何か酷い夢を見た気がする。
だが何も思い出せない、そもそも今自分は起きているのだろうか。
この頃からだろうか、夜を誰かに支配されるようになったのは。
別に何も変わっちゃいない、何も問題はない。
誰に危害を加えるでも肉体に影響があるわけでもない。
でも何故だろうか。
夜が、怖い。
目を開けると、そこには木の天井があった。
天井なんて気にしたのは二度目だから、なぜかその感覚が酷く懐かしい。
もうすっかり見慣れたもののはずなのに。
「フィリア、今って、何時?」
いつも隣にいた彼女の名を呼ぶが返事が返ってこない。
そうか、朝は叩き起こされる時くらいだ。
自分で起きたことなんて数回ほどしかないが今日はその一回になったのかもしれない。
だが何故だろう、頭がくらくらして体が重い。
ああそうか、今は朝じゃないんだ。
じゃあなんだろう、この誰かいるような感覚は。
「ん?」
突然布団がもぞっと動き反射で飛び起きそうになるがやはり体がついて来ない。
仕方なく布団を捲り覗くとそこには女の子の姿があった。
「どうしたのメルン。……メルンちゃん?」
「すぅー、すぅー」
いつからここにいたのかすっかり熟睡していた。
実に無防備な姿である。
こんなところヒュースに見られたらしばらく動けない体にされそうである。
想像しただけで寒気がした。
メルンの部屋に連れて行ってあげようか迷うが、絶えず体を駆け巡る虚脱感に諦めろと促されているような気がする。
その感覚にため息を吐くと捲れた布団を元に戻し、意識を集中して体を起こす。
なんとか起き上がるが、立ち上がればさらに体が重く感じる。
だるい。
動くことさえやめたくなりそうだ。
初めて重力に対して苛立ちを覚える。
もう一度寝てしまおうかと考える。
よく考えたら急いで起きる必要なんて無かったのにどうして腰を上げているのだろうか。
窓の外を見るとすっかり暗くなっており、若干明かりがついている辺りまだ就寝の時間では無いのかもしれない。
居間に行けば誰かいるだろうか。
別に寂しいわけでは無い、現にこの部屋にいるだけで一人ぼっちにはならない。
だがどうしてか。
みんなの顔が見たかった。
ゆっくりドアへと歩みを進め気づかれないように開けて閉める。
ここは二階だ、まだ階段がある。
一段ずつ降りるのが懸命だろう。
「なんか、一気に老けた気分」
一人で冗談をつぶやき、階段へ一歩踏み出そうとする。
「待って」
「わっ」
瞬間後ろから誰かに抱きしめられていた。
背丈と声で分かるがメルンだろう。
「起こしちゃったね、ごめん」
「ううん、お母さんに見守っててって言われたから」
「エレゼンさんにか。てことは、もしかしてずっと起きてたのか?」
「眠たくて寝ちゃった」
「そっか」
布団での奇怪な挙動を見られていたらと思うと少し恥ずかしい。
今も自由自在に動くわけでは無いのでどっちにしろ大差は無いわけだが。
そのまま肩を貸してくれるというメルンに甘え階段を降りていく。
壁を伝っていくよりもこの方が楽なのでとても助かっていた。
それでもやはり足元がおぼつかない。
かなり体重をかけているはずなので酷く申し訳なかった。
肩を借りた状態でリビングに行くとフィリア、マキナ、それにシーボルト夫妻が夕食を囲んで座っていた。
今できたばかりなのかまだ手を付けている様子はない。
「やっと来たかヒビヤ。早く席につけ、飯が冷めちまう」
「私の作ったご飯は冷めても美味しいのよ?」
「いやエレゼン、そういうことじゃないんだ」
そんな冗談を言いながら暖かく迎え入れてくれた。
目が覚めて少し経てば自分が何故こんなことになっているのか思い出していた。
魔力枯渇。
穴の空いた記憶の方は一向に補填されないが魔法はそれなりに放っていた。
魔力量なんかは適当に込めていただろうしきっと調整せずに全力で打ち込んでいたのだろう。
そんなことをすれば当然こうなるのは目に見えていた。
「お前のこと待ってたわけじゃねえからな?ただ、男一人で食うのはつまんないだけだ」
「でもヒュースさん、さっきまで『俺のせいでヒビヤが』なんて嘆いてたじゃないですか」
「うるせえチビ」
「私はチビではありません。
「そうかよ」
むすっとした顔でマキナがヒュースを睨んでいる。
だが、どうやら今日はこれ以上の喧嘩にはならないらしい。
「それとヒビヤ君」
「はい?」
「これから私、この家の住人になることになりました」
「そうなんですか。……理由を聞いても?」
「皆さんが許可してくださったので、宿代も浮くし何よりご飯が美味しいので」
そう言いながら目の前の食べ物に目をきらつかせている。
もしかしたらヒュースよりもお預けを食らってストレスが溜まっているかもしれない。
どれぐらい待っていたのだろうか。
「そしてもうひとつ」
こほん、と間を置くような咳ばらいをする。
なんだろうと少し真剣に構えるとマキナは不自然な笑みを浮かべていた。
「私も、負けませんから」
どういう意味なのかさっぱり理解できないでいたが、それでいいのかマキナは優しく微笑んでいた。
訳を聞くのは恐らく無粋だろうと躊躇する。
その後席に着くとすぐに夕食は始まった。
少し冷えてしまっているようで皆が結構待っていてくれたことが伺える。
その優しさが酷く染みていた。
本当に、自分の体を一体何が襲っているのだろうか。
食べる速度が今日はメルン以上に遅いというのに、その手が涙のせいで止まってしまった。
その姿を見て誰も取り乱す様子はなく、皆不自然なほどに落ち着いた顔をしている。
ここで泣くのが分かっていたかのようなその態度にヒビヤは必死でその涙を食い止めようとした。
それを見てヒュースが笑っている。
「泣きたい時くらい泣けよ、子供なんか誰だってそうだ」
「うるさい……」
「良いんですよ、気にしなくて。誰も責めたりしませんから」
「なんで、子ども扱いするんだよ……」
「別に子供扱いしているわけではありませんよ。ただ、あなたがそうしていても罰は当たりませんよという話です」
ごめんなさい、とマキナがヒビヤの頭を撫でる。
その意味がヒビヤには分からない。
皆がこんなに優しい理由も自分がこうなる理由も分からない。
甘えて良いのだろうか、そうなる資格はあるのだろうか。
罰が当たらないなら、少しくらいは。
まだ自分も子供なんだなと初めて実感していた。
ひとしきり泣いた後、皆で食事を再開した。
「ご馳走様です」
食事を終え、皿を片付けストレッチをする。
食事のおかげか魔力が少し体に戻り、虚脱感が薄れたような気がした。
現に先ほどまでののろさは無くなりしっかり体が動くようになっている。
「ちょっと行ってきますね」
「こんな時間にどこに行くんですか」
「素振りですよ。魔法は厳しいので」
「おいおい今日くらい休めよ」
立てかけてある剣に手を伸ばそうとするが止められる。
ヒュースがこんなことを言うのは珍しい。
何か心境の変化でもあったのだろうか。
「体も動くようになったので大丈夫です。それに、休んでなんていられないですから」
「倒れても知らねえぞ」
「その時はまた運んでくださいね」
半ば強引に剣を取ると納得していないようなヒュースをすり抜け玄関へと向かう。
いつもは重さなんて気にしない剣が多少気になる辺り完全回復では無いようだ。
きっと一日寝れば元通りになるのだろう。
ここで運動をすればきっとぐっすりだ。
バタンッ。
扉を閉めた乾いた音が響く。
気づけば玄関の近くに全員が集まっていた。
「泣きじゃくってやる気が無くなる方に賭けたが外れたか」
「あの子はそういうタイプじゃないでしょう」
「んなこた分かってるよ、一応な」
「変な方に走ったりしなければ良いんですけどね。まあ、責任は私たちにあるんですけれど」
「気が触れないことを祈るしかないな。今のあいつにはなんか憑いてやがる。エレゼンが治せないほどのな」
「言わなくていいんですか?本人に」
「考えてるところだよ。ただ、不安を抱えたまま生きるってのがどれだけ辛いか考えるとな」
「でもあれって私達だけじゃなくて本人にも」
「だから考えてんだよ。分かんねえから、今はうちの神官様のご指示待ちだ」
大人三人が不穏な空気を流す。
ヒュースの言う通り既にエレゼンが一度解呪を試みた。
相手を呪う魔法や術の類は多くあるため、それを解く方法も当然存在する。
一番簡単なのは術者本人を殺すことだが遠くに行ってしまってはそれも厳しい話だ。
時間が経てば解けるものもあるが、簡単に解呪出来ないとなるとその線も薄い。
この街で一番のプリーストに頼んでこれなのだから、既にお手上げ状態だ。
三人がお互い考えこんでいるとそれを見計らってかメルンがヒュースの隣に立っていた。
そこで何か思いついたのかヒュースがメルンの頭をぽんと叩く。
「メルン、あいつのこと見守ってくれないか」
「任せて、お父さん」
父の頼みを快く受け、軽く支度をした後外へと出ていく。
ヒュースはその背をただ、祈るように見つめることしか出来なかった。
その後ろ、ずっと傍にいたフィリアでさえもその場から動けずにいた。