないか」
全ては計画通り。そう思わないと、やってられなかった。
◆◆◆
城の中に入り、シリルは誰にもバレないようにそっと息を吐いた。
ようやく、ようやく半裸の集団を視界に入れなくて済む。まさかあの集団の横を通るだけでここまで疲弊させられるとは思わなかった。
「な、なんだったんだあれは……」
「怖かった……」
「
「その点、『龍帝』様は流石だ」
「あのお方が従えている
背後で配下の者達は、安堵したような声を漏らしている。
まるで過酷な戦場を潜り抜けた直後のような振る舞いが、彼らの精神的ダメージの大きさを物語っていた。
(まさか初手からこれ程の一手を突き出してくるとは……侮れませんね『偽神』)
ここ以外にも宗教国家はあるが、ここは別格であるとシリルは内心で渋面を浮かべる。
一体どれほどのカリスマや扇動力を有しているというのか。そして何より、知略の高さも厄介だ。
胸踊る部分もあるが、目的を考えると喜んでばかりもいられない。個人的な趣味趣向より、優先すべきはこの国を手に入れる事なのだから。
(さて、気を締め直しましょうか)
セオドアの案内の元、シリルは歩を進める。流石に廊下ともなると竜の体躯では通れないので、竜達には城の周囲を飛んでもらっている。
彼らの視線は城にだけ向けられていて、眼下の悍ましい光景は一切視界に入らないようにしていたというのは余談だ。
「この部屋の奥に、私の主にしてこの国の王。ジル殿がいらっしゃいます」
遂に、その時が訪れる。セオドアの言葉にシリルは頷き、背後で配下の兵士達がゴクリと唾を飲み込む。
あのような恐ろしい国を運営する長との対面となれば、それはどんな変態が飛び出すのかと思っているのだろう。
(僕の読みでは『偽神』そのものは変態ではないんですが……僕を動揺させる為にあのような集団を用意するような相手であると考えると、少々読めませんね)
そして、扉が開かれた。
徐々に開かれていく隙間から漏れ出す光は神々しく、シリルは僅かばかり目を細め、そして───
「よく来たな、『龍帝』」
そして、シリルは見た。
「私の名前はジル……歓迎するぞ。なにせ此度の貴様達は、客人だからな」
自身の絶対性を信じて疑っていない笑みを浮かべながら、大国の頂点に君臨する自分に対しても不遜な姿を崩さない『王』の姿を。
前を下ろした神々しい銀色の髪に、蒼く澄み渡った瞳。放たれる覇気はとてもじゃないが小国の長で収まるような器ではなく、狂信的な人間が生まれてしまうのも無理はないと思わせるだけのものを感じさせた。
「盛大にもてなしてやろう。だがその前に、会談を始めるとしようか?」
冷笑を浮かべるジルに対して、シリルも自然と冷笑を浮かべる。
「ええ。なにせ僕達は、その為に訪れたのですから」
「席は設けてある。円形の机故に、上座下座の概念はないがな」
「僕達の立場は対等ですからね」
「然様。此度の会談は、そういうものだ」
視線が交錯して、互いの頭脳が常人では理解出来ない速度で稼働し始めた。何気ない一語一句ですら彼らの前では付け入る隙と化し、同時に牽制にも武器にも変換される。
(それにしても、存在感が凄まじい。……間違いなく、戦闘力が僕より上……いや、これは───)
会話を交わしながら、シリルはジルの観察を並行して行っていた。
(絶対に勝てない相手とは言わない。けれど間違いなく、彼は最低でも僕の相棒に匹敵する実力を有している……)
果たしてこれが限界値なのか、それとも伏せられている実力があるのか。そこまではシリルにも分からない。だがしかしここで重要なのは、目の前の男の実力が想定以上に高い──高すぎる点である。
流石に、流石にこれは想定外だった。
仮に目の前の男が本気で武力による進軍を始めたら、中々に攻略し難い。
(しかし護衛らしき存在がいないのは気になりますね。少しだけこの国の兵士も目視しましたが、それなりに練度はあれどズバ抜けた強者はいなかった……)
この部屋に目の前の男の陣営として存在するのは、男自身とセオドアと名乗った研究者だけ───
「失礼します」
──と。ぺこりと頭を下げた後、部屋の中に
彼女は紅茶の入ったカップを置いたワゴンテーブルを転がしてきて、いそいそと並べ始めた。
(彼女は従者……? いや、それにしては魔力が高い。あの齢で既に
この場合、二つのパターンが考えられる。
一つは、人材が不足しすぎて優秀な戦闘要員に今回の会談のために急遽従者の真似事をさせているパターン。
もう一つは、人材が豊富すぎて戦闘要員となるには基準が非常に高く、少女ですら従者になるしかない。
(状況にもよりますが、遠距離からの攻撃に徹するならば先ほど見たこの国の兵士よりは間違いなく強い)
おそらく、これは前者のパターンだろうとシリルは推測する。
(動作が一々ぎこちない。従者としての訓練は受けていませんね。容姿が優れている少女という理由で急遽、選抜したという事でしょう)
やはりこの国は人材が不足している、とシリルは確信した。
研究者に案内役を任せたり、戦闘員に従者の真似事をさせたりと随所で粗が目立つ。これは人材が不足しているが故の粗であり、間違いなくこの国が抱える問題点の筆頭。
(さて、僕はどう行動を取るべきか……)
だがしかし、目の前の男の実力は間違いなく本物だ。大国をも裏から支配する手腕も有している以上、放置して良い存在ではないのは明白。
順当にいけば間違いなく、力をつけて成り上がってくる。それこそ、小国を取り込みまくれば大国に匹敵しかねない。
自分の目的を考えると、どうするのが最適解か。
(支配。属国。いや、一先ずは同盟──)
「───ところで『龍帝』殿」
そんな思考を遮るかのように、突然目の前の男は先ほどまでと異なる空気を纏う。
なんだ、とシリルが眉をひそめるより早く。男は冷笑を浮かべながら言葉を放った。
「やはり、貴殿の竜は格が違うな? 伝説の竜──ファヴニールの子孫なだけはある」
その言葉を放ったジルの瞳から感じたものに、シリルは背中に嫌な汗が伝ったのを感じた。