銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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10.「親愛なる」

 魔力には属性が存在する。

 

 炎・水・雷・木・地の五大属性を主とし、アーヴェントのみが持つ黒魔力と、同じくマルガン固有の白魔力をあわせた七系統のカテゴリである。

 

 各々が特有の性質を持ち、それらを適切にあつかうことによって、様々な魔法を発動させることが可能となる。

 

 心臓で生み出された魔力は、血液を介し循環する性質上、魔力濃度とは血中含有量──即ち属性の濃さで決まる。

 

 濃さには個人差や種族差が大きい。一般的に一人一属性ではなく、複数の魔力が千差万別の割合で混合しているうえ、本人の心臓の強さに依存するからだ。

 つまるところ、魔力濃度とは生まれ持った才能にほかならない。

 

 そんな世界ではごく稀に、ひとつの属性に特化した非常に濃い魔力を持つ、『純血』という存在が現れる。

 

 希少な『純血』の中でも黒の『純血』は群を抜いて稀有な存在だ。

 千年の歴史ですら、純黒の王以外に存在したかどうかも怪しい御伽噺の領域である。

 

 確率の問題ではない。人智を越えた純黒の王と比肩する魔力濃度など、そもそも人間の体が耐えることが出来ない。

 生誕することすら至難を極め、理論上『純血』だったとしても、ほとんどが死産を迎えてしまうという。

 

 シャーロットは『純血』ではなく、むしろ黒魔力の薄い平均的なアーヴェントだった。

 一方、妹のリリンフィーは悠久の時を経て遂に生まれた『純血』のアーヴェントである。

 

 彼女の誕生は、アーヴェントの歴史を大きく揺るがす一大事となった。

 奇跡の産物にして一族の希望。その血を遺骸に捧げることで、贄無くして王を蘇らせる可能性を秘めた唯一の存在。まさに運命の子供だった。

 

 リリンフィーは恵まれた才女だった。能力も、人柄も、魔力も、何もかも完璧な少女だった。

 

 この世界の医療技術をもってしても改善不可能な、『純血』に呪われた虚弱体質でさえなければ、アーヴェントの世界に喝采を呼んだに違いないと、まことしやかに囁かれたほどに。

 

 そんなよく出来た妹ではあるが、シャーロットは一度として妬み嫉みなど抱いたことは無い。むしろ誇りにすら思っていた。

 尊き『純血』の末裔である前に、彼女にとってリリンフィーとは、愛しいたった一人の 妹だったのだから。

 

 

 火災による一家の焼失。全てはそこから狂い始めた。

 

 

 稼ぎを得て生活を取り戻した。書を漁り叡智を喰らった。鍛錬を課し武を修めた。

 シャーロット・グレンローゼン・アーヴェントは、自分が女であることも子供であることもかなぐり捨てて、我武者羅に走り続けてきた。

 

 全ては亡き家族のため。血に背負う一族復興の悲願のため。

 生き残ってしまった者としての責務と仁愛が、彼女を今日まで衝き動かした。

 

 けれど、王を復活させるには材料が足りない。

 智慧を付ければ付けるほど、理を解すれば解するほど、残酷な真実にぶち当たってしまう。

 

 自分は『純血』ではない。

 自分では王を復活させられない。

 シャーロットは、リリンフィーではない。

 

 現実という大きな大きな絶壁が、少女を八方塞がりに堰き止める。

 手詰まりだった。どうにかして他の手段を見つけなければ、どうやったって何も成せないと落胆した。

 

 そんな時に現れたのが、あの少年だったのだ。

 王手を掛けられたに等しい絶望の最中、不意に現れたヴィクターとの出会いは、シャーロットにとって如何に救いだったことだろうか。

 

 ……唯一の不幸は、シャーロットが良心の欠片も無いような悪鬼に生まれなかったことだ。

 

 

 何の罪も無いヴィクターを食い物にするという行為に対し、無情に徹せるほど、彼女は悪人になれる精神性を持ち合わせていなかった。

 記憶も何もかも失った少年に、全てを失くしたあの日の自分と、重ね合わせてしまったがゆえに。

 

 苦悩。葛藤。逡巡。自己嫌悪。

 それら全ては刃と成り、まるで古傷を抉りなおすように、少女の心を深く深く切り裂いていった。

 

 

 

「実のところ想定外だったんです。けっこう頑張って隠してたんですよ、このお部屋。お姉様でも見つけられないくらい隠匿の魔法を重ね掛けしたのに、どうやって見破ったんですか?」

 

 薄暗い部屋に(まみ)える男と女。 

 片や無銘の贄。片やアーヴェントが次女。

 

 互いに眼を逸らすことなく、まるで決闘を控えた剣士のように、張り詰めた空気を身に纏う。

 

「ふふ。言いたいことは山ほどあるけど、言葉が出てこないって顔ですね」

「……なんで笑っていられる?」

 

 理解出来ない。ヴィクターの表情筋は、名状し難いものを目にしたように歪んでいた。

 

「自分がどういう状況か分かってンだろ」

「ええ、ふふ。何故だと思います?」

「……この部屋が見つかったところで些細な問題だからか」

「正解」

 

 笑顔。

 

「ついでに質問しますけど、()()()()()()()()()()()()()()()()? お姉様と共謀だって可能性は考えなかったんでしょうか?」

 

 笑顔。

 

「もう気付いてるんですよね。わたしがリリンフィーの足を()()して、魔獣の肉と偽って、毎日毎日ずっとずっとずっと彼女に食べさせ続けてたの」

 

 いつもと何も変わらない、暖かくて、優しげで。

 

「理由はもちろん、黒魔力の増幅です。でもそれって、お姉様が望んだからかもしれないじゃないですか。悲劇を背負い覚悟を抱いた彼女が、禁忌のドーピングに手を出してまで王の復活を企んだかもしれない」

 

 ぽかぽかな、笑顔。

 

「現にリリンフィーは心臓が弱くて、王の復活を果たせるほどの魔力量を持てなかった。だから自分が成り替わろうと妹を利用した。そう考えず、わたし単独の手引きだと思い至ったのは何故です?」

「図書室にあった白紙のページだ。わざわざ隠してたのは知られたくなかったからだろ? 魔力の増幅に肉親を喰う以外の道は無いってことを。共謀だったなら隠す必要はねぇはずだ」

「……驚きました。本の魔法まで破ったんですか? ページの存在そのものを避けるよう、認識誘導まで重ね掛けしてたのに。ちょっと自信なくしちゃいます」

 

 それだけじゃないと、ヴィクターは零す。

 

「この館はところどころ手の行き届いていない部分があったが、家族の肖像画だけは綺麗にされていた。家族愛の強いシャーロットが、毎日手入れを怠らなかったんだろう。……おかしいよな? 肖像画に姉妹は二人だけ。なのに三人目を名乗るやつがいる。どうしてシャーロットが気付けない? シャーロットとリリンフィーしか描かれていない絵を、毎日毎日見てるのに」

 

 止まらない。

 言葉が、堰を切った鉄砲水のように止まらない。

 

「こうも言ったな。火事が起きた日、姉妹三人で町に出かけていたと。まだ幼い子供たちだけでか? それも身分を隠してるアーヴェントが、子供だけで外出なんて親が許すか? 許すとしたら保護者がいる時だけだろう。例えば、信頼のおける従者とかだ」

 

 突き刺すような眼差し。少女は肩をすくめる。

 焦りを見せる様子はない。驚きはしたが、別にどうでもないとでも言うように。

 

「ヴィクターさん、結構頭がキレるんですね。先の決闘もそうでしたけど。わたし好きですよ、貴方みたいに勇敢で聡い人。……だから少しだけ、こうなってしまったことを残念にも思ってるんです」

 

 エマという人物は、心地良い春の陽だまりのような少女だったと記憶している。

 今の彼女に、そんな面影は見当たらない。

 瞳を覗いただけで、腹に石でも詰められたかと錯覚するほど重苦しい。

 

「どうして──」

「どうしてこんなことを? お姉様をうらぎったの? 貴方はどこのだれで何者? ……なーんて、まだるっこしい質疑応答は嫌いなので結論から言っちゃいますね」

 

 普段と変わらないはずの笑顔に滲むどす黒い匂い。

 全身を強張らせる、『威嚇』を体現した笑みだった。

 

「お察しの通り、わたしはあの子の妹ではありません。この子(リリンフィー)の姉でもありません。というかもっとずっと年上です。童顔だし背が小っちゃいんで、妹って形で()()()()ましたがね」

 

 問う前に自白され、ヴィクターは困惑と共に閉口する。

 想像はしていたけれど、聞きたくなった言葉の数々を噛み砕きながら。

 

「そんな顔しないでください。汚泥でも頬張ってるみたいな表情ですよ」

「するに決まってんだろ! 正直、今でも信じたくねえんだよ!」

 

 その怒号は純粋な怒りだけではない、感情という感情が極彩色に掻き混ぜられた叫びで。

 

「姉を信頼して、互いを尊重し合ってたはずのお前が、シャーロットを騙し続けてたなんて信じたくないに決まってる!!」

「でも真実なんです。わたしは彼女を騙し、妹を騙り、本当の家族をひたすら隠し続けてきました。大変だったんですよ、バレないようこの子を介護しながら生活するの」

「何故そんな真似を!? こんな非道なことをして、シャーロットの魔力を増幅させる行為になんの意味がある!?」

「世界を守るためです」

 

 あっけらかんと飛び出した少女の言葉は、決してふざけたものでは無かった。

 飄々とした浮雲のような態度は消えていた。木漏れ日のような微笑みも消えていた。

 それだけは確かなのだと、真に訴える凄みがあった。

 

 だからこそ、ヴィクターはさらなる混乱の渦に叩き落とされてしまう。

 

「世界を、守るだ? 妹の肉を食わせ続けることが!? ふざけるのも大概にしろボケ!!」

「ふざけてなんかいません。わたしは大義のために動いている。世界を救うには、限界まで魔力を濃縮させた『純血』のアーヴェントの心臓が必要なんです。でもリリンフィーは心臓が弱くて器に適さない。だからシャーロットを器にしようと、何年も費やしたんですから」

「なんだそりゃ……!? つーことは、なんだ? お前はどこかのスパイか何かか。そんな大義を掲げる奴が単独行動なわけがねぇ。この島に潜り込んで、邪魔な家族を皆殺しにして、『純血』のリリンフィーと()()()()()()シャーロットにすり寄ったってクチかよ!?」

「……凄いですね。どうなってるんです貴方? 頭が怒りと混乱でいっぱいって顔なのに、とても冷静に分析してる。ちょっとおかしいですよ」

 

 理解出来なかった。

 エマの言葉の数々も。瞳に宿る強い光も。義に忠を尽くさんとするような真っ直ぐな姿勢も。何もかも理解出来なかった。

 

 あまりに威風堂々と振舞う彼女には、いっそ正当性すら感じてしまう。

 エマの凶行は吐き気を催すような悪逆無道のはずなのに、正しいと思いそうになる気迫がある。

 

 けれど。

 

「俺は……お前のことを信じてた。記憶も何も無い、泉から突然沸いてでた怪しい男を、なんの打算も無く救ってくれた善人だって」

 

 けれど、そうはならなかった。

 

「だからこうして、会って話したんだ。最後まで信じたかったんだよ。全部俺の妄想だって、侮辱にも等しいバカげた勘違いだって、エマの口から否定して欲しかったんだ」

 

 なるはずも、なかったのだ。

 

「シャロだってそうだ。暴走しがちだったが、アイツはお前のことを本当の姉妹だと想って愛してた。シャロがよ、エマという妹が如何に素晴らしいか、何度俺に自慢してきたか知ってるか? どれだけお前のことを誇りに思ってたか知ってるのか? 知ったうえで……こんな真似をしやがったのか!? アイツはっ、アイツはお前を、心の底から信じてたんだぞ……!」

「信じるように刷り込みましたから。得意分野なんです、ヒトを改造するの」

「ッ!!」

 

 拳を握る。

 固く、固く、湧き上がる爆熱を握りかためるように。

 

「お前はッ……!! シャロから家族を奪い、欺くだけに飽き足らず、あろうことか小さな子供の躰まで弄り回して、実の肉親に食わせやがったのか!? 世界を守る大義のために!? ふざけんじゃねぇ!! そんなもんが正しいはずがねぇだろうがッ!!」

「だから止めるとでも? 魔法も使えない貴方一人で?」

「止めるさ、止めてやる! 何が何でもテメエを止める!!」

 

 咆哮と共に床を蹴る。

 握り締めた拳を携え、仇敵に向けて駆けだして。

 

 ふと、エマの後ろに眼を奪われた。

 

 閉まっていたはずのドアがほんの少し開いている。

 隙間から誰かが覗いていた。

 深い海のような色の瞳が、薄暗い空間の中で、ランプに照らされ輝いている。

 

 

 一体、いつから?

 

 

「貴方に誘われてこの部屋に来るとき、解除しておいたんですよね。隠匿の魔法」

 

 それは。

 エマが初めて見せる、獣のような(かお)だった。

 

「実は気付いてたんですよ、昨晩貴方がこのベッドの下に潜り込んでたの。もうどうせなら()()()()()()()()()()()()と思って」

 

 ギチギチと、三日月のように裂けゆく口角。

 綺麗に並んだ白い歯が、灯火の光を反射して。

 

「さ、覗いてないで入ってきたらどうです? お ね え さ ま」

 

 

 

 

 

 

「………………………なによ、これ」

 

 

 きっと清々しい朝だった。

 さんさんと降り注ぐ太陽の光。頬を撫でる風。ホッとする陽だまりの香り。

 

 そんな爽やかの欠片を味わいながら、いつものように過ごすはずの朝だった。

 

「どういうことなの……!? ねえ!?」

 

 それがどうだ。

 朝一番。部屋の前にエマからの置手紙があって、従えば知らない隠し部屋に辿り着き、中で妹とヴィクターが信じられない言い争いを繰り広げていた。

 

 しかも、死んだはずの妹が眠っている始末。

 

 感動の再会などでは決してなく、何かの呪いによるものか、体を異形に改造されている姿など目撃してしまった暁には。

 

「お、おねがい、分かるように説明して」

「シャロ駄目だ、ドアを閉めろ!! こっちに来るんじゃねぇ!!」

「うるさいッッ!!」

 

 震えていた。瞳も、唇も、ヴィクターを遮る叫びも、濡れた赤子のように震えていた。

 

「そんなの出来るわけないでしょ!? しんっ、死んだはずの妹が生きてて、わた、しっ、私が、その肉を食べてたですって……!? 冗談も休み休み言いなさいよ!! もう、もうわけわかんなくて、頭が変になりそうなのに……!!」 

 

 妹が生きていた。それだけならどれほど良かっただろう。

 涙を流して喜んだはずだ。過程はどうあれ、生きていてくれていたことを真っ先に歓喜したはずだ。

 

 だがこの状況で、無邪気に喜べる輩がどこにいる?

 末妹はその死を偽装され、体を滅茶苦茶にされ、薄暗い隠し部屋で何年も閉じ込められていた。

 

 信じていたはずの次女は肉親でも何でもない謎の女で、魔獣と偽ってその肉を食べさせ続けていたときている。

 

 胃の中身をひっくり返しそうになる。

 ミキサーにかけられたように、脳が現実の解像度を破壊していく感覚があった。

 

「ねぇっ、ねぇ、全部嘘なのよね……? 今なら、まだ許してあげるから、怒らないから、嘘って言ってよ。面白くないよ。こっ、こんな冗談、私が喜ぶとでも本気で思ってるの? リリンが生きてたなら、ただそれだけを伝えてよ……! ねぇ、エマ……!?」

「シャロ逃げろ、はやくここから逃げろ!! エマはお前の妹じゃないんだ! こいつはお前の心臓を狙って────」

「やめて……!!」

 

 唾と共に怒声が飛んだ。

 頭を抱え込んで、少女は塞ぎ込むように絶叫した。

 

 シャーロットは決して愚鈍ではない。物事を理解し、感情ではなく理性をもって見定める眼力がある。 

 

 この部屋を訪れた時、隙間から覗く先でヴィクターはエマにこう言っていた。『この館はおかしい』と。

 述べられた違和感の数々は、否定したくともシャーロットですら疑問に思うようなものばかりだった。

 

 そもそもの話。何故都合よく一部を刳り貫かれた本に疑問を持てなかった?

 

 自分とリリンしか描かれていない、()()()()()()()()()()()を不思議に思わなかったのか?

 

 どうして強力な魔法使いである両親が、いずれも力のある従者たちが、容易く炎に呑み込まれてしまったのか?

 

 思い返すほど、この館は歪でおかしいことだらけだった。なのに1ミリも疑問を抱けなかったのだ。

 

 考えようとすれば脳に差しかかるこの靄の正体は何だ。

 答えを具体化させようとすれば、風向きを変えられるように思考が鈍るのは何故だ。

 まるで誰かに頭へ手を加えられたかのような、この違和感の正体は。

 

「やめてよ……お願い……それ以上言わないで……」

 

 だからこそ、ヴィクターの言葉を拒絶する。拒絶してしまう。

 それを受け止めてしまえば、本当に心が壊れてしまいそうだったから。

 

「嘘、うそ、ウソよ。絶対ありえない。そんなわけない。だって、ずっと一緒だったもん。今日までずっと、二人で一緒に、一生懸命頑張ってきたんだもん。そんなこと、あるわけないもん」

 

 声が震える。

 笑いたくないのに、勝手に頬が吊り上がっていく。

 嫌な汗が止まらない。暖かいはずなのに、冬のように底冷えして凍えそうだ。

 

「ね、ねぇっ、どうしたらいいのっ? 何を信じればっ、私、どうしたら、どうしたらいいっていうのよぉ……!」

「そんなの簡単ですよ」

 

 

 微笑。

 

 

「ぜんぶ、ぜーんぶ、()()()()()()()()()()。それで万事解決なのです」

 

 小鳥のさえずりのように響いたソレに。

 空気は、瞬く間に零度へと転落した。

 

 

「何も考える必要なんてないんですよ」

 

 少女は笑う。

 にこやかに、それこそ日々の一節と何ら変わらぬ朗らかさで。

 

「今まで通りアーヴェントの使命に燃えて、朝早く起きてトレーニングして、ご飯をいっぱい食べて、お勉強して、畑仕事や狩りをして、たまに街でお金を稼いだり買い物して、また鍛錬して、ご飯食べてぐっすり眠る。それでいいんですよ。そんな素敵な貴女でいいんです」

「エ……マ……?」

「はい、あなたの妹エマちゃんです。まぁもう誤魔化しようも無いみたいですけど」

 

 うふふ、と少女は場にそぐわぬ華やかな微笑みを浮かべて言った。

 ヴィクターの怒号も、シャーロットの縋るように震えた瞳も、まるで意に介していなかった。

 

「ええ、貴女を洗脳してました。貴女がわたしを妹だと思い込んでたのも、隠匿した本のページを見過ごしちゃったのも、館に散らばる細やかな違和感に気づけなかったのも、リリンフィーを改造してその肉を食わせてたのも、死を偽装したのも、お父様もお母様も従者もみんなみんな燃えちゃったのも、ぜーんぶわたしの仕業です」

「ぁ、ぁ」

「貴女たち姉妹を街に連れ出して館に火を放ったのもわたしです。アーヴェント複数人を相手取るのは流石にホネですからね。皆の頭を少しづつ弄って、子供(あなたたち)を人質に使ったら、旦那様も奥様も嘘みたいに呆気なく死んでくれて助かりました」

「ゥ、ぇ」

 

 

 心が腐った果実のように、グズグズと溶け落ちていく音がする。

 臨界点を飛び越えて。

 ぐるりと、胃が翻る。

 

「ぐ、ぶっ、ぅぐ、うぇぇ、おええぇ……!!」

 

 腹の筋肉が痙攣し、饐えた匂いが大挙して押し寄せた。

 抑える口元から生温かい津波が溢れ出す。口腔を強烈で不快な酸味が犯し、目頭からも灼熱が零れ落ちていく。

 

「ああ、一応フォローしておきますけど、別にご両親は愚鈍じゃなかったですよ。わたしが年単位で信頼を得て、油断させて、時間をかけてじっくり頭に手を加えたからこその結果です。……まぁ強いて言うなら、街で行き倒れを演じたわたしを憐れんで使用人として雇った、旦那様の判断が失敗だったってところでしょうかね」

「エマァアアアアアアア──────ッッ!!」

 

 瞬間、ヴィクターは迅雷の如く疾駆した。

 その面を憤怒に染め上げて、全力全霊で拳を振るう。

 

 耳を疑う言葉の数々を平然と吐きくだし、少女の心へ幾重もの亀裂を走らせたこの邪悪の口を、一秒でも早く閉じさせねばならぬと鉄槌を下す。

 

「ただ、貴方の存在だけは全くもって予想外でした」

「!?」

 

 それはまるで、優しく綿毛を受け止めるかのように。

 少女のちいさな手のひらが、ヴィクターの拳をいとも容易く包み込んだ。

 

「最初は()()かと疑ったんですけどね。記憶喪失も演技かなーって。だってありえないでしょう? いきなり泉から湧いてくるなんて。ポータルはアーヴェントしか使えないし、この島には信じられないような結界が張られてるのでまず侵入不可能。それを無理やり破って転移してきたのかなと」

 

 動かない。

 まるで石の中にでも閉じ込められたかのようにビクともしない。

 

「だから彼女と戦うよう仕向けたんです。化けの皮剥がしてやろうと思いまして。でも違った。無理やりな転移の反動で記憶を喪ったかと思いましたけど、それも違った。未だに正体が掴めなくて困ってます。誰なんです? 貴方」

 

 エマの言葉に耳を貸す道理はない。

 そも、シャーロットを上回るという魔法使いを相手に、無策で肉弾戦を挑んではいない。

 拳はブラフだ。ヴィクターは『仕掛け』を発動せんと、傍の机を蹴り飛ばすように足を伸ばして──

 

「知ってますよ。本命が突きじゃないことくらい」

 

 ゴギッ、と。

 唐突に響く、硬いものに無茶苦茶な亀裂が走ったような音。

 右手を溶けた鉄の中に突っ込まれたかと錯覚するほどの激痛が襲い掛かった。

 

「がッッッ!? あ"あッ!?」

 

 拳を握り潰されていた。

 赤子の手をひねるように、紙をくしゃくしゃに握り潰すみたいに、人間の手が徹底的に破壊されていた。

 

 骨は砕け、皮膚を突き破って飛び出し、晒された断面が脂汗が噴き出すほどの灼熱感を訴える。

 ボタボタと滴る赤い液体が、絨毯の染料となって染み込んでいく。

 

「ふーん、机を倒したら巻いてた糸が引っ張られて、わたし目掛けて魔力瓶を括りつけた矢が飛んでくるって寸法ですか。あら、こっちにもありますね。ふふ……上手いこと隠して……ずいぶん凝ってるじゃないですか」

「──ォォ、おおおおおおおおおおおおおッ!!」

「へぇ、拳を潰されても向かってくるんですね。決闘の時もそうでしたけど、凄まじい闘争心で」

 

 苦痛を意に介している暇などない。砕けんばかりに奥歯を噛み締め、即座に反撃へ打って出る。

 原形を失った拳を鞭のように振り抜いた。遠心力は傷口から鮮血を解き放ち、真っ赤な雫の流弾となってエマの眼球に飛び込んでいく。

 

 血の目潰し。視界を一瞬でも奪い去るには十分な一手。

 その隙を逃さない。ヴィクターは次なる策略をもって撃滅を謀る。

 

「保険は靴に仕込んだ刃物。ああ、痺れの魔法を封入した狩猟用魔石ナイフですか。切ったらビリビリきて立てなくなっちゃうヤツですね。こんなものまで盗んできていたとは」

 

 刃を仕込んだ靴を上から踏み抜かれ、力技で阻止される。

 流れるような膝蹴りが、お返しと言わんばかりに鳩尾へ突き刺さった。

 

 それでもヴィクターは喰らいつく。

 右腕で膝を抑え込み、左手の袖から取り出した、新たな魔石ナイフを一気に穿つ。

 

 

 次の瞬間。左腕がブツンと消滅した。

 比喩でも何でもなく、肘から先が消えていた。

 

 遅れて、ぼとりと重々しい物体が落下する残響。 

 腕が千切れ飛んだと脳が知覚するより速く、エマの蹴りがヴィクターの腹に突き刺さった。

 

「ごっ、おッ」

 

 ボロ雑巾のように吹っ飛んだヴィクターは壁に砲弾の如く激突し、たまらず床に倒れ伏してしまう。

 

「がばァッ、はッ!? ぐあっ、ァがはっ!?」

「無駄ですよ。貴方の戦い方は彼女との決闘で見てましたから。わたしには通じません」

 

 その余裕は慢心ではない。

 明らかにエマとヴィクターの実力には絶対的な壁が存在した。存在するからこその余裕だった。

 

「では、お姉様。そろそろ仕上げと参りましょうか」

 

 くるりと踵を返し、へたりと座り込んだまま動けなくなってしまったシャーロットの元へ、軽快な靴音と共に歩み寄る。

 

「ねぇ、お姉様。なぜわたしがこんなにも落ち着いてると思います? 長年煮詰め続けた計画を暴かれて、台無しにされて、裏の顔まで炙り出されたのに、どーしてヘラヘラしてると思います?」

「ぇぅ、ぅ?」

「というかそもそも、こんないつ綻びが生まれるか分からない、ガッバガバな作戦で押し通そうと本気で思っているのが不思議に思いませんでした? ちなみに思ってるんですねこれが。さぁ、この自信の根拠はなーんだっ」

「ぅ、っ」

「答えはぁ、ふふふ。これ実は()()()()()()()んですよねぇ。うふふふふ」

 

 うなだれるシャーロットの顎を掴み、無理やり上を向かせて目を合わせる。

 エマは大きく口を開くと、ベロンと舌を覗かせた。

 唾液で照る舌の上には、奇妙な幾何学模様の痣。

 

「賢いお姉様なら、これが何かわかりますよね?」

「……ほしの……こく……?」

「正解! 魔法と異なる先天の異能をもって生まれた選ばれし者が持つ御印。それがコレ、星の刻印です。初めて見たでしょ? まぁ初めてじゃあ無いのですけれど」

「ぅ……ぅ……!」

「わたしの刻印は『人錬の刻印』。触れた人間を意のままに改造できる能力です。かなり限定的な力ですけど、足をいっぱい生やしたり、頭を弄って認識を汚染したり、結構色んなことが出来るんですよ」

 

 ザリ、と砂を踏みしめるような音。

 両腕を失いながらも、砕けた壁に背をもたれながら、男が立ちあがっていた。

 

「やめろエマ……!! シャロに……触るな……!!」

「例えばこんな風に」

 

 トスッと、刃物でクッションを刺したような軽い音。

 ヴィクターの胸を、鋭利なナニカが貫いた音だった。

 

 爪だ。

 エマのしなやかな五指から伸びた、槍のような爪だった。

 

 『人錬の刻印』。人体を思うままに改造すると言う異能力を見せびらかすように放たれた凶槍が、ヴィクターの心臓を抉り抜いたのだ。

 

 ごぼりと血の塊を吐き出して、糸が切れたように崩れ落ちた。

 涙で滲むシャーロットの視界が、残酷なまでの一部始終を捉えていた。

 

「ぁ、ああ、ヴぃくた、うぁ、あ」

「あなたは聡明な子でした。むしろ厄介なほど聡明過ぎた」

 

 爪が縮んでいく。舌に踊る刻印が爛々と光を放つ。

 

「一度目の洗脳はたった数日で破られました。二度目は数ヶ月で記憶と認識の齟齬を見破った。かなり強めに術をかけたというのに、それでもバレたんです。流石としか言いようがない。そして三度目が今、この瞬間!」

 

 獣は嗤う。

 羽虫を潰すように命を奪いながらなお満たされず、眼前の獲物を、どう料理するかと愉しむように。

 

「これがどういうことかお分かりですか? 何度も何度も繰り返してるってことは、失敗しちゃってもやり直しが効くってことなのです。激しく動揺して、絶望して、頭の中が腐ったミンチよりぐっちゃぐちゃになってるお姉様を洗脳するなんてワケないんです。目覚めたら振出しに戻って、いつもの日常へお帰りなさーいなのです」

「ぃっ、ぐ、ぅ」

「だからほら、寝る時に耳元で騒ぐ蚊みたいに鬱陶しく泣かないで。瞼を閉じて、少し眠りましょう? 次に目覚めた時は、いつも通りの『エマ』と『日常』が戻ってますからねー」

 

 抱き寄せて、エマは優しくなだめるように少女を撫でる。

 舌の刻印が一際強く光を帯びた。

 シャーロットの脳を、記憶を、認識を、再びゼロへ巻き戻すために。

 

「それではごきげんようお姉様。貴女さまの親愛なる裏切り者より、愛を込めて」

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