銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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17.「星降るあなたへ、灯火よあれ」

「シャロ!! 遊びに行こうぜ!!」

 

 轟き奔る男の声。シャーロットはハッとして、亜空から呼び出しかけていたダランディーバを霧散させた。

 

(あ、れ……? 私、何しようとしてた……?)

 

 後ずさる。後ずさる。

 リリンフィーから一歩でも大きく離れようとするように。頭に巣食う黒い蛆に、これ以上操られまいとするかのように。

 

(い、今私っ、リリンを自分ごと斬ろうと……!?)

「おーいシャロ、聞いてるかー? おーい」

「っ。ご、めん。ちょっと、今はやめて」

「聞いてくれよシャロー。最近ちょっと町に出てたんだがな、すげー洒落てて美味ッそうなレストラン見つけたのよ。他にも服屋とか、動物園みたいなのとか、もういっぱい面白そうなとこあってな!」

「お願い……黙って……」

「たしか妹ちゃんの時間は止まってるんだっけか? あまり根詰めすぎても体に毒だしよ、少しくらい息抜きしたほうが────」

「黙ってって言ってるでしょ!! そんな余裕あると思う!? 余計なお世話なの、放っておいて!!」

「うるせ────────―ッッッッ!!!!」

 

 いきなりブッ放された渾身の咆哮に、シャーロットはビクッと肩を跳ねさせて硬直した。

 まるで雷が目の前に落ちたかのような衝撃に思考がプッツリと白紙と帰す。

 「え? え? なに?」と戸惑いの渦潮に呑まれていると、ヴィクターは鼻息を荒々しく吹き散らしながらフンガーッと少女を捲し立てた。

 

「あーもうまどろっこしい!! せっかく師匠から誘い文句教わったのに不甲斐なさ極まりねーが、やっぱ俺にゃこんなスマートなやり方向いてねぇ! だから単刀直入に言うぞ! リフレッシュしろシャロ!! リフレッーシュッ!!」

「え? ぁ、は?」

「もう見てられねーんだよ! お前がどんどんどんどんドン底に沈んでいくサマを!! 妹が大事なのはわかる! 境遇を考えれば落ち込むのも無理はない!! だがなぁ、辛気臭くずっと部屋に閉じこもったって事態は好転しねぇ! 少しでも早く治療法を見つけたいって気持ちは死ぬほど理解出来るが、肝心のシャロが悪くなる一方だ! それじゃ本末転倒だろ! このままじゃお前、本当にドン詰まりになっちまうぞ!?」

 

 ぐっ、とシャーロットは息を詰まらせた。

 反論の余地など見当たらない。ヴィクターの言葉は完全に図星を打ち抜いている。

 

 限界に限界を重ね、シャーロットの精神はもはや正常な機能を働かせられなくなっていた。

 人生をかけて守ろうと誓った唯一の肉親と無意識に無理心中を図ったほどだ。血迷わざるを得ないほどに、少女の奥底に溜まった汚泥は、心の閾値をとっくの昔に踏み越えていた。

 

 けれど、だからこそ。

 太陽のように差し伸べられた手が、余計に惨めに感じてしまう。

 光が強まれば、自ずと陰も濃くなっていくように。

 

「……何? 同情のつもり? 生憎だけど気遣いなんて要らないわよ。そもそも同情される資格なんてない。あなたの命を奪おうとして、リリンをこんな目に遭わせておいて同情なんかっ!!」

「心配して何が悪いってんだ────―ッッッッッ!!!!」

「うっさ、声でっか」

 

 たまらず耳を抑えて顔を顰める。

 生きた活火山と化した男の豹変ぶりに困惑しながらも、まるでシャーロットに溜まった澱みをまとめてブッ飛ばすかのような轟声のせいか、心中を選んでいたほどの魂の悪露は消えていた。

 混乱し過ぎて、そんなこと考える余裕すら無いとも言える。

 

「じゃあ言わせてもらうがなーっ! もし逆の立場だったらシャロはどうする!?」

「そ、れは」

 

 言の葉を紡げず唇を結ぶ。

 果てしなくズルい男だと、目を伏せながら胸をきゅっと抑え込む。

 答えるまでもない。もし同じ状況だったら、シャーロットはきっとヴィクターと同じことをしただろうから。

 

「つーわけだ、ツベコベ言わずリフレッシュすんぞ。そんな湿っぽいツラしてたら、妹ちゃんが起きた時に悲しませちまうだろうが」

「あっ、ちょっと!」

 

 有無を言わせぬ勢いで手を掴まれ、部屋から連れ出されてしまう。

 もはやヴィクターの中では決定事項になっているらしい。どう足掻いても止められないと悟らせるほどの勢いは、猪ですら生易しく思えるほど。

 

「あなた、そんな強引なキャラだったっけ……?」

「男は時に強引に行かなきゃならない場面があるんだって師匠に教わったんだ」

「師匠って誰!?」

「んな事よりまず身嗜みだな。風呂沸かしてるからさっさと入ってこい。というかシャロ、お前いつから風呂入ってねーんだ? ちょっと臭うぞ」

「う、うるっさいなぁ、もう!」

「おっ、ようやく顔色が戻ってきたな?」

 

 ケラケラと悪戯小僧のように笑うヴィクターに、どうにも毒気を抜かれて吐息が落ちる。

 彼自身も、きっとそのつもりでからかったのだろう。

 

(……わざと強引な風を装ってる。私が悲観で溺れてしまわないように。そんなこと、考える暇すら与えないために)

 

 事実、効果覿面(こうかてきめん)だ。事件の日から鉄塊を植えられたようだった胸の内が、少しだけ軽くなっていた。

 無茶苦茶な言動に引っ搔き回されてネガティブに思考を挟む余裕すら無い。

 余裕がないからこそ、古傷の痛みに震え続けていた心奥の悲鳴が聴こえなくて済んでいる。

 

 さっきまで腐海に呑みこまれるように苦悩していたことが、なんだか馬鹿みたいに思えてきた。

 シャーロットをしっかりと引っ張る男の手が、肩の荷を少しだけ降ろしてくれたように感じられて、ほんの少し頬が綻ぶ。

 悟られてしまうと気恥ずかしいから、顔を見られないように下を向いてしまったのだけれど。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 随分と久しぶりに、暖かな湯へ身を潜らせた気がする。

 

 精神的に余裕が無かったのもある。しかしそれ以上に、入浴そのものへ忌避感を覚えてしまっていたことが大きい。

 厳密に言えば、自分の体を鏡で見せつけられてしまうのが嫌だった。

 

「……」

 

 長年の鍛錬の影響で節々が太くなってしまった手を見やる。

 古傷まみれの皮膚。削れた拳頭。岩のようにゴツゴツとした質感。

 

 手だけじゃない。体もそうだ。すらりと割れた腹筋に、豹のような大腿。

 腕の筋肉だって、同年代と比べれば確実に発達している。

 

 女性特有の柔らかさは薄く、どこもかしこも筋張っていて、華奢というより精錬されているという言葉が似合うシルエット。

 端的に言えば女の子らしくない体。それを鏡に見せつけられるのが嫌だった。

 

「…………、」

 

 少し前まで、むしろ誇らしいとすら思っていた。

 これはシャーロットの努力の証だ。日々積み上げてきた血と汗の結晶に他ならない。

 自らに課した覚悟の体現であり、誉れ高きアーヴェントの現代当主として相応しい位であるための勲章。

 

 けれどそれは無意味だったと、あの事件で思い知らされて。途端に全てが醜いように感じられて。

 だからだろう。自分(愚者)を瞳に映すことさえ苦痛になったのは。

 

「……ええい、やめやめ! ネガティブは無し! せっかくお膳立てしてくれたんだから」

 

 ぱしゃっと顔に湯をかける。靄を吹き飛ばすように頭を振るう。

 

 魂に纏わりつく茨のような傷痕は、きっと生涯消えることは無い。

 だからといって、ヴィクターの好意を無下にしてしまうのは違う。

 

 ここ最近のヴィクターは、何やら慌ただしそうにあちこちを往来していた。

 きっと今日のために、色々な準備を進めていたのだろうと推察できる。

 そしてシャーロットは、そんな真心を無粋に払い除けるような女ではない。

 

 今日ばかりは全てを忘れよう。

 身を包むお湯の心地よさに毒を溶かし出すように、深く息を吸って、吐息を湯煙に混ぜ込んだ。

 

「……誰かと遊びに行くなんて、すっごい久しぶりだなぁ」

 

 

 

「つかぬことをお聞きするがシャロ嬢。今から町に行くわけだが、ほんとにソレで良いのか?」

「え?」

 

 身も心もお風呂でさっぱり綺麗にして、いざ町へとポータルに繰り出した折。ヴィクターがおもむろにそんなことを言い放った。

 というのも、シャーロットの恰好があまりにもラフ過ぎたからである。

 

 ヴィクターはどこでこしらえたか、いつものピッチリしたインナー姿ではなくなっていた。

 純白のシャツにダークブラウンのジャケットを羽織り、胸元へ控え目なネックレスを添え、ベージュのパンツと真っ新なスニーカーを着こなしている。

 純黒の腕を隠すための包帯が多少浮いているが、全体的にカジュアルな出で立ちへと化けていた。 

 おまけに整髪料まで使って、獅子のような短髪をサッパリ爽やかに整えているほど。

 

 一方、シャーロットは無地のシャツと短パンのみ。

 いつも館で過ごしている時と同じもので、半ば部屋着と言っていい。とても年頃の少女が外向けに着ていくものではない。

 

 よくよく考えてみれば、ヴィクターはシャーロットがこの服装以外で出歩いているところを見たことが無かった。

 あるとしても、霊廟へ立ち入る時に着ていたドレス風の礼服だけだ。

 

 ヴィクターの言葉が衣装に向けられたものだと気付き、シャーロットは「あー」とバツが悪そうに頬を掻いた。

 

「私、これと同じ服しか持ってないのよ」

「それまたどうして」

「火事で燃えちゃったのと、昔は少しでもお金作るために値が張りそうなの片っ端から売っ払っちゃって……。それにほら、服って高いからさ。節約のために安いお徳用しか買えなかったのよね」

「よし、服買いに行こう」

 

 決断は早かった。

 むしろ買わねばならぬと、ヴィクターは烈火の如き使命感を焚き上げていた。

 しかし、シャーロットは手をヒラヒラさせながらカラカラと笑う。

 

「あはは、いいわよ気なんて遣わなくて。ウチで作った野菜とか魔獣の肉売りに行く時もこの格好だし、全然平気よ」

「嘘吐け。どうせならちゃんとお洒落したいんだろ? 証拠に髪はバッチリ整えてるし、軽く化粧もしてるし、爪にはグロスも塗ってある」

「う……意外とよく見てるわね」

「決まりだな。まずは服屋に直行だ!」

 

 言うが早いか、二人はポータルを通じて町に飛び出し、さっそく目的の店へやってきた。

 名を『スワンクローク』。ここ数年で新装開店した店のようで、交易の町に腰を据えるだけあってか、メンズ・レディースに問わず、流行りものから珍しい掘り出し物まで品ぞろえの豊富さが売りのアパレルショップだ。

 

 基人(ヒューム)に限らず鉱人(ドワーフ)森人(エルフ)といった様々な種族のマネキンが立ち並び、心躍る衣装の数々を身に着けた晴れやかなギャラリーは、眺めるだけでも退屈しない空間だ。

 

「わ、わ、この上着かわいい……! こっちの帽子も素敵じゃない! えへへ、すっごく久しぶりに服屋さんなんて来たけど、やっぱテンション上がっちゃうなぁ」

「気に入ったのあったら買うぞ」

「えっ。いやいや流石に悪いわよ、自分で買うわ」

「だーから遠慮すんなって。この日のために資金調達したんだぜ? 使わなきゃもったいねえ」

 

 言われて、ここ数日の間ヴィクターがやけに忙しそうにしていた理由はそれだったのかと直感がささやく。

 

(私のお金を使っちゃ筋が通らないから、わざわざ稼ぎに行ってたのかしら? ……ほんと、義理堅いやつ)

 

 シャーロットは無駄な出費を避けていただけで、別段困窮はしていない。

 どころか、ストイック極まる私生活と長年の努力で獲得した収入源も相まって、財布はかなり潤っているほうだ。

 事実、ヴィクターには謝礼として大金を手渡している。にもかかわらず彼が稼ぎに奔走したのは、ヴィクターなりの篤実を証明するために他ならない。

 

 無意識に、少し頬が柔らかくなった。

 

「そういうことなら、ヴィクターが選んでよ」

「俺が?」

「うん。自分で選ぶと永遠に迷っちゃいそうだから、あなたに決めて欲しい。代わりに私もあなたのを選んであげる。どう?」

「そういうことなら任せてくれ! 最高に洒落たの選んでやるから覚悟しとけよ!」

 

 意気揚々。袖を勢いよく捲りながら、ヴィクターは布地の森へ突入するように消えていった。

 しばらくメンズ服を吟味していると、ブオンと風切り音を引き連れながら戻ってきて、

 

「持ってきたぞシャロ! さぁ刮目しやがれ! 俺のソウルセレクションご覧あれだ!!」

「あら早いわね。どれどれ、どんなの持ってきた………の…………」

「どうだどうだ!? 最高にイカすと思わねーかこれ! 遠方の特産品らしいんだが、こんな魂揺さぶるデザイン見たことねーよ!」

 

 ギンギラ銀の下地にド派手な虎柄を背負う、夜露死苦な集団が羽織っていそうなオーバーコート。

 犬だか猫だか狐だか狸だかよくわからない、デフォルメされたブサイクなキャラクターが死ぬほどプリントされたスカート。

 似たようなものエトセトラ。

 

 ダサさで海が割れそうだった。

 

「あっはははは! なにそれどっから持ってきたの? いくらなんでもネタに走り過ぎでしょ!」

「? 至って真剣だが」

「…………………………」

「何故そんな追い詰められたような顔する?」

「あー、うん! ありがとう! 折角だけど、やっぱり自分で選ぶことにするわね!」

 

 そうか? と小首を傾げるヴィクターへ100万カンデラの笑顔を送りつつ、足早に撤退するシャーロット。

 

 何故あのセンスで今身に着けているカジュアルスタイルな衣装を選べたのかと訝しみながらも、コーナーに入ってもう一度吟味を重ねていく。

 幾らか気に入ったもの寄せ集めたので、観客役にヴィクターを連れて試着室に向かった。

 

「へーい、どうかしら? 似合う?」

「姫様……」

「これは?」

「皇女……」

「こっちはどう?」

「プリンセス……」

「あなた何着ても同じことしか言わないじゃない!」

「いや違うんだよ! 何でも絵になってるんだってほんとに! ちくしょう、師匠の下で修業したはずなのにどうして言葉が出てこねぇ……!」

 

 自らのボキャブラリーを呪い頭を抱えるヴィクターをよそに、シャーロットはようやく納得のコーデを完成させた。

 

 フロントに黒曜のボタンが並んだフリルネックの純白ブラウス。繊細で透明感のある、膝丈ほどの濡れ羽色のチュールスカート。頭にちょこんと乗っているのは濃紺のベレー帽だ。

 

「じゃじゃーん、どうどう? 良い感じじゃない?」

 

 ふわりとスカートを翻しながら、100万ワットのまばゆい笑顔。

 

 シャーロットは元々、化粧を必要としないレベルで整った顔立ちの少女である。

 そこに垢ぬけた上品さと、少女らしいガーリーな雰囲気をほどよく混ぜたコーディネートが加われば、感嘆の吐息が溢れるほどの華やかさの化学反応が起こってしまうのは自然の摂理と言っていい。

 

 つまるところ、擦れ違うほとんどの人間が思わず振り返る絶世の乙女が爆誕した。

 

「最ッッッ高だなオイ!! マジで世界一だぜシャロ!」

「フフーン! 超絶美少女たる私だもの、当然の反応ねっ! でも髪ちょっと伸ばし過ぎたかしら? 今度切ろうかな」 

 

 言いつつ、夜の海を梳いたような髪をくるくると弄る。

 しかしながら、シャーロットの髪は肩にかかる程度のもので、極端に長いわけではない。 

 元々ショートヘアだったらしく、今の長さの方が珍しいのだという。

 

「まだ昼まで時間あるし、切りに行くか? 俺は適当に時間潰しておくぞ」

「いいの? 結構時間かかるわよ?」

「いいんだよ。今日はシャロが主役なんだからな」

「……ふふ、ありがと。じゃあお言葉に甘えちゃおうかなっ」

 

 一緒に選んでおいたリリンフィー用とヴィクターの追加分も購入した二人は、空間拡張魔法を施されたバックパックに放り込むと、共に店を後にした。

 

 

「お待たせー。ごめんね、時間かかっちゃって……って何してるの?」

 

 しばらく手入れを怠っていたせいか、痛み気味だった髪を美容院で綺麗にカットし、艶やかなキューティクルのショートボブを手に入れたシャーロットが鼻歌混じりに戻ってくると、何故かヴィクターが窟人(ゴブリン)の男に餌付けをしていた。

 

「おうシャロ。いやな、ヒマだったから辺りをブラブラしてたんだが、路地裏で行き倒れてるこいつを見つけてな。何でもしばらくロクに食ってないとかで、ご馳走してやってたんだ」

「はぐはぐはぐ!! はぐはぐはぐはぐ!!」

 

 薄緑の肌。小柄だが小太りな体躯。真ん丸な鼻に、頭へちょこんと生えた黄土色の松明のような髪。

 しかし、どうにも頬がこけている。よほど空腹だったらしく、野菜とチーズとベーコンがギュウギュウに挟まれた大きなパンを一心不乱に齧りついていた。

 

「あっ! あなた様が旦那の待ち人さんだどね! もぐもぐ! オラ、ブーゴといいます! もぐもぐもぐ! 倒れてたところをヴィクターの旦那に助けてもらってはぐはぐはぐ! んぐ、これ食ったらすぐ退散しますんで! ぐぁつぐぁつ!」

「ちょっとちょっと、そんな勢いよく食べたら喉詰めちゃうわよ。私のことは気にしなくていいから、ゆっくり噛みなさいな」

「ああ……旦那だけでなく姉御も優しい……女神みてーなお方だ。んでも、邪魔しちゃ悪いからオラ消えるど。おふたがた、この恩は一生忘れねーど!」

 

 言うが早いか、ブーゴは紙袋に入ったたくさんのパンを抱えて、何度も頭を下げながら足早に去っていった。

 

「彼、空腹で倒れるなんて何があったの?」

「どうも仲間たちとゴブリンの集落から出稼ぎに来てたらしいんだが、色々あって食い扶持を失ったらしくてな。それで倒れてたんだと」

「そう……不憫ね。もう少し話を聞いてあげればよかったかしら」

 

 この世界には大多数を占める基人(ヒューム)を主として、様々な亜人が存在する。

 定義としては、直立二足歩行が可能な言語を介する文明的存在だ。

 それらは全て人間としてカテゴライズされており、現代においては広く社会に浸透している。

 

 しかしながら、全種族がこの町のように高度な生活を築いているわけではない。

 中には人里離れた『禁足地』に集落をつくり、隔絶された社会を営む者もいる。窟人(ゴブリン)もその一種である。

 ゆえに、このような町で見かけるのは中々珍しいものだった。

 

「ところで、良い感じにサッパリしたな。似合ってるぞ」

「でしょー。ふふ、ありがと。やっぱり短めの方が落ち着くわね」

「じゃあ良い時間だし、俺たちも飯にすっか。肉はまだキツいだろ? 魚介ならいけそうか?」

「ん……そうね、お魚は大丈夫かな」

「おっしゃ。ちょうど良い店ピックしてたんだ、行こうぜ」

 

 向かったのは港沿いに居を構えたレストラン、『海の呼び声』だ。

 岸壁から伸びた桟橋の先に浮かぶ、巨大な木造船そのものが店であり、船乗りの感覚を手軽に味わいながら新鮮な海の幸に舌鼓を打てるという、ちょっぴり浪漫に溢れた料理店である。

 

 革製なのにふかふかとした不思議な椅子。大きな樽やドクロの置物。鍔広の羽つき帽子を被った、弦楽器を奏でる海賊姿の魚人(マーマン)たち。

 魔力灯のクリスタルシャンデリアが暖く照らすヴィンテージで古風な内装は、さながら陽気な海賊船でいざ出航といった雰囲気だ。

 

「すごーい! 船がまるごとお店なんて初めて!」

「うおおおおおお船!! 潮の香り!! ドクロ!! タル────!! 話には聞いてたが思った以上に風情あるな! 俺こういうの大好きだ、滅茶苦茶テンション上がる!! 」

「っくくく、目キラキラさせちゃって。男の子だなぁ」

 

 執事姿の魚人(マーマン)からメニューを手渡される。

 古びた羊皮紙風の凝った表には、ひとつひとつ筆書きで丁寧に料理の絵が描かれていた。

 

「俺はマーマン流海賊盛りにしようかな。オウサマエビやらバターサーモンやら、高級海鮮山盛りでこの値段はすんげー安さだぜ。流石市場が隣なだけある」

「むぅ、どれにしよう。私こういうの結構迷っちゃタイプなのよね」

「思いっきり食え食え。せっかくの機会だからな、好きなだけ頼めー」

「じゃあ……船乗りパスタと潮風グラタン、渚のサラダ、海底都市定食にー」

「はは、よく食うな。腹減ってたのか?」

「この深海スープも美味しそうね! あっ船長の日替わりランチも追加で」

「ん?」

「あとこれとこれとこれとこれも」

「ちょっ、シャロさん? 大丈夫かシャーロットさーん?」

 

 何やら瞳に危ない光を宿したシャーロットが無尽蔵に注文し続ける様子に、そう言えばこいつ死ぬほど健啖家だったなと館での食事事情を思い出す。

 

 テーブルにフルコース同然の料理軍団がズラリと揃い踏みし、目を輝かせるシャーロットと若干引き気味のウェイター魚人(マーマン)の眼差しを浴びながら、いざ実食。

 

 ヴィクターが注文したのは、卸したばかりの高級魚介たちの刺身を惜しみなく盛り付けた贅の船盛りだ。

 

 まずはキラキラと橙に光る宝石の如きバターサーモンの切り身。一口運べば、豊かな海で蓄えられた旨味と脂の潮流がガツンと舌に渦を巻いた。

 オウサマエビの甘みと来たら、まさしく王威に震えるような極上だ。頭を掴んでガブリと食いつける豪快な一興と、ツルンとした喉越しがまた一層幸福感を上乗せしてくれる。

 少しばかりグロテスクな海竜貝も、口にしてしまえば至福の一言だ。

 貝とは思えないほど濃厚なクリーミーさ、軽く噛めば歯を跳ね返してくるほどの弾力には文字通り舌を巻いてしまう。

 

「美味いな! 店の見た目に負けず劣らない本格っぷりだ、こんな海鮮食ったことねぇ!」

「! !! ~~~っ!!」

「落ち着け」

 

 ひとつひとつ平らげながら、歓喜に身を震わせるシャーロット。

 口いっぱいに頬張ってとろんと微笑む様子はなんとも幸せそうで、眺めているだけで自然と笑みが零れてしまう。

 

「ん~~~~っ、おーいしーい!! 島の清流で捕った魚も格別と思ってたけど、やっぱ外洋産は一味違うわね!」

「島と言えば、あそこデカい魚が暮らせるような川も泉もあるよな。島の奥がいつも霧がかっててよく見えねえけど、川の流れも速いし、標高の高い山とかあるのか?」

「うーん、どうかしらね? 島の奥については本当に何も分かってないのよ。あなたの言う通り霧が酷いし、危険だから行くなって両親に言われ続けてたもの」

 

 シャーロットたちが生活の拠点としている場所は島のごく一部に過ぎない。

 深奥と呼ばれる未知の領域には常に濃霧が立ち込めており、侵入者を拒むが如く鬱蒼とした樹海が広がっている。

 

「ふーん。いつか行ってみてえな。何があるのかちょっと興味湧くぜ」

「気持ちはわかるけど、止めた方がいいわよ。凄く危ない魔獣も出るみたいだから」

「でも不思議に思わねえ? 大型魔獣の個体数がいくら少ないって言っても、そんな奴が生息してるってのに一度も館まで降りてきたこと無いんだろ? 別に獣除けの結界とかも張って無いのにさ」

「まぁ……確かに。言われてみれば、そもそも明確に遭遇したって記録が無いわね。昔からナニカがいると伝えられてるだけで」

 

 危険な魔獣と遭遇するには、館から少し離れた『狩場』と呼ぶ森まで踏み入る必要があるとされている。

 逆を言えば、そこまで行かなければ大鬼熊のような危険生物と遭遇することは無い。

 

 しかしそんな言い伝えとは裏腹に、代々受け継がれてきた『狩場』で危険生物と出会った記録はひとつも無いのだ。

 あるとすれば、シャーロットの祖父が森の奥で、奇妙な呻き声のようなものを耳にしたといった程度か。

 

「実は大型魔獣なんていないって説はどうだ?」

「流石にそれは……でも、そうねえ」

 

 普段は気にも留めなかった疑問が立体的になってくる。根本的に、島には危険な獣が生息しているのだろうかと。

 

 考えてみれば、あの島は遥か昔に『純黒の王』がアーヴェントの避難所として用意した隠れ里だ。

 だというのに、アーヴェントを危険に晒しかねない大型魔獣を対策も無く放置しているというのはいささか矛盾した話である。

 館に結界が張られているならまだ分かるが、無いとくれば尚更だ。

 

 もしもの話。本当は危険な魔獣が居ないにも関わらず、()()()()()()()()()()()()()()()()()があるとしたら?

 あの島の奥に誰も立ち入らせないための、何か隠されたワケがあるのではないか?

 

「うーん、何だか話してると気になってきたわ……。今度行ってみる?」

「おっ良いな、行こう行こう。一度探検ってのやってみたかったんだよ」

「ちゃんと準備してからね。危なくなったらすぐ引き返すこと。良い?」

「もちろん」

 

 そうこうしている内に、山のようだったシャーロットの料理軍団は全て片付けられていた。

 

 

 

 

 腹を満たしたあと、二人は町から東に向かった先の動物園へと足を運んだ。

 動物園とは言うものの、そこは広大な森林地帯を自由かつ安全に散策出来るようにした施設だった。自然観察公園と呼んだ方が正しいかもしれない。

 

 園路を歩くと、魔障壁越しに様々な動物たちが人間を見にやってくる。

 それをガイドゴーレムの説明に耳を傾けながら、じっくり眺めるというものである。

 

「まさか子連れのグリフォンが現れるなんてな。スタッフの人達が血相変えてすっ飛んできて……あんな大騒ぎになるとは思わなかったぜ」

「グリフォンって幻獣指定されてるくらい超珍しい生き物だからね。子連れなんて一生に一度お目にかかれるかどうかってくらいの大事件よ。いや~でも可愛かったなぁ~ちびグリフォン! まだ飛べないからお母さんの背中にしがみついててさ、毛並みも白くてフワッフワで、おめめクリクリしてて……! ああ、一度でいいから抱っこしてみたい……!」 

「滅茶苦茶抱き心地良さそうだったもんなぁ」

 

 非常に警戒心が強く、人前にはまず姿を現さないとされるグリフォンが、魔障壁さえ無ければ触れそうなくらい近くまで寄ってくるという、世にも珍しい現象が起こったのだ。

 

 しかも親グリフォンが背中の仔グリフォンを嘴でつまみ、まるで我が子に挨拶でもさせるかの如く、シャーロットの前へ差し出してくるというおまけつき。

 高度な知性と魔力を持つとされる幻獣には、『純黒の王』の魔力を宿すシャーロットに何か感じるものがあったのかもしれない。

 

 

 

「すっかり暗くなっちゃったわね」

 

 夕食に舌鼓を打ち、気がついたら宵の刻。

 洛陽を終えた天蓋は、月と星々が歌い踊る絢爛な世界へと変わっていた。

 

「あっと言う間だったなぁ」

「ええ、本当に。一日がこんなに短く感じたの久しぶり」

 

 空を見上げれば、きらり、きらり。一条の光たちが夜を駆けては消えていく。

 楽しい時間というものは、この流れ星のようだと少女は思う。

 吸い込まれそうな闇に瞬く星屑の輝きは、ほんの刹那にも関わらず瞳に焼きつくところが似ているから。

 

「本当に……久しぶりよ」

 

 ──こうしていると、不意に火災が起こった日の出来事が脳裏を過る。

 あの日も同じように、妹たちと()へ出かけていた最中だったから。

 

 トラウマというものは、常に着いて回る影と同じだ。

 どれだけ目を背けても、必ず足元に縫い付いている。

 それはピッタリと寄り添って離れることはなく、何かの拍子に下を向けば、歯を剥き嗤いながら暗澹へ引きずり込んでくるのだ。

 

 今日は幸せな一日だった。心から笑えたのも、楽しめたのも、本当に本当に久しぶりだった。

 瞑目したくなるような惨劇の膿瘍を忘れることが出来た。胸に巣食うジクジクとした痛みも随分とやわらいで、春風が吹いたような心地よさだった。

 

 だからこそ、シャーロットは今のこの状況が少し──いいや、とても怖ろしかったのだ。

 

 もしヴィクターがいつの間にか記憶を取り戻していて、エマと同じ裏切り者だったとしたら? 

 この束の間の平和が頭を弄られたことによる幻覚だとしたら? 

 また島に戻った時、館が劫火に食まれていたら? 今度こそリリンフィーを失ってしまったら?

 

 影は消えない。どす黒い疑心暗鬼が拭えない。

 どれだけ目を逸らそうとも、心のどこかで恐怖という悪魔が卑しく嗤いながら、シャーロットを闇の淵へ招こうと手招きを繰り返してくる。

 あの男は敵ではないのか。目に映るもの全て噓偽りではないのか。

 

 そんな想像をしてしまう自分が、何より一番大嫌いだ。

 

「シャーロー。怖い顔してどうしたー?」

「うわっ」

 

 ぬぅっとヴィクターが上から顔を覗かせてきて、思わず後ずさりながら仰天した。

 

「びっくりした。驚かさないでよ、もう」

「顔色が悪くなってたからな。平気か?」

「……うん、大丈夫」

「嘘が下手だな。当ててやろうか? 火事が起こった日に妹ちゃんと遊びに出た時のことが重なったんだろ。俺が裏切り者に思えて疑心暗鬼になってると見た」

「うぐっ、ほんと鋭いわね」

 

 図星を突かれ、居心地悪そうに目を逸らす。

 

「誤解しないで、あなたを疑ってるわけじゃないの。今日は本当に楽しかった。けど……どうしても……頭に食い込んでくるみたいに嫌な考えが離れなくて。……ごめんなさい、最後の最後で台無しにしちゃったわね」

「んー……シャロ、まだ体力は残ってるか?」

「え? うん、全然平気」

「流石だな。よし、ちょっと遠いが歩くぞ」

 

 言うが早いか。ヴィクターは踵を返すと、そのまま町とは反対側の山道に向かって歩き出した。

 

「待ってよ。どこ行くの? もう真っ暗なのに」

「俺の秘密スポット」

 

 ヴィクターは懐から小さな魔力灯をふたつ取り出して、シャーロットに片方を手渡した。

 足元を照らしながらひたすら山道を歩いていく。

 道中、整備された表通りから脇の小道に突っ込むと、平坦な道に砂利が混ざり始めてきた。

 

「わわっ、と」

 

 慣れない靴のせいか、思ったより上手く歩けない。

 悪戦苦闘していると、ヴィクターはふらつくシャーロットの前でしゃがみ込んだ。

 

「乗れよ。足痛めちまったら大変だ」

「いいの?」

「買ったばかりの靴や服を汚すのも嫌だろ?」

「……ありがとう。ほんと、優しいわね」

 

 恐る恐る身を預ける。思ったより背中が大きくて、どことなく安心に包まれるよう。

 やがて宙に浮くような感覚が訪れ、ヴィクターが静かに立ちあがった。

 

「大丈夫? 重くない?」

「ちっとも。あれだけ食ってたのがどこ消えたんだって不思議なくらいだ」

「へへ、乙女の秘密ってやつよ」

「実は魔法でちょっと浮いて見栄張ったりしてないよな?」

「なにー? なんか言ったー??」

「ナニモイッテナイデス」

 

 耳を摘ままれて命の危機を悟ったヴィクターは、従順な馬と化しヒヒンと鳴いた。

 ザクザク山道を進んでいく。虫の鳴き声。鳥の歌。葉擦れの談笑。暗闇を楽しむ千差万別の賑わいが、夜風と共に乗ってくる。

 

 一陣、吹き抜けて。

 珠玉を散りばめたような満天の星海が。燦然と地を燈す街灯りの花園が。百花繚乱と舞い踊る精霊たちの舞踏会が。瞳いっぱいに飛び込んできた。

 

「うわぁ……綺麗……」

 

 恒星と満月、星雲を絵具に、絢爛という(いろどり)をもって描かれた夜空のキャンバス。

 人々の営みが千古不易の灯火となり、連綿と続く命の如く暖かな光で溢れた煌々の大地。

 十色に輝く精霊たちの、圧倒されるようなダンスパーティー。

 

 三重の光彩陸離が融けて混ざり合うこの境界の、なんと素晴らしき絶景か。

 

「スゲーだろ。今まで行ったとこは教えてもらった場所なんだが、ここは偶然見つけたとこでな」

 

 一望できる岩場にシャーロットを降ろし、ヴィクターも隣に腰かける。

 

「さっきの話の続きだけどよ」

「……うん」

「俺のことを疑っても、裏切り者だと思ってくれても全然かまわない。そもそも俺は正体不明の記憶喪失男だからな、訝しんで当然だ。全然不思議なことじゃない。……けどよ、もうこれ以上自分を責めるのはやめろ」

「っ」

「シャロは優しい。俺のことを疑っちまう自分のことが嫌いになるってタイプの人間だ。だからむしろ、俺を疑え。敵だと思っていい。その代わり、自分を傷つけることをやめて欲しいんだ」 

 

 見抜いていた。ヴィクターは、シャーロットが抱える一番の膿を見抜いていた。

 長きにわたり少女を毒し続けてきた自責の念。シャーロットの深奥に根付く、慙愧という名の悪性新生物に、メスを入れるような言の葉だった。

 

「どうして分かったの?」

「そりゃ分かるさ。だってシャロ、一度も他人を責めたことなかっただろ? ……あんなに辛い目にあったってのに、エマにすら一言も悪態を吐かなかった。どころか、口から出るのは自責ばかり。だから思ったんだ。もしかしたら、全部自分のせいにしてるんじゃねーかなって」

「あはは、敵わないわね」

 

 ヴィクターは不思議な男だ。考えるより先に体が動く焔のような直線型の人間なのに、どこか冷静でいて妙に鋭い。

 それはきっと、ひたすら実直に向き合っているからなのだろうとシャーロットは思う。

 

 彼はよく見ている。その両の目でしっかりと、少女と向き合い理解しようとしている。

 だから気付ける。シャーロットの細かな機微も、胸の内に秘めた病巣の正体までも。

 

(ああもう。こんなに真摯に心配されちゃったら、私も向き合わなくちゃダメになるじゃない)

 

 ヴィクターは誠意を見せた。シャーロットという少女のために、真心をもって傷を癒そうと奔走してくれた。

 今日という時間が、この瞬間に結実する。

 男の抱く義気の熱が、少女を閉じ込める氷塊を溶かし始めていた。

 

「……もう、無理なのよ」

 

 だからこそ嘘はつかない。

 その場しのぎの愛想笑いで、お茶を濁すような真似などしない。

 

「私ね、たくさん失敗しちゃったんだ。取り返しがつかない間違いを、いっぱいいっぱいしちゃった」

 

 シャーロットは真っ直ぐに、ヴィクターへ心中を吐き出すことを選択した。

 忸怩(じくじ)たるこの呪いからは、決して逃げ出すことなど叶わないのだと。

 

「ずっと傍にいたのにエマの企みを見抜けなかった。リリンを守ると誓ったのに、守るどころか苦しめてた。そんな事にも気付かずに私、何してたと思う? 立派なアーヴェントになるんだーって、馬鹿みたいな努力に縋り続けてただけよ」

 

 満天を見上げながら少女は吐露する。

 この胸の内を、星空に全て打ち上げようとするかのように。

 

「家族も思い出も突然消えてさ、理不尽だって思ったの。こんな目に遭うのは負の歴史の生き証人だからなのかって。まるで世界そのものから要らないって言われてるみたいで、本当に悔しかった。だから見返してやろうと思ったんだ。世界とか、運命とか、そういう見えない敵を作ってね」

「……、」

「目的が必要だった。目指す旗がなくちゃ、心が壊れてしまいそうだったから。だから『立派なアーヴェントになって理不尽を見返す』ことを目標にしてきた。強くなって、アーヴェントの誇りに相応しい私になって、陛下を復活させられたなら、家族の死にも意味が生まれるって信じてたから」

 

 けれど、と少女は繋ぐ。

 

「どれだけ頑張ったつもりでも、結局は無駄に終わっちゃった。明後日の方向に走ってただけで何の結果も残せない。どころか、事態はいつも最悪なほうに進んでた」

「…………、」

「間違いだらけなのよ、私の人生。間違って、間違って、全部ぜんぶ空回り。何もかも失くしちゃった後に間違ってたって気がつくの。本当に……無力でバカみたい」

「それは違う」

 

 一刀両断する、力強い否定の言葉。

 

「違う違う、全然違う。そもそもが根本的に間違ってる」

「……え?」

「だってよ、シャロは何も悪くないだろ」

 

 ヴィクターの瞳が、真っ直ぐと少女を射貫いていた。

 

「どう考えてもエマが悪い、全部悪い。大義のためだか何だか知らんが、他人の人生を滅茶苦茶にしやがって。アイツがいなけりゃこんなことにならなかったんだぞ? 思い出すだけでムカつくぜ! もっとぶん殴っておけばよかったくらいだ!」

 

 ギリギリと拳を握り固めながら、ヴィクターは荒々しく鼻息を吹き散らした。

 

 ──そう。これは至極当然な話。

 事の発端はシャーロットではなく、全てエマの悪行にこそ起因する。

 なのに少女は自分を責める。こんなおかしい話が他にあろうか。

 

 原因は、シャーロットという少女が高潔であるがゆえのアポトーシスだ。

 

 皮肉にも、アーヴェントとして相応しく全能であろうと努力し続けてきたがゆえに、己の欠点を許せなくなってしまっていた。

 水面下の悪意を自力で暴けなかったという汚点を、非の無いはずの責を、極限まで恥じてしまっているからなのだ。

 

 これは呪いだ。

 シャーロットが抱える血の軛、生き残ってしまった者としての責任感、姉としての矜持。

 それら全てが、雁字搦めに絡み合って生まれてしまった十字架なのだ。

 

 だからヴィクターは、シャーロットの肩を掴んで向き合った。

 こんな理不尽で悲しい呪いは、ここで断ち切らねばならないのだと。

 

「いいかよく聞け。確かにシャロの努力は実を結ばなかったかもしれない。その裏で抱いてた覚悟や決意の大きさを考えたら、優しいお前が自分を責めちまうのも無理はない。けど履き違えるな、全ての元凶はあのクソッタレだ! シャロがアーヴェントだったからじゃない! 努力が空回りしたせいでもない! 無力だからでもなんでもない! アイツが手前勝手な都合で、お前たち家族を利用したせいなんだよ! シャロは何も間違ってない!!」

「────」

 

 何も間違っていない。

 その言葉が、ただ一言が。

 ドクンと、痛いくらい胸に響いた。

 

「お前はなぁ、自分が思ってるより本当に凄い奴なんだぞ!? こんなに辛くて苦しい目に遭ったのに、優しさを決して忘れないで、常に気高くあろうとして! 亡くなった家族のために力いっぱい報いようとした、本当にスゲーやつなんだよ!」

 

 ヴィクターの目尻には、うっすらと浮かぶ光輝があった。 

 

「普通なら気が狂ってる! 理不尽を嘆いて、道を踏み外して、外道になったって何もおかしくない! でもシャロはそうならなかった! どんな時でも人を思いやれる心を忘れない、最高に素敵なヤツじゃねえか!! お前ほど凄い人間、ほかに誰もいやしねえよ! そんなシャロだからっ……俺は救われたんだぞ……!!」

 

 シャーロットから贄の宣告を受けた時も、決闘で数々の痛みに見舞われた時も、エマに死の淵まで追いやられた時も、決して見せなかった雫の篝火(かがりび)

 一筋の涙が、頬を伝って地を濡らす。

 

「泉で初めて目が覚めた時、心の底から怖かったんだ。自分が誰なのか分からなくて、中身が全部からっぽで。右も左も分からない真っ暗な場所にいきなり放り出されたみたいで、心細くて、泣き出しそうなくらい怖かった」

 

 全てを振り絞るように、ヴィクターは言った。

 

「それをシャロが救ってくれた。正体不明の怪しい男の命を助けてくれて、何も無かった俺に『ヴィクター』という形をくれたんだ。あの時シャロに出会わなかったら、俺はずっと透明人間のままだった。お前が色をくれたことがどんなに嬉しかったか。どれだけ心が安らいだか」

 

 

 それはまるで。

 少女を想う(こと)の花束を、胸いっぱいに敷き詰められるみたいで。

 

 

「頼むよ、これ以上自分を責めないでくれ。世界で一番かっこいい俺の恩人を、そんな風に言わないでくれ」

「っ……!!」

 

 瞳が震えるようだった。 

 かけられた言葉のひとつひとつが、とても眩しいものに感じられて、チカチカと眼が痛みだすよう。

 

 ──ずっと独りぼっちだった。

 

 妹のために。弔いのために。ずっと独りで足掻き続けてきた。

 強く在らなきゃダメだと律していた。アーヴェントの矜持に相応しくなければと、完璧であらねばと、己に言い聞かせ続けてきた。

 

 甘えたくても甘えられなかった。そんなことは許されなかった。

 だって『シャーロット』は『アーヴェント』だから。『妹たち』の『姉』だったから。

 生き残ってしまった者として、務めを果たすべき存在だったから。

 

 なのに強くなろうとしても無力なままで。どれだけ頑張っても無為に帰って。

 そんな愚図で駄目な『シャーロット』を叱ってくれる人なんていないから、自分で自分を罰するしかなかったのだ。

 

 罰して。罰して。罰して。罰し続けてきたのに。

 そんな風に赦されてしまったら、もう止められるわけないじゃないか。

 

「っ……! っ、ぅ……!!」

 

 嗚咽が喉を震わせる。

 鼻の奥がツンとした痛みを訴える。

 目頭が熱い。肩が震えて、自分の意思じゃどうしようもない。

 

「ずるい……! ずるいよぉっ……! こんなのっ……ひっ……無理に決まってるじゃん……! 許されたいって……思っちゃうじゃんかぁっ……!!」

 

 人肌の温かさを持つ雫が、幾重も頬を伝って流れ落ちた。

 両手で拭う。でも止まらない。どれだけ拭おうとも留まるところを知らない。

 煩わしい雨のように、ポロポロと流れ続けていく。

 

「それでいいんだよ、シャロ。もう自分を許していいんだ。お前は何も悪くないんだから」

 

 今にも崩れてしまいそうなシャーロットを、ヴィクターはそっと抱き寄せた。

 これ以上傷つかなくていいんだと、誰よりも強くて優しい少女を支えるために。

 

「…………ずっと苦しかった」

 

 ぎゅっと、少女は震える手のひらでヴィクターの服を握り締めた。

 

「甘えたかった。誰かに慰めて欲しかった」

「ああ」

「独りぼっちで寂しかった。わたっ、私が、強くなくちゃダメなんだって、甘えてちゃ誰も守れないからって、もう何も失いたくないから、それで……!!」

「ああ」

「頑張ったの……! 頑張ったんだよぉっ……!! ひっ、う、これでもっ、一生懸命頑張ったの……!! でも全然駄目でっ、どうしたらいいかわかんなくてっ……!」

 

強く、強く、少女の心を受け止めるように抱きしめる。

 優しく、優しく、安心してもらえるために体温を伝える。

 

「よく頑張ったな。もう大丈夫だ」

「う、ああっ、あ、うァあああああああああ…………!!」

 

 長い、長い、あまりにも苦しい道の果て。

 呪いは淡雪と潰え、シャーロットはようやく、一人の少女に戻ることが出来たのだった。

 

 

 

 

 

「落ち着いたか?」

「……うん」

「離れるぞ」

「まって。だめ」

 

 シャーロットから手を放そうとすると、服を掴まれて引き寄せられた。

 ガッチリ固定されている。まるでヴィクターというドームの中に埋まるかのように、シャーロットは縮こまっていた。

 

「顔、たぶん凄いことになってるから。見られたくない」

「ああわかった、上向いてるよ。ハンカチ使いたかったら左のポケット探りな」

「ん……ありがと」

 

 もぞもぞと動く。ハンカチを使って整えているのが分かる。

 その間、ヴィクターは星を数えながら時を過ごした。

 

 百を越えたあたりで、シャーロットが微動だにしていないことに気付く。

 

「そろそろいいか?」

「だめ」

 

 そうか、とヴィクターはもう一度百の星を数える。

 

「まだダメ?」

「だめ」

 

 仕方ない、と今度は二百を数える。

 数えすぎてワケが分からなくなってきた。

 

「おーい、もうそろそろ」

「やだ」

「ヤダってお前……」

「やだもん」

「つっても、こんな調子じゃウンと遅くなっちまうぞ? 暗いしよく見えないから大丈夫だって」

 

 不動である。ヴィクターのジャケットを両端から掴んで、完全に閉じこもってしまっている。

 どうしたもんかと頬を掻いていると、不意にガサガサと草むらが騒ぎ始めた。

 音の方角に視線をやれば、魔力灯の光が暗闇に慣れた網膜を突き刺して、

 

「おや? 奇遇だねお前さん」

「……爺さん!? と、師匠まで!」

「あらヴィクターちゃん。こんばんは」

 

 現れたのは、老人とその妻ビビアンだった。

 どうも偶然に立ち寄ったらしく、二人とも照らした先にヴィクターが居て驚きの表情を浮かべていた。

 

「おいシャロ、人が来たぞ」

「わわっ」

 

 残像が見えるようなスピードで離れ、シャーロットは下を向きながら髪や帽子を整えていく。

 そんな二人の様子を見て、ビビアンは「んまっ!」と口元に手を当てた。

 

「もしかしてお邪魔だったかしら?」

「あいや、すまないねお前さん。ここはワシらもお気に入りの場所でな、たまに散歩に来るんだ。わざとじゃないんだよ、許しておくれ」

「いえ、お気になさらず。大丈夫です」

 

 答えたのはシャーロットだ。にこ、と微笑んで夫婦を迎えている。

 

「シャロ、紹介するよ。こちらがダモラスさんで、ビビアンさん。最近世話になってた恩人だ」

「恩人はお前さんの方さ。ワシの命を助けてくれた」

「お互いさまッスよ」

 

 ははは、カカカと笑いあう男二人はさておいて、ビビアンはシャーロットを目にした途端、まるで獲物を見定めた肉食獣の如くずんずん近づいていった。

 

「まぁまぁまぁまぁ、アンタが話に聞いてたシャーロットちゃんかい!?」

「あ、はい。はじめまして、シャーロットと申します。……すみません、こんな顔で」

「何を言ってるんだい! アタシの若い頃と同じくらい可愛い顔してるじゃないのさ! でもお化粧が崩れちゃってるね、ツラ貸しな! すぐに直してあげるよ!」

「え? でも」

「動かないッ!!」

「はい!」

 

 有無を言わさず動きを止められ、なされるがままのシャーロット。

 しばらく目を瞑っていると、ビビアンから自由の許可が下りた。

 

「よし綺麗になった。うんうん、やっぱり別嬪さんだねえ! ヴィクターちゃんもスミに置けないじゃないのさ」

「あ、ありがとうございます」 

「いいのいいの。邪魔しちゃったお詫びにね」

 

 手鏡を渡される。涙で腫れているはずの目元も、流されたはずの化粧も元通りになっていた。

 むしろシャーロットが施すより上手だと、女としての年の功に尊敬の念を抱く。

 

「……ビビアンさんは、ヴィクターとどういったご関係で?」

「夫があの子に命を救われて大層気に入ってねぇ。その時ちょうどヴィクターちゃんが悩みを抱えてたもんだから、相談に乗ってやったんだよ」

「悩み?」

「アンタのことさ」

 

 ニヒルに微笑むビビアンに、シャーロットは瞳をパチパチと瞬かせた。

 

「あの子ったら、傷ついて落ち込んでるアンタを元気にしてやりたい一心でアタシに頭下げてきたのよ。女の子を勇気づける方法を教えてくれって」

「え? えっ??」

「アンタ、良い男を捕まえたねぇ。あんな甲斐甲斐しくて真っ直ぐな奴はなかなか居ないよ。ウチの旦那とそっくりさ! アッハッハッハ!!」

 

 バシバシと背中を叩かれる。けれど、痛みも衝撃も感じなかった。

 そんなことよりもっと凄いインパクトが、シャーロットを貫いていたから。

 

 師匠とたびたび口にしていたのはこの人のことだった。

 今日出かけた様々な場所を教えてもらったのも、服をチョイスしてもらったのも、きっとビビアンなのだろう。

 

 想像はしていた。なにやら最近忙しそうだったヴィクターが、急に遊びに誘って来たのだ。きっと下準備のための時間だったのだろうと思っていた。

 けれど不思議でもあったのだ。別に貶すつもりはないのだが、()()()()()と感じる節はあった。

 記憶の無い男にしては、えらくエスコートに慣れていたから。

 

 それが全部、少女を元気づけるための努力が与えた結晶だと知った。

 彼はシャーロットのために最高の時間を作ろうと、必死になって頑張ってくれていたのだと知ってしまった。

 

(あ、れ?)

 

 きゅうっ、と胸が締め付けられるような感覚。

 急に心臓が暴れ始めた。血潮が勢いよく巡って、体が熱を帯び始めているのが分かる。

 特に顔だ。顔が熱い。なんだか火を吹きそうな勢いだ。

 

(なに。この感じ)

 

 心臓が痛い。早鐘のように鳴って止まない。

 けれど決して不快ではなく、むしろ心地良いとすら思えてくる。

 

 そんな気持ちの正体を、少女はまだ知る由も無い。

 

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