『私は君の友達だよ』
この言葉を聞いた時、この子は不思議な子なんだろうなと思った。
だが彼女の目に嘘はなく、真剣にこの言葉を発したというのが見て分かる。
そうなればなおのことおかしな子になるわけだが、とてもじゃないが友達欲しさにキャッキャする年頃には見えない。
何か深い意味があるのだろうか。
「ごめん、もう一度言ってもらえるかな?」
「今日から私は君の友達になるの!」
「ごめんやっぱりもう一回聞いても分からなかった」
「嘘嘘。あ、嘘じゃないんだよ?ごめんね、ちょっと戸惑ってる君が面白くて」
そういうと彼女は背後からおもむろに一冊の本を取り出してそれを差し出してきた。
どうやら遊ばれていたようだ。
その本は黒っぽい色をしており、厚くも無ければ薄くもない至って普通の本だった。
使い古されているのか本の角はボロボロになっており、圧をかければ壊れてしまうようなもろさを感じた。
そんな本を受け取ると躊躇いもせずに中を開く。
『来るべき勇者へ』
一ページ目には本のタイトルなのかそんなことが書いてあった。
よく見ると右下にNo.5と書いてある。
何の番号なのかは分からないがこんなに古いものとなると五冊目とかそのあたりではないだろうか。
「単刀直入に言うとね、君はこの世界を救うための勇者ってわけ」
淡々と話し始める彼女の言葉に小首を傾げると彼女は苦笑し、本を取り上げると中をぺらぺらとめくった。
「この本はね、私の一族で代々伝えられてきたものなの。まだ全部は見せられないんだけど、この本にはあなたのこととこの世界のことが色々書かれていてね。勿論いきなり信じろなんて言っても無理があることは分かってるんだけど」
ほら、と再び中身を開いて見せてくる彼女の本を受け取った。
────この世界が危機に陥りしとき、一人の勇者が現れる────
彼の名前は────
「ヒビヤ・プレイスト」
自分で口にした名前がひどく心に残る。
今まで自分の名前を知らなかったかのようにその名前をひたすらに連呼していた。
姓はプレイスト、名がヒビヤ。
姓のプレイストという名だけが、ずっと彼の心の中をぐるぐると回っていた。
「はい!これでおしまいね」
「あっ」
「別に君の名前がなんだとか信用して欲しいとか今更そういうのは無いの」
「僕が君を怪しいと思って君に剣を向けたらどうするの?」
「剣なんて持ってないでしょ?」
「言葉の綾だよ」
一見敵対するような言葉に彼女は身構えるが、当の本人は言葉とは裏腹に依然として行動を起こす様子はなかった。
そんな彼に一瞬恐怖を覚えるが何もされないならそれに越したことはない。
「どうも君相手だと調子が狂うね」
そう言って汗をぬぐうようなモーションを取る彼女に苦笑いする。
「君の話し方にもほんのちょっとだけ悪いところあると思うよ」
「それは分かってるよもう。……分かった、もう回りくどい言い方はやめるから」
「うん」
素直に返事をするヒビヤにため息をつくと突然手を横にばっと広げる。
最初に突飛な発言をしたときと同様、彼女はまた自信ありげにその手を広げていた。
「私のこと
「それが君の名前なの?」
「そう。呼んでくれたら、私が君の武器になるから」
「そういうのが回りくどいって言うんじゃ────」
「良いからほら、呼んでみて」
どうぞ!っと言わんばかりにもう一度ばっと手を広げる。
そんな彼女を不思議そうに見るが段々と恥ずかしそうな顔をする彼女に気づき、すぐにその名を呼んだ。
「……フー」
その名を口にした直後、彼女の体は風に包まれ消えてしまう。
次の瞬間その風はヒビヤの右手へと収まり、小さな金属音を奏でていた。
刀身は長く、彼の背丈とは大差ないように見える。
『握り心地はどう?』
「うわっ」
突如として現れた剣をカチャカチャと弄っていると先ほどの彼女の声が不自然な形で聞こえてくる。
聴覚というよりは、脳に直接語り掛けてくるようなそういう感覚だ。
『ちょっとは驚いてくれた?』
「かなり」
『それは良かった。試しに少し振ってみたら?見た目に比べて遥かに軽いはずだから、触ったことない人でも振り回すくらいは出来ると思うけど』
彼女に言われるなり、握ったこともない剣を無作法に振り回してみる。
彼女の言う通り彼の背丈ほどあるその剣は物理現象を無視するようにぶんぶんと空を切っていく。
重量としては短剣を握っているのと大差なかった。
『私は君が来るのをずっと待ってたの。さっきの本と合わせて少しは信用してくれた?』
「なぁフー。君は人間なのかい?」
ヒビヤの言葉が風と共に草原を駆けていく。
先ほどまで饒舌だったのが嘘のように彼女は言葉を発さなくなってしまった。
まるで剣に溶けて無くなってしまったかのように。
「僕だって無視はしなかったのに、それはひどくない?」
『……じゃあヒビヤ、君には私が人間に見える?』
「そりゃ見えないよ。人が剣になるなんて聞いたことないからね」
右手に収まる剣を見つめながら容赦のない言葉をぶつける。
脳に直接言葉が届くせいで無意識か、彼女の言葉にならない声がヒビヤには届いていた。
こんなことを言えばきっと傷つくだろうというのはおおよそ予想は出来ていた。
それでも嘘はつけない、嘘をつけばそれまでだ。
不気味だ、なんて口にしなかっただけマシというものだろう。
「でも、君はきっと人間なんだろうね。この沈黙を人以外が作り出したのだとしたらそれこそ異常だよ。……こんなに意気揚々と話してるけど、僕だってここがどこだか分からないんだ。本当は怖い。それこそ、君が人か人じゃないかなんて関係ないくらいに。だからほら、よくわからないけど、これからよろしくね。友達、なんでしょ」
右手に握られた剣に話しかける。
剣に話しかけるなんて不思議な感覚だが、ヒビヤの目にはしっかりと彼女の姿が映っていた。
自分のことばかり考えていたが、もしあの本が本当だとすれば彼女も立派な犠牲者のようなものだ。
ある日突然初めて会う人にこんな説明をして身柄を明け渡して。
そんなの常人が出来る技ではなかった。
『君の言う通り私は人間だよ。少なくとも私はそう思ってる。君が来るのをずっと待ってた女の子。少しロマンチックじゃない?』
「ロマンチックなんて言葉が君の口から出てくるとは」
『私だって乙女なんだからね!?』
彼女の大きな声が脳内に響く。
初めて聞くそんな声にどこか安心感を覚えた。
『そろそろ元に戻してくれる?』
「あ、ごめん。……どうやって?」
『普通に解除って言ってくれたら元に戻れるよ』
「終わりはあっさりなんだね」
『そんなものよ』
解除と呟くとまた一瞬風のようになった後元の姿に戻った。
心地よい風と共に金色の髪が宙を舞う。
太陽に彼女の髪が透き通り、乱反射する光に思わず顔を覆う。
顔を覆うヒビヤをどうしたの?と何食わぬ顔で見てくる姿はどこか晴れやかだった。
『きゃあああああああ!!!』
『助けてくれ……!誰か……!!』
「……っ!」
突然聞こえてきた何かに思わず耳を塞ぐ。
しかしその声はヒビヤのガードを無意味とし直接脳へと届けられていた。
先ほど彼女が行ったように、されどあの時の心地よさは微塵も感じられなかった。
「君、何か聞こえない?」
「えっ?別になにも」
どうやら彼女には聞こえていないらしい。
だが気のせいなんてものでは片付けられないほどにその声はヒビヤの耳を侵食していく。
急いでその声の発生源を探してみるが、周囲を見渡してもあるのは麓にある小さな街だけ。
小さな街。
″ドガァァァン!!″
麓の街を見ていたヒビヤの目には外壁が音を立てて崩れいく光景が映っていた。
そう簡単に崩れるはずのない分厚い壁をいともたやすく。
ここからではうまく視認できないが、壊れた壁からぞろぞろと街の中に生き物が押し寄せていた。
地獄絵図だ。
「うそ……」
隣にいる彼女が口を押えて絶句している。
ここに彼女が居るということはおそらくあの街に彼女の住処があるのだろう。
もしかしたら家族もいるのかもしれない。
家族。
「……行かなくちゃ」
「ちょっと待って!」
一人で走って行こうとする彼女の腕を勢いよく引っ張る。
ぐんと引っ張られ少しよろける彼女の右手には先ほどまで無かった短剣が握り締められていた。
彼女の表情は怒りと恐怖で歪んでおり、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気はすっかり消え去っている。
「どいてよ!」
「あの中を一人で行くつもり?正気じゃないよ?」
「行くしかないでしょ!あの街は私の街なの!!いつもだったらもう少し後なのに……!」
「後って何の話?あの街に君以外に戦える人はいないの?」
「いるよ!いるけど……!今あの街にいる人達だけじゃすぐに限界が来ちゃう!」
「いつもは他に人がいるの?その人たちはどこにいるんだよ」
「いつもの遠征に行ってるの、だから戻らない。私が戻らないとあの街は」
「君一人戻っただけで何が変わるって言うんだよ」
「それでも戻らなきゃでしょ!」
「こんな震えてる君を一人行かせられるわけがないでしょ!ちょっとはこっちを見てよ!」
引っ張り続ける彼女を一度こっちに無理やり引く。
こちらを向いた彼女は一瞬目を合わせるとすぐにその顔を伏せてしまった。
ほんの一瞬だが、彼女の目には涙が溜まっていた。
自分でも分かっているのだ、彼に言われずとも自分が役立たずなことなんて。
今まで剣の鍛錬は物心ついた頃から欠かさなかった。
だがどれだけ剣を振ろうとも、才が無いことには限界はすぐにやってくる。
彼女に至ってはその限界が来るのがあまりにも早すぎた。
彼女の目にはあの街にぞろぞろと入っていった魔物が何なのかおおよそ検討はついている。
無論親玉を除けばそこまで強い魔物ではない。
だが彼女はその強いわけではない魔物にてこずってしまうのだ。
一対一なら勝機はあるかもしれない。
だがあの数に囲まれて太刀打ちできるなど、そんな甘いことを彼女は考えていなかった。
自分の力量は自分が一番わかっている。
「じゃあ、どうしろって言うの。ここでただずっと見てろっていうの……?」
「そうは言ってないだろ。ついさっき君は言ったじゃないか。僕の武器に、剣になってくれるって。君が剣になって、僕が戦えば良いじゃないか」
「それは……出来ないの」
「どうして?僕はそのために──」
「ごめん!」
突然勢いよく腕を振り払われ慌ててもう一度腕を掴もうとする。
だが次の瞬間ヒビヤの視線がガクンと下に落ちた。
目の前には何やら鮮やかな色の気が漂っている。
それが何なのか分からないが、手を伸ばそうにも体は動かず、思考だけが加速していく。
完全に力が抜けきった頃、最後に瞼がゆっくりと閉じていった。
どこからかごめんという声が聞こえてきた気がした。
□ ■ □
街の一角、多数の魔物が一人の少女を囲みその姿を舐めるように見ていた。
この街に入ってから小一時間が過ぎてやっと見つけた一匹の餌だ。
そろそろ苛立つ頃だったがタイミングとしてはちょうどいい。
魔物と言えど知能はそれなりにあり、当然格下の相手を甚振る術を各々持ち合わせている。
小さな
じりじりと下がりながら牽制をする彼女をあざ笑うかのようにウルフが遠吠えをし間を詰める。
その度に街のあちらこちらから新たな魔物がやってくる。
背中を向けて逃げたとしても時間の問題だ。
街の中にいる戦える者は既に住民の命を最優先とし住民の避難場所へと移動している。
頼みの綱は遠征に出ている者たちだが、戻ってくる気配がないことに加えそれまで持ち堪えることが出来ないことは本人が一番分かっていた。
それに。
″グオオォォオオォオ!!″
「あんなの、勝てるわけが無いじゃない……」
彼女の目には遠く、地面を揺らしながら街を蹂躙する巨体の姿がしっかりと映っていた。
仮にもし目の前のこの魔物たちをどうにか出来たとして、自分が本当にやろうと思っていたことが出来るはずもない。
あの怪物を相手に時間稼ぎ。
良くて一歩だ。
「ワオォォォォン!」
「うるさい!!」
再度遠吠えをするウルフに服のポケットを触り何かを取り出そうとする。
だが先ほどそれを使ってしまったことを思い出すと慌てて短剣を構えた。
「本当はこういう時に使うようにってマキナに貰ったのに。……ごめんなさい、ヒビヤ」
唇を強く噛むとポケットに入った空の瓶を群れの中央へと投げる。
宙を舞う瓶が地面に当たる音と共に、目の前のウルフが駆けだす。
一気に距離を詰めてくるウルフの姿を彼女は必死に追った。
いくら知能があると言えど所詮は魔物。
集団戦法なんていう概念はこいつらにはない。
遠くから飛び込んでくるウルフの狙いを予想し、その場から下がり到達地点に短剣を持っていく。
狙い通りに彼女の短剣はウルフの顔面を突き刺し、合わせて目一杯振るとその顔面を二つに切り刻んだ。
彼女の横を通り過ぎるウルフの返り血を浴び片目が塞がる。
まずは一匹、次の魔物は────
「あっ」
前しか見ていなかった彼女の後頭部目掛けて後ろから鈍器が振り下ろされる。
全てが全力である彼女に一体一体の音を聞く能力なんて持ち合わせていなかった。
魔物に集団戦法という能はない。
だがらといって勝てるわけではなかった。
「うっ!」
急いで受け身の体勢になるが当然間に合うわけもなく殴られ壁へと吹き飛ばされる。
頭を強打し体を打ち付け、全身の痛みと吐き気眩暈が彼女の意識を奪っていった。
今自分がどうなっているのか、武器を握っているのかどうかすらわからない。
彼女に死を想像する一瞬すら与えることは無かった。
そんな彼女に容赦なくとどめの一撃が振り下ろされる。
「フー!」