銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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13.「失って、得て、また一歩を」

 動乱の朝は終わり、日没を迎えた夜の帳。

 片づけを終えて一息ついた頃合い。シャーロットが眠り続けるリリンフィーと共に閉じこもってしまった部屋の前で、ヴィクターは壁に寄りかかりながら呆然と時を過ごしていた。

 

「……」

 

 かける言葉も無かった。

 かけていい言葉など、持ち合わせていなかった。

 

 妹だと信じていた女は、シャーロットから家族と人生を奪った仇敵で。

 それだけに飽き足らず、末妹の肉を食わせ続けていたと来た。心中は想像を絶する。

 

リリンフィーを空き部屋のベッドに移した後も、シャーロットはそこに縫い留められたように、片時も離れようとしないほどだ。

 

(クソ、無力だな。何も出来ない自分が情けない)

 

 声をかけたところで、励ましたところで、きっと今のシャーロットには届かない。

 むしろ逆効果だろう。だって、今までシャーロットは亡き家族のために孤軍奮闘を重ねてきたのだ。

 

 その裏で妹を苦しめていたのだと知ってしまった。努力の裏で、ずっと弄ばれていたのだと気付けなかった。

 赤の他人の励ましなんて、何の意味があるというのか。

 

(マズいな。このままだとシャロの心は完全に死んじまう。最悪、妹と心中なんてことも有り得るかもしれない。それだけは絶対に避けなきゃならねぇ。どうすればいい? 考えろ、考えろ)

 

 座り込み、息を吐く。

 自分の手を見る。墨染のような、純黒と化した自分の腕を。

 

 何がどうなったのかは分からない。心臓を貫かれた自分が、どうやって生き返ったかなんて露程も知らない。

 先の戦いでエマを屠った、まるで時間の流れが遅くなったかのように素早く動けた謎の力も正体不明だ。

 

 けれど今はどうでも良かった。そんなことよりシャーロットの方が大事だった。

 せめてこの腕に秘められた力でリリンフィーを治せたなら良かったが、ヴィクターには力の使い方どころか、能力の全貌も分からない。役立たずも同然だ。

 

『……ヴィクター、いる?』

「! おう、いるぞ」

 

 呼び声に返せば、キィ、とゆっくりドアが開かれた。

 「入って」と蚊の鳴くようなか細い声。言われるがままに足を踏み入れる。

 

 当然だが、シャーロットがいた。リリンフィーの眠るベッドの傍に椅子を置き、萎れた花のように力なく腰かけている。

 

「座って」

「あ、ああ。……その、なんだ。大丈夫か?」

「……ん、平気。ありがとう」

 

 にこ、と薄く笑う少女。

 平気なわけがない。瘦せ我慢なのは明白だ。

 

 目元は腫れ、胃酸で喉を焼かれたか声は掠れ、肌も唇も死人のように青くなっている。

 常に整っていた深海色の髪は荒れ放題で、いつもの快活な覇気は無く、息を吹けば消えてしまいそうだ。

 

 とても大丈夫だなんて言える状態ではない。

 けれど、慰めを手向けたって無意味だ。「シャロは悪くない」「元気出せ」などと安直な言葉を口にしようものなら、シャーロットはもっと自分を責めるだろうから。

 

「……」

「……」

 

 沈黙を挟み、動いたのはシャーロットだった。

 ミニテーブルに鎮座していた布袋と指輪を掴み、そっとヴィクターの膝元へ置いたのだ。

 訳も分からぬまま受け取れば、ズッシリとした重みが手を伝った。

 

「……これは?」

「お給料と迷惑料。今まで館で働いてくれた分に、巻き込んでしまったことへのせめてもの謝罪に」

「っ、おいシャロ、お前」

 

 言葉の全貌を聞く前に、ヴィクターは腰を浮かせていた。

 

「緋金貨が100枚入ってるわ。換金したら1000万リルにはなる。数年くらいなら、少し贅沢しても余裕で暮らせると思う。指輪でポータルを使って町に出られるから、そこで生活を見つけて欲しい」

「シャロ……!」

「腕のことなら心配いらない。それは王の肉体に置換されてる影響で、一時的にそうなってるだけ。力を使わなきゃ進行しないし、時が経てば治るから。治るまでは服で隠してた方がいいかもしれないけど。普通に暮らすぶんには全然大丈夫。安心して」

 

 言っていることが噛み砕けなかった。

 頭を殴られたみたいな衝撃に、ヴィクターは立ち上がりかけた腰を、再び椅子に降ろしてしまう。

 

 腕のことではない。腕のことなんかどうだっていい。

 ヴィクターには、ただシャーロットのことが────

 

「私たちの勝手な(いさか)いに巻き込んでしまってごめんなさい。そして、ありがとう。あなたの命を狙った私が言うのは筋違いだけど、あなたのお陰で助かった。本当に感謝してる」

 

 深く、深く、頭を下げるシャーロットに、ヴィクターはかける言葉が見当たらなかった。

 唇が震えて何を紡げば良いのか分からなくなる。握り締めた布袋に、一層力が籠っていく。

 

(……八つ当たりくらいしろよ、馬鹿野郎。お前が現れたからこうなったんだって、家がめちゃくちゃになったんだって、少しくらい理不尽になってもいいんだ。もう心が限界のはずだろ。ちょっと癇癪起こしたって、吐き出したって、何もバチは当たらない。なのにッ……)

 

 まだ十八にも満たない、あどけなさも残る少女なのに。心も体も限界で、他人を慮る余裕なんてこれっぽっちも無いはずなのに。

 

(どうしてお前は、そんなにも強い)

 

 自分の過ちを悔いるどころか、ヴィクターが島から出ても不自由のないよう理由をつけて路銀まで渡してきて。

 しかも、精一杯の感謝なんて。

 

(全部一人で抱え込むつもりか。これ以上俺に迷惑をかけまいと、独りでやっていくつもりなのかよ)

 

 異を唱えたい。そんな事は望んでないと、彼女の言葉を突っぱねたい。

 見捨てられるわけがないだろと、今にも怒鳴りつけてしまいそうだ。

 けれどそうしたところで、シャーロットは首を縦に振らないだろう。

 

 確かに、このまま立ち去った方が彼女の願い通りにはなるかもしれない。

 シャーロットは、ヴィクターの力を借りることを望んでいない。

 

 順当に考えて、シャーロットと共にいればまた危険に見舞われる可能性が高いからだ。

 エマを筆頭とする謎の集団が、今も心臓を狙っている。巻き込まれるのは確実と言っていい。

 

 搦め手が効いたからこそエマには勝てたが、かろうじて掴み取った辛勝だった。

 次はどうなるかわからない。もしかしたら、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。

 仮に退けたとしても、何かの拍子に腕の力を使えば、ヴィクターはどんどん純黒の王へと変わってしまう。

 

 シャーロットが恐れているのはそれだ。

 せめてヴィクターだけでも犠牲にしまいと、選択を振り絞ったがゆえの決断なのだ。

 

(ふざけんなよ。そんなの)

 

 そんなの、どうやって見過ごせと言うのか。

 こんなの、正しいはずがないだろうが。

 

 ──ああ。だったらやるべきことは決まっている。

 ヴィクターは、正しいと信じるもののために戦う。

 

「そういうことなら、この金は貰ってくぜ」

「……」

「まぁ確かに、生贄にされかけるわ死にかけるわ、散々な目に遭ったのは間違いない。命を救ってもらった大恩はあるが、アーヴェントの事情に巻き込まれたのも事実だ。筋としちゃ妥当かもな」

「……返す言葉もないわ」

「が、それはそれ。俺の意見がまるで入っちゃいねえ。ガン無視だガン無視。ふざけんなお前」

 

 驚きによるものか。シャーロットの頭がゆっくりと持ち上がって、男をきょとんとしたように見た。

 ヴィクターは頭を掻きながら、少し意地悪そうに笑っていた。

 

「俺の考えはこうだ。ここに残る。大丈夫とはいえ腕のことも気になるし、なにより俺はこの島で目覚めたんだぜ? 俺が一体何者なのか、まだなーんにも分かっちゃいない。この島にゃ俺のルーツが、記憶の手掛かりがあるはずなんだ。だからここに残る」

「……何を言ってるの。仮に記憶を取り戻せたとしても、そんなことしたらまた巻き込まれて……! 今度こそ死んじゃうかもしれないのよ? そんなの本末転倒じゃない……!!」

「知らねーよ、そんなこと」

 

 

 このまま巻き込まれるのを恐れて去っていくのが正しいのか?

 違う。それはただ賢いだけだ。命を最優先にするという意味合いでだ。

 ヴィクターは、決して賢い人間ではない。

 

 このまま島を飛び出して、シャーロットのことを綺麗さっぱり忘れ呆けて、のんびり暮らしていくなんて出来るはずが無いのだ。

 

 それは死んだことと同義なのだ。平穏に生きていたところで、ヴィクターの心はゆっくりと死んでいく。

 断じて御免だ。だからとことん、エゴを貫く。

 

「俺は俺の意思でここに残る。せっかく生贄から解放されたんだ、あとはどうしようが俺の勝手だ。だからお前は関係ないし、責任を負う必要はない。俺の我儘なんだからな」

「そんなの……!」

「ああ、もちろんタダとは言わねえ」

 

 ヴィクターは大金の入った袋を、シャーロットに突き返しながら豪気に笑う。

 

「ほい、宿代。数年は余裕で暮らせる額なんだよな?」

「っ」

 

 今のシャーロットに、ありきたりな慰めなんて意味はない。

 むしろ情けは刃となって、少女の心の傷を更に抉ることだろう。

 だから勝手を押し通す。これは我欲でしかないのだと、反論の余地すら与えることなく、傍若無人と自己満足を盾に居座ってやる。

 

「あなた、自分が何を言ってるか分かってるの……?」

「もちろん」

 

 そうして支えになろうと決めた。今のシャーロットには寄り添う人間が必要だ。だから無理やりにでも傍にいると決めた。

 例え時間がかかっても、彼女がまた一歩を踏み出せるように。

 きっとそれが、今のヴィクターに出来る、正しい選択なのだから。

 

「つーわけだ。これからもよろしく頼むぜ、シャロ」

 

 抱く信念に揺らぎはない。

 義気のために。正しいと信じるもののために。

 無窮の焔は、一握の灰も生まず。

 

 

 

 

 

「申し訳ございません、ターゲットの回収に失敗しました」

 

 

 聖堂と呼ばれる空間があった。

 

 名だたる職人が長い時を糧に手掛けたであろう、草花に囲まれた純白の女性が慈愛に微笑む憧憬を映したステンドグラス。

 日輪を透かせ光を呼び込むガラスの芸術は、閑散とした堂に命のような暖かみを(もたら)している。

 

 一面に広がる磨き上げられた大理石の床は、壮麗な星々を模した精巧なモザイク画の絨毯だ。

 それらは受け止めた陽を光輝に変えて、灯りの無い世界に煌々たる神秘を散りばめていた。

 

「まずは、このような姿で誉れ高き貴方様の目に触れてしまう不敬をお許しください」

 

 どことも知れぬ場所に座す、絶対不可侵の神聖領域。

 選ばれし者だけが足を踏み入れることの許される間に(ひざまず)くは、全身の皮膚を剥がされた人間のような異様を成したエマという名の女である。

 

 重症というにはあまりに惨たらしい有様。毒が抜けたか、全盛を取り戻した刻印の力で再生する肉体は、この世のものとは思えない骨肉の蠢きと異音を奏でていた。

 

「心臓の熟成は達成しました。しかし収穫の直前で、純黒の王の力を手にした闖入者の反撃に遭い、やむなく撤退せざるを得ず……。お送りしたデータが男のファイルになります」

 

 深く深く頭を垂れ、右膝と拳を地に。

 最上の畏敬をもって紡ぐ言葉の先には、純白の女性が描かれたガラスを背にする玉座が。

 

「星の位置から島の座標を逆算しようと試みましたが、構造理論不明の高次元断層結界が島と周辺海域を包むように展開されており、著しく星座が乱されていたため特定叶わず。同様の理由から、ポータルの魔力紋識別プロトコルも解除不可能でした。恐らく、純黒の王が施したロストテクノロジーかと思われます」

 

 無二の座には、その身を白亜の鎧に覆われた、威風を帯びる男の姿があった。

 金属の光沢と白磁に似た滑らかさを併せ持つ不思議な鎧だ。流れ星を綴じたような黄金の彫刻には、胸を中心に一定の間隔で青い光が奔り抜けている。

 

 王冠と融合したような偉容の兜には光輪が浮かぶ。(かお)の央、両目にあたる部分に走る横一文字の亀裂からは、朧な光が絶えず溢れ出していた。

 その手には、文字や画像をホログラムのように宙へ映し出す、水晶で出来たキューブのような物体が握られている。

 

「……ふむ。データを見るに、その島は我々と同じ次元には存在しないのだろう。この『天蓋領域』に仕掛けられた境界隔絶とも似ている。次元の断層をベールのように幾重にも重ね合わせ、その狭間を漂っているのだ。にもかかわらず、基本世界と連続的に接続されているのは驚嘆に値するな。……この技術、賢者オーウィズも一枚噛んでいる。貴様に解けぬのも無理はない」

 

 頭から抑えつけられるような、重圧を伴う男の声。

 鎧の男とは距離があるにも関わらず、耳元で囁かれたにも等しく響く言葉に、エマはさらに深く頭を下げる。

 

「如何様な理由であれ、わたしは貴方様の命に結果を残せなかった愚鈍にございます。なんなりと罰を。どんな処遇も甘んじて受け入れる覚悟です」

「……左様か」

 

 鎧の男がキューブを握ると、淡雪に溶けるように消滅した。

 板金に覆われた顎に触れる。その一挙一動ですら、空気が悲鳴を上げるよう。

 常人ならば圧に耐え切れず、精を焼き切られ滂沱(ぼうだ)の涙と共に命を請うほどの緊迫感。

 

 しかし、エマの声色に恐怖は無かった。

 それは鎧の男に対する忠誠がゆえか。己の犯した失態を受け止め、これから降りかかるであろう男の裁断を、粛々と受け止めようとしていた。

 

 やがて、永劫のような須臾は動く。

 

「ならば退がるがいい。長年の任務、ご苦労だった」

「────」

 

 予想外の言葉に、エマは思わず顔を上げて瞠目した。

 しばし唇を震わせて、抑えるように一度、固く結びこむ。

 震えが止まると、エマはゆっくりと声を綴った。

 

「わたしを、罰しないというのですか? 何も成し得なかったこのわたしを、何故?」

「罰する? 何のために。貴様は十分な働きを見せただろう」

「ッ」

 

 困惑のあまり、胸に手を当てながら立ち上がった。

 

「し、しかし!」

「これまで存在が不確かだったアーヴェントの隠れ里を探し出し、『純血』の個体から適切に()を熟成させた。定期的な報告が無かったのは戒めに値するが、理由あってのことだろう。貴様がそこまで無能ではないことは知っている」

 

 頬杖をつき、淡々と男は告げる。

 

「その程度の失態、この報文で十分帳消しとなろうて」

「ですが、わたしは肝心の心臓をっ」

「くどい」

 

 鎧の男はゆっくりと玉座から立ち上がると、星海の空を衣としたかのような外套を翻し、背を向けた。

 

「確かに『純血』のアーヴェントの心臓は聖女の復活に必要不可欠だ。だが猶予はある。焦る必要もない。重要なのは心臓が成ったことだ。それさえ達成すれば、あとはタイミングの問題だ」

「っ」

「回収など他の者に任せればいい。島の特定は不可能だとしても、彼奴等は必ず動き出す。動かねばならぬ。ならば(おおよ)その行動も予測出来よう。故に、貴様を咎める理由は無い」

「…………もったいなき御言葉、感謝いたします」

「フフ、精進するがよい。今はその傷を癒すことに専念せよ。この先も期待しているぞ、エマ」

 

 言葉を皮切りに、男の足元へ金色の魔方陣が浮かび上がる。

 現れた光の柱がぼうっとその身を包み込むと、鎧の男は姿を消した。

 

 静寂。

 時が止まったような無音の中で、エマは崩れ落ちるように膝をついた。

 

(わたしは……出来損ないの失敗作。三聖にもなれず、飛び抜けた才能も何もない。主命を達することすら叶わなかった。なのにあの方は、こんなわたしをまだ必要だと)

 

 跪いたまま、頭を垂れたまま。昂りに震える体を必死に抑え込むように、ぎゅっと拳に力を入れて、胸に当てる。

 エマの肉体は既に、元通りの姿形を取り戻していた。

 

(貴方様は……っ……またもわたしの命に、価値があると仰ってくださるのですか……? 地獄の淵にいたわたしの手を……拾ってくださった時のようにっ……!)

 

 目頭が燃えるように熱い。

 (せき)たる嗚咽と共にこぼれゆく雫を止める術など、エマは持ち合わせていなかった。

 

「必ずや。次こそは必ずや、貴方様のご期待に添えてみせます。どんな非道も悪行も、この手に染める覚悟はあります。貴方様に永久(とわ)の忠誠を──ドラゴレッド卿」

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