14.「町へ行こう」
重機が岩盤を叩き割ろうとしているような、重々しく凄烈な音が響いている。
ガガガガガガッ!! と連続する大衝撃は空気を揺らし、幾度も木々を騒めかせた。
騒音の原因は、ヴィクターが大岩を猛烈な勢いでひたすら殴り続けているせいだ。
人間の拳ではあり得ない現象が起こっていた。みるみる大岩に放射状の亀裂が刻まれ、さながら無骨な掘削作業の如く破壊されていくではないか。
やがて一際強烈な一撃を叩き込まれた大岩は、砂の城のように脆く崩れ落ちてしまう。
「マジかよ……殴って壊せちまった」
そばにかけていたタオルを取り、流れ落ちる汗を拭う。
ついでに水分補給して、そばの切り株に腰かけた。
逆立ち腕立て伏せ千回。砂浜ランニングを少々。そしてサンドバッグ──否、大岩打ちを数十分。
運動を兼ねた
(あんなに硬い岩を全力で殴り続けたってのに痛くも痒くもない。疲れもすぐ消えるし、常に力が漲ってやがる。俺の体どうなっちまったんだ? やっぱこの腕のせいだよな……)
腕だけじゃない。心臓も妙な感覚だ。
エマに風穴をあけられた傷痕を中心に、蜘蛛の巣状の黒い血管のような筋が胸に浮き上がっていた
心拍と連動して脈打っている。疲労がすぐ回復するのも、信じられないような怪力が発揮できるのも、この黒条のせいのような気がしてならない。
もしかしたら、心臓まで純黒に染まっているのかも。
(そういや、体が純黒の王と置き換わってるって言ってたな)
シャーロットいわく、王の肉体へ中途半端に置換された結果がこれなのだという。
身体能力の向上や、あの戦いで味わった
エマと死闘を繰り広げた時、まるでヴィクターの周りだけ時間の流れが遅くなったかのような感覚があった。
明らかな格上であり、攻撃を見切ることすら叶わなかったあのエマを、まるで生まれたての赤子でも相手にしているかの如くあしらえた一瞬の不可思議。
きっとあれが、純黒の王の力の一端だ。
(どうやったら使えるのかさっぱり分からねぇ。シャロはあまり使わない方がいいと言ってたけど、万一の場合もある。発動のトリガーくらい知っておきたかったんだが……)
使えば使うだけ王の肉体に置き換わっていくという致命的欠陥は無視できるものではない。自ら進んで破滅するなど言語道断だ。
力の使い方の模索は、あくまで保険である。
もしも必要な場面に出くわした時、それこそ自分の寿命を縮めてでも使わねばならないと悟った緊急事態で、使い方が分からりませんでしたでは話にならない。
しかしこう何度も試して出来ないのでは、恐らく発動条件があるのだろう。
力の歯車のような、ナニカが噛み合わなくては使えない。そんな気がしてならなかった。
「うーん……まぁいいか、出来ねーもんは仕方ねぇ。おいおい考えるとしよう。それより朝飯だ、朝飯!」
両腕に手早く包帯を巻いたヴィクターは、足早に森を後にした。
◆
黒曜石のように透き通った、魔法コンロのパネルに指を伸ばす。
起動音。浮かび上がる赤い魔方陣をスライドさせれば、接続された金属盤がジリジリ熱を放ち始めた。
フライパンを乗せ、煙が出るまで空焚き。
サッと油を敷く。あらかじめかき混ぜておいた溶き卵に火を通せば、あっという間にスクランブルエッグの完成だ。
葉野菜を適当に千切る。果実も食べやすいよう、これまた適当に切っていく。
根菜と肉を煮込んだスープを器に注ぐ。肉を取り除くのを忘れない。
仕上げに、パンを焦がさぬよう焼いて終了である。
「うし、完成。エマのようにはいかないが、まぁ十分だろ」
出来上がった食事をトレイに乗せ、いそいそと館を歩く。
シャーロットの部屋まで辿り着くと、ドアを軽快にノックした。
「おーい。メシできたぞー」
「…………ありがと」
消え入りそうな声。ドアがほんの少しだけ開く。
姿は見えない。真っ暗な部屋の片鱗がうかがえるだけだ。
「そこに置いてて。あとで食べるから」
「おう。食欲はあるのか?」
「……あんまり」
「そうか。まぁ無理して食う必要はねえからな。残しても気負いすんなよ」
「……ごめんね。せっかく作ってくれたのに」
「気にすんなって。食い終わったら廊下に置いててくれ、後で取りに来る」
「うん」
無機質に戸が閉まる。
静寂を一拍抱いて、ヴィクターは踵を返した。
忌まわしい事件から早くも3日。シャーロットはずっとあの調子だ。
目覚めないリリンフィーのそばを離れず、食事もまともに喉を通らない。部屋から出て来たのも数える程度。
身嗜みに気を遣う余裕すら無いらしく、艶やかだった髪は無造作に荒れ、肌色は青白く、大きな隈が目元を縁取っていた。
「アレじゃ、まともに寝てるかどうかも怪しいな」
境遇を考えれば無理もない。妹の肉を食わされ続けていたのだ。発狂していないだけマシだと言える。
一朝一夕でどうにかなる問題では無い。心が持ち直すには、相当な年月を必要とするだろう。
しかしこのまま放っておいても、シャーロットは衰弱の一途を辿るのみなのは明白だった。
「どうしたもんか……」
せめてリリンフィーの呪いが治りさえすれば活力を取り戻すだろうが、魔法も使えないヴィクターに、治す術など万にひとつもありはしない。
エマが言い残した『千年果花の霊薬』とやらも調べはしたが、伝説級に希少な霊薬らしく、入手方法さえ判然としない始末。
「……、」
時間が解決する問題なのはわかっている。心の傷に特効薬なんて存在しない。
だからといって、このまま傍観に徹するのは性分ではない。
ならば話は早いか。ヴィクターという男は、頭より体を動かすことを先決した。
「っしゃ。こうなったらシャーロットの元気取り戻す作戦、やってやろうじゃねぇの!」
◆
しかしながら、傷心した少女を元気づける方法なんて、記憶を失った男に分かるはずもなく。
なにせ人付き合いはシャーロットのみなのだ。他に交流があったかどうかは、記憶を失くす前の自分が知るのみである。
であれば、参考となるのは図書室の蔵書たちだった。
あの場所には山のような本が眠っている。専門的な学術書から、それこそ俗物的なものまで様々と。
そんな中の一冊に、落ち込んだ異性を喜ばせるには贈り物が良いと書いてあったので、一先ず信じてみることにした。
だが言うまでもなく、島の中でシャーロットに元気を取り戻させるような品を探すなど、無茶ぶりにもほどがある。
であれば、ヴィクターがポータルを使って島を出る選択を取るのは必然と言えるだろう。
「おおー、すげぇ。浜から一瞬で知らないとこに出たぞ」
シャーロットから貰った、ポータルの通行許可証らしい指輪をなぞりながら感嘆を零す。
みたところ、どこかの町の路地裏らしい
建物に挟まれた薄暗い景色を見上げる。草場はおろか、土くれすら無い人工的な地面を見下ろす。
人の生活圏に、足を踏み入れたのだと実感した。
「声がする。結構にぎわってるな、あっちが人通りか」
鬱屈した路地裏を抜け、まばゆい日の元へ飛び出して。
現れた外の世界は、一目見て素敵な町だと思えるような情景だった。
「うおおおー! 町だ! 人だ! すげーすげー!」
整備された石造りの道路。そこら中にごった返す無数の人々。
人混み特有の息苦しさは感じない。透き通った水の流れる水路や、整列した街路樹が、町並みに清潔感と潤いを与えているからだ。
なによりカラフルな看板やユニークな建物たちの群れは、それぞれ個性を主張し合い競争に励む、商売という人の営みの盛況を悟らせる活気があった。
「あれは八百屋か。こっちは服屋に雑貨屋! どれもこれも洒落た見た目してやがる。反対にあっち側は大衆酒場っぽい雰囲気だな」
今まで森の中で暮らしてきた反動か。目に映るすべてが真新しく、キラキラと輝いて見えた。まるでちょっとしたテーマパークである。
見惚れつつしばらく歩いていると、大きな通り道を、宙に浮かぶ金属で出来た箱のような物体が高速で行きかっているのが見えた。
中には人が乗っている。形もさまざまで、人しか乗れなさそうなものもあれば、明らかに物資を運搬するための大型のものまであった。
どうにも気になって、通りすがりの青年に声をかける。
「すみません! あの箱ってなんですか?」
「箱? ああ、もしかしてキャルゴのこと?」
「多分それッス! 人とか物とか乗せて動き回ってるアレ。初めて見たもんで」
「あれは『
「へー! あれゴーレムなんスね!」
ゴーレムは本で読んだから知っていた。金属、樹木、岩石などを原料に魔法で生み出される、半自律型の作業用道具である。
基本的に誰にでも出来るような軽作業を肩代わりさせる、人型のゴーレムが大半を占める。
書き込まれた術式の複雑さによっては、料理などの複雑な工程も可能だという。
話を聞くに、どうやらキャルゴは完全自律型ではなく操縦型のゴーレムのようだ。
人の足より速く移動することを目的にされたものだろう。
「ウチみたいな田舎町に普及したのはほんの最近だけどね。まだ空飛ぶ絨毯や箒なんかも現役だよ。けど、車の姿形も知らないってことは相当な田舎から来たのかい?」
「えーっと、まぁ、そんな感じで」
「そうかそうか。ここは良い町だよ。空気も良いし食べ物もうまい。何より交易の町だから、人種にも流浪の身にも寛容だ。ゆっくりしていくといい」
言われて周りを見渡せば、なるほど確かに、さまざまな人々が往来していた。
ヴィクターと同じ、最もスタンダードな種族だろう
オープンテラスのカフェでは、背が低くずんぐりむっくりとしいていて、豊かなひげを蓄えている
花屋を営んでいるらしい、スラッとした体形と薄緑の髪、とんがり耳が特徴的なのは
花の香りがしそうなふわりとした笑顔で接客する姿は、なかなかどうして様になっていた。
今しがた漁船が到着した船着き場では、
その他にも、種族名も知らない珍しい亜人が闊歩しているのが目に映った。
彼らに白い眼を向けるものは誰も居ない。これが当たり前の光景で、この町の日常の一欠片なのだ。
「──ん?」
ふと。
視界の端。突然うずくまった男の姿に焦点が合った。
身の丈より大きなバックパックにこれでもかと荷物を詰め込んでいる、
突発的に腰をやられたのか、蒼褪めた形相で動けなくなっている。
最悪なことに、積荷を背負う大型の
「じいさんッ!!」
考えるより先に体が動く。
足をバネに地を蹴り飛ばす。腕を全力で振り抜き、全霊をかけて疾駆した。
だが無理だ。間に合わない。人間の体は
自動操縦という性質状、安全面を考慮して障害物を感知すれば止まる術式が搭載されているかもしれない。
だがそれはあくまで可能性だ。もしこのまま止まらなかったら、あの老人は挽肉に加工されてしまう。
「クソッたれがッッ!! 間に合えッ!!
その時。
カチッと、ナニカが噛み合う音がした。
「──ッッ!!」
時の流れがぐわんと緩む。
ヴィクターを除く世界の全てが鈍重と化し、刹那、その身は疾風迅雷へ昇華した。
空を裂き、恐るべき速度を伴って道を貫く。通行人を潜り抜けて路上へ飛び込み、老人を抱きかかえながら対岸へ。
安全圏まで辿り着いた時には、時間の流れは元通りに戻っていた。
(あッッぶねぇ! 間一髪だった! 運よく力が発動してくれたお陰で……いや、もしかしなくてもこの能力、俺が必死になったりすると発動するのか?)
「お、おぉ、すまないね兄ちゃん。ありがとう、助かったよ」
抱えていた老人を降ろし、老人の衣服についた土埃を払う。
「怪我とか大丈夫スか? なんかずいぶん苦しそうに見えましたけど」
「あぁ、持病の発作が運悪く出ちまってね……。心臓が悪いんだ。最近は薬も飲んで平気だったんだが」
「心臓が!? ちょっ、それなのにこんな大荷物抱えて、無茶し過ぎッスよ爺さん!」
「面目ないねぇ。やれやれ年は取りたくないもんだ。昔はこれでも大工の匠だったんだが、引退してから随分ナマっちまった」
老人はヴィクターの手を両手でしっかりと握り締め、「本当にありがとう」と礼を告げる。
「お前さんは命の恩人だ。ぜひ礼をさせてほしい。ウチまで来てくれないかい?」
腰をトントン叩き、背伸びをして再び大荷物を背負おうとしたものだから、ヴィクターは慌てて止めに入る。
「ちょっ、爺さん! また心臓悪くしちまうって! 俺が代わりに背負うから!」
「いやいや、これ以上迷惑はかけられんよ」
「それでぶっ倒れちまったら元も子もねーんスよ! 俺のためにも手伝わせてくれ! な?」
「そうかい? ありがとなぁ」
「お安い御用ッス!」
荷物を受け取りながら、ズンッとのしかかるその重量に愕然とした。
いくら鉱山環境に適応した頑強な
「お前さん、気骨のある良い若者だねぇ。近頃にしちゃ珍しいよ。それにあの足の速さ、高名な魔法使いさんかえ?」
「いやーそれが俺、全然魔法使えないんスよ。むしろ一度でいいから使ってみたいくらいで、ちょっと憧れてます」
「そりゃ本当かね? ならずいぶん鍛えてるんだねぇ。良い体してるしの、カッカッカ」
魔力が無いこと、特殊な境遇で奇妙な力を手にしたことはもちろん伏せる。腕に包帯を巻いておいてよかったと安堵した。
「ところで、礼は何がいいかい? こう見えてワシは顔が利くし金もある。何でも言ってみなさい」
「んな、いいっスよお礼なんて」
「こういう時は謙遜するもんじゃあないよ。ワシにも筋を通させておくれ。老いぼれにはそれくらいしか出来んのだ」
「そういうことなら、そうッスねえ。うーん……」
少し迷って、ヴィクターはぽつりと零すように言った。
「実は……ちょっと悩んでることがあって」
「ほう? 言ってごらん」
「なんというか、その。どう話したらいいか分かんないんスけど……デカい恩のある人が凄く傷ついちまってて、食事も喉を通らないくらい落ち込んじゃってるんです」
「ふむ……」
「何か元気の出るプレゼントでも探そうってこの町に来たんスよ。でも女の子が元気出るようなものとか、俺、全然分かんなくって」
言いながら、ヴィクターはハッとしたように重要な見落としに気付く。
「そ、そういえば俺、そもそも買える金持ってねえじゃん……!! いや、あるにはあるけどシャロに貰ったもんだし、アイツの金でアイツのプレゼント買うってのか……? クソッ! なんでこんな大事なとこ見落としてたんだ! まず仕事探して金稼がねぇと!」
「……お前さん、良い男だな。傷ついてる人のために、心から動けるヤツってのは中々いないもんだ」
そういうことなら任せなさい、と老人は微笑みと共に言った。
「仕事を探してるってなら、ウチで働いてみてはどうかね」
「え?」
「お前さん、この町の住人じゃあないんだろう? そういう寄り人は大抵、ギルドに行って仕事を受けたり探したりするもんだが、登録はしてるのかい?」
「いや……ギルドなんて初耳レベルっス……」
「じゃあ今から登録してもライセンスは『
「……そうっスね。あまり時間はかけられない」
長期戦は可能な限り避けたいところだった。
今のシャーロットには余裕がない。リリンフィーの治療の目途が立っていない以上、放っておけば精神状態は悪化する一方だ。
シャーロットの精神力の強さはヴィクターもよく知っている。あれほどの悪夢に見舞われても、いつかは立ち直るだろうと言う確信がある。
だがそんなのは何年も先の話だ。シャーロットが忌まわしい事件を呑み込んだ頃には、心に大きな古傷が残されてしまった後なのだ。
ヴィクターはその古傷を、出来る限り小さくさせたい一心で動いていた。
酷い火傷も処置の早さで痕の大きさが変わってくるのと同じように、早期解決こそが鍵である。
ゆえにヴィクターは、考える暇すら勿体ないと島を飛び出したのだから。
「だったらウチがちょうどいい。3日だけ働いてみらんかね。報酬には色を付けると約束するよ」
「マジッスか!?」
「恩人に嘘など言わんさ。本当なら直ぐにでもお金を渡したいところなんだが、押し付けたとて受け取らんだろう? お前さんはそういう男だ」
ぐうの音も出なかった。
出会って間もないにも関わらず、すでにこの老人はヴィクターの性格を見抜いているらしい。
「どうだね? 少々キツい仕事だが、やってみるか?」
「もちろんッス! やらせてください!!」
当然、断る道理などあるはずもなかった。