銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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23.「千発だ」

『にんげん』

 

『にんげんだ』

 

『珍しい。珍しい』

 

『森にようこそ』

 

『なにそれ。筆? ご本?』

 

『お絵かき? お絵かき! 素敵』

 

『描いてくれるの? 嬉しい』

 

『にこにこ。ぽーず』

 

『描けた? 描けた?』

 

『おおー。上手。上手』

 

『わたしも。描いて。描いて』

 

『? なにそれ。お土産? 嬉しい』

 

『美味しそう。外のご飯』

 

『不思議な色。不思議なにおい』

 

『ありがとう。優しいにんげん』

 

『コロポックル、あなた歓迎する』

 

 

 

 

(やっぱシャロの言う通り、この森異常なくらい静かすぎる)

 

 二手に別れてからしばらく。

 どうにもこうにも命の気配を感じない閑散とした樹海の央で、ヴィクターは木漏れ日をさえぎる遥か上の樹冠を見た。

 

(なんだろう……どうも空気が味気ない。見た目だけそっくりな異世界に飛ばされたみたいな気持ち悪さがある)

 

 森に来てからというもの、節々から積もり続けてきた違和の数々。

 抽象的だったそれが、少しずつ形を浮かばせてくるような感覚があった。

 

(シャロは魔物が出たのに警備ゴーレムが反応しないのはおかしいと言ってた。もしかして反応しないんじゃなくて、出来ないんじゃねーのか? 外から中を観測できない魔法の檻かなんかで、森ごと閉じ込められてるみたいな感じに)

 

 ヴィクターは腕の包帯を少しだけ千切り、適当な枝に結び付けた。

 もし仮説が正しければ、この包帯はある種の目印になるはずだ。

 

「……やっぱそうなのか」

 

 しばらく真っ直ぐ歩き続けて、ヴィクターは眉を八の字に曲げた。

 遥か後方にあるはずの巻き付けた包帯が、前方でその存在をゆらゆらと知らしめていたからだ。

 

(いつまで経っても火山の麓すら見えてこない時点で気付くべきだった。この森はおかしい。仕組みとか全然分かんねーが、森の空間そのものがイカレてるっぽいのは確実だ。しかし魔法に聡いシャロが全く気付けなかったとなると、一体いつの間に迷い込んでたんだ俺たちは?)

 

 どうやらこの空間は、ある地点まで進むと自動的に引き戻されるようになっているらしい。

 おかげで同じ道をぐるぐる回り続けているような錯覚に陥る。原因不明ながら、森の一区画が丸ごと隔絶されているようだ。

 そのせいで辰星火山まで辿り着けなかったのだろう。ずっと同じ景色が続く樹海という環境もあって、気付くのがずいぶん遅くなってしまった。

 

 魔物の操り主の仕業とみて間違いない。自然現象としてはありえない。

 警備ゴーレムが魔物を感知できなかったのも、小人(コロポックル)たちとの交信が途絶えたというのも、全てこの異常空間のせいだったのだ。

 

「なるほど、俺たちは知らず知らずのうちに敵さんの領地へノコノコ足を踏み込んでたってわけか。つーことはよ、どっかで見てんだろ? 森をテメエの虫籠にして、中に獲物と化け物を放り込んでハイ終わりなワケがねえ。ギャラリーが居るはずだろ。なぁ?」

 

 シャーロットの推測が正しければ、魔物使いは魔物から離れられない。

 である以上、常に安全圏から獲物へ目を光らせているとみて間違いない。

 

「オラ出て来いよ! 俺は一人だぞ! 魔法すら使えない俺が怖いのか!? 」

 

 一先ず挑発。極力自身の手を下さずリスクを避けたがる敵の立ち回りを考えれば乗ってくる可能性は限りなく低いが、少なくともその存在だけでも確かめられるか試しておきたかった。

 

 しかしヴィクターの予想と反し、反応は迅速にかえって来て。

 傍の落ち葉だまりに変化があった。

 

 ざわざわと肉厚なボイラーツリーの枯れ葉たちが騒ぎ出し、一人でに浮かび始めたのだ。

 それは空中でぐるぐると旋回すると、折り紙のように一枚一枚が形を変え、まるで意思を持つかの如く人の姿へと凝集し、ヴィクターの前に降り立った。

 

 赤茶けた葉が象った容貌は、どことなく初老の紳士に見える。

 鍔の広いテンガロンハット。品を感じる曲線を描いた口髭。

 オーバーコートに、手には大きなスケッチブックのようなものと筆らしき棒を握っているのが伺えた。

 

『初めまして少年。私は──』

「だらァッ!!」

『おおっ?』

 

 姿を目にするや否や、ヴィクターは即座に拳を放った。

 しかし顔面に直撃したものの、拳圧に吹かれた落ち葉が散るのみで、すぐに元通りになってしまう。

 

「チッ。やっぱり生身じゃあねーか。遠くから落ち葉に自分を投影してるって寸法か?」

『やれやれ。初対面のおじさん相手に即オヤジ狩りとは、実に血気盛んな若者だな。せめて狩るなら紅葉にしたまえよ。ちなみに今のはオヤジ狩りと掛けてるんだが』

「しょーもねー洒落で誤魔化そうったってそうはいかねえぞ。この状況、お前があの化け物の操り主じゃなけりゃ何だってんだよ」

『しょ、しょうもない……まったく、私の芸術性はいつ如何なる時でも理解されなくて困るよ。ほとほとうんざりだ』

 

 帽子の位置を正しながら溜息を吐く男。  

 言葉を濁してはいるが、魔物の主であることを否定する素振りはまるで無い。

 

『改めて、私の名はカースカン。君の言う通り、この森に魔物を放った張本人で間違いない』

「やっぱりかテメエッ!」

『おっと、殴ったって無意味だぞ。さっきもそうだったろう? これはただの落ち葉なんだよ』

 

 振り上げた拳を降ろし、舌打ち。

 歯がゆいがこの男──カースカンの言う通りだ。無暗に攻撃しても体力を消耗するだけに過ぎない。

 

 思考の矛先を変える。わざわざ男が姿を現してきた理由について。

 

 恐らくカースカンはずっとヴィクターたちを監視していた。だから挑発に応じ、こうして出張ってくることが出来たのだ。

 逆を言えば、カースカンの手には地の利がある。一方的に獲物を俯瞰でき、かつ自分は安全圏に居座れるポジショニングを済ませてある。

 

 そんな状況ならば奇襲などいとも容易かったはずだ。

 なのにそうせず、こうして律儀に挨拶まがいの真似まで披露してきた目論見は何だ?

 ただの慢心なのか。それとも他にワケがあるのか。

 

「やろうと思えば闇討ちも出来たはずだ。何故わざわざ挑発に乗った?」

『なに、ちょっとした趣味の関係でね。何と言うか……サガなんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 掴みどころのない飄々と浮く言の葉。

 にこやかで柔らかな立ち振る舞いは、いたって温厚な紳士に見える。

 しかしどこか、影が差すような不気味さを感じずにはいられなかった。

 

『君が真に気掛かりなのは、私が奇襲を捨てた理由じゃない。魔物を持ち込んだ動機ではないかね? 実にシンプルだよ。趣味と実益のためさ』

「趣味……? 実益……?」

『そうとも。ところで少年、芸術は好きかい?』

 

 要領を得ない問いかけに、ヴィクターは沈黙をもって返答する。

 

『私は生まれながらの芸術家でね。絵描きなんだ。物心ついた時から紙と絵筆が手放せない子供だった』

 

 手に持つ道具をヒラヒラと動かし、適当なページを開いて絵を描くジェスチャーを見せつけるカースカン。

 

『美しいものを紙に留めるのが好きなんだ。無我夢中でありとあらゆるものを描き続けたよ。特に過去と未来を比較できる絵が好きでね。例えば春の森を描いて、冬になったら同じ場所で風景を描き、出来た二枚を並べると季節の移ろいがよく分かるだろう? その移ろいこそが、何とも愛おしく美しいものに感じたんだ』

「……」

『しかしながら、私の中には確固たる芸術性が存在しなかった。こだわりとか、絵の方向性とかね。あの頃の私はいわばサナギだった。羽化を遂げたのは、祖父が亡くなった時のことだ』

「自分語りが長えよおっさん。寝ちまいそうだぞ」

『えっ? そ、そうかい? 参ったな、若い子に話の長さを指摘されると老いを実感してへこむよ……。まぁまぁもう少しだけ拝聴してくれたまえ。君にも関係のある話なんだ』

 

 カースカンは人差し指を立てて宥めながら言葉を紡ぐ。

 ヴィクターはうんざりしたように口を曲げた。

 

『祖父は病気知らずでね。当時91歳だったんだが、驚くほど元気な御仁だった。私は老いてなお活気にあふれる彼を何枚も絵に留めたよ。だがある日、祖父は足を滑らせて頭を打ってしまった。その日から祖父は見る影もないくらい衰弱して…………胸を射貫かれるような感動を覚えたんだ』

 

 ぞわり──と。

 背筋を舌でゆっくり舐めとられたかのような、生理的嫌悪に近い悪寒がヴィクターを襲う。

 

『不死身と思えるくらい元気だった祖父が、ベッドの上で干乾びたミイラのように痩せ細っていく姿がなんとも美しく感じた。革命だったよ。エネルギーに満ちた命が朽ちて終わりゆく盛衰こそが、私にとって核となる芸術性だったんだ。健康な祖父と瀬戸際の祖父の絵を並べた時は、得も言われぬ絶頂感を味わったものさ』

 

 武者震いに身を揺らし、ひしと己を抱き締めて恍惚に天を仰ぐ破顔の男。 

 滲み出す狂気の片鱗は仄暗く、ナメクジの這い痕のような滑りを彷彿させる。

 

 身の毛がよだつとは正にこのことか。

 どこかお茶らけていた雰囲気が一転し、どす黒く粘着く瘴気のような、禍々しい空気をカースカンから感じ取った。

 

『分かるかい少年。今の君は()なのさ。力が溢れて仕方ない最盛の状態なんだ。そんな君を描かずして私の芸術は完成しない。だから直接スケッチに来たんだよ。私の生き甲斐という名の趣味のためにね』

 

 初老の男は朗らかに頬をほぐす。

 落ち葉越しにも伝わるほどに、まるで悪意を感じさせない、きらきらと子供のように無邪気な笑顔だった。

 

『ああ、実益とはあの少女の心臓を頂くことだ。……もう察してるだろうが言っておこう。私は君たちを始末するために、この森で待ち続けていたんだよ』

 

 

 

 

(まずいな。思ったより最悪な状況かもしれねぇ)

 

 身の上話を並べ立てる男を余所に、ヴィクターは置かれた現状の把握と打開策の思案に頭をフル回転させていた。

 しかし考えれば考えるほど、情報を整理すればするほど、切り開ける道筋が藪の中に隠されていくような錯覚に陥る。

 ボードゲームの詰みにハマっているようなものだ。返せる手立てが暗中に沈み、どこを探っても見つからない。

 

(俺たちの心臓を狙って黄昏の森に先回りしてたってことは、こいつは間違いなくエマの仲間だ。てことは腕の力や戦い方も筒抜けになってると思った方がいい。近くに他の仲間が隠れてるかもしれねえ。ベラベラ喋って注目を集めてンのも、何か別の策を巡らすための時間稼ぎの可能性だってある)

 

 それだけではない。カースカンはこの異常な隔絶空間に間違いなく関わっている。

 もはや黄昏の森そのものが男の領域と化したに等しい。地の利は劣勢極まりない。

 

 つまりカースカンは一方的にヴィクターを観測、干渉できる絶対的優位なポジションを確保していて、立てられる手立ては山のようにあるときた。

 奇襲を捨てた理由も頷けるというものだ。そんな事せずとも勝てる要素しかカースカンには備わっていない。負ける道理がどこにもない。

 

(俺はカースカンを攻撃出来ないのに、こいつは安全な場所から一方的に殴ってこれる。なのにカースカンを倒さなきゃ俺たちはこの森から出られない。最悪だ、どうすりゃいい? シャロが来るまで時間を稼ぐか?)

 

 駄目だ。シャーロットが魔物を倒し援軍に来ると察知すれば、この男は即座に撤退するだろう。

 広大な空間を制御下に置くほどの手練れだ。一度逃げに徹されてしまえば追うことは至難を極める。

 

 圧倒的に不利な状況。だが戦うしかない。それ以外に道は無い。

 しかし、どうやって攻略すればいい?

 

(……不安要素をひとつずつ消していこう。こいつに仲間がいるかどうかだけでも知っておきたい)

 

 出会って間もないが、カースカンは相当狡猾な男と見て間違いない。

 確実な保証が無ければ動かないタイプの人間だ。己の優勢を決して損なうことなく、一手一手と安全に駒を詰めていくような性格だ。

 そうでなければ、ヴィクターたちを先回りして過酷な森に身を潜め、入念な下準備を施して自身のフィールドを構築するような真似などしない。

 

 であれば恐らく仲間もいる。自身がミスを犯した時、カバーさせるべく人材を潜ませている。

 魔物が暴走した時の保険も兼ねているはずだ。まずは敵戦力の把握しなければ今の状況を打開することは不可能に近い。

 

『と、君は思っているんだろう?』

「っ!」

『図星だね。まぁ勘ぐるのも無理はない。仲間を配し、盤石の布陣を完成させておくのは至極当然のことだ。だが安心したまえ、この森には私一人だとも。誓っていい』

 

 あっけらかんと返ってきたのは、予想とまるで反する言葉。

 

『芸術活動に素人同伴など私のほうが御免被るよ。古今東西、著名な芸術家は常に孤独と共に在った。私もそれに倣っているのさ』

「……それが嘘でないと言う保証は?」

『保証? 無いに決まっているだろう。立場を弁えたらどうだね。そんなものを保証する義理などないし、君はそれを信じる他にないんだ。そうだろう?』

(なるほど、嘘じゃなさそうだ。仲間がいるならこのタイミングで出してこない理由がねえ。勝ち筋をガチガチに固められるんだからな。それに不測の事態をカバーし合えるチームがいるなら、たった一人を相手に安全圏へ引き籠ってる必要も無い)

 

 加えて、明確な根拠ではないが確信めいた勘が芽生えていた。

 カースカンにはどこか執着染みた精神を感じる。強固なこだわりだ。芸術家と(うそぶ)く仕草に偽りの色は感じられない。

 彼のこだわりに仲間とは無用の長物なのだ。そう思わせる気迫があった。

 

『仲間など必要ないんだよ。私は優秀でね、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──言葉を皮切りに、異変が重々しく到来した。

 

 ヴィクターの周辺。枝葉や木々が日を遮って生まれる影が、突如として泳ぎ出したのである。

 波打つ影の塊は、彼を中心に獲物を見定めた鮫の如く、ぐるぐると旋回し始めていく。

 同時に男の手が動いていた。カースカンが手に持つスケッチブックへ、恐るべき速さで何かを描き殴り始めたのだ。

 

『さぁ少年、見せてくれたまえ。若く溢れる命の彩りを』

 

 一際強く筆が走り、カースカンを象っていた落ち葉が風に吹かれて崩れ去る。

 入れ替わるようにしてヴィクターを囲う影が鳴いた。ごぼごぼと水泡のような音を引き連れながら、平面だった暗黒が不気味に痙攣しつつ立ち上がっていく。

 

 やがて姿を成したそれは、異常に手足の長く能面な、影で出来たヒトガタのなにか。 

 名付けるならば影人間。それがヴィクターを中心に四体も、彼を見下ろすように顕現した。

 

「ッ──!!」

 

 影人間が一斉に腕を引き絞り、五指を鋭利に引き伸ばしゆく姿を目にした瞬間。ヴィクターは包囲網から身を投げ出した。

 一拍遅れ、影人間が互いを槍の腕で刺し貫く。

 腕が通過した場所はヴィクターが立っていたところだ。ほんの少しでも判断が遅れていたら、あの腕が風穴を穿っていたのは人間の骨肉だっただろう。

 

 影人間には痛覚という概念がないのか、何事もないかのように腕を引き抜いてヴィクターを見る。

 凹凸の無い、闇だけがある虚ろな顔貌。昆虫のような無機質さが強烈な不安感を駆り立てた。

 

(こいつらは何だ? 魔物か? いや、あの化け物を見た時のような本能に来る悍ましさは感じない。魔法で生み出したゴーレムってとこか)

 

 ヴィクターは拳を握り、2m近い長身痩躯の怪人たちと距離を保ちながら相対する。

 ゆらり、ゆらり。影人間が動く。

 体をぶらぶらと揺らしながら、緩慢にヴィクターへと向かってくる。

 

(動きは遅い。拳が効くかどうかは分からないが、周りの木を遮蔽物にして一体ずつ相手取ればいけそうだ)

 

 刹那。影人間が肉薄した。

 唐突だった。いきなり動きが加速したかと思えば、さながら人の形をしたゴキブリの如く恐るべき敏捷性をもって突撃してきたのだ。

 

 槍の腕が放たれる。咄嗟に身を捩じって躱す。

 横に薙ぎ払われる。腰を落とし、背から地面に倒れ込むようにまたも躱す。

 転がって、転がって、すぐさま体勢を立て直した。

 

 ────刺突。

 

「うォおおおおおおおッ!?」

 

 別の個体が迫っていた。眼球目掛けて放たれた死を拳ではたき落とし、間一髪で軌道を逸らす。

 瞬間、激痛が脇腹を抜けた。またも別個体が音もなく距離を殺し、ヴィクターの肉を死角から抉り取ったのだ。

 

「がッッ!? ぐ、おお、おおおッ!! だァァらっしゃあああああ──────―ッッ!!」

 

 守りに徹すれば負ける。判断は早く、豪速の突きが解き放たれる。

 包帯に包まれた純黒の拳が唸りを上げ、傍にいた二人の影人間の顔面を正確無比に殴り抜けた。

 ゴムの塊を思い切り叩きつけたかのような轟音。影人間の頭部がひしゃげ、錐揉み回転しながら吹っ飛んでいく。

 

(こいつら思ったより素早い! しかも足音すら無く迫ってきやがる! 気配がねえ! 一瞬でも気ィ抜いたら袋叩きにされちまうぞ!!)

 

 傷を確認。幸い浅く、失血も無視できる。

 呼吸を整え、フットワークを意識。打撃即離脱に重点を置く。

 絶対に多対一の状況を生まぬよう、ボイラーツリーを利用して立ち回る。

 

「おっしゃあ、来いッ!!」

 

 手槍を刺突する影人間。翻って裏拳を叩き込む。

 すかさず半身。反撃と振り下ろされた一閃を避け、鳩尾目掛けて渾身のブローを見舞う。

 顎へのアッパーカット。左掌底。喉笛を穿つ肘打ち。

 よろめいた影人間の首を掴み、顔面へ杭を打つように拳を沈めて地に落とす。

 

 頭蓋を割り砕いたかと錯覚する凄絶な感触。

 影人間の肢体がブクブクと泡を弾けさせ、やがて空気に溶け込むように消えていった。

 

(おし! まずは一体! 倒せるってンならどうってことはねえッ!!)

 

 攻めに転ずる。ヴィクターに迫って来ていた影人間の虚を突くようにしゃがみ込み、足を取って思い切りひっくり返す。

 すかさず足首を掴み、力任せに反対側の影人間へ向けて投げ飛ばした。

 

 二体が行動不能になった隙に残党を狩る。

 猪突猛進。地を蹴りミサイルの如く突っ込んだヴィクターは影人間を押し倒し、馬乗りになって無数の鉄槌を振り下ろした。

 

 消滅する影人間。残すは二体。

 行動パターンは既に見切った。

 蛇行するように森を駆け、二体の注目を攪乱させる。

 

 大樹に向かって全力の跳躍。木を蹴り、三角跳びの要領で空中から奇襲をかける。

 一体目を殴り飛ばす。すかさず反撃してきた二体目の薙ぎ払いを受け止め、腕を引っ張って体勢を崩し頭突きを見舞う。

 起き上がろうとする殴り倒した影人間の背を踏み抜き、頭を掴んで捩じり切るように回転させた。

 

(あと一体!!)

 

 両腕の爪を引き伸ばす最後の影人間。我武者羅に突っ込んできた怪物の縦横無尽を掻い潜る。

 カウンターのボディブローが炸裂した。大きくよろめく影人間を蹴り飛ばし、全体重をかけた正拳突きを人中へ解き放つ。

 錐揉み回転しながら吹っ飛んだ影人間は、地に落ちる前に跡形もなく消滅を迎えた。

 

『……驚いたな。どうやって()()()()を攻撃してるんだい? 話には聞いていたけど、その腕は実に不思議な力を秘めているようだ。が、それを差し引いても四人同時に相手取ってほぼ無傷で済ませる君の戦闘センスは凄まじい。敬意を手向けずにいられないよ』

「敬意だ? 嘘吐けおっさん。自分の欲望しか眼中にない癖に。俺がズタボロになるのが楽しみでたまらないんだろう」

 

 どこからともなく聞こえてきたカースカンの声へ、唾棄と共に怒りを放つ。

 

「反吐が出るぜ。お前も大義のためにシャロの心臓を狙ってるクチか? そのためには何の関係もないコロポックルを魔物の餌にしてもいいってのか!? ふざけんな!! テメエら揃いも揃って人の命を何だと思ってやがる!?」

『うん? 大義? ちょっと待ってくれ。私はそんな大層なもののために君たちを相手にしてるんじゃないよ。言っただろう? 趣味と実益なんだよ、これは』

 

 きょとんとしたように返された、無垢にすら思えるほど不気味に白い答えは。

 何か、ヴィクターの認識とは致命的に歯車が嚙み合っていない異音を如実なまでに奏でていて。

 

彼女(エマ)()()()()に心酔している直属の部下だからね、それはそれは大義に燃えていただろうさ。私は違う。私はただの雇われだ。裏家業を掛け持ちしてるだけの芸術家に過ぎないんだよ。田舎娘の心臓が必要だとかどうとか、雇用主の事情なんて知ったことではない。大事なのは、あの娘の心臓に着いた値札なのさ』

「値札……だと!?」

『そうとも。彼女の心臓には莫大な報酬金が掛けられていてね。あまりにも法外すぎて、我々の業界でも誰一人依頼に手を付けようとする者がいなかったほどだ。提示された情報が極端に胡乱だったし、罠だと思われてたんだろう。幸い私はエマと旧知の仲だったから、情報の裏付けを取れて依頼を受理したのだが』

 

 さておき、とカースカンは言葉を切り分ける。

 

『世知辛いことに芸術活動には資金が入り用なんだ。彼女の心臓を持ち帰るだけで、私は裏家業から足を洗って一生を美に捧げるほどの金を手にすることができる。だから君たちの命を狙ってるんだよ。わかるかい? これはただのビジネスだ』

「……!!」

 

 

 カースカンは酷く軽々しく、それがさも当然の答えであるかのように言った。 

 ただ金が欲しいだけで。ただ理想の絵が描きたいだけで。 

 この男は魔物を放ち、ゴミを蹴り飛ばすように森の民の生を壊したというのか。

 

 ギリギリと歯の軋むノイズが顎から伝わって頭蓋を揺らす。

 奥歯が砕けるようだった。噛み砕かずにはいられないほどの怒りの味が、鉄臭さと共に染み出していた。

 

「わかんねえよ……!! 何もかもわかんねえ!! わかりたくもねえ!! うんざりだ! だったら何でコロポックルまで巻き込んだ!? 俺たちを森ごと異空間に放り込んで一方的に嬲れるだけの力があれば、彼らの命を奪う必要なんて無かったはずだろ!?」

『だから、何度言えばわかるのかね。趣味と実益なんだよ。コロポックルたちは新作の材料に丁度良かったから使ったに過ぎない。()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからやった。それだけだ』

 

 ──時が凍るようだった。

 

『ちょっとしたツテから面白いものを購入してね。魔物の芽だよ。禁忌扱いされている代物だから、ブラックマーケットですらまずお目にかかれることはない逸品なんだが、運よく手に入れる機会に恵まれたんだ』

 

 相互理解など決定的に不可能なのだと、瞠目せざるを得ないほどに。

 

『チャンスだと思った。この芽を誰かに食わせれば、健康な人間が悍ましい魔物に堕落する奇跡の盛衰を描ける絶好の好機だと。で、仕事に向かう黄昏の森には丁度コロポックルが住んでるときた。……知ってるだろう? ここのコロポックルはとても友好的で有名なんだ。私がふらりと集落にやってきても嫌な顔一つせずに出迎えてくれて、差し出した芽の粉末入り弁当を何の疑いも無く食べてくれたほどにね』

 

 恍惚にうっとりと身悶えるカースカンの姿が鮮明に浮かぶほど、熱を帯びた男の嬌声が聴神経を搔き毟る。

 

『今でも目に浮かぶよ。ニコニコ人懐っこく近づいてきた小さな森の住民が、もがき苦しみながら化け物へ変異していく光景が。冒された獣性をもって仲間を喰らい、望まずして肥え太っていく醜悪が』

 

 吐き零される言葉の数々は、魔物など比にならぬほどに、名伏し難い穢れで満ち溢れていた。

 

『嗚呼、美しかったなぁ。平和に包まれていたコロポックルの集落が瞬きをする度に地獄へ変わっていくんだよ。筆が止まらなかった。何枚も何枚も描いたんだ。無邪気に微笑んで絵のモデルになってくれたコロポックルのみんなと、弁当を食べて変わり果てたコロポックル、泣きじゃくりながら逃げ惑う仲間たちの姿を、紙の中にしっかりと綴じて並べたんだ。傑作中の傑作が完成した瞬間だ』

「て……めえ……!!」

 

 罪の意識などまるで無いとでも謳うように、あまりにも不相応な熱を帯びた声色。

 到底信じられなかった。脳が、魂が、理解そのものを拒絶した。

 

 この男は、カースカンという男は、他人を踏み躙る行為に対し一片たりとも悪意を抱いていない。

 悪道を悪とすら思っていない。文字通りの悪趣味を叶えることが何者にも勝る最優先事項であり、それ以外は路傍の石ころのようにどうでもいい芥なのだ。

 魂魄の底からイカれている。同じ人間とは思えないほど悪辣で、エマより遥かに質の悪い外道が嗤っていた。

 

 擁護する気など毛頭ないが、世界を救うという大義の下で非道を働いたエマには曲がりなりにも信念があった。

 カースカンにはそれがない。吐き気がするほどの我欲だけだ。

 

 認めてはならない。断じてこの男だけは認めてはならない。

 静かに暮らしていただけのコロポックルから安寧を奪い去ったのが、たった一人のエゴだったなど、天地が返ろうとも許されていいはずがない。

 

 理想の絵を描きたいという我儘のためにここまで凌辱されねばならない道理が、この世界のどこにある。 

 看過など出来るものか。頭に来ないワケがあるものか。

 

「……コロポックルたちは怯えてた。何日も寝れていないみたいに酷い顔色をしてたんだ。当然だ。あんな化け物に成す術もなく襲われて、平気で眠れるわけがない」

 

 沸騰する血潮に頭を焼き尽くされそうになる。

 握り締めた拳が熱い。爪が皮膚に喰い込んで、赤い篆刻がじわりと包帯に滲み出した。

 

「それなのに……恐怖で限界だったはずなのに……コロポックルは俺たちを拒絶なんてしなかった。この意味がわかるか? カースカン。()()()()()()()()()()()()()()()()。化け物は急に湧いて出たものだと信じてたんだよ。コロポックルの中じゃきっと、今もお前は親切な絵描きのおじさんなんだ」

 

 シャーロットいわく、小人(コロポックル)という種族は人間よりも自我を得た精霊──妖精に近く、精神的にも肉体的にも子供のまま成長が止まるのだと言う。

 無邪気で、人懐こくて、感情豊かな森の民。余所者を排斥することもなく、むしろ迷い人が訪れれば、親身になって手を差し伸べてくれるような優しい種族なのだと。

 

 それを。

 そんな無辜の民たちを。

 

「ただ都合が良かったからなんて馬鹿げた理由で……! コロポックルたちを食い潰したってのかッ……!? なんだってテメエらはッ! そんな惨いことが平気な顔して出来るんだッ!?」

『怒りの矛先を履き違えているね。そもそもこうなったのは君たちのせいなのに、何故義憤に燃えているのか甚だ理解に苦しむ』

 

 一瞬、ヴィクターの思考が停止した。

 呆れかえるような吐息と共に落ちてきたカースカンの言い分が、まるで理解の及ばないものだったから。

 

『元はエマを取り逃した君たちの失態が原因だろうに。彼女を逃がしさえしなければ、黄昏の森へ向かうだろうという予測も立てられることもなく、コロポックルたちが巻き込まれることもなかったんだから』

 

 ──言葉が出ないとは。

 

『もっと言えば、君たちが生きていることそのものが起因するね。無駄に抵抗して生き永らえたからこういう結末を招いたんだよ。彼女(エマ)の言葉を借りるならば、世界のために初めから心臓を回収されていればよかったものを……ってところかな』

 

 ──まさに、このような状況を言うのだろうか。

 

『何にせよ死体を増やしたのは君たちだ。もし君たちに次があるとすれば、同じようなことが起こると断言出来るよ。我々の業界には他人の命に躊躇がない者たちが多いからね。わかるかい? 君たちのように甘ったれた正義感で場を引っ掻き回し続ける人間が、巡り巡って一番死をバラまくのさ。それはどの時代でも変わらない』

 

 

 ああ。ああ

 もう無理だ。限界だ。

 どんなに頑張っても。どんなに噛み砕いても。どんなに理解しようとしても。

 カースカンの主張を呑み込む術を、ヴィクターには終ぞ見つけだすことが叶わない。

 

「……? 何言ってんだ、お前」

 

 怒りではない。

 それは決して、義気に燃ゆる爆熱の焔ではない。

 

「金儲けと趣味のために何の罪も無い人々を踏み潰した屑が、なんで一丁前に詭弁並べ立てて正当ヅラしてんだ?」

 

 それは氷点の凜冽(りんれつ)を帯びた、殺意に比肩するほどの無色透明の憎悪。

 雪解けの水を頸椎に注がれたかと錯覚するほどの悪寒が、カースカンへ襲い掛かった。

 

「殺したのはお前だろうがッ……!! お前がやったんだろうがッ!! ベラベラベラベラ言うに事欠いて、俺たちが死体を増やしただ? シャロが生きてたからこんな事態を招いただ!? ふざッッッけんな!! 殺人嗜好のゲボ野郎が、テメエの責任都合よく解釈して擦り付けてんじゃねえぞアホンダラァッ!!」

 

 唾を飛ばし、ヴィクターは血を吐くほどの咆哮を爆発させた。

 森が騒ぎ出すような絶対の憤怒を迸らせて、どこに居るともつかないカースカンに睥睨を放つ。

 

「俺はお前みたいなやつが一番嫌いだ。弱者を平気で踏み躙って、その癖ヘラヘラと悪びれもしねえ。テメエの罪すら投げ出しちまうような、どうしようもなく救いようがないクソッタレが大嫌いだ」

 

 拳を掲げ、天を仰ぐ。

 包帯に覆われたそれが示すは、完全なる宣戦布告。

 

「覚悟しろよ、カースカン。千発だ。千発そのツラに叩き込んでやる」

『ははは。猛々しいことこの上ないね。実に元気で結構なことだ。そんな君が萎れた青菜のようになる瞬間が待ち遠しくてたまらないよ』

 

 声を皮切りに、再びヴィクターを囲う影。

 顕れしは影人間。肉を裂く爪を携えた人型の異形。

 それも四体如きではない。ざっと見渡すだけでも十はいる。

 

『さて、休憩は終わりだ。次のステップといこう。ちなみにこの子たちの数に制限は無いから、気が済むまで相手するといいさ。──君はもう終わりなんだよ。()()()()()()()()()()()()

 

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