太陽が部屋の中を照らし目を覚ます。
昨夜に色々なことがあって夜はあまり眠れなかった。
あの後急遽魔法の授業が入った。
と言っても、どうして詠唱無しで魔法が放てたのか、というものだ。
結論から言うとマキナには出来ず、ヒビヤにだけ出来ることが分かった。
無詠唱だ。
大まかに説明すると、放ちたい魔法を思い浮かべるとその魔法のエネルギーのようなものが体内に発生し、それを詠唱の時と同じように体の一部に集中させると放てる、というわけだ。
つまり体にエネルギーを発生させ、それを一部に集中させるという詠唱が担っていた仕事を全て感覚のみですることが出来たのだ。
なので詠唱したことのない、感覚の分からない魔法は無詠唱することが出来ない。
しかし一度でも詠唱に成功すれば忘れない限り簡単に発動することができる。
用は暗記だ。
その方法をマキナに説明したが、何度試してみても彼女は無詠唱をすることは出来なかった。
あの時の彼女の顔を忘れることはないだろう。
ほんの一瞬だったが、表情に影が差しヒビヤのことをなんとも言えぬ目で見ていた。
あれは怒りか嫉妬かそれとも哀れみか。
それを一瞬でおさめられたのは彼女の人となりなのだろう。
勿論彼女の気持ちを理解できない魔法使などこの世にはいない。
それは記憶のないヒビヤにも分かることだった。
だが、マキナには出来ないと分かった今、自分だけが出来るという高揚感が押し寄せた。
それと同時に急速に不安が押し寄せてくる。
何に対する不安なのかは自分でも分からない。
結局それが元で、続きをしようとするマキナを放って一人家へ、部屋へと逃げ帰った。
そのままなかなか寝付けず、気づけば朝に。
どれくらい寝てどれくらい起きていたのかも分からない。
本当はマキナの方がダメージを受けているだろう、そんなことは容易に想像できた。
だが逃げたのはヒビヤの方だ。
「何をしてるんだ僕は……!」
自分の右手を左手で抑え込もうとする。
震える右手が収まることはなく、その手を掲げると口を開こうとする。
だがその口は発する呪文を別のものへと変えていた。
『
「きゃっ」
不自然に空いていた扉の向こうへと魔法を放つ。
どうやら開けてから時間はそう経っていないようで、簡単に犯人を捕まえることが出来た。
だがそんなことはどうでもいい。
本当に詠唱が必要無くなってしまったということに、ヒビヤはため息を吐いた。
「どうしたのフィリア」
声をかけるが返事が返ってこない。
確かにそこに人はいるはずなのだが、ばれていないと言いたいのだろうか。
それとも別人だと勘違いすると思っているのか。
ひと月ずっといた人の声くらい覚えるのが自然だ。
「なに、覗きにでも来たの?」
「ち、違うよ!」
「冗談だよ。……散歩、付き合ってくれない?」
「えっ?う、うん」
最後に短刀を身に着け、魔法を解除してその処理をする。
彼女がここに居てくれて良かった。
出なければ何の魔法を放っていたのか、考えたくはなかった。
□ ■ □
今朝、フィリアは覗きが目的でヒビヤの部屋に来たわけでは無かった。
彼女は昨夜、ヒビヤが逃げ込むように部屋へと入っていくのを目にしていた。
魔法の音なんて夜に使えば余計周りに聞こえてくる。
当然フィリアもそれには気付いていた。
そんな非常事態の後に駆け込むヒビヤ。
気にならないわけが無い。
当然夜に押し掛けるわけにはいかないと思い朝伺いに行くと鉢合わせしたわけだ。
魔法が退路を閉じたわけだが、詠唱が聞こえなかった。
それだけでなんとなく、察しがついた。
そんなこんなで散歩と言われ今に至る。
ここで断るわけには行かないので当然フィリアもついていっていた。
まだ早朝もいいところだ。
一体どこに連れていくのだろう。
「ねえフィリア。僕、これからどうしたらいいのかな」
しばらく歩いていると唐突に変なことを言い出した。
こういうとき何と声をかけるのが正解なのだろうか。
察しが良いせいで彼がどういう意味でその言葉を口にしたのかがなんとなく分かってしまう。
表情を見ればそれは確信に変わる。
彼の表情は悲しいような、虚ろなものだった。
「何をそんな、人生終わった人みたいなこと言ってるの」
ははは、っと笑い飛ばしてみる。
ちゃんと笑えているだろうか、嫌なやつになってはいないだろうか。
確かに彼の登場は本の内容とは逸脱するものだった。
だがフィリアたちがやろうとしていることはまだ変わらない。
彼を戦場に立てるほどに成長させることがこの家の、この街の住人の役目だ。
それを彼に伝えたら一体どんな顔をするだろう。
こんな道具同然の扱いを知ったら彼は。
自分たちが虐げられるのなんて当然だった。
だがそれで済めばいい。
もし彼の記憶が元に戻る、あるいは今のまま力だけが戻りこちらに牙を向いたとしたら。
その時彼はこの街全員の天敵となるだろう。
力のないフィリアは当然そうなってしまえば真っ先に殺される、または
だがそんな力のない彼女は、彼の抑制を担当しなければならないのだ。
重大な任が、彼女には課せられていた。
「ごめんね、こんな朝早くに連れ出して」
「そんなことないよ。ヒビヤも大丈夫?昨日なんかあったみたいだけど」
「そのことなんだけどさ。実は──フー!」
「えっ」
名を呼ばれ彼女の姿が剣へと変わる。
いきなりのことで動揺が隠せなかった。
だが一瞬でフィリアが想像したようなものでは無いことが分かる。
「良い反応するんだね。……勇者君」
「あなたは誰ですか」
飛んできたナイフを振り払ったヒビヤは姿の見えない敵を睨みつけていた。
同時にフィリアも突然現れた声に集中する。
が、どこにも姿は無くどこからする声なのかもわからない。
少なくともこんなに容易に街の中に入っている時点で魔物ではない。
当然門番もさぼっているわけでは無いためどういうルートで入ってきたのか。
暗殺されたというなら、相当の手練れだ。
「ここだよ、ここ」
上を見上げていると、真正面から声が聞こえてきた。
気づけば正面に男が立っている。
黒の服に黒のズボン。
顔はフードで隠れており姿を明かす気は無いようだ。
それよりもなぜ目の前にいて気づかなかった。
こちらには目が四つもあるというのに。
「遅いよ」
男の振りかぶった右足がヒビヤの脇腹にめり込む。
咄嗟に防御体勢に入るが間に合わずその攻撃をもろにくらい地を転げていた。
「ヒビヤ!」
慌てて声をかける。
転げる彼の体を黒く濁った何かが覆っていた。
今のフィリアはただの剣。
気の利いたことは言えないがそれが良いものでは無いことくらい分かっている。
「……うるさい」
体を起こしたヒビヤがふっと声を発していた。
その声にフィリアが怯える。
今の声は誰に向けたものなのか。
思考の加速が止まらない。
「に、逃げようよ!」
「うるさい、うるさいうるさいうるさい!」
「どうしたの、ねえ」
「うるさいって言ってるだろ!」
「きゃっ!」
彼の振り払った手から放たれた風にフィリアが転げる。
その時に初めて気づいた、自分の体が元に戻っていることに。
いつ解除されたのかが分からない。
不味い、そのワードだけが思考を埋め尽くす。
こんな状況想定にあるわけがなかった。
何が起きているのか一から十まで全て分からない。
ヒビヤの身に何が起きた、この人は誰だ。
分からない分からない分からない分からない。
「なになに、仲間割れ?そんなの俺に見せないでくれよー」
対してその男はニタニタ笑っている。
恐らく原因はこの男だ、こんな男が来るなんて知らない。
だがこの男が最悪な状況を加速させているだろうことは予想できた。
このままじゃ危険すぎる。
「ヒビヤ!」
「死ね」
ヒビヤの翳した手から魔法が発動される。
幸い矛先は男の方に向いており、具現化した氷塊が勢いよく放たれていた。
詠唱も無しに放たれた魔法に意表をつかれ防御体勢に入った男の体を切り刻む。
氷塊の速度は目で追えるものでは無かった。
「畜生、聞いてねえぞこんな能力……!」
「逃げるな!」
「あーもうやめだ、またな勇者」
男が何かを呟くとヒビヤの周りを覆っていた暗闇が消滅する。
瞬間彼は糸が切れたように地へと突っ伏していた。
「それとそこのじょーちゃん」
男の視線がフィリアの方を向く。
目が合った途端肩がびくっと恐怖で震えていた。
「お前は早急に殺す、歯車は狂った。もうお前は用済みなんだよ」
その言葉にどくんっと心臓が鳴る。
今殺されない理由は背後にいるヒュースのおかげだろう。
一体あの男が何者なのかをフィリアは知らない。
本の内容とずれた場合のことなんて、聞いたことも無かった。
「ヒュースさん」
「悪い、遅くなった」
「ヒュースさん、あの男の人が」
と指差す先、もうその姿は無くなっていた。
その先をヒュースは鋭い目つきで睨みつける。
「大体は分かってる。そいつが誰なのかは……分からねえな」
そこまで言ったヒュースが、向こうで眠るように転がるヒビヤを見つめる。
今のヒュースが嘘をついていたのなんてフィリアにも分かっていた。
だが今それを追求するよりもヒビヤが先だ。
「こりゃだめだな、完全にやられちまってる」
ヒュースが彼の体を持ち上げおぶる。
担がれているヒビヤの表情を見ると眠っているのか目を閉じていた。
「ヒュースさん、あの」
「分かってるよ、俺だってお前の話を聞き流してたわけじゃない。こいつがそーなったときは、そん時はそん時だ。ちゃんと対処はする。まあ、お前を取られちゃ面倒事は増えるがな」
能天気なのかそんなことを言いながら家へと向かっていた。
心配するべきはヒビヤもそうだがさっきの男だ。
自分が狙われているということに恐怖を覚えたのは事実だが、それは二の次。
あの男は一体誰なのか。
この世界を良いものに変えるために今までの人生を費やしてきた。
それだというのに、また新たな障害が立ちがはだかるというのか。
それがただただ、怖かった。