気が付いたら前世のアニメの第一部のボスでした〜かませ犬にならないために〜 作:弥生零
『千人殺しのヘクター』の名は、マヌスにも届いていた。マヌス外の人間でありながらマヌスの戦士たちと似たような価値観を有している存在として、ヘクターは有名だったのだ。
強い敵を求めて国を抜けたという経歴こそあるが、傭兵として就いた任務には忠実であり、なおかつ性格は好戦的。実力は大陸有数の強者のそれであり、しかしそれに胡座をかくことなく更なる高みを目指す姿勢もまた、マヌスの上層部としては好ましい性質だった。それこそ、いきなり『蠱毒』の座を与えてもいいという案が出てくる程度には。
そしてヘクター自身も、マヌスに対して意識を向けていた。大陸最強国家、胸が踊るじゃねえかとヘクターは殴り込みに行く気満々だったのだ。無所属の渡り傭兵だからこそ、なんのしがらみもなく彼は戦闘に興じられる。もしも勧誘を受けたなら、それもまた良しとヘクターは考えていた。更なる高みを目指せる、そんな予感があったのだ。
つまるところ、マヌスに所属するヘクターという可能性も、あり得たのだ。
しかし、マヌスが彼を勧誘しようとした頃には、彼の情報は途絶えた。最後に得られた情報は、彼の血痕のみ。死んだと考えられ、ならば誰によって殺されたのか──という物議はあったが「まあ死んだのならその程度だったのだろう」ということで落ち着いた。大陸有数の強者は数こそ少ないが、それでも同格自体は小国であろうと稀に一人はいる。かくいうヘクター自身も、名も知れぬ小国の出だからだ。
なにより彼は手配書にも載るような傭兵だ。大陸最高峰の殺し屋の一人である『粛然の処刑人』辺りに殺されたのだろうと、当時は考えられていた。激しい戦闘痕が残っていたが、ある程度以上の殺し屋が直接戦闘においても優秀なのは、彼らが戦力として有するスペンサーが証明している。
だからマヌスとヘクターの因縁はそれで終わった。直接邂逅することなく終わった……はずだった。
◆◆◆
「いいねェ!」
恐れることなく、立ち向かってくる"敵"。仲間の頭が破裂しようが、仲間の肉体が上半身と下半身で分かれようが、それこそ肉体そのものが消し飛ぼうが──敵は、笑っていた。
「良い! 良い! 血が滾る!!」
「お前を斃して、更なる高みへと!」
「俺が! 次期『蠱毒』だ!!」
強者との戦闘に胸を踊らせる者。
マヌスの人間らしくヘクターを経験値にしてやろうと考える者や、自分より強いのが許せない者。
自尊心の塊のような者。
その胸中は様々。されど確かなことは、ヘクターへと純粋な殺意と闘争心を向けて、戦いを挑んできているということだ。
「ハッ!」
それらを目にして、ヘクターは心の底から笑う。好戦的な笑みと、
「テメェらにはきちんと積み上げてきたものがある! 良いぜ! これがやけくそとかだったらくだらねえと一蹴してやったが……」
もしも敵が、ただの自殺願望者だったのならヘクターはドン引きしていただろう。もしも敵が、大した練度も無い者であればヘクターは適当にあしらっていただろう。もしも敵が、臆病風に吹かれていれば──
だが、そうではない。そうではないのだ。
敵は、ヘクターを殺す気がある。殺す算段がある。死を恐れていないが、別に自ら死のうとしている訳でもない。
大陸有数の強者とまではいかないが、しかし並の兵士の実力は優に超えている。それが複数人同時とあれば、なるほど、大陸有数の強者にも届くかもしれない。
だから笑う。
楽しそうに、ヘクターは笑う。
笑って、
「きちんと殺してやるよ! それが俺たちの生きる世界ってもんだろ!!」
だが、彼と相対する『戦闘鬼兵』たちの顔色に変化はない。
彼らは任務において死闘以外を命じられていない。『蠱毒』であれば最優先の任務達成のために死を回避すべく行動したかもしれないが、彼らの任務は究極的にはこの場を死地とすることである。だから、彼らは止まらない。止まることなく、笑顔で
「オラオラオラオラオラオラァ──ッッッ!」
ヘクターの拳。それは、鋼鉄の鎧であろうと粉々に打ち砕く魔の一撃だ。概念的な防御を付与され、鋼鉄の鎧の数十倍以上の強度を誇る衣服とて、ヘクターの前では紙に等しいものと化す。
ヘクターへと突貫していったマヌスの戦士たち。その全てが、ヘクターの拳一撃でただの肉塊へと変わった。一発殴られただけ。それだけで、彼らは絶命してしまう。
しかもこれで、ヘクターは『加護』を使っていない。
単純に肉体の腕力と強度を増加させる彼の『加護』。シンプルながら非常に強力で、だからこそ素のスペックが上昇すればするほど彼の『加護』は真価を発揮する。
蹴りの衝撃波だけで山をひとつ消し飛ばしたという過去を持つ老執事とひたすらに殴り合う戦闘訓練は、彼の肉体を更なる領域にまで押し上げていた。もはや大陸最強格といえど、ヘクターの拳は一撃たりとも無視できない。
「どうしたァ! 動きを止めた奴から死ぬなんてのはテメェらなら分かってんだろうが!」
ヘクターが跳び、落下と同時にそこにいた兵士の二人を踏み潰す。さらにその周囲にいた兵士複数人を、体ごと腕を振り回すことで吹き飛ばした。吹き飛んだ兵士は、吹き飛ばされた先で血を吐き出しながら絶命する。
「っとぉ!」
背後から後頭部に向けて突き出された槍を、少し頭を傾けるだけで回避する。そのまま右手で槍を掴んで──
「ソラァ!」
左手で裏拳を放つ。
何かが潰れるような鈍い音と同時に、真っ赤な血が大地を濡らした。
「ハッ、芸達者じゃねえか!」
音を超え、少し離れた場所から飛来してくる弓の矢。どうやらそれらには魔術的な概念が付与されているようで、雷や炎を纏っていた。
「だが、届かねえよ!」
撃ち落とせるし、そもそもこの身を貫くほどの威力がない。『加護』を用いればなおさらだ。
だがヘクターはそうすることなく、右足を僅かに下げた。
そして、
「猿真似だが、結構きくぜ!!」
ヘクターが右足を振るうと同時、爆発的な衝撃波が大地を割りながら放たれる。それはヘクターを貫かんとしていた弓矢を消し飛ばしながら、ヘクターの視界に映る全ての兵士の肉体を切断する。
凄絶、というほかなかった。
数多の精鋭たちが、たった一人に蹂躙される。マヌスの兵士は常在戦場の覚悟でこれまで生きてきて、だからこそ死を恐れず、練度も非常に高いはずなのに。
ヘクターという突出した個は、それを軽く叩き潰す。
「──成る程、これ以上は無駄だな」
だからこそ、それは戦場に降り立った。
「あん?」
ピタリ、と静止するマヌスの精鋭たち。
それを見てヘクターの動きも止まり、怪訝そうな表情を浮かべて視線をそちらへと向けた。
「『千人殺し』のヘクターか」
「まあ、そうだが」
声の主は長身と、中性的な容姿が特徴の青年だった。一目見て分かるような強さは感じられず、それがヘクターの警戒心を募らせる。
(こういう手合いが、一番厄介だからな……)
築き上げられている死体の山。大地は割れ、砕け、クレーターだってあちこちに生まれている。ましてや、この人物が降り立つ直前にだって人は死んでいるのだ。
このような苛烈な戦場に、一般人が顔色を変えることなく降り立つなんてあり得ない。自分の名前を把握している点からも、それは明白だ。
おそらく、マヌスの戦士の一人。それも、ヘクターが相手をしている軍勢より上の立場にいる者だろうと推察する。である以上、力量も上に違いない。
だというのに、目の前の戦士からは強さを感じ取れない。今目の前にいるというのに、だ。その異常性は、最大限の警戒に値するもの。否、最大限の警戒をしなければならない。
そう思って、ヘクターが構えをとったその時。
「お前には、『蠱毒』の座席が用意されている」
「……はあ?」
思わず、ヘクターは呆れたような声を出していた。これから殺し合いを始めようという時に突然専門用語を出されて、その座席を用意しているなどと言われれば、誰だってそうなるだろう。
「なんだ、その『蠱毒』ってのは」
「『蠱毒』とは、マヌスの軍事力における最高にして最強の部隊だ。忌まわしき『人類最強』を殺すべく、存在しているといっても過言ではない」
「いや待て、『人類最強』ってのはテメェらの最強じゃねえのか。それを殺すための部隊ってどういうことだよ。マジで意味分かんねえよ」
「マヌスの最強は『人類最強』ではない。この吾だ。ふざけるのも大概にしてもらおう」
「……ええ」
話が通じなさそうだな、とヘクターは思った。この分だと『蠱毒』とやらの説明が正しいのかも分からない。というか多分、正しくないのだろう。
「吾は『人類最強』を殺しにいくが、気が付いたら病室の上にいる。間違いなく、奴が卑劣な技を使ったに違いない」
「いやそれお前が返り討ちにあっただけじゃねえか?」
「ふざけるのも大概にしてもらおう。吾が敗北するわけがない。吾は人類最強よりも強いのだからな」
「いや、そもそもそれが勘違いなんじゃねえか?」
「ふざけるのも大概にしてもらおう。吾が勘違いなどするわけがない。吾は最強なのだからな」
「無敵か? ……いや待て、なんだこの既視感は。さてはテメェあれだろ、狂人だろ」
「ふざけるのも大概にしてもらおう。最強の吾が全て正しい。お前が狂人なのだ、ヘクター」
「ああもう、めんどくせえ……」
殺してえ、とヘクターは思う。
だが、未知の敵を前になんの策もなく攻撃に移るのはあまり良くないだろう。情報によれば、キーランとステラが戦った相手は物理的に倒すのが不可能な存在だったらしい。ある程度は様子を見るべきで──しかしそれが敵の策であった場合、それはそれで面倒かもしれない。
(小手調べといくか)
右足で地面を踏みつけ、大地が割れることでできた巨大な岩石をちゃぶ台返しのように持ち上げた。
それを──
「挨拶代わりだ、受け取れや!」
それを、蹴り飛ばす。
近接戦闘に特化したヘクターは、遠中距離からの攻撃手段に乏しい。それこそ衝撃波を飛ばすか、このようにして地形を崩して強引に攻撃するという単純なものしかないのだ。
だがそれでも、攻撃された方にとっては十分以上に脅威的な一撃である。だからこそ、ヘクターは観察目的でこれを攻撃手段として用いた。
回避か、異能を使うのか、物理的に防ぐのか、それらを見極めるために。
「勧誘を断るのか?」
青年が選んだのは、回避だった。長髪をたなびかせながら、彼はなんでもない風に岩石を横に避ける。
「勧誘もクソも、意味が分かんねえって言ってんだろうが。そこに入って、なんのメリットがあるんだよ」
狂人との会話なんてごめんなんだがな、と思いながらもヘクターはあえて言葉に乗った。ジルを裏切るつもりなんて皆無であるが、情報自体は有用なものが手に入るかもしれないのと、敵を観察するためだ。
とはいえ、敵は間違いなく狂人である。つまり、青年から得られる情報の正確性は微妙なものの可能性が高く、だからこそ時間の無駄になる気しかしていないというのも本音ではあった。
「最強に至るべく、己を高められる。現時点での最強は吾だから、吾を目指すといい」
「……それ、そこに入る必要ねえじゃねえか」
「環境というものは大事だぞ、傭兵。お前は各地を渡り歩くことで己を高めているつもりかもしれないが、マヌス以上の環境などこの世界に存在しない。吾ほどではないが、世界最強が集う環境だ。有象無象を相手に傭兵家業をするよりも、マヌスで戦闘をする方が、己のためになるだろう」
「……世界最強、ねえ」
ヘクターの脳裏に、教会勢力が浮かぶ。
マヌスは確かに強力なのだろうが、世界最強を語るほどなのだろうか。自分もそれなりに強いという自負があったが、教会勢力を見て上には上がいるのだと歓喜に震え、同時に、更に鍛錬に対して真剣に打ち込むようになった。
(環境が大事ってのはその通りだろうが、
ジルは間違いなく、強大ななにかを見据えている。
狂信的な教会勢力を傘下に加えればいいものを、それを避けている節だってある。今だって貪欲に力を求めているし、そのためかこれまでは避けていた"戦争"にさえ乗った。
故にヘクターはこう考えている。マヌスを倒すのは、ジルにとって通過点に過ぎないと。
もちろん自分たちとて驕りや油断は禁物だが、しかしこれを乗り越えられないようであれば、おそらく、未来はないような事態が起こる。そうなるやもしれないと、なんとなくヘクターは予感しているのだ。
「吾らは更なる力を常に求め続ける。ヘクター、お前もこちら側に付くべきだぞ。なにせ──人類の限界を超えられるのだから」
「……」
その言葉を話す青年は、先ほどまでとは少し異なる雰囲気を
「吾らは選ばれている。神ではなく、時代にと言うべきか」
「……」
「人間では決して避けられぬ結末。それを覆す手段が吾らにはある。悲願は目の前だ。最終術式が発動すれば、吾はもはや神も同然。お前を含めた他の連中も、オマケついでに人間程度であれば超えられるさ」
「……」
神。
最近はその単語を聞く機会が多いな、とヘクターは思い──同時に、青年が口にした"最終術式"とやらが気になった。
(連中の切り札は『地の術式』とか言っていたが、それとは別のなにかが、こいつらにはあんのか? ……いや、発動すればと言ったな。つまり、現時点では不可能……)
おそらくはそれが、連中が『神の力』を欲する理由。
(この場は退いて、ボスに情報を渡すのが優先かねえ)
得体が知れない狂人とはいえ強者との戦闘から退くのは名残惜しく思うが、しかしヘクターは冷静だった。この辺りが、ジルに気に入られる所以だろう。戦闘狂の気質を持ちながら、組織に属するということの意味を理解しているところが。
(つってもまあ)
とはいえ。とはいえ、だ。
「さて、これを知ってもらったからには」
「……」
「お前の未来は、二つに一つだ」
青年の手の甲に埋め込まれた水晶玉が、輝き始める。情報にあった『地の術式』発動の予兆を前にして、ヘクターの目が細められた。
「吾の下に付くか。ここで死ぬか。好きな方を選ぶといい『千人殺し』のヘクターよ」
先ほどまでと違って分かりやすい圧力を感じて。
「……ハッ。おもしれえ」
簡単には退けそうにねえな──とヘクターは僅かに口角を吊り上げた。
テールムは男の娘(?)です
ヘクターは漢です