<Infinite Dendrogram>~クソゲーハンター、クソゲーに挑まんとす~ 作:折本装置
■■ある魔王の話
彼女――アーサー・ペンシルゴンが<Infinite Dendrogram>を始めたことに、大した理由はない。
付け加えるのであれば、ゲームをする理由はあるが、デンドロでなくてはならない理由は特にない。
しいて理由を上げるとすれば、自由度の高さだろうか。
彼女の強みは交渉術などを巧みに利用した意地の悪い戦術である。
使えるオブジェクトの数が多い程、
リアリティを追求してドロップ率が破綻したユナイト・ラウンズではただ一人のプレイヤーがゲーム全体を支配するという異常事態すら引き起こしている。
ゆえに、彼女にとって高性能のAIが使われている<Infinite Dendrogram>はまさに夢のようなゲームだった。
始める前までは、そう思っていた。
◇
「うーん」
王都のカフェにて、ペンシルゴンは一人紅茶のカップを弄びながらうなっていた。
傍から見ると絵になる光景だったりするのだが、彼女としてはそれどころではない。
「なんか変だぞ、このゲーム」
率直に彼女の心境を言い表せば、困惑である。
対NPCを想定した交渉術のノウハウ。
それが、ティアンと呼ばれる<Infinite Dendrogram>のNPCには全く通用しなかった。
最初は、AIの性能が高すぎるからなのかと思った。
けれど、様々な試行錯誤の末、それは違うとわかった。
端的に言えば、ティアンは
それが、彼女の経験と能力が出したたった一つの結論である。
ペンシルゴン――天音永遠は高い交渉能力を持っている。
そして、その交渉術にはいくつかのパターンがある。
わかりやすく言えば、対人間と対NPCにおけるノウハウが異なるということ。
損得や享楽で動くゲーマーと、世界観やストーリーのための舞台装置に過ぎないNPCへの対処法が違うのは当然のことだ。
ペンシルゴンほど極端ではないにしても、多くのプレイヤーがNPCかプレイヤーかで対応を変えるはずだ。
ゆえに、ペンシルゴンもまた、NPCに対するコミュニケーションを、ティアンに対しても行い。
結果は、失敗。
そして成功に終わった。
対人間用のコミュニケーションに切り替えたとたん、すべてがうまくいくようになった。
長年にわたって人間を操ってきた彼女だからこそ、はっきりと断言できる。
ティアンは、断じてゲームのキャラクターやAIではない。
ましてや、シナリオを進めるための舞台装置ですらない。
「彼らは、人間だ……。間違いない」
方法はわからない。
ペンシルゴンですらわからないほど優れたAIなのか、すべてに中の人が入っているのか。
あるいは、そもそも
「まあ、いいか」
この<Infinite Dendrogram>というゲームの特異性は理解した。
それならそれでいい。
NPCのいないオンラインゲームだと割り切って遊べばいいだけのことではないか。
この時のペンシルゴンは、そう考えていた。
◇◆◇
「うーん」
ペンシルゴンは、PKとして活動し、アルター王国ではかなりの実力者として名をはせていた。
ほとんどソロでやっていることや、コストの都合上さすがに“アームズ殺し”には及ばないが、それでもプレイヤーの間では“嬲り殺し”のペンシルゴンという二つ名までもらっている。
<エンブリオ>も順調に進化しており、ジョブレベルも広域殲滅型らしくハイペースで上がっている。
モンスターを討伐し、クエストをこなし、順調に楽しんでいた。
しかし。
彼女には一つの不満があった。
ゲームに対する不満ではない。
むしろ、このゲームに不満などない。
彼女が不満に思っているのは、自分自身に対してであった。
「どうして、ティアンを殺せないんだろう」
アーサー・ペンシルゴンは、ティアンを殺したことは一度もない。
リスクやデメリットの問題――ではない。
ティアンを殺せば指名手配されるが、それにだって抜け道はある。
夜盗などの類、犯罪者のティアンや正当防衛であれば罪に問われることはない。
そういうティアンを狩れば、デメリットはないし、賞金をもらえることだってある。(実際、とあるルーキーがのちに山賊団を壊滅させて数千万リルの賞金を得ている)
加えて、PKの知り合いから得た情報によればティアンはなぜか経験値効率がいいらしい。
それが、運営が用意した仕様なのか、はたまた何かの間違いなのか。
ともあれ、彼女に合理的な観点からティアン殺しをためらう理由は存在しない。
「わかってるよね、それは」
殺したくないから、殺していない。
それは、彼女がゲームをする根本的な理由につながる。
破滅したい――けれど現実でそれをやるわけにはいかない。
現実というのは、やり直しは効かないし、そう簡単に放り出して積みゲーにすることもできない。
そして、<Infinite Dendrogram>においてはティアンに対して、それと同じことが言えた。
ティアンは死ねば還らない、取り返しがつかない。
だから、できない。
ゲームだから、データだから、そしてやり直しがきくから。
ペンシルゴンというゲーマーは簡単に命を奪うことが出来た。
たった一つの、かけがえのない命であるという風に認識してしまったら。
優しさではない。
ただ、彼女の本質的な部分がどうしても「取り返しのつかないもの」を壊すことを許せなかったがために。
ペンシルゴンは、ティアンを一人も殺してこなかった。
――今日までは。
To be continued.