銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

22 / 55
22.「波旬毀つ純黒が星」

「ちゃんと隠れてるんだぞ。俺たちが呼びに戻るまで出ちゃ駄目だからな」

「うん、わかった」

「気をつけて。王の血、クロウデ」

「大丈夫大丈夫。ここは私たちに任せて、安心して待ってなさいな」

 

 こくこくと頷きながらも、心配そうな面持ちのまま戸を閉める小人(コロポックル)

 シャーロットは閉ざされた地下への入り口に隠匿の魔法を施し、魔物に存在を悟られぬよう念入りに術式を重ねていく。

 これでシャーロットたちが留守の間でも、小人(コロポックル)たちが怪物に食べられるような事態は免れるはずだ。

 

 

 夜が覆り、明けの日差しが樹海に降り注ぐ。

 小人(コロポックル)の隠れ家から地上に戻った二人は、ぐっしょりと雨に濡れた森を一望した。

 

「居ないな。気配が無い」

「ええ。でもきっと近くにいる。痛手を負わされたことを恨んで、私たちに復讐する機会をうかがってるはずよ」

 

 だがしかし、体液や肉片と言った痕跡は昨晩の大雨に流されてしまっていた。

 あの怪物は常に粘ついた膿や強烈な悪臭を振りまきながら移動している。にもかかわらず存在すら悟れなかったのは、皮肉なことに黄昏の森の特性のせいだったのだろう。

 

 手掛かりが無い以上、広大な森の中で探し出すのは至難の業。

 おそらくそこまで離れてはいないだろうが、無作為に歩けば悪戯に体力を摩耗するのみである。

 

 魔物とは狡猾で悪辣な捕食者だ。知性の欠片も無いような容貌に油断していると、思わぬしっぺ返しを食わされかねない。

 闇雲な捜索で疲労に満たされれば最後、怪物はほくそ笑みながら、弱った二人の喉笛を喜々と食い千切りに来るだろう。

 

 であれば、無駄に体力を消費せず効率的に化け物を見つけ出す手段はひとつ。囮である。

 

「二手に分かれましょう。単独にバラけてアレを誘き寄せるの。アレは魔物の天敵である(アーヴェント)を真っ先に狙うはず。一人になれば、きっとすぐ出てくるわ」

 

 しかしヴィクターはそんな作戦など露も頭になかったようで、人智を越えた化け物がどこに潜むともわからない森の中を、たった一人で行動するという命知らずな提案に目を剥いた。

 

「正気か? 相手は何体いるかも分かってないんだぞ? もし群れで襲われでもしたらひとたまりもない。絶対ダメだ」

「いえ、アレは一体だけよ。もし群れてるなら、昨日私たちを数に物言わせて殺せたはず。魔物は獲物を仕留めるチャンスを絶対に逃したりしない。袋小路に追い込まれてた私たちを前に退散したのは、分が悪いと判断したから。単体なら私ひとりだって大丈夫」

「だとしても危険すぎる! 昨日は狭い空間だったから逆に迎撃しやすかったが、だだっ広い森の中じゃ同じようにはいかねえ。それに……なんかこう……上手く言い表せないんだが、()()()()()()()()()()()()()()()って俺の直感が騒いでる。二人で挟み撃つように遠距離から倒した方が安全だ」

「そうしたいのは私も同じよ。でも、あなたには別件で頼みたいことがあるの」

 

 言って、シャーロットはヴィクターを一瞥。

 別行動を選択する理由は、単に囮作戦のためだけではないらしい。

 

「ずっと考えてたんだけど、アレはやっぱり自然発生した魔物だとは考えられない。裏で手を引いてる黒幕がいるのは間違いないと思う。もしそうだとしたら、きっと近くで魔物を監視してるはずなのよ」

 

 魔物は元来、制御を可能とする存在ではない。

 主従契約を結んだ幻獣や家畜などとはワケが違う。存在意義そのものが、ただひたすら命を貪り奪うことを魔王によって宿命づけられた化生なのだ。

 

 人間との相互理解など根本的に不可能である。ましてや従僕として扱うなど正気の沙汰ではない。

 魔物使いとは破滅的に矛盾した禁忌を土足で冒し、強制的にふんじばって手綱を握っているのみに過ぎないのだ。

 

 故にこそ、魔物を制御する条件は非常に限られている。術者本人もまた、恐ろしく危険な魔物から距離を置くことが許されない。

 離れれば離れるほど拘束術式の効果は弱まり、ひとたび振り切られたならば、魔物は真っ先に主だったものを憎悪のまま世界の果てまで追い詰めるからだ。

 

 ならば必然。かの怪物の主もまた、この森に潜んでいるという道理に他ならず。

 

「ヴィックはそいつを探して欲しい。自分で直接手を汚さず、魔物なんて最悪中の最悪を野に放った卑劣な奴だもの、アレが倒されたら一目散に逃げるに決まってるわ。捕まえるなら今しかチャンスが無い」

「……なるほどな、納得は出来た。だが本当に大丈夫なのか?」

「私を誰だと思ってるの? アーヴェントは魔物から民を守るために生まれた騎士の血族よ。するなら自分の心配をしなさいな」

 

 フフンと気丈夫にえくぼを作るシャーロットに、不安や恐怖の陰りは無い。

 心配するのは野暮だと感じた。むしろ信じるべきだとヴィクターも笑った。

 

 考えてみれば、ヴィクターはそもそも魔物と戦う知恵も術も持たない。

 せいぜい空気弾でお茶を濁すだけで、魔剣や魔法を自在に操るシャーロットとは対魔物戦において雲泥の戦力差である。

 足手まといになりかねない以上、人間を相手にする方が得策なのは間違いないか。

 

「ヴィック」

 

 言いながら、シャーロットが何かを投げ渡した。

 小さな巾着袋だ。中には術式らしき紋様が描かれた札が数枚入っている。

 簡単な魔法を封入した、いわばお守りだ。破けば綴じられていた術が発動し、前方に向けて射出される仕組みである。

 

「ピンチの時はそれを使って。中身の魔法はペガサス便で教えた通りだから」

「助かる」

 

 懐に仕舞い、ヴィクターは踵を返しながら拳の甲を背に差し出した。

 コツン、とシャーロットも甲を突き合わせて無事を祈る。

 

「死ぬんじゃねえぞ」

「お互いにね」

 

 二人の背が、風と共に緑陰へ消えていく。

 

 

 

 

(さてと。この辺りでいいか)

 

 一人で森を練り歩き、しばらく。

 小人(コロポックル)の隠れ家を巻き込む心配が無いところまで距離を稼いだシャーロットは、ぐるりと周囲を見渡した。

 

(……気配はない。でも、どこかで見てるんでしょうね。もしかしてヴィックが視線を感じるって言ってたの、あの魔物の事だったのかな)

 

 ヴィクターは異常なほど鋭い。もはや野生の勘とでも言うべきソレには、シャーロットもたびたび驚かされた経験がある。

 少女には無いものだ。幽かな兆しを掬い取れるほど鋭敏なセンサーなど備わっていない。

 

 だから、シャーロットは培った技で才能を補う。

 屈む。地に手を這わせ、指先の感覚に集中するため瞼を閉じる。

 

 魔力の波を全方位に薄く解き放った。小人(コロポックル)の巣で罠を感知するために行ったものと同じ技術だ。

 

 原理で言えばイルカやコウモリの反響定位(エコロケーション)に近い。魔力の波濤を張り巡らせ、特定の魔力痕や動体に触れた時のノイズで位置を探りだすものである。

 

(半径10……25……50m……いない。地中にも空中にも。まだそんなに近くないのかしら)

 

 

 異臭。

 

 

「ッ!?」

 

 鼻を殴られたかと錯覚するほどの、唐突で強烈な腐臭の津波。

 忘れるはずが無い。昨晩と同じ匂いだ。魔物の放つ、この世のモノとは思えない臭気が漂ってきた。

 間違いなく近くにいる。だが魔力のソナーには掛かっていない。

 

(どこにいる? 動きも何も無い。物理的な気配さえも──) 

「シャロ」

 

 不意に鼓膜を掠めたのは、何度も耳にしてきた男の声。

 先ほど別れたはずのヴィクターだ。何かを確認するために戻ってきたのか。

 

 一瞬だけ思考が揺らいで、しかし無視し難い違和感が脳髄を貫き、全身にけたたましい警鐘が爆発した。

 明らかにおかしい。至近距離から声がするのに足音のひとつも聞こえなかったどころか、ソナーにすら引っ掛かっていない。

 

 ならば、この声の主は一体誰だ?

 

 瞼を開き、反射的に振り返って。

 視界一杯に広がる、シャーロットの頭の倍は大きな、二重の乱杭歯に覆われた口の中。

 

「ヤバッ────」

 

 魔力の高速循環による身体強化。大地を蹴り抜けるほど脚力を爆発させ、発火した反射神経に従うままシャーロットは草叢を転がった。

 ガチンッ!! と金属同士がぶつかりあったかのような大音響が、豪速を連れて過ぎ去っていく。

 

「な、なんッ!?」

 

 あと一歩。いや、あとほんの一秒判断が遅ければ、悍ましい怪物の胃袋に収まる未来を迎えていた。

 濃厚な死の気配が一気に距離を縮めてくる。体中の汗腺から滝のように溢れ出す冷や汗の感覚が、克明に脊髄を伝わった。

 

(何でソナーに引っ掛からなかった……!? 動くものなら絶対に見逃すはずが──まさかこいつ、ソナーの性質を見抜いて魔力を透過させたっていうの!?)

 

 瞬時に体勢を立て直し、魔剣を手のひらに顕現させながら顔を上げて。

 瞳に映った異形の姿に、シャーロットの呼吸が停止した。

 

 地底で出会った時と姿が違う。

 

 初めて目にした時、アレは悍ましいミミズのような化け物だったはずだ。

 違う。()()()()()()()()()()()()()()()。かつてシャーロットたちが迎撃したモノは、この度し難い存在の尾に相当する器官だったのだ。

 

「そんな……こいつは……!?」

 

 人間の皮や髪の毛を何十何百と縫い付けて作られた10m級の大トカゲのような、悪趣味なぬいぐるみを彷彿させる異形だった。

 

 顔中に蓮の実の如く無数の眼球が埋め込まれ、ぎょろぎょろと不揃いに蠢きながら痙攣している。

 頭部の下半分を占める喉元まで裂けた口には、肉食獣のそれではない、ヒトを連想させる黄ばんだ臼歯が壊れた鍵盤のように歪に並ぶ。

 白濁する唾液が絶えず歯間から滴り落ちて、触れた落ち葉が真っ黒に変色したかと思えば、たちまち醜悪なガスを放ちながら腐り消えた。

 

 ふじゅーっ、ふしゅーっ、ぶじゅるるる──鼻どころか肺がもげそうになる臭気と共に、死戦期呼吸のような異音を漏れ出す怪物の背後には、昨晩相対したミミズの化け物のような尾がひとつ。

 異様に長く細い四肢は不安定ながらも屈強で、11本の指先には森の大木すら切り落とせそうな、身の毛もよだつノコギリ状の爪が備わっていた。

 

 知っている。

 シャーロットは、この怪物の名を知っている。

 

(カプディタス……!? 対処指定『金剛冠級(ダイヤモンド)』のネームドが何でこんなところに!?)

 

 それは執着を意味する、この世に在ってはならない者の御名。

 無垢なる贄を触媒に発生し、生者を喰らえば喰らうほど無尽蔵に力を増していく、名状し難き災いの化身。

 

 名前を持たない有象無象の魔物とは次元が違う。

 一度獲物と定めたものを地の果てまで追い詰める常軌を逸した執拗さを孕む、不浄なる星間の汚穢である。

 

 しかし、ここまで肥え太ったカプディタスは見たことも聞いたことも無い。

 一体どれほどの命を取り込めばこんな、直視することすら耐えがたい醜悪へと変貌を遂げるというのか。

 

「シャロ」

 

 魔物の口が見知った男の声を鳴らした。

 歪な外観からは想像もつかないほど、本当によく似せられた音色だった。

 

「シャロ。シャロ。シャあァロぉォ」

「気持ち悪い……! その声で私を呼ぶな!!」

 

 魔剣に黒魔力を圧縮させる。心臓の鼓動のように脈打つ剣に、一瞬だけ周囲の物体が吸い寄せられるような力の凝集が巻き起こった。

 転瞬。剛力をもって薙がれた剣の軌跡が、飛来する斬撃となって森を食い破らんばかりに炸裂する。

 

 しかし次の瞬間、盛大な爆発音とともに怪物の姿が視界から消えた。

 おおよそ10m以上はあろう巨躯からは想像もつかないほど俊敏に、カプディタスは地を蹴って黒の斬撃を躱したのだ。

 

 間髪入れず剛脚が吹っ飛んでくる。

 人間の体など容易くバラバラに分解するだろう、恐るべき威力と強靭な爪を伴った一蹴。

 シャーロットは辛うじて必殺を躱す。だがその余波が大地を抉り、土と落ち葉の噴煙を巻き起こした。

 

「ッ! まだ来るッ!?」

 

 尾が水を詰めた風船のように膨張し、先端の口からコールタールのように粘質な液体が破裂寸前と言わんばかりに溢れ出している。

 怪物の意図を、否が応でも理解してしまう。

 

 死の鉄砲水が暴れ狂うホースのように解き放たれた。

 触れただけで木々が悲鳴を上げて倒壊するほどの、腐食液などと呼ぶにはあまりに生温い死の大豪雨。

 シャーロットは黒魔力をドーム状に展開し、盾として酸のシャワーを受け止めていく。

 

「あぐッ!?」

 

 防御のために動きを止めた一瞬の隙を穿たれた。

 カプディタスは地面ごとシャーロットを抉り飛ばすように、人智を越えた怪力をもって横殴ったのだ。

 

 人体が全力で蹴り飛ばされたボールのように吹っ飛んでいく。

 幾度も木に衝突する。筆舌に尽くしがたい衝撃と激痛がシャーロットの中身を蹂躙した。

 

「うあっ、がはッ!?」

 

 ようやく威力が減衰し、落ち葉を巻き上げながら地面を転がったかと思えば。

 自分の体よりも大きな影が、まだ日差し降り注ぐ森の中でシャーロットを埋め尽くして。

 怪物が跳躍し、少女を押し潰さんと墜落しゆく前触れを知った。

 

「ぐッッ──づぁああああああああッッ!!」

 

 魔力の循環レベルを最大に引き上げる。

 黒い稲妻状の魔力痕が迸り、シャーロットの瞳が瑠璃の恒星を炯々(けいけい)と宿した。

 

 迅雷と化す。残像をも伴う爆発的な身のこなしで翻り、恐るべき威力で落下してきた怪物の足へカウンター叩き込み斬り刻んだ。

 どす黒い血液と悲鳴、肉片が殷々と樹海に放散する。

 しかし、植えられた傷痕は既に再生の兆しを見せ始めていて。

 

(こんなんじゃ致命には届かない! けど、ダメージを重ねて再生限界まで持っていけば活動不能になるはず! そうすれば核を砕ける!)

 

 触れれば骨の髄まで溶かし尽くされる毒血を浴びぬよう、距離を保ちながら斬撃を飛ばし、縦横無尽に攻めかかる。

 油断はしない。慢心もない。全力全霊、魔剣をひたすら薙ぎ払う。

 

(魔法は透過されるからこいつには効かない可能性が高い! でも万物干渉の性質を持つ黒魔力なら透過はできない! 着実に削れば絶対に倒せる!!)

 

  

 ぐじゅっ、と。

 何の前触れも無く、脇腹を食い破られたような、三斗の冷汗を吐くほどの激痛。

 シャーロットの時が、ほんの一秒停止した。

 

豁サ繧偵縺」縺ヲ蟆翫縺ィ謌舌

 

 魔物はその瞬間を見逃さなかった。

 嗤うように唇の無い口角を引き裂き、呪われた言の葉を吐き下した。 

 

「ぁ」

 

 邪悪な音色がズルリと鼓膜へ侵入する。

 それは体を蝕み冒す病魔のように、少女の骨肉へ牙を立てて。

 

「あ"ッッ!? うぁああああああああッ!? あ、頭がッ、頭が割れッ、ああああああああッッ!!」

 

 血管が弾ける音がした。

 眼球から。歯茎から。鼻腔から。破れた粘膜から溢れ出す静脈血に、服の内側が赤黒く染め上げられた。

 

「あ、ィいい、ぅぁ、あッッ……!! ぁああああああッッ、し、『静寂よ(シレンティム)』ッ!! 」

 

 防音の魔法。これ以上毒の唄に侵されぬよう守りを固め、血潮で赤く染まった視界を定める。

 ダランディーバを弓状に変化。弦を引き絞り、起き上がろうとしているカプディタスへ一閃を解き放つ。

 

 しかし直前、ぐじゅっと脇腹を裂かれたような痛みに再び襲われ、矢はあらぬ軌道を描きながら大木の幹を削り飛ばした。

 

(ッ……!! なん、なのよこの痛み!? 傷はほぼ塞ってるのに、脇腹だけどんどん酷くなってる……!?)

 

 長年研鑽のために自らを追い詰め続けたシャーロットは、ある程度の苦痛には耐性がある。

 生命力と同義である魔力を循環させ、服の内側に仕込んだ治癒の術式も併用し、かつ治癒能力の高いアーヴェントならば、常人なら再起不能に陥るような負傷もカバー出来るはずなのだ。

 

 そんなシャーロットをもってしても、腹部を襲う謎の患苦は無視できるものではなかった。

 まるで内臓を直接かき毟られているかのようだ。一挙手一投足が生死を分かつこの状況でなければ、腹を抑えてのた打ち回っていたかもしれない。

 

 このまま異常を放置していたら負ける。

 判断は早く、シャーロットは一時撤退を選択した。 

 

「『眩光の盾よ(ルメン・スクートゥム)』!」

 

 光の膜が炸裂した。

 網膜を焼き潰されるほどの閃光が蓮の実のように連なる魔物の眼を貫き、絶叫と共に視界を奪い去る。

 その隙を突き、シャーロットは刻一刻と酷くなる脇腹の痛みを抑えながら、脱兎の如く戦場を引いた。

 

 駆けて、駆けて、森の斜面に岩の窪みを見つけて駆け込んだ。

 洞窟状のシェルターの中、荒い岩肌の壁にもたれかかる。

 

「は、ぐ、ううぅッ……痛ッ……痛い……!!」

 

 ぐちぐちと音を立てながら暴れ狂う脇腹の痛みに耐え切れず、シャーロットは顔を歪めながら、声を押し殺して患部を抑え込んだ。

 

 違和感。

 服の上から触れた自分の体に、身に覚えのない凹凸がある。

 意を決して上着を捲れば、シャーロットを苛ませ続けた苦痛の根源が目に映って。

 

「……なに、これ?」

 

 それは右脇腹を苗床として根付く、潰れた赤子の顔が拳ほどのダニになったような異形。

 赤黒い肉片で出来た巨大な人面蟲だ。悪趣味な刺々しい八本の足と鋭利な口吻を柔肌へ喰い込ませ、少女の中身を啜るようにドクドクと脈打っているではないか。

 

(カプディタスの肉芽……!? いつの間に──いや、まさか最初の一撃で!?)

 

 痛烈な殴打が脳裏を過る。

 咄嗟に障壁を挟み込んでガードしていたが、カプディタスの爪の一部、ほんの微々たる先端が脇腹を引っ掻いた感覚があった。

 

 そこで仕込まれていたのだ。

 カプディタスは傷つけた獲物へ自らの細胞片を送り込み、シャーロットの体を貪り弱らせながら成長させていた。

 

(まずいまずいまずい! 完全に肉と癒着してる! ほんの爪先に掻かれただけでこうなら、迂闊に触ったら他の場所にも伝染してしまう!)

 

 焦燥。混乱。絶望の暗澹。

 されど、突破口は見えていた。

 

「肉ごと切り落とすしかない!!」

 

 大きく息を吸い、覚悟の硬度を跳ね上げる。

 ダランディーバを短剣状に収縮させ、同時に小さな棒状の黒魔力を錬成。舌を噛み切らないよう口に咥え、肉蟲に短剣をあてがった。

 

 自分を斬るという脳の命令を手が拒絶して震えだす。

 それを無理やり従わせ、もう一度深く息を吸い込んで、即座に刃を滑らせた。

 

「ぎッッ~~~~ッ!! あ"ぁッ……痛ッッづぅぅぅ……!!」

 

 痛覚が備わっていることを憎むほど壮絶な辛苦。

 一斉に脂汗が吹き出し、ただでさえ湿っていた服がより一層背中に張り付いて、溶鉄のように熱い流涙がじわりと滲んだ。

 しかし苦しんでいる暇など無い。太い血管は傷つけていないが、大きく肉を削いだのだ。止血しなければ本末転倒になってしまう。

 

「『炎よ(フランマ)』」

 

 魔剣に炎を纏わせ、傷を焼く。

 もはや痛覚そのものが麻痺しかけていた。神経が機能しなくなったのか、はたまた脳内麻薬による鎮痛作用が響いてるのか。傷を焼いても、先ほどのような痛みは来なかった。

 なんにせよ、この状況ではありがたい。これ以上激痛が続けば、ショック死の危険もあったからだ。

 

 ポーチから取り出した水薬(ポーション)を飲み、傷にもかけて、治癒と消毒を図る。

 アーヴェントは高い自己再生能力を持つ。この薬は促進剤だ。

 傷痕は残るかもしれないが、かつて雷撃に貫かれてもたちまち回復したように、少し待てば塞がるだろう。

 

 ビチビチと地面をのた打ち回る肉蟲を斬り潰し、炎魔法で入念に焼き殺す。

 どうやら本体とは違って、魔力を透過させるような真似は出来ないらしい。恐らく透過率を精密にコントロールしなければならないのだ。

 きっと不意を突いた魔法には対処できない。証拠に、閃光による目潰しは効いていた。

 

(カプディタスは血の匂いを追ってすぐにやって来る。迎撃の準備をしないと)

 

 傷の応急処置は出来た。

 呪詛で破裂した毛細血管も塞がっている。まだ戦える。

 けれど。

 

(……怖い)

 

 足が。体が。まるで言う事を聞いてくれない。

 

(だめ。だめ。考えるな、考えるな。ああでも、どうしよう。怖い。怖くて、たまらない)

 

 極限状態を脱した反動か。津波のように押し寄せる恐怖に蝕まれ、体の自由を奪われてしまっていた。

 至極当然の反応だ。シャーロットはアーヴェントである以前に、本来は普通の女の子なのだ。

 

 これは防具や魔法で保険をかけられた人間同士の決闘ではない。命を守るために抵抗してくる魔獣を相手取るのとも全く違う。

 正真正銘の殺し合いだ。いっそ無垢とすら言えるほどの殺意を一身に浴びながら、死線を掻い潜って敵を葬り去らねばならない死闘なのだ。

 

(痛かった。凄く。死ぬかと、思った)

 

 怖くないわけがない。一歩間違えれば死ぬかもしれないのに、もっと痛い目に遭うかもしれないのに、恐怖に束縛されない道理がどこにある。

 腕をもがれ心臓に穴を開けられようとも、一切怯まなかったヴィクターの方が異常なのだ。

 

 あの乱杭歯で嚙み潰されたらどれだけ苦しいだろうか。肉蟲に全身を冒されたらどれほど悍ましいだろうか。

 想像したくなくとも、悪い夢のように脳細胞へこびり付いてしまう。

 

「…………」

 

 だからシャーロットは、思考の風向きを切り替えることにした。

 こういう時は、逆にもっと怖いものを考えればいい。

 恐怖に屈して魔物に食べられてしまうことより、もっともっと怖いものを思い浮かべれば、これくらいどうにでもなると自分を誤魔化せるから。

 

(私が一番……怖いのは)

 

 言うまでもない。このままリリンフィーを治せないことだ。

 最愛の妹を助けられず、永遠に止まった時の檻に閉じ込めてしまうことだ。

 

 それだけは駄目だ。どんな艱難辛苦よりも辛い恐怖だ。

 かつて妹を失った時、カプディタスに与えられたどの苦痛よりも耐えがたい痛みに塗り潰されたことを忘れてはいない。

 もう二度とあんな思いはしたくない。あんな思いをするつもりなど毛頭無い。

 

「……大丈夫、大丈夫。いけるわ、シャーロット。一人でも楽勝だって彼に啖呵切ったばかりじゃない」

 

 消えかけた火種が再び燃え盛るように、少女は光呑む剣を取る。

 

 魔物の相手なんて大したことじゃない。

 腹の肉が抉れたからなんだ。呪詛を身に浴びたからどうだ。

 そんなもの、リリンフィーを失うことに比べたら、笑って捻じ伏せてやれるというものだ。

 

 ──重々しく地に響く、巨大物体の落下に伴う衝撃波。

 

 カプディタスがシャーロットの居場所を突き止めたのだ。

 岩陰で休む弱ったシャーロットを無数の眼球に映し込んで、好機と言わんばかりに舌なめずりしている。

 

 対する少女は、ゆっくりと岩陰から身を出して、不浄の化身へ豪気に歯を剥き魔剣を向けた。

 

「来なさい化け物。アーヴェントを舐めんじゃないわよ」

 

 咆哮爆発。魔物は唾を吐き散らし、腕を大きく振りかぶって矮小な獲物へ叩き着けた。

 当たらない。シャーロットは地を蹴り、舞い踊る蝶のように宙を駆けて躱していた。

 

「『烈風の巨弾よ(ヴェント・トルメントム)』ッ!!」

 

 (くう)を舞踏し、アーヴェントは咆える。

 魔たる(のり)をその手に従え、嵐を凝縮したが如き鎌鼬の砲弾を撃ち放った。

 

 カプディタスは無数の眼球を蠢かせながら即座に反応。魔力を透過され、空気弾は巨大な魔物の肉をすり抜けてしまう。

 盛大な爆発。大地に大穴が穿たれる。莫大な砂塵が噴火の如く舞い上がった。

 

「『風よ(ヴェント)』! 『風よ(ヴェント)』! 『風よ(ヴェント)』!」

 

 間髪入れず風を起こす。

 幾度も魔力を練り、詠唱を紡ぎ、舞った土埃で魔物を覆い尽くして視野を奪い去っていく。

 

「■■■■■■■■────────―ッッ!!」

 

 カプディタスは絶叫を爆発させ、凄まじい衝撃波と共に邪魔な煙幕を吹き飛ばした。

 同時に尾が膨張、再び猛毒の体液を撒き散らす。

 

 しかし液状ではない。霧だ。一呼吸でも吸い込めば、肺臓からたちまち全身を溶かし尽くす酸の濃霧が、魔物を中心に驚くべき速さで空間を制圧し始めていた。

 

 関係ない。

 既に、シャーロットの目論見は達成されている。

 

「『炎よ(フランマ)』!!」 

 

 放たれたのは火球。それも小さな、魔物の巨躯を焼き焦がすにはあまりにちっぽけな火の弾だ。

 魔物はそれを見て嗤っていた。「こんなものが通用すると思ったか」とでも嘲笑するかのように、唾液を滴らせながら火球をすり抜けさせ、口を引き裂き愉悦を刻み込んでいた。

 

 だが次の瞬間。

 カプディタスは炉に放り込まれたかの如く一瞬にして業火に包まれ、森を揺るがすほどの大絶叫を張り上げる。

 

「馬鹿だと思った? 当然でしょ。そんな火の玉が効くだなんて、これっぽちも思っちゃいないもの」

 

 小さな花火が炎の海と化けた手品のタネは至極単純。ボイラーツリーの樹液にある。

 黄昏の森の大部分を占めるこの殺人蒸気を放つ大木には、非常に強い可燃性を孕んだ樹液が流れている。

 ヴィクターに注意喚起したように、ほんの少しの火花で莫大な炎を生む天然のガソリンだ。

 

 シャーロットが風魔法を連発していたのは視野を奪うためだけではない。

 魔物の眼を攪乱しつつ、風の刃で周囲の幹に傷を着け、樹液を染み出させるためだったのだ。

 結果、魔物は燃料に囲まれていることなど露程も知らぬまま、不意の内に炎へ呑み込まれた。

 

 だがしかし、この程度で魔物が死ぬわけがない。

 肉が溶け崩れようとも、核を砕かなければ永遠に再生し続けてしまう。

 決定打がいる。頑丈で巨大な化け物をもろとも粉砕するような、絶対的な火力が要る。

 

 そのためにシャーロットは魔物を劫火へ突き堕とした。

 炎が鎮まるまでの間、怪物を拘束することが出来るから。

 

「──光栄に思いなさい。魔物風情が、アーヴェントの秘術を味わえるのだから」

 

 空気が変わる。

 シャーロットを中心に、純黒の鳴動が巻き起こる。

 

 ドクン、ドクンと、心臓の拍に応じて地が響く。

 墨染の魔力が波濤となって少女より現れ、草葉をざわざわと騒がせた。

 

 深海色の髪が漆黒と染まり、水に揺らめくが如く浮かび上がる。

 瑠璃の瞳は煌々と燃え、黄金の円環が顕れていた。

 

「『洛陽、(つるぎ)を捧ぐ。無窮分断(わかた)つは不壊の刃。久遠の王が御名の下、天罰覿面の鎖を解かん』」

 

 桃の唇が紡ぐは祝り詩。

 腕を広げ、足を揃え、己が内に宿る漆黒の魔を研ぎ澄ます。

 

 肉親を喰らい得た望まぬ純黒。

 其は禁断の秘奥。なれど、今こそ血の真髄を開帳する刻。

 

「『捧ぐ。捧ぐ。茨の骨肉。灰燼の魂。(くろつち)の慈悲に我が血華(ちばな)を捧ぐ』」

 

 少女の体がふわりと浮いた。

 大地の慟哭。鳴動と共に地が捲り上がる。

 現れた礫や土塊が、シャーロットの周囲を三重のプラネタリーリングのように旋回し始めていた。

 

「『星海の淵。祖なる則。絶滅の鐘声。十五の月輪よ、王亡き玉座に戴冠を成せ』」

 

 その時、一際凄絶な波動と共に旋回していたリングが弾け、少女の背に光を呑む純黒の王冠が顕現した。

 青黒い粒子が舞い散った。十五の突起を持つ冠は緩やかに回転を始め、シャーロットが腕を交差すると、それぞれの突起が意志を持つかのように剥がれ落ち、少女の周囲へと立ち並んでいく。

 

 アーヴェントの末裔を取り囲む十五の魔剣。

 それは主の意のままに宙を舞い、筒状に収束し、膨大なエネルギーを輪転させていく。

 瞳の金環が、爛と虚空に輝き駆ける。

 

「『汝、終天の裁を瞻よ(ダランディーバ エスカトンノヴァ)』」

 

 刹那。純黒の極大彗星が、樹海を一直線に呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 油断していたわけではない。カプディタスを侮っていたわけでもない。

 最初から使えない理由があった。極力避けなければならない欠陥があった。

 

 そう。この技には幾つか重大な欠点が存在する。

 ひとつは精密な魔力操作と詠唱を必要とし、莫大な隙が生じること。

 もうひとつは、無視し難い代償を支払わねばならないことだ。

 

「ごふっ、えほっ、えほっ」

 

 噎せ返る呼吸器の反乱に口元を抑える。

 シャーロットの手が赤黒に侵食された。吐いた血は数秒前まで血管を流れていたとは思えぬほど粘質で、どす黒く炭化したように黒ずんでいる。

 

「はぁっ、はぁっ、ぐ、うぁ、ぁ、心臓が」

 

 胸を抑え、膝から崩れ落ちた。

 信じられない速さで脈打つ心臓が胸を破って飛び出しそうだ。

 ドクドクと内側で暴れ狂う臓腑が一向に静まらない。シャーロットは再び水薬を飲み干し、発作が収まるのをうずくまって静かに待った。

 

「っ……ぅ……!」

 

 かつてシャーロットはエマの姦計により禁忌を冒し、望まずして『純血』に限りなく近い魔力濃度を手に入れた。

 黒魔力の『純血』は本来、人間に耐えられるものではない。千年間唯一の『純血』であるリリンフィーも、極端に虚弱な体で生まれてしまったほどだ。

  

 シャーロットの場合、皮肉にもエマの『人錬の刻印』によるメンテナンスの影響か、日常生活を送るぶんには支障を来さず過ごせている。

 それは魔力の産出量を無意識化に制御しているからだ。他属性の魔力も交えることで、絶妙にバランスを取り持っている。

 

 今、シャーロットは無意識のタガを外してしまった。

 その反動で心臓が狂い、閾値を超えた魔力圧に体が自壊しかかっている状態にある。

 

「大丈夫……大丈夫……落ち着いて……大丈夫だから」 

 

 言い聞かせ、冷静を心がける。

 パニックに陥ったら終わりだ。脈拍が更に跳ね上がり、心臓が耐久力を飛び越えて破裂してしまう。

 静かに待つ。一寸たりとも動かずに、のた打ち回る拍動が収まるのを待ち続ける。

 

 静寂。時が清水のように流れ去って。

 泣きじゃくっていた心音が鳴りを潜め、シャーロットは大きく安堵を吐いた。

 

(よかった、ギリギリ収まってくれた。少しだけ魔力をセーブして正解だった)

 

 膝に手を突き、力を込めて立ち上がった。

 満身創痍だがまだやるべきことは残っている。

 

 千年果花の調達もさることながら、魔物の核を破壊したか確認しなければならない。

 魔物は半不死の存在だ。核を砕かなければ、例え細切れにしても再生してしまう。

 

(最初の攻防で失血し過ぎた。力も少しセーブしてたから、ダランディーバの威力は十全のものよりほど遠かったはず。もしかしたら核までは壊せてないかもしれない)

 

 よろよろと歩き、森の破壊痕を辿っていく。

 導の先には根元から折れた大木があった。捲れた地面に、腐臭を放つ巨大な肉塊が脈打ちながら埋まっている。

 

「あった。やっぱり生き延びてたのね」

 

 薄く紅色の光を放つ、球形の心臓らしき物体。これこそが魔物の核だ。

 ダランディーバを手に写し、シャーロットは無言のまま、魔剣を大きく振りかぶって。

 

「────え?」

 

 振り下ろす直前。瞳が捉えた光景を脳が解読した瞬間、少女は言葉を失った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。