虚ろな視界の中、青一色だけが眼前を埋め尽くす。
地が震え硝煙が立ち込めているが、虚ろな彼の体はまだそれを感じ取ることが出来ない。
少し前目が覚めた時はこんなだっただろうか。
少し前まで何をしていたっけ。
少し前。
記憶が何もない。
記憶が無いことが不思議なのかもわからない。
これ以上考えてはいけない気がする。
怖い。怖い。怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわい
何が怖いんだろうか、なんで怖がる必要があるんだ。
そんなことならいっそ────
『私は君の友達だよ』
「フー!」
体をがばっと起こす。
先ほどまで虚ろだった感覚は消え記憶が鮮明に蘇る。
地には草原が広がり丘の麓には大きな壁に囲まれた小さな街が一つ。
その外壁も一方が大きく破壊されており、今はいないが先ほどまで多くの魔物が侵入していたこともよく覚えている。
そして彼女があの後何をしたのかも。
「なんだったんだろう、さっきの青いの」
突然目の前に青いオーラのようなものが漂い、それを見た直後に気を失ってしまった。
おそらくあの青色の何かによって気を失ってしまったのだろう。
それは置いておいて、この場でヒビヤの気を失わせたこと。
その直前に彼女が口にしていた言葉を鑑みるに彼女は今頃あの街の中にいるのだろう。
あの子一人だけであの街をどうにか出来る力があるのだろうか。
あるのだとしたらあんなに震えているはずがない。
あの子は無理も承知で一人で。
「……行かなくちゃ」
そう言って踏み出した一歩がそこで止まる。
おかしいな、と頭で思い自分の足元を見て小さく笑う。
彼女のことを馬鹿に出来ないくらい足が震えていた、手が震えていた。
変な汗が出る、呼吸が上がる。
だからなんだ、見えた生物はどれも小さいじゃないか。
彼女がいれば武器だって手に入る、彼女がいれば。
「そうじゃ、ないだろ」
彼女がいなくなったらまた一人ぼっちだ。
暗い世界のなかで一人ぼっち、何をしたらいいのかもわからない。
そんなの死んでるのと変わらないじゃないか。
今死ねば楽になれるのかもしれない。
じゃあさっきの子はどうする。
「無視できるわけ無い」
震える膝をばんっと叩き勢いよく丘を駆けおりていく。
途中足が縺れ丘を転げ落ちていくがそれでも良かった。
前に進んでいる、もう誰にも止められない。
死にたいなんて思わない、まだ彼女を助けられてないのだから。
死ぬのなんていつでもできるじゃないか。
でも彼女を守れるのは今だけで、自分だけなのだから。
「フーーー!!!」
破壊された壁から無理やり街の中に侵入し転げながら彼女の名を何度も大声で呼ぶ。
無様に転げ砂まみれになってもなんでもいい。
場所なんて分からなくていい、声だけ聞こえれば彼女は。
必ず来る。
『なんで、来たの。それに……』
「助けに来て何が悪いの。友達、なんでしょ」
右手に握られた太刀を強く握りしめる。
ヒビヤのそんな姿を目にした彼女はそれより先の言葉をつづけることが出来なかった。
『……ありがとう』
「どういたしましてっ!」
彼女の言葉を聞いた後ヒビヤは正面に太刀を構える。
嗅覚の良い魔物がいるのかたまたまか、ヒビヤの位置はすぐにばれてしまい一瞬で周囲を魔物に囲まれていた。
だがヒビヤに臆する様子は無く、じっと周りを見回している。
「どうしたらいい?」
『出来るだけ多くの魔物の相手をして引き付けて時間を稼いで欲しい。遠征の人たちが戻ってくる時間を稼いでもらえたら』
「それはまた難しい話だね」
『大丈夫、もう少ししたら戻ってくるから』
「そうなの?じゃあ頑張ってみる」
彼女からの話を聞き終えると手に握られている太刀を無作法に振り回し周りの魔物を牽制する。
ヒビヤに剣を振った記憶はない。
だが野生の勘というものだろうか、武器を手にし敵と相対した時にやることはなんとなく分かっていた。
時間をかけろというのであれば幾分か楽だ。
「サポートは任せたよ」
『……うん』
「大丈夫?」
『まだ、大丈夫。ちゃんと最後まで頑張るから』
「無理、しないでね」
『大丈夫だよ。ありがとう』
真面目な場面だからか彼女から先ほどの元気は感じられない。
もし一人の時に何かダメージを負っているのだとすればそう悠長にはしていられなかった。
『ヒビヤ、剣を握ったことは?勿論対人、対魔物を想定して』
「対人も対魔物も、ましてや剣を握った記憶も無いよ。ごめん」
『謝らなくて大丈夫だよ。分かってたけど一応確認でね。でも──大丈夫』
「大丈夫って、またそれは買い被りすぎだよ」
『そんなことないよ。私がサポートする、だからヒビヤは前だけを見て』
「分かった」
会話が終わるのと同時に痺れを切らしたウルフが群れの中から飛び出してくる。
牽制が効かないと判断したヒビヤは剣を振るのをやめ一歩下がりそっと構えなおす。
その行動にちっぽけな頭脳が反応したのかウルフの行動が一瞬鈍り、その無防備な体にそっと剣を下した。
『前方回避!』
彼女の声を聞くと瞬時に前方へ飛び込む。
その背後ゴブリン二体が手に握る棍棒を振り下ろしていた。
うち一つには微かに赤い跡がついている。
「フー」
『気にしないで。集中』
ヒビヤの言いたいことに気づいたのかたまたまか、彼の言わんとすることを遮る。
彼女が剣になっている状態のとき身に何が起きているのかを知らない。
もしも身を削って変身しているのだとしたら。
『前二体来るよ!』
「っ!」
振り下ろされた棍棒を瞬時にかわし、棍棒もろともゴブリンを切り落とす。
もし、仮にもしこのゴブリンがやったのだとしたら仇は取った。
ならそれでいいじゃないか。
今この場で戦えるのは自分だけ。
邪心なんて必要ない。
ゴブリン二体が倒れたことで一瞬怯んだ魔物達だったが、すぐに目の前の敵を睨みつけ同時に一歩を踏み出す。
自棄か作戦か一斉に飛び掛かってくる魔物の数は十を優に超えていた。
だがヒビヤは動揺することなく武器を構え、彼女もまた焦ることなく現状把握に徹する。
彼女は最初からヒビヤが戦えることを知っていた。
それも全部
最初こそ内容を疑ってはいたが、どれもこれも当てはまる今となっては疑いようがない。
「ほらやっぱり」と心の中で賞賛の声をあげる。
だからこそここにヒビヤが来てしまったことが一番の不安要素だった。
これから先のことがいくつも本には書いてあった。
いつどこに行くだとか、色々。
だが今回のことが本に書かれていた記憶は無かった。
本の内容は何度も何度も破れるくらい、破れてしまうくらいに読んでいた。
だからこそ見間違い、見落としなんてあり得るはずがない。
もしあの本の筋書きとは違うルートを通っていたとしたら。
そんなの怖くて想像もできない。
「街の人達に被害は出てないってことでいいのかな。今のところ魔物達の血以外に見当たらないし」
『私が入った時も見当たらなかったから多分大丈夫だと思う。手際が良いからね。無理はしないで堅実に、出来ることと出来ないことの区別は完璧な人達だから』
「信頼してるんだね」
『ずっと前からここにいるからね』
「そっか」
彼女が信頼している人たちなのだ。
それだけでヒビヤも少しは気が楽になる。
早く助けに来てほしいという気持ちも事実ではあるが。
「……ん?」
『どうしたのヒビヤ』
「ごめん、ちょっとだけ静かに」
何かが聞こえてくる。
彼女の声ではないが、頭の中に直接響くような。
だがノイズがかかっているみたいでうまく聞き取ることが出来ない。
──────たす……け…て………
今度はしっかりと聞こえてきた。
間違いない、これは子供の声だ。
「誰かが呼んでる。行かないと」
『行かないとって、どこに?それに周りにはまだ』
「誰かが助けてって」
魔物に背を向け石造りの街を駆け抜けていく。
走り出すと共に魔物が後ろから追いかけてくるが振り返ることは無かった。
声がどこからしたのかは分からないが、一歩踏み出せば自然と歩が進んでいく。
彼女の切羽詰まった声と共に背後に剣を振り、その度に危なかった、どうしたのと心配の声が聞こえるが今はそんなことは気にしてはいられない。
あれは間違いなく助けを求める声だった。
この街に入って初めての。
徐々に声が鮮明に聞こえ、その音が大きくなっていく。
その声が鼓膜を震わせたとき、目の前の光景を一瞬目にした瞬間一度物陰に隠れた。
後ろから追ってきていた魔物は亡骸を除き姿を現さない。
だがその目の前の一瞬を受け止めるには一度深呼吸が必要だった。
「……フー、あれが親玉?」
『恐らく、ね』
「分からないんだけどさ、あれは──────」
『今の私たちじゃ厳しいね』
「そっか。……そっか」
足が震えていないことを確認するともう一度その姿を確認するべく上を見上げる。
首が痛くなるくらいのその化け物を見て、変な笑いが出ていた。
太陽に照らされた鱗が背後で転がる死体の色と同じように煌めいている。
鋭い牙、目を合わせることさえ拒まれる眼光。
寒いわけでも無いのにその顔面からは白い息が漏れていた。
「解除」
『えっ────』
小さく呟くと彼女の姿が元に戻っていく。
同時に、血に濡れた頭部が露わになった。
やはり合流前にあの魔物に殴られたのかもしれない。
流れる血の量から見てもとても平気とは思えなかった。
見ているだけでかなり痛々しい。
「体、大丈夫?」
「うん、まだ大丈夫」
「まだ、ね。……致命傷とかじゃないよね」
「多分ね」
ここで敢えて安心する言葉を選ばないということはそういうことなのだろう。
彼女が今ここで冗談を言うような人間でないことは分かっている。
例えこの場を凌げたとしても彼女の身体の方が時間の問題かもしれない。
一刻も早く外に出た者たちに戻ってきてもらわなければ。
「それより、どうして私を元に戻したの」
「あの子、助けないとだから。僕一人で行かないと」
「行くなら私も一緒に」
「そんな状態で連れていけるわけないじゃん」
「……戻さなきゃバレなかったのに」
「それに、もし僕が倒れたりしたら君は一生剣のままじゃないか」
「それは!」
最後の言葉と共にばっと振り向く彼女から慌てて視線を逸らす。
言い終わった後、自分の言葉が失言で会ったことに気づいた。
勿論冗談半分で言ったのだが、彼女がこのような場で冗談を言うような人間ではないことは分かっていたのに。
もし彼女が同じようなことを言っていたとしたら、恐らく同じようにしていただろう。
きっと自分なら口に出してしまっていたかもしれない。
「大丈夫、絶対死なないから」
「………信じてる」
彼女の声を後ろに目の前の怪物、龍をもう一度見上げる。
獲物を目の前にしてとどめの一手をいつまでも出さずにいる。
あの距離なら煮るなり焼くなり、それこそ食うなりいくらでもできるはずだ。
それなのにいつまでもあの状態が続いていた。
どう動いたらいいのか──────
「たすけて!!」
「っ!」
少女の声がもう一度響く。
そうだ、動いてからじゃもう遅い。
物陰から意を決して飛び出すと龍の背後から少女の救出を狙う。
足音を消すことなく走り出したためすぐに存在に気づいた龍がヒビヤの方を振り向くが、俊敏性では上回っているため潰されないようにその股下を潜り抜け少女を抱き上げる。
「えいっ!」
どんっという鈍く軽い音が隣の生物から聞こえる。
同時に地に落ちた岩石がごろんと音を立てて転がった。
頭上にいる龍が方向転換するのが分かる。
投げたのはきっと────
「フー!」
少女を片手で抱き慌てて彼女の名を呼ぶ。
次の瞬間には薙ぎ払った尾が転がっている死体もろとも家屋を薙ぎ払っていた。
「何やってるのさ!」
『ヒビヤ後ろ!』
「うっ」
ヒビヤが反射で少女を抱きしめた瞬間背中に激痛が走る。
どちらが空か分からない中微かに視界に入ったのは、翼を開く龍の姿。
次の瞬間には新たな衝撃と共に視界が瓦礫に包まれ視覚聴覚共に機能を失っていた。
痛いのか熱いのか。
「はっ………は……ぁ……」
呼吸がうまくできない。
視界は相も変わらず真っ暗だ。
思考が停止しかけているのがまだ自分でも理解できた。
あぁ、さっきの子。
「お兄ちゃん!」
あぁ、なんだ。
「聞こえるじゃんか」
少女の体を覆っていた腕から力が抜け、だらりとその場に落ちる。
彼の名を呼ぶ声がもう一つ響くが、その声は彼はおろか誰の耳にも届くことは無かった。
崩れ落ちた瓦礫の中、剣が一つ寂しげに転がっていた。