銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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21.「黄昏の森のコロポックル」

 男は変化が好きだった。

 

 消息盈虚(しょうそくえいきょ)。万物万象とは、時と共に移ろう定めの元に存在する。 

 命、物体、何であれ、万民へ平等に訪れる潮流こそが変化であり、慰めであり、痛みでもある。

 

 男は変化が好きだった。

 変わりゆく様々な姿形を眺めることが。変わる前の姿形を留めることが。

 

 画家だった男は、瞳が映す煌びやかな光景の時間をカンバスへ切り取るように絵を描いた。

 例えば春の山。新緑に茂る命の輝きを油絵具で白紙に綴じ、季節が過ぎ去り冬になれば、また同じ場所で静まり返った命眠る銀山を筆で留めた。

 

 男は変化が好きだった。特に、溢れる躍動が退廃しゆく栄枯盛衰に美を見出した。

 春に対する冬。新に対する古。喜に対する苦。

 そして、生に対する死を。

 

 移ろう前の過去を描き、移ろった後の未来を描く。

 そうして出来上がった二つを眺めて、流れた変化を観察する。

 

 頽廃(たいはい)を対比する無二の時間こそが、男にとって何物にも代えがたい美の極点であり、どんな蜜よりも甘い至福であった。

 

 

 

 

「……」

「? どうしたのヴィック。何か見つけた?」

「いや……誰かにずっと見られてるような気がしてな」

「きっと鳥か獣よ。森にとって私たちは異物だもの。注目の的にもなるわ」

「そんなもんか」

 

 

 黄昏の森に足を踏み入れてから早くも四日目。

 星屑ヶ原を目指し、快調に進んではいるものの、どうにも辰星火山の麓が見えてこない。

 

 樹海とは想像以上に距離を稼ぎ辛いものだ。悪路や道を阻む藪、障害物などなど、たった数km程度の移動でも丸々一日費やしてしまうこともある。

 

 しかしそんな事情を差し引いたとしても、四日歩き続けてゴールの兆しすら見えてこないと言うのは何とも奇妙な話だった。

 目指すべき場所には世界樹がある。天を衝き雲を越えるほどの巨大な樹だ。

 その一端すらまるで目に映らないのはどうにもおかしい。

 かといって迷っているわけでもなく、方位は逐次確認しながら進んでいる。なのに辿り着けない。

 

 そうこうしている内に、またしても地獄の蒸気シーズンがやってくる始末。

 

「どうする? また穴掘るか?」

「うーん……情報通りなら、もうそろそろコロポックルのお家が見えてくるはずなのよね。見つけたら匿って貰えると思うんだけど」

「じゃあもう少し粘って、無理そうだったらまた掘るか」

 

 小人(コロポックル)。黄昏の森のような、魔力の濃い特殊な環境に住まう『禁足地』先住の亜人である。

 鉱人(ドワーフ)と並び手先が器用なことで有名で、子供程度の小柄な体躯を活かしながら、土中や樹上、果ては雪の中など、様々な場所に住処を作って暮らしている逞しい人々だ。

 

 この森には外部と友好的な小人(コロポックル)が住んでいるという情報は掴んでいた。金貨や食料を渡せば、喜んで宿を提供してくれるに違いない。

 

 都心部にはリルという通貨が存在しながらも、金貨や銀貨、緋金貨といった旧時代の硬貨が未だ現存しているのも、こうした『禁足地』に住まう亜人との交渉材料として機能する、全種族共通貨幣だからなのである。

 

「……しかし、気味が悪いわね」

「? 何がだ?」

「思わない? この森、()()()()()()()()()()()()

 

 言われてみれば、なるほど確かに。黄昏の森に立ち入ってからというもの、妙な視線こそ感じれど生物や精霊をまるで見かけないのだ。

 

 蒸気地獄という過酷な環境を生み出す森だが、そんな土地であっても、生き物たちは逞しく生態系を築き上げている。

 例えばサラマンダー。常に燃え盛る火の幻獣は一見この森と適さないように思えるものの、むしろ高温のスチームで水分補給を行ったり、ボイラーツリーの実や火鼠を捕食すべく活発に行動している。

 ヒグルマバッタは森で最も見られる昆虫であり、雨が降った翌日には地中から無尽蔵に現れて下草を貪るのだという。

 

 他にも様々な動物が存在するはずなのに、姿どころか痕跡すら見当たらない。

 蒸気の脅威から生き抜くことに精いっぱいで気にも留めていなかったが、考えれば考えるほど異常に思える静寂ぶりだ。

 

「四日間も精霊一匹すら見つからないなんて普通じゃない。流石に変よ」

「……そういえばザルバさん言ってたな、森の先住民と連絡が取れなくなってるとかなんとか。関係あるんだろうか?」

「分からないけど、違うことを願うわ」

 

 ひとまず懸念は脇に置き、旅を進める。何はともあれ歩き続けなくては先に進めない。

 そろそろ辰星火山の麓が見えてくるはずだと、長い旅路で棒のようになりつつある足に檄を飛ばした。

 

 昼を過ぎ去り、あと数時間ほどで日没を控えた午後の刻。

 再び猛烈な熱気に襲われ始め、そろそろ穴を掘るかと目配せをしたその時だった。

 

「待って。あれ見える?」

 

 シャーロットが指差す方角の果て。森の奥に、明らかに自然のモノではない異物がぽつんと存在していた。

 恐らくボイラーツリー製だろう、白い木の板が崖にくっついている。雰囲気で言えば地中へ続く玄関のようだ。

 樹皮や落ち葉で風景に溶け込むよう迷彩を施されているが、人の眼から見ると明らかな人工物として映えていた。

 

「もしかして、コロポックルの家か?」

「きっとそうだわ。よかった、泊めてもらえるか交渉しましょ」

 

 急ぎ足で戸に近づく。

 簡素な作りに見えるが、よく見ると壁面に埋め込まれ、しっかりと固定されていた。

 何本か木で出来たパイプのようなものまで飛び出している。危険な蒸気の侵入を防ぎつつ、空気の出入り口を確保するための工夫だろうか。

 

「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」

 

 呼び鈴もノッカーも存在しないドアを叩く。

 沈黙を挟み、返って来たのは無音だった。

 

 もう一度叩く。今度は少し強めに、住人の耳が聞き逃さないように。

 しかしそれでも、返答は不気味なほどの静けさで。

 

「不在か。参ったな」

「……かもしれないけど、奇妙ね」

「奇妙?」

「ええ。コロポックルは魔獣なんかに住処がバレないよう、隠匿の魔法で入り口を隠しておくらしいの。でもここは剥き出しのまま」

 

 戸を撫でながらシャーロットは言う。その瞳は、眼前の不明瞭に対する怪訝の色を帯びていた。

 

「それにこのカムフラージュやドアの通気口……手先が器用な種族にしては相当雑に作られてる。大急ぎで最低限だけこしらえたって感じ」

「突貫工事ってやつか。だとしてもどんな理由が?」

「……もしかしたら、交信が途絶えた理由と関係があるのかも」

 

 薄気味悪い状況に、不気味な冷ややかさが背を走った。

 立っているだけで汗が流れる高温多湿を一時ばかり忘れるような悪寒。この腰丈ほどの小さな戸が、途端に重苦しい空気を吐いたかのようにすら感じられた。

 

「……考えすぎか。ただ不在なだけかもしれないし、捨てられた古家かもしれないものね」

「それで、どうする? 穴掘るなら早いとこ始めないとマズいぞ」

「いえ、無礼を承知でこのお家に避難させてもらいましょう。もし住民が戻ってきたら、星屑ヶ原についての情報を貰えるか交渉できるし」

 

 しかしながら、住民が戻ってくる可能性は低いと踏んでいた。

 基本的に『禁足地』の亜人たちは、危険と隣り合わせな環境に住まうがゆえに、家を完全に空けるような真似などしない。必ず一人は留守番がいるはずなのだ。

 

 人気が無い以上、恐らくここは空き家で違いない。前の住民は引っ越したか、あるいは広大な森に点々と構えている別荘のひとつという線が濃厚だ。

 一晩使ったとしても問題は無いだろう。シャーロットは小さなドアの取っかかりを引っ張った。

 

 土埃を落としながら、入り口が重々しく開かれていく。

 ひやりとした空気。暗澹へ続く地下道が二人を出迎えた。

 

 玄関は屈まなければ入れないほど低かったが、中は存外広いらしい。ヴィクターが少し頭を下げる程度で済む天井のおかげで腰を痛めずに済みそうだ。

 暗い通路を進んでいく。外とは打って変わった涼しさに安堵を抱く。

 

 ──次の瞬間。安らぎは刹那の狭間に雲散霧消した。

 

 何の前触れもなく魔法発動時特有の磁励音に酷似したノイズが反響したかと思えば、一瞬にして全方位に夥しい数の魔方陣が姿を現したのだ。

 

「ッ!!」

 

 反射的に二人が動く。シャーロットは己が黒魔力をドーム状に凝固させた防護壁を展開し、ヴィクターは万物干渉の黒腕を振り抜いて床の魔方陣を殴り壊した。

 

 シャーロットの黒壁に全方位から突き刺さる、土で出来た無数の槍状物体。

 洞窟の壁を触媒に仕掛けられた罠魔法だ。侵入者を迎撃──いや、()()するためのものか。

 

「あっぶねえ! 一歩間違えれば串刺しかよ! おっかねえな!」

「トラップ……? やっぱりおかしい。普通じゃない」

「あ? 何でだ? ただの防衛用の罠じゃないのか」

「だからこそよ。この手の罠って普通、自分が引っ掛かっちゃわないよう目印があるはずなの。少しだけ土の色が違うとか」

 

 シャーロットは壁や床に手を触れて、魔力の波濤のようなものを伝播させた。ソナーのようなものだろうか。

 何かを探知したらしく、シャーロットは徐に壁面を掘り返すと、小さな紙きれ状の物体を手に取った。

 途端、少女の眉が猜疑に曲がる。

 

「でもこの罠には何も無かった。むしろ見抜かせないために、術符をとても細かく分散させて徹底的に痕跡を薄めてるわ。侵入者を絶対に仕留めようとする意志すら感じるくらい」

 

 小人(コロポックル)が警戒するとすれば、それは森の魔獣だ。

 都市のような開拓地に住まう種族と違い、原始的な環境に身を置く彼らは人間より獣への対策を入念に行う。

 

 しかしこの家は、そもそも魔獣の眼から逃れるためのカムフラージュが最低限のみに仕立てられ、内部にのみ凝った罠が施されていた。

 それも撃退用ではなく、明らかな殺意を伴った凶悪な仕掛けが。

 

「この家そのものが罠ってことかよ。わざと家の存在をバレやすくして、誘い込んで仕留めるって寸法の狩り方か?」

「……()()()()()()()()()。あまりにも敵意で満ち過ぎてる。わざわざ住処に誘い込んで拠点を危険に晒す必要もない。一体何を想定して作ったのかしら……?」

 

 考えられるとすれば、黄昏の森に迷い込んだ旅人を殺めるためか。

 だが小人(コロポックル)とは温厚かつ友好的で有名な種族だ。そうでなければ、そもそも外界と接触や交易を行うような真似などしない。

 友好的であるからこそ、シャーロットは頼ろうと考えたのだ。人を襲う理由も無い以上、対人を想定した物とは思い難い。

 

「とにかく、注意して進みましょう。同じような罠が無いとも限らない」

「ああ」

 

 シャーロットが先導する。魔法の対策は彼女こそが適任だ。

 しかし拍子抜けなことに、奥へ奥へと続く一本道には何も仕掛けられていなかった。

 

 そう、一本道。一本道だ。

 蟻の巣のように複雑な迷路を構築する小人(コロポックル)の家に、何故ただひとつの通り道しか用意されていない?

 

「……行き止まりか」

 

 暗い地下道の終点。突き当りの壁には、あまりにも粗末なドアがあった。

 ドアというより、壁に板を埋め込んだだけのような風体だ。

 それも板に針山の如く木の矛をくっつけて、外部からの侵入を完全に拒んでいる。

 

「待って、中に居る。きっとコロポックルだわ」

 

 密閉された静寂の地下という環境ゆえか。耳を澄ませると、必死に押し殺しているかのような息遣いの振動が板越しに伝わってきた。

 だが心なしか、何かに怯えているような気色を孕んでいて。

 

「何で立てこもってるんだ? この針の板、中からしか開けられないようになってるぞ」

「……これ以上刺激しない方が良さそうね。理由は分からないけど、凄く怖がってる」

 

 シャーロットは近づくのを止めて、一度地面に座り込むと、戸の奥へ優しく語り掛けるように言葉を紡いだ。

 

「貴き森の民よ、住まいへ勝手に足を踏み入れた無礼をお詫びします。そして、怖がらせてしまってごめんなさい。私はシャーロット、星屑ヶ原で資源を調達するためにギルドから来た旅人です。あなたたちへ害を成すものではありません」

 

 返答、無音。

 か細い吐息の音だけが、地の底で反響する。

 

「どうか外の蒸気が収まるまで、一晩だけ泊めて頂けませんでしょうか。お礼と言っては何ですが、金貨と食料をお譲りします。お納めください」

『…………食べ物?』

『食べ物。食べ物』

『欲しい。食べ物』

 

 食料という言葉に反応してか、舌足らずな幼い声が木霊した。

 

『お腹空いた』

『待って。開けちゃだめ。危険』

『そうだそうだ。旅人に化けてるかも。嘘かも』

『でもこのままじゃ死んじゃう』

『考えよう。考えよう』

 

 中に数人いるらしい。薄暗い地下へ閉じこもっている理由があるのか、唯一無二の出入り口を開けるべきかそうでないか議論を交わしている。

 

「食べ物は戸の前に置いておきます。ご自由にお召し上がりくださいな」

 

 シャーロットはポーチから保存食を数人分取り出し戸の前に安置すると、ヴィクターに合図を投げながら静かに後ずさっていく。

 二人の気配が遠退いたことを察したのか、ほんの少しだけ戸が開いた。

 子供のようにぷにぷにとした小さな手が顔を覗かせ、大層な慌てぶりで食料を攫うと、再び閉じこもってしまう。

 

()()()()()?』

『無い。無い。大丈夫』

『オールクリーン。オールクリーン』

『食べていい? 食べる』

『……おいしい!』

『おいしいおいしい』

 

 よほど空腹だったのだろうか。本場と比べれば多少味の劣る携帯食料ではあるが、堪能してくれているらしいことが声色で伺い知れた。

 二人もならって、ポーチから食料を取り出していく。

 

 密閉された真空パックのような入れ物に圧縮された食料が入った保存食だ。付属の魔石を指で握り砕くと、パックが一気に膨らんで加熱される仕組みになっている。

 温まったところで袋を破れば、アツアツの料理が出てくるという優れモノだ。

 

「余分に食べ物持ってきててよかったわ。何事も備えが大切ね」

「確かにな。でもあんな譲って大丈夫だったのか? 腹減ってコロポックル襲ったりとか勘弁だぞ」

「何か言った?」

「はひ……すみません……」

 

 シャーロットの超怖い笑顔。ヴィクターは目の前がまっくらになった。

 このまま舐めた口を叩き続けると本当に頭から食われそうだったので、ヴィクターはブルブル縮こまりながら卵とクルミ入りのパンを齧る。

 

 ふと、不意に木材が軋む音。

 音源に目を遣る。難攻不落の戸が開かれており、中から幼い子供と見まがうほど小さな住民が3人、段々重ねになって半身を覗かせていた。

 

「にんげん」

「にんげんだ」

「穢れじゃない? 穢れじゃない」

「黒い魔力。夜の魔力」

「王の血?」

「王の血。王の血」

「王の腕。黒い腕。腕だけ王様? ふしぎ」

「ふしぎ」

 

 どうやら無事に警戒を解かれたらしい。剣山のドアが脇に退けられ、住人たちの姿が露わとなった。

 

 くりくりと大きな紅玉の(まなこ)。金糸の髪。ふっくらとした顔立ち。

 とんがった小さな耳に、小人の異名に違わない膝程の背丈。

 動物の毛皮や樹皮、草で編んだものだろうモコモコとしたおくるみのような蓑に、円柱状の頭巾を身に着けている。

 

 なんとも愛らしい、小さな子供のような風貌だ。可愛いもの好きのシャーロットは、心の中で思わず身悶えてしまう。

 しかし、そんな庇護欲は直ぐに煙と消えた。

 皆一様に瞳が曇っていて、どこかやつれているようにすら思えたからだ。

 

「王の血。黒い腕。ごはんありがとう」

「助かった。死んじゃうところだった」

「入って入って」

「はやくはやく」

 

 わらわらとやってきた十人ほどの小人(コロポックル)たちに裾を引かれ、奥の部屋へと案内される。

 中はかなり大きな空洞になっていた。彼ら全員どころか、その倍近い人数が居たとしても問題無さそうな空間だ。

 

 だがそんなことより、小人(コロポックル)たちの言葉が耳に引っ掛かった。

 

「王の血……もしかして、私がアーヴェントだって分かるの?」

「わかる」

「コロポックル、魔眼の民」

「魔力見分けるのとくい」

 

 通常、第三者が魔力の属性を五感で感じ取ることはできない。

 せいぜい魔力の有無が分かる程度で、属性の判別は専用の機器が必要だ。

 

 しかし、小人(コロポックル)は魔力の濃い環境を好む種族ゆえか、どうやら例外的に属性を見分ける特殊な目を持っているらしい。

 アーヴェントと知っても特に敵対的でないことから、千年前の確執にも無関心なようだ。

 どころか、シャーロットの足にしがみ付くように群がり始めて、

 

「王の血。助けて」

「助けて。助けて」

「お願い。王の血。お願い」

「ちょちょちょ、待ってちょうだい。落ち着いて話して、ね?」

 

 足元に縋りつかれ転びそうになったシャーロットは、大きな目に涙を貯めながら必死に懇願を繰り返す小人(コロポックル)たちを宥めつつ、膝をついて目線を合わせた。

 何があったの? ──静々問う。

 

「みんな襲われた」

「化け物。穢れたもの」

「人でも獣でもないモノ」

「突然現れて仲間を食べた」

「逃げてここに隠れてた」

 

 舌足らずな声と身振り手振りで、小さな森の住人たちは精いっぱい伝えようと奮闘する。

 人でも獣でもない穢れたもの──言葉から頭蓋を射貫かれたような錯覚に、シャーロットは思わず背後のヴィクターと目を合わせた。

 驚天動地に揺れる深海色の瞳は、最悪の事態に直面したことを如実に物語っていた。

 

 小人(コロポックル)たちの言葉が本当ならば、それは十中八九魔物の存在証明に他ならない。

 次元侵襲体(ディメンダー)。命ある者の天敵。魔王の忌まわしき堕とし子たち。

 世にあってはならない災厄が今、この森に巣食っているのだと彼らは言うのだ。

 

「魔物だなんてそんな……こんな深い森の中で、有り得ない」

 

 耳を疑った。疑わざるを得なかった。 

 けれど、小人(コロポックル)たちの顔は嘘を吐いているように見えない。嘘をつく必要も無い。

 なにより黄昏の森へ訪れる前に耳にしていた『先住民との交信が途絶えた』という情報が、信憑性を格段に加速させた。

 

 合点もいくのだ。あの罠は追って来た魔物を確実に仕留めるために施されたものであり、不出来なカムフラージュの入り口も、一本道の通路も、命からがら逃げのびたせいでまともに手を掛けられなかったからなのだろうと。

 

「だがよ、確か魔物ってのは、魔力の濃い環境じゃ出てこれないはずだよな?」

「ええ。魔物は命とは真逆の存在、生命溢れる場所じゃ発生することは無いはず。……それこそ、人為的に発生させる以外は」

 

 世とは一枚岩ではない。人の中にも邪な考えを抱く者や、欲に溺れ道を外れた畜生も存在する。

 そのひとつが魔王信仰者。魔王(マグニディ)の力に心酔し、魔を崇め、死を拝する邪教の(ともがら)である。

 魔王の手によって星を人類という病毒から救済し、世界を人が生まれる前の浄化された原始に回帰させんとする過激派集団だ。

 

 過去にも様々な凶悪事件の発端となった経緯があり、その悪道極まる性質から、天蓋領率いる騎士団によって掃討されたという。

 

「でもおかしい。仮に魔物を発生させるとしても理由が無い。あんなの百害あって一利どころか、自分の命も落としかねない禁術なのよ。それに魔王信仰者の残党がわざわざ狙うとすれば、辺境よりも人口集中地帯のはず。辻褄が合わなさ過ぎる」

 

 自然発生にしろ、人間の手にしろ、どちらをとっても納得のいかない不可解さが壁となって結論を隠す。

 だが不合理としか言えない状況に反し、シャーロットは暗躍の息差しを完全に否定することが出来なかった。

 

 もし魔物が自然発生していたのだとしたら、『禁足地』周辺に配備されたゴーレムが感知しないわけがないからだ。

 アレは監視の役割も担っている。万が一魔物が出現した場合、すぐに対処できるようギルドへ通達が届くのだ。

 

 魔物はひとたび発生すれば、本能のまま周囲を侵食、破壊の限りを尽くす災いの化身である。転じて、出現の兆候やその存在も容易に観測することが可能だ。 

 にも関わらず一切の情報が無かったということは、魔物を本能のまま手当たり次第に暴れさせず制御下に置く、飼い主の存在がどうしても脳裏を過ってしまう

 

 だとしたら、何のために?

 

 気持ちの悪い謎が、粘着く痰のように思考へ絡む。

 魔物は何故発生したのか。仮に人の手で持ち込まれたとしても狙いは何なのか。何故ゴーレムに観測されず小人(コロポックル)たちを襲うことが出来たのか。

 

 謎。謎。謎だ。

 どうにも引っ掛かる事項が多すぎる。そもそも魔物単体に限った話だけではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()だって、何か関連性さえ疑えるような。

 

 

 

 ぶじゅる、と。

 壺いっぱいの痰を啜るような、耳にするのも悍ましい異音。

 

 

 

「ん?」

 

 それは果たして、誰が発した声だったのか。

 不意にその場の全員が、何も無い洞穴の中をキョロキョロと見渡し始めていた。

 

「気のせいじゃないよな。今何か気持ち悪い音が……」

「うん。それに何だろう、変な臭いがする」

 

 うっすらとだが、確かに鼻を突いてくる刺激臭の存在を感じた。

 傷んで間もない肉を嗅いだような饐えた匂いだ。それも秒単位で強くなっている。

 段々と強烈かつ濃厚な、鼻腔を刃物で刺されたかと錯覚するほどの異臭へと────

 

「うっ……!?」

 

 急転直下。異臭の怒張が深刻なレベルまで爆発し、狂瀾怒濤と洞窟内を占拠した。

 鼻で空気を吸うだけでえづきそうになる。眼の表面にピリピリとした痛みが走り抜け、視界が霞みがかったようにボヤけ始めた。

 口をへの字に曲げずにはいられず、思わず鼻と口元を抑え込んでしまう。

 

「げえええ、くっせえ!! 何だこの匂い!? うぉっぷ、マジで吐きそうだ」

「ちょっと絶対やめてよ!! 吐かれたら私まで貰っちゃう!」

 

 肥溜めの中にでも放り込まれたかのような凄まじい悪臭。

 いや、それよりも酷い。蛆の住宅地と化した腐乱死体に覆いかぶされたとすら錯覚するほどの、最低最悪の臭いが充満している。

 

「見つかった。見つかった」

「人でも獣でもないもの」

「災いが来た。穢れが来た」

「あぅぅ、こわい。こわい」

「食べられたくない」

「こわいよぉ」

 

 途端に怯えだす小人(コロポックル)たち。皆一様に鼻を蓑で隠し、目尻に涙を浮かべて震えながら穴の奥へと縮こまってしまう。

 嵐の如く惨状と一変した現実を前に、二人の神経は火に焼べられた油の如く発火し張り詰めた。

 

 振り返る。

 射貫く視線は、ドアの先。

 

「──いるぞ」

 

 唯一無二の出入り口。壁に埋め込まれた戸の隙間から、ごぼりと悪辣でどす黒い液体が溢れ出す。

 腐肉を絞ったかのような、生理的嫌悪を催す粘質な膿状のナニカ。

 それはドアを起点に、音も立てずカーペット状へ広がっていく。

 

「最悪っ……! よりによって外も蒸気に囲まれてる袋小路で……!」

 

 次の瞬間。出入り口ごと土壁を粉砕するように、大蛇の如く躍動する巨悪が姿を現した。

 

 捩じれた人間の指が巨大なミミズになったかのような怪物だ。

 腐敗した水死体のように生気を失った白濁の躰。粘着いた黄土色の体液を絶えず染み出す皮膚の下には、蒼褪めた血管がどくどくと這いずり回っている。

 

 悪臭の度合いが加速度的に跳ね上がった。

 その源泉だろう、先端からボタボタと滴り落ちる糞尿と汚泥を溶いたような膿汁が地面に触れると、途端に黄ばんだ水蒸気を発生させて、洞窟内を汚染した。

 喉が焼ける。たまらず布で口元を覆う。

 

「このままじゃやられる! 押し返すしかない!」

「おおおおおああああッッ!! 先手必勝だコラァ──ッ!!」

 

 転瞬。純黒が鳴動を張り上げた。

 アーヴェントの黒魔力を弓と編み、シャーロットは豪速の矢を一挙に三度と解き放つ。

 ヴィクターは拳を全力で振り抜き、大気の砲弾を縦横無尽に叩き込んだ。

 それらは流星の如く怪物の皮膚を突き破り、骨肉を痛絶に抉り壊していく。

 

「■■■■■■────―!!」

 

 赤子と老婆の悲鳴をぐちゃぐちゃに混ぜたような悍ましい絶叫が轟き奔った。

 ぐねぐねと暴れ狂う怪物。しかしその雄叫びは苦痛の色より、憤怒と殺意に塗れていた。

 

 捻子くれたドリル状の先端が花のようにぐばっと開く。

 鉤爪状の牙が無数に並ぶ大口が露わとなり、次の瞬間、目の前の餌を呑み込まんと凄まじい速度で解き放たれた。

 

「『剣よ、彼の嘆きを救いたまえ』ッ!!」

「だァァらッッしゃああああああ────ッッッ!!」

 

 魔剣ダランディーバを招来。少女の一閃が怪物の首を真っ二つに両断すると、間髪入れず飛んだ『火炎魔法(フランマ)』が傷の断面を焼き焦がした。

 龍颯爆裂拳が舞い散る火球を巻き込みながら爆発する。猛り狂う焔と共に張りさけた(くう)の砲弾は、怪物の体をあっという間に劫火の紅蓮に包み込んでもてなした。

 

 凄まじい逆襲を受け、怪物は声の無い悲鳴と共にのたうち回る。

 激しく痙攣を繰り返し、力尽きたように倒れ込んだ。

 だが怪物は勢いよく巻き戻るコードのように、一瞬にして洞窟外へ姿を消してしまう。

 

「……退いたか?」

「みたいね。気は抜けないけど」

 

 あれだけ立ち込めていた悪臭が嘘のように引いていき、魔物は退散したのだと知る。

 

「助かった? 助かった!」

「王の血、黒い腕、穢れを退けた」

「感謝。感謝」

 

 小人(コロポックル)たちはぴょんぴょん飛び跳ねて、生き残った喜びを力いっぱい表現していた。

 

「散った体液には触れないでね。魔物の血は猛毒よ、触れただけで体が腐り落ちる」

 

 幸いなことに、どうやら援護してくれていたらしい小人(コロポックル)の魔法障壁が、飛散した粘着く血潮から身を守っていたようだ。

 洞窟中に残された血肉を念入りに焼灼していく。肉片はそれ単体が生きているかのように蠢いており、業火を賜すと耳を劈くほどの金切り声を炸裂させた。

 

「燃やせ。燃やせ」

「えっほ。えっほ」

 

 消毒が終わり、壊れた戸を小人(コロポックル)たちがせっせと修復して一息。

 緊張が解れたのだろうか。小さな森の住人たちは、二人に礼を告げると部屋の隅に固まってすやすやと寝息を立ててしまった。

 

 きっとあの魔物が現れてから、ロクに眠れていなかったに違いない。怪物がいつ襲ってくるか分からない状況が続いて、心身ともに擦り減っていたのだろう。

 お団子状に寄り添ってあどけなく眠るその姿は、まるで無邪気な子供のようだ。

 

「あのミミズ野郎、首を刎ねてもくたばらなかったぞ。不死身か?」

「魔物は核を壊さないと永遠に再生し続けてしまうの。あれは体の一部を壊しただけ。完全には仕留めきれてない」

「クソ厄介極まりねえな、魔物ってのは。……これからどうする?」

「奴は傷を負ってるからすぐには攻撃してこないと思う。丁度外は蒸気のせいで出られないし、今夜は休戦ね」

「休戦ってことは、蒸気が明けたら戦うんだな?」

「もちろん。無視なんて出来っこない」

 

 魔物は存在するだけで世界に害を与える化け物だ。放置しておけば、この森どころか周辺一帯にどんな厄をもたらすか想像もつかない。

 本来なら救援を要請するのがベストだろう。しかし騎士団が到着するには時間がかかり過ぎる。 

 悠長に到着を待っていれば、先ほど与えたダメージも修復されてしまう。仕留めるなら今が好機という他ない。

 

「千年果花を手に入れるのは魔物を倒した後でも十分よ。コロポックルたちを放ってはおけない」

 

 何よりシャーロットに流れるアーヴェントの血が、魔物の脅威に怯える民草を護れと駆り立てる。

 かつて世界を魔王の手より守護した星の守り人。その末裔が本懐を果たすべき時が、今この瞬間なのだ。

 

 覚悟を瞳に宿したシャーロットを見て、ヴィクターは豪快に歯を剥いた。

 救いを求める者に仁愛の手を。ああ、それでこそシャーロットだ。これこそが、ヴィクターが焦がれた少女の美しき輝きなのだ。

 

「同感だな。コロポックルたちを見捨てて薬を手に入れたって、そんなの全然正しくない」

 

 ならばこそ、ヴィクターもこの純黒の(かいな)を振るうことに一片の躊躇は無い。

 右手のひらに拳を打ち、正しいと信じるもののために戦うのだと、決意の焔を義に灯す。

 

「魔物を倒して、コロポックルを助けて、薬も手に入れて、妹ちゃんも治す。燃えてきたぜ、全部成し遂げてやろうじゃあねーの!」

「ええ。何が何でも勝ち取るわよ!」

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